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powered by ブクログ自由が拘束される刑務所に一生収監されたいという不可解な犯行動機がひっかかり事件に至るまでの背景が知りたく書籍を手にする 本書を読むまでは無差別事件の犯人、小島一郎の事をその犯行動機ゆえに思慮浅い人間だと思っていたが、実際はその真逆で古典文学に造詣深く難解な言葉を暗誦できる程の知能が優れた人物である事を知った しかしそれが故に一筋縄ではいかない人物ともいえこの事件の本当の背景をより一層理解し難いものにしていると言える ただし筆者と受刑者との関係が近しくなってきた後半あたりから不可解だった背景が何となくではあるが見えてきたように思えてきた 特に著者と小島の母とのやり取りの中では小島の真相に近い部分を掴みかけている言葉があるように思えてきた しかしこの真相に関しても小島一郎本人の供述ではなく著者の見解である為実際の真相とは少し差異が可能性がある 結末が結末だけにすっきりした話ではないが、この事件がいわゆる『無敵の人』による事件という一つのテンプレートにのっかかったものではないという事を理解できたと思う
0投稿日: 2025.05.27
powered by ブクログ家庭に不安定さを感じて、刑務所は神のような場所で刑務所を求めたという視点はその発想は無かった。でもそれぐらい家庭環境って人が求める最終地点であり、究極の場所で、それを蔑ろにするやつは重罪なんだなと改めて思った。各々の家庭が家族を大事に思う気持ちがこの世の秩序と治安を維持してるんだなと思った。 この本読んで、家庭とか家族を第一に考える保守思想の本当の価値と意味が分かった感じがした。リベラルって一見聞こえは良いんだけど、人々がこういう風に彷徨ってしまう危険さもあるんだなと。 金川真大 インベ カヲリ★:1980年、東京都生まれ。写真。家短大卒業後、独学で写真を始める。編集プロダクション、映像制作会社勤務等を経て2006年よりフリーとして活動。13年に出版の写真集『やっぱ月帰るわ、私。』で第39回木村伊兵衛写真賞最終候補に。18年第43回伊奈信男賞を受賞、19年日本写真協会新人賞受賞。ライターとしても活動しており、今回は新幹線無差別殺傷犯の小島一朗の動機に関心を抱き、被写体に迫る手法をもって取材を開始し、約3年をかけて本書を上梓した。
1投稿日: 2025.03.16
powered by ブクログこの事件なんとなく覚えていますけれども…犯人とのやり取りは本当に心労になるだろうなぁ…みたいなことが予想されうる犯人像ってか、犯人の実態でしたねぇ…社畜死ね!! ヽ(・ω・)/ズコー 僕なら中途で降りていることでしょう…ちゃんと一冊の本にまでまとめ上げられるだけ面会した著者すごい! と思います…社畜死ね!! ヽ(・ω・)/ズコー 結局何が何だか…といった感じですねぇ…裁判もよく分からないまま終わってしまった感じがありますしねぇ…犯人は被害者に対して何も思ってはいないでしょう…ええ…無差別殺人ですもの…社畜死ね!! ヽ(・ω・)/ズコー というわけでまあ、写真家である著者が書いたノンフィクションもの! 著者の他の作品も読んでみたくなりましたねぇ… さようなら…。 ヽ(・ω・)/ズコー
0投稿日: 2024.10.19
powered by ブクログ凄惨な事件を起こした犯人を見ると、サイコパスなのか?人は狂うと理解不能なことをしでかしてしまうのか?と思考停止に陥ってたのだけど、小島の来歴を知ると、彼の事件と、刑務所に入りたい願望が家族の愛を求めていたということがわかる。上手くバランスを取れてる家族はなんともなく進んでいくけど、虐待などの“ノイズ“が入るとこんなにも凄惨な事件が起こってしまう。家族ってなんだろと考えさせられた。
2投稿日: 2024.09.20
