眠りの庭
千早茜(著者)
/角川文庫
作品情報
女子校の臨時教員・萩原は美術準備室で見つけた少女の絵に惹かれる。それは彼の恩師の娘・小波がモデルだった。やがて萩原は、小波と父親の秘密を知ってしまう・・・・・・。(「アカイツタ」)大手家電メーカーに勤める耀は、年上の澪と同棲していた。その言動に不安を抱いた耀が彼女を尾行すると、そこには意外な人物がいた・・・・・・。(「イヌガン」)過去を背負った女と、囚われる男たち。2つの物語が繋がるとき隠された真実が浮かび上がる。
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商品情報
- シリーズ
- 眠りの庭
- 著者
- 千早茜
- 出版社
- KADOKAWA
- 掲載誌・レーベル
- 角川文庫
- 書籍発売日
- 2016.06.18
- Reader Store発売日
- 2016.06.18
- ファイルサイズ
- 0.8MB
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この作品のレビュー
平均 3.3 (38件のレビュー)
-
『いい?人の心は無理に暴いてはいけないのよ』。
憲法第19条によって私たちの”内心の自由”は保証されています。言葉に出せば罰せられるような内容であっても心の中で思うこと、考えることは自由です。人は…そこに何ものにも縛られない心の安らぎを見ることができます。そもそも現代の科学技術をもってしても人の”内心”を見ることはできません。法によって守られ、さらに技術的にも突破することができない人の”内心”。
しかし、自分自身のことを考えればそれで良いとしても他人のことを思うと逆に知りたくなってくるものです。例えば『なにを考えている?』と訊いたとしてもその答えが必ずしも本心かどうかは分かりません。そこには”内心の自由”と引き換えに、どうしても『人はわかり合えない。全てを知ることはできない』という諦めの感情も生まれます。私たちが人と触れ合って生きていく中では『たとえどんな真実が突きつけられても、それを踏まえて歩き続けるしかない』という一種の割り切りも必要なのかもしれません。
さてここに、人の”内心”に隠された闇の世界を描く物語があります。『溺死です。鈴木先輩は海で見つかったんです』と遺書もなく亡くなった一人の生徒が描いたという一枚の絵に描かれた『少女の上半身像』の主が背負う過去を見るこの作品。『僕らは子どもの頃の話をめったにしない』と過去に何かを抱える彼女の心の内を見るこの作品。それは、一冊の本に収録された二つの物語が、真っ赤な蔦が複雑に絡まり合うように、『どんなに離れようとしても血が絡みつ』く人の”内心”の闇を見る物語です。
『花を見ると潰す子供だったらしい』、『特に、赤や濃い桃色の花を好んで潰した』と自らの子供の頃のことを振り返るのは一編目の主人公である萩原。そんな萩原は『いつでも親父は母親を殴っていた』という父親から『クレヨンを与えられ』ます。それが『いつしか色鉛筆になり、やがて絵の具にな』っていく中で、『いつの間にか母親はいなくなって』いました。そして『美大生になって家を離れた』あと、『まもなく親父は酔っ払ったまま死』にます。そんな知らせを聞いて『解放感に似た安堵がじんわりと胸に広がっ』たという萩原は、一方で『潰した花は血だったんじゃないか』という思いに囚われてもいます。『俺はいつ、どうやって母親が俺たちの前から姿を消したのか知らない』と改めて思う萩原。『そんなことを考えるようになったのは、この学校に赴任してきてからだ』と、蔦に覆われた『真っ赤な壁を見』る萩原。『一枚の例外もなく血潮に染まったように紅葉』している『びっしりとはびこった蔦』。『あちらは聖堂になります』と案内された萩原は、建物の『二階の窓が開いて、一人の女生徒が顔をだした』ことに気づき『俺と女生徒はしばらく見つめ合った』という瞬間が到来します。そして春になり『遅刻すれすれで』出勤してきた萩原が美術準備室に入るや否や『ハッギー』と『茶色の髪を揺らして生徒の仁科麻里』が入ってきました。