Reader Store
ペドロ・パラモ
ペドロ・パラモ
フアン・ルルフォ、杉山晃、増田義郎/岩波書店
作品詳細ページへ戻る

総合評価

42件)
4.1
15
10
3
3
1
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    さあね、何年も顔をあげなかったもんだから、空のことなぞ忘れちまったよ。ま、空を仰いだって、どうにもなりゃしなかっただろうよ。天はうんと高いし、目もずいぶん弱ってたから、わしにゃただ地面だけ見えてりゃ言うことはなかったからね。それに、天国へはもう決して行けない、遠くからだって見られやしないってレンテリア神父が言うもんだから、もうどうでもよくなっちまった……。わしの罪のせいさ。でもな、神父様はそんなことなぞ言わなくてもよかったのさ。生きるってことだけで、もういいかげん苦しいんだから、死んだら別の世界へ行けると思うからこそ、足を動かす力も湧いてくるってもんだろう。天国から門前払いを食わされちゃあ、あとは地獄の門をくぐるしかない。それじゃあ生まれてこなけりゃよかったってことになる……。なあ、フアン・プレシアド、わしにとっての天国はここさ。わしが今いるここだよ。

    0
    投稿日: 2026.02.21
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    ラテンアメリカ文学に興味を持ち、手に取る。 父のいた街を訪れた主人公が、死者と会話していく物語。 難解で、一読しただけでは正直理解できなかった。 巻末の解説を読み、話の筋をやっと理解できる状況。 それでも文字を追っているだけでも心地よい感覚はある。 自分にとっては、何度も読み直さないと、味わえない作品だった。 少し時間をおいてまた開きたい。

    9
    投稿日: 2026.02.04
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    亡き母との約束を守るため、顔も知らない生き別れの父を探す青年が辿り着いたのは、ひとけのないゴーストタウンだった。女たちのささめきに導かれがらんどうの町をさまよう青年の父探しと、父ペドロ・パラモが町を支配していたころの記憶が交錯し、地上の煉獄のように死者が留まり続ける円環的な世界を描いたメキシコの名作。 マリアーナ・エンリケスやベンハミン・ラバトゥッツを通して南米面白い!となっていたところに、ネトフリで本書の実写版映画(2024)を発見してそちらを先に見た。眩い太陽の下でゴーストタウンと化した20世紀のメキシコの町が美しく、女性たちの演技も印象的で、これは原作も好きな気がする、とすぐに注文した。 これが本当に素晴らしく私の好みにバッチリで、なんで今まで出会えなかったのか不思議になってくるくらい。スペイン語圏の作家・批評家のあいだでは『百年の孤独』と並び評され、名作として名高いのだそうだ。 母の語りだけを頼りにやってきた青年フアンの足取りと彼の父だったペドロの記憶が混じり合いながら断片的に語られていくのだが、次第に彼らだけではなく、エドゥビヘス、ダミアナ、ドロテアら女たちの声、フルゴルやレンテリア神父のようなペドロに反発しながら屈服した男たちの声が重なり合い、こだまし合って、コマラという町に封じ込められた時が迷宮のように立ち現れてくる。小説家には目がいい人や空間把握が優れている人などがいるが、ルルフォは耳のいい人だったんだと思う。死者のささめきだけがこだまする町で再演され続ける在りし日々の記憶。それはレンテリア神父の矛盾と苦悩が象徴するように、カトリシズムとメキシコの風土との混淆のうちに捏ね上げられた白日の下の煉獄のようだ。 そしてコマラとメディア・ルナというペドロの領地から離れた女たちの声が、その煉獄にまた異なる彩りを添える。前半はフアンに語りかける生前の母・ドロレスの声。後半はペドロによってコマラに呼び戻されながら、夫との幸福な日々の夢想に浸りきるスサナの声。フアンを妊娠中にペドロと離別したドロレスは死に際にコマラの美しさを語り聞かせる一方、スサナは父母の記憶を除いてコマラの外で過ごした記憶に生き、コマラに閉じ込められた肉体のほうの生活はもはや顧みない。スサナとの思い出を抱えてコマラを牛耳り、彼女との再会を夢みて生きてきたペドロとの対比が残酷に描きだされる。 タイトルは『ペドロ・パラモ』だが、むしろ彼の強権的な力に踏みにじられながら生き延びてきた者たちの視点で書かれている。地上の経済と天界の崇高との板挟みで苦しんでいるレンテリア神父が残酷に切り離し、見捨てた者たちのことも。フアンに水や食べ物を与えてくれる女が近親相姦をしているというエピソードは強烈に印象付けられるが、彼らの姿から直接描かれることのないスサナと父の関係をも窺い知れるし、スサナがレンテリア神父に最期まで心を開かなかった意味も察することができる。誰のための祈りなのか、何のための告解なのか。かつて神父に拒絶され、フアンと同じ墓を分け合うことになったドロテアはこう語る。 「生きるってことだけで、もういいかげん苦しいんだから、死んだら別の世界へ行けると思うからこそ、足を動かす力も湧いてくるってもんだろう。天国から門前払いを食わされちゃあ、あとは地獄の門をくぐるしかない。それじゃあ生まれてこなけりゃよかったってことになる……。なあ、フアン・プレシアド、わしにとっての天国はここさ。わしが今いるここだよ」。 語り手すらも既に死者となった世界で円環的に閉じた土地の記憶が語られるという構造は、かつて読んだフリオ・リャマサーレスの『黄色い雨』を思いださせる。きっとリャマサーレスもスペイン語圏作家としてルルフォの影響を受けているのだろう。『黄色い雨』はタイトルが示す通り腐食を象徴する黄色と緑の視覚的イメージが強烈だったが、この『ペドロ・パラモ』に満ちるのはひたすらに声、声、声。生者としては発せられることのなかった、魂のこだまとしての声ばかりである。

