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キャラ化する/される子どもたち 排除型社会における新たな人間像
キャラ化する/される子どもたち 排除型社会における新たな人間像
土井隆義/岩波書店
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総合評価

33件)
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    人と関わる際に出てくるキャラに支配されてる感はなくもない。それも全部ひっくるめて自分だ、とは思っているけど

    7
    投稿日: 2026.04.14
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    2009年に出た本。 63ページしかない薄い本だが、中身は濃い。 刊行当時は、子どもたちの間で「キャラ化」が横行するようになったことへの注意喚起や問題提起のために書かれたのだと思うが、現在ではその傾向はさらに加速し、もう後戻りができないところまで来ているように思える。 人生という物語の中で、揺らぎや葛藤を乗り越えながら自身のアイデンティティを確立していく営みが失われ、自分にも相手にもシールのようにペタペタと「キャラ」を貼り付けていく。他者評価が拠り所だから「キャラ」を守ることに必死。持って生まれた性質で人生が決まるから努力なんてムダ、という宿命主義的な考え方は、「親ガチャ」「実家が太い」のような言葉にも象徴されている。そんなふうにレッテル貼りをされたら、無限にある可能性に蓋をしてしまうだろう。実際に、昨今の小中学生は、前向きで何をやらせてもよくできる子と、無気力で何をやらせてもダメな子に二極化しているそうだ。 知人が面白いことを言っていて、「キャラ化からはもう逃れられないのだから、キャラをポジティブに使えないか?」と。キャラは何も一人につき一つだけと決まっているわけではないのだから、良いキャラ付けをたくさんすることで、それに近づこうとするポジティブ行動を引き出すことができるのではないか?人格には多面的な要素があって、それらが葛藤したり統合したりしながらアイデンティティが形作られていく。物は言いよう、使いようで、「キャラ」という概念を使って、子どもたちに君たちの未来は希望と可能性に満ちているというメッセージを伝えられたらいいと思った。

    0
    投稿日: 2026.01.24
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    ここに書かれているような環境はすでに変化しており、古く浅い内容と言わざるをえないと思います。 あっ、そういやちょっと前までこんなことよく言われてたな…という感じです。

    3
    投稿日: 2024.04.06
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    薄い冊子だが、中身は濃い! 現代日本の価値観多様化、人間関係複雑化の中で、我々はどうやって生き抜いていけばよいか、みたいな話。 ・価値観の多元化によって流動化した人間関係の中で各々の対人場面に適合した外キャラを意図的に演じて複雑になった関係を乗り切っていこうとする。 →組織毎に相手に応じて、色々なキャラを使い分けるのはひとつの技術みたいなものと。 ・現在は場の空気に流されない一貫的な自己では生きづらい時代。どんな場面でも自分らしさを貫く、大変な世の中。 →この生き方はカッコ良く思えるけど、複雑化した世界では難しいみたい。自分らしさを常に出すって大変なんだね。 ・(価値観が多様化する中で)大人たちは自分たちを抑圧する敵ではなくなった同時に、人生の指針を与えてくれる絶対的な拠り所でもなくなっている。 →父親として子供に接する自分自身に当てはめて考えてみた。確かにそうだなあ~と。 ・(学校現場における教師と保護者の関係)教師は自分自身を守るために、保護者のクレームの中身を冷静に分析することもなく、理性を持たない怪物が発する雄叫びのようなものと捉え、即座に全否定してしまいがち。 →良い悪いでは無く、教師の側はそういう風に捉える事もあるんだなーと納得。 ・親からの攻撃的なクレームはそんな脆弱な自己肯定の基盤を根底から揺さぶる。教師の側も他者の反応に過敏になっているため、自己防衛の手段として攻撃的になる →最近、そういった体験をしたなあ、親の方の立場で(苦笑) ・今日では、立場の異なった相手と意見を闘わせて理解し合うのではなく、異物と見なして最初から関係を断とうとする(これを著者は「圏外化」と表現)傾向が強まっている。 →要はコミュニケーションをあきらめちゃう、そもそもコミュニケーションしないってことか。自分は、コミュニケーションの溝を埋めるようにやっぱりあがきたい。 ・つまづいた自分と向き合う力が重要。その力をつけるためには、多種多様な人たちとの世代を超えた出会いと共闘が必要。 →自分と異質な人を排除、圏外化することなく、頑張って付き合ってみる事が重要よと。

