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国家と教養(新潮新書)
国家と教養(新潮新書)
藤原正彦/新潮社
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総合評価

48件)
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    数学者であり世界各国のいわゆるエリート層ともかかわりの深い著者が「教養」の歴史を紐解きながら各時代の社会の中でどのような役割を演じていたか、もしくは演じられなかったかを解説し、それを元に現代社会への警鐘を鳴らしている。 内容は良いと思うが、著者の国際社会への見方は少々偏りがありその部分は話半分に聞くべきかなと思った。 特に事実認識と意見が混在しているときがあり、他に見方があるかもしれないのに断定的なのがちょっとなと思った。 とはいえ、その部分に目をつぶれば数学者ならではの雑学やスベッても気にしないユーモア(笑)もあり、楽しめる部分も多かった。 教養に関しては知識、情緒、形(徳目)を実生活に活かすべしというのがあり、それは同意である。 所謂、論語読みの論語知らずという奴だ。 あとはやはり読書は大事なようである。

    1
    投稿日: 2024.05.18
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    このレビューはネタバレを含みます。

    私は大分の唐揚げが大好きだ。 でも、それを食べなくても幸せに生きれる。 そして、大分の唐揚げを食べずに人生を終える人を 心底気の毒だと思う。 誰かにとっての唐揚げは、なくてもいいもの。 誰かにとっての唐揚げは、人生を最高においしくする。 教養のとらえ方は、こういうことなんだと思う。 そして教養は、そんなことあるのか、というモノの見え方を広げて、考える人を作ってくれる。 その教養は体験でも読書でも深まる。 ただ、読書をさけては深められないんだということを著書の中で明快に示してくれてます。 そして縁遠い国家という言葉。 そこで国家を、大分の唐揚げ、と強引に言い換えてみた。 グッと近づいた。 「大分の唐揚げを後世に残したい。」 なんだか可愛くもあり、かっこよくもあり、 私の言いたいことに他ならないです。 きっと、ここに行きつけたのは読書した成果だと思う。

    4
    投稿日: 2023.12.09
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    教養は本質を見出し価値基準を構築するためのものである。昨今、日本国を含む各国は、利益追従型の経済を求め、教養が失われた。国家としての体が損なわれている。今こそ、人文、社会、科学、大衆文化的教養を改めて、読書を通じて取得していくべき。 ※教養と国ごとの関連性の歴史は理解はするものの、大筋の流れの中で、歴史を語った流れの結びつけが少々理解が難しいように感じられた。

    0
    投稿日: 2022.09.25
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    ところどころに出てくる老害のような自己顕示が生理的に嫌だったが、教養とそれが歴史に与えた影響に関する考察は納得がいく。 教養の価値が失われている現代という捉え方には反対。そもそもこの本が教養ブームに乗っているように見えるのだが。 アレクサンドリアに世界最大の図書館が作られたが、5世紀には内戦や失火等で跡形もなくなった。学者や書籍はコンスタンティノープルに逃れ、その後アッバース朝の都となったバグダッドでも学術が栄えた。イタリアの都市国家が栄え、交易が盛んになるにつれてアラビア語に訳された古代ギリシャの知的遺産がヨーロッパにもたらされた。そしてビザンチン帝国の衰退とともにコンスタンティノープルからイタリアに逃れた学者たちがルネサンスをもたらした。しかし、2つの世界大戦を止めることができなかった教養はその魅力を失ってしまった。日本では明治維新後に西洋の文物を押しいただいて受け入れたが、結局日本古来の形や情緒のない頭でっかちで、第二次世界大戦へ突き進んだり、バブル後に何も考えずに規制緩和を唱和するようになってしまった。最後に教養の磨き方1つとして、大衆文化教養を奨めている。

    0
    投稿日: 2022.04.14
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    非常に刺激的だった。 ・教養の変遷という視点からではあるが、人類史における大きな流れや転換期をストーリーとして理解しやすくなる。歴史の一テキストといっても良いかもしれない。 ・各イデオロギーにはそれぞれのデメリットがあるが、教養がその打開策になりうるというのは個人的に大きな発見だった。 ・これまで民主主義は最善と考えていただけに、批判的思考がまだまだ足りていないと自覚されられた。 ・本書の構成や解説は論理的でとても読みやすくありつつ、主観をしっかりと盛り込み、個人的な感情を明確に出している。このことこそが、教養ある人が持ちうる、いわるゆ「論理一辺倒ではなく情緒や形を基盤とした思考」である証左といえよう。 主張の内容を文体で体現しているこのスタイルは、他に頭に浮かんだものとしては(例として不適切かもしれないけれど)例えば漫画のバクマンなどにも共通している。 各所に英国仕込みと思われるユーモアも忘れない。 主観をはっきり打ち出すと、今日では「それはあなたの感想ですよね?」とでも揶揄されそうではあるけれど、教養や、ある程度のリテラシーがあればそれもまた一意見として受け止められるだろう。 著者の域に立ち、それを超えられるまで、更に精進していきたい。