powered by ブクログ【感想】 本書のタイトルである「家族不適応殺」とは、「殺人を犯すほどの凶悪な人間が生まれた理由は、育った家庭と折り合いがつかなかったからだ」ということを意味する、筆者の造語である。厳しいしつけ、虐待、過保護など、強いストレスを受けながら育ったことで、大人になって精神疾患を抱えたり、自己肯定感が低すぎて人間関係が上手く行かなかったり、異常な家庭に適応しすぎて社会適応ができなくなるなど、様々な苦難に直面する。結果、社会生活が上手く行かずに異常な犯罪を引き起こす。従来の凶悪殺人犯が「生まれながらに特異な人間だった」ことが多かったのに対し、この「家庭環境による歪み」は、近年の凶悪犯によく見られるようになった特徴だ。 では、本書に出てくる小島一朗は、果たしてどちらだったのか。 その問いは判然としない結論で終わってしまった。小島は犯行に至った心理を法廷で明らかにせず、本人の望み通り「無期懲役」を食らい、今も刑務所の中で暮らし続けている。 本書は、2018年6月9日に、東海道新幹線「のぞみ265号」車内で発生した殺人事件の犯人・小島一朗を追ったノンフィクションだ。小島は車内で1人を殺害、2人に重症を負わせ、警察に逮捕された。拘置所では一貫して「刑務所に行くのが子どものころからの夢だった」「無期懲役になって一生を刑務所で過ごしたい」と主張していた。筆者は獄中の小島と数年に渡って面会・手紙のやり取りを続け、彼の生い立ちと犯行の裏にあった真意を解き明かしていく。 では、小島はなぜ異常行動に走ったのか。生まれに原因があったのか、それとも育ちに原因があったのか。本書では親族への聞き取りを交えながら真相に迫っているが、結局のところはっきりしないままであった。 というのも、小島と小島の家族の間で、証言が食い違っているのだ。岡崎の祖母は小島を「可愛い孫」だと言うが、母親は「悪魔みたいな子」だと言っている。両親は小島が歪んだ理由を「岡崎の叔父夫婦の虐待のせいだ」と説明しているが、対する叔父夫婦は「両親の育児怠慢のせいだ」と批判している。小島自身は「父親以外の全員のせいだ」と証言し、肩を持ってくれている岡崎の祖母にさえ冷たい態度を取っている。 本書を読めば、「小島が狂ったきっかけは家庭環境のせいだ」と一概に言えないことが分かる。小島本人は「一宮の祖母にひどい虐待を受けた」と言っているが、岡崎の祖母や母親は「虐待なんか無かった」と述べている。また、母親は10年間ずっとボランティア活動に勤しんでおり、世のため人のために尽くす真面目な女性だ。親の性格に難があったとは考えにくい。 また、小島自身の精神に問題があったのも確かだ。小島はADHDと猜疑性パーソナリティ障害を患っており、責任能力は低い。小島はある意味で、ものすごく正義感が強いが、同時に酷く歪んでいる。虚言癖も強い。母親は小島の性格について、「鬱と躁が酷い。180度言うことが変わるから。私たちの前では、『死にたい死にたい』ってロープまで持っていたのに、警察には『死にたいなんて一度も言ってない』とか言ってるんだから全部嘘ですよ」と語っている。実際、筆者との手紙のやりとりでも、字面こそ真面目そうでありながら内容はちんぷんかんぷんで、筆者を煙に巻こうとしている様子がうかがえる。 本人が一貫して主張しているのは「ずっと刑務所に入りたかった」ということだ。それは刑務所が、小島いわく一種の「温かい家庭」であるからだ。刑務所は基本的人権が守られており、ルールが決まっている。ルールが決まっているということは法律が通用し、しかも拘束されるから出て行けと言われない。衣食住が保証されている。小島が望んでいた「岡崎の家」の温もりが、「ただ生きているだけでいいんだ」という安心感が、刑務所の中にはある。だが、これは果たして本心なのか?犯してしまった罪に向き合わず、謝ることができない男の認知の歪みがもたらした、自己逃避ではないのか? 筆者は小島との対話の中で、「小島の答えは初めから全て決まっている。プレゼンを聞かされているようだ」と述べている。裁判でも終始その姿勢を貫き、全てが闇の中のまま終わっていった。 小島「分かった。分かった。分かったのだ。私が刑務所に入った目的が。それは『観察室に入る』こと。観察室に一生入り続けること。観察室は『岡崎』だ。私はついに『岡崎』に辿り着いたのだ。(略)私は『岡崎』に居続けてやるんだ。万歳、万歳万歳。私は万歳を三唱する。