この作品のレビュー
平均 3.7 (186件のレビュー)
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『にいが、車中泊がいいんじゃないかだって。前はよくやってただろって』。
世界を突如襲ったコロナ禍、その影響もあって旅先で『車中泊』を選ぶ人が増えているようです。『字のごとく車の中で寝泊まりする』とい…う『車中泊』は、『それができる種類の車』を選ぶことから始まります。『二列目と三列目の座席を倒して段差をなくすためのマットを敷き、窓に覆いをし、寝袋や毛布にくるまって眠る』、そんな『車中泊』は一方で、狭い空間に『家族』が同じ時を共にする、『家族』の繋がりをより強く感じる時間とも言えます。
もちろん、価値観は人それぞれです。せっかくの旅先だからこそ旅館やホテルの雰囲気を味わって眠る、そこに価値を見出す方もいらっしゃると思います。その時間を大切に思う人からすれば『車中泊』などあり得ない選択肢と言えるかもしれません。旅先における宿泊のあり方の選択、こんなところにも、『家族』というものへの考え方が垣間見えるようにも思います。
さて、ここに、ある五人家族の今を描いた作品があります。17歳の主人公の家庭は、兄が出て行き、弟も『家族』と離れて暮らすという一方で、父親と母親の元に留まる主人公という図式があります。そんな『家族』が、祖母の告別式で再開するその先に、かつて『車中泊』をした楽しい時代を思い出す主人公が描かれるこの作品。そんな主人公が『車』という可能性をもった存在を意識するその先に、幸せだった『車中泊』の過去を重ねあわせるこの作品。そしてそれは、そんな『車中泊』を共にした『家族』がそれぞれの今を思うその先に、『家族』のあり方を読者に問いかける物語です。
『校舎の建て増し工事の音が』『急激に大きくなった』のに気付き『はっきりと目を覚ました』のは主人公のかんこ(秋野かなこ)。周囲が『知らない顔ばかり』の中、『またやったのだと』思う かんこに『お目覚めですかねえ』と『物理の女性教師が表情のない声で言』いました。『この教室は五限は物理で、文系選択者は小教室に移動しなければならなかった』という結果論の中、急いで教室から廊下に出た かんこは『小教室を目指』します。そんな かんこは『一年半ほど前から』『突然ただの物になって、変化を受けつけなくなる。動けなくなるか、何かを反復し続けるか、どちらかになる』という症状の中にありました。『母は脳梗塞の後遺症でなやみ、父は学校へ行かないと怒鳴ります。兄は、嫌気がさしたらしく家を出ていき』、『弟は、母の実家近くの高校を受験し、来年から祖父母の家に行くことが決まってい』ると自らの家庭の内情を思う かんこ。友人はいないものの『いじめは受けて』いない一方で、『部活に居場所は』なく、『担任とは仲が悪い』、そして『掃除も勉強もでき』ず、『授業にも行けてい』ないという今の状況を、『カウンセラーに、また医者に』話すも『どれも原因のようだが、どう言っても違う』とも思う かんこ。そんな時、『放送で呼び出された』かんこは『お母さんが迎えに来るから教員用の駐車場で待つよう』担任に言われました。そして、迎えに来た母の車に乗った かんこは『何が起こったのだろう』、『良い知らせではないことはわかる』と母親の態度を見て思います。そんな母親は『おばあちゃん危篤だって』と、これから片品村に向かうことを告げました。『にいが先に行ってる。父さんは、さっき会社で知らされて新幹線に乗ったって』と続ける母親。そんな祖母危篤の知らせに片品村へと向かう『家族』は、久しぶりに五人が揃う場ともなります。そして、『にいが、車中泊がいいんじゃないかだって。前はよくやってただろって』という提案の先に、それぞれに問題を抱えながら今を生きる家族五人がそんな再開の場で過去を振り返りつつそれぞれの今を見つめあう物語が描かれていきます。
芥川賞を受賞した前作「推し、燃ゆ」の鮮烈な印象冷めやらぬ中に刊行された宇佐見りんさんの三作目となるこの作品。「くるまの娘」という一見意味不明な書名と、メリーゴーランドの中に顔が見えない姿で一人立つ少女の姿がどこか不穏な空気を漂わせてもいます。そんなイメージ通り、物語は冒頭から沈鬱感漂うストーリーが展開していきますが、その注目すべき本文の冒頭は
『かんこは光を背負っている。背中をまるめた自分の突き出た背骨に、光と熱が集まるのを感じている』。
と印象的な書き出しから始まります。ここで注目すべきは『背骨』です。宇佐見さんは「推し、燃ゆ」の芥川賞受賞インタビューにおいて、”私にとって小説が背骨である”と語られている通り、この言葉には宇佐見さんの特別な想いを感じます。ここでは、物理的な『背骨』を一見指してはいますが、『光を背負』うという意味ありげな表現に続く『光と熱が集まる』先として『背骨』という言葉を登場させる宇佐見さん。そんな宇佐見さんの言葉を選んでいく思いが冒頭から伝わってきました。