    4
    投稿日: 2024.02.21
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    意外と結構よかった。 2009年発行の薄いブックレット。ケータイとか圏外とか、ところどころ今の時代とはずれるが、SNSで同質的な相手と簡単に繋がれる時代、という点では全く問題ない。 自分のキャラを強くアピールしてくる子は、そうすることで、自分を守ろうとしているのかもな、という考えに至れた本。 今は、多様性が多様過ぎて、価値観の基盤が無くなっている。ある視点での良いも、違う視点ではだめになる。 基盤が無いと、自分も何をよしとして、どう軸を作ればよいのか、子どもも分からなくなる。 昭和ならガチガチな校則や、圧倒的な権威主義に、ある者は反抗し、ある者は持論を唱え、自己を確立できるが、今はそういうのが無い。 あるのは、友達からのイイネ。 そうすると、友達からの評価で自分の価値が決まっていくような気になっていってしまうのかもしれない。 そうして、イイネをもらうために、さらにキャラ化する。そういう時代を、アイデンティティを確立する大事な時期、子どもたちは生きているのかもしれない。 そして、それが教師にも当てはまる場合があると。 生徒からの評価を得て自己肯定感の基盤にするために、煙たがられる教師というより、友達のように振る舞う教師。生徒に媚びる教師。(そうじゃない先生も、もちろんたくさんいる。) 「自己肯定感の基盤として、人間関係に依存しがちな人々が、世代をまたがって増えている。」と。 ある特定の教師は生徒に依存し、生徒は気の合う生徒内で依存し合う。 そのために自己に与えられたキャラを強化する。 同質的な者同士で群れて、異質な者は、排除する。 親子においても起こり得るし、起きているのではないかと。 「異質な者は、排除することで社会の治安を守る」 「環境管理型の治安対策をする。」 そうしたい気持ちもわかる。 が、そうではなく、 「避けたくても避けようのない不都合な人間、向こうから迫ってくる異質な人間との付き合いを通じて、じつは不本意な自分、異質な自分との付き合い方も、否応なく学べるのではないか」 「異質な他者の視点から自身を相対化して眺める力は、【不気味な自分】に出会ってしまったとき、その不安からパニックになるのを防いでくれる耐性力にもなる」、と。 避けたくても避けられない具体的な相手がいる場合、この付き合いが巡り巡って自分を強化すると思えば、救いになる気もする。愚痴れる人がいるなら愚痴って、社会として完全排除はしない。ということか?適当に付き合うということか? 理想は異質と思える人とも、互いに、話し合いましょー♪か 異質性にもやはりよる気もしてしまうし、痴漢、セクハラ、パワハラ、性被害などは、駄目なものは駄目と思うが。 キャラの話から、異質な他者の話まで。 なかなか勉強になったし、いろいろ考えさせられる本だった。

    19
    投稿日: 2024.02.15
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    要は自分が苦手な人と向きあう耐性をつける必要がある、ということ。 そうしないと、自分がつまづいたとき、その理想ではない自分に向きあえず、うつとか無差別殺人犯になってしまうのだとか。なるほどなぁ… 人見知りとはまたちがうんだろうな。

    3
    投稿日: 2023.08.06
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    このレビューはネタバレを含みます。

    一貫したアイデンティティとは違う「外キャラ・内キャラ」で説明されていたので腑に落ちた 生徒に好かれようとする教師に気味の悪さを覚えていたけど、イマイチ自分では説明がつかなかったので、この本の説明に納得して、スッキリした。 ・教師が子供と対等の関係になろうとする ・評価は自分より上の存在からされるものではなく、たくさんの同等な人々からされるものへと変化した ・内キャラは所与のものだから一生変わらないという意識 →生徒からの支持を得ることで揺らぎがちな自尊感情を補填しようとする ↑ わかる。 たまたま大学受験勉強中の模試の問題で出会った文章だけど、面白かった。 誰もが抱える「異質な自分」との向き合い方。 考えていきたい。

