文学
谷川俊太郎~これまでの詩・これからの詩~
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「海鳴りのような魂のざわめきの中に一人のあなたがいます。そして私もいます。詩の言葉は私の中から生まれるのではなく、私を通って生れてくるのです。それは私の言葉ではありますが、私だけの言葉ではなく、あなたの言葉でもあるのです。私にとって、インスピレーションを待つとは、見知らぬあなたの、言葉にならぬ魂のきしみに耳をすまそうとすることだと言えるかもしれません。」
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「この詩集では、いろんなことを「定義」しようとしてみましたが、結果的には、言語というものでモノやモノゴトを完全に定義することは不可能なんだと思いました。収録した「私の家への道順の推敲」では、南阿佐ヶ谷から成田東の自分の家へ行く道を定義したんだけど、この詩をたよりに家に来ようとした人は、みんな道に迷っちゃった。」
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「同時に書いた『定義』とちがって、この詩集は口語的な語りだけで書いてみました。たぶん朗読を、「オーラルな伝達」ということをそのころ考えていたのが影響しているんじゃないかな。それから、この詩集はコピーライターの人たちなんかによく読まれているみたい。題名がキャッチーだしね。」
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「これも歌詞を集めたものですが、『日本語のおけいこ』と違って譜面は付いていません。歌として作曲されると、詩が大地から大空へ離陸するような感じがあります。でも私の歌詞でカラオケに入っているものは、残念ながらごく僅かです。」
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「詩は絵や写真と相性がいいのでしょうか、いわゆる詩誌以外のメディアで詩を注文されることも増えました。越路吹雪さんのために書いたものなど、今では懐かしい思い出です。」
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「あいうえおの文字をおぼえることは、もちろんたいせつですが、文字より先に、あいうえおの音の豊かさを身につけることも負けずおとらずたいせつだと思うんです。ただ棒よみするんじゃなく、その一行一行の、一音一音の表情を味わってほしい。そのためには、あいうえおを、言ってみればひとつのおもちゃとして、親子で遊んでみるのもおもしろいんじゃないかな。」『かぼちゃごよみ』小学館児童出版文化賞受賞
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「集英社が出してくれた単行本のカバーに用いたパッチ・ワークは、1865年ころ、合衆国マサチューセッツの無名の作者の手になるもの。・・・・・・本集もまた、日々の暮らしのときどきに、作者の経験したさまざまな感動の色あい、さまざまな夢幻の肌ざわりのあれこれを、パッチ・ワークにならって綴り合わせたものと言えようか。」
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「一本の大根の姿は単純だが、大根という生ある物質の構造は限りなく複雑だ。それを私たちは分析しきれないが、味わうことはできる。語を分子として、食するに足る有機物をどこまでつくれるか。詩とは現実の味わいであると観じて、当店は当店のメニュをおとどけする。
英訳出版の折、本家コカコーラ・カンパニーとタイ・アップしたかったのですが、話は通りませんでした。」 -
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「この本にあつめられた《わらべうた》は、詩のかたちをしているけれど、学校でならう詩とはちょっとちがう。かんたんに言うとこれらは、ふしのついたことばだ。いんさつされて本のページにならべられているところはおんなじだけど、ぼくとしては、だまって頭の中で読むんじゃなく、ふしをつけて口に出し、耳で聞き、からだを動かして遊んでほしいのさ、友だちと。」
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「《わらべうた》は日本にだけあるわけじゃない。・・・・・・たとえば〈マザー・グーズ〉と呼ばれているのは、英語をはなす人々の《わらべうた》だ。・・・・・・日本語の《わらべうた》と、英語の《マザー・グース》のあいだには、よくにたところもあるけれど、ちがっているところもある。この本の中の〈これはのみのぴこ〉というのは、〈つみあげうた〉というかたちで、これは日本の《わらべうた》にはみつからないかたちだし、〈だれもしらない〉なんかも、ちょっと〈マザー・グース〉ふうにつくってある。」
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「こういう行数の多いひらがな詩をはじめるきっかけをつくってくれたのは、児童文学作家で当時編集の仕事もしていた今江祥智さんです。彼が編集していた雑誌に、たっぷりページを空けとくから、みたいなことを言われて書いた。・・・・・・まずとにかく、声に出すということを意識して書いた詩をまとめようっていう一種の決意がありました。」
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「私たちは人や土地や時の縁にむすばれて、日々を暮らしている。詩もまたそれらと離れては存在し得ないところがあって、それは詩をしばるどころかかえって自由にする。正直になりたい、裸になりたいと思いながら書いていても、詩をしばるものは結局自分でしかない。」読売文学賞受賞
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