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生の短さについて 他二篇
生の短さについて 他二篇
セネカ、大西英文/岩波書店
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総合評価

117件)
4.0
29
47
23
4
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    「生の短さについて」 とあるが、逆に ちゃんと生きれば生って長いよ。 って書いてあっておもしろかった。 後「過去」「現在」「未来」とあったときに、 「現在を生きろ」という話だけでなく 「過去も大切にしよう」 という話が入っていて新鮮だった。 確かに、「過去を楽しむ」という姿勢はかけていたかもしれない。新たな視点だった。

    1
    投稿日: 2025.10.29
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    光文社古典新訳文庫がよかったから岩波も借りてきた!他2篇の1つだけがそれぞれ違います。 素晴らしいものは何回読んでもいいなぁ〜!! 目標を持つことって大事だけど見合ってなかったり、それゆえ達成できず自分はダメだ…みたいな人をよく見かける。今も2000年前も人間って変わってないから一回みんな読んだ方がいいね〜 どうしたらよく生きることができるかわかるし、解説にもあるように何かを学ばずには読み終えられない一冊!! それぞれ誰かに向けての形式なんだけど、だんだん相手と読み手である自分が同化してきて、セネカが自分に向けて語りかけてくるように感じられる!だからこそより一層学べる感じがするぞい! 富(といっても私にとってのちっこい富笑)でお高いバッグ買おうかなと血迷ってたけど、さらに愚者極めることになるのでやめます!バッグに支配されないぞーー!! 素晴らしいことに変わりはないのだが註釈がたくさんある上逐一ページをいったりきたりする必要があるのが大変だったので星4!! 【以下お気に入りメモ】 77 心の平静について よくない状態にいる原因:自己嫌悪!! なぜそうなる?→心の平衡の欠如・臆病な欲望・完全に満たされない欲望。望むだけのことを思い切って出来なかった/達成できなかったりして、全てを希望に託すこと。 こういう人間は常に不安定で流動的だが、何事も中途半端な者の必然的な結果。 自らの願いを達成しようとして不名誉なことや困難なことも自らに強いるが、苦労が報われなければ恥辱感に苛まれ、歪んだものを望んだことを嘆くのではなく望みが徒労に終わったことを嘆く。 そうして挫折した目論見への後悔の念も、新たな目標に着手することは恐れて出来ず、かと言って欲望を自制したり満足することもできず、出口を見出せない心の動揺や思い通りにいかない生への躊躇で無気力になっていく。 107:立派に死ぬ術をしろう!!すげー!! 112:出来ないことを達成したいと望むことはよくない。ことが成就しなかったり、たとえ成就してもそれを恥じる場合、悲哀が生まれるのでそれらも良くない。 ↑本当それすぎ〜。年始にバカ高く抽象的な目標立ててる人とか大丈夫なの?って思ってる。目標は小さく現実的に細かく具体的に立てた方が精神にいいよね。たとえば本5冊読む!それ達成したら10冊読む!とか… 190 富は悪いのか?について 富は賢者にあっては所有者である賢者に隷属するが、愚者にあっては所有者である愚者を支配する!賢者は富に何の権利も求めないが、愚者にとっては富が全て!富に縋り付いてしまう!! 賢者は富の中にある時こそ貧窮に思いを致す。賢者は今あるものに喜びを見出す。 ↑すげー!!今ちょっと物欲が減った気がする! 物欲がない友達、賢者に近いのかもしれん!笑

    9
    投稿日: 2025.10.16
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    文章や言っていることの内容は難しくなく、哲学初心者にも読みやすいと思った。しかし日々を必死に生きないといけない現代人の我々には生活に実践することができなさそうである。ただ、こういった人生の見つめ方もあるのだと新たな勉強になった。

    0
    投稿日: 2025.09.05
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    ストア派の哲人、セネカによる人生論幸福論。表題「生の短さについて」「心の平静について」「幸福な生について」の3篇からなる。 幸福に生きるための人生ガイドのような感じかな。ただしストア哲学的な幸福を享受するには理性に基づいた、だいぶストイックな生き方をしなくてはならないことにはなるが、それでも理性に従わない生き方がいかに不幸であるかということを例を上げながら滔々と語られると「なるほど確かにそうかも」と思わせる説得力がある。さすが哲人。 哲学(倫理学)の書だからとか岩波だからとかで構えてしまうかもしれないが、中身は拍子抜けするくらい難しくない。哲学的理論を実践に落とし、どのように行動すべきかについてを我々に諭してくれている。 何より面白いのは、2000年前に書かれた本書の人生訓について身につまされるところである。なんというか、人間2000年経ってもほとんど学習しないんだなっていうことが非常によくわかる。物心ともに満たされた社会にあると、多くの人が放蕩する。そして少数の人がそれを諌める。その勢力図は2000年経っても変わらない。 未来を変えるっていうのは、いかに難しいかっていうことを合わせて本書は知らしめてくれているように思える。理性のレベルを変革させるっていうのは、ダーウィン並の進化が必要なのではないかという気の遠くなるような思いすらする。 まあそれはともかく、ストア派の思想は多くのビジネスリーダーにも支持されているので野心ある若者はぜひ一読しておくことをおすすめしたい。 人生の段階によっても、読み方が変わるんじゃないかな。20代はきっと「無理だよこんな生き方つまんないもん」って感じると思う。でも40代以降は「あーそうそう。そうなんだ。残りの人生こんなふうに追っていきたいんだ」って感じる人が多いはず。

    15
    投稿日: 2025.06.15
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    このレビューはネタバレを含みます。

    SNSで見かけて気になったので読んでみた。 本書には『生の短さについて』『心の平静について』『幸福な生について』の三篇が収録されている。 このような哲学書を読むのは初めてだったが、思ったよりも読みやすくて驚いた。 時間はかかったものの、最後まで読みきることができた。 全てを理解できたとは言えないが、ストイックな自己啓発書のような読み心地で、サッパリした文章を読むのが楽しかった。 しかし著者と自分の間に時間が空いているため、現代の自己啓発書のようなプレッシャーは感じなかった。 いい意味で、好きなところを選んでいくことができる。 言い回しがかっこよく、痺れた箇所がいくつもあった。 訳者による『解説』は内容を理解する助けとなったので、ぜひ読んでほしい。 三篇とも献呈相手への呼びかけで始まり、会話をしているかのような文章で進んでいく。 その形式で読んでいくと、だんだんセネカと自分との会話になっていき、最終的には自分と自分との会話のような感覚になっていった。 こうした形式だったからこそ、初心者の私でも読み進められたのかもしれない。 タイムマシンで現代に飛んできたことがあるのでは?と思うくらい、現代の私たちと共通する部分があり、「今と何も変わらないなぁ」と感じることが多々あった。 人間が抱える普遍的な悩みや葛藤について考える良い機会になった。 そして、「今の自分の苦しみは、自分が特別劣っているせいではなく、人間ならば誰でも抱くものなのだ」と思えた。 同じようなことを抱えていた人が過去にもいたのだという事実は、時に私たちを励ましてくれる。 以下に、特に印象に残った箇所を引用する。 . 人間の生は、全体を立派に活用すれば、十分に長く、偉大なことを完遂できるよう潤沢に与えられている。しかし、生が浪費と不注意によっていたずらに流れ、いかなる善きことにも費やされないとき、畢竟、われわれは必然性に強いられ、過ぎ行くと悟らなかった生がすでに過ぎ去ってしまったことに否応なく気づかされる。われわれの享(う)ける生が短いのではなく、われわれ自身が生を短くするのであり、われわれは生に欠乏しているのではなく、生を蕩尽する、それが真相なのだ。 (P12『生の短さについて』) 君たちの生は、たとえそれが千年以上続くとしても、必ずやきわめてわずかな期間に短縮されるに違いない。君たちのそうした悪習がどの世紀をもことごとく食らい尽くしてしまうからである。実際、生のこの期間は、自然のままに放置すれば足早に過ぎ去り、理性を用いれば長くすることのできるものであるが、君たちから逃げ去るのは必然である。なぜなら、君たちはそれをつかまえようとも、引きとめようともせず、「時」という、万物の中で最も足早に過ぎ去るものの歩みを遅らせようともせずに、あたかも余分にあるもの、再び手に入れることのできるものであるかのように、いたずらに過ぎ行くのを許しているからである。 (P24『生の短さについて』) 時間を残らず自分の用のためにだけ使い、一日一日を、あたかもそれが最後の日ででもあるかのようにして管理する者は、明日を待ち望むこともなく、明日を恐れることもない。 (P28『生の短さについて』) 人は、これを、次にはあれを、と考えをめぐらせ、遠い将来のことにまで思いを馳せる。ところが、この先延ばしこそ生の最大の浪費なのである。先延ばしは、先々のことを約束することで、次の日が来るごとに、その一日を奪い去り、今という時を奪い去る。生きることにとっての最大の障害は、明日という時に依存し、今日という時を無にする期待である。君は運命の手中にあるものをあれこれ計画し、自分の手中にあるものを喪失している。君はどこを見つめているのか。どこを目指そうというのであろう。来るべき未来のものは不確実さの中にある。ただちに生きよ。 (P32『生の短さについて』) . セレーヌス、健康に問題があるのではなく、健康に慣れていないことに問題があるのだ。これを喩えて言えば、静かな海にも立つ漣(さざなみ)、特に、嵐が過ぎて静まった海のそれのようなものである。だから、必要なのは、ある場合には自分の前に立ちふさがったり、ある場合には自分に怒ったり、ある場合には自分に対してつらく当たったりするといった、われわれがすでに卒業したかつてのあの厳し過ぎるほどの方法ではなく、最後にやって来る方法、つまり、自分を信頼すること、そして、ある者は正しい道に程近い道をさまよっているとはいえ、四方至る所で交錯している多くの者たちのたどる誤った道に決して惑わされることなく、自分が正道を行っていると信じることである。 (P75『心の平静について』) さまざまな欲望があたかも厄介な腫れ物のように吹き出た精神にとっては、苦しみや悩みは(ある種の)快楽となると言ってよい。われわれの身体の場合でも、ある種の苦痛を感じながら、なおかつ喜びを覚えるものがある。 (P80『心の平静について』) 運命が優勢となり、行動の機会を断ち切ったからといって、即座に武器を投げ捨て、あたかも運命が追跡できない場所があるかのごとく、潜伏場所を求めて背走するようなことはすべきではない。義務的な仕事に精力を注ぐのを控えめにして、なすべき仕事を選択したあと、国家に役立てる何かを見つけ出すべきなのである。 〈略〉 たとえ他の人たちが最前線を占め、たまたま君が第三線の一員として配置されたとしても、君はその第三線から叫び声で、激励の言葉で、率先垂範で、勇敢さで戦うべきだ。両手を斬り落とされても、なおも踏みとどまり、叫び声で加勢しようとする者は、戦闘の中で味方に寄与できる自分の役割を見出したことになる。君も何かそのようなことをすべきなのである。 (P86〜87『心の平静について』) 生はことごとく隷属なのである。それゆえ、みずからの置かれた境遇に慣れ、できるかぎりそれを嘆くのはやめて、自分のまわりにあるどんな小さな長所をも見逃さずに捉えるよう努めねばならない。公平な心が慰めを見出せないほど過酷な運命などないのである。往々にして、わずかな敷地も、巧みに区分けすれば、さまざまな用途の道が開け、狭い空間も配置次第で居住できるものとなる。困難に対処するには理性をもってするがよい。過酷なものも緩和され、険隘(けんあい)なものも開かれ、過重なものも巧みに担えば苦しみも減る。さらに、さまざまな欲望には、遠くのものではなく身近にあるものを求めさせ、捌け口を与えてやるようにしなければならない。われわれの欲望は完全に閉じ込められることには耐えられないからである。実現不可能なもの、実現可能であっても困難なものは断念し、身近にあり、われわれの期待に望みをもたせてくれるものを追い求めるようにしよう。ただし、すべてのものは、外見は種々の様相を見せはするものの、内実は等しく虚しいものであり、由ないものであることを知っておかねばならない。 (P104『心の平静について』) さらに、不安を生ぜしめる小さからざる要因となる例のものがある。多くの者たちの生がそうであるように、何とか世間体を繕おうとあくせくし、誰に対しても自分のありのままの姿を素直に見せようとはせずに、虚構の生、見せかけの生を送る場合がそれである。実際、絶えず自分のことを気にするのは苦痛以外の何ものでもなく、ふだんの自分と違った姿を見つけられるのではないかという恐れが常につきまとう。人に見られるたびに自分が評価されていると思うかぎり、われわれが心配から解き放たれることはない。なぜなら、嫌でも裸の自分をさらけ出さざるをえない事態が多々生じるからであり、また、たとえ自分を繕おうとするそれほどの熱意が功を奏するとしても、常に仮面をつけて生きる者の生は楽しくもなく、心穏やかなものでもないからである。それに反し、率直で飾らず、いささか自分の性格を覆い隠さない純朴さには、どれほど大きな喜びがあることだろう。もっとも、一つ残らずすべてを万人に開けっぴろげにしたりすれば、その純朴な生にも蔑視の危険が忍び寄る。何であれ、近しくなったものに対しては蔑みの念を抱く者がいるからである。だが、徳には、目を近づけて眺められても、安っぽく見られる危険はないし、また、絶えざる見せかけのために苦しめられるよりは、純朴さで蔑まれるほうがまだしもましなのである。ただし、これには節度を用いるようにしよう。純朴に生きるか、おざなりに生きるかでは、雲泥の差がある。 (P124〜125『心の平静について』) . 何よりも肝要とすべきは、羊同然に、前を行く群れに付き従い、自分の行くべき方向ではなく、皆が行く方向をひたすら追い続けるような真似はしないことである。さらに、多数の者が同意して受け入れたものこそ最善のものと考えて、事をなすに世評に頼ること、また、〈われわれには〉善きもの〈として通用している〉先例が数多くあるが、理性を判断基準にするのではなく、人と同じであることを旨として生きることほど、大きな害悪の渦中にわれわれを巻き込むものはないのである。 (P134『幸福な生について』)