    1
    投稿日: 2021.11.21
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    2021.10.2 正しさを測るための価値観、それを身につけるためには教養が必要。教養はさまざまな体験から得られるけれども実体験には限度がある、故に読書は必須。

    0
    投稿日: 2021.10.03
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    民主主義は一人一人がしっかりしないといけないからたくさん教養を身につけたい。 1ページでも多く本を読みたい。

    0
    投稿日: 2021.09.13
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     教養の必要性について述べた本。西洋や日本における歴史の中での教養の位置づけに大部分の論述を割きつつ、最終章で現代における教養の必要性について述べている。  教養を厳密に定義することには著者も消極的であるが、著者は教養を「情緒や形と一体になった知識」、最終章での言い換えでは知識・情緒・意志や道徳と主張している。民主主義国家において、衆愚政治に陥らないためには国民一人一人の教養が必要という点には納得がいく。一方、国民一人一人に教養が無いことも前提においた次の政治手法が今後出てきてもいいのではないかなとも思えた。いずれにせよ、教養がこの不確実で情報にあふれる世の中で重要であることに疑いの余地は無いかな。

    0
    投稿日: 2021.08.12
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    本書で言う「教養」とは、いわゆる雑学というものではない。 欧米のグローバリズムに流されないために、日本人が日本人としての価値判断を持つことの大切さが書かれている。 面白かったよ。

    0
    投稿日: 2021.04.25
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    グローバルスタンダードの背後にあるアメリカの意図を知ったのは衝撃的だった。 アメリカに言われたから郵政民営化を行った事は知ってはいたが、民営化する事で惰性ではなく金儲けを考えられるように郵便局が変わったと感じていたからだ。 日本から資産が大量に離れていると知れたのも、この本を通してだった。 この本を読んで危機感を感じた。 第一次世界大戦後に日本が第二次世界大戦に走るまでの間にどのような流れがあったのかも知らなかった。 教養層の人々が戦争に向かっていったのは、世界を知らない軍人と日本人特有の同調圧力のせいだと思っていた。 それもあるとは思うが、歴史的な流れを知ると教養層の人間が日本人的な人情を忘れていたという事もあるのかもしれないと感じた。 しかし、自由経済に染まっている私の頭では、理解できない部分も多かった。 弱者を助けなければならないと言うけれど、弱者は時代の転換期に変わろうとしなかった怠け者のように感じる。 機会があったのに変化を望まなかったからこそ、弱者になったので自己責任ではないのかとさえ思う。 私は日本人的な人情が欠如している可能性がある。 本書で紹介されていた書籍をまずは一度読んでみようと思う。 また、歴史についてもシッカリと学ぶべきだ

    1
    投稿日: 2020.11.15
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    このレビューはネタバレを含みます。

    この先生きていくためにはもっと教養を身につけていかないといけないと言う事を繰り返し言っています。 この本を読みながら、もっと教養が身につくような本読まないな~と思ってくる作品です。。

    0
    投稿日: 2020.11.02
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    言うまでもなく『教養のススメ』的な内容なのですが、知識と教養があるはずのエリートたちがなぜ戦争を防げなかったのか?などの問題提起もあり、教養の両側面について述べた良書だと思います。個人的には中間部分の教養の歴史についての記述がおもしろかったです。人類の歴史をたどっていると言っても言い過ぎではなく、人類がどのように叡智を受け継ごうとしてきたのかについては興味が湧きます。少し前に読んだ『イモータル』という小説を併読されてもおもしろいかもしれません。教養を身に着ける手段として、結局『本を読め』だけなのはちょっと残念ですが、ぜひ読んでみてください。