観察室は素晴らしい。観察室は素晴らしい。観察室は素晴らしい。私は最高に幸福だ。……なんて冗談ですよ。」 ――――――――――――――――――――――――――― 【まとめ】 1 刑務所を望んだ男 2018年6月9日、走行中の東海道新幹線の車内で男女3人がナタで襲われ、女性2名が重軽傷、男性1名が死亡した。 一審で無期懲役を言い渡された小島一朗は、急に証言台の前に起立すると、厳粛な雰囲気をぶち破るように大声を発した。 「はい!控訴は致しません。万歳三唱させてください」 「止めなさい」 「ばんざーい!ばんざーい!ばんざーい!」 裁判長の制止を無視して、いきなり腕を3回振り上げ、大声で万歳三唱したのだ。場違いな行動に周囲はただただ呆気にとられていた。被害者側の弁護人は皆、絶望的な表情を浮かべている。小島の主任弁護人は、嫌悪感を隠そうともせず小島から離れた。傍聴席にいた被害者の関係者らしき男女は、警察官にエスコートされ、目に涙を浮かべながら逃げるようにして外へ出ていった。 小島は、一生刑務所で暮らすために無差別殺人を起こしたのである。 2 小島は特殊な人間なのか? 従来の無差別殺人犯に共通していることは、性格の異常性、攻撃性、重い精神障害や妄想、度重なる前科前歴である。無差別殺人を犯した彼らは極めて「特殊な存在」だ。 しかし、ここ10年ほどの間に起きた無差別殺人は、前科前歴がなく、重い精神障害や暴力性もなく、どこにでもいる普通の青年による犯行が目立つ。そして、その背後には家族が存在する。2008年の3月と6月に立て続けに起きた「土浦連続殺傷事件」と「秋葉原通り魔事件」は、いずれも犯人に前科前歴はなく、友人もおり、重度の精神障害も見受けられない。事件後、周囲の人間が「なぜ?」と困惑するような、普通の青年なのだ。 小島は、筆者との手紙のやりとりの中で次のように語っている。 「真面目な話、実際、私は人を殺して初めて基本的な人権を認めてもらったのです。これが救済といわずして何を救済と?私はいままでの人生で、拘置所が一番『幸福な生活』をしていることは間違いないのです」 まるで、一般社会よりも刑務所のほうが基本的人権が認められていると言わんばかりだ。そして明らかに、刑務所を福祉施設のつもりで捉えている。一体なぜ刑務所を切望しているのか?そして、彼の犯行動機は何なのか? 3 むしゃくしゃした出来事 小島は自身の犯行動機を「むしゃくしゃした出来事があった」ためと語る。 小島は精神鑑定において多動性・不注意ともに高い数値が見られる、いわゆるADHDであった。殺傷事件を起こす半年前、小島はA型作業所を辞め、冬の裏寝覚で即身仏になるべく短期間ホームレス生活をしていた。しかし、寝泊まりしていた東屋で警察官から過度な職務質問と暴行を受ける。自殺を思いとどまり、人を殺して刑務所で一生を過ごすことに決めたのはそのときだ。 「子供の頃から刑務所に入りたかったけれど、そこまでのことをするのはどうかな、と思っていた。だが、警察すら、法律を守る気がないのに、自分だけ守っていてもしかたない。自分の人権は守られないのに、他人の人権を守っていてもしかたない。そう思って、人を殺してでも刑務所に入ろうと思った。どうせ刑務所に入るなら、無期刑になって一生を終えたい。3人殺したら死刑になるから2人までにしようと思っていた。1人殺して、2人に重傷を負わせたから、これでもう無期刑が狙えると思った。それに1人殺すのに手間が掛り過ぎて、肉体的にも精神的にも疲れてしまったので、あのときはもうあれ以上、やることはできなかった。刑務所でどのような矯正をされようと、反省もありえないし、更生もありえない。もし有期刑になって、出所することになったら、また人を殺す。刑務所がなぜ幸福な生活であるか知ることはできない。それは信じることだ。」 4 生い立ち 小島一朗は、1995年に愛知県岡崎市に生まれた。小島が生まれると、母方の祖父は、岡崎市にある自宅の敷地内に小島と母親が住むための家を建てた。これがのちにキーワードとなる「岡崎の家」だ。この敷地には他に、祖父母が暮らす母屋と、伯父家族が暮らす家が建っており、この3つの家は全て大工をしていた祖父によって作られた。 