    5
    投稿日: 2025.12.21
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    小池博史ブックフェア選書より 「ペドロ・パラモ」 フアン・ルルフォとガルシア・マルケス、強烈に影響を受けたふたりである。ペドロ・パラモは土の中の死者の言葉による小説なのだが、その視点が現実を穿ち、なんとも不思議な宇宙に投げ出されたような感覚になる。この殺伐とした死者の呟きに大きな渇きを覚える。ルルフォの「燃える平原」も必読の書である。(小池博史)

    1
    投稿日: 2025.08.27
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    ラテンアメリカ文学の金字塔的作品。 ストーリーを断片化させることで、徐々にペドロ・パラモの人物像を浮かび上がらせていく精緻な構成が凄すぎる。 ガルシア=マルケスの「予告された殺人の記録」と同様、すでに荒廃した過去の街を郷愁を込めて描いている。 ディズニー映画「リメンバー・ミー」をこの前観たけど、やはりメキシコの死生観(死後も人生は続く)はかなり面白い。 語り手だと思ってたフアン・プレシアド含む登場人物全員が既に死者だったことに、とても驚かされた。

    0
    投稿日: 2025.06.14
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    第32回ビブリオバトル〜明石の陣〜テーマ「ふしぎ」で紹介された本です。オンライン開催。 2021.5.13

    0
    投稿日: 2024.10.13
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    すらすら読める本ではない。読み始めは当然のようにストーリーを追おうとしていたけど、早い時点で諦めた。なんせ、語り手がころころ変わるし、時間も脈絡なく切り替わるのだから。でも、それぞれの語り手の語りに身を委ねていたら、なんだか心地よくなってきてしまった。巻末の解説を読んで、なるほどねーと思い、もう一度読んでみたい気もするけど、ちょっと今は気力が出ない。再読リストに入れておこう。

    1
    投稿日: 2024.09.22
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    1955年に刊行されたメキシコ文学。ある街の、そしてペドロ・パラモという男の盛衰を描いた物語。現在と過去、そして生と死の境を虚ろなものとして、断片を読み進めることで読者の中に物語の「像」を浮かび上がらせる。ふわふわゆらゆら、白昼夢のような本。 適当ででたらめに見えて、精緻に構成された小説であり、一度読んで全てを汲み取るのは難しかった。どこかのんびりとした語り口も特徴的で、読む前に持っていた「死者の町」というジメッとしたイメージを乾いた手触りに変えている。 ややネタバレになるが、これは「始まったときすでに終わっている物語」であり、時間が一方通行に進むのではなく、"断片として在る"というこの書き方・感覚は『あなたの人生の物語』に近いと感じた。