    1
    投稿日: 2023.03.08
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    一元的な価値観の下で生きることを強制される点において、近代以前は良くも悪くも安定した「静的な社会」であったののにたいし、現在の日本には様々な価値観が併存し、互いに競合しあっている。どんな判断も、別の観点からすぐに相対化されてしまう不安定で「動的な社会」である。 特定の生き方をだれも強制されなくなったという点では、現在の日本は「ユートピア」であるが、しかしそれゆえ、相手が何者か分からないまま不透明な相手と常に向き合って生きなければならない点では、また、自分が何者であるかも根本的にはわからないまま、不透明な自分と常に向き合って生きなければならい点で、現在は同時に「ディストピア」なのである。。 これは、すごく納得。自分のころと今の若者の生きる社会は変わっているのだと思えば、色々な最近の出来事もより理解できる気がした。

    0
    投稿日: 2022.06.10
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    このレビューはネタバレを含みます。

    個人的にはかなり納得できた。 リカちゃんの顔、初期の方が好きだな。 特にしっくりきたのは砂の器のドラマの事例ですね。以下はレビューというより自分用のメモです↓ 以前あった画一的な学校への対抗、という指針がなくなって、社会が多様化に向かっていく。そもそも自分とは違う異質な人種とは最初から関わりをもたないようになる。 似た人同士で繋がりを持つことで生まれる閉塞感→ガス抜きとしてイジリというカタチでいじめに繋がる事例が発生する。 多様化した社会で絶対的な拠り所を失う→生まれ持った素質を拠り所にしようとする。 少年犯罪が起きても、社会全体の問題として捉えるのではなく、事件を起こした少年の異質性として捉える傾向にある。犯罪少年のキャラ化。異質なものを排除するという流れ。 自分の中の不気味と向き合う力。

    0
    投稿日: 2022.05.11
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    今の時代の価値観の変わりようがとても鮮明に説明されていて、読み応えがありました。 社会が限られた価値観を押し付けていた時代と違って、これっていう価値観の基盤がない分、自分の確かさが揺らいでしまう、そのことに不安を覚える若者たちが、周りの人たちから表面的な承認を得るための方法が、キャラ化。 人間関係格差とか、ハッとする言葉が多くて、今の時代の子供達が、学びに向かわないのもわかるなぁとしみじみと思いました。 周りの友達が認めてくれればいい、生まれた時から自分の本質は決まっている、こんなふうに思っていれば、勉強で自分をよくしていこうとは思わないだろうなぁと。 ページ数は薄いけれど、今を捉えるために読んでみてほしい一冊。

    4
    投稿日: 2019.09.03
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    友達地獄の土井先生の著書。センター試験問題にも出たことで購入。 個性重視の檻に縛られすぎてないかと思いふける。 キャラ化される子どもたちと同世代であるため、自分を単一化しキャラクターで生きていく楽さは納得がいく。

    0
    投稿日: 2019.08.24
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    このレビューはネタバレを含みます。

