便利な購入方法
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北山王の城跡が琉球の歴史を物語る。世界遺産・今帰仁城跡
海抜100メートルほどの高台にそびえる今帰仁城跡(なきじんじょうあと/なきじんぐすく)は、
約3万7千平方メートルの規模があり、
世界遺産に登録されたグスク群のなかでも、首里城に次いで県内最大級だ。
かつて今帰仁城は、「難攻不落の要塞」と呼ばれていた。
グスクの周りを蛇行する志慶真川の川沿いに城壁が造られている構造などのほか、
今でもグスク内に残っている旧道の造りや、城壁が直線ではなく「百曲がり」と呼ばれるほどに複雑であることなど、
この写真集を通して、理由をはじめ、スケール感なども知ることができるだろう。
現在では建物はなく城壁の石垣しか残っていないかもしれないが、
当時の歴史を振り返ってみたり、今帰仁城の城主だった北山王のこと思い浮かべてみたり、
グスク跡に、琉球の歴史ロマンを重ねてみることができる。
【著者プロフィール】
桑村 ヒロシ(くわむら ひろし)
1968年生まれ。長崎県五島列島出身。2003年に沖縄移住。
フォトグラファー、ライター。
著書:写真詩集『シマとの対話』(詩・平田大一、写真・桑村ヒロシ) -
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平和と安寧を祈る紅い城
世界遺産の壮大な遺構、首里城!!
流麗な歴史体験を、あなたに!!
沖縄県・金武出身の練達の写真家が、
新鮮な構図で切り取った、首里城の横顔!
情景は時に細部にわたり、
あるいは大胆に画面を駆け巡る・・・
月と、雲と太陽と、
天候の移ろいで変わるその表情や、
行き交う人で印象を違える首里城。
それぞれの門には、それぞれの個性があり、
水場や樹々には時の流れが宿す面影がある・・・
沖縄のこころが添えられた文章にも及び、
丁寧な解説が、
心に深く響きます。
ジャン松元(じゃん まつもと)
1962年沖縄県金武町生まれ。宜野湾市在住。
父親はアメリカ人、母親の出身地・奄美大島で少年時代を過ごす。南海日日新聞記者を経てフリーランスの写真家、ライター。2001年に本土から生まれ島の沖縄に拠点を移し、雑誌、映画スチール、音楽関連、ファミリー等オールジャンルの写真活動を展開中。 -
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ペリー提督が、その石造建築技術の高さに驚いたという。「中城城跡」の様式美をダイナミックな構図で魅せる写真集。
世界遺産のグスク(城)のひとつにして、
もっともよく遺構の残る『中城城跡』。
明るく開けた眺望の中にそびえる、
その堂々とした威容を、
鮮やかなフレームワークに納めました。
ペリー総督も感嘆した滑らかな石積みや、
精緻な造作の門、
霊域や拝所、
移動の道や澄んだ井戸まで。
正午、降り注ぐ光の中で、
あるいは沈み行く夕日に照らされた城壁の、
うちなー(沖縄)の旅をお届けします。
目次:プロローグ、正門・西の郭、三の郭、二の郭、一の郭、北の郭、カンジャーガマ、霊域、裏門
三上 一行(みかみいっこう)1978年生まれ。青森県出身高校卒業後上京し、数年の会社員生活を経て、雑誌・広告カメラマンに師事する。独立後、何年も通いつめ、心の故郷と仰ぐ沖縄に移住。
日々「感動の瞬感」を追い求め、広告・雑誌・ブライダルなどを中心にカメラマンikko(イッコー)として活動中。 -
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沖縄最強のパワースポット!『斎場御嶽』(せーふぁうたき)を余すところ無く紹介!
