
総合評価
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powered by ブクログ圧倒的な筆力で書かれた20世紀文学の集大成。下巻では、ペルー社会の腐敗がえぐり出されていく。独裁政権が張り巡らせる権謀術数のもと、勝者と敗者とに分かれていく。そのなかで弱い立場の人間ほど、悲惨な結末をたどっていくし、強い立場の者には、敗れても、それなりの地位が残されている。最後、敗れたあとも、サンティアーゴ/サバリータが採った態度は"一寸の虫にも五分の魂"を示すものであり、そこに微かに人間の気高さに対する期待が残される。
0投稿日: 2025.11.09
powered by ブクログ「誰かに打ち明けなければならないことがあるんだカルリートス、自分が中から焼かれているんで」とサンティアーゴは言った。「それで気分がよくなるなら、オッケーだぜ」とカルリートスは言った。「でも、よく考えろよ。時々オレも、危機に陥って打ち明け話に走ることがある、それが後になって重くのしかかってきて、自分の弱点を知っちまった人間を恨むことになる。明日になったらオレのことを恨んでいるなんて、ならないようにしてくれよサバリータ」(p.55) 同じ事件、人物に対しても語られる視点で受ける印象が異なるのが面白かったなー。特にオルテンシア、ムーサに関しては、アマーリアからは優しい奥様だったのが、親友だと思っていたケタからだといかれた女なわけで、その視点の書き分けがうまかった。アンコンのマンションをソイラ夫人が頑なに拒む理由も読者にはわかるわけで。
6投稿日: 2025.05.06
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
読了。 麻薬・娼館・政治の腐敗。 嘘ばっかりかもしれない。 それでも、アンブローシオ、ケタ、サンティアーゴ、オルテンシア、アマーリアそれぞれの人生のできごとが時系列バラバラに交錯していき酒場での会話は終わる? サンティアーゴはなぜああまで父に抗ったのかな。 随分愛されていたように感じたけど。 オルテンシアの転落具合が悲しかった。
3投稿日: 2022.02.02
powered by ブクログ「ラ・カテドラルでの対話」(下) 昨日から下巻。第3部。今度はサンティアーゴが「ラ・クロニカ」の記者となってとある昔の歌姫の殺害事件の警察記事を調査する、という筋立て。書き方は第1部ー第2部そして第3部とわかりやすくはなってはいるのだけれど…あれ、ここはもうオドリア政権が倒れた後の話なのかい…突き抜けてしまった感あり。 (2020 02/28) 第3部、第1章。上に書いた通り歌姫なる女の殺人事件追っていたサンティアーゴに突然修羅場が。読者にとってもいきなりの佳境。 実は殺された歌姫なる女はオルテンシアで、イポンネ(娼婦業界取り仕切っているフランス系婆らしい)のもとでオルテンシアと暮らしていたと証言するのはケタ…第2部との変わり果て方に戸惑っていると、そのケタから、オルテンシアを殺したのは、ドン・フェルミンと同性愛関係にあるアンブローシオだという。そこに立ち会っていたサンティアーゴにとっては、父親であるドン・フェルミンが殺しを指示したということ(そっちは作り話だと確信していた)より、父親が同性愛者だということの方が衝撃的だった(このことはリマでは有名な話になっていた)。サンティアーゴはそこを出てカルリートスとともに、第2部でも出てきた酒場で飲みながら話をし、酔いつぶれたカルリートスを部屋に送ってそこで朝まで眠る。翌朝近くの角のカフェで… 彼はミルク・コーヒーを頼み、時間を訊ね、するともう十時で、もうオフィスにいるはずの時間で、おまえは緊張を感じているわけでも心痛をおぼえているわけでもなかったなサバリータ。