小島はこの「岡崎の家」で3歳まで過ごし、昼間は祖父母に、夜間は母親の手で育てられる。当時、両親は別居しており、年子の姉は、父親とその祖父母に育てられていた。3歳になると、小島と母親は、父親の住む一宮市の家に引っ越し、はじめて家族全員が揃う。年子の姉と、両親、父方の祖父母の6人家族の生活が始まった。 ところが父方の祖母は、小島の存在を快く思わなかったらしい。「お前は岡崎の子だ。岡崎に帰れ」「お前は私に3年も顔を見せなかった」と繰り返し苛められた。これが小島にとって、物心ついてからの一番古い記憶になる。一方の姉は、生まれてからずっと一宮市の家で暮らしているため可愛がられ、小遣い、服、部屋、物、菓子など、ことごとく差をつけられていたという。 小学生まではじっと耐えていた小島だが、中学生になって口答えするようになった。すると、 祖母の行動はエスカレートしていった。「私はあんたの女中じゃない」と言って、小島に食事を作らなくなり、勝手に食べようとすると、包丁を振り回して「食べるな」と言う。風呂に入ろうとすると、これも「入るな」と包丁を向けられた。 当時、小島の部屋には、母親がどこからか貰ってきた冷蔵庫とガスコンロがあり、お年玉を削って自炊で食いつないでいたという。ときには雑草、猫じゃらし、イネ科のイヌムギや、虫、鮭なども食べていたそうだ。 中学2年生のとき、小島は家庭内暴力で警察沙汰を起こしている。小島いわく、「ご飯が食べられなかったから、少年院に入って国に食わせてもらおうと思った」という。 小島が求めているのは、衣食住があって命が無条件に守られる場所だった。それが岡崎であり、刑務所だったのだ。 「三食ご飯が食べられて、衣食住があって、人間関係があればよかったんです。今はそれさえもなくなって、保護室に入りたいと思っています。刑務所は、私がどんな罪を犯した人間であろうと、命を助けざるを得ない場所ですから。どこまでも反抗し続けられる環境がそこにある。それが『岡崎』的なところです。何をやっても自分の命は失われない。法律が守られていれば、私に何かあったときは医療処置を取らなければならないわけですから。もしも、法律が守られなくて死んでしまうなら、それはそれで構わないんです。でも、法律上は私が死んだら困ることになるから医療処置が取られます。そういうことでしか刑務所が『岡崎』的なところはありません」 しかし、筆者が家族に会った際の印象、そして家族一人ひとりの証言からは、小島家が冷酷な人間とは思えない。岡崎の祖母から見た小島一朗は、「おばあちゃん想いの優しくて良い子」だった。母親の意見も、「子どもの頃から正義感が強かった」である。そして祖母も母親も、驚くほど人当たりが良かった。少なくとも母方の家庭には、外側から見る限り、愛情の欠如は感じられない。 小島の証言と家族の証言にはいくつもの食い違いがある。いったい何が本当なのか? 5 虚無の裁判 小島は裁判でも一貫して「刑務所に入りたいから人を殺した」と証言する。 検察「刑務所に入ったら好きなものを食べられませんよ?」 小島「はい、それでも刑務所のほうが良い生活ができると思ったからです」 検察「人にも会えないし、テレビも携帯も使えないし、自由はないですよ?」 小島「それでも私は、刑務所は良い生活だと思っているのです」 検察「刑務所では、嫌でも働かないといけないよね?」 小島「当然それは良い生活だと思っています」 検察「刑務所のどこが良い生活なんですか?」 小島「どこが良い点かを説明すると、そこが改悪されてしまう恐れがあるため、ご説明いたしません」 こんなトンチンカンなやりとりが延々と続くのだ。 一方で、小島を弁護するはずの家族は互いにその責任を押し付け合っていた。父親と母親は家族内で虐待があったことを否定し、事件が起きた原因を「岡崎の叔父夫婦がいじめていた」と証言した。対する叔父夫婦は両親を批判し、「一朗の母親は面倒をみない、父親は相談にも応じない」と述べている。岡崎の祖母は「私は一朗が孫5人の中で一番かわいいと思っている」「小島の証言にある養子縁組を解消するなんて絶対に言っていない」と強調する。