いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 教養編
安藤達朗(著)
,佐藤優(編集・解説)
,山岸良二(監修)
/東洋経済新報社
作品情報
佐藤優氏が外交官時代、肌身離さず持ち歩いた「座右の書」であり「最高の基本書」であり「伝説の学習参考書」。
あの『大学への日本史』が読みやすくなって、しかも最新情報で新登場!
《佐藤優氏が大絶賛する本書の3つの特色》
【特色1】「通史」が身につく
・1人の著者が全編を通してすべて執筆している(通常の教科書は分担執筆)
・そのため全体の「流れ」が明確で、個々の歴史事象だけでなく「歴史の動き」がわかりやすい
【特色2】「最新情報」に全面改訂
・監修者が全編チェックし、古い学説を全面改訂
・最先端の学説も反映した「最新の内容」に全面リニューアル、「いま使える内容」に
【特色3】「世界史」を意識した記述
・日本史は「世界史」の文脈で見ると理解が深まる
・全編が「世界の中の日本」という視点で貫かれ、日本史ファンにも「新たな発見」が満載
「私の日本史の知識の基盤は,本書によって形作られた」「この1冊で、新書100冊の基礎知識が身につく」と佐藤優氏が断言するほどの究極の1冊。
ビジネスパーソンが日本史をいっきに学び直す、最高にして最適の1冊です!
巻頭には、佐藤優氏が本書に寄せた解説を掲載。
巻末の「佐藤優×山岸良二スペシャル対談(本書の読みどころ)」では、なぜビジネスパーソンに日本史の知識が必要不可欠なのか、さらに佐藤氏流の日本史解釈、おすすめ勉強法まで解説!
歴史ファンにも、いちから学び直すビジネスパーソンにも、いまいちばん面白く、役に立つ日本史の本です!
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この作品のレビュー
平均 3.4 (18件のレビュー)
-
【感想】
良くも悪くも、「日本史の教科書」という一言に尽きる1冊だった。
ツラツラと何のストーリー性もなく編纂されており、日本史の流れを色んな側面から眺め、学ぶには非常に役立つ1冊だと思う
個人的には…、文章だけでなくもう少しその文化に関する作品などの「画」を入れてほしかったな~とも思えたが・・・
あと、江戸時代中期までしか掲載がなく、江戸時代終盤~明治・大正・昭和・平成に至るまでの日本史も掲載して欲しかったなと思った。
最近そちらの歴史について若干おろそかなので・・・・・
(調べたところ、続編として「近世・現世版」もあるようですね!次回はコチラを読んでみよう!!)
面白味は一切ないが、余すことなくかつ正確に日本史を復習するための教科書としては、非常に良い1冊だと思う。(だって教科書そのものだもの!笑)
【内容まとめ】
1.推古天皇の時代を中心に、大化改新までを飛鳥時代、飛鳥文化と呼ぶ。
聖徳太子は四天王寺や法隆寺をはじめ7つの寺を建てた。
「法隆寺」は現存する世界最古の木造建築物である。
2.大化改新=蘇我氏暗殺ではない。
蘇我氏暗殺=「乙巳(いっし)の変」である。
大化改新の目的は、「氏姓制度を廃して中央集権国家をつくる」ことだが、しかしその眼目は「公地公民制」と「班田収授制」を施行することにあった。
3.律令体制の完成
「律」は刑法・刑事訴訟法に相当し、「令」は行政法・民法に相当する。
701年に大宝律令が完成し、翌年から施行された。律令体制によって中央豪族が貴族化していった。
4.天武・持統両天皇は、薬師寺の造営をはじめ、仏教興隆につとめたので、仏教文化が栄えることになった。
710年の平城遷都までの時代を年号にちなんで白鳳時代、この文化を「白鳳文化」と呼ぶ。
5.天平文化
奈良時代の文化は、聖武天皇のときの年号にちなんで「天平文化」と呼ばれている。
律令国家の模範とされた唐文化への強い憧れの1つ。
また「古事記」「日本書紀」の編纂がこの時期に完成し、諸国に「風土記」の編纂が命じられた。
かつての飛鳥文化・白鳳文化と同じように、仏教文化としての性格を強く持っている。
6.武士の発生
地方の治安が乱れると、名主や開発領主たちは武装して武力を蓄え、自分の土地を守るようになった。
こうして発生した武芸を専門とする人を「武士」という。
武士は10世紀の頃から荘園・公領問わずに発生してきた。
武士の勢力が初めて歴史上に姿を現したのが、承平・天慶(てんぎょう)の乱であった。
7.平安中期の国風文化
藤原時代ともいうが、まず何よりも貴族文化である事に特徴があった。
摂関家藤原氏を中心に、多くの荘園からの豊かな収入の上に豪奢な生活を営み、高い文化を享受した。
