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眠りつづける少女たち――脳神経科医は〈謎の病〉を調査する旅に出た
眠りつづける少女たち――脳神経科医は〈謎の病〉を調査する旅に出た
スザンヌ・オサリバン、高橋洋/紀伊國屋書店
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総合評価

8件)
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    思っていた内容と異なっていたので、ざっと読んで読了。 科学的なアプローチで結論を得るものと思っていたんですが…

    0
    投稿日: 2025.10.16
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    当初は、眠り病という奇妙な疾患の原因や治療をあらゆる医学的検査によって証明されていくプロセスを描いたものかなと、思って読んでみた。読み進めていくと、そんな視野の狭さいものではなく、病というものはその人が置かれている社会や家庭環境などあらゆる外的要因が引き金となって物理的な身体的機能異常を引き起こすのだということを、いくつもの症例を通じて学ぶことができた。病は気から、というだけでなく社会や情勢や、病人になりきる状態から起こるものなんだ。目の前で苦しんでいる患者の声と心に寄り添うことの大切さが分かった。

    35
    投稿日: 2025.09.14
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    このレビューはネタバレを含みます。

    著者の取材に基づいて、世界中にちらばる集団的な心身症や機能障害の実例とその原因となったと思われる社会的背景に迫る本。スウェーデンの難民の少女たちが眠りっぱなしになる「あきらめ症候群」、ニカラグアの先住民の伝統的な病で頭痛やめまいからけいれん、幻視に至る「グリシシクニス」、コロンビアの女子学生が集団でけいれん・気絶などで倒れた「解離性発作」など多くの例がふんだんなインタビュー、取材レポとともに紹介されている。 単に心が身体に影響を及ぼすという話ではなく、患者たちを取り巻く社会環境が病の認識、そして次の患者の出現や症状の悪化に大きく関わっていることを示唆しており、謎に迫るという話の持っていき方と相まってあっという間に読めてしまう。 コロンビアでは子宮頸がんワクチンの反ワクチン活動家が患者をたきつけて不安をあおり、状況を悪化させるだけさせて責任を取っていないという日本でも見たような状況になっておりやるせない気持ちにさせられた。また、心因性の発作であると診断されると周囲の好奇の目や偏見にさらされて辛い思いをし、「詐病ではない」と必死になって純粋に身体的な疾患であることにこだわろうとする患者たちの姿には胸が痛んだ。 「病は気から」的な認識はなんとなくあったけれど、こんなにも重く長引く症状が大勢に心理的・社会的要因で引き起こされるということは純粋に驚きだったし、患者のためになる診断・治療とは何なのか?を問う最後の議論も読みごたえがあって興味深かった。病を告知されることでその病自体に定義されるようになってしまうのが人間だが、今の過剰診断気味の医療は本当に患者を幸せにする方向に向かっているのか?病にとらわれる方向へ向かっているのではないか?という著者の意見、自分にも思い当たる節があって面白かった。医療者の人の感想を聞いてみたい本。

    1
    投稿日: 2025.09.05
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    このレビューはネタバレを含みます。