一宮の祖母は供述調書すら無い。 小島は法廷で、常に自分を悪く見せるよう立ち回っていた。遺族への謝罪はせず、反省の色を見せず、検察の質問に対してはふざけた調子で回答する。反省すれば有期刑になるかもしれず、刑務所で一生を過ごすことが叶わなくなるからだ。小島は「もし有期刑になったら釈放後再び殺人を犯し、戻ってくる」とまで述べている。全ては無期懲役になるためのパフォーマンスなのだ。 小島は最終陳述でこう述べている。 「私は無期刑になるために無差別殺人を起こし、この法廷でも無期刑になるように証言いたしました。しかしどのような判決が出ても、私のほうから控訴はいたしません。死刑になったら潔く諦める。(略)有期刑になったら、刑期を終えて出所すると、必ずまた人を殺します。刑務所でいかなる肉体的精神的苦痛を受けようとも、私が更生し、矯正されることはまったくありえません。無期刑になったら、二度と普通の社会に出れないよう全力を尽くします」 6 国家に家庭を求める 小島は、なぜ刑務所に入ることを所望したのか。筆者がたどり着いた答えは次のとおりだ。 小島は手紙に何度も「生存権」という言葉を書いている。一宮の家では「ご飯を食べるな」と言われ、岡崎の家からは伯父によって追い出された。そして、最終的に向かった裏寝覚では、警察から「出ていけ」と言われている。その際、小島は執拗に生存権を主張したが、認められていない。 小島が裏寝覚で食事を取らない生活を続けていれば、いずれ餓死しただろう。しかし刑務所では、彼がいくら食事を拒否しても強引に生かされる。ガリガリに痩せて骨と皮だけになっても、点滴を打って、死なせないための処置が取られる。なぜなら、刑務所では法律により、被収容者を死なせてはいけないと決まっているからだ。つまり、法律さえ正しければ、小島は法によって生かされることになる。 彼は、食事を拒否することで自ら「死」に向かい、法によって「生かされる」ことで、人間には生存権があることを証明したいのではないか。 彼にとって、理想の家庭は「岡崎の家」だ。しかし現実では望めども手に入らない。その代わりとして、国家に家庭を求めた。 彼は法律によって自分の命が守られるかを確認し続けようとしている。必要最低限の生きる権利。生存できる場所としての家庭。しかし、小島にとってはそれは刑務所に入らなければ手に入らないものだった。刑務所と切れない関係を結ぶために、人を殺すしかなかったのだ。 彼は事件を起こす前、「刑務所の代償行為」として精神科に入院していた。しかし、精神科に法律はない。異議申立てすれば「嫌なら出ていけ」と言われるだけだ。一方、刑務所は、絶対に「出ていけ」と言われない。法律がある限り、決して見捨てられることはない。 彼にとって、法律を厳守する刑務所こそが自分を確実に守ってくれる母であり、家庭だった。そこにいれば、助けてくれて当たり前、かまってくれて当たり前、生かしてくれて当たり前。自分はこの世に必要な人間なのか、生きていてもいい存在なのか。彼にとって、それを確認できる場所は、刑務所のシステム以外になかったのである。
29投稿日: 2023.10.18
powered by ブクログこんなに屈折した身勝手な理屈で、大切な家族を失った被害者家族の無念を思い、怒りに震えながら読み通した。
1投稿日: 2023.08.08
powered by ブクログただただ不快。犯人の主張は徹頭徹尾理解出来ず、読んでて辛くなる。こんな人間によくぞここまで時間を割いて取材できたものだと感心した。 様々な書籍を差し入れてもらっているが、本当に内容を理解して読んでいるのだろうか。単純に文字を追いかけ記憶しているだけのように感じる。人間性が奥深いようで中身は伽藍堂。虚無。 そしてその結果、この男は自分の要求通りの判決を勝ち取り万歳三唱までしている。もうなんだかやるせない。 虚無感しかない。読んでて正直疲れた。
0投稿日: 2023.08.04