    2016年6冊目「キャラ化する/される子どもたち」読了。 センター試験にも出たということで読んでみた一冊。出だしの部分は、現在の若者と当時の若者を説明しているが(う~ん…そこまででもないな)というのが正直な感想。しかし、後半に進むにつれ、非常に面白い考察になる。先日、NHKでも不寛容社会が話題となっていたが、本書でも述べられている排除型社会の克服は我々の課題だと感じる。さらには現代に生きる若者が自身のアイデンティティを確立するには、今まで以上の悩みや葛藤があり、今まで通りとはいかないことが良くわかった。P.54からの第4章はとても参考になる。 ----(以下抜粋)----- 「多様性を奨励するようになった新しい学校文化のなかを生きていま…そのため、学校文化に反旗を翻すことで成立していた非行文化は、その基盤を徐々に失いつつあります」 「コミュニケーションの対象とされるべき共通目標があれば、その技法が多少下手であっても、目前の切実な必要に迫られてなんとか意志疎通を図ろうとしますから、コミュニケーション能力の有無は二の次の関心事となります。しかし現在は、人々の関心対象が千差万別になったことで…切実な話題は少なくなっているのもかかわらず、自己肯定感の基盤であるコミュニケーションの場はつねに確保され続けなければなりません。その結果、コミュニケーションの形式やその能力だけが極端にクローズアップされることになります。」 「自分に評価を下す人間も超越的な他者ではなく、自分と対等な他者となります。…大人たちは、自分たちを抑圧する敵ではなくなったと同時に、人生の指針を与えてくれる絶対的な拠り所でもなくなっているのです。」 「「がんばれば必ず成功する」という生徒と、「何をやっても無駄だ」という生徒のあいだで、意欲の二極化も進んでいます。…「生まれ持った資質によって人生は決まる」という感覚の広まりを示唆しているように思われます。…人生の行方はあらかじめ定まっていると考えている点では、どちらも同じ心性の持ち主のように思われるのです。」 「いくら完璧なセキュリティの壁を周囲に張りめぐらしても、真に不気味で異質なものはその内部から紡ぎ出されています。」 「ネット環境が整う以前…意中の相手とつながりあうためには、自分にとって不都合な人間とのコミュニケーションも途中で経由しなければなりませんでした。」 「今日では、一人でいることの孤独から逃れようとして多用されるケータイが、かえって一人でいることの恐怖を募らせるという皮肉な事態が生まれています。自己肯定感の揺らぎを手っ取り早く解消しようとして、同質な人間だけで固まってしまいがちになっているからです。」 「読売新聞が2003年に発表した全国青少年アンケート調査によれば、75%が「努力しても成功するとは限らない」と回答している…まるで「自信がないこと」にかけては誰よりも自信があるとでもいうような、「確固たる自信のなさ」というべき態度が、若い世代に蔓延しつつあると指摘してます。」 「ネット環境の発達でコミュニケーションが便利になった反面、雑多な人間と出会う機会を意図的にでも設けていかないと自己の耐性力も育ちにくい時代なのかもしれません」 「意図的にウォーキングでもしないと足腰が弱りがちな時代です。同様に、ネット環境の発達でコミュニケーションが便利になった反面、雑多な人間と出会い機会を意図的にでも設けていかないと自己の耐性力も育ちにくい時代なのかもしれません」

    1
    投稿日: 2016.06.23
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    ざっと読んだ程度なので詳しくは書けませんが、アイデンティティとキャラの違い、これからの人間はキャラよりもアイデンティティを育てることを意識しなければならないのではということを考えました。、

    0
    投稿日: 2016.05.15
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    このレビューはネタバレを含みます。

    • 多様な生き方が等価なものとして認められるようになり、ものごとの価値にも絶対的な序列性がなくなる • 今日では、立場の異なった相手と意見を戦わせて理解し合うのではなく、異物とみなして最初から関係を絶とうとする傾向が強い

    0
    投稿日: 2015.05.16
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    日常の閉塞感とか優しさを強要される恐怖とか過剰な関係依存とか。「わかるわ……」っていうのから「うん?」っていうのまでいろいろ書かれてたけど、概して首肯する内容だった。ちょっとだけダメな自分と向き合える一冊だった。

    0
    投稿日: 2014.12.17
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    前著(個性をあおられる子どもたち)から大きく内容は異ならない。親密圏にある人間との関係の維持,その関係を前提とした自己の存在,危ういバランスの中で営まれる自己の発露。いろんな大人を見る必要があるのだと思う。さまざまな生き方,働き方で何を感じ,得ているのか。情報が豊かなようで,自分の感性に合致したものしか摂取しないので,逆に情報は少ない。 性格=キャラクター=character:刻み込まれたもの という図式で心理学では学習したな。心理学的に今の世の中のキャラはその場に合わせて変える「ペルソナ」だろう。

