「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい
森達也(著)
/ダイヤモンド社
この作品のレビュー
平均 3.9 (46件のレビュー)
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評価はパス
一番目に強調する。森達也は注目しているドキュメンタリー作家である。下山事件、放送禁止歌は非常に興味深く読んだ。未だ心の準備が出来ないが、代表作であるAシリーズも是非読みたいとは思っている。
二番目に強…調する。社会は、いかなる意見も封殺してはならないと信じている。それは、社会にとって批判意見は全体として見れば有益と思うからである。ヘーゲル的弁証論に即して言えば、ジンテーゼに至るにはアンチテーゼの存在が不可欠だからとか、全員賛成の多数決は全員が誤っている危険を検知できないからでもあるが、そんな理屈を言うまでもなく、そもそも意見は全く以て自由である。
三番目に強調する。私のように匿名でなければ言いたいことも言えない人間と違い公然と意見を表明している人々は、真に尊敬に価すると思う。
そのうえで、敢えて言う。本書は勧めない(興味深いテーマもあるにはあるが・・・)。大手出版社刊行なので、興味のある人は立ち読みしてから購入することをお勧めする(電子書籍は古本屋に売れないので)。
勧めない理由を一言で言えば、主張に納得性の乏しいことが多かったからである。例を2点示そう。
【死刑制度について論じた部分】
・そもそも社会の多くは死刑に賛成しているのではなく容認していると思う。無くて済むなら結構だと思う。しかし、一命を以て始末をつけるという武士道を精神的規範としたわが国では、死刑を最高刑の位置に置くのは納得性が高いし、廃止するまでに社会は成熟していないと思う。
・諸外国との制度比較については、参考にするとしても廃止の論拠には不適切だと思う。憲法の議論は最終的には、我々がどのような憲法を持つ国に住みたいと考えるか?が最重要である。同じく、死刑制度も我々の問題であって、外国がどのような制度であるかは決定的な意味を持たないと思う。そもそも死刑制度を廃止している国と比較自体が難しい。例えば、多くの死刑制度を廃止した先進国では、テロ事件等の凶悪事件が発生した場合、実行犯の逮捕より鎮圧が優先されるようだ。つまり、取り調べは勿論、裁判にすらかけないで刑を執行していると私には見える。
・廃止後の犯罪率の予想も語られているが、統計調査の経験も多少ある私としては、他人の調査を信じない。誰がどんなパネルで、そんな質問票で、どんな分析をしたか分からないが、調査依頼主の望む結論に応じて如何ようにでもする。それが腕のいい統計屋というものだ。私も過去、某行政施策は大成功!というグラフを・・・(泣笑)。
・冤罪については被害者に本心から同情する。また、そのような事を行った人々に底知れない恐怖を覚える。その点は作者と同じだが、作者は制度と制度の運用を同列に論じようとしている。それは別に議論すべき事だと思う。また、執行方法の不確実性、残酷性を指摘しているが、昔、逆説的に生を鼓舞する趣旨で書かれた「完全自殺マニュアル」によれば、現行方式が医学的には推奨されるようだ。
・執行現場を見た検察官の意見は個人の感想に過ぎないと思う。命は終わるまで続くもので、途中で止めるからこそ、それがどのような生き物であれ苦しいだろう。私も恐らく某検察官同様、確実に正視に堪えられない。それは屠畜でも同じで、社会としてその困難を専門職の方にお願いするしかないのだ。誠に心苦しい限りである。つまり、執行官のように末端で一番苦しい人を思うと、エリート法曹家の感傷は私の心には響かないのである。
【イルカ漁について論じた部分】
マスメディアが取り上げない社会の片隅、あるいは、少数派、反対側に光を当てるのが作者の特徴だと思う。そして、イルカ漁を妨害した外国人活動家の態度が堂々として見えたというのも個人の感想として自由だ。でも、この場合、弱者はどう見ても漁師さん達だと思う。
あくまで想像だが、イルカ漁の漁師達はガソリンが値上がりする中、ボロ船を一生懸命手入れしながら、採算ギリギリを覚悟で船を出すのだろう。細々とした水揚げにため息を漏らし、古びた木造の家に帰り、ビールか酎ハイを飲みながらプロ野球をTVで観るのが何より楽しみ・・・。そして、多くは海外旅行だって一生に数回、何かの記念に一大イベントのように出かける程度、そんな人たちを想像する。
そんな漁師たちからすれば、イルカのために、わざわざ日本まで海外旅行し、船をチャーターし、自分たちの前に立ち塞がるなどということは、まるでエイリアンの所業に見えたのではないだろうか?どんなお貴族様だ?と。
海獣類は北洋で海産物に対する脅威として捕獲されているそうだ。NDLの調査部の資料で知った。僭越な私見で恐縮の限りだが、イルカ漁は魔女狩りにあっているいるのではないだろうか?