    1
    投稿日: 2020.09.06
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    『国家と教養』/藤原正彦 p178 本を読むときは常に批判的に読むこと、自らの頭で納得しない限り信用しないことが大切です。 まず、この書籍の紹介をする上で、著者の上記の言葉を前提としたいと思います。 私は批判的ではなく、まずは受け入れようとする姿勢で読書をしていますが、どうしても、批判的な捉え方が多くなりました。それは、著者自身の考え方ありきで書かれているのかなと思うところが多かったためです。 ただ、その考え方を持って、否定しているというつもりはありません。むしろ、否定したい気持ちが強くなるほど、「そういう考え方もあるんだ」という気づきは多く得られたためです。 本書がいいたいこととして、 p174 現代社会の病の本質は、世界的規模での民主主義の浸透に、各国国民の教養がついていっていない、という不合理にあったのです。古代ギリシャ以来19世紀まで、あれほど驚異的な力を発揮してきた教養が、20世紀に入って、いくつもの大戦争の抑止力として全く働かなかった。20世紀になって多くの国々で普通選挙による民主主義が導入されたため、「国民の未熟」という、歴史上ほとんど問題とされてこなかったものが、初めて大問題として顕在化してきたのです。 20世紀の途方もなく大きな二つの戦争に対し教養層が無力だったことには二つの理由がありそうです。 産業革命を経て一気に複雑化し進展の激しくなった世界に、古い教養、すなわち従来の哲学、古典を中心とした教養、が十分な効力を発揮できなくなったこと。そして教養のない未熟な国民という大問題を忘却したまま、各国が民主主義に走ったため、どこも衆愚政治に陥ったことです。 別の言い方をすると、古い教養が時代についていけなくなったこと、そしてもう一つは、民主主義とは教養層が力を発揮できない体制であったということです。国民が教養を失い、成熟した判断力を持たない場合、民主主義ほど危険な政治形態はありません。 民主主義は最悪の形態になり果てます。各国の国民が十分な教養をもつようにならない限り、混迷した世界の現状は、今後永遠に続くということです。 上記のように、一人一人が教養を養わなければ、混沌とした今の世界状況は変わらない。 そして、著者がいう教養とは、 p190 教養には四本柱があります。 まずは長い歴史をもつ文学や哲学などの「人文教養」、政治、経済、歴史、地政学などの「社会教養」、それに自然科学や統計を含めた「科学教養」です。この三つの柱は誰もが認めるであろう、常識的なものです。 力説したいのは、これに加えて、そういったのものを書斎の死んだ知識としないため、生を吹き込むこと、すなわち情緒とか形の修得が不可欠ということです。これが四つ目の柱になります。 それには、我が国の誇る「大衆文化教養」が役に立ちます。旅に出ることや友達と語り合うことも大いに役に立ちます。 そのためには、著者は読書が必要不可欠と謳っています。また、読書の重要性を下記のように表しています。 p194 読書は国防となるものです。書店数の激減は我が国の将来にかかる暗雲と言えます。 また、大学生の半数が月に1冊も本を読まないとという調査結果が出ました。読書離れはそこまで進みました。ケータイ、スマホの使用規制を全国の小中高で実施すべき時がきたようです。 民主主義という暴走トラックを制御するものは、国民の教養だけなのです。 至るところで、「?」と思うところもあります。しかし、本書の構成として、古代ギリシャから現代までの教養の流れがまとめらており、教養と戦争などの関係、当時の文化など、知らないことも沢山あり、勉強にもなりました。 何度も読み返して理解を深める必要がある一冊だと感じました。 そして、何よりも、教養云々の前に、しっかりと個々人としての考えをまとめられる、主張ができることが大事で、そのための一助として読書があるということを想いました。

    0
    投稿日: 2020.07.22
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    今の日本人が教養を重んじないおかげで、全体レベルが低下。公立でも私立でも入学試験に重きをおいて詰め込み勉強させているから、考える力もなく考える力の餌になる教養がなくて芽が出ない。 何を変えたらいいのか、自分は足りているのか。 大学生が新聞を読んだだけでギークと言われるようではどうしよう。 テレビなどに出てくる思い込みで生きている、正しいことを覚えようとしない傾向の20代後半の人たちには呆れを超えて恐怖が湧いてくる