    *注意!この本は原因解明系のドキュメンタリーではありません! 読み方を知っておかないと損する本だった、という印象。 前半まで微妙で、後半おもしろくなる。というか、後半でようやく本書の書き方がわかってくるというか。半分くらいまで、読んでてあきらめそうになったが、後半過ぎてから一気に読み終わってしまった。 まず、タイトルにもある「眠りつづける少女たちについて」が一章で語られるのだが、まさかの何も解決しないまま終わる。 いや、まあ、この人が伝説の医師で謎だった病を癒しまくるとかいうのはもはやファンタジーなのでそれを期待しているわけではなかったが、せめてなにか回復のきっかけとかおそらくの原因とかそういうのを見つけた話を紹介してほしかった。 病気について「これは文化によるものだ」みたいな自論を色々語っただけで、医者としてマジでなんもしてないどころかそれまで女の子の世話をしていたローカルの医師に、他国の医師への不信感を与えただけに見えた。 前半ではそんな眠り病を初めとして、震えやけいれんを起こすグリシシクニス、周りの刺激に反応しなくなるあきらめ症候群、コロンビア大使館の職人に起きた謎の頭痛であるハバナ症候群などなどがどんどん紹介されて、ぜんっぜん解決しねーなー、となりつづける。途中から結構斜め読みになってしまっていた。 そのあと、マジで半分も過ぎてくらいでようやく、本書のキーワードであろう「私たちは物語(ナラティブ)を身体化する。」というのが出てくる。つまり、人間は結構心の影響が身体にでてしまうので、誰か1人が病気になって、それを見た周りの人が自分もなっちゃうかもと思ったり、医師にそう診断されたりすると、似たような症状が出てしまうケースがある、と。そしてそんな人達が増え、症候群になっていく。なるほどね… って、最初の人の症状はなぜ起きたんだってばよ? ということで、この本は「眠りつづける少女たち」を起こしてあげるとか、原因がわかるドキュメンタリーでは、ない! 著者は医者ではあるが、ここでは治療ではなくあくまでも調査なので、原因解明もしないし、できない。 タイトルにもちゃんと書いてあった。「謎の病を調査する旅に出た」とか「人間の不思議に迫る」とかであり、解決するなんて全く書いてない。…でもさぁ、病気に関する本だったら解決すると思うやん? ・次はグリシシクニス 謎の病気っぽい響きすぎるが、クレイジーシックネスのもじり。日本語にするとキチガイ病とかになりそうでヤバいな。 そして文化によって病への反応は違うとのこと。風邪っぽい症状が出たら日本だと首にネギを巻くとかあったし、そういう病への対応はかなりシャーマンめいてはくるが、それはあくまでも病への対応であって、体の反応が文化で異なるというのはわからんかった。原因が同じでも、文化によっててんかんになったり眠り病になったりするのか? てんかんという、突然泡吹いて倒れるような、よく考えると一見不思議な病気が文化によって悪魔付きにされたり、精霊がどうこうと扱われるという話なら理解できるが、そういう話はされず、結局グリシシクニスがなんなのか、よくわからなかった。なんかやっぱりごまかしてるというか、なんだろう、この人が何を調査したいのかが全くわからん。 ・翻訳がたまに微妙。あと構成も 翻訳が割と良くない気がする。直訳的でわかりにくい文章が多い。 「しかし心身症をそのようにとらえることは、とりわけ唯一の引き金として、あるいは確実に定義されたトラウマとしてストレスが解釈される場合には、問題を引き起こす。」 何回読んでもよくわからん。何言ってんだ? 前半の読む気が薄いときにこういうのが出てくると一気にペラペラっとページを読み進めてしまうわ。 あと、章立てがよくわからないことになっている。 同じ患者の話が1章と4章で語られるのだが、3章はぜんぜん違うことを話していたのに4章で当たり前のように1章のことから続いて話される。場所順イベント順に並べてくれよ。わかりにくいよ。せめて接続詞を入れてくれ。 ・心因性の病気 重度の喉頭炎でしばらく声を出せなくなった人がいるとして、その人がまた風邪などで喉の痛みを感じると、前の経験から想像してしまい、ほんとは話せるのに声が出なくなるという、心因性の現象が起きうる。それと似たようなシステムが眠り病などでも起きたという解釈。 愛着を持った故郷を捨てなければならないという困難によって引き裂かれた集団はどういう影響が出るか。その例が眠り病だったり、子どもだと暴れたりする症状として発動した、と。なるほどなー。 確かに学校行きたくない… なんか体調悪い気がする…とか思ってると実際体調悪くなるみたいなのは自分でも体験したことがあるので、それのきっついバージョンと考えれば理解できる気がした。 ・他者によって書かれたナラティブを実演 p226 「身体化と予測符号化によって、他者によって書かれたナラティブを実演するよう仕向けられたと考えられる。」 ここだけ読むとSFだが… このあたりでなんとなくこの本の方向性が分かってきた。ようやくだが。 「ひとたびある人にレッテルを貼れば、その人は貼られたレッテルが示す特徴を帯びるように導かれるということだ。」 あなたは多重人格障害です、と診断されたらそうなのかやっぱり!と突き進むだろう。これまで紹介されてきた眠り病とかも同様。一度診断されると他の人も同じ症状です!と言ってきて、そう診断されて、でもちょっと違う感じのやつもまとめられてどんどん定義が広がっていく。 …それは分かったし、内容的にも面白かったけど、話はそこじゃなくない?結局この眠り病はなんなんだよ。 集団ヒステリーの仕組みも面白いけど、知りたいのは眠り病、あきらめ症候群、ハバナ症候群が最初にどうして起きたかなんだけども。そこは結局謎のままなのである! ・p243 「私たちは物語(ナラティブ)を身体化する。」 