
総合評価
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powered by ブクログ秀吉が豊臣平和令などで皇室を積極的に利用した理由について、 当時の身分社会で、農民出の秀吉が上流階級の大名に言う事を聞かせる為には、より上の皇室を使わざるを得なかったから。 という解説が非常に腑に落ちた。 実際に、パワーバランスでは圧倒的に格下な上杉景勝が秀吉に対して高圧的な書状を出している点や、信長には従順だった後北条が秀吉には滅びるまで徹底抗戦した点などは、こうした身分意識無しには説明できないと補足も。 外にも、豊臣平和令の先進性や伴天連追放令の評価など、中々面白かった。
0投稿日: 2025.11.02
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
p5 マキャベリ 君主論 愛されるのと恐れられるのとはどちらが良いかということである。だれしも両右方を兼ね備えていることが望ましいと答えるであろう。だが、この2つを同時に具備することは難しい。したがって、かりにそのどちらかを捨てて考えなければならないとすれば、愛されるより恐れられる方がはるかに安全である。 p7 朝鮮出兵をして秀吉が闇落ちしたと表現されるのは、戦後特有の現象です。なぜなら、江戸時代には侵略される方が悪いで終わりだからです p22 1494年トリデシリャス条約 ここから東はポルトガル、西はスペイン。ただし先に植民地にしたところは別 p26 過去の恩は必ず返すは田中角栄も心がけました。あの人についていけば、いいことがあると思わせる人心掌握術です 秀吉が草履を懐で温めていた逸話の真偽よりも、「忠誠心のアピールに成功した人物」だと捉えるほうが大事 p30 角栄の金配りの目的は敵を減らすです。角栄の時代の政界は東大にあらずんば人にあらずで、私立大学が見下されるような時代に、小学校卒。一回でも金をもらっておけば、心理的になんとなく敵にまわしにくい。角栄は膨大な中間地帯を作るといっていましたが、敵を減らすのが、将来の味方を作る急がば回れの手法でした。 p53 信長は生涯、謙信との戦いを避け続けました。はっきり言って、戦場で勝負したら信長が謙信に敵うわけがない。実力の差は歴然です。だからこそ、信長は工夫しました。戦場で勝てなければ戦争に勝てば良いと。謙信に大戦略という概念はなく、行ってしまえば、気まぐれに出兵しているだけ。 同じ行動をとるのでも、考えに考えぬいて意味を持たせてやるのと、考え無しでやるのとでは、後で結果に大きな差が出る事例の典型です p65 信玄、骨の髄まで孫子の兵法が染み付いているので、慎重には慎重を期して作戦を行うので、動きが遅くならるを得ない p87 秀吉と同じように農民出身で武士として出世した人がいます。武田信玄に仕えた春日源助(高坂弾正昌信) p110 プロパガンダとは、別に自分を美化しなくても、自分の手口がバレないほうが重要です。特に体制はとなった人間には。 p113 旧知の荒木村重が裏切ったので、黒田官兵衛が翻意させようと城に乗り込んだら、そのまま幽閉。結果的に官兵衛の幽閉は2年に及びます。その間、官兵衛が生きているのか死んでいるのかわかりません。黒田官兵衛を疑った信長は、人質となっていた官兵衛の息子を殺せと秀吉に明治舞う。それを匿ったのが竹中半兵衛です。そして2年経ってみると黒田官兵衛は裏切ったのではなく、村重に幽閉されていた。信長、顔面蒼白。しかし、竹中半兵衛が匿っていたので事なきを得た。程なくして竹中半兵衛は36歳の若さで逝去。自分が死んだあとのことを考え、後任を準備していたの半兵衛は伝説の人物となりました。 p135 実力もないのに不世出の英雄を不意打ちした卑怯者とだけで片付けられる光秀像は疑わしく、能力抜群で信長が土手腹を晒して眠るほどまで信頼していたのが、明智光秀であったと理解しておいてください p138 統率力と指導力 大橋武夫 p146 頭の良い人は、他人の不合理な行動が読めないことが往々にしてあります。 p216 秀吉の個人的力量に政権全体が依存していたのみならず、支える官僚機構がなかった p219 ヨーロッパのスペインからオーストリアに至る東から西までがカトリックで、別名ワイン文化圏。主に神聖ローマ皇帝を世襲するハプスブルグ家の勢力圏ですが、同じカトリックでもフランスは仇敵。 それに対して、ドイツの北の方から北欧にかけてがプロテスタントで別名ビール文化圏。とはいうものの、実際にはカトリックとプロテスタントはモザイク状に入り混じっていて、ヘタをすれば村ごとに宗教が異なる状況も無きにしもあらず殺し合いが行われていた p220 このような大きな流れの中で、カトリックがプロテスタントに押されてきたので、活路を海外への布教に見出し、最後に流れ着いたのが日本でした。だから、カトリックはどこででも布教するのです。一方あとからやってきたプロテスタントは布教しません。なぜなら、プロテスタントの教えては救済されるのは天地開闢の時から決まっているので、日本人なんかに布教しても無駄だと考えているからです p221 本当かどうか知りませんが、秀吉と宣教師の会話が伝わります。なんでスペインは植民地をつくるのがうまいのか。最初に商人がいって貿易をし、次に我々宣教師が行って洗脳するから、現地の住民が味方になってくれるので、労せず侵略できるのです p222 江戸幕府のいわゆる鎖国の実態は貿易統制令ですが、ポルトガルとスペインの来航を禁止、オランダをこさせないように長崎の出島に閉じ込めました。イングランドはオランダに負けて勝手に離脱。 要するに江戸幕府は、三十年戦争でプロテスタント側についたのです。 p224 未来が見える人が何を話しても、常人には理解されませんですから、結果で示すしかない 小さな島国の日本が大帝国の明に挑むなど無謀だとの感覚で考えると、自虐が過ぎます。それを言い出したらイングランドは常に自分より大きく強い国を叩きのめして、世界に冠たる大英帝国になったのですから。
0投稿日: 2025.10.31