一般の多くの民衆は苦しい生活にあえいでおり、その文化を享受できていなかった。
8.封建制度
主君と従者との主従関係
主君が従者に封土を給与し保護するのに対して、従者が主君に対して忠誠を誓う相互契約的な社会関係をいう。
鎌倉時代に将軍と主従関係を結んだ武士を「御家人」という。
9.元寇
二度にわたる侵攻を撃退し得たことは武士の力を示すものであった反面、領地を獲得したわけではなかったので、御家人に対して恩賞を与えることができず、御家人の幕府に対する信頼感が薄らいだ。
10.鎌倉幕府の滅亡
幕府の弱体化を見抜いた後醍醐天皇は倒幕を試み、それをきっかけとして全国各地の武士が蜂起した。
護良親王が吉野、楠木正成が河内の千早城に挙兵した。
この情勢を見た幕府は、足利高氏(のちの尊氏)を討伐軍として上洛させたが、謀反を起こし六波羅探題を滅ぼした。
こうして150年に及ぶ鎌倉幕府の幕は閉じた。
11.室町幕府時代の南北朝時代
1336年に足利尊氏が後醍醐天皇を吉野に追い、1392年の足利義満のときに南北朝を合一するまでのこの期間は、後醍醐天皇の系統を引く「南朝」と京都の持明天皇の北朝が併立していた。
12.応仁の乱
義政は弟・義視を養子としていたが、正夫人である日野富子との間に義尚が生まれると、富子は義尚を立てようとして山名持豊に頼ったため、義視は細川勝元との結びつきを強めた。
ここで持豊と勝元は、将軍継嗣をめぐって決定的に対立するに至った。
勝元側を東軍、持豊側を西軍と称して、京都を中心として10年にわたって戦闘を行った。
戦局が次々と変わり地方でも内乱が激化したため、領国支配に不安を抱いた諸将は相次いで帰国、京都での戦乱はさしたる結果もなく自然消滅した。
応仁の乱の結果、室町幕府の権威はまったく失われ、影響力がほとんど及ばなくなった。
戦乱のどさくさにまぎれて力を蓄え、守護大名に取って代わって大名化する者も続出し、「下克上」の風潮が一般化していく。
めまぐるしい勢力交代の中に、実力者が次々とのし上がってしのぎを削りあう戦国時代へと突入していく。
13.楽市楽座
楽市…領内の特定都市の商工業者の課役を免除して流通機構の統一を推進。
楽座…それまでの座商人の特権を否定した。
楽市楽座令により、座の本所として寺社が商業に対してもっていた特権は否定され、商品流通も戦国大名の統制下に組み込まれることになった。
14.豊臣秀吉
尾張の農民の子に生まれた豊臣秀吉(1537?1598)は、今川義元の臣下に仕えたが再び放浪し、1558年に織田信長の臣となった。
1573年に浅井氏の北近江を与えられ、1577年からは中国・毛利氏の攻略にあたった。
1582年、備中の高松城を包囲している時に本能寺の変を知り、ただちに毛利輝元と和議を結ぶと急いで京都に引き返し、山城の「山崎の合戦」で明智光秀を討った。
翌1583年に滝川一益を伊勢に討ち、近江の「賤ヶ岳の戦い」で柴田勝家を討ち、信長の三男である信孝を滅ぼした。
大阪城の築城に着手したが、信長の次男・信雄(のぶかつ)が徳川家康と連合したため、1584年に尾張の小牧・長久手に対陣し、決戦を行わないままに和を結んだ。
1585年になると秀吉の地位は一段と強まり、関白の地位についた。
豊臣姓を名乗り、翌年に太政大臣となった。
1587年に九州に出兵、島津家を降伏させた。
1598年に死没。
15.関ヶ原の戦い
1600年、上杉家を攻めるために家康が会津に向かって東上すると、石田三成は家康討伐の軍を起こした。
家康に従った軍勢には東国の大名が多かったので東軍といい、三成に従った軍勢は西国の軍勢が多かったので西軍という。
両軍は美濃の関ヶ原にて対陣し、東軍の勝利に終わった。
16.元禄文化
5代綱吉の頃の元禄期を中心に開花した文化。
京都・大阪・江戸のいわゆる三都を中心に展開された。
町人が新興の意気に燃え、蓄えた財力が自信ともなってあるがままの現実を肯定し、自らの正当性を高らかに主張し、人間性の解放をうたいあげた。
つまり元禄文化は現実主義的傾向が強く、清新の気に満ちていた。
土壌は劇場と遊里であり、浮世草子・歌舞伎・浄瑠璃・浮世絵などが中心である。
【引用】
p26
新石器時代の日本の文化を縄文文化と呼ぶ。
日本では、先土器時代に次いで古い文化である。
土器の発生とあわせて始まったとされ、弥生時代が紀元前500~400年に始まるまでの約1万年にわたる。
自然の洞窟から竪穴式住居が一般的になり、縄文人が食べた貝や鳥、獣、魚類の骨などを捨てた跡である貝塚も発見されている。
p46
・第1代の天皇は神武天皇ではない?