powered by ブクログ犯人、頭はいいんだろうが手紙のいちいち気取った文章が鬱陶しかった。それを読んだ他者がどう思うか、みたいな想像力がなくて自分しかない。だからこその「刑務所に入ってそこで暮らしたい」との願望を叶えるための無差別殺傷事件なんだろうが。快楽殺人者ではないのに殺人を平然と行える、後から冷静に回想できるというのもそう。裁判で頓珍漢な発言をするのもそう。著者に血まみれの証拠物件を送ってくるのもそう。あるのは自分だけ。その自分がこうしたら他者からこう見られる、という想像力はない。配慮もない。 彼が襲った女性を庇って亡くなった男性は犯人とは対照的なエリートで運命の皮肉を感じる。 両親から捨てられて祖母に育てられた犯人。母親は子供を捨てて社会福祉活動なんてやってる場合じゃないだろうに本人はそう思ってないらしい。不思議な人だ。山上被告と統一教会信者の母親がオーバーラップした。母親への執着が歪んだ形で表れたような節もある。 「一人殺して無期懲役になりたい」とか「死刑になりたいから殺人する」とか言う人間から身を守る術なんてない。運だけがすべてだ。
1投稿日: 2023.07.21
powered by ブクログ家族の愛情を得られずに育った小島は、 その代わりを刑務所を運営する 「国家」に求めている。 無期懲役になって死ぬまで 三食きちんと食べさせてもらい、 仕事も与えてもらい、 風呂にも入らせてもらい、 粗相をしても始末してもらい、 とことん面倒を見てもらうつもりだ。 やはり幼少期に親をはじめとする 周囲の愛情に包まれて育つかが 人間形成に決定的な影響を与える。
0投稿日: 2023.07.15
powered by ブクログ小島と向き合うことの、大変な苦痛に挫けそうになりながらも、よくも続けて来れたものだと感心した。 読みながらもほとんどが私には理解不能で、なんとか読み続けた時、最後に近い章でようやく、そうだったのかもしれないと腑に落ちた。 ヒトの心の不可思議はなんともならず、きっと家族ですらこうしておけばよかったとの思いすらないかもしれない。なぜなら、家族ですら、当たり前ながら個々のヒトであり、感情があるから。誰一人小島本人のためだけに生きているのではないから。 被害者とその家族の無念とこの先の人生の苦悩に思いを馳せると、果てしない己の無力に愕然とする。
0投稿日: 2023.05.02
powered by ブクログ正義感の底知れぬ恐怖を感じる。ありのままのわけの分からない膨大な量の文章は痛々しい。対しての家族のテンションは怖すぎる。とにかく余韻があるノンフィクション。
0投稿日: 2023.01.24
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
どうしてこういう異常な事が起こってしまったのか。 どうしてこういう異常な事になってしまったのか。 被告は電気工事士の資格も取得しています。本来なら知力的な力もかなり身につけられて、大げさではなくても、他の生き方がいくらでもできたはず。 被告は精神不安定で、発言は自己正当化です。
3投稿日: 2023.01.09
powered by ブクログ読み物として、興味深く面白く読了しました。が、著者も語っているように、被害者遺族が読んだら、怒り、虚無、とにかく許せない中身ではあろうと思いました。そういう意味で、面白いと言い切ってしまうことには、躊躇いを感じます。家族の有り様と、本人の所謂、適応障害のような資質が、このような事件を引き起こしたのでしょうか?解きほぐすには、まだまだ、情報が足りない気もします。裁判では何も明らかにならなかった、と、被害者が嘆くように、動機が不可解すぎるし、罪の意識が無さすぎる犯人ですが、著者は取材を通して、家族不適応と分析したようです。改めて、被害に遭われた方々の、ご冥福と、回復を祈ります。
1投稿日: 2022.10.31
powered by ブクログ遺族が「事件の本当のところを知りたい」と言っていたが、裁判のとおりなのだろう。「刑務所に入りたいから殺人をした」 たとえ遺族が納得できなくても、それは被告人にとってまったくの真実だ。 ではなぜ被告人が刑務所に入りたかったというと、壮大な「試し行為」であったと解釈した。他人を巻き込んでまでのはた迷惑な試し行為ではあるが、当人にとってはそれほどまでに愛情に飢えていたということだ。被告人は読む本を間違えている。心理系の本まで手を伸ばせば、その結論にはいずれ到達していただろう。ただ、それを本人は頑なに認めないだろうけれども。 ここまで被告人と信頼関係を築いて多くのことを引き出せたルポ本は珍しい。称賛に値する。
