春の庭
柴崎友香(著)
/文春文庫
作品情報
第151回芥川賞受賞作。「春の庭」書下ろし&単行本未収録短篇を加え 待望の文庫化!東京・世田谷の取り壊し間近のアパートに住む太郎は、住人の女と知り合う。彼女は隣に建つ「水色の家」に、異様な関心を示していた。街に積み重なる時間の中で、彼らが見つけたものとは――第151回芥川賞に輝く表題作に、「糸」「見えない」「出かける準備」の三篇を加え、作家の揺るぎない才能を示した小説集。二階のベランダから女が頭を突き出し、なにかを見ている。(「春の庭」)通りの向こうに住む女を、男が殺しに来た。(「糸」)アパート二階、右端の部屋の住人は、眠ることがなによりの楽しみだった。(「見えない」)電車が鉄橋を渡るときの音が、背中から響いてきた。(「出かける準備」)何かが始まる気配。見えなかったものが見えてくる。解説・堀江敏幸
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商品情報
- シリーズ
- 春の庭
- 著者
- 柴崎友香
- 出版社
- 文藝春秋
- 掲載誌・レーベル
- 文春文庫
- 書籍発売日
- 2017.04.07
- Reader Store発売日
- 2017.04.28
- ファイルサイズ
- 0.9MB
- ページ数
- 256ページ
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この作品のレビュー
平均 3.5 (39件のレビュー)
-
あなたは、見ず知らずの人の家を『観察』したりしますか?
いやいや、朝顔の種を蒔いて芽が出るかを『観察』するわけじゃないんだから、他人の家を『観察』するなんてことはしないでしょう。そもそも警察に通報さ…れたら間違いなく捕まる行為です。泥棒の下見なのか?ストーカーなのか?それとも何らかの組織の陰謀なのか?捕まったあなたは散々に取り調べを受けるでしょう。そもそもそんなリスクを犯してまで他人の家を『観察』する意味がわかりません。
しかし、一方で私たちには他人の生活というものに漠然とした興味を抱く感情というものもあるように思います。例えばこのブクログの場がそうでしょう。”非公開”設定をしない限り、このブクログという場におけるあなたの家、つまり”本棚”は誰の目にも等しく公開されています。他の人がどんな本を読んでいるのか、読んだのか、そしてこれから読もうとしているのか。読書というものはもちろん趣味の世界ですが、私たちはそんな共通の趣味を持つ見ず知らずの人の、ある意味での”プライバシー”を自由に覗き見することができるのです。
…と、話がすっかりそれてしまいました。そもそも私たちには”プライバシー”というものがあります。ブクログのように公開されていることを知った上で”本棚”を”公開”している以上、見ず知らずの人にその隅々まで見られてもそれはあなたの責任であり、あなたの意向です。そこにはなんの問題もありません。一方で、家というものを広く一般公開される方は普通にはいないと思います。そこには、その人の”プライバシー”があります。しかし、その家がかつて何らかの理由で社会に公開されていたとしたらどうでしょうか?しかも『写真集』まで出版されていたとしたら…。
ここに、かつて『写真集』に掲載された隣家がとても気になるという一人の女性を描いた作品があります。そんな女性が、さまざまなあの手この手で隣家を『観察』する様を描くこの作品。しかし、主人公はそんな女性自体を『観察』する男性であるというこの作品。そしてそれは、『だって、ずっと家の観察してたなんて言われたら、怖くないですか?』と、自らのことをわかった上で、それでも『観察』に突き進む女性の行動のその先に、この作品はそんな家こそが主人公なの?と感じてもくる物語です。
『二階のベランダから女が頭を突き出し、なにかを見ている』という光景を見るのは主人公の太郎。『ベランダの手すりに両手を置き、首を伸ばした姿勢を保』つ女は『ちっとも動』きません。そんな女の視点を見ると『顔が向いているのはベランダの正面。ブロック塀の向こうにある、大家の家』でした。『上から見ると”「”の形になっている』というアパートの一階に暮らす太郎。『まったく同じ位置のまま』動かない女を見て、『二階からなら大家の家の一階や庭も見えるには違いない』とは思うものの『そんなに変わったものがあるとも思えない』という太郎は、ふと、『女が見ているのが正面の大家の家ではな』く『大家の隣の家。水色の家』であることに気づきます。そんな時、『ぴーっ、ぴーっ、と鳥の甲高い鳴き声と、枝葉が擦れ合う音が、突然響』いた『次の瞬間、女と目が合』いました。そして、『太郎が目を逸らすより前に』女は部屋に引っ込み『それきり出て』きません。別の日、太郎が仕事から帰宅すると女の『隣の部屋の住人』が『鍵を落としませんでしたか?』