    3
    投稿日: 2025.05.15
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    上から目線で、とかく批判を繰り返す語り口に苦手だな、という印象を持った。 ただ、批判の相手とする君(君たち)がセネカ自身であり、自己との対話とみると、嫌な印象が減ったと感じた。富に関する記述などは言い訳がましく感じたので、あまり肌には合わなかった。 とはいえ、読んで良かったと思うくらいには学びを得たと思う。

    1
    投稿日: 2025.05.03
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    ストア派哲学者・政治家セネカの3篇。ひぐ的に響いたフレーズで振り返ってみよう。 『生の短さについて』 ・生きることによっての最大の障害は、明日という時に依存し、今日という時を無にする期待である(p32) ・ただちに生きよ(p32) 『心の平静について』 ・人に関しては、明らかに選択が必要であり、相手がわれわれの生の一部を費やすに値する人たちであるかどうか、われわれが自分の時間を費やしているという事実がその人の心に届くかどうかを考慮しなければならない(p93) ・自分のまわりにあるどんな小さな長所をも見逃さずに捉えるよう努めねばならない。公平な心が慰めを見出せないほど過酷な運命などない(p104) 『幸福な生について』 ・名誉あるものを唯一の善、恥ずべきものを唯一の悪とみなす精神(p141) ・真の幸福は徳に存する(p165) 2千年も読み継がれてきた名文。“今日という時を無にしない”ためには古典を読むに限る。

    0
    投稿日: 2025.04.20
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    ストア派哲学者による名著 文体が硬く、少々読みづらいが、「時間」「幸福」「徳」「快楽」など 人類普遍のテーマについて取り扱っている セネカの考え方は少々ストイックで高次元なので 堕落した(セネカから見れば)現代の価値観には所々馴染まない 断定口調の道徳の授業を聞いている気分になった それでも、この本を繰り返し読むことで、 より高次な生にしていければ、と思う にしても、哲学者が病むのはよく分かる 人生や幸福とは究極的に答えがない問いだから、考えるのは大変な労苦を伴う ●生の短さについて セネカは時間を浪費する人を手厳しく批判する それは、怠惰な人だけでなく、忙しい人も対象に入っている 生に向き合う閑暇の時間を取れていないのは、死んでいるも同然と。 ということは、私は大部分の時間死んでいた?と省みざるを得ない ●幸福な生について セネカは徳を最高善と据え、それらを目標にすべきと説く。 そして、快楽は徳とは正反対の位置にあり、快楽に支配されてはならない。 これは富にも応用される考え方であり、富に支配される人生は送ってはならない 富に支配されるのではなく、富を利用し、最高善に近づくべきである

    5
    投稿日: 2025.01.18
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    哲学書を初めて読んだ。セネカのこの本は死ぬまでのお付き合いとなりそうだ。2000年前に書かれた内容が今の時代でも違和感がないことばかりだ。これって人間の本質が変わらない事を証明しているのではないかと思えた。 「今」という時間をどう使うかで「浪費」になるか「活用」になるか。「活用」出来ていれば生は長くなる。と理解した。

    1
    投稿日: 2024.11.21
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    私の人生のバイブル。 「人生は短いのではなく、本人がそれと知らずに浪費しているだけ。金銭のように自分の時間を確固として守り、より良い生き方のために使うべき。」 まさに言うは易し、行うは難し。でも実践しなければ浪費する一方。やるしかない!

    2
    投稿日: 2024.09.15
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    I'm reminded of this book often in my daily life. since I had read this book, I came to find myself conscious about what I spent my time, not to consume for meaningless, irritating stuff.

    0
    投稿日: 2024.03.03
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    「われわれの享ける生が短いのではなく、われわれ自身が生を短くするのである。われわれは生に欠乏しているのではなく、生を蕩尽する」 古代ローマの哲学者セネカによる「生の短さについて」、「心の平静について」、「幸福な生について」の三篇が収められた本です。 最初は何となくパラパラと読んでいたものの、気がつくと片手にペンを持ち、あらゆる文章を蛍光に染めながらページをめくっていました。「生の短さについて」では、老後まで閑暇の時を先延ばしにせず、哲学を追求し偉人の思想に触れることで人生は長く充実したものになると述べています。丁度、併読していた「DIE WITH ZERO」というベストセラーとの比較でいうと、「老後に計画を先延ばしにするな」というメッセージは同じである一方で、哲学に時間を使うべきと述べている点で異なっています。 二千年以上前の哲学者の言葉に触れることが出来るという読書の醍醐味を再認識したことに加えて、翻訳者の教養の高さが窺える文体も印象深かったです。人生において指針としたい言葉が数多くあり、この本に出会えて本当に良かったと思えました。

    2
    投稿日: 2024.02.23
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    このレビューはネタバレを含みます。

    政治家であり、ストア思想の代表者として数えられるセネカの書。 ストア哲学はその実用性(?)がゆえに多くのビジネス書でも取り上げられるケースが多いですね(といっても、私はビジネスの領域で哲学の活用をうたう安直な言説には否定的なのですが。人間として日々の一瞬一瞬を哲学的に生きられない者が、ビジネスシーンで哲学的にふるまうことが可能なのでしょうか?)。 本書は表題にある『生の短さについて』のほか、『心の平静について』『幸福な生について』の三篇で構成されます。そのいずれを読むにつけ、身につまされる思いになります。。。 『生の短さについて』でセネカは、「我々にはわずかな時間しかないのではなく、多くの時間を浪費する」のであり、「全体を立派に活用すれば、十分に長く、偉大なことを完遂できるよう潤沢に与えられている」と説きます。 時間がない(なかった)!と老齢になってから嘆く者についてセネカは言います。「彼は長く生きたのではなく、長く ”いた” だけのことなのだ」と。これはグサリときますね。。。 「怠惰な忙事」に陥らないよう、我々は誰と付き合い何をなすべきか?その心構えや態度が説かれます。 『心の平静について』は、セネカの弟子であり友人でもあるセレーヌスの悩みにこたえる対話形式で構成されます。 セレーヌスは素朴で倹約家であるものの、周辺で繰り広げられる豪奢な催し(パーティーですね)に心をざわつかせ、また一時的な気分から気宇壮大な態度になってしまう自身の浮ついた性格に不安を覚え、これをセネカに相談します(真面目だねぇ)。 これに対するセネカの助言や説明は非常に現実的であり、参考になります。 「・・・そういう人々の身体はねセレーヌス、健康に問題があるのではなく、健康に慣れていないことに問題があるのだ・・・自分が正道を行っていると信じることである」とセネカは言います。 国政に携わることは立派だが、「カルタゴの総監のような存在」のみが国事ではなく、「両手を切り落とされてもなお踏みとどまり、叫び声だけでも加勢しようとする者」も(なせる限りをなしているという意味で)立派である。 学問研究は立派だが、「読み切れない万巻の書にあたること」のみがこれに該当するのではなく、「少数の著作家に身をゆだねる」ことの方がはるかにマシである。 このような身の丈に合った現実的な思想は非常に参考になります。 『幸福な生について』では、世間で流布される幸福の基準に振り回されるのではなく、何が幸福なのか?を自身で見つめなおすことの重要さを考えさせられます。 「何よりも肝要とすべきは、羊同然に、前を行く群れに付き従い、自分の行くべき方向ではなく、皆が行く方向をひたすら追い続けるような真似はしないことである。」 一方でセネカは、富や名声を否定しませんし、むしろ肯定します。「賢者は財産に執着しないが、財産を持たないよりは持つに越したことはないと思うのである。・・・それを保管し、みずからの徳を涵養するためのより大きな資源として役立てようと望むものである」と。ここでもセネカの現実的で堅実な思想が読み取れますね。 本書を読んで感じたことは、まず自分の日常生活に照らして考えやすい、という点です。そもそもセネカも(古代ローマの生活を前提としていますが)日常生活に照らして思考や行動のあり方を説いていますので。 そして背伸びせず、今の自分にできる範囲での改善を説いている(と私には感じられました)点もとっつきやすいと思います。 自身の今後の「生のあり方」を見つめなおすのに、まず最初に触れていただきたい一冊だと思います。

    0
    投稿日: 2024.02.11
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    生は浪費すれば短いが活用すれば長い…スマホに時間を溶かされている現代人必読の書。 古代ローマの歴史ややギリシャ哲学についてもう少し勉強してから読み直したら、もっと面白いんだろうな…