病気が起きると、家族や周りの人が悪魔憑きだとかワクチンのせいだとか昔の惨劇がどうとか、非科学的な物語を語って非難し、そのストレスで更に悪くなるという悪循環。なんか人は愚かだなぁとしか思わない。特にメディア。あと環境活動家、反ワクチンなどなどでどんだけ悪影響が出てきてるんだろうな… なんか、病気になったけど心の持ちようで治ったみたいな逆パターンについて書かれているものを読みたい。こういう、人間の負の歴史ばかり読んでいるとこっちもストレスで病気になりそう。でも逆パターンはそれはそれで信じる者は救われる的なスピリチュアルな方向に行きそうで怖いなぁ。 著者も書いているが、結局、原因が心であれ化学物質であれ外傷であれ、結果である病気が変わらないならそれを治療すりゃええやんと思ってしまうのだが、なんでそんなに人は執拗に原因を求めるのだろうか。 とはいえ、治療側としても原因がわからなきゃ再発を防げないし、下手すりゃ病気の同定もできないし、難しいんだろうけど。治療よりも原因究明が大事というケースが、本書の中でも結構あったな。 ・心による病気は軽視されやすい 心による病気は、肉体の不調を伴う物理的な病気に比べて軽視されやすい風潮はなんなんだろう。やっぱり証拠がないからか。 でも、怪我は放っといても治るけど心は治らない、というか、治ってもわからないもんなぁ。甘くは見れないはずだが。 p186にもあるが、ストレスによる病気だというと、周りの人は関心を失いがち。保険会社ですら。器質的な変化がないことも多いからか。 p322 環境運動家が40年前の鉄道事故が原因とか言い始めたらしく、なんか読むのがアホらしくなってきた。が、ここまで300ページ以上読んできてるので終わらせなければ。斜め読めで。 とはいえ、第三者だからみんなアホやなぁと思えるわけであって、当事者だったら診断しても原因がわからない医師チームより、謎の外部チームに希望を感じるというのはあるんだろうなぁ。 発病者が若い女性だけだと集団ヒステリーと診断されるが、年長の人や男性がいると別の病気になる。 めちゃめちゃありそう… この病気になるのは子供だけですとかそういうのとは別に、偏見が診断に影響するケース、めちゃめちゃありそう。その診断が正しい治療につながるなら良いけども… 診断されて終わりというケースだらけなんだろうなー。 ・診断基準の変化により患者予備軍が激増 p381 「西洋医学が、健康そのものの人々から患者を作り出してきたことを示す事例はたくさんある。」 基準が厳しすぎて、これまで「健康」だった人々が突如予備軍になってしまう、というのはあるあるすぎる。 何も起きなかった場合は予防プログラムのおかげとして医者はドヤ顔をできるが、放っといても何も起きない人々を「診察」してもそれは起きる。ズルい。 もっとヤバいのは、予備軍にされてしまった人たちが、レッテルを貼られたことで症状を実現させてしまうこと。 ちょっとした不調を、大病だと思い込んでしまったり、その不安で別の神経症が起きたり。全然あるー。 実際、日本でも調べようと思えば40歳オーバーの自分はもう死んでるようなものと言えるくらい「予備軍」に分類されてるんだろうから、絶対調べない。 周りから「厄年だからお祓いしてこい」と言われて急に不安になるのに似ている。 p385 「病は本人と、それに名前をつける医師によって定義される、本質的に文化的な現象なのだ。」 病気は文化によって異なる。たしかに肥満というだけでもアメリカと日本は著しく異なる。 p396 「昨今ますます、人々はレッテルや検査を求めるようになりつつある。社会は、絶対的な答えを出すよう医師に圧力をかけ、何かを見落とす医師を罰するようになってきた。」 色んな例が思いつく。コメントするのもだるいレベル。めんどくせー世の中だよな、ほんとに。どうしてこうなった。 ・p400 「ADHD大国アメリカ」 どこの国も同じ状況になってきている気がする。子どもも大人も、ADHDの人、自称する人をとても良く見る。まるでステータスかのように。 そして今思えば、ADHDには治療薬があるんだよな… 治療薬があるということはビジネスなわけで、患者が増えれば儲かるわけで… そういうことなのでは…? あと、どう考えても文化的側面が影響する。例えば自由な発言が許されている教室で、いきなり発言する子がADHDと判断されなくても、発言が全然許されない厳しい教育の国ではそう判断されそう。下手すれば同じ国でも判断が変わるだろうな。 医学は文化的なものであり、特にアメリカの医学を他の国に持ち込んでドヤ顔をする医師たち呪われよ、みたいなこと書いてるけど、著者本人もイギリスの医師なのに、スウェーデン、カザフスタン、コロンビアに行って現地の病気を色々自分の尺度で判断した結果を書いてきてましたよね…?と思ってしまう。 まあ、少なくとも彼女はレッテルを貼りに行ったわけではないけど。なんかモヤモヤするわ。 この話とは逆に、明らかに肉体的におかしいけど心身的な理由で上手くいっている、というケースはあるんだろうか。 ご飯食べてないけど生きてるとか、ずっと寝てないけど問題ないとかそういうのか? そういうの心の健康に良いやつも読ませてくれー。 ・まとめ というわけで、読み終わった結果としては面白い本だったと言えるが、前半で諦めてたら正反対の評価だっただろうな。 とは言え、後半の内容の文化的背景で診断が変わるとか、レッテル貼りで症候群が起きてしまうとか、そういう内容自体は面白かったものの、結局この本で紹介される様々な不思議な病は完全に不思議なままで終わる。そういう意味では、期待通りの面白さではなかった。 どちらかというと、「症候群はなぜ起きるのか?その心理的背景に迫る」みたいな切り口だったら最初から最後までなるほどと読めた気がするんだわ。