    2
    投稿日: 2023.07.03
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    岩波文庫のカバーに書かれた「ラテンアメリカ文学ブームの先駆け」というコピーのせいで、ブームが去って久しい今更読んでもなぁ、、、という感じがしてずっと積読状態だったのをようやく読んでみました。 そういうの抜きにしてすごいやつでした。 とりあえずは、”父親を探してコマラにたどり着いた「おれ」は・・・”、みたいにある意味普通にはじまったかと思うと、時間がきれぎれの無数の断片に散らばってしまう。最初はなんだこれ???と一枚一枚拾って読んでたら、ぼんやりと関係とか因果とかおぼろげに見えてくる。ふむふむおもしろいぞこれ、と思いながら終わりまでたどり着いて、ん?そういやなんか色々見覚えあるぞ、と思って最初に戻ると、完璧な円環構造にあることに気がついて、そのまま2周目突入。 2周目になるとさらにあれはこれだったんだ!!という発見がありますます面白い。しかも文庫本で200ページ程度、という2周繰り返すのにちょうどよい長さ。 でも技巧とか手法が前衛的で面白い、とかそういうことじゃなくて、誰もかれもが死んでいる神話的な世界においてはこう語られることに特段違和感を感じない。欲望と暴力に彩られながらも同時に詩情に満たされるというなんとも不思議な世界観にひたれます。 なんかひさしぶりにガツンとくるやつでした。 あと最初は絶対ネタバレなしで読んだ方がいい。”おれ”が実は・・、ていうびっくりは味わうべき。

    2
    投稿日: 2022.07.24
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    文体と物語、過去と未来、生と死、全てが渾然一体となっている。独特の読み味に病みつきになって、いつまでもコマラから出たくなってしまう恐れがあるので注意。

    1
    投稿日: 2021.06.02
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

     2021年1月10日(日)読み始め、1月22日(金)に読み終える。本文を読み終えたのは21日(木)。  魔術的リアリズム。台詞がだれのものなのかわかりにくくて読みづらい。何度か読み返さないとなかなかわからないのかもしれないなと。

    0
    投稿日: 2021.01.11
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    70の断片からなる夢というか悪夢のような小説。 生者と死者が入り混じり、過去と現在を行ったり来たりする。 墓の中で話をする死者たちは、どこか折口信夫「死者の書」の大津皇子の声のよう。湿った土とひんやりとした石に響く声。 実際の話、そんな声が聞こえるかと聞こえない。 けれど、生きている身近な人の声は聞こえるかといえば、それも怪しい。 できるだけ、そのような声に反応できる耳と感性は持っていたいと思う。

    0
    投稿日: 2020.10.10
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    生きた人間と幽霊なのか、それとも現在と過去なのか、それらが殆ど混じり合って描かれている。普段我々が見ていると思っている世界と、『ペドロ・パラモ』の世界には大きなズレがある。生と死が殆ど区別されていないと思いきや、死の瞬間だけは確実に存在し、時系列を無視して何度も描かれる。幽霊の漂う世界の中で、死だけがたまらなくリアルだ。

    0
    投稿日: 2019.11.05
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    初読は高校の課題図書。 メキシコの片田舎、父を探して主人公がたどり着いたのは死者の町だった・・・といった話なのだがストーリーは当時全く意味不明。ただ、砂ぼこり舞う真っ白な道、陽炎に揺れる怪しげな街、という描写は異様に頭に刷り込まれている。 「燃える平原」にひっくり返り再読。 2017年12月14日付The Economistによると、魔術的リアリズムの元祖でもあるルルフォは、実はフォークナーの影響を受けているらしい。あれだけ土俗的なラテン・アメリカ文学が北米の作家の系譜に連なるのも意外と言えば意外。 “The reader gradually realises that all the novel’s characters are dead. It is modern because it frames a reality rather than merely describing it, and because time in it is simultaneous, not sequential, as Carlos Fuentes, a later Mexican writer, noted.”(記事より引用)。 物語の中で時間は順を追っては流れない、同時に生起する。まさに最も”modern”なことをこの作家はやっていたということだ。

    4
    投稿日: 2019.01.01
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    2008年11月27日~28日。  結構な数の登場人物。男も女もいる。ほとんどは死者。そんな死者が時空をあっちこっちヒョイヒョイと駆け巡る。語り口も一人称からいきなり三人称に変わったりする。最初は面喰う。  それぞれの断片が大きな流れになって物語を織りなす。そして最初に戻る。終わらない。ウロボロス。  ちょっと気を抜くと振り落とされるか迷子になるかおいてけぼりを食らう。でも心配はない。一度はまってしまえば気を抜くことも許されない。  間違いなくもう一度読み返すだろう。久しぶりに心底面白い作品に出会えた。