大和朝廷成立の年代と一致することから、8代目の崇神(すじん)天皇からではないかと考えられている。
p60
592年、蘇我馬子は渡来人を使って崇峻天皇を殺害、このような中で最初の女帝「推古天皇」が即位し、翌年には天皇の甥である厩戸王(うまやとおう)の聖徳太子が摂政となる。
聖徳太子の治績として特に注目されるべきものは、「冠位十二階」の制定と、「憲法十七条」である。
また、607年に小野妹子を隋に派遣し、対等の立場を築いた。
推古天皇の時代を中心に、大化改新までを飛鳥時代、飛鳥文化と呼ぶ。
聖徳太子は四天王寺や法隆寺をはじめ7つの寺を建てた。
法隆寺は現存する世界最古の木造建築物である。
p66
大化改新=蘇我氏暗殺ではない。
蘇我氏暗殺イコール「乙巳(いっし)の変」である。
大化改新の目的は、氏姓制度を廃して中央集権国家をつくることにあったが、その眼目は土地の私有を廃して国家に収める公地公民制であり、それに基づいて班田収授制を施行することにあった。
p70
天武・持統両天皇は、薬師寺の造営をはじめ、仏教興隆につとめたので、仏教文化が栄えることになった。
710年の平城遷都までの時代を年号にちなんで白鳳時代、この文化を「白鳳文化」と呼ぶ。
p71
・律令体制の完成
唐の制度を積極的に取り入れて、天皇を中心とする統一国家をつくる。そのための基礎が律令である。
「律」は刑法・刑事訴訟法に相当し、「令」は行政法・民法に相当する。
701年に大宝律令が完成し、翌年から施行された。律令体制によって中央豪族が貴族化していった。
p74
少納言、式部は役職である。
今でいう国家機関のようなもの。
p92
・天平文化
奈良時代の文化は、聖武天皇のときの年号にちなんで天平文化と呼ばれている。
律令が整備され、国家意識が高まった。
ここ意識の高まりは、律令国家の模範とされた唐文化への強い憧れの1つ。
「古事記」「日本書紀」の編纂がこの時期に完成し、諸国に「風土記」の編纂が命じられた。
かつての飛鳥文化・白鳳文化と同じように、仏教文化としての性格を強く持っている。
p111
・荘園の発生と展開
墾田永年私財法の施行後、貴族・寺社による墾田がしきりに開発された。このようにして発生した私有地を荘園と呼んでいる。
荘園制は8世紀に成立し、16世紀の太閤検地によって消滅するまで存続した。
律令体制の基礎である班田制が完全に崩れ、律令の給与制に不安を抱いた貴族たちは加速度的に私有地=荘園を増やしていった。
p119
・武士の発生
政治に公私混同が一般化し、国司が私服を肥やすのに専念して地方の治安が乱れると、名主や開発領主たちは武装して武力を蓄え、自分の土地を守るようになった。
こうして発生した武芸を専門とする人を「武士」という。
武士は10世紀の頃から荘園・公領問わずに発生してきた。
武士の勢力が初めて歴史上に姿を現したのが、承平・天慶(てんぎょう)の乱であった。
平将門、藤原純友(すみとも)
p129
・平安中期の国風文化
藤原時代ともいうが、まず何よりも貴族文化である事に特徴があった。
摂関家藤原氏を中心に、多くの荘園からの豊かな収入の上に豪奢な生活を営み、高い文化を享受した。
一般の多くの民衆は苦しい生活にあえいでおり、その文化を享受できていなかった。
貴族は寝殿造の住宅に住み、池に舟を浮かべて釣りを楽しんだり、庭で遊宴を催した。
詩歌・管弦がよろこばれ、歌合わせ・蹴鞠などが盛んだった。
p142
保元の乱は貴族(後白河天皇と崇徳天皇)の争いに武士の戦闘力(源義朝と平清盛)が利用されたものであり、乱の結果、武力の役割が貴族にも武士自身にも強く認識されるようになった。
恩賞に不満を抱いた源義朝は、平清盛と乱を起こした。(平治の乱)
p154
・鎌倉幕府の成立には諸説あり
1180年の侍所の設置