電話のところに行くにはカウンターの下をくぐって、麻袋や段ボール箱の置かれた廊下を通らねばならず、番号をダイヤルしながら、蟻の行列が梁をのぼっていくのを彼は見た。チスパスの声だとわかった瞬間、急に手のひらが濡れたーはい、もしもし? 「やあチスパス」、すると全身にくすぐったさが、地面がやわらかくなったような感覚が。 「そう、僕だ、サンティアーゴ」 「近海に敵船あり」と囁くような、ほとんど聞こえないチスパスの声、共犯者的な口調。 「もう少ししてからかけ直してくれ、親父がここにいる」 「彼と話したいんだ」とサンティアーゴは言った。 (p61) サンティアーゴの緊迫した行動、チスパスの洒落た対応(これ以前、兄弟とはサンティアーゴは度々会っていた)、そして父との再会へと、続くのでかなり長めに引用した。この小説は最大のテーマは父と子なんじゃないかと思うのだけど、この小説冒頭から続いていた「ダメになった」という原因が父と子の確執にある、しかしそれが子が自分の道を探し求める唯一のやり方だとすれば…こうした捻れたつながりの連続体が現在に続く歴史なのであろうか。 (上手く言えないけど) そして子にもまだ全体が把握しきれていない、この父ドン・フェルミンという人物、読者的にもまだ掴みきれない何かがある。ケタの証言も全くの出鱈目でもないのかも。 (2020 02/29) 第2章150ページまで 第2章は時間がまた戻ってランダ議員やドン・フェルミンらのクーデタの収拾をドン・カヨの視点から。この第3部から一つの章が長めになってきた。ドン・フェルミンの性癖が前章では現れてきたけれど、ここではドン・カヨのサディスティックな面も最後に垣間見られる。 (2020 03/01) 生と死の共時性 「ラ・カテドラルでの対話」第3部第3章。 アンブローシオですって? そうです、もうそれ以来二度と彼女のことをあの部屋に連れていくこともなくなって、フェルミン・サバラの運転手の? そうです、軽い食事をおごるだけですぐに帰っていって、もう何年もその彼とつきあってるわけなの? そして彼女を見やって、頭を振って、こんな話まったく誰が信じるだろうか。ほんとに頭がおかしいんです。疑い深くて、なんでもかんでも秘密にしたがって奥様、彼女のことを恥ずかしく思っていて、今度も前と同じように彼女のことを捨てようとしているのだった。 (p184) ここだけでなく、第3部第3章の後半この辺りこんな感じの文章が続く。基本はアマーリア(彼女)が奥様(オルテンシア)にアンブローシオのことを伝えている場面。一つの文にアマーリアとオルテンシアそして地の文(自由間接話法)が入り混じっている。他の箇所では違う時点の会話が織り込まれていることもあり。長い段落で息のつまる体感。 この後、アマーリアが(たぶん)アンブローシオの子供を産み、昏睡状態にあった頃に、第3部冒頭にあったオルテンシア殺害が起こる。生と死の隣り合わせ。そして一時親類のところに身を寄せていたアマーリアを待ち伏せして、アンブローシオは彼女を連れてリマを出てジャングル地帯へ向かう。それが幾度か言及あるもののまだ作品表面には出てきていないプカルパなのだろうか。 (2020 03/06 読んだのは昨日) 白い町でトリフルシオは何を考えたのか 「ラ・カテドラルでの対話」第3部読了。この第3部は4章仕立て。オルテンシアの殺害とサンティアーゴと父の和解、第一回目のドン・カヨ追放クーデタ失敗とドン・カヨの歪んだ性、上記オルテンシアの没落と死そしてアマーリアの出産、と各章これまで隠されていた核心部分に突入し、これまでより一気に読ませる展開。四部構成だからか、ペルーなどのスペイン語圏にこういう表現があるかどうかは知らないけれど、「起承転結」の「転」の部ではないか、と思う。 この第4章はアレキパでの第二回目のドン・カヨ追放クーデタ。