    0
    投稿日: 2018.01.06
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    「たくさん悪いことをしたこの地上からあの男を連れていってくださった神様に感謝しよう。いま天国にいるかもしれないが、ま、そんなことは問題じゃない。」

    0
    投稿日: 2017.03.11
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    生と死の境目が取り払われた迷路のような世界。死の床で母親が言い残した通り、父の村へ行った。そこで出会った相手は、じつは死者だった。死者に気づかわれたり、気づかったり。当の語り手も途中で死んでしまい、隣の墓の住人を相手に話していたりもする。人物にスポットがあたって展開していくというよりは、土地の記憶のような話。そう思えば、生者も死者も区別なく行き交っている感じもよくわかる。  岩波文庫の解説によると、ファン・ルルフォ(1918-86)はメキシコ、ハリスコ州アプルコという小さな町に生まれて、1920年代に暮らしたこの町が原風景になっているそうだ。当時はまだメキシコ革命の混乱が続いていた時期で、政府と教会が激しく対立し、暴力と破壊がこの時代の特徴らしい。  寡作な作家で短編集『燃える平原』(杉山晃訳 書肆風の薔薇 1990)と二冊しか作品がない。短編集を先に読み、世界になじんでから『ペドロ・パラモ』の世界に入るというのも手かもしれない。短編も独特の世界が描かれている。

    0
    投稿日: 2016.07.17
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    きっと、登場人物の相関図みたいなものを作って読めば、その面白さを味わうことができるのかもしれないが、わざわざそういうことまでして小説を読もうとは思わない。

    0
    投稿日: 2016.02.09
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    死人たちが会話し、現在未来が出てこない過去だけのお話。舞台はメキシコに革命が起きるあたりかな。なんとも不思議な話だが、面白くて一気に読んでしまった。神父の描かれ方を見ていると、教会あるいはカトリックに対する批判なども含まれているのかも。

    0
    投稿日: 2015.06.08
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    死者の町コマラ。ペドロ・パラモはとにかく女好きで強欲でけちで、嘘つき。子供も何人くらいいるのか分からない。生者と思ってたひとが死者だったり、前の章で脇役やったりしたひとが次の章で語り手になったりどんどん人が入り交じる感じが面白い。

    1
    投稿日: 2014.10.18
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    すごく不可思議な小説で、構成が最初良くわからず、物語世界に入っていくまでに時間がかかりました。 解説を先に読めばよかったかも知れない。 途中からどんどん惹きこまれていって、死者が語るのも気にならず、登場人物それぞれの話しぶりや人柄もわかってきて、勢いがつきました。 土地勘がないので、そのあたりの自然、たとえば蒸し暑さや風の音を想像するのも難しいのだけれど、映像が目に浮かぶような感じで、なんだか違う世界に連れて行ってもらえたような。 描写が詳しいわけでもないのに、映画的な作品に思えました。 ラテンアメリカ文学の多くは、独自のカトリック信仰が底辺に流れているので、その部分を理解できないと物語の表層だけをなぞることになりそう。 人と人との問題以前に、神と人との問題があって、神父さんが出てくるからとかそういうことじゃなく、聖書はもちろん、「告解」とか、カトリック的考え方を知らずに深い理解はできない感じ。

    1
    投稿日: 2014.09.21
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    ささ‐めき【私=語】 ささめくこと。ひそひそ話。ささやき。また、男女のむつごと。 「貴妃の―、再び唐帝の思ひにかへる」〈海道記〉 初めてこんな言葉を知ったが、これほど的確にこの小説を表す一言はない。 ささやく。ひそめく。 まずは翻訳の文体の素晴らしさ、語のセレクトの素晴らしさ。 少ない文字数から滾々と湧く抒情。 次に構成のしかけ。 ただシャッフルしているのではない、ひとつの言説が連想を呼び過去を掘り起し広がり深くなる。 最後に語られる内容。 極悪な奴なのにスサナへの思いが、たまらなく切ない。 すべてを手に入れようとしてそれだけ手に入らず。 これだけの男の行き詰まりは街の行き詰まりを呼び廃墟へ。 cf 中上の浜村龍造