1183年の東国支配権の承認
1189年の奥州藤原氏滅亡、制定
1192年の征夷大将軍の補任
・封建制度
主君と従者との主従関係
主君が従者に封土を給与し保護するのに対して、従者が主君に対して忠誠を誓う相互契約的な社会関係をいう。
鎌倉時代に将軍と主従関係を結んだ武士を「御家人」という。
p161
・承久の乱
独裁的に院政を行う後鳥羽上皇による乱。
北条政子が頼朝以来の恩顧を説いて御家人を感激させ、幕府への忠誠を誓い、結果、戦争は幕府方の圧勝に終わった。
この乱の結果、貴族階級は決定的な打撃を受け、院政の実質は失われることになり、幕府はその勢力を全国に及ぼすようになった。
(京都守護の六波羅探題によって京都は常にチェックされていた。)
また、「御成敗式目」も制定され、裁判にはっきりとした基準が与えられた。
p177
元寇の二度にわたる侵攻を撃退し得たことは武士の力を示すものであった反面、領地を獲得したわけではなかったので、御家人に対して恩賞を与えることができず、御家人の幕府に対する信頼感が薄らいだ。
p196
・鎌倉幕府の滅亡
幕府の弱体化を見抜いた後醍醐天皇は倒幕を試み、それをきっかけとして全国各地の武士が蜂起した。
護良親王が吉野、楠木正成が河内の千早城に挙兵した。
この情勢を見た幕府は、足利高氏(のちの尊氏)を討伐軍として上洛させたが、謀反を起こし六波羅探題を滅ぼした。
こうして150年に及ぶ鎌倉幕府の幕は閉じた。
p200
・南北朝時代
1336年に足利尊氏が後醍醐天皇を吉野に追い、1392年の足利義満のときに南北朝を合一するまでのこの期間は、後醍醐天皇の系統を引く「南朝」と京都の持明天皇の北朝が併立していた。
p231
・8代目 義政の政治
守護家同士の激しい対立の中で将軍職にあった義政には、政治に対する熱意の持ちようもなく、政務を忘れて遊び暮らし、義政の側室や側近が政治に口出しして政治は混乱した。
さらに飢饉などの災害が相次ぎ、農民や庶民は生活に苦しんだが、義政はそれを顧みずに土木工事を繰り返し、徳政令を頻発した。
p232
・応仁の乱
義政は弟・義視を養子としていたが、正夫人である日野富子との間に義尚が生まれると、富子は義尚を立てようとして山名持豊に頼ったため、義視は細川勝元との結びつきを強めた。
ここで持豊と勝元は、将軍継嗣をめぐって決定的に対立するに至った。
勝元側を東軍、持豊側を西軍と称して、京都を中心として10年にわたって戦闘を行った。
戦局が次々と変わり、地方でも内乱が激化したため、領国支配に不安を抱いた諸将は相次いで帰国、京都での戦乱はさしたる結果もなく自然消滅した。
応仁の乱の結果、室町幕府の権威はまったく失われた、影響力がほとんど及ばなくなった。
戦乱のどさくさにまぎれて力を蓄え、守護大名に取って代わって大名化する者も続出し、「下克上」の風潮が一般化していく。
めまぐるしい勢力交代の中に、実力者が次々とのし上がってしのぎを削りあう戦国時代へと突入していく。
p234
・東山文化
足利義政の治世を中心に、15世紀後半の文化を、義光に倣って京都東山の山荘を営み、戦乱の世相をよそに風流の生活を送ったことにちなんで「東山文化」という。
室町時代の文化を総称して「東山文化」と称することもある。
東山文化は、何より将軍義政とその周辺によって形成された文化であった。
政治的に無力であった義政は、わずらわしい現実を逃れ、東山で隠遁的な生活を送り、書画・骨董の鑑賞や風流の世界に生きようとした。
伝統的な貴族文化が巧みに取り入れられ、わび・さびといった枯淡・簡素な美しさを追求する武家文化がつくられた。
p243
・戦国大名の台頭
応仁の乱によって将軍の権威が失墜したことは、守護大名にとっては強力なうしろだてを失ったことであったから、そのような守護大名には新興の実力者を抑えることができず、次々と滅ぼされることになった。