    0
    投稿日: 2013.07.28
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    今ではキャラなしに、子どもたちや若者の人間関係を、語れないのでは...?とすら思う。 これに関連して、親密圏の作法と公共圏の作法の混同もあるのかなあと思う。 生きづらさを読み解くヒントにつながりそうだと感じている一冊。 大平健『やさしさの精神病理』 http://booklog.jp/item/1/4004304091 なんかも思い出すような話だなあ。

    0
    投稿日: 2013.06.09
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    1980年代以降の価値観の多様化がコミュニケーション重視をもたらし、そのため、若者がキャラを演じ、かつ、自己をキャラ化することになった。結果として、異質なキャラを排除するような社会へと変貌してしまったという本。 しかし、1980年代の価値観の多様化というが、そこまで、多様化されたのだろうか。また、キャラ化云々の議論も、「キャラ化」概念を持ってこずとも説明できると思う。空気とか。 短いからかもしれないが、色々と物足りない本であった。

    0
    投稿日: 2013.01.06
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    【2012年_7冊目】 やはり抽象的な議論は楽しい。過去の事件を分析しながら話をしてくれるので、妙に納得。目の前にいる子ども達について、こういう視点をも持って接していきたいね。

    0
    投稿日: 2012.09.06
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    人間関係のカースト化→各カースト内でのフラット化→「対立をはらまない限りにおいてお互いの差異を認め合うという基本的な態度だけ」→アイデンティティからキャラへ カースト化→宿命主義 話の筋は理解しやすい。 「キャラ化」は子供に限ったことでなく、あらゆるシーンに存在することは、思い当たるところがあるでしょう。 それに対して一理ある説明がなされているので、 そのようなあり方に疑問を持っている人は、本書がヒントを与えてくれると思います。

    2
    投稿日: 2012.07.02
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    卒業論文で『<非行少年>の消滅』を参考文献で読んで以来、ずっと気にしてる社会学者の一人。 本が薄いので、そんなに時間がかからずに読めます。 問題の原因を個人の心に求めていたのでは解決にならないんじゃないかと思っているので、大筋納得のいく文章でした。 サカキバラ世代なんですが、土井氏はこの15年くらいずっと違和感を感じている事に淡い光を見せてくれた気がする。 もう少し読み込んで、整理をして、自分の血肉としたい。

    0
    投稿日: 2012.04.21
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    (「BOOK」データベースより) 価値観が多元化した社会で感じる閉塞感。気遺いに満ちた「優しい人間関係」のなかで圏外化におびえる恐怖感。ケータイやネット、家庭から学校といった日常は、過剰な関係依存と排除で成り立っている。子どもたちにとって、現実を生き抜くための羅針盤、自己の拠り所である「キャラ」。この言葉をキーワードに現代社会の光と影を読み解き、「不気味な自分」と向きあうための処方箋を示す。

    0
    投稿日: 2012.01.18
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    ブックレットと言うだけあって、かなり薄い本。しかし、内容はしっかりしているという印象。 今の若者が、なぜ「キャラ」という形で人格を形成し、その上でコミュニケーションをしようとしているのか、その理由を垣間見ることができる。