    0
    投稿日: 2020.06.16
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    バブル崩壊後、日本型システムをアメリカのやり方で改革に走る。(金融ビッグバン、医療制度改革、郵政民営化) 冷戦終結とほぼ同時に起きたバブル崩壊に気を取られ、歴史の転換やその影響を考慮することを忘れてしまった ギリシア人、ユダヤ人、エジプト人からなる世界一の巨大都市アレクサンドリアは、膨大な図書と学問的蓄積を背景に、600年文化の花を咲かせた。ギリシア文化+古代オリエントのヘレニズム文化 その後、ローマ帝国は395年に西ローマ帝国と東ローマ帝国に別れる。アレクサンドリアの学術研究所は内戦による被害やキリスト教徒(ミラノ勅令によりキリスト教が国教とされた)により破壊されたが、東ローマ帝国(ビザンティン帝国)のコンスタンティノープルに全て持ち出されていた。 その後、610年にムハンマドが開いたイスラム教が中東全域に広がり、8世紀中ごろに強国家アッバース朝が生まれる。 8世紀のビザンティン帝国は、北からゲルマン、東からペルシア、南からアッバース朝に押され、現在のトルコ辺りを領土とする小国になった。 アッバース朝はバグダッドにおいて、ギリシアやシリア、インド、中国の知識を蓄える。 アッバース朝は12世紀まで地中海沿岸を占領していたが、力の弱まった頃、ジェノヴァやベネツィアなどの北イタリア都市国家が、地中海貿易の主導権を握る。1453年、コンスタンティノープル陥落、ビザンティン帝国が滅びると、学者の多くがイタリアに渡来。千年前とは逆のげんしようが起こり、古代ギリシアの古典がヨーロッパに里帰りする→ルネサンスの開始 同時に、グーテンベルクの活版印刷の発明により、各国に知識が伝播する。 宗教ではエラスムスが愚神礼賛で堕落した宗教批判→ルターやカルヴァンによる宗教改革が起こり、プロテスタントの台頭 このように、古典の再考が世界を発展させた アリストテレスは、アレクサンダー大王のコネでアテネに学園リュケイオンを建て、音楽、算術、幾何学、天文、人物、社会、自然の自由7科を学ばせた。→現代のリベラルアーツ(教養)の原型 現代人が教養を捨てた理由は、アメリカの台頭。 ビジネスの国であり反知性主義のアメリカが、グローバリゼーションと共に影響力を強め、世界経済に効率化と金銭至上主義をもたらした。 第一次世界大戦のとき、ドイツ知識人は文化のドイツvs文明の西欧を掲げ、戦争を肯定した ドイツはナポレオンの侵略などにより、国内が複数に分割されていたが、国家存亡の危機に立たされ、国家主義へと進んでいく。 隣国フランス(言語による雄弁さや弁証力)に対抗するように、学問を通じての人格の育成に励む。 ヨーロッパでは昔から「学問、文学、芸術の古代ギリシア」と「政治、経済、工学の古代ローマ」という図式があり、前者は後者に優越する、という考え方が定着していた。 ドイツは、人格の育成の最上位を哲学と置き、そのときイギリス、フランスで流行した啓蒙思想さえ斥けた。この結果、ドイツにはごくわずかの教養市民層と大多数の大衆が存在することになり、ドイツ帝国になった後も、大衆は一部エリート層に盲目的について行った 順風満帆だった教養市民層に、産業革命と資本主義の進展が押し寄せる。大衆は知恵をつけ、格差の拡大から社会主義も徐々に台頭する。プロレタリアートの隆盛により、それまで低く見られていた工学や実学の地位が高まる。 その後、教養市民層は自分たちの存在理由を回復するため民族主義を唱え、指導者原理の道に突き進む。→ヒトラーの出現 ヒトラーは教養市民層を、精神だけで挙のない人々だと糾弾し、片っ端から追放する。敗戦で苦しんでいた大衆は迎合をし、民主主義国家のもと、ヒトラーが政権を獲得。教養なき一般大衆が歯止めなき暴走を生み出した。また、教養層が政治や社会、権力闘争、人情、面子といった目に見えない力学を理解しておらず、バランス感覚も欠如していた。 対して、イギリスのブルジョワ階級は、大衆から乖離することなく、大衆のお手本として機能し、国家の統治は充分な教養を持ち合わせた貴族やジェントリーが担うべしとされた。 イギリスは、ドイツと違い論理的で行け行けドンドンというわけでなく、自らを俯瞰しバランス感覚とユーモアを取るきらいがある。 ユーモアというものが、他国のエリートとの一番の違い。 【日本の教養】 新渡戸稲造が旧制一高(東京大学教養学部)の校長として赴任してから加速、一気に古今東西の文化にできるだけ触れるという教養に舵を切る その後、ww1で経済は発展し多くの人間が中等教育に進むが、同時にコミンテルンが台頭、マルクス主義の台頭を呼ぶ→治安維持法により、マルクス主義、自由主義は取り締まられる ww1のバブル崩壊+関東大震災により経済が悪化、高等遊民の没落、悲惨な国内を背景に海外進出の機運が高まり、満州事変勃発 大恐慌後にはイギリス、フランス、アメリカがブロック経済を発動、植民地の無い日本、イタリア、ドイツは戦争に打って出た 明治中期以降に生まれ、大正や昭和戦前に活躍した知識人たちは、西洋哲学や西洋古典の知識は身につけていましたが、日本古来の形は明確に持っていなかった。政治的教養も蚊帳の外だった。 舶来の教養を葛藤もなく無邪気に身に着けた世代(大正デモクラシーを支えた世代)は、日本という根がないため、自分達の獲得したものが西洋崇拝に発した借り物の思想であることに気づかず、その危うさにも気づかなかった これからの教養は、今までを省み、現実対応型の知識、すなわち情緒や意志や道徳と一体となった知識が必要になる 充分な知識や情緒や形を得るためには、実体験が必要であるが、その量には限界がある→間接体験により補完しなければならない。間接体験とは読書、文化、芸術、自然、宗教に触れること 堂々たる価値基準を持ち、教養を蓄積することが国のリーダーには必要、また、近代民主主義では、国民一人ひとりが、教養を持ち、トップを選ぶことが大切 民主主義は、国民が教養を失い、成熟した判断力を持たない場合は地獄の政治形態と化す。 具体的な教養としては、哲学・古典、文学、政治、経済、地政学、科学、統計学、大衆文化。 それに加え、情緒とか形など、生きたものを吹き込むことが大切