斎場御嶽(せーふぁうたき)は沖縄県南城市にある史跡。15世紀-16世紀の琉球王国・尚真王時代の御嶽(うたき)「聖地」であるとされる。正式な名称は「君ガ嶽、主ガ嶽ノイビ」といい、「斎場御嶽」は「せーふぁ」が「最高位」を意味し、「最高の御嶽」という畏敬を込めた愛称である。2000年11月には世界遺産に首里城城跡と共に登録されました。近年は「沖縄の最強パワースポット」として紹介されるなど、観光客が急増している、人気スポットである。
【目次】プロローグ 御門口 大庫理 艦砲穴 寄満 参道 シキヨダユルとアマダユル チョウノハナ 三庫理 アクセス 著者紹介
三上 一行(みかみいっこう)1978年生まれ。青森県出身高校卒業後上京し、数年の会社員生活を経て、雑誌・広告カメラマンに師事する。独立後、何年も通いつめ、心の故郷と仰ぐ沖縄に移住。日々「感動の瞬感」を追い求め、広告・雑誌・ブライダルなどを中心にカメラマンikko(イッコー)として活動中。 -
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沖縄の各地に佇む世界遺産を美しい写真でご案内致します。
玉陵(たまうどぅん)は、那覇市の首里城近くに存在する、琉球王国の歴代国王が葬られてた。沖縄県最大の破風墓
「はふばか」(三角形の屋根になっている沖縄独特の墓)である。
殆どの施設は、第二次世界大戦で殆どが破壊されてしまった為、復帰後に3年余りの歳月を掛けて修復工事が行われ、
当時の姿を甦らせている。
2000年12月に「首里城等と共に琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産登録されました。
【目次】プロローグ 入口 獅子 玉陵碑 室前 墓室
三上 一行(みかみいっこう)1978年生まれ。青森県出身高校卒業後上京し、数年の会社員生活を経て、雑誌・広告カメラマンに師事する。独立後、何年も通いつめ、心の故郷と仰ぐ沖縄に移住。日々「感動の瞬感」を追い求め、広告・雑誌・ブライダルなどを中心にカメラマンikko(イッコー)として活動中。 -
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世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つである。座喜味城跡(ざきみじょうせき)を余すところ無く紹介。
座喜味城跡は、15世紀の初頭に読谷山(ゆんたんざ)の按司、護佐丸(ごさまる)が築城したものといわれている。
日本復帰の1972年には国指定史跡となり、その後「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の資産のひとつとして世界遺産に登録される。現在は、自由に出入りすることができ、高台からは残波岬や、慶良間諸島を眺めることができる。
三上 一行(みかみいっこう)1978年生まれ。青森県出身高校卒業後上京し、数年の会社員生活を経て、雑誌・広告カメラマンに師事する。独立後、何年も通いつめ、心の故郷と仰ぐ沖縄に移住。
日々「感動の瞬感」を追い求め、広告・雑誌・ブライダルなどを中心にカメラマンikko(イッコー)として活動中。 -
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世界遺産写真集
識名園(しきなえん)とは、沖縄県那覇市識名(しきな)にある琉球庭園のひとつである。元は1799年に完成したものであるが
第二次世界大戦で殆ど破壊された為、後に復元されたものである。中国の様式と沖縄独自の様式の折衷様式で建設されており、
当時は中国の皇帝をもてなす迎賓館の役目を果たした。
2000年の12月にユネスコの世界遺産に登録された。
目次 プロローグ、入口、番屋、 正面、 道、 育徳泉、 御殿、池・六角堂、森へ、アクセス、著者紹介
沖田民行(おきたたみゆき)電子書籍プロデューサー。グラフィックデザイナー。日本グラフィックデザイナー協会会員、沖縄国際大学産業総合研究所特別研究員、沖縄写真デザイン学校講師。Webクリエイターとして、東京で、セガ、DDI(現KDDI)、メルシャンなどWeb立ち上げ。97年沖縄移住。沖縄美ら海水族館、Jalcity那覇などで、企画・デザインなど。02年Web年鑑に採択。08年~『沖縄インターネット白書』でディレクター。株式会社ライデリ専務取締役を経て、現在、株式会社 Nanseiで電子出版事業立ち上げに従事。2013年沖展グラフィックデザイン部門沖展賞。Podcast『猫に情報文化論』シリーズ。ちんすこう『もえちん』イメージソング『琉Qキュン×2』の作曲。*このコンテンツは、端末を横にした状態のみ閲覧が可能です。画面が回転しないよう設定した状態で表示してください。 -
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世界遺産写真集
勝連城跡とは―沖縄本島中部の東側、与勝半島入口の半島全体を見下ろす、標高約100mの丘に建つ城。塔のように高くそびえる姿と、頂上にあたる一郭からの中部全域を見渡す景色の美しさが見どころ。
13世紀・14世紀に茂知附(もちづき)按司(あじ)により築城され、その後、阿麻和利(あまわり)が治めた。琉球王国最大のクーデター、護佐丸・阿麻和利の乱の舞台として知られている。
2000年(平成12年)11月首里城址跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺産群の一つとして世界遺産に登録された。
目次 プロローグ、入口、四の郭 三の郭 二の郭 一の郭 アクセス
沖田民行(おきたたみゆき)電子書籍プロデューサー。グラフィックデザイナー。日本グラフィックデザイナー協会会員、沖縄国際大学産業総合研究所特別研究員、沖縄写真デザイン学校講師。Webクリエイターとして、東京で、セガ、DDI(現KDDI)、メルシャンなどWeb立ち上げ。97年沖縄移住。沖縄美ら海水族館、Jalcity那覇などで、企画・デザインなど。02年Web年鑑に採択。08年~『沖縄インターネット白書』でディレクター。株式会社ライデリ専務取締役を経て、現在、株式会社 Nanseiで電子出版事業立ち上げに従事。2013年沖展グラフィックデザイン部門沖展賞。Podcast『猫に情報文化論』シリーズ。ちんすこう『もえちん』イメージソング『琉Qキュン×2』の作曲。 *このコンテンツは、端末を横にした状態のみ閲覧が可能です。画面が回転しないよう設定した状態で表示してください。 -
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