と訊いてきました。『事務所の鍵』だと気づいた太郎はお礼を言い、同僚にもらった出張土産をお礼に渡します。さらに別の日、出張土産のお礼を持って先日の住人と共に、あの女が現れます。そして会話を交わした太郎と女は、また別の日に再会します。それは、女が『コンクリートブロックを二つ積み上げて足場にし』『水色の洋館』へとよじ登ろうとしていた場面でした。『ここの中庭、入ったらだめだと思う』と言う太郎に『そこのお家を、見たいんです』と言う女は『決して強盗の下見とか盗撮とか、そういったことでは』なく『あの家が好きなだけなんです』と語ります。しかし女は、結局その先の行動を諦め、西と名乗ると太郎を晩御飯に誘います。そして、出かけた居酒屋で西は一冊の本を取り出しました。『この家が、あの家なんです』と取り出した本は『「春の庭」と題された写真集』でした。そして、『あの家とのいきさつを話し』、異様な執着を見せていく西を見る太郎の物語が描かれていきます…という表題作〈春の庭〉。何かが起こる予感がぷんぷん漂う独特な世界観の物語でした。
2014年に、第151回芥川賞を受賞した柴崎友香さんの代表作でもあるこの作品。四つの短編から構成されています。短編間に繋がりはなく、また表題作が全体の3分の二という分量を占めるなど、バランス感も歪で、一見、物語を単に四つまとめた短編集です。以上。という雰囲気も感じます。しかし、物語は不思議と雰囲気感を同じにし、一冊の作品として一体感を作り出しているようにも見えます。では、まずは四つの短編について簡単にご紹介しましょう。
・〈春の庭〉: アパートの二階に住む女が隣家の『水色の家』を見ているのに気づいたのは主人公の太郎。そんな女と話すようになった太郎は、女が西という名前であること、『水色の家』の掲載された『春の庭』という『写真集』を持っており、その家の隅々まで知りたいと思っていることを知ります。『そのお風呂場、いいですよねー』と『水色の家』に執着を見せていく西は『お願いがある』と、ある計画を太郎に持ちかけます。
・〈糸〉: 『通りの向こうに住む女を、男が殺しに来た』という報道のことを思う主人公の長沼武史は『母親の住んでいたこの2Kの部屋』で母親に線香をあげに来る方の対応をしています。そんなところに息子の時生が戻ってきて『おばあちゃんはやさしい人だったんだね。お葬式に来た人も、みんな、あんないい人が、って言ってた』と語ります。それに『いい人っていうのは、自分にとって都合がいい人、の略や』と答える武史…。
・〈見えない〉: 『ぱちん、ぱちん、と音が聞こえてきて、誰かが爪を切っている』と思うのは主人公の『住人』。そんな『住人』は『これはたぶん、東大寺の盧舎那仏の指』と思います。『二年前の夏』にこのアパートに引っ越してきた『住人』は、『その木を「雑種」と呼ぶことにし』ます。『「雑種」は、また葉や枝が生えてくるのだろうか?』と思う『住人』。そんな『住人』は『雑種』のそれからを注視していきます。
・〈出かける準備〉: 『もう、立ち入り禁止なん?』、『めっちゃパトカーとか警察とかおったわ』と会話を交わすのは主人公の『わたし』と蛍子。『蛍子の住む部屋の近くで一トン爆弾の不発弾が発見され』『半径三百メートル』の『避難区域』に蛍子の部屋が指定され、会うことになった二人。そんな蛍子は飼っている『亀』を連れて来なかったことを心配します。『ほかにも、残ってる猫とかインコとかいそう』とも語る蛍子。
四つの短編はいずれも何か大きなことが起こることはありません。それこそが、内容紹介に書かれた”何かが始まる気配。見えなかったものが見えてくる”という感覚です。その中でも、やはり表題作〈春の庭〉の印象は強力です。そんな短編には読みどころが幾つかあると思います。三つを挙げてみたいと思います。まず一つ目は、小技を効かせた描写です。
『一人で住んでいた大家のばあさんが介護施設に入所して、もう一年になる。家の前を掃除するのを見かけたときは元気そうだったが、八十六歳になるらしい』。
そんな風に淡々と描写されていく背景事情は取り立てて珍しくもありませんし、これで終えてもおかしくない文章です。それが、
『情報は不動産屋経由である』。
えっ?という一言が情報のでどころを示唆します。あってもなくても良い一文。でもこれがあることでなんだか語り手に親近感が湧きます。もう一点。
『作業は無事に終了し玄関で靴を履きかけたら、今度お礼します、と西に言われたが、太郎は別にいいです、と答えた』。
これまた、なんのことはないアパートでの暮らしの一コマが描かれた箇所です。これで終えても全く問題はないと思います。そこに、
『部屋に戻ると冷蔵庫が、どるるん、と音を立てた』。
これまた、えっ?という印象を抱きます。『どるるん』という冷蔵庫の音はどことなくわかる気がしますが、だから?という気もします。その次には全く別の文章が続いていく中に、なんだか不思議な一文の存在。しかし、この一文があることでなんだか物語を読む緊張感がほぐれるようにも感じます。まさしく小技だと思いました。