こうして守護大名に代わって実力者が領国支配にあたることになった。
これを戦国大名という。
1507年に越後で長尾為景が守護を滅ぼし上杉家を築き、1516年には伊勢長氏(北条)が相模を、翌年には毛利元就が安芸を、美濃では斎藤道三。
1541年には甲斐の武田晴信(信玄)が父・信虎を追放、美濃では斎藤道三が守護・土岐頼芸を追放した。
1548年には長尾景虎(上杉謙信)が越後の家を継ぎ、1555年には浅井氏が近江を支配下に。
1560年には今川義元が織田信長に滅ぼされている。
守護家で残ったのは島津家と大分の大友家、奥州・九州を除くと近江の六角氏と越前の朝倉氏のみであった。
p253
・楽市楽座
楽市…領内の特定都市の商工業者の課役を免除して流通機構の統一を推進。
楽座…それまでの座商人の特権を否定した。
楽市楽座令により、座の本所として寺社が商業に対してもっていた特権は否定され、商品流通も戦国大名の統制下に組み込まれることになった。
p276
・豊臣秀吉
尾張の農民の子に生まれた豊臣秀吉(1537?1598)は、今川義元の臣下に仕えたが再び放浪し、1558年に織田信長の臣となった。
1573年に浅井氏の北近江を与えられ、1577年からは中国・毛利氏の攻略にあたった。
1582年、備中の高松城を包囲している時に本能寺の変を知り、ただちに毛利輝元と和議を結ぶと急いで京都に引き返し、山城の「山崎の合戦」で明智光秀を討った。
翌1583年に滝川一益を伊勢に討ち、近江の「賤ヶ岳の戦い」で柴田勝家を討ち、信長の三男である信孝を滅ぼした。
大阪城の築城に着手したが、信長の次男・信雄(のぶかつ)が徳川家康と連合したため、1584年に尾張の小牧・長久手に対陣し、決戦を行わないままに和を結んだ。
1585年になると秀吉の地位は一段と強まり、関白の地位についた。
豊臣姓を名乗り、翌年に太政大臣となった。
1587年に九州に出兵、島津家を降伏させた。
1598年に死没。
p293
1600年、上杉家を攻めるために家康が会津に向かって東上すると、石田三成は家康討伐の軍を起こした。
家康に従った軍勢には東国の大名が多かったので東軍といい、三成に従った軍勢は西国の軍勢が多かったので西軍という。
両軍は美濃の関ヶ原にて対陣し、東軍の勝利に終わった。
戦後、家康は西軍方の大名の改易(とりつぶし)や減封を大々的に行なった。
畿内の一大名になった豊臣氏滅亡のため、寺社造営をすすめ、まずはその莫大な金銀を消化させた。
無理難題を押し付けて秀頼に挙兵させ、大阪城を攻め、豊臣家は滅亡した。
1614年 大坂冬の陣
1615年 大坂夏の陣
p352
・元禄文化
5代綱吉の頃の元禄期を中心に開花した文化。
京都・大阪・江戸のいわゆる三都を中心に展開された。
町人が新興の意気に燃え、蓄えた財力が自信ともなってあるがままの現実を肯定し、自らの正当性を高らかに主張し、人間性の解放をうたいあげた。
つまり元禄文化は現実主義的傾向が強く、清新の気に満ちていた。
土壌は劇場と遊里であり、浮世草子・歌舞伎・浄瑠璃・浮世絵などが中心である。続きを読む投稿日:2019.03.18
歴史が苦手だったため、再学習のためと教養のために購入。
古代から江戸時代までの日本史を通して学ぶことができる。
教科書的な話だけではなく、各時代の文化、世界情勢と絡めた日本の分析、また、複数の学説…、明らかになっていない点の補足などは物事を深く理解するのに重要である。
何より、こういった学び方をすれば歴史を楽しく学ぶことができると感じた。続きを読む投稿日:2023.07.29
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