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    投稿日: 2020.06.07
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    人は自分にとって価値ある情報を"嗅覚"で選ぶ。この嗅覚は"教養"と、そこから生まれる"見識"によって培われる。 教養は、人類の歴史の中で、次のように扱われてきた。 ・古代ギリシアでは、ピタゴラス学派が自由人になるための技術として7科目を基本とした。 └数学系4科:音楽、算術、幾何学、天文 └言語系3科:文法、修辞、論理 ・帝政ローマ時代の末期、数学系4科と言語系3科を合わせて、自由7科(リベラル・アーツ)と呼ぶようになった。 中世に入ると、自由7科の上に"哲学"を置くようになった。 ・第2次大戦後、教養主義は徐々に衰えた。 理由として、 └現代人が教養を見下すようになったこと └知性を軽視する"アメリカ化"が世界で進んだこと などが挙げられる。 今後、新しい情報社会に対応するには「現実対応型」の教養が欠かせない。これは └情緒:人生経験によって培われる心 └形 :正義感、勇気など人間のあり方 と一体となった知識である。 これからの教養を構成する情緒や形、知識は、実体験によって得られる。 ただし、一生の間に実体験できることは限られるため、間接体験(追体験)、つまり読書や芸術などに親しむことが大切になる。 これからの「教養の4本柱」は次の通り。 ・人文教養:長い歴史をもつ文学や哲学など ・社会教養:政治、経済、歴史、地政学など ・科学教養:自然科学や統計など ・大衆文化教養:古典芸能やマンガなど

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    投稿日: 2020.05.02
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    教養が一部の層に独占されることで、教養層は選民としての利益を享受する一方、社会的構造は弱体化するということを紐解く。印象的なセンテンスは「現代の病とは民衆の無教養化・未熟化によるによる民主主義のほころび」ということ。 かつて民主主義を特権層からもぎとった際の喜びははるか遠くの化石となり、今をいきる私たちは自由を享受するための学びを怠っているのかもしれない、とも思わされる。

    0
    投稿日: 2020.04.29
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    自分の内面を高めてくれたり、高められそうな本に出会えた時ほど、幸せを感じられる時はない。 この本には、ありがとうと言いたい。

    0
    投稿日: 2020.03.29
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    古代ギリシャ→アレクサンダー大王→プトレマイオス朝エジプト アレクサンドリアの図書館→ビザンツ→プロテスタント 数学・哲学や形而上の学問 古代ローマ→フランス→カソリック ーーーーーーーーー 知識階級の性質は、国それぞれ。 イギリスのジェントルマンは代々の大地主で実業から隔離されて生活できるがノブレス・オブリージュにより実業に就く。ユーモアとスポーツを重視し、バランス感覚に秀でているため、政治が極論に流れることがない。 ドイツの知識層は政治経済などの実業を下に見る傾向があり、ナチスの理想主義に流される 日本は開国後ドイツから思想系統を受け入れ、大正時代の高等遊民など政治センスに疎い知識階級が育った。軍閥や左翼の勃興を牽制できなかった。

    0
    投稿日: 2020.03.23
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    一言でいうと気持ちが悪い。ソース無しの文章は新書では仕方がないことだと思うが、それでもあまりに多くの主観的な、そしてネガティブな言葉が並べられており、嫌悪感を覚えた(ところどころユーモアを狙ったような表現もあったが、ただただ気持ち悪かった)。 主張自体はなるほどなと思える部分もあり、教養が如何に歴史的に廃れていったかに関して、新たな視点を得ることができたと思うが、この遠慮のないネガティブな言葉で過去の人々を批判する姿勢は全く自分に合わなかった。