    0
    投稿日: 2023.12.04
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    本棚整理していたら懐かしいと思って、以下感想(思い出し) 「ジャネーの法則」、一生における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例するというというものや、「光陰矢の如し」と言われる通り、月日や人生の流れが早い様をあらわす言葉や考えはこの世にたくさんある。 本書でセネカは、「われわれが人生を短くしているのだ。」、「われわれが人生を浪費しているのだ。」と述べている。 人生をどう捉えるかは本人次第、加えて、運命の支配下にある未来に何もかも託したり、そのような未来のために今多忙を極め、月日を無駄にするのではなく、確定した過去と向き合い、今を生きる大切さを説いているように感じた。 未来への自分への投資も立派だが、今自分が何をしたいか、それに時間やお金を使うことは全くもって人間の性たる軽忽な行いのひとつではないことが分かる。 キリスト教や古代ギリシア・ローマに文化的背景をもつ欧米圏の人々と違って、仏教や儒教の影響を受けてきた日本人からすると、アジアとヨーロッパとで分けてしまう人もいるかもしれないが、それらは全く対極にあるというわけではなく、むしろそれらで通ずるところは多いにあって、「無為自然」を説いた「老荘思想」なんか特にそれ自体にこういう考えを見出すことができる 決して、流れに身を任せて生きるという部分だけを強調するのではなくて、(難しくなりそうなので簡単に言うと)今の自分を生きて、その後のことを流れに任せようということ 古い道徳感を今更押し付けるなよとか、2000年も前の哲学に興味ある方にはオススメ

    2
    投稿日: 2023.11.17
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    生は浪費すれば短いが、活用すれば長い。人は、時間が無形であるため、時間の価値を見誤り、浪費してしまうことがほとんどである。 ここまでの主張はとても刺さる。心に留め置きたい。 しかし、真に生を活用できるのは哲学のために時間を使う人のみというのはどうだろう。90歳になっても弁護士をしている人も、他人に時間を奪われているとバッサリ切り捨てられていたが、本当にそうだろうか。最後まで人の役に立つことを願って生き続けるのも、案外悪くないんじゃないかと思うが、この答えは実際に死期を迎えないとわからないことだ。 いずれにせよ、今を主体的に、大切に生きるということは忘れないようにしたい。

    0
    投稿日: 2023.11.04
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    人は長生きする保証はない。有益な計画を50.60歳までも延ばしておいて、わずかな者しか行けなかった年齢からはじめて人生に取りかかろうとするのは、何か人間の可能性を忘れた愚劣なことではないか。 毎日に意味を見い出して、生きようと思う。

    0
    投稿日: 2023.10.21
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    光文社の古典新訳文庫版を読みましたが、とてもわかりやすい訳でした。2000年前以上前の先人達の言葉にたくさんのヒントを得るなんて素敵なことだと思います。ギリシャ古典文学も色々読んでみたいと思いました。

    0
    投稿日: 2023.05.27
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    君たちは永久に生きられるかのように生きている。▼忙しさで心が散漫になると、なにごとも深く受け入れることができなくなる。そして、すべてのものを、むりやり押し込まれたかのように、吐き出してしまう。p.37▼生きることの最大の障害は期待である。それは明日に依存して今日を失うことである。セネカ『生の短さ』 無為に過ごした80年は何の役に立つというのか。その人は生きたのではなく、人生をためらっていたのだ。死ぬのが遅かったのではなく、長い間死んでいたのだ▼運命は望む(志ある)者を導き、望まぬ(志のない)者を引きずっていく▼どこにでもいる人はどこにもいない。旅に人生を送る人たちは、多くの歓待を受けるが、友情を結ぶことはひとつもない▼不要なものは一文でも高い(大カト)。セネカ『倫理書簡集』 人から命を奪うことはできるが、人から死を奪うことはできない。セネカ『フェニキアの女たち』 死後どこへ行くのか。まだ生まれない者たちのところへ行くのだ(2-30)。セネカ『トロヤの女たち』 怒りは必要である。怒りは気概に火をつける。ただし、怒りを指揮官ではなく、兵士として扱わねばならない(アリストテレス)。セネカ『怒りについて』 財産は、賢者にあっては奴隷の地位にあるが、愚者にあっては支配者の地位にある。セネカ『幸福な生活について』 所有の少ない人が貧しいのではない。渇望が多い人が貧しいのだ。セネカ『手紙』 恩恵を施す者はそれを隠せ。恩恵を受けた者はそれを公にせよ。セネカ『恩恵について』 一度も不幸な目に遭わなかった者ほど不幸な者はいない(デメトリオス)。セネカ『摂理について』 難しいからやろうとしないのではない。やろうとしないから難しいのだ。セネカ ※セネカ。道徳哲学。皇帝ネロ(在位54~68)の先生。属州ヒスパニアのコルドバ生まれ。 ******* 竪琴(たてごと)を弾いて歌う人は、自分独りで歌うなら不安を感じない。しかし聴衆の前に出ると、たとえ非常に声が良く、竪琴を見事に鳴らしても不安になる。なぜなら彼は見事に歌いたいだけでなく、拍手喝采もされたいから。しかし「拍手喝采」は彼がどうにかできるものではない。p.171.▼自分ではどうにもならない意志外のことには大胆に、自分の意志でどうにかなるものには細心であれ。死に対しては大胆に、死の恐怖に対しては細心であれ。p.125-127.▼君は私の足を縛ることができる。しかし私の意志はゼウスでも征服できない。p.17エピクテトス『人生談義』 自分自身を統治できない者は自由ではない。エピクテトス『断片』※ローマ帝政、ネロ時代。 ***** 死を安らかな心で待て。死は生物を構成する要素が解体するにすぎない。万物の変化と解体は自然による。自然によることに悪いことは一つもない。私の魂も物質も消滅して無になることはない。私のあらゆる部分は変化して、宇宙のある部分に配分され、それが新たに宇宙のほかの部分に変えられる▼何かをしたために不正である場合だけでなく、何かをしなかったために不正である場合もある▼すべて君が苦手だと思うものに慣れよ。左手は習慣のないために他のあらゆる仕事には不器用なのに、手綱は右の手よりもしっかりと持つ。これは慣れているからだ▼もっともよい復讐の方法は自分まで同じような行為をしないことだ▼得意にならずに受け、いさぎよく手放せ▼苦しみには限界があり、恐怖に想像を加えることしなければ、堪えられないことはなく、また永続するものでもない。マルクス・アウレリウス(121-180)『自省録じせいろく』

    2
    投稿日: 2023.04.26
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    生は浪費すれば短いが、活用すれば十分に長いと説く『生の短さについて』。心の平静を得るためにはどうすればよいかを説く『心の平静について』。快楽ではなく徳こそが善であり、幸福のための必要十分条件だと説く『幸福な生について』。実践を重んじるセネカ(前4頃―後65)の倫理学の特徴が最もよく出ている代表作3篇を収録。

    0
    投稿日: 2023.04.01
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    図書館で借りた。 私の岩波文庫を読んでみようシリーズ。古代ギリシャ哲学からセネカの「生の短さについて」「心の平静について」「幸福な生について」の3篇で構成されている。 どれもセネカから友人(親戚?)宛の手紙となっている。 「生き方次第で、短くも長くもなるよ」「人と触れ合ったり、たまに酒に溺れてもよかろう」「真面目に働くのも幸福だ」といったメッセージと咀嚼した。解説の項で「日本で広まっていないのは、セネカが『論語』と同じじゃないかと感じるから」とあり、私はピンとこなかったので、論語と読み比べてみようと思った。 この本を哲学書であると思うと小難しいが、他の人の感想にある「気の良い、物知りおじいさんの手紙」と思うとなんとなく身近な存在に感じられ、読みやすくなった(笑)

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    投稿日: 2023.04.01
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    時間を浪費するには生は短く、ちゃんと使えば長い。 人は人のために時間を使いすぎで、自分のために時間を使っていない。 本来は自分のために時間を使うべきであるのに、時計の針を他人に委ねて行動する。 少しの暇ができても、手持ち無沙汰になり、忙殺されることを好む。 本来、人生というのは他人のために浪費している時間はない。自分の人生を哲学し、その哲学を醸成するために時間はある。そして、その哲学を誰かに聞いてもらい、また聞くことによって、その生を永らえさせる。 実際のところ、生とは自身の哲学を形成して、人に委ねることなのかもしれない。 ひとまず、過去の偉人達はボコスカ言ってくるのが好き。笑 他人のことと言えば、SNSとかもそうなんだろうな。 セネカが現代人のスマホ依存を見たら、きっと発狂してしまうだろうな。。笑 ⁡どうでもいいけど、ソクラテスをソークラテースって書くの、好き。

    1
    投稿日: 2023.02.02
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    このレビューはネタバレを含みます。

    「生の短さについて」と「心の平静について」の2本立てで構成。 ・人間は多くの時間を浪費する ・人間の生は、全体を立派に活用すれば十分に長く、偉大なことを完遂できるよう潤沢に与えられている ・生は浪費すれば短く、活用すれば長い ・偉人の特性は、自分の時間が寸刻たりともかすめとられるのを許さないこと。どれほど短かろうと、自由になる時間を自分のためにのみ使うからこそ、彼らの生は誰よりも長い。 ・彼らは寸刻たりとも他人の支配に委ねられる時間はなかった。時を誰よりも惜しむ時の番人として、自分の時間と交換してもよいと思う価値のあるものは、彼らには何も見出せなかった。 ・自分の生の多くの時間を人に奪い取られる者が生を不足とするのは理の当然 ・何かに忙殺される人間には何事も立派に遂行できないという事実 ・誰もが現在あるものに倦怠感を覚えて生を先へ先へと急がせ、未来への憧れにあくせくするのである。 ・だが時間を残らず自分の用のためにだけ使い、一日一日を、あたかも最後の日でもあるかのように管理する者は、明日を待ち望むこともなく、明日を恐ることもない。 ・未来のことは、時の運に決めさせればよい ・これ見よがしの見栄を排除し、装飾性ではなく実用性をもって物の価値を測ることに慣れよう。 ・自然は我々人間に、災難の緩和剤として「慣れ」を見つけ出してくれ、耐えがたいほど過酷な艱難もすぐに馴染みになるように導いてくれる。 【幸福な生について】 ・まず自分の求めるものが何かを措定する。次に周囲をよく見渡し、どの道をたどれば目的地に最も早く到着できるかを見て取る。 ・どこを目指して進んでいくのか、どの道を辿るのかも決めなくてはならない。 ・人生の旅は、最もよく踏みならされ、最も従来の激しい道こそ、最も人を欺く道である。 ・だから何よりも肝要とすべきは、皆が行く方向をひたすら追い続けるような真似はしないこと。 ・群衆が殺到し、押し合いへし合いするとき、折り重なる人の山が出来る ・幸福な人とは、理性の恩恵によって欲望を覚えず、恐れを抱かない人。 ・幸福な人とは、現在あるもので満ち足りている人、今ある自らの所有物を愛してる人。

    4
    投稿日: 2023.01.30
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    育児、仕事に追われてあっという間に過ぎていく毎日にふと疑問を感じてこの本を読んでみた。 気づいたこと。 ・人生はあっという間ではなく、人生の時間を自分だけに使えばとても長く、人生で偉業も成し遂げることも可能。 ・時間は人間が平等に与えられた財産である。しかも、金等と違って増えることはなく減る一方の貴重な財産なのだ。 ・金や大事な物、車や家等の財産を他人に奪われたら抵抗するだろう。しかし、時間については他人に奪われても平気でいるのはなぜか。進んで自ら人に捧げたりもする。仕事をするということは他人に時間という貴重な財産を与えているのだ。 ・そんな貴重な時間をどうしたら有意義に過ごせるか。明日死ぬかもしれないという気持ちを持って一瞬一瞬を大切に過ごすことだ。 ・更に過去を振り返ってみることもいい。過去は誰にも奪えない自分だけの財産である。いい思い出ならその思い出に浸ってみるのもいいし、悪い出来事なら今後も繰り返さないように振り返り反省してみると良い。 ・過去を振り返る点で言えば、哲学を学び人生とはなにか内省することはとてもいい。読書は過去の偉人と会話できるタイムマシンみたいなもので、いつでも助言をくれる。哲学と読書はいい人生を送るのに最高だ。 今後。 時間=財産という認識を日頃から頭に叩き込んで置く必要がある。ついつい、無駄に過ごしてしまったり、仕事を優先して他人に時間を捧げてしまったりするからだ。 また、哲学を学び続けて、読書をして過去の偉人と会話することで人生を内省してさらに良くしていくように努めたい。