これを阻止しようとドン・カヨ側では屈強な男達を各地から引き連れる…はずが、いろいろな駆け引き(ロサーノとかエミリオ将軍とか)で人員が絶望的に少ない。その中に入っていたのがトリフルシオ(アンブローシオの父親)と、ルドヴィコ(アンブローシオの同僚)。 章は重症を負ったルドヴィコをアンブローシオが見舞うところから始まる。この章の外側の語りとしてこの二人の会話が随時挿入される(この章ではアンブローシオとサンティアーゴの語りが出てこない)。一方のトリフルシオはこのアレキパの反ドン・カヨの集会が行われていた劇場で命を落とす(そういえば、外側の語りをしている時点のアンブローシオは父親の死を知っていたのだろうか)。この章で印象的なのはやはりトリフルシオの意識。ここもちょっと引用長めで。 だいたい五時間で劇場の仕事は終わるだろう、とトリフルシオは考えていた、それから夜は八時間あって、もしかすると正午まで彼らは出発しないかもしれなかったーそんなに持ちこたえたれそうもなかった。日が暮れてきて、寒さが増してくる中で、屋台店の合間にはロウソクの灯った小テーブルが置かれ、そこで食事をしている人もいた。両足が震え、背中が濡れていて、こめかみは火のように熱かった。荷箱の上に崩れるように座って、胸に手をやったーまだ鼓動があった。布地を売っている女が店のカウンターのところから彼のことを見て、大きな笑い声をあげたーあんたみたいなのを見るのは初めてだよ、映画で見るだけでね。たしかにそうだ、とトリフルシオは考えた、アレキパには黒人がいない。病気なのかい? とその女は言った、水でも飲むかい? ああ、ありがとう。病気ではない、標高のせいなのだった。 (p229-230) トリフルシオはなんだか、劇場の仕事の為でも、標高とか病気の為でもなく、死期がすぐ迫っていることを予感していたようだ。そうした男の立ち振る舞いがこうして伝わってくる。 (この「白い町」と呼ばれるアレキパは、リョサの生地でもある) (2020 03/08) 笑う憎悪 第4部開始。今度の部はどんな手を使ってくるのかな、と恐る恐るというか手探りで、読み進める。今のところ、第1章までだけど、第2部に近い構成なのかも、と思う。 彼女は笑いだし、彼を憎悪しはじめた。 (p277) ケタとドン・カヨの出会いの場面…らしい。なんで笑いながら憎悪できるのか不思議だけど、ものすごい憎悪なのだろうことはこれで伝わってくる。 始まりはまだ静か。 (2020 03/11) 父親になる日、ならない迷い 「でもどうして父親になるというのが、そんなに嫌なんですか」とアンブローシオは言う。「誰もがそんなふうに考えたら、ペルーには人間がいなくなっちゃうじゃないですか坊ちゃん」 「《ラ・クロニカ》で働いているんですって?」と彼女はくりかえした。片手はドアにかけて、今にも出ていきそうな体勢なのだが、もう五分前からずっとそこにいるのだった。 「報道って、面白いことがいっぱいあるんでしょうね、どうなんですか?」 「まあ、あたしも告白しますけど、自分が父親になるって知ったときには、あたしも震えあがりましたよ」とアンブローシオは言う。「でも、その後は誰でも慣れるもんですよ坊ちゃん」 「まあそうとも言えるけど、マイナス面もあるんですよ、いつどんなひどい目にあうかわからなくて」とサンティアーゴは言った。「それより、ちょっとお願いを聞いてくれませんか。誰かに頼んで煙草を買ってきてもらえませんか?」 「患者さんは煙草は吸えないんですよ、禁止されてるんです」と彼女は言った。 (p318) 長めに引用しないとこの小説の語りが伝わらないのが困った?ところ… 父と子というのがこの作品の大きなテーマなのだが、サンティアーゴの父親に対する思いや感情が、翻って自分とその子供という場に展開されている。彼は結婚しているのだが、子供はまだ作っていない、彼女もそれを理解している…とこの次のページで言っているのだが。 