    0
    投稿日: 2020.03.19
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    おそらく積読だった本書をようやく読了。民主主義である以上国民一人一人が教養を育むべき、というのは本質的で明快な話と思う。で、何が教養かというと人文的教養、社会的教養、科学教養そして大衆的教養の4つがあり最後の大衆的教養が最も軽んじられているが実は重要なのだ、というお話。自分は科学教養と大衆的教養はあると思うので人文的および社会的教養を意識して育んでいきたいと思う。

    1
    投稿日: 2019.12.27
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ギリシア・ローマ文化をスタートとした「教養」というものと国家がどう付き合い、またその付き合い方により国家がどのような運命を辿ったか、主にドイツやイギリス、アメリカ、そして日本といった国を中心に論じている。 ここでは教養プラス「ユーモア」を大切にしているイギリスが教養とうまく付き合っているとされている。それについては学の浅い私には正誤はわかりかねるが、頭でっかちにならずにユーモアを大切にすることの必要性は同感である。 この本で私が一番納得したのは、民主主義の欠点をズバリついているところ。つまり大衆が政治に参加するためには大衆にも「教養」が必要であるが、現代の民主主義は経済性や効率性ばかりに目が行き、教養が疎かになっているために単なる衆愚政治に陥っているという点。 そのために日本人は哲学や自然科学といった従来の教養のほか、芸能や大衆文化も含めた教養を身につける必要があるとしている。 さて、これらの教養が私たちにとって必要なのかは私にはわからないが、少なくとも政治家を選ぶのに必要な教養が我々に備わっていないのは確かである。その結果が現在の日本の政治、である。まさにいい得て妙だろう。

    1
    投稿日: 2019.11.26
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    国家を正しく導くためには真の教養が必要で、日本もドイツも偏った教養のために破滅の道を突き進んだ、という。また、第二次大戦前のアメリカの日本へのオレンジ作戦など、私の知らない記載が多く、目を疑った。世界には偏った教養ばかりで、真の抵抗は生まれなかった。▼「教養が哲学や文学に偏るのは危険で、人文教養・社会教養・科学教養・大衆文化教養の4つがすべて必要です。民主主義という暴走トラックを制御するのは、国民のこの4つの教養だけなのです」、と説きます。▼そのなかでも、日本古来の情緒あふれる文学や芸能は世界に誇るもの、大事にすべきと説きます。▼筆者の意図はよく分かるのですが、国民全体が筆者の説く教養を身につけることは、多大な努力を国民に求めるもので、残念ながら達成できる日は遠いと感じました。でも独自の考察には感心しました。読んで得るところは大きいです。

    2
    投稿日: 2019.11.26
  • 読書は国家存亡にも影響するってことです

    超ざっくり言うと、民主主義国家を維持するには国民一人一人が高い教養を身につけなければならず、そのためにはいっぱい本を読めと。グローバリゼーションとか言って欧米文化ばかりを追っかけるな。日本の方が断然凄いんだぞと。とまあ、いつもの藤原節が炸裂。チャーチルを無能な政治家と言い切るあたりも気持ちいい。国家の繁栄や衰退と学問や教養との相関関係を世界史の流れを通して説明してくれるので大変勉強になった。「1日に1頁も本を読まない人間はケダモノと同じだ」という藤原先生の祖父様の言葉は強烈だけど頷ける。

    0
    投稿日: 2019.11.15
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ものすごく単純な解釈をすれば、リテラシーを高めるために本を読んで教養を身につけようという内容。 藤原先生はロマンチストに見えますね。

    0
    投稿日: 2019.11.14
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    「考え治す」必要がありました。 自らの身体のこと(非常にまずいことになりやした!) が御座いまして。読書?識字に問題が出ていまして 丁度しんどい時に読みました。  

    1
    投稿日: 2019.11.12
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    特に、現代のデジタル化された社会において、論理や結果はコモディティ化してくる。その中で、自分らしく、社会正義に基づいた考えを持つことが重要だね。それには、日本人らしい、教養の持ち方、自分らしい教養の持ち方が問われる。でも、そんな教養人を凌駕する権力や大衆の空気とは、何ものでしょう。できることは、教養の無い人をリーダーにしないことですね。

    0
    投稿日: 2019.11.10
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    【情報を論理的に体系化したものが知識とすると、これからの教養は書斎型の知識でなく、現実対応型のものでなくてはなりません。現実対応型の知識とは、屍のごとき知識ではなく、生を吹き込まれた知識、情緒や形と一体となった知識です】(文中より引用) 主に日本、そして欧米における教養の歴史を振り返りながら、現代社会を生き抜く上で本当に必要な教養とは何かを探求した作品。著者は、大ベストセラーとなった『国家と品格』を手がけた藤原正彦。 教養という多義的な言葉に切り込み、今日的な知の在り方について光を当てた点を評価したい一冊でした。かなり刺々しい言葉が作品中に目立つため、それを毛嫌いしてしまう人もいるかもしれませんが、藤原氏の思考回路をたどっていくのも本書の楽しみなのかもしれないなと感じました。 『国家と品格』が懐かしい☆5つ