    1
    投稿日: 2014.02.13
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    奥深い、底知れぬ物語。 死んだ男をめぐる噂話が、死んだ人間たちの間で語られ、死んだペドロ・パラモの人物像がうすぼんやりと形作られていく。伝え聞きの集合体として物語が建設されており、それらを細胞に、町の盛衰が語られる。鮮やかな小説。 ガルシア=マルケスに「百年の孤独」を書かせた小説という、ある意味で究極の評価を得ているようだが、そういう文学史的注釈を抜きにして面白い。

    2
    投稿日: 2014.01.25
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

     1955年発表。メキシコの小説家、フアン・ルルフォ著。父ペドロ・パラモを探しに母の故郷コマラを訪れた主人公は、死者達のささめきに呑まれていく。七十の断片で構成され、時系列が激しく前後し、死者の会話が入り乱れる。  不思議な小説だった。まずストーリーは、はっきり言って一回読んだだけではよく分からない。解説と照らし合わせながらもう一度読み返してみると大体の内容は掴める。しかしむしろ、この小説はストーリーではない部分に核がある気がする。淡々とした断片の配置が生み出す浮遊感、まるで当然のことのように交わされる死者との会話、簡潔で不可思議な詩的表現などから醸される雰囲気。円環的なストーリーのせいでもあるのだろう。たどたどしくて不安定というか、切ないというより寂しげというか、まさに幽霊的な感じがする。  ラテンアメリカの小説・架空の町という設定・前衛的手法という点でガルシア=マルケスの「百年の孤独」と比較されることもあるようだが、コマラが死者の町ということだけあって、「ペドロ・パラモ」はだいぶ静的で淡々としている印象受ける。

    4
    投稿日: 2014.01.11
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    断片的に語られている物語。この節では誰が主人公なのか、いつのことを話してるのか、私には難しくて捉えられず、物語では読まないと決めていた解説を読むハメに。こういう書き方をするのはわかりづらいな、とは思ったけど「コンパクトなテキストのなかに膨大な時間と空間を閉じ込める方法」としては納得がいった。もう少し経ってから、また読んで見たい作品

    1
    投稿日: 2013.05.04
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    死者が埋葬され土と石に帰るのなら、私たちは堆積した死者の上に生きているのではないか。彼らの記憶も積み重なり、それは時間の進行という枠組みを超えて断片的に交差する。本書が南米文学の起源であると同時に到達点だと言えるのは、決して循環する構造が故だけではない。土地と血縁、そして革命と血生臭いモチーフが用いられているのにも関わらず、それらが全て断片的な構成として提示されるからこそ幻想的な魅力を帯びてくる。死者の記憶に耳を傾け続けることが生者の努めだとするならば、本書はまるでレクイエムそのものなのだと言えるだろう。 (2013/10/08追記) 再読。積み重なる死者の記憶が印象的な故に初読時はレクイエムの様だと感じたが、実際に死の瞬間というのは驚くほど描かれない。「気分じゃないよ、アナ。人間が悪いんだ」言葉は簡潔かつ明瞭なのに、時にドスを効かせて読者を刺しにかかっている。荒地の寂寥感に潜んでいたのは、生きる事にも死ぬ事にも興味はないとでも言いたげな虚無感であった、死者が集う街・コマラは地獄の釜から浮かび上がる蜃気楼か、それとも登る事の叶わぬ煉獄の丘か―否、どうでもよいのだ、そんなことは。最も緻密に作り上げられた、生きることそのものに対する暴力。

    1
    投稿日: 2013.04.14
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

     散文的で登場人物の名前が覚えにくい。 読み終わって、構成うんぬんな作品というより、読了感や余韻を楽しむ方が正しい気がした。  マジックリアリズム特有の死者と交わりなど当時読んだらもっと衝撃的だったと思う。時間が経った時もう一度読み直す作品。

    1
    投稿日: 2013.01.08
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    メキシコの作家、フアン・ルルフォの作品です。ラテンアメリカ文学の先駆けと評価されています。 ラテンアメリカ文学の物語世界は現実・非現実や、過去・現在・未来の非境界性に特徴があるのですが、この作品では生・死すら区別が曖昧になっています。200ページくらいなのでご一読あれ。 「この町はいろんなこだまでいっぱいだよ。壁の穴や、石の下にそんな音がこもってるのかと思っちゃうよ。歩いていると、誰かに付けられているような気がするし、きしり音や笑い声が聞こえたりするんだ。それは古くてくたびれたような笑い声さ。声も長い間に擦り切れてきたって感じでね。そういうのが聞こえるんだよ。いつか聞こえなくなる日が来ればいいけどね。」