このコメントを書くか半年悩んだ。筆の過ぎた点は伏してご寛恕賜りたい。続きを読む投稿日:2015.05.30
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【メモ】
1 死刑制度は被害者遺族のためにあるのではない
「被害者の人権はどうなるんだ!」
死刑反対を訴える弁護士や知識人たちへの反論としてよく使われるフレーズだ。
このフレーズの前提には、決定的な錯…誤がある。シンポジウムの際に高校生たちは、「被害者の人権を軽視しましょう」などとは発言していない(当たり前だ)。ただし加害者(死刑囚)の人権について、自分たちはもっと考えるべきかもしれないとのニュアンスは確かにあった。そしてこれに対して会場にいた年配の男性は、「殺された被害者の人権はどうなるんだ?」と反発した。つまりこの男性にとって被害者の人権は、加害者の人権と対立する概念なのだ。
でもこの2つは、決して対立する権利ではない。どちらかを上げたらどちらかが下がるというものではない。シーソーとは違う。対立などしていない。どちらも上げれば良いだけの話なのだ。加害者の人権への配慮は、被害者の人権を損なうことと同義ではない。
二項対立は概念だ。現実とは違う。現実は多面的で多層的で多重的だ。僕の中にも善と悪がある。あなたの中にもある。とても当たり前のこと。でも集団化が加速するとき、二項対立が前提になる。明らかに錯誤だ。多くの人はその矛盾に気づかない。立ち止ってちょっと振り返れば気づくのに、集団で走り始めているから振り返ることもしなくなる。
「自分のこどもが殺されても同じように(死刑制度は廃止すべき)と言えるのか」という人たちには、「もしも遺族がまったくいない天涯孤独な人が殺されたとき、その犯人が受ける罰は、軽くなってよいのですか」と質問したい。
死刑制度は被害者遺族のためにあるとするならば、そういうことになる。だって重罰を望む遺族がいないのだから。ならば親戚や知人が多くいる政治家の命は、友人も親戚もいないホームレスより尊いということになる。生涯を孤独に過ごして家族を持たなかった人の命は、血縁や友人が多くいる艶福家や社交家の命より軽く扱われてよいということになる。
つまり命の価値が、被害者の立場や環境によって変わる。ならばその瞬間に、近代司法の大原則である罪刑法定主義が崩壊する。
刑事司法は意識的に、被害者遺族の心情とは一定の距離を置いてきた。情緒を法廷に導入することについて、できるかぎり慎重になるべきだとの姿勢を固持してきた。被害者の写真を遺族が法廷に持ち込むことを、意味なく禁じていたわけではない。
でもそれが1995年に劇的に変わる。
不特定多数の殺傷を狙ったオウム真理教による地下鉄サリン事件とその報道は、自分や自分の家族も被害者になったかもしれないとの危機意識を、国民レベルで強く刺激した。つまり被害者感情の共有化だ。だからこそ地下鉄サリン事件以降、被害者遺族への関心が急激に高まり、これに気づいたメディアはさらに遺族の悲しみや怒りを煽り、共有化された被害者感情は罪と罰のバランスを変容させながら厳罰化を加速させ、メディアと民意から強いバイアスをかけられた司法は、厳格な審理よりも世相を気にし始めた。
オウムによる地下鉄サリン事件は、不特定多数を標的とした犯罪だ。特定の誰かを狙った犯罪ではなく、国民全員が被害者になる可能性があった。だからこそ膨大な量のメディア報道に刺戟されて、被害者感情の共有化が促進された。さらにサリン事件の動機の不明確さなどもこの恐怖と不安に拍車をかけ、悪に対する「許せない」との気持ちが高揚し、厳罰化が促進した。
被害者遺族の気持ちを想うことは大切だ。実際にこの国の被害者遺族は、これまであまりにも冷遇視されてきた。オウム事件以降は急激に変わったけれど、遺族や被害者に対しての救済や補償はもっと整備されるべきだと僕も思う。でもそれは、同調することとイコールではない。