    2
    投稿日: 2023.01.15
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    読み終えたがまた読み返したい本。理解及びないところもあるが、『心の平静について』は今の現代にも通用することがあった。 「心が休まなく働くことから生ずるものは、或る種の無気力と倦怠感である。」 まさにその通り。

    2
    投稿日: 2023.01.01
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    2022年最後の読書。 セネカはローマ帝国時代の政治家、哲人だそうな。 この文庫版は、 ・生の短さについて ・心の平静について ・幸福な生について の3章を抜粋。 もっと若い時分に読めれば良かったかとも思う痛い内容であるも、今にならなければ感じ取れない部分も多々あろうかとも思う。 『人間の生は、全体を立派に活用すれば、十分に長く、偉大なことを完遂できるよう潤沢に与えられている。しかし、生が浪費と不注意によっていたずらに流れ、いかなる善きことにも費やされないとき、畢竟※、われわれは必然的に強いられ、過ぎ行くと悟らなかった生がすでに過ぎ去ってしまったことに否応なく気づかされる。われわれの享ける生が短いのではなく、生を蕩尽する、それが真相なのだ。』 『われわれが追及しようとするのは、どうすれば精神が平坦で楽な道をたどれるか、どうすれば精神がみずからと穏やかに折り合い、みずからの特性を喜びをもって眺め、その喜びを断たずに、有頂天になることもなく、かといって鬱屈することもなく、静謐な状態を保ち続けられるかという問題である。この状態こそ、心の平静というものであろう』 『なぜお前は自分の現実の生以上に威勢のいい話をするのだ。なぜお前は目上の者にはへりくだった言葉を使い、金を必要な手段とみなし、危害をこうむれば動揺し、妻や友人の訃報を聞いて涙し、世評を気にかけ、悪意の中傷に心を痛めたりするのだ。...』 訳者は、解説でセネカがヨーロッパに比べ日本で知られていないと嘆くが、本書も翻訳した後の単語があまりにも一般的表現でないことですんなり読みにくいというのも原因として少なくないのではと思わざるを得ない。 専門家が敢えて難しい表現を使っていると感じるのはワタクシだけだろうか。ここで★1個減。 ※畢竟…つまるところ。結局。

    1
    投稿日: 2022.12.31
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    昔の文体に慣れず、集中力を使い、途中で諦めた本。 今日、全部読みました。 一回だけ読んで、理解できなかった。 もっと他の本を読んで、セネカがいいたいことを読み取れるようになりたい。 私の実力不足です。申し訳ない。

    1
    投稿日: 2022.11.29
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    以前「限りある時間の使い方」という本を読んだ。人生には限られた時間しかないということを受け入れなければならないという内容だった。約2000年前の賢人セネカはこの問題についてどう考えていたのだろうか? パウリーヌスという、セネカの親戚?への手紙として書かれている。 人生は短いと思われているが、これは人生を無駄に浪費しているからで、実際は、何かを成し遂げるには十分な時間があるということだ。最も無駄なのは、他人のために苦労をすることだから、自分のために時間を使いなさいと説いている。 やや賛同しかねるところもあるが、いかに生きるべきかという問題について、知識が得られる良い本だった。 光文社古典新訳文庫版も読んだが、そちらの方が自分には読みやすくわかりやすかった。

    29
    投稿日: 2022.11.19
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    このレビューはネタバレを含みます。

    最初はTwitterの愚痴アカウントみたいな内容だなと思った。読んでいるとだんだん共感する部分も出てくる。仕事に対する部分は、特に一読の価値あり。自分から死にに行かないために、犠牲に人生を奪われないためには役に立つ。

    1
    投稿日: 2022.11.05
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    「浪費」や「忙殺」など現代人には耳が痛い言葉がたくさん並んでおり、改めて時間の重みを学んだ。 p11~12 多くの偉業をなすべく生まれついた人間に定められた寿命はあまりにも短い。」われわれにはわずかな時間しかないのではなく、多くの時間を浪費するのである。人間の生は、全体を立派に活用すれば、十分に長く、偉大なことを完遂できるよう潤沢に与えられている。 p48 すべての人間の中で唯一、英知(哲学)のために時間を使う人だけが閑暇の人であり、(真に)生きている人なのである。

    0
    投稿日: 2022.09.17
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    全体的に冗長な文章に思えたが、この本を理解するには私の想像力が乏しいのかもしれない。 理由はわからないが私は高校生の頃から"時間は有限である"という概念に囚われて続けており、これまで何かと忙しない人生を送ってきた。 そうして過ごした時間の中には当然浪費も含まれていたであろう。 ここ数年で自分自身と向き合う時間が増えたことで、時間を浪費するとはどういうことなのか、体感的に理解できるようになった気がしている。 モラトリアム期間である学生時代にこのことに気づけたのは幸甚の至りである。 人生100年時代とはいえ、明日どうなるかはわからない。 見えない未来を恐れて忙しく生きる必要は無いけれど、忙しく生きるのであれば自分の心に正直になることは心に留めておきたい。 ✏ひとはだれしも、未来への希望と、現在への嫌悪につき動かされながら、自分の人生を生き急ぐのだ。 しかし、すべての時間を自分のためだけに使う人、毎日を人生最後の日のように生きる人は、明日を待ち望むことも、明日を恐れることもない。というのも、[未来の]ひとときが、彼にどんな新しい楽しみを与えうるというのか。彼は、すべてを知りつくし、すべてを十分に味わっているのだ。 ✏ところが、先延ばしは、人生の最大の損失なのだ。先延ばしは、次から次に、日々を奪い去っていく。それは、未来を担保にして、今このときを奪い取るのだ。 ✏生きるうえでの最大の障害は期待である。期待は明日にすがりつき、今日を滅ぼすからだ。あなたは、運命の手の中にあるものを計画し、自分の手の中にあるものを取り逃がしてしまう。

    5
    投稿日: 2022.07.14
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    なんか...寝る前に布団の中で... じゃなくて... ちゃんと背筋を正してノートにメモを取りながら、もう一度読んでみたいと思う内容。 読んでいるうちにキリスト教のこと、方丈記のことが頭をよぎる... 本の最後に訳者の「解説」が載っているのだけれど、これがとってもわかりやすい! 最初にこちらを読んでから読み進めれば良かった後悔した。 ストア派の思想がローマにおけるキリスト教の受容の素地となったetc ... なんか納得なのだ。 そして 生・時・今とか... 徳とか... 死に直面する、した...そのときとか ... 少しわかった気もする...時々読み返したい... そしてキリスト教もやっぱり少し気になる存在なのだ...

    0
    投稿日: 2022.02.20
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    何度も読みたい。 きっと読むたびに気づきを得られる。 『生は浪費すれば短いが、活用すれば長い』 私はこの言葉に衝撃を受けた!

    0
    投稿日: 2021.12.10
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    マルクス・アウレリウス『自省録』に続き、ストア派・セネカの本、3篇のセット。 『自省録』と同じく、言い訳するな、他人のことは気にするな、やるべきことをすぐにやれ!と理解。 それが、心の平静に、やがては幸福な生へと繋がるということ。

    0
    投稿日: 2021.11.07
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    『チ。』でも言及がありましたね。 『ジキルとハイド』に並ぶ、高校時代のバイブル。 善き生き方を実践すること。

    2
    投稿日: 2021.10.27
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    時間を残らず自分のためだけに使うことが最も価値ある生だと書いてあって、同じストア派でもマルクス・アウレリウス『自省録』とはだいぶ考えが違うのだなというのが初めに感じたこと。けれど、死の運命にあるという強烈な意識は共通しており、やはりその点に最も感心する。 ーーー以下、引用ーーー 目的地に通じるいずれかの道筋を見つけ出し、土地の人に尋ねつつたどりさえすれば、迷うことはない。しかし、この旅にあっては、最もよく踏みならされ、最も往来の激しい道こそ、最も人を欺く道なのである。1920 嘆き、呻く者は皆、命じられたことを実行するよう力ずくで強制され、否応なく命令遂行のために引きずられていく。だが、従うよりも引きずられていくほうを選ぶとは、何という愚挙であろう。2388

    0
    投稿日: 2021.10.10
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    めちゃくちゃ難かった。 いつかまた読み返したい。 人生は浪費するには短すぎるし ちゃんと生きるには十分である。 って書かれてた。

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    投稿日: 2021.08.12
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    生の短さについて、は、結局の所自分のやるべきことを正しく設定し、それのために頑張れば生の長さは足りるはず、的なことだったと思います。 心の平静につおて、は、ところどころ、現代と感覚が合わないせいか、他の理由からか、納得できないところがあった。部分的な理解だが、何かを妬まず、それぞれの立場のよさなどあるので、心を痛める必要はない。とか、期待しすぎず、最悪に備えろ、とか、そういった謙虚な気持ちを大事にするようなことでした。 途中までしか読めていません。 集中して読解していけば面白いが、さらっとは読めない。

    2
    投稿日: 2021.06.21
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    読む前は、人生を1日に例えると、睡眠7時間、食事1時間、仕事10時間  残り6時間が人生という感覚だったが、本書を読んで、その6時間さえも自分だけの時間か?という問いが投げかけられていた。「誰かの為に時間を簡単にあげてしまう。」「怠惰な多忙」「無益な研究」時間の落とし穴を避けて通った自分の1日の人生の時間は、休日でも1時間あるか、無いかだと感じた。 また時間を過去、現在、未来に分類した時、「現在は過ぎ去るのに短く」「遠い未来に煩わされる」などの警句から、過去を振り返る重要性を再確認しました。 「人生一度きり」貴重な自分だけの時間を大切に過ごしていきます。

    7
    投稿日: 2021.06.06
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    岡本太郎の自分の中に毒を持てと通じるものがあったと感じた その瞬間を生きる 人生は短いと思われがちだが、よく生きれば長く感じることもできる 結局は与えられた時間の中で、特に若い頃の時間の中で、どう自分が時間の使い方を選択するかこれが全て。

    2
    投稿日: 2021.06.05
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    1年生の終わりに読んだことを思い出し、過去の自分に向けてレビューを書いてみた。(本書の主張との整合性は確認していない。) 授業にバイトにサークルにと忙しく過ごしていたものの、どこか虚しく何も楽しくない時に全てを止める勇気をくれた一冊。 ------- 文字通り、忙しさに殺されてはならない。 それは流された環境において、自分以外のものとのしがらみに囚われ、身に降りかかる物事を受動的にこなすだけの日常に時間を奪われていることを示すからである。 生殺与奪の権を日常に握らせるな。 日常から時間という名の生を奪還せよ。 ”思考”を重ね自分のために生きれば、日々はドラスティックに変貌し、そこに日常など存在し得ない。 大元の思考を大切にするためには、常に余裕をもつことが大事である。 自分と向き合う時間を何よりも大切にしろ。 余裕を身に纏え。 --------

    4
    投稿日: 2021.05.01
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    セネカって正論マンなんだな そして、強く人を弾糾することができる 今は時間の使い方の話をしているけど たしかに人生の三分の一は寝ているし もう三分の一は仕事や学校や生活にとられているし 残された数十年分くらいの時間が 私たちの本当の人生の部分で それを自分のために使えとセネカは言ってる 他人に浪費するなと ここから先の理論の展開楽しみだなあ