    1
    投稿日: 2012.08.09
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

     最初から相当意味わかんないけど中盤物凄い爆弾があって俺はこういうの大好きだなって思った、あんまり理解できてるとは思えないけどね。

    1
    投稿日: 2011.11.19
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    死んでいる人が起き上がり普通に人と話し生活をしているならばそれは生きているのと何も変わらない。でも町は死んでいく一方だ。

    1
    投稿日: 2011.09.18
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

     ラテンアメリカ文学ブームの先駆けとなった作品らしく、岩波文庫のなったときに即買いましたが、自分にはあまりその良さがわかりませんでした。

    0
    投稿日: 2011.07.10
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    どういうわけか、自分の周りに大きい鳥が無数にいて、ばさばさと羽をばたつかせ風で煽られているところを想像してしまった。そのばたつかせた羽から向かってくる風が本作で扱われる「死」のようであり「時」のようであり、鳥菌やら砂埃やら乗せてばさばさと私の顔やら体やらにぶつかって過ぎ去って行く。鳥は無数にいるのであちこちから風はやってくる。それは一定のリズムを保っていない。顔にも風はくるので、つい顔をしかめてしまう。しかめると言っても不快だから、というのではなく奇妙だからである。鳥菌にやられてお熱。

    1
    投稿日: 2011.03.03
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    ラテンアメリカ文学において、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』と並ぶ傑作だそうで。 そこまで分量があるわけではない中篇だが、夜中に読み始めたにもかかわらず、どうしても止められなくて一気に読み切った。 読むのを止められなかったのは、複雑な構成なので間を開けたくなかったこともあるが、何よりもこの独特の世界観に浸り続けたかったからだ。 会ったことのない父親ペドロ・パラモを探して訪れた田舎の街でのファンに起こる出来事を中心に描かれるかと思いきや、話は過去にも飛ぶし、目の前で話している人間が読み進めていくと死者だったりする。 70の断片からなる物語だそうだが、その断片は時間軸も、生死の境も、すべて交錯した状態で次から次へ迫ってくる。 読んでいて何のことだかさっぱり理解ができない場面もしばしば。だが、ざらついた荒野の情景が常に頭に浮かびながら読み進める迷宮世界は、ある種の心地良さを与えつつ、緊迫感でぐいぐい心を攻めてくる。 メキシコを舞台にしたと仮定したデビッド・リンチの映画を観ているような感覚だろうか。物語の理解よりも、その圧倒的な世界観の洞窟に潜り込むような。 しかし、この文庫版は解説もすごく丁寧で、読後にかなり理解を深めてくれる優れもの。指摘された箇所を改めて読み返すと、より魅力的な一篇だと感じられます。 イマジネーションをかきたてる驚異の小説です。ルルフォはこれを含め2作しか発表していないようだが、そりゃ崇められるだろうよ!

    1
    投稿日: 2011.01.03
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    南米っぽいものを読み始めたところなので全然分からないですが、グルグル回って結局みんな墓の中で、読み進むにつれてどんどん足場が切り崩されて行く感じでした。 視点がコロコロ変わるので、ちょっと僕には読みにくかったです。

    1
    投稿日: 2010.10.10
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    ペドロ・パラモという名の、顔も知らぬ父親を探して「おれ」はコマラに辿りつく。しかしそこは、ひそかなささめきに包まれた死者ばかりの町だった…。生者と死者が混交し、現在と過去が交錯する前衛的な手法によって、紛れもないメキシコの現実を描出し、ラテンアメリカ文学ブームの先駆けとなった古典的名作。