あなたが被害者遺族である可能性はある。ならばその報復感情を僕は否定しない。できるはずがない。僕だってそうなるかもしれない(でも実は、報復を否定する遺族も少なくはない)。だから被害者遺族ではないあなたに言う。遺族の気持ちを想うことと恨みや憎悪を共有することは、絶対に同じではない。想うことと一体化することは違うし、そもそも一体化などできない。
2 善意は陶酔しやすい
映像メディアと音声メディアが誕生した20世紀初頭、メディアの発達で情報が行き渡れば、世界から戦争や飢餓は絶えるはずだと多くの人々は考えた。でも事態は逆だった。確かに善意は広がる。でも一方的なのだ。しかもメディアによって流通する善意は絶望的なまでに軽い。だから容易く正義へと転化する。しかも善意に付随した憎悪や恐怖も拡散される。結果としてこちら側だけの正義や大義が肥大する。虐殺や戦争を誘発する。だからこそ20世紀は戦争の世紀になった。
もう一度書く。善意は否定しない。できない。でも善意は陶酔しやすい。一方向に加速する。だから周りが見えなくなる。その帰結として多くの不合理や不正義を生む。多くの人を苦しめる。
3 表現を付け加えすぎる日本のメディア
海外のメディア関係者が来日して日本の夕方のニュースを見たとき、誰もがまず、「なぜ報道番組で行列のできるラーメン屋や回転寿司店のランクなどを放送するのだ」とびっくりする。
そして次には、「なぜ事件報道ばかりがこれほどに多いのだ」と首をひねる。日本中で人が殺されたり殺したりしているかのような印象を受けるらしい。確かに事件報道も大事だけど、伝えるべきことはもっと他にもたくさんあるはずだと。
そのたびに僕は説明に困る。まあ実のところ、これらのすべての疑問に対して、「そのほうが視聴率が上がるんだよ」と説明することは容易いし実際にそうなのだけど、やっぱりそれは、日本のテレビ関係者としては口にしたくない。
彼らが口にする違和感はもう1つある。モザイクやテロップだ。「あまりに多すぎる」と嘆息される。映像制作を志してこの業界に入ったはずなのに、この番組のディレクターやカメラマンたちは、画がこれほどに汚されることに対して憤りを感じないのかと。
表現の本質は欠落にある。つまり引き算。ミロのビーナス像が考古学的な価値に加えて優れた芸術作品になった理由は、両腕が欠損しているからだ。想像力を喚起するからだ。でも今のテレビ・メディアは、徹頭徹尾足し算だ。それが自分たちの首を絞めていることに気づいていない。メディアが進化すればするほどこの傾向はますます進み、人々は世界に対する想像力を失い続ける。つまりメディアが(今の方向に)発達すればするほど、皮肉なことに、世界はより単純化され、こうして悲劇が恒常化される。他国での虐殺や大規模な飢饉よりも、今日の昼食はラーメンにするか牛丼にするかのほうが重要になる。飢えて死にかけている他国の幼い子どもたちよりも、やりかけているテレビゲームのほうが気にかかる。
世相形成にダイレクトに結びつくテレビ・メディアの役割は重要だ。ところがそのテレビが、他者への想像力の枯渇に大きな貢献を果たしているのだとしたら、人類の未来は絶望的だ。もしもこのままメディアが進化し続けるなら、環境破壊や核戦争や宇宙人の襲来などではなく、メディアによってこの世界は滅ぶだろう。
4 共同幻想
共同幻想とは、思想家の吉本隆明が提唱した、地域や会社、信仰や民族、国家など集合名詞的な観念を保持する共同体と個の関係である。
今の社会では、もともとは「空気」としての下部構造であった共同幻想が、上部構造である法としての共同幻想を侵食して捻じ曲げ始めた。