『名ばかりの美術部の部員』という仁科の喋りに飽き飽きした萩原は『さっさと行け』と部屋から追い出そうとした時に段ボール箱に足を引っ掛けます。『卒業生に作品取りに来るように連絡しとけって言っただろ』と足元の箱から覗くキャンバスをひとつ引き抜く萩原に『先生、この絵は無理だわ。返せない』と言う仁科。『少女の上半身像が描かれていた』というキャンバスを見て『この絵を描いた人、死んじゃったから。鈴木先輩』と語る仁科は『学校は事故って言い張っているけど、自殺じゃないかって噂もあった』、『蔦の周りで先輩の幽霊を見たって子もいた』と続ける仁科。場面は変わり、授業中にも関わらず目を瞑ってしまっていたところを同僚の吉沢先生に注意された萩原は『授業はあと十分だ、構うもんか』と残りを自習に切り替えて教室を出てしまいます。そして、旧校舎の裏へと向かった萩原は教会から人が出てきたのに気づきます。『艶のある髪。若い女のようだった』というその瞬間、携帯が振動し身を潜めます。そして、再び先ほどの場所に戻ると『女は消えてい』ました。『誰もいない。あの女、まさか』と思う萩原は美術準備室へと戻りキャンバスを取り出します。『去年、紅葉した蔦に囲まれた窓から俺を見下ろしていた女生徒だ』と気づいた萩原は、『この絵を描いた人、死んじゃったから』という仁科の言葉を思い出し『さっき蔦の前に立っていたのは噂の幽霊だろうか』と鳥肌がたちます。そんな時、扉をノックする音が聞こえて、『はっと我に返る』萩原。そんな萩原が一枚の絵に隠されたまさかの真実へと迫っていく先に衝撃的な展開を辿る物語が始まりました。
〈アカイツタ〉と〈イヌガン〉という二つの短編が文字通り『蔦』のように絡み合う連作短編の形式をとるこの作品。そんな作品の冒頭には22行からなる一見意味不明な〈序章〉が置かれています。『つめたい土の中にいる』から始まる独白調のその文章は、『思いだせる女は二人しかいない。一人は殺して、一人は慈しんだ』、『慈しんだ女を、私は二つの名で呼んだ。それは呪いだった。どこにも行かぬよう、殺した女の名で呪いをかけた』といったどこか物騒な記述が続きます。しかし、それに続く一編目の短編〈アカイツタ〉は『花を見ると潰す子供だったらしい』とさらに意味不明な出だしで始まったかと思うと、『ハッギー』と萩原のことを呼ぶ女子生徒が現れて学園ドラマのような展開へと進みます。この展開の中で、意味ありげな冒頭の記述は、おそらくほとんどの読者の頭の中から消え去ってしまうと思います。しかし、この作品の結末を読み終えた読者の全員が、間違いなくこの冒頭の22行を読み返すことになる、それがこの〈序章〉だと思います。とはいえ、これから読まれる方にはあまり〈序章〉の記述には囚われないで、まずは見事に絡み合っていく二つの短編の内容をじっくりと味わっていただければと思います。
そして、〈序章〉に続く一編目の短編〈アカイツタ〉では、美術大学を卒業し、『臨時教員』としてキリスト教系の『お嬢様学校』に美術教師として勤める主人公・萩原の姿が描かれていきますが、その中で象徴的に描かれるのが建物の『外壁を覆う蔦』でした。『びっしりとはびこった蔦は、一枚の例外もなく血潮に染まったように紅葉して、古い校舎を包んでいた』と描かれるその光景は単なる校舎の外観を描写するだけではなく、作品中に幾度も登場します。『ふいに濃厚な圧迫感を覚えて息苦しくなった。この古い建物を覆い尽くす蔦の存在を意識したせいかもしれない』、『溺死体のポケットに蔦が入っていた』、そして『どんなに離れようとしても血が絡みついてくるの。あの蔦みたいに』といったように物語の重要な場面で必ず登場する『蔦』の存在感の大きさにやがて読者も囚われていきます。