さてさて、このp318の場面なのだが、地方へ車で取材しに行った《ラ・クロニカ》一行は、道路の整備不良等で事故に遭う。病院で「経過観察」となっている、という場面。ここでの彼女がその病院の看護師、であり、実はこの後サンティアーゴの結婚相手となるらしい(作品冒頭振り返ってみようかな)。それと枠物語のサンティアーゴとアンブローシオの語りが並行して進む。だから、「まあそうとも言えるけど…」というところが、アンブローシオへの対応にも読んでいて思ってしまう。こうした手法がここだけでなく随所に見られるのが、この作品の面白いところの一つ。 で、第4部なのだけど、これまでの展開が一気に混ざり合って衝撃のラストに突き進む…というのではなく、また新たな見えてなかった意外な視点から語られていく。このサンティアーゴの結婚相手というのもその一つ(兄弟の中で一番結婚が早かった、というのも意外な展開)。クローズアップされてきたのがケタで、ケタがアンブローシオ、ドン・カヨ、オルテンシアに初めて会った場面、そしてアンブローシオがケタに勇気を持って迫っていく、という展開…これどの時期の挿話でどう収束していくのだろう。 一方、サンティアーゴとドン・フェルミンの対話は続いていて、いつも言う「弁護士になって会社を引き継いで欲しい」というのが、もう諦めた上で頑固な繰り返しとなっていた、というのが心に残る。自分のことも踏まえた上で。 (読んだのは前日) (2020 03/15) おまえとあなたの乱反射とメキシコ映画 「ラ・カテドラルでの対話」400ページ越えて、第5章437ページまで。 アナはサンティアーゴの子供を孕んだが、彼の為に下ろすことに同意する。父親のテーマがここにも現れる。 そのひどい悲しみのさなかで、彼女は、おまえがあれほどひどく恐れていたことから、アモール、あなたを解き放つことができてうれしい、と言っていた。彼女は、おまえが彼女を愛していないことがわかった、あなたにとってはとってただの遊びだったことがわかったのだった。でも彼女のほうはおまえを愛しているので、それを受け入れるのがつらいのだった。だからもうおまえには二度と会わないのだった。時間があなたを忘れさせてくれるはずなのだった。 (p373ー374) 「おまえ」は外側の語りで自分を回想するサンティアーゴ自身から、「あなた」はサンティアーゴに語りかけるアナから。「おまえ」と「あなた」が入れ替わりながら、そこに自由間接話法まで加わって、読んでいてくらくらしてくるような感じ。それがこの場のサンティアーゴの状況を追体験しているような、そんな文章。 このことがあって、サンティアーゴはアナと結婚する決意をする。前書いた通り、兄弟の中では一番早いのだが、家族へのお披露目は波乱を巻き起こす。ちょうどアナが好きで、メロドラマの代名詞にもなっていたメキシコ映画のように(ただ、リョサは読書を引きつけるものはこうしたメロドラマの力なのだ、とも書いていた)。 そこで母さんといったらサバリータ、目をしばたいて、唇を噛みしめて、椅子の中でむずむずしているのだった。まるで蟻の巣の中にいるみたいに。 (p407) 女中みたいな女と結婚なんかして身内に恥ずかしくないのと罵るソイラ夫人を、ここで離れた一読者の立場から批判することは簡単なんだけど、身分階層社会が堅牢なペルー社会の只中にいることを考えておかないと。 その他、ケタとアンブローシオの道行が、その二人の語りによる枠物語を作り、そこで、ドン・フェルミンに同性愛行為を迫られる、という挿話が語られる。これが第3部冒頭でのケタの告白につながっていく。 (2020 03/16) 閉じていく円環 あることと別のことの間にどれほどの時間が経過したのか全然わからないまま、彼らが話しているのをずっと聞いていたが、今では長い沈黙が音を立てているのが聞こえていた。