治安が悪化しているとの前提に危機意識を煽られた世相は、集団化を進めながら敵の不在による不安に耐えられず、(9.11後のアメリカがそうであったように)自ら敵を作り出す。つまり仮想敵だ。共同体内部においては少数派への差別や排斥が始まり、厳罰化は進行し、共同体外部においては仮想敵国が出現する。そうして虐殺や戦争は起きる。
人は集団になると間違える。そして集団の過ちは取り返しがつかないほどにダメージが大きい。
5 日本には無罪推定が存在しない
特に9.11以降、過剰なセキュリティ状態に陥った世界は、全般的に強い厳罰化の傾向にある。アメリカではこの40年で、刑務所に拘禁される囚人の数が約6倍に増大した。その総数は2008年始めで231万9258人。国民の100人に1人が囚人ということになる。日本も確実に厳罰化の道を歩んでいる。オウム以降、受刑者の総数はほぼ2倍に増加した。
日本の犯罪件数は戦後減少し続けている。しかしメディアの過剰な犯罪報道が、くすぶる不安にさらに拍車をかける。こうして体感治安は悪化し続けて、厳罰化は加速する。
ちなみにヨーロッパの多くの国で指名手配犯のポスターは、原則的には存在しない。なぜなら無罪推定原則に抵触するからだ。もちろんこの原則は、近代司法国家すべてに共通する。でも一審有罪率が99.9%を超える日本では(世界レベルの平均は80~90%くらい)、「検察官が有罪を証明しないかぎり被告人は無罪として扱われる」とされる無罪推定原則が、ほとんどなし崩し的に無効化されている。容疑段階で名前や顔写真を公表することは、刑事訴訟法336条や国際人権規約に抵触することは明らかなのだけど、そんな指摘もほとんどない。一審有罪率99.9%は圧倒的な世界一であり、そもそも1000件のうち999件が有罪であることが異常なのだけど、まるでダブルシンクの状態にあるように、この国の多くの人は不思議に思わない。
6 共同体の暴走
小説『1984年』のビッグ・ブラザーはメタファーだ。多くの人の幻想によって存在を裏づけられ、正当性を与えられる。実在しない権威に支配される国民は「見守られて安心できる」とつぶやきながら相互監視体制を強化し、自らの自由や権利を自ら抑圧して制限している。
プロパガンダは日々行われているけれど、その主体は存在しない。あるいは主体と客体が重複している。オウム以降のこの社会は、存在しない敵に脅え、存在しない悪を憎み、存在しない権威に熱狂しながら従属し、存在しない規制に縛られている。
ビッグ・ブラザーなる最高権力者に支配された超管理統制社会で人々は思考を失い、自由を忘れ、ただ家畜のように生きている。でもビッグ・ブラザーは実在する人間として登場しない。誰もがビッグ・ブラザーの意思に従っているつもりなのに、その意思が実のところ分散的に遍在している可能性をオーウェルは描いている。つまりこれもまた過剰な忖度だ。撃沈されることをわかりながら戦艦大和が出航した理由は、御前会議における天皇の「海軍にはもう船はないのか」との質問を、「最後の一隻まで戦え」との意思だと海軍最高幹部が思い込んだことが原因だとの説がある。
こうして側近や幹部たちの「過剰な忖度」が駆動力となって、組織共同体は暴走する。オウムや連合赤軍にもこの要素はあった。取り返しのつかない事態が起きてから、人は顔を見合わせる。いったい誰が悪かったのだと言いながら。
人類が有史以来続けてきたこの繰り返しを、そろそろ本気で終わりにしなければならない。なぜなら現代は、かつてとは比較にならないほどメディアが発達した。ならば「過剰な忖度」が、より大規模に国民レベルで展開される可能性がある。特に集団化や同調圧力や忖度と相性がいいこの国は、その危険性がとても大きくなっている。続きを読む投稿日:2024.03.13
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