3投稿日: 2022.05.06
powered by ブクログゔーん、難しい。 全然わからなかった。 誰の言っていることが真実なのかが。 どうしてこんな考えに至ったのか。 根本的には、欲しい時に彼が 思ったような形ではもらえなかった 母からの愛情がどんどん彼を拗らせたのかな。
0投稿日: 2022.02.12
powered by ブクログちょっと言葉が出てこない。この犯人像は…。 死刑にはならないように、でも有期刑ではなく無期懲役となるように、計画的に無差別殺傷事件を起こした男を、継続的に取材したノンフィクション。ことさらに残虐な描写をすることなく、生育歴や人間関係を呑み込みやすいストーリーにまとめることもなく、取材者の実感に即して綴られている。覗き見趣味を煽るような事件ノンフィクションは苦手だが(読んでみたくなるのがイヤなのかも)、そういうたぐいではない。 犯人の小島は子供の頃から、刑務所か精神病院で暮らしたいと言っていたそうだ。理解に苦しむその願望はなぜ生まれたのか。不安定な生育環境や虐待、発達障害やパーソナリティ障害など、いくつもの要因が複雑に絡まり合っているのだろうが、それが無差別殺人につながっていくところに、戦慄を覚えずにはいられない。犯人の母や祖母がどこにでもいそうな、いや、と言うより社会的にも人間的にも普通以上にちゃんとした人に思えるのがつらい。 たまたま新幹線で犯人の隣に座り、いきなりナタで切りつけられた女性二人は、東方神起のコンサートの帰りだったそうだ。そこに割って入って犯人に立ち向かい、命を落とした男性は、後方ドア近くのすぐに逃げられる席に座っていたという。そのことが心から離れない。
7投稿日: 2022.02.05
powered by ブクログよくぞ、ここまで取材を重ね よくぞ、ここまで綴られた と思いました 読み進むうえで 何度も ふぅっ とため息 あまりに やりきれなくて 他の本に手を出し しばらくして また読みだすという やりきれなさ、 まるで不可解、 理解不能、 それらを上回る 筆者の「なぜ?」の究明 に助けられて なんとか最後まで 辿り着きました あとがきの中で インベカヲリさんが ー個人を掘り下げることは、社会を見ることに繋がると 思っている と言っておられる 確かにそうなんだろうけれど… 美輪明宏さんの本のどこかにあった 「根っからの悪人というのは いるわよ」 という言葉が浮かんできました
6投稿日: 2022.01.17
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
2018年6月9日に走行中の新幹線車両で、隣の席の女性と近くの席の女性に鉈で切りつけ、二人を庇った男性を襲い、死に至らしめた小島一朗への取材ルポタージュ。動機が「刑務所に入るため」で「無期懲役がよい」とのことで、無期懲役の判決に万歳三唱をしたことは話題になった。 小島被告には発達障害があり、ADHDとのこと。また猜疑性パーソナリティー障害があるとの診断だった。 著者は随分根気強く取材を行っていたのだなあ、とよく分かる。本人の中では理路整然としているのだろうが、他人からしたら支離滅裂だし、自己中心的としかいいようのない考え方。 人に迷惑をかけたくない、のに 殺人により刑務所に入ることは優先される、という。刑務所内の人権を向上しようとしているとことだが、他者の人権を制限したから刑務所に入ることになった人が大半ではないだろうか。その制限された他者の人権はよいのだろうか。 特に殺人は取り返しがつかない。どうやったって、失われた命は帰ってこない。自分が理不尽に命を奪われるようなことになったら、許せないと、小島被告は言う。でも、自分が奪った命については「自分が刑務所に入ることが(他者の命より)優先されると思った」と。反省もしないし、謝罪もしない。 