    0
    投稿日: 2011.12.08
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    <子ども>たちとたくさん接してきていた身としては、すべてに首肯できるわけではない。 でも、確かに一つの見方なのだとは思う。 かつては、アイデンティティ(自己同一性)を確立するために若者はもがき、 現代は、キャラを確立させるために、もがく。 *** 時代性という言葉を闇雲に使うのは嫌いなのですが、嫌おうが避けようが確かに時代が作り出すものはあると思う。 90年代末~00年代が高校~大学時代だったのだけど、 特に90年代末って、崩壊への憧れとか破滅の美しさとか、そういうものがもてはやされていた気がする(そういうものばかり自分のアンテナにひっかかったともいえる)。 そうして、なんとなく、いつかこの世界が美しく消えるという幻想というか希望の中で、自己の裡へ裡へと潜っていく。だからこそ他者との関係性というのは、今思うと、必死で痛々しいまで「己」を守って崩さないようにするものだったような気がする。 それが今は、キャラという他者に保証されないとなりたたないものに変わっていっているようだ。だが、他者といっても、完全なる他者ではなく、自分´とも言いえるような不完全な他者からの認証を得なければならない。 難儀な時代になりましたね。 印象的だった部分。 しかし、よく考えてみれば、コミュニケーション能力ほど、その評価が他社の反応に依存するものはありません。コミュニケーションとは、その原理的な性質からして、けっして自分の内部で完結するものではなく、つねに他者との関係の総体だからです。コミュニケーション能力は相手との関係しだいで高くも低くもなりうるものです。それは、じつは個人がもっている能力ではなく、相手との関係の産物なのです。(P28) *** 最近、00年代後半の小説をよく読む。 90年代J文学(!)と言われた風潮の中にあった、美しい破滅、というのはどうもないらしい、確かに世界は変容したけれど、一瞬にして世界が崩壊することはあり得ないらしい、ということを知ってしまった後の小説は、なんだか酷く絶望的で、諦観にあふれているような気がする。 うん、たぶん、自分が選んでいる本の傾向。 90年代J文学にあった、あの破滅への憧れみたいなものは、ある種の希望であり、ある種の救いであったのだと思う。さて、すでに10年代。これから何処へ向かうのか。 自分の中の読書史がぽっかり空いた00年代中盤~後半の本をゆるゆると読みながら、これからを見ていきたいと思います。

    1
    投稿日: 2011.02.19
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    キャラ化する子供たちかあいそう 単純なキャラを固定化することで、自我?を保ち生きていく子供たち。宿命主義的な子供たちは幼い頃から自分のアイデンティティを固定するから、叱られても効かないし、言う事を聞かなかったりするのかなと思った。

    0
    投稿日: 2011.01.28
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ケータイの端末が「圏外」表示になるだけでパニックになる高校生がいる―そんな文章からこの評論は始まる。 若者に見られる人間関係の格差とは。カースト化された人間関係と現代のキャラ化社会とは。 現代社会の新しい形について読み解き、新しい人間関係にメスを入れた斬新な評論である。 本書が提言する現代の人間関係の在り様とは、結論から言うと、新宿命主義と寄りどころの無い存在論の発生である。 自己肯定の場が極端に減った現代において、人々は閉じたコミュニティーを形成し、そしてその殻に閉じこもる傾向が増えているといえる。だが、内部では表面上の個人が互いを「キャラ化」するという行為をしていて、決してありのままの自己を発する場ではない。 ここに外自己と内自己の乖離が生まれる。積極的に自己を押し出すのではなく、コミュニティーを平穏に保つために、ある意味では自己を殺して他者と交流するというのだ。そうした行為が現代では無意識的に行わている。 キャラとはアイデンティティと同一ではない。自己の根源であるアイデンティティとは同質にして異質なものである。つまり、キャラは場所によって自己を証明するためのものにはなるが、自己を確定させるものではない。あくまで、場に合わせたインスタントパスポートのようなものであり、その意味でキャラは別の場では流用が効かない。 何故なら、キャラは成長しないからである。 「あの人はああいう人だ」という評価を貰えるのは限定的な場所でしかない。少しでもキャラがズレてしまうともはやその場での自己は崩壊してしまうのである。 コミュニティー内では必ずキャラが必要となる。ペルソナ、と言ってもいいだろう。キャラを保っている間は自己が否定される場面は遭遇しない。 だが同時に自身のアイデンティティを発露できない。ここから寄りどころの無い自己が生まれる。