    0
    投稿日: 2021.04.17
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    「生の短さについて」と「解説」だけ読んだ。 高澤先生の読書会で先週学部を卒業した同期が発表を担当したのだけれど、先生に今回この本を選んだ理由を尋ねられた彼は、「泣いちゃうかも」と一言添えてから「高校生のときに手にとって…」と話し始めた矢先、本当に涙を流しながら「自分は決してここに至れないのではないか」と吐露した。 別の同期が、「自分はたくさんの不安を抱いてる」と話していたのを思い出した。いろんな不安をあげていたが「経済学は学んでおかなければいけない気がする」と言っていたことだけしか覚えていない。(多分彼は宗教学で卒論を書いてた。) 自分が本当に知りたいことはなんなのかということが未だはっきりしないまま、進学してしまったけど、1人目の彼のように落涙するほど自分が抱いている不安と向き合ったことはまだないなと、いつまで後回しにするのか、後回しにできるのかと... また、2人とも卒論を書いて何か少しは求めていたものを見出して(きっと彼らは自分たちが掴んだものが本当に求めていたものなのかという不安を抱いているだろうけど)、社会へ進む選択をした一方で、自分の院進は消去法というか惰性ではなかっただろうかとどんどん辛くなっていく。 院進すれば当然のことだが、一つ下の友人たちが先週袴やスーツの上にガウンを着た姿で卒業式を迎え、その多くが今週には新しいステージに進んでいく中、自分は大学から出ていくタイミングを失ったなと的外れな哀しさというか寂しさに苛まれる。そんな時に読んだ「生の短さについて」は完全にダメ押しで、自分は何をしてるんだろうか、今自分がしていることに意味はあるんだろうかとどんどん不安になっていく。

    0
    投稿日: 2021.03.29
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    甲は乙のために耕し、乙は丙のために耕すが、誰一人自分自身を耕すものはいない。 万物のうち最も早い速度である時の流れを遅らせようともせず、無用なもののごとく、再び得られるもののごとく、過ぎ去るに任せている。 誰一人、死を近くに見つめるものはいないが、誰一人として遠くに望みをかけないものはいない。

    1
    投稿日: 2021.03.09
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    ストア派の哲学者であり政治家であり劇作家でもあるセネカによる「道徳論集」のうちの3篇。 表題の「人生の短さについて」では、徳を積んで良く生きれば、人生は十分に長いと説かれており、本当の意味で「生きる」ために時間を有効に使わねば、と思わずにいられなくなる。 人間活動における徳の重要性、実直に徳を探求する姿勢の重要性が全篇で強調されており、「論語」の孔子の思想との共通点も多く見られた。本書は伝聞ではなくセネカ本人の著書であり、哲学批判者に対する記載の箇所(【幸福な人生について】中)では、自らはまだ道半ばであるという姿勢に人間味を感じ、少し親近感が湧いた。 酒に溺れるな、快楽に耽るなと繰り返すセネカの言葉に背筋が伸びた。『多忙な怠惰』をせず、時間という資産を最大限に活かしたいと思う。何度か読み返したい一冊。 個人的に刺さった箇所を以下、備忘録的に。 【人生の短さについて】 『我々は短い生を受けているのではなく、我々がそれを短くしているのである。』 無為に、怠惰に、ただ快楽に耽るように時間を浪費してはいけない。気づいた時には老い、死を目前とし、不安に駆られることになる。 ★多忙は悪である。 我々には、過去の全ての時代から学ぶ権利がある。過去の優れた人たちは、我々のために生まれて、人生を用意してくれたと知る。 それなのに今は仕事で忙しいからと、徳の追求を後回しにしていると、「今」の生活=自己の全て=人生を失っていることになる。気づいた時には老いて、「人生とは、死とは何か」を得ずに死に面することになる。多忙により過去という不変の財産を振り返る余裕も無いのは、底の抜けた容器に水を垂れ流しているようなもの。そうして現在を軽んじ、未来を恐れる愚者の生涯は極めて短く、不安である。いざ暇になった時も、暇の使い方を知らず、時間を厭わしく感じることとなってしまう。 (なおセネカに言わせれば、薄毛隠しに躍起になる者から、鼻歌に指鳴らしする者、グルメ通ぶって食事に気構えないといけなくなっている者も時間を浪費する者に該当するようだ。) 『自分の銭を分けてやりたがる者は見当たらないが、生活(時間)となると誰も彼もが、何と多くの人々に分け与えていることか。財産を守ることはけちであっても、時間を投げ捨てると〜たちまちにして、最大の浪費家と変わる』 【心の平静について】 ★よく死ぬことを知らぬ者は悪く生きる。 死ぬことを定めと理解し、前もって心がけていれば、人生で生じる全てのことに、何一つ突然の出来事などない。起こるべくして起こりうる事件をことごとく遠望し、平素より備えていることで、どんな不運も衝撃に感じず、打ち壊せる。誰かに起こりうることは、誰にでも起こりうると理解しておく。 ★人間の才能は無理強いされると悪く反応し、気性が逆らえば仕事は駄目になる。 ①自分自身の性質を正しく検討する。得てして自分は自分を実力以上に買い被ってしまう ②今から始めようとする仕事そのものの内容を正しく検討すべき。自らの力量と、仕事を比較検討すべきであり、力量を超える仕事や、実現不可能な仕事を選んではいけない。 ③周りの人間を見定める。利己心の無い人が望ましい。しかし、真実の楽しい友情に勝るものは無い。 ★学問研究は立派だが、道楽ではいけない。 『無数の書物は学問者の重荷こそなれ、教えにはならない。学問の道具ではなく、見せびらかしのための飾り。数人の著者だけに委ねる方が、多数の著者をさ迷うよりも、ずっと良い。過ぎたるはなお及ばざるがごとし。』

    1
    投稿日: 2021.01.18
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    私は筆者と思考回路が似ているのかもしれない、特に意外性も面白みもなく読み終わってしまった。 でも、そのせいもあってか、読んでいる間の思考の飛躍はいつになく捗った。日本だと「宗教学科」って言っても受けが悪いから「哲学科」って名前になるのかな、とか、何度も結婚を繰り返す女性はむしろ「失う不安」を哲学者より持っていないかもしれない、とか、「英知に貧乏という罰を科す」は現実世界では言い得て妙かもしれない、とかとか。 内容自体は正直そんなに…だったけれど、目で字を追いながら脳で別のことを考えると、普段は考えつかない思いつきがぽんぽん出てくる、という体験は結構面白かった。 (これ本の感想ではないな…)

    0
    投稿日: 2020.12.05
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    ストア派の哲学者セネカが、善く生きるための視点を『心の平穏について』『人生の幸福について』の3編に渡って書いた本。 一見厳格な禁欲主義に見えるストア哲学に、その内部から見た光景をありありと書いてある。 基本的に他者に構う暇などない、自分の哲学を構築し自己を律し、その道を歩くことに集中せよというスタンスなのだけど、それを成せない人間の脆さについても許容する思想が読み取れる。 というより、自己を律することは非常に困難で、他者を批判する余裕など無い。という印象に近い。 描く理想像に向け、実現に熱心になるも未達な人に対し「大層なことを言うが言行不一致じゃないか」と揶揄する輩については、その場で未達であることを認め邁進に戻りなさいと説く。そして輩を「暇だな」と断ずる。 批判にまみれて生き難い現代で、生きやすくなるためには有効な視点である。 人生の短さについては「人生は自分の人生に集中すれば何かを成すのに十分な長さだが、それが出来ない人にはあまりにも短い。彼らは死に際に『まだ生きたかった』と嘆き死んでいく」として評する。 自分の人生とは言い換えれば、コントロールの効く範囲だろうか。範囲外に目を向けるのは無駄だとする。 「裁判官は朝から晩まで他人の人生のために生きている、かわいそうに…。自然科学と哲学に邁進することこそが至高」ともいうが、それは流石に過激過ぎる、大事なのはどんな仕事でも「自分が何をしているか」を理解、自覚することじゃないかと思う。 ・コントロール可能な範囲に集中する事 ・コントロール不能な範囲に気を向けないこと ・コントロール可能な範囲を増やそうとすること あたりが思想の核なのかなと感じた。 日々浮き足立った批判が飛び交っているけど、あまり気にせず自己を律していきたいという気持ちになった。 いい本だった。

    1
    投稿日: 2020.11.26
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    今読んで良かったな!って思える本でした。 多忙な現代社会において「自分の時間を大切にする」というのは、非常に難しいことですが、とても大事なことだと思いました。 ですが、仕事上での付き合いなどのすべての時間が「無駄❗」と言い切るのは、どうなんでしょう?セネカさん。 全く無駄のない人生っていうのも、、けっこうつらそうに思えます。 今、本当に多忙な人が多いと思うので、ぜひこの本を読んでもらいたいです! でも、読む時間が、、、(笑)っていうジレンマになりますね。

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    投稿日: 2020.10.21
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    ブクログで見かけて気になったので購入。 セネカは古代ローマ時代の哲学者。高校世界史で学んだのが懐かしい。 本書は「生の短さについて」「心の平静について」「幸福な生について」の3篇で構成される。それぞれリンクする部分が多く、内容の重複感は否めない。あと、多くのローマ人が引用されるけど知らない人ばかり…w それでも、案外楽しく読めた自分がいた。文章から感じるセネカの印象は「気の良い、物知りおじいさん」と言った感じw さすがに読みにくさは否めないけど、そこはむしろ古代ローマの書籍を日本語で読めることに感謝するべきかな。 以下、各エッセイの所感。 表題作の「生の短さについて」。 「人生は浪費すれば短いけど、十分に活用すれば長い」というのは、本当にそのとおりだと思う。 過去を振り返ることは、平静な精神を持ったものの特権、という過去観も面白い。 静謐を生きていない人は、余暇が怖い。だから、酒と欲望に溺れて「時を短くする」。という説明には、どこかドキリとくるものがあった。 宴にうつつを抜かしすぎるローマ人を憂いたり、その悪習はギリシャ人のものだと言ったり、そのヤレヤレ感になんだか愛くるしさを感じてしまったw 次に「心の平静について」。 人生は無から始まり、無に終わる。我々は何も所有しないし、所有されるべきではない。いま持っているものはいつ無くなっても構わない。そんな思考は、あらゆる悩みが吹き飛ぶようでとても良かった それでも、時たま酒に狂うのも悪くはない、と説くのは遊びがあっていいね。「正気の人間が詩作の門を叩いてもむだ」というプラトンの引用は直球過ぎて笑えた。 孤独のみを推奨せず、社交の時間も大切であると書かれる。「孤独は群衆への嫌悪を、群衆は孤独への倦怠を癒やしてくれる。」というのはバランスが取れていて共感できる。 人生の目標について、難しすぎずなんとか達成できるものが望ましいとあり、現実味があってよい。 最後に「幸福な生について」。 倦怠を遠ざけるために日々の実務に注力することが推奨される。置かれた場所で咲く的な考えは、実があってとても好き。 (書評ブログの方も宜しくお願いします) https://www.everyday-book-reviews.com/entry/%E3%81%9F%E3%81%A0%E3%81%A1%E3%81%AB%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%88_%E7%94%9F%E3%81%AE%E7%9F%AD%E3%81%95%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6_%E3%82%BB%E3%83%8D%E3%82%AB

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    投稿日: 2020.07.25
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    誰もが他人のために自らを費消しているのである。 生きることにとって最大の障害は明日と言う時に依存し、今日という時を無にする期待である。