ずっと自分が浮かんでいるのを感じていて、水に少し沈んでは浮かびあがって、また沈むのを感じると、突然、アマーリア・オルテンシアの顔が見えたのだった。そして聞こえたのだったーおうちに入る前によく足を洗うのよ。 (p465) アマーリアの死の場面…ここから死が三連続するわけだが…地の文ではアンブローシオが約束の仕事に行くのをやめて待っているのだが、そこに挟まれるアマーリアの意識…最後の言葉は彼女自身が子供だった頃の母の言葉だったのだろうか? このアマーリアの意識の介入が次のページであと2回あって彼女は亡くなる。そして亡くなった後、アンブローシオに病院の治療費の催促と、ルドヴィコの親類で共同出資者となっていたドン・イラリオのいろいろな策略がついて回る。彼はアマーリア・オルテンシアを仲間に預け、単身リマへ戻るのだった。 次の章に入ってすぐカルトーリスの死と、その話にうながされたようにドン・フェルミンの死も描かれる。ドン・フェルミンの死の少し前に、サンティアーゴ夫妻のところに現れたのが犬のバトゥーケ。生と死の円環を感じるところであるのと同時に、この犬が結果的にサンティアーゴとアンブローシオを再び繋ぐことになる作品構造の円環も見えてくる。 一方アンブローシオの方は、狂犬病捕獲員になる前に田舎のチンチャを訪れる。父親のトリフルシオの面影が現れる。 彼はトリフルシオがあの晩、彼がリマに出発する前の晩、一緒に暗がりを歩いていたときに言ったことを思い出したーオレはチンチャにいるのに、いないみたいな気がする、全部見覚えがあるのに、何も見覚えがない。今では彼には、あれが何を言いたかったのか、よくわかった。 (p522) アンブローシオとケタの話は、彼らが話すアンブローシオとドン・フェルミンの関係の中で、この二人もまた話し合っていたということがわかってくる。そうか、第1部第3章での外枠の会話がこの二人だったんだな。 サンティアーゴはテテの結婚式も、チスパスの結婚式も行かず、ドン・フェルミンの遺産相続も一切受け取らなかった。今まではサンティアーゴに寄り添って読んできたから彼のこだわりもわかってきたつもりだったが、ここまで来るとさすがに何の意地なのかよくわからなくなってしまう。 静かに閉じていく円環、いろいろな思いを持ち込んだまま亡くなっていく人間。劇的な展開というより余韻を残して、この1100ページの小説も閉じる。 (2020 03/17) あ、忘れてたけど、結局、下巻冒頭オルテンシアを殺したのは本当にアンブローシオだったのかな。第4部のアンブローシオとケタの対話ではぎりぎりまで書かれていたけど、結論は闇の中…ケタは確信しているけど。 第1部第1章の一番大枠のラ・カテドラルでの対話、サンティアーゴとアンブローシオとの対話の最後で喧嘩別れしていたけど、最後まで読んでもそこには喧嘩別れの理由がなかった(時間押しているのは別だけど)。ひょっとしたらサンティアーゴがオルテンシアの殺害についてほのめかしたりしたのかな、あるとすれば… (2020 03/18 補足終わり)
0投稿日: 2020.04.12
powered by ブクログ話が一気に加速する下巻。特にその半分を過ぎたあたりからはスリリングなほど。 国の混迷と家族の混迷が重なり、何が決定的な原因なのかも分からないまま悲しい現実だけが残るという、まさにこの世界そのもののを書ききった傑作だと思う。 そこはかとない悲しさが訪れ、1日1日を大切にしようと改めて思う。
0投稿日: 2019.04.17
powered by ブクログ原書名:CONVERSACIÓN EN LA CATEDRAL 著者:マリオ・バルガス・リョサ(Vargas Llosa, Mario, 1936-、ペルー、小説家) 訳者:旦敬介(1959-、名古屋市、ラテンアメリカ文学)
0投稿日: 2019.03.18