    0
    投稿日: 2024.09.10
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    脳に与える影響を深く知ることができた。韓国の少女の話は自分が納得というかこうだと思ったら医師の診断を自分の思っている診断を下してくれる医師巡りをし、著者に行き着くがやはり他の医師と同じ診断だが、何がそう引き起こしているのか、そして脳波などを調べ本人がこれからの人生きちんと歩めるようにしてあげたいという願いから入院させ説明するがきちんと本人に伝わらないもどかしさそして脳は受け入れなければこうだと思った行動に出る。 超音波で人を攻撃された外交官。大人で頭のいい人でも騙されて違う原因なのに攻撃されたと脳は信じ、他者も同じような症状がでて集団感染になる。 理由づけがないと不安になり少しでも似た症状があればこれだとおもい同じ症状になる。脳のすごさを知る機会となった

    2
    投稿日: 2024.08.26
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    生物・心理・社会的に精神疾患をとらえなくてはいけないのに、まさしく放っておくと意識的無意識的に生物的、心理的要因に重きを置いてしまう現代近代化社会の傾向をありありと感じた。人間ひとりひとりを著者がつぶさに書くことにより、リアルにひとりの人を想像し感じることができて非常に良かった。また、患者のためを思い奮闘しても思うように伝わらない著者のもどかしさも余す所なく書かれていて、医者としての真摯な姿勢を貫きながらも無力を感じていることをこんなにも赤裸々に描いていることに感動した。 生物・社会・心理、この3つを忘れずに意識的に考えていくことの大切さを改めて感じた。同時に、それを相手に伝えることの難しさを知りながらも、あがきながら伝えていく姿勢のなんとかっこよいことか。 オリヴァー・サックスの「火星の人類学者」を以前読んで抱いた感動が蘇ってきたと思ったら、まさかのスザンヌ・オサリバンがその後継者として注目されていると読後に知ってなるほどと思った。