    1
    投稿日: 2019.10.11
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    このレビューはネタバレを含みます。

    「教養は大事である」と口々に言われるが、教養とは何なのかについて、本書読了前は全く理解していなかった。本書を通して、教養とは”堂々たる価値基準”であると理解した。民主主義が成り立っている以上国民一人一人にこの教養が求められている。昔の同世代の人々と比較していかに自分の教養のないことか。 また世界が以前より近いものとなっている昨今、日本人としての価値基準を持つことがアイデンティティとなるはずなのに、自分にはそれがあると断言できないことに気づいた。グローバルスタンダードに踊らされることなく、日本的教養を身につけることが重要であると感じた。 最後に本書で紹介された、教養の4本柱。 人文教養…文学や哲学 社会教養…政治、経済、歴史、地政学 科学教養…自然科学や統計 大衆文化教養…情緒や形の修得。大衆文芸、芸術、古典芸能、芸道、映画、漫画、アニメなど。

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    投稿日: 2019.08.24
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    ・明治大正時代、舶来の教養を無邪気に身につけた世代は、日本という根がなく、借り物の思想であることに気づかず、大正デモクラシーを謳歌しているうちに、ロシア革命がおきるとマルクス主義にかぶれ、昭和ではナチズム・軍国主義に流された。戦後は、左翼思想に流され、今は新自由主義やグローバリズムに流されている。「上滑り」「虚偽」「軽薄」は一貫している。 ・基盤となる形をもたない個性は、流行りの新しい思潮に常に圧倒される。ドイツでも、フェルキッシュ運動・ファシズム・贖罪意識に圧倒された。 ・現代に至る日本の知識人のひ弱さは、世界に誇る我が国の大衆文化、日本人としての情緒や形を軽侮したことに因がある。 ・民主主義という暴走トラックを制御するのは国民の教養である。 ・実体験や大衆文化により養われた情緒や形があって、初めて知識に生が吹き込まれる。知識に、情緒や形がまぶされて初めて活性化され、真の教養になる。例えばグローバリズムを考えるとき、経済(=西洋の輸入品)だけを考える人と、日本の国柄とか美しい自然や弱者への惻隠を大事にしたい人はまるっきり異なる見方をする。

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    投稿日: 2019.07.05
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    イギリス寄りの立場からフランスの弁舌を胡散臭く捉え、アメリカの無教養を主張する。前提となる立場が明確なので、同意できない主張も含めて筆者の意図が理解しやすい。出来れば、他の2者の立場からの書籍を読むと、視野にバランスが保てそうだと感じた。

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    投稿日: 2019.06.07
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    「もっとしっかり勉強しなければならない」「もっとたくさんの本を読まなければならない」そう思わせてくれる本でした。 そして何より日本人であることを誇りに思えるように、恥ずかしくないように、しなければならないと思いました。

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    投稿日: 2019.06.04
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    このレビューはネタバレを含みます。

    経済上の変化が、不思議といおうか、当然といおうか、人の優しさ、おだやかさ、思いやり、卑怯を憎む心、献身、他者への深い共感、と日本を日本たらしめてできた誇るべき情緒までをも蝕み始めたのです イギリス人には他人と違うことはかっこいいと言う文化があります 読書を通じ、古今東西の賢人や哲人や文人の言葉に耳を傾けることができます

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    投稿日: 2019.06.03
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    藤原正彦 著「国家と教養」(2018.12)、私には難しかったです。最近は、冗談交じりで、教養とは「今日用事がある」(教育は「今日行くところがある」)なんて言ってる私ですw。教養はなぜ必要か、教養の衰退、教養と欧州、教養と日本、国家と教養・・・、難しかったです。著者の思いを推察すると、疑似体験の柱となる「読書」と教養の4本柱(人文教養、社会教養、科学教養、大衆文化教養)の重要性でしょうか。就中、大衆文化教養(情緒)の大切さに力点を置かれています。とにもかくにも難しかったですw。

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    投稿日: 2019.05.20
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    書評は、加筆修正の上、ブログに書きました。 https://dark-pla.net/?p=2963

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    投稿日: 2019.05.08
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    年取ったなぁ。。。丁寧さに欠けた文章がもったいない。正論が老害に見えてしまう。すごい正しいこと言ってるのに。天才数学者が長年の知見で綴った名著であることは間違いない。賛否あっても、深く参考になる一冊。