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
いつも沖縄に出張にいくときにラテンアメリカの文庫を携えるようにしているが、最初、上巻だけ持って行った。 面喰らいながら書いたメモが、以下。 @ 複数の会話が入り乱れる。時間の混乱。しかし似たトピックを話していたり、連想的に響きあったりすることもある。 地の文においては、彼がいうのだった、と人称の妙。 地の文は会話文で中断されなければ原則的に改行なし。 おまえは何々だったなサンティアーゴ。と、作者の声なのか、サンティアーゴの自問自答なのか、も地の文に紛れ込む。 地の文においても、たとえば208ページ、もちろん構わないのよ、いいことだと思っているのだった。と、直接話法?と間接話法?が入り混じる。 自分(そして国)はダメになってしまった、遡ればいつからだったか?あのときだったのだろうか、と話しながら度々考えている。 全体小説を書きたいと思った時、こういう文体と形式を選ばざるを得なかった。ボヴァリー夫人なんかは単純で純朴だ。 ところで、アンブローシオが坊ちゃんに話しかけるだけでなく、旦那さんにも話しかけているが、誰?=たぶんフェルミン>108p。 ※もっと分析を頑張るならば、地の文でこういう話、そこに混入するのは誰と誰の会話でどういう内容か、まで。 また、各人物ごとにエクセルなどで時系列のマトリックスを作るのもおもしろいかも。 @ 上巻を読み終えてから下巻の訳者解説を読んで、面喰うのも無理はないと納得した次第。 読み終え、各章ごとのあらすじをまとめ、登場人物の表(B5にたっぷり!)を作り、もっと分析したいと思いつつも果たせないので、いったんここで感想を書くことにする。 ざっくり言えば、過去を悔いている(自分は、そして国は、いつから駄目になってしまったのだろう、という問いへの執着ぶりが独特)青年が、かつての実家の使用人と再会し、ラ・カテドラルという酒場で飲みながら対話する、という大枠。 四方山話噂話過去話などなどが入り乱れ入り混じり読者は渦に巻き込まれていくが、中心にあるのは「(息子にとっての)父を巡る謎」。 視点人物であるサンティアーゴの父は、政治にどっぷりの商人だが、ある種のセクシャリティを隠しており、ある殺人事件を機に息子が探り合ってしまう。(「間抜けのふりをするのはやめてくれ」「二人で率直に、ムーサについて、父さんについて、話をしようじゃないか。彼に命令されたのか?父さんだったのか?」という序盤の台詞が、後半に効いてくる) 次の視点人物であるアンブローシオの父は、ムショ帰り。青春期の息子がいる家に帰り、息子の性格を曲げてしまう。 さらに政治的重要人物であるカヨも、禿鷲と綽名される金貸しの父を持つがゆえ、独特なセクシャリティを持つ。 というように、父ー息子ー政治や権力ー性、というテーマがあり、そこにアンブローシオの妻となる使用人のアマーリアや、差別意識の強いサンティアーゴの母や、カヨが囲う愛人のオルテンシア(=ムーサ)やが緊密に絡んでくる。もちろん性がかかわれば男女両面ひっつくのは当然なのだが。 政治劇と個人劇がつながるのが性、というのは、下衆だが、吉本隆明や埴谷雄高を連想したりもした。 ネットで感想を漁っていると、火サスをタランティーノやゴッドファーザーPART2っぽく書きました、という例えがあって、膝を打つ。 「緑の家」と較べるとスケールの小ささは否めないが、むしろ日本の学生運動を連想したり、家庭の権力性を考えたり、と、自身に引き付けて考えるきっかけになるのは、こちらかなと思ったりもした。
1投稿日: 2018.12.05
powered by ブクログ上下巻纏めて。 南米文学は重厚なものが多いが、特にバルガス=リョサは群を抜いている。小説を読んだ、という気分にさせてくれる。
0投稿日: 2018.08.12