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    投稿日: 2020.03.22
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ・幸福な生について 二〇 「自分は、死に直面したときも、死の話を聞くときと変わらぬ(平静な)顔で死を見つめよう。自分は苦難を、それがどれほど大きなものであろうと、精神で肉体を支えつつ受け入れよう。自分は富を、それがあるときもないときも同じように軽蔑し、他人のもとにあっても悲しまず、自分のもとで輝いていても得意にはなるまい。自分は幸運が訪れようと去ろうと意識するまい。すべての土地はあたかも自分のものであるかごとくみなし、自分の土地はあたかもすべての人のものであるかのごとくみなそう。自分がこの世に生を享けたのは他者のためであることを弁え、そのことで自然に感謝するような生を送ろう。自然が自分のためを思ってしてくれることで、これ以上に善い何がありえたであろう。自然は自分という一個人をすべての人に恵与し、すべての人を自分という一個人に恵与してくれたのだ。何を所有しようとも、見苦しく固守することも、湯水のごとく浪費することもするまい。善き配慮をもって(自然により)恵み与えられたもの以外、自分が本当に所有しているものは何一つないと信じよう。自分が施す恩恵の価値をその数や大きさ、その他、受け手の評価以外の何物によっても測るまい。受け手がふさわしいと評価できる人なら、どれほど大きな恩恵であろうと、大きいとは決してみなすまい。何事も、名声を得るためにではなく、良心に照らして行なおう。自分以外知る人のないことを行なうときは、何事も衆人環視の中で行っていると考えよう。自分にとって飲食の目的は、腹を満たしたり空にしたりすることではなく、自然の欲求を鎮めることとしよう。友には心地よい人間、敵には温和で寛大な人間となろう。人の願い事を知ったなら、求められる前に叶えてやり、誠意ある嘆願にはこちらから進んで応えてやろう。世界がわが祖国であり、その統治者は神々であることを弁え、その神々が自分の言動には目を光らせる監視官として、頭上に、また四面にたたずみたまうと自覚しよう。自然が生命の息吹を返すよう求めるか、理性がそれを解き放つとき、自分は良心を愛し、善き業を愛し、自分のせいで誰の自由も制約されたことはなく、誰かのせいで自分の自由が制約されたことも決してないと神明に誓った上で、この世を去ろう」。こうしたことを実行すると心に誓い、望み、試みる人は、神々のもとを目指す旅に出るのである。まことに、その人は、たとえ目的を果たさずとも、敢然と壮図に挑み、斃れけりである。

    0
    投稿日: 2020.03.08
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    今ではとても想像のつかないやうな激動の世界の中で生きてゐたのだと思ふ。だからこそ、セネカは生きることを常に問ひながら考へ続けてゐたのだと思ふ。 宮廷と呼ばれる人間の欲と思惑で満たされた世界の中で、彼のことばはただの理想論だとか、負け惜しみや言い訳のやうだと鼻で笑はれただらう。 実際、どうやら中心地からの追放により長く耐へ忍んでの生活の頃書かれたもののやうであるから、ところどころで、まるで自分に言い聞かせるやうな、どこかかつての生活に引張られてゐるやうな感じがする。かつての生活にあこがれてゐるやうな、できることなら今のこんな生活はしたくないといふやうな。 彼の生き様は宮廷の思惑の真ん中で常に命に脅かされ続けるやうなものだつたと思ふ。それまでに何人もの皇帝たちの屍体が宮廷に転がつてゐただらう。その皇帝に仕へるといふことは、何かの折に皇帝の行ひに付きあひ、その皇帝の成したことをなすりつけられる可能性がある。彼もさうしたことを見聞きしてゐただらう。 それでも彼は自らその渦中にあり、彼自身のできることを最期まで続けた。自害を命じられた時も、下手な自己弁護や逃亡をせず、自分の命運を悟り、自ら命を絶つた。 彼はさうした中で現実を痛いほどに眺めてゐたからこそ、考へ続けることをやめなかつた。真理といふものを追い続けてやまなかつた。理想とは、それなしにひとは生きられない。どんなにあがいても逃れられない、人間が求めてやまないさういふものなのだと思ふ。

    0
    投稿日: 2020.02.08
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    煩雑な生活の中で、毎朝10分程度本書を読み且つ沈思する事で、その日自分が何を為すべきかをしっかり見据えることができる気がしている。

    1
    投稿日: 2019.07.26
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    ローマ時代から「時間の無駄遣い」に人は悩み人生を有意義に生きることを望んでいた。スマホゲームにハマってるいまの世代と、人間の本質は変わってないし変わらない。(本当に「それ」が人生にとっては必要かどうか悩むことと無駄かどうかは別問題) 無駄な時間を徹底的に排除し効率的に生きることが大切なのではなく、こうして悩み推敲し自分の人生を点検しながら生きることが大切なのだろう。

    2
    投稿日: 2019.06.19
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    原書名:Annaei Senecae dialogorum libri duodecim 生の短さについて 心の平静について 幸福な生について

    0
    投稿日: 2019.01.11
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    人間は2000年前から何も変わっていないということがよくわかったし、その点は面白かったが、かといって人生の参考になるかというと微妙。

    0
    投稿日: 2018.10.08
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    ストア学派に興味があったので読んだ。 やはりまどろっこしいとは思ってしまう。 あとはこんな昔の人なのに今と変わらない部分もあるというのは感銘を受けるしいろいろ考える。 でも読んでてなんかしんどくなるかな。、 いまにはまるまる反映はできないかも。 いまはもっと違うアプローチができると思う。死からもにげれるようになったし。 でもまぁ姿勢は大事。 いまに生きるひととしてすごいチャンスを感じたし今を有意義に過ごそうと思うこともできる。

    0
    投稿日: 2018.06.23
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    セネカ「生の短さについて(他二篇」読了。後期ストア派。およそ二千年前の文章と思えない現在でも十分通じる処世訓であった。一例として、「生きることにとって最大の障害は、明日という時に依存し、今日という時を無にする期待である」繰り返し読み続けていこうと思う。

    0
    投稿日: 2018.06.05
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    ローマ時代の哲学者セネカ。皇帝ネロの先生だったが、晩年ネロから自死を言い渡される。 モンテヴェルディのオペラ「ポッペアの戴冠」の中では立派なようでちょっと煙たがられる微妙な役どころ。実際はどんな考えの持ち主だったのだろうと思い読んでみた。 彼の考える幸福とは、やはり、智を愛し、真理を追究することだったようである。 世事にあくせくして時間を浪費しないように説いている。 まあ、ローマ時代の賢者のボヤきとも言えるが。 共感することもあるけれど、時代の大きな違いを感じることも時々出てくる。 50,60歳まで幸運に生き延びたとして・・みたいな言葉もあって、80歳が常識だと思ってる我々からすれば、ちょっとびっくり。 だからこその表題で、セネカにしたら長生きしたかったことだろうと思う。学問は長し。 この間から「奴隷制度」っていったい何だったのだろうと考えていたのだけれど、丁度答えになるような引用があった。 ある賢者の奴隷が逃げた。しかし賢者は奴隷を連れ戻しに行かなかった。なぜかというと、「奴隷は私を必要としていないのに私が奴隷を必要としているのは恥ずべきことだ」だからだそうだ。 奴隷制度が当たり前の時代にこの発想はなかなか出来ないと思う。さすが!

    0
    投稿日: 2018.03.29
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    人生は短い。ただ、本来は十分な時間があるはずなのに、実際に短くしてしまっているのは我々自身である。財産、上司、見栄、異性、怠惰、名誉などに関わりすぎているのだ、という主張。これが2000年前の文筆家による著書だと知ると、人間って変わらないんだと苦笑。別の短編では心の安定について、特に仕事において吟味しておくべき三つのことが語られてる。自分をよく知ること、仕事の内容をよく知ること、誰にために誰と一緒に仕事するかをよく知ること。これジョブスも言っていた気がする。

    0
    投稿日: 2018.02.24
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    結局最後になって否応なしに気づかされる事は、今まで消え去っているとは思わなかった人生がもはやすでに過ぎ去っていることである。…われわれは短い人生を受けているのではなく、我々がそれを短くしているのである。われわれは人生に不足しているのではなく濫費しているのである。10ページ

    0
    投稿日: 2017.05.16
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    箴言集。全体として言いたい事はよくわからなかったが、ところどころ「なるほど」と思わせる文があった。 「仕事はさらなる仕事をよぶ」「未来のことを考えるあいだに、現在がすりぬけている」「人は死に際で評価が決まる」 セネカは哲学者だと思っていたが、解説によれば政治家でもあったらしい。実世界と切り離された「哲学」ではなく、処世訓のような側面が強くておもしろかった。

    0
    投稿日: 2016.07.24
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    ルキウス・アンナエウス・セネカは、古代ローマ帝国のユリウス・クラウディウス朝時代(B.C.27年~A.D.68年)の政治家・哲学者。第5代皇帝ネロの幼少期の家庭教師を務め、ストア派を代表する哲学者としても有名で、多くの悲劇や著作を残した。 本書には、表題作『人生の短さについて』のほか、『心の平静について』、『幸福な人生について』の2篇が収められているが、いずれも親類、友人、同僚政治家らにあてて書かれたものである。 その中には、例えば以下のような印象的なセンテンスがいくつも含まれている。 ◆『人生の短さについて』~「生きることの最大の障害は期待をもつということであるが、それは明日に依存して今日を失うことである。運命の手中に置かれているものを並べ立て、現に手元にあるものは放棄する。君はどこを見ているのか。どこに向かって進もうとするのか。将来のことはすべて不確定のうちに存する。今直ちに生きなければならぬ」、「生きることを止める土壇場になって、生きることを始めるのでは、時すでに遅し、ではないか」 ◆『心の平静について』~「要するにわれわれの求めているのは、いかにすれば心は常に平坦で順調な道を進み、おのれ自身に親しみ、おのれの状態を喜んで眺め、しかもこの喜悦を中断することなく、常に静かな状況に留まり、決しておのれを高めも低めもしない、ということである。これが心の平静ということであろう」 ◆『幸福な人生について』~「人生に関する事柄は、多数の者に人気があるほうが善いというふうにはならない。最悪のものだという証拠は群衆なのである。それゆえ、われわれが知ろうとするのは、一体何を行うのが最善であるか、ということであって、何が最も多く世の中に行われているか、ということではない」 現代においても何ら古びることのない、五賢帝のひとりマルクス・アウレーリウスによる『自省録』と並ぶ、古代ローマの叡智を示す作品のひとつである。 (2006年6月了)

    0
    投稿日: 2016.01.11
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    ■人生の短さについて 現代、特に日本では、誰も自分の人生が短いとは感じてないと思いますが、「自由な時間がない(少ない)」とか、「もっと時間があれば良いのに」とは、多くの人が思っていると思います。 ただ、それに対して「怠惰な多忙」とはよく言ったものだと思いますが、自分の時間を浪費している人は(書いてる自分も含めて)多いんだろうなぁと思います。人が考えること、苦労していることは、2000年以上前とそんなに変わらないんだな、と感じました。 ■心の平静について セレヌスがセネカに、贅沢な暮らしがいいのでは?国政の中枢に携わることはいいことなのか?と疑問に思うことをぶつけて、それに対してセネカが答える内容。 貧困はダメだが華美もダメ、適度に豊かであれば良い。貧しくなるより、贅沢になるのを我慢する方がよっぽど我慢しやすい。仕事については、自分をよく知り、やろうとしている仕事をよく知り、仕事仲間をよく知ること。心を平静に保つには、適度な休憩、お酒を飲むことも良い。自然に任せることも肝要。 ■幸福な人生について ここは理解が今一つ足りないが、繰り返されている言葉は「徳」という言葉で。心が平穏で動揺しない、これが、幸福な人生の要諦というような趣旨のことが書かれている。