    0
    投稿日: 2010.12.08
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    若者の人間関係に関する本。 「若者は自分に好ましい物と人間だけを選択し、彼/彼女らの経験世界は狭小化の一途をたどっている(手に入る機会と情報は増加しているにも関わらず…)」ことを喝破した1冊。 現代は個人の「個性」が重視される社会である。そこでは、共通の価値観による序列化が意味をなさない。もはや、出自や学歴の違いは彼/彼女らにとって関係ない。というのも、それは自分とは完全に異なる世界の人々の話で自分達には関係ない話なのだ。世界は自分の周りの集団・トライブで完結する。 このような社会では、社会からの拘束は働かない(『春の雪』『ロミオとジュリエット』のような)。自分が所属する仲間の間での人間関係に関心が集中し、その人間関係に縛られるからである。もはや、抽象的な他者(世間体)を気にするのではなく、具体的な他者のみを個人は関心にもつ。 その結果、「若者のネオテニー化」「キャラ化」が進行する。勝てて加えて、この現象は若者だけに起きているわけではない。動揺に、大人の間でも惹起しいるというのが議論骨子。 疑問に思った点は2点 ①1970年代から「個性」重視が始まる→高度消費社会→画一的な商品の消費から多様な商品の消費と言ってるけど… 80年代からじゃない? ②経験世界が狭小化しているのは部分的には事実。ただ、世界を拡大化している人も増加している(山田昌弘が言うように)。問題なのは人間関係格差なのでは?

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    投稿日: 2010.09.03
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    [ 内容 ] 価値観が多元化した社会で感じる閉塞感。 気遺いに満ちた「優しい人間関係」のなかで圏外化におびえる恐怖感。 ケータイやネット、家庭から学校といった日常は、過剰な関係依存と排除で成り立っている。 子どもたちにとって、現実を生き抜くための羅針盤、自己の拠り所である「キャラ」。 この言葉をキーワードに現代社会の光と影を読み解き、「不気味な自分」と向きあうための処方箋を示す。 [ 目次 ] 第1章 コミュニケーション偏重の時代(格差化する人間関係のなかで;コミュニケーション至上主義) 第2章 アイデンティティからキャラへ(外キャラという対人関係の技法;内キャラという絶対的な拠り所) 第3章 キャラ社会のセキュリティ感覚(子どもと相似化する大人の世界;子どもをキャラ化する大人たち) 第4章 キャラ化した子どもたちの行方 [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]

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    投稿日: 2010.07.28
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    現代は、交通機関の発達で移動が便利になった反面、意図時にウォーキングでもしないと足腰がよわりがちな時代です。同様に、ネット環境の発達でコミュニケーションが便利になった反面、雑多な人間との出会う機会を意図的にでも設けていかないと自己の耐性力も育ちにくい時代なのかもしれません。

    0
    投稿日: 2010.06.20
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     確かに言うとおりである。  現代は、係わり合いの薄い「やさしい関係」であるが故に「表面的なキャラ」を演じて、さらに自分がどういう人間であるか「内面的なキャラ」を模索している。  多種多様な価値観があるが故に、相手のキャラを決めてしまうことで、ある程度の気楽さがある……。  で、だからと言って、どうすればいいのか、がよく分からなかったので閉塞感だけが残る結末であった。

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    投稿日: 2010.05.11
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    土井氏がこの本を執筆する前に書いた「友だち地獄」と比べ、紙幅の関係からか内容が若干薄いという印象を受けた。

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    投稿日: 2010.01.01
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     仕事の討論会のための資料。  「ネオテニー」「文化資本」  この二つのキーワードが両方のってる。  ということで、この本を参考に討論のテーマを作成させていただきました。  非常に参考になりました。

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    投稿日: 2009.07.29
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    「キャラ」って何だろう? 単に性格みたいなものか? 「外キャラ」と言えば外面のことで、「内キャラ」は本当の自分、なのかと思っていた古いワタシ。 でも単にそんなものでもないらしいし、外キャラ・内キャラが形成される背景に著者の土井隆義さんの言う「排除型社会」があると言う。多様過ぎるが為に似たもの同士の結束が苛烈になる現代。他者を認めないほどに。 人間なんて100パー同じものは有り得ない。排除排除を繰り返すと、突き詰めると独りになっちゃうよ? でも人間独りじゃ生きていけないんだから、適当なところを見つけ出して妥協して折り合ってくのが、人間関係、なんじゃないかな。私が言うのも激しく変だけど。 この手の本は、読んでいてどんどん怖くなってしまうのだけど、同じ本の中に希望が見出せないものが多い。ちょっとだけでも何か、明るいものが欲しい。

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    投稿日: 2009.07.05