母親や祖母が言ったという言葉を細かく記憶し、それに拘って、嘘をついている、とか、理不尽だと言う。 小島被告が受けた虐待の数々も家族からの暴言も、本当であるかもしれないけれど、家族にだって言い分はあるだろう。また被告が話を盛っている可能性だってある。事実、祖母と小島被告の証言は全く噛み合っていない部分がある。どんなに虐待を受けていたとしても、新幹線で他人を殺していい理由にはならない。自分の人権が守られなかったからと言って他人を殺していい理由にはならない。 彼に反省をさせることも殺人について後悔をさせることも無理なのだと思う。愛情や教育が人を更生させる、ということもあるだろうが、それらが全く効かないときも、私はあると思う。
6投稿日: 2022.01.10
powered by ブクログ2018年に東海道新幹線車内で起きた無差別殺傷事件。「刑務所に入りたい」という動機。無期懲役となった犯人の実相に迫るノンフィクション。 何とも後味の悪い作品。もちろん筆者のせいではない。犯人の意図の通り無期懲役の判決。無作為に殺された被害者のことを考えるとやりきれない気持ちになる。 筆者は3年間にわたり被告との面会、親族への取材を通じて犯人の実像に迫ろうとするが、結局犯人の本心には近づけない。 模倣犯まで生まれる無差別殺傷事件。結論こそ掴めないが事件の真相を丹念に取材した一冊でした。
3投稿日: 2021.12.15
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
2018年、東海道新幹線内で男女3人が殺傷される事件が起きた。男性が女性二人を庇う形で死亡したというニュースを覚えている方も多いだろう。犯人小島一郎の動機は「刑務所に入りたい」というものだった。よくある貧困から衣食住を得るための犯行かと思っていたが、本書を読み、小島の言う「刑務所に入りたい」はもっと深い意味があったことを知った。 小島が生まれたのは愛知県岡崎市。この頃、両親は仕事の都合で別居していた。母方の実家である岡崎には小島が生まれた年に、大工をしていた祖父が記念にと建てた家があった。小島はこの「岡崎の家」に最後まで強い執着を見せる。3歳の時、両親は再び同居し、一宮に引越すが、この一宮で父方の祖母に「お前は岡崎の子だ、岡崎へ帰れ」などと言われ(小島の話を信じるならば)酷い虐待を受ける。 小島にとって、岡崎は自分の居場所であり、決して追い出されない自分のための場所であるはずだった。しかし、就職後体調を崩し、岡崎へ戻った際、同居の叔父からは出て行くように言われてしまう。 決して追い出されないはずの「岡崎の家」から追い出された(と感じた)小島は刑務所にこそ、その代償を求めるようになる。刑務所はいくら反抗しようと、「出ていけ」とは言われないからだ。著者も書いているが、小島は家庭の代わりに国家に養育を求めたのである。最終章で描かれる、小島の刑務所内での様子はまさに「幼児帰り」と呼べるような行動で、彼の面倒を見る羽目になった刑務官たちが育て直しをさせられているかのようでもある。法律は条文通りに彼の生命を守り続ける。ガラス張りの観察室に入れられ、徹底的に保護されることで、彼は一応満足しているようだ。しかしそれは所詮満たされなかった家庭の代替行為に過ぎない。無期懲役の判決を受けた小島はこれから何十年も先、刑務所ですごさねばならないだろう。その間に、その代替行為の虚しさに気付くことはあるのだろうか。それともそれでもなお、刑務所にいることを望むのだろうか。 小島には元々発達障害があり、言われたことをそのまま受け取る特性があった。アスペルガー(今日ではASD)の得点は低く、ADHDと診断されるが、この物事を言われた通りに受け取り、融通が効かないという点はむしろASDに該当するのではないかと思う。「元息子」などと発言し、ネットで叩かれた彼の父もまたASDであるように思われる。母親はホームレスの支援活動などに精を出し、あまり息子の様子を気にかけていなかったようだが、幼少期にもっと適切な療育を受けることができたならば…と思わずにはいられない。
2投稿日: 2021.12.11