では、物語の内容に触れる前に、まずは宇佐見さんの美しい文章表現について触れておきたいと思います。宇佐見さんはデビュー作の「かか」で方言や”かか語”と呼ばれる独特な表現によって物語に不思議な魅力を纏わせることに挑戦されました。インパクトはあるものの人によっては途中でギブアップする方も出てしまう、なかなかに攻めた姿勢が印象に残っていますが、一方でこの作品では芥川賞を受賞された作家さんが見せる美しい表現の数々が光ります。そんな中から日常の風景を切り取った場面をご紹介しましょう。『体育館の裏を抜け、駐車場に出て百葉箱から伸びる影の上に立つ』かんこは、『ホイッスルの音が小さく聞こえ』るのを耳にします。『雲があかるい日光をはらんだままだった』という中、『天気雨かと思』う かんこは『池の水面を見るとアメンボが五、六匹泳いでいる』のを目にします。『アメンボのつくる波紋がひろがり、重なりあい、一瞬雨が降ったかと錯覚させるのだと』気づいた かんこ…というこの場面。特別な表現を使うわけではない中に、とてもさりげない平和な日常の小さな風景を静かに落とし込んで雰囲気感を作っていくこの場面。冒頭から かんこの抱える苦悩と、この先に続く沈鬱な展開の物語に束の間、小休止の如く描かれるこの場面は物語が沈鬱一本調子になるのを避けると共に、物語としての印象をより深くしているように感じました。
さて、そんな物語は、”家族小説の新たなる金字塔”という宣伝文句で紹介されている通り、『家族』が一つのテーマになっています。小説において『家族』を取り上げる作品は名作揃いです。”父さんは今日で父さんを辞めようと思う”というまさかの父親の一言の先に『家族』とは何かを思う瀬尾まいこさん「幸福な食卓」、”変な家族の話を書きました”と作者が語る通りの不思議な『家族』が登場する江國香織さん「流しのしたの骨」、そして、”ママがね、ボケちゃったみたいなんだよ”という言葉の先に、認知症になった『家族』のありかたを描く桜木紫乃さん「家族じまい」など小説というものに『家族』は親和性が高いテーマなのだと思います。しかし一方で、同じ『家族』をテーマにしたと言っても切り口の違いで見えてくる『家族』の姿は大きく異なってきます。
そんな『家族』というある意味でハードルの高いテーマに取り組まれた宇佐見さんが、この作品で取り上げるのは、今にも壊れそう、人によっては壊れているとしか思えない、そんな家族の痛々しいまでの姿に光を当てるものでした。そんな家族の面々は以下の五人です。
・かんこ(秋野かなこ): 主人公。17歳。一年ほど前から『突然ただの物になって、変化を受けつけなくなる。動けなくなるか、何かを反復し続けるか、どちらかになる』という症状にある高校生。
・母親: 『脳梗塞の後遺症』で、『病気になって以降の記憶』に問題があり『新しいことが覚えづら』い。『パニックに陥っては過呼吸を起こ』す。『ささいなことをきっかけに苦しむ』。
・父親: 『見た目には』『普通の人』。『ひとたび火がつくと、人が変わったように残酷になる』。体力の衰えにより『最近では、実際に手が出ることは減っている』。
・兄: 『独断で大学をやめて』家を出て、『職場の同僚と結婚して栃木の家に住』んでいる。かんこは兄が『家を捨てた』と考えている。
・弟: 『中学でいじめられ』たことで、『母の実家近くの高校を受験し、来年から祖父母の家に行くことが決まってい』る。
等位に並べると印象が薄まりますが、この作品で宇佐見さんが最も注力されるのは父親との関係だと思います。デビュー作「かか」で”かかをにく”んでいる一方で、”かかを誰より愛している”という母親への思いを描かれた宇佐見さんは、この作品で『見た目には』『普通の人』という父親の存在に重きを置かれます。『すぐかっとなる父』は、かんこを、そして家族を追い詰めていきます。その半狂乱とも言える様、『突然の発作にも似たその感じが父の体をのっとるたび、体が縮こまり息があがる』とかんこを追い詰めていきます。そのすざまじい様子はこんな強烈な表現をもって読者に強く印象付けられます。
『性的なことをされたわけでもない胸元や体を隠すようにして眠っていることに気づいた。殴られることは恥だと思い、それが一番堪えた』。
しかし、そんな父親の違う一面も描く宇佐見さん。それが、母親が語る『あんたら、勉強となると急に仲良くなる』という場に見られる『親子というより、教える教わるという師弟のような関係』によって結ばれる父と娘の姿でした。この落差がある意味で かんこをさらに追い詰めてもいきます。一方で時の流れは否が応でも『家族』の中の力関係の変化を生んでいきます。子供たちの成長の一方で父親に迫る”老い”です。それは『父が絶対だった時代』から『兄の時代』へと移り変わっていく『家族』の中の力関係の変化です。これは、決して かんこの家庭だけに見られることではないはずです。この世のどんな家庭にも見られるものだと思います。そんな中で