    13
    投稿日: 2024.03.20
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    このレビューはネタバレを含みます。

    「病は気から」と言われても、簡単に”気”は変えられない…スウェーデン、ニカラグア、カザフスタン、コロンビア、キューバ、米NY州のル・ロイ。集団奇病を訪ねて世界を歩く。器官の機能に問題はない。かといって演技でもない。思い込みを指摘しても治らない。心が体に及ぼす作用は、想像以上に制御が難しい。生物だけでなく心理や社会という側面でも評価し対処しなければいけない。西洋医学が世界で通じるとは限らない。”おまじない”が功を奏することもある。自身の健康管理にも、人の病に向き合う時にも、心と体の奥深さを思い知らされる。

    1
    投稿日: 2024.01.09
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    スウェーデンで報告されている、子どもたちが無反応で目を瞑ってベッドに横たわっている、という謎の病を調査に行くのは、神経科医の著者。この症例も有名らしいが、ほかに、キューバでアメリカの外交官らが、「音波攻撃」で不調を訴えた例も有名、このような心身症が取り上げられている。 人間の心と身体、興味深くもあり、怖ろしくもあり。 スウェーデンの症例では、もっぱら難民申請中の家族の子どもが発症する。そして、ほとんどの子は、難民申請手続が遅滞する状況に家族が直面したときに始まる。すなわち、特定の地域、中でも対象者は年齢、社会的背景などにより限定されている。1970年代終盤以降、アメリカ精神医学会のリーダーたちは、心理のみに着目した「心理編重」から、精神疾患は脳の疾患としてとらえるべきという「脳に焦点を絞る」考えが主流になったという。これにより、スウェーデンのような症例が、正しく診断されず、時には症例の広がりや二次被害を生んでいると著者は述べる。 予測符号化は、脳にプログラムされている予測をもとに身体症状を生み出すという。脳は外部情報を経験に基づいて評価する。あきらめ症候群と呼ばれたスウェーデンの症例では、周囲で強制送還に直面している子どもたちが無気力になり、やがて昏睡状態に陥りうることを知っている、すなわち、特定の状況が起きたときに、身体がどう反応すべきかを告げる事前予測を脳にコード化して持っていて、その状況がもとで生じた最初の身体的影響を感じるや否や、脳がシャットダウンを始めたと。 心当たりもあるが、人は何らかの身体の不調に気づいたとき、それに何らかの理由や説明を求める。そこに、似たような事例や、見聞きした情報があれば、それに関連づけて自らの症例を判定する。時には、聞きたい答えを求めて医者を訪ねるかもしれない。何となく怖ろしくもなるが、逆に考え過ぎを戒めることにしたい。 ほかに興味深いのは、製薬会社が製品を売るために、新しい指標を導入したり、判定基準を定めたり、という話。ある日突然、その症例や予備軍が何倍、何百倍に膨れ上がるとか。そうして、また実際に不調を訴える人が増えると。

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    投稿日: 2023.08.17