    0
    投稿日: 2016.01.04
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    生の短さについて、幸福な生について、心の平静について、の三篇である。マルクス・アウレリウスの自省録と同様セネカも、快楽や欲望に溺れたり、こだわり過ぎないように説いている。人間は無から生まれて無に還っていく。従って、その間に得られたものや失ったものは全て重要なものではないとする。共感する。 また、他人の行状を非難したり気に病むような時間の余裕はないとも言っている。セネカの時代から、人は時間の大切さを知らず、あたかも永遠に人生が続くかのように日々を無為に過ごしていたようだ。多忙の中に身を置く中で、本当に大切なものを見失い、老いてからそれを嘆いていたようだ。まさしく現代人と同じである。アウグストゥスのような人物でさえ、日々の仕事に忙殺され、余暇を求めていたようだ。 私達は普段「自分の人生」「自分の時間」を生きているのだろうか?それとも、誰かの人生、誰かの時間を生きているのだろうか?もし自分の人生を生きていないなら、それは不幸なことだとセネカは説く。仕事に縛られ、忙殺された人生ではなく、自分の精神を、心から為したいことに向けよと言う。自分という船の舵取りをせよということだろう。こちらも、大いに共感できる。 人生は短い。にもかかわらず、現代人は様々なものに縛られてばかりである。過度に情報化された社会の中で「かくあらねばならない」という妄想にとりつかれている。私はその縛りから解放されて、自分の心を知り、それに従った人生を送りたい。そう思った。

    8
    投稿日: 2015.08.20
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    どれだけ人間の歴史が続いたとしても、文明が発達しても衰退しても、人間って成長しないし、だからこそ人間として続くのかも。 短い人生だったなぁ、と過去を振り返った。 長く濃密な1日を過ごしていかねば。。。

    0
    投稿日: 2015.07.02
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    人生は短いが、良く使えば長い。 その他にもいろいろ考えさせられることが多かったので、今後の生活に取り入れていこうと思った。

    0
    投稿日: 2015.02.27
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    約2000年前の方が書いた文章を現在読んでいるのが不思議な感覚だった。しかしながら昔から人間は同じだったんだと思った。

    1
    投稿日: 2014.12.15
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    ストア派哲学の本。難解だけど、はっとさせられることがしばしば。 エピクロス派を褒めてたのは意外だった。

    0
    投稿日: 2014.11.04
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    このレビューはネタバレを含みます。

    [ 内容 ] 生は浪費すれば短いが、活用すれば十分に長いと説く『生の短さについて』。 心の平静を得るためにはどうすればよいかを説く『心の平静について』。 快楽ではなく、徳こそが善であり、幸福のための最も重要な条件だと説く『幸福な生について』。 実践を重んじるセネカ(前4頃‐後65)の倫理学の特徴がよく出ている代表作3篇を収録。 新訳。 [ 目次 ] 生の短さについて 心の平静について 幸福な生について [ 問題提起 ] [ 結論 ] [ コメント ] [ 読了した日 ]

    0
    投稿日: 2014.11.01
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    「死ぬ術は生涯かけて学びとらなければならない」などの名言目白押し。カネや面子に囚われず、徳のために生きましょうという内容なのだが、最後の方で「そやかて自分めちゃ金持ちですやん」という突っ込みに、文字通り必死で虚勢を張るさまに失笑した。オチ付き。 こういう古い本は当時の風俗を知る上でも興味深い。ハゲはやっぱり恰好悪かったんだなとか、女の年齢詐称も既にあったんだなとか、本の蒐集家も居たんだとか、訴訟が結構多かったんだなとか、ほとんど現代の話にしても違和感が無い。引っ掛かるのは奴隷と男色くらい。

    3
    投稿日: 2014.09.03
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    ただちに生きよ。が強く印象に残った。 岡本太郎もこれを読んだのかなあ、あの人もストア哲学を勉強してたのかなと、死に対する捉え方、考え方が読んでて似てるなと思った。

    0
    投稿日: 2014.09.02
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    もしかしてだけどーもしかしてだけどー、carpe diemは今日只今だし、memento moriは本来無一物のことなんじゃないのー というわけで、明治以降の日本思想界がセネカを軽んじたのは、東洋思想(特に論語)とその主張を一にするからではないか、また、むしろ現代においてはそれこそセネカに改めて光を与える新鮮さたり得るのではないかとは中野孝次先生のコトバとしてあとがきに寄せられています。まさにそう。 義父に寄せた「生の短さについて」では、実直に行き、身を寄せた人々に喜びを与えることの尊さを伝え、幼馴染に寄せた「心の平静について」では、共通の体験をして平常心について探究し、実兄に宛てた「幸福な生について」では、この大哲人が哲学を選んだ理由が説明される。 これらの、セネカという人にとって愛情の対象となった人々に当てた励ましと共感の文章は、いずれも愛語のそれと違わないように感じさせるのである。

    0
    投稿日: 2014.07.25
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    この時代からハゲを気にする人がいたのか、というしょーもない驚きも含めて今現在においても通じることが書かれている

    0
    投稿日: 2014.05.21
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    解説に曰く、明治以降の日本思想界がセネカを軽んじたのは、なんだこれ「論語」じゃん。と思ったからではないかとの中野孝次氏の言葉を引用されている。 なるほどね。 ローマ時代の人でさえ、ソクラテスがこう言っていたよとか過去の偉人の言葉を引用しているのが、内田樹せんせいおっしゃるところの(いや、内田せんせいも孔子を引いているわけだが)「述べて作らず、信じて古を好む」なのであるな、と思ったのです。 やはり古典は大事なのだ。 そして、ちゃんと出典を示すのだよ、みんな。

    1
    投稿日: 2014.04.20
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    ー人生の短さについてー 彼は知的に生きること以外を人生の浪費として一掃するが、あらゆる人がその様に生きられるユートピアは存在しえない。だとすればその様に生きる人々の生活は、そうではない単純作業の餌食になっている人々の存在によって成り立つ。つまり彼ら自身がまさに人々に彼らのために時間を浪費させている張本人である。それならばそう生きられる自分の特権を度外視している彼は、自分びいき甚だしい。 彼は、そう生きられる可能性のある人々以外を話相手にしていない。なるほど確かにどんな人間にもその可能性はあるのかもしれないが、そもそもセチカ自身それには言及していないし、残念ながら歴史を振り返ってみてもそれが実現したことはない。 ー幸せな人生についてー セネカ自身が、自分の得ているお金になんの疑いも持っていないことに驚いた。汚いやり口で得ていない正当なお金だと主張するが、果たして正当な金とは何なのか。更に賢人を尊敬しなさい、崇めなさい、ということまで主張する。自分は借り物だと思いなさいという彼自身が自分を守るのに必死である。彼が未だ叡智を求めるものに過ぎず、実行できないのだと自分を省みているのならば、どうしてその自分を正当化してしまうのか?自分を裁くことは本当に難しい。 彼は、愚者に、どうして自分の悪行を顧みずに賢者を罵倒するほど暇なのか、と問うがそれは賢者自身が善に導くという徳を実行できていないのなら、果たしてその主張は本当に正しいのかということにそもそもの疑問を抱くからであろう。

    1
    投稿日: 2014.03.27
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    実際のセネカは金持ちで享楽的な生活をしていたとか。 でも酒や女で時間を費やすことが人生の時間の無駄遣いみたいなことが書いてあった。

    0
    投稿日: 2014.03.23
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    ストア派セネカの三つの論文。「人生の短さについて」は、公務などの取るに足りない事柄に生を浪費するならば、その人生は短いものとなろうという趣旨。セネカは「心の平静について」では、心の平静を保つ方法を教示している。「幸福な人生について」では、幸福な人生とは、自然に適合した生活であると論じられている。ジャン・ブラン『ストア哲学』(文庫クセジュ)も参照。

    0
    投稿日: 2014.03.05
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    【生の短さについて】だけ、まずは 20131124 とりわけ、「他人のために時間を使っても実際的には自分の時間を損失しているだけ」という主張に共感。(「」内はけっこうはしょっている) 相手の受け取り分は自分の行為分より遥かに少ない。これは自分も感じてきたことだ。それだのに、人は人のために働きあう。人のために働くことを否定的に見ることは、たしかにとても悲しいことだけど、「自分の人生を持つ」ことに確かさを持たせることが人生の短さの問題を解消する手立てである以上、この否定的な目を持たないことにするわけにはいかない。 しかし、読むたびに思うが、読むたび読むたび、「自分の人生を持つってどういうこと」という課題が浮き上がってくる。 家族を持ち、守り、支えあうこと、これが自分の人生を持つことだ、なーんて線、どうだろうか。 「運命を乗り越えている者を、乗り越えられるものは何もない」 ストア派の哲人らしい言葉であるが、己の理性は上記の可能性も乗り越えるのだろうか。 とにかく、まだまだ理解も足らないだろうし、また読んで消化していきたいと思う。 この本を何周も読むことをセネカは「人生を短くすることだ」と言うだろうか(笑) 「運命を乗り越えている者を、乗り越えられるものは何もない」 困ったことに、僕はこの言葉が好きだ。 もう少しだけ。 自我と時間の問題も解決せねばならないだろう。 過去の自分を自分にカウントするのか、未来の自分は。 人間は、過去を振り返り、未来を思う。 「自分の人生を持つ」ことってなんなのだろう。 【心の平静について】20140117 すっかり間が空いてしまった。 清潔な者を友としよう。まったきまったき。 永遠に留まるべきでない場所からは発たねばならない。 若い日に、自分の永遠に留まるべき場所を見出すことは容易くないだろうけど、そうでない場所はわかるかも知れない。 そうでないひとびと、さようなら。 精神的にあなたがたを殺しました。 いま読めて、よかった。 【幸福な人生について】 快楽に見放されること、快楽に押しつぶされること、どちらも惨めであることはその通りで、後者の方がよりそうであるということも分かる。が、しかし、快楽に見放されない人生にも憧れる。 でも、ストア哲学、好きだ。結局。 また読もう。

    2
    投稿日: 2013.11.24
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    今この瞬間に充足感を抱くことがすべてである、と。確かにこの不確実な時代では、いつまでも将来を不安に思い続ける人生になりうるよな、とハッとした。今への集中力を高める場合に限り、将来を案ずる余地はあっても良いとは思うが、あくまでも主役は今この瞬間だ。

    1
    投稿日: 2013.11.09
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    人間として生きていく上での一つの理想が語られている。あくまでも理想だから完全に実践できてなくて当然なのだが、それでも焦る気持ちに駆られた。限られた時を浪費するのではなく、“生きる”ためにはどうするべきか。「今は忙しくて大変だけど、老後はのんびりしたい」と願ったとしても、自分には老後なんて無いかもしれないのだ。忙しいまま突然死ぬかもしれない。過去・現在・未来の3つの時の流れのうち、自分がどうにかできるのは現在だけ。後悔の無い“過去”を蓄積するために、よりよい“未来”へ繋げるために、“現在”をどう生きるのか。自分の資質や希望をふまえてしっかり考えなくちゃいけない。