『なんで生きてきちゃったんだろうな』。
そんな風に呟く父親が見せる老いゆく者の孤独。表出される激しさの一方で秘められた優しさを併せ持つ父親だからこその深さを感じるこの一言。この作品の父親への想いは、母親に対する想いを感じさせる「かか」のように書名に表されるわけではありません。しかし、そこには同じように親を想う主人公の姿が存在します。これから読まれる方には、”とと”の描かれ方、そして主人公・かんこの”とと”への想いにも是非注目していただきたいと思います。
かつて一つ屋根の下に暮らしていた『家族』。そんな『家族』が、父親の暴力と、母親の『脳梗塞の後遺症』をきっかけに壊れていく中での『家族』の有り様が描かれるこの作品。そんな中で父親とぶつかり家を出て行った兄、中学でのいじめが理由とはいえ、やはり家を出て行った弟、それに対して、主人公の かんこは父親と母親という『家族』の元に留まります。そんな中で『わたしはこの頃怠慢になりました。掃除も勉強もできません。授業にも行けていません』という日々を送る かんこ。この かんこの状況を宇佐見さんはこんな風に表現します。
『ウツ、とは体が水風船になることだとかんこは思う。毎日が水風船をアスファルトの上で引きずっているように苦しく、ささいなことで傷がついて破裂する』。
心の苦しみによって体が思うように動かない現実をまさかの『水風船』に例える宇佐見さん。それを『アスファルトの上で引きず』るという表現は痛々しさがダイレクトに伝わってくる極めてリアルな表現です。そんな物語は、宇佐見さんの他の作品同様に現実の中に過去の振り返りがはっきりとした線引きなく行ったり来たりしながら描かれていきます。そんな中で一つの象徴的な場面が登場します。それが、『かんこたちが家族旅行をするときにはいつもそうだった』という『車中泊』の場面です。『字のごとく車の中で寝泊まり』して旅をするという『車中泊』。そんな『車中泊』のことを、祖母の告別式に赴いた片品村において、兄の『車中泊がいいんじゃないか』という提案をきっかけに記憶を呼び戻す『家族』の面々。『いいね、たのしいね。温泉はいって、車のなかでおつまみたべて』と楽しげに語り出す母親。そんな『車中泊』に、『家族』が幸せだった時代の記憶が重なるのは『車中泊』という狭い空間の中にお互いを強く感じる、そんな雰囲気感もあってのことだと思います。かんこの記憶の中に、そんなインパクトのある風景が、『家族』の語らいの場面が、そして『家族』が『家族』であった時代がくっきりと浮かび上がるのは自然なことなのだと思います。だからこそ、かんこは思います。
『帰りたい。あの頃に帰りたい、と思う』。
そんな言葉の先に、物語は書名にもなっている『くるま』=自動車をさまざまな描写をもって描いていきます。それが、『行きたいもん、せっかくここまできたんだもん』という先に進んでいく『くるま』に乗る『家族』の姿であり、アクセルを踏むその先に起こっていたかもしれないまさかの未来であり、そして『車中泊』の思い出の先に見る かんこが前に進むための一歩を見る物語でもありました。この辺り、ネタバレ直結になるためはっきりとしたことを書くわけにはいきませんが、宇佐見さんが「くるまの娘」という不思議な書名に込められた思い、そして一見不気味な表紙に隠された意味がふっと浮かび上がる結末に、父親と母親という『家族』の元に留まることを敢えて選択する主人公・かんこの『家族』に対する優しさを強く感じる物語がふっと浮かび上がるのを感じました。
『この車に乗って、どこまでも駆け抜けていきたかった』という主人公の かんこ。そんな かんこは壊れかけている『家族』の中にそれでも留まるという決意の元に毎日を過ごしていました。そんな かんこたち『家族』が、苦しみ、もがきながらも一歩前に踏み出す未来を感じさせるこの作品。『家族』のそれぞれの想いをリアルに描き出していくこの作品。”この先も折に触れ思い出すであろう作品になりました”とおっしゃる22歳の宇佐見さんだからこそ見えてくる『家族』の一つの姿を描き切ったこの作品。
極めて読みやすい文章の中に、物語の場面が目の前にふっと浮かび上がるような印象的な描写の数々と共に、『家族』をテーマにした小説群の中に新たな名作が誕生したのを感じた、そんな素晴らしい作品でした。続きを読む投稿日:2022.05.14
歪んだ家庭だけれども捨てることなんてできない。その中にも幸せもあるのかなと思える。くるまの娘というタイトルもそういうことかってなりました。
投稿日:2024.03.20
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