次に二つ目は、まるで映画のワンシーンのようにカメラをパンし、またズームしていくような描写を文字の上に展開するものです。『その朝は土曜日で、十時過ぎまで寝ていた』太郎は『畳に転がって』います。『大家の家の方角から』『カラスの声が断続的に聞こえ』るという中に『ベランダに面した網戸越しに、空が少し見えた』『いい天気だ』と思う場面。そんな時『物音がする』のを聞いた太郎は『起き上がり、ベランダに近づいて』『外に人影』を見ます。『雑草が伸びた中庭』に目をやる太郎。『ブロック塀の隅、大家の家と水色の洋館とコンクリート金庫との境界』に目を移すと、そこには『スウェットにデニムの女』がいました。『コンクリートブロックを二つ積み上げて足場にし、ブロック塀に手をかけてよじ登ろうとしている』女。『成長しすぎた蔦で覆われ』た塀の上には『楓の枝が飛び出している』こともあって『なかなか上れない』という女を見て、思わずベランダに出て『ちょっと』と声をかけるというこのシーン。そこからは見事に音声付きの映像が浮かび上がってくるのを感じます。この作品にはこのような描写がとても多いです。そこには読者の頭の中に映像を浮かび上がらせるかのように、見えているはずのものを細かく描写していく柴崎さんの筆致があります。執拗なまでに映像を描写していく柴崎さん。これが作品に独特な雰囲気感を生んでいきます。
最後に三つ目は読書の中で私自身が混乱してしまったポイントです。これは、〈解説〉の堀江敏幸さんも指摘されていますし、他の方のレビューでも触れられている部分です。それは、視点の瞬間的な切り替えです。この作品は基本的には主人公の太郎視点で展開します。上記してきた内容の部分もそうですし、これから語ろうとする箇所の直前の文章も
『なにかスポーツでもやっていたんですか、と聞くと、野球を、と意外な答えである』。
そんな風に太郎が西に質問をして、『意外な答え』と感じていることが書かれています。それが、
『それから西は、あの家とのいきさつを話し出した』。
ここまで間違いなく太郎視点だったものが次の一文で瞬時に西に切り替わります。
『西があの家を見つけたのは、今年の初め…』
そんな風に続いていく文章から、西の回想含めた物語が展開していきます。これには、えっ?となってしまいます。そして、その先に
『それだけ話すあいだに、西は生ビール中ジョッキを七杯飲み、トイレに二度行った』。
と、視点が切り替わっていた時間の長さを加えながら再度元通りに太郎に視点を戻していきます。また、後半に入ると、いきなり『わたし』という記述が登場し、再び読者を混乱に陥れます。”太郎の視点のままで終わるのは違うなと思ったんです”と語る柴崎友香さん。そんな柴崎さんは”現代の生活では、客観的に誰が見ても同じ世界、というものは存在しない。人が見ている世界はそれぞれ全然違うんです”と続けられます。そして、”読んでいる人にも’あれっ’と揺らぐような体験をしてほしい”と入れられたのがこの視点の切り替えです。これから読まれる方には、この切り替えを意識してこの場面の登場を楽しんでいただければと思います。私はこの情報を知らなくて読み、混乱してしまったということもあり、敢えて記させていただきました。
この短編は、以上のような点にも注目するとなかなかに興味深い読書ができるのではないかと思います。
“もともと家を見るのが好きだったんです”
そんな風に語られる柴崎さんが家の描写に徹底的にこだわった表題作の〈春の庭〉含め四つの短編から構成されたこの作品。そこには、いかにも芥川賞作家さん的こだわりの先に書き上げられた物語がありました。家を『観察』する西を『観察』する太郎という構図、さらにそれを読書という手法によって『観察』する読者というなんともシュールな構図がそこに浮かび上がるこの作品。小技の効いた表現や、まるで映像作品のような描写が強く印象に残るこの作品。
何か大きなことが起こるでもない淡々とした描写の中に執拗なまでに描かれていく家の描写によって、人よりも家の存在が強く印象に残った、そんな作品でした。続きを読む投稿日:2023.02.11
主人公が観察した西さんが観察した青い家が主人公。青い家を中心として過去と現在をまたぎつつ、場所が持つ力みたいな、場所も生きてるんだよ、、、みたいなことを描こうとしてたのかなぁ。
なんか主人公が主人公…っぽくないな、と思いながら読んでたけど、途中で姉に視点を切り替えたりして、敢えて主観性をなるべく固定化しないように、舞台を主役にするように描いてたんだな、と納得。
続きを読む投稿日:2024.03.29
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