    1
    投稿日: 2010.07.25
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    以前レビューしたイタロ・カルヴィーノの「冬の夜、ひとりの旅人が」の中には、作中作としていろいろな小説の冒頭部分だけが沢山出てきましたが、その中で一番「おいおい、続き読ませてくれよ!!」と思ったのが、終盤に入って出てくるラテンアメリカ小説のパスティーシュでした。 その元ネタがこれだと聞いたのが、この「ペドロ・パラモ」を読んだきっかけです。 ペドロ・パラモと言う名の父親に会いに行けと母親に言い遺された青年が、会ったこともない父親を探して母親の故郷を訪れる。荒れ果てた街で出会う人たちは、どうやらすでに生きてはいないらしい…。 と、書くと普通の幻想小説っぽいのですが、この青年の語りの断片から、説明なくほかの断片に移って誰かのモノローグになったりしていくうちに、ペドロ・パラモの人生と、街の歴史が意外な形でぐーっと立ち上がって来ます。 ラテンアメリカ独特ともいえる死生観、激しい愛憎、五感に迫り来る無駄のない文章、伏線を張り巡らした緻密な構成。 中篇ではあるんですが、思わず読了後最初に戻ってもう1回味わいなおしました。本の再読は良くしますが、読んだ直後に飛ばしもせずきっちり再読するのは、私にしてはかなり珍しいです。これからも折に触れて読み返すだろうとも思っています。 「百年の孤独」とならび賞されるラテンアメリカの古典的傑作、との評判どおりのすばらしさ。 日本では最近まで入手困難だったらしいですが、この秋めでたく岩波から重版が出ました。 岩波文庫、それほど(日本では)名前の知られていない作家、と言うことで難しそう、と敬遠される向きもありそうですが、これは読まないと損。文庫安いし、またいつ版元品切れになるかわからないし…。特に「百年の孤独」が面白かった人なら、ぜひ。

    1
    投稿日: 2010.07.04
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    何度読んでも心が震える。この物語が終わってしまうのがもったいなくて、ゆーっくり、ゆーっくり読む。訳も素晴らしいと思います。映画化されているそうですが、この世界をどのように映像化しているのかという興味はあるものの、こわくて観られません(恐怖ではなく)。

    2
    投稿日: 2010.06.17
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    顔も知らない父親、ペドロ・パラモを探しに来たファン・プレシアドがたどり着いたのは生者と死者の交わる町だった。町をさ迷ううちにファン・プレシアドも息絶え、墓の中で死者たちは囁き続ける。 ペドロは冷酷な地主だった。町は発展するが、ペドロが唯一欲したのは、幼馴染のスサナだけだった。30年ぶりに再会したスサナは精神に異常をきたし、父親とは近親相姦にあった。スサナを手に入れたペドロだが、二人はまともに言葉を交わすことも出来ない。スサナの死後ペドロは町を荒むに任せる。数年後、ペドロの私生児の一人がペドロを殺す。ペドロは乾いた石の様に大地に倒れ、その数年後、ファン・プレシアドがペドロを探しに町へやってくる… === 文学の凄さが伝わってくる傑作です。過去と現在が交わり死者と生者が語らう幻想的な筆運びの中にメキシコ社会が見えてくる作品。作者のルルフォはメキシコ革命の混乱で土地と家族を焼かれ、生涯2冊の本しか残していませんが、その2冊をして史上最高の作家。

    14
    投稿日: 2010.05.26
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    生者と死者がごちゃまぜに入り交じり語り合う独特の世界観。 緻密で精巧な構成がなされているそうですが、解説を読むまでちょっとからなかった。 再読することで、味わいが増していく本でしょうか。

    1
    投稿日: 2009.07.14
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    再読&模写。 これは・・・読めば読むほど言葉を失ってしまう。二回読み、すべて書き写して、断章ごとに分析して、圧倒される。そしてもう一度読む。 書き写すと、非の打ち所の無い簡潔な文章と精密機械の設計図のような構成が身にしみて感じられ全然苦じゃない。 何度読み返しても永遠に「発見」し続けることのできる作品。そう断言できるくらい細かいからくりが多い。 20年かけたという翻訳も凄まじいできばえであるが、この原文を堪能せんがためだけにでもスペイン語をはじめたくなる。 うわー、ベストなんかなあ、これ、ベストかもしれん!

    1
    投稿日: 2009.01.15
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    生者と死者、現在と過去が数々の断片になって散りばめられており、ペースをつかむまでは読むのは大変かもしれないが慣れると何とも言えない良さがある。ラテンアメリカ文学らしい、幽霊・・・というか死者の魂がよく出てくる作品で、怪しげな雰囲気が漂いつつも暗くはない。 ガルシア=マルケスよりは幾分読みやすいので、ラテンアメリカ文学入門にはいいかも。

    1
    投稿日: 2008.04.02
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    一度読んだだけでは、理解不能。 でも二度目はなかなかおもしろい。 きっと次に読むとさらにおもしろい。 生と死の混交がメキシコの世界観なんだと思う。この世界観は他にはない。 静かで悲しいおとぎ話。

    1
    投稿日: 2008.01.24