そんな『蔦』に絡め取られるかのように、『臨時教員』として赴いただけの萩原が物語の中にどっぷりとはまっていく様が描かれる短編〈アカイツタ〉。そこでは、萩原が赴任する前に描かれたという『少女の上半身像』の絵に隠された真実へと萩原が近づいていくことから始まります。『臨時教員』の職を推薦してくれたという恩師でもあり『美術に携わる人間なら知らない者はいない』という真壁秋霖(まかべ しゅうすい)。そんな恩師の娘がその絵に描かれた小波(さなみ)であることを知った萩原は、一方で絵を描いたとされる鈴木理枝の死の真相を求める中で小波に隠されたある真実を知ってしまいます。短編冒頭の仁科麻里をはじめとした女子高生たちがわちゃわちゃと登場する学園ドラマのような雰囲気が消し飛び一気に緊迫感が高まっていく物語は、もうページを捲る手が止まらない!という読書の醍醐味を存分に味わわせてくれます。ここまで密度濃いストーリー展開は個人的に久々であり、まさしく貪るように読んでしまいました。
しかし、そんな緊迫感に包まれた物語は、不穏な場面が展開する中に唐突に幕を下ろし、二編目の〈イヌガン〉へと続いていきます。ここで読者をさらなる衝撃が襲います。それは、『社会人五年目でスーツがしっくりと馴染むようになった』という高橋耀(たかはし よう)が主人公となるなんとものんびりした雰囲気の物語がいきなり展開するからです。『ねえ、澪、今日の晩ご飯なに?』と訊く耀に、『海老チリ。海老が安かったから。あとは春雨サラダと卵スープ』と返す澪、そして、『いいね、海老チリ好き』『辛くするね』と続く会話は、前編の緊迫感の中にいた身には、あまりの落差に一体何が起こったのか?と、頭が混乱してもしまいます。しかし、ここで一瞬の油断をした読者を早々に再度の緊迫感が襲います。それは、耀が幼い時に母親から聞かされたという『イヌガン』という伝説でした。『無人島だった島にある大きな船が漂着した。船には数人の男と一人の女、そして、一匹の犬が乗っていた』と始まる伝説は、『だが、ある夜を境に男たちが一人、また一人と消えていく。そして、七日目の朝には女と犬だけが島に残されていた』と一気に緊迫感を増していきます。この先は省略しますが、その先に続く物語は、子供には恐怖心しか残らないであろう強烈な内容です。そしてそんな伝説を語って聞かせる母親はその伝説が言わんとすることをこんな風に幼い耀に説きます。
『いい?人の心は無理に暴いてはいけないのよ』。
幼い身にはあまりに重過ぎるその伝説を深く記憶に刻み込んで大人になった今の耀。そんな耀は一方で、友人の藤井から『そういえば、昨日…』から始まる澪に関するある話を聞きます。藤井にとっては特に深い意味もなく語りかけたであろうその内容を耀が聞いたことから物語が再び大きく動き出します。この作品に収録された二つの短編、二つの全く異なる視点の主による、一見全く別世界の話と思われた二つの物語が、まるで『蔦』が絡み合うように、複雑に、見事なくらいに、赤く赤く色づいて絡まり合って行く物語が鮮やかに展開し始めます。それは、千早さんの筆の力をこれでもか、と見せつける、極めて巧妙で推進力のある物語です。しかし、この鮮やかさはネタバレによって一気に精彩を失いかねません。これから読まれる方は、この作品はあまり情報のない状態で、その見事なまでの物語展開に酔っていただければと思います。そして、そんな物語を読み終えたあなたは、上記で触れた通り、作品の冒頭に置かれた〈序章〉を必ず何度も読み返すことになると思います。
“過去を背負った女と、囚われる男たち。2つの物語が繋がるとき隠された真実が浮かび上がる”と内容紹介に謳われたこの作品。そこには、〈序章〉の主が語る独白調の語りの先に展開するまさかの闇の物語が隠されていました。千早さんの圧巻の筆の描写力でぐいぐい読ませるこの作品。さまざまな可能性を予感させる不穏な結末を読み終えた読者を待つ「眠りの庭」という書名に隠されたまさかの衝撃的な物語。『人の心は無理に暴いてはいけないのよ』という言葉の説得力を強く感じた絶品でした。続きを読む投稿日:2022.05.02
千早さんの作品は、色彩描写、風景描写、感覚描写が丁寧で美しい。
ファム・ファタールを彷彿とさせる女に魅入られ、絡め取られていく男たち。
空っぽな女は怖い。投稿日:2024.02.16
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