    1
    投稿日: 2013.11.06
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    岩波文庫を読むのはもしかしたら初めてかもしれない。 セネカってちょっと昔の(100年前くらい)人かと思いつつ読み終わって調べてみたら、紀元前1年頃(ようわからん)のローマ帝国の政治家、哲学者だったらしい。 こんな昔の人が考えたことと、今自分が考えてることに時代の隔たりを全く感じない。 内容は友人(後輩?)とのやりとりの手紙形式になっている。思ったよりも非常に読みやすい。 生きることについて、大切なエッセンスが凝縮された感じ。また読み直したい。 簡単に言うと 人の命は短い。楽しい事を先延ばしにせず、今を楽しめ!! と言ってます。熱い男や。 “生を終えねばならないときに至って生を始めようとは、何と遅蒔きなこと。わずかな人間しか達しない五十歳や六十歳などという年齢になるまで健全な計画を先延ばしにし、その歳になってやっと生を始めようと思うとは、死すべき身であることを失念した、何と愚かな忘れやすさであろう。” “年金や施物なら、人はさも大切に受け取るし、それを貰うためには、みずからの労役や奉仕や勤勉を提供する。しかし、時間の価値を知る者は一人もいない。まるでただのものであるかのように、湯水のごとく時間を使う。だが、その同じ彼らが病の床に伏し、死の危険が間近に迫れば医者の膝にすがりつ姿を、あるいは、死罪の恐れがあれば全財産を使ってでも延命しようとする姿を見るがよい。彼らの心にある情緒の首尾一貫性のなさは、それほどに大きいのである。”

    1
    投稿日: 2013.10.26
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    読みやすいし自己啓発のようなんだけど、より道徳的で読んでいて気持ちのいい本だった。表題の他二篇も励まされるいい話だ。

    0
    投稿日: 2013.09.28
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    私にはまだ難しかった…。 でも、漫然と過ごすのではなく、真摯に人生を過ごしていかなきゃな、と思った。 紀元数十年でこれが書かれたことを思うと、人間っていうのは本当に何千年も変わらない生き物だなぁと痛感する。 もっとゆっくり噛み締めて何回も読みたい本。

    0
    投稿日: 2013.05.07
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    自省録と比較して、セネカはより「生」についての記述が多いことを発見した。今はそれが分かっただけでよしとしたい。

    0
    投稿日: 2013.02.11
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    他人のために時間を使うのは無駄であり、自分のためだけに使いなさいという。 そして時を誰よりも惜しむ時の番人になれと言う。 確かに人生が短いのは事実であろうけれど、他人のために使うな、というのは共感できなかった。 何はともあれ人生は短いので自分が後悔しないように生きたい。

    0
    投稿日: 2013.02.05
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    人生における時間の価値を認識するのにはよい本だと思います。 「われわれの享ける生が短いのではなく、われわれ自身が生を短くするのであり、われわれは生に欠乏しているのではなく、生を蕩尽する、それが真相なのだ。」(12頁) この言葉を時間の価値を知るきっかけとすることが、この本の有効な活用法だと思いました。 しかし、他人のために時間を使うことが浪費であり、自分の自由のために時間を使うことが賢いと読めるところがあります。その点については賛同できません。

    1
    投稿日: 2013.01.27
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    このレビューはネタバレを含みます。

    3篇収録。 よい生き方、心の平静の保ち方などについて。 【幸福な生について】 最もよいものは徳である。 これは私たち日本人に馴染み深い、儒教的な徳のイメージ(中庸など)と近い。 この徳のもとで生きれば、何事も自由に思い通りにいく。 これは、自らの力によって確実に達成することの出来る程度の望みや期待を持つに留めるのが良いということだろう。 偶然がつきものである外的な要因に頼るのはよろしく無い。 【心の平静について】 「誰かに起こることは誰もに起こりうる」のだから、謙虚な姿勢でどんな場合でも対応できるような平静な心を持つことも大切。 「生を嘆くよりは生を笑い飛ばす方が人間的なのである。」

    2
    投稿日: 2012.12.28
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    セネカの「時間と人生」論。 名言や独特のレトリックを持つ。 哲学者の立場としてもであるが、ローマ帝政初期ていう時代に政治に携わった立場から、非常に呼びかけ的な文体のように感じられる。 「われわれは短い時間を持っているのではなく、実はその多くを浪費しているのである」 「生涯をかけて学ぶことは死ぬことである」 「その人は長く生きたのではなく、長く有ったに過ぎない」 「所詮は自分自身が自分を煩わすもとである」 私たちの「時間の使い方」を考えさせてくれます。 『心の平静について』についてのレポートを書いたのが、多忙で鬱な状態の時であり、セネカが、先ずは自分を知ること、人間関係を選ぶことや仕事を減らすことなど現実的なアプローチを説いている点は意を得たりといった感じであった。

    0
    投稿日: 2012.10.24
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    ジュンク堂書店京都BAL店 もしも明日自分の店が閉まるとしたらどうしても今日売っておきたい1冊 飛鳥新社『書店員が本当に売りたかった本』発売記念 全国連動フェアにて。 POPには「できるなら生まれてすぐに読みたかった。」みたいなことが書いてあったので、「まあそこまで言うなら・・・」と思って読んだ。が、読後の感想は " Waste of Time. " でした。あくまで個人的な意見ですが、生きてるうちは読まなくていいかなと。 「生の短さについて」「心の平静について」「幸福な生について」の3篇。 内容は簡単に言うと「お前らそんな時間を浪費せずにもっと哲学しろよ。」 中身は微妙なんですが、セネカという人物自体はかなり興味深いです。病気や冤罪などの不幸に見舞われるも、公職につき、悪帝として有名なネロの師を務めるなど順調に昇進。しかし、最後はそのネロによって自決を命じられるという波乱万丈っぷり。 解説のほうが面白かったです。

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    投稿日: 2012.10.08
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    「人生の短さについて」-”出家のすすめ”ですね。これは。3篇のうちで一番読みやすいです。「心の平静について」-昼下がりに読んだため各所で意識がとんだ。3篇のうちで一番退屈だった。「幸福な人生について」-前半ではエピクロスについての言及があり、後半では、財産を持つことがが幸福ではないといいながら多くの財産を持っている、との批判に答える論が展開されている。そのあたりがおもしろかった。あと巻末の解説を読むと、セネカは哲学者というより、相当な汚れ仕事もした政治家らしく、最後の1篇はそのことも知った上で読んだ方がおもしろい。

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    投稿日: 2012.09.20
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    “As is a tale, so is life: not how long it is, but how good it is, is what matters.” ― Seneca 英語の講義で、ハーバード大卒業生に向けたJ.K.Rowlingのスピーチを聞いた。大学ではClassicsを専攻した彼女が締めくくりに引用したのは、セネカだった。読んでみようと思った。 いやはや、古典ってすごい。 これは枕元においておきたいかも。 いつの世も変わらない人間という存在について、思いを馳せる。 「われわれは、短い時間を持っているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費やされるならば、最も偉大な事をも完成できるほど豊富に与えられている」要するにそういうことなのだけれど、それを語るセネカの言葉のひとつひとつが洗練されていて、しっかりと心に響く。生きていこう。 時を超えて、生き残る言葉。

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    投稿日: 2012.06.12
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    [生の短さについて] ・時間を浪費するから生は短い。 ・自分のためだけに時間を使うべき。・哲学に時間を割くのが最もよい。 ・それから、読書しなさい。 [心の平静について] 例えば、倹約したいと思っているのに贅沢な暮らしにあこがれる気持ちがわずかにある。この心の揺れを抑えるにはどうしたらよいか。そんな問いから始まります。 ・自己に対する不満を減らす ・公の仕事に従事する ・運命から逃げない ・自分の能力にあった仕事をする ・財産は少なすぎず多すぎずがよい ・すぐに慣れるのだから、悲運は敵対すべぎでない ・自分を繕って生きるべきではない ・精神は時に緊張からそらさねばならない [幸福な生について] ・ ・ ・

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    投稿日: 2012.06.03
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    心の平静を得るための処方箋。人間の生は潤沢に与えらているが、自分で生を蕩尽してしまうことで短くさせている。大切にしたい言葉が沢山あった。 『生の短さについて』 『心の平静について』 『幸福な生について』

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    投稿日: 2012.04.01
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    このレビューはネタバレを含みます。

    心に残った箇所の概略 「生涯かけて学ぶべきことは、生きることと死ぬこと」 「時間のようにいつ尽きるとも知れないものは、注意をもって大切にしなければならない」 「今直ちに生きなければならぬ。捕えなければ、今を」 「過去の所有は永久であり、安泰である」 (幸せな経験があれば、後でそれを失ってしまったとしても、人生の財産として残ってくれるし、誰にも奪えない。というようなことだと解釈しました) 「両親は選べないが、我々は自己の裁量で誰の子にでも生まれることができる」 (マイ解釈。自分が自分の親となり、周囲からの情報を教訓として、理想の自分になれるように自己を教育し、ときには褒めてやる気を伸ばす) (学芸の巨匠に学ぶこと) 「賢者の生命は永遠」

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    投稿日: 2012.03.10
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    ただ単に、いい言葉がいっぱい詰まっています。太古の昔に語られたのにね。ある面においては人間は同じ事で悩んで、全然進歩してないってことですよね。そう思うと安心できますが、人生でどこに進むか、それを考える伴侶になる1冊ではあります。

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    投稿日: 2012.03.09
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    本のタイトルは『人生の短さについて』ですが本編にはこの他に 『心の平静について』と 『幸福な人生について』の3部構成です 大事な言葉だけをメモしようとするだけで一冊読み終える頃には付箋紙だらけになってしまう内容である。 ストア哲学は2000年の時を経た現代の時代に必ずしも全てがマッチしているわけではないが言葉として時代を超えても行き続けるってことは「死によって不死に達した」哲学者の凄まじき生き様を感じずにはいられない。 本のタイトルにある『人生の短さについて』の編の気に入った言葉だけを抽出すると・・・。 『生きることを学ぶことほどむずかしいことはない。』 『生きることは生涯をかけて学ぶべきことである』 『生涯をかけて学ぶべきことは死ぬことである。』 『生きることの最大の障害は期待をもつということであるが、それは明日に依存して今日を失うことである。』 『幸うすき人間どもにとって、まさに生涯の最良の日は真っ先に逃げていく』 『過去を忘れ現在を軽んじ未来を恐れる者たちの生涯は、きわめて短く、きわめて不安である。』 文中の言葉すべてがセネカではなく他のストア哲学者の引用もあるが善とは?徳とは?何かを知り得たいときこの一冊が道標となれるかも知れない。

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    投稿日: 2011.12.23
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    このレビューはネタバレを含みます。

    人生を短くする人間の行いについて様々な角度から述べられた書。全て“生は浪費すれば短いが、活用すれば十分に長い”ということについて述べられている文章なのだが、その具体例や使われる言葉が素晴らしく大いに心が動かされる内容だった。

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    投稿日: 2011.12.04
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    ■マインド 1.人間の生は、十分長い。にもかかわらず、生が短く思われるのは、我々が生を浪費しているためである。 2.人生においては、皆が行く方向を追い続けるような真似をしないことが大切である。

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    投稿日: 2011.07.20
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    多くの病人の死亡原因は、自分の病気を知ったことであった。 誰にでも起こりうるのだー誰かに起こりうる出来事は 多忙な怠惰 ヘラクレイトスは公衆のなかに進んで行くたびに泣いたが、デモクリトスは笑った。前者には人間のしていることがすべて哀れに見えたが、後者には愚かに見えたのだ。 弱い心を保護するに十分強力であるためには、真剣な絶え間のない気遣いをもって動揺する心を包んでやらねばならぬ。 われわれを害悪に巻き込むことの最も甚だしいのは、多数者の賛成によって承認されたことを最善と考えて世論に同調することであり、また沢山のことを我々の先例として、道理に従って生きるのではなく模倣に従って生きることである。 幸福な人は、判断の正しくできる者である。幸福な人は、たとえ現況がどうであれ、それに甘んじ、自己の境遇に親しんでいる者である。

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    投稿日: 2011.07.01