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    投稿日: 2019.04.26
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    西洋史が大半を占めていますが、とても勉強になりました。また、教養=読書の重要性を改めて再認識しました。 将来の日本を担う子供たちへ、今後も読書を強く勧めていきたいと思います。

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    投稿日: 2019.04.21
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    【感想】 近代の世界史について、筆者の客観的な視点も相まって、読んでいて非常に勉強になった。 どの国の歴史を見ていても、(当たり前だが)やはり自国の国益を最優先に考えて動いており、その中で社会主義や資本主義が発展しているのが読んでいて分かった。 正直、「教養」というのは一文の得にもならないということを分かった上で、ただ欲望にまみれた本能を抑制する手段として身につけなければならない。 ナチスドイツの発展やソ連の誕生なども、国民の教養不足の合間を縫って発展したのだから、その点は非常に頷ける。 ただ、作中にもある通り、利害損失のみで動いている人間が多い今世において、果たして「教養」という剣が本当に役に立つかどうかについては、甚だ疑問とも思った。 これから必要な教養として、「人文的教養(哲学や古典)」「社会的教養」「科学教養」「大衆文化教養」などが挙げられているが、この世で生き抜くにあたっては、メシのタネになる、あるいは自身を守る盾になる「実学」を身につけなければいけないのではないか。 自身の仕事に直結するための勉強や、収入につながる勉強、誰かに騙されないよう見抜くための勉強など・・・ 多少軽薄なのかもしれないが、誰かに欺かれたり競争で勝ち抜くためには、そういった知識も身につけないといけない世の中なんだと個人的には思っている。 「教養が大切だ!」という意見は勿論頷けるが、綺麗事だけではこの世の中で生きていくにあたってハズレを引き続けてしまう気もする・・・ リベラルアーツなど、知識として身に着けておく重要性も感じたが、それと同時に、いやそれ以上に、「VUCA」と称されるこの世の中を生き抜くためにも、別ジャンルで必要な知識やスキルを身に着けていく必要がある。 「性善説」を貫いて生きるのは確かに素晴らしいが、それは疑う事を怠けてしまっているのと同義である。 この世に悪意が潜んでいる限り、「清濁併せ吞む」覚悟で生きていく必要があるなと、最近になってとても感じる。 とても面白い本だったし、勉強にもなったが、結局は筆者の主張とは大きく異なってしまった。 結局、マジメな人間が損をしてしまうリスクが大いにあるこの世の中では、「功利性」や「金銭」の大切さから極端に目を背ける事が今の自分には到底できない。 前記したが、「清濁併せ吞む」スタイル。 また、「性善説」に依存しすぎないスタイル。 「教養」をしっかりと身に着けつつ、決して貧乏くじを引かないためにも、打算的に狡猾に世の中を生きていくダークスキルも併せて今後は身に着けていこうと思った。 【内容まとめ】 1.「教養」とは、世の中に溢れるいくつもの正しい「論理」の中から最適なものを選び出す「直感力」、そして「大局観」を与えてくれる力。 2.アメリカのトランプ大統領も、口ではウォール街を牽制しているが、実際は金融規制緩和などでウォール街を喜ばせ、国益を優先としている。 アメリカに限らずどの国も、弱者や敗者への惻隠などはどうでもよいこと。 世界中の99%の人々は、ほとんど利害得失だけで行動しており、そういった人々から成る国家がそのような浅ましい行動やさもしい行動に向かうのは、残念ながら仕方のないこと。 そんな中で、「教養」は本能を制御する力として大きな意味を持つ。 3.リベラルアーツの起源 アリストテレスは数学中心主義から離れ、広く人文、社会、自然からなる3つの科学が体系的に教えられた。 アリストテレスはリュケイオンで教えながら哲学・論理学・生物学・修辞学・倫理学・政治学をはじめ諸分野で膨大な業績を残し、「万学の祖」と呼ばれるようになった。 4.※補足「リベラルアーツとは?」 リベラル・アーツとは、 ギリシャ・ローマ時代に理念的な源流を持ち、ヨーロッパの大学制度において中世以降、19世紀後半や20世紀まで、「人が持つ必要がある技芸の基本」と見なされた自由七科のことである。 具体的には文法学・修辞学・論理学の3学、および算術・幾何・天文学・音楽の4科のこと。 (Wikipedia引用) 5.これからの教養とは? 書斎的の知識ではなく、現実対応型のものでなくてはならない。 現実対応型の知識とは、屍のごとき知識ではなくて、生を吹き込まれた知識、情緒や形と一体となった知識。 実体験は擬似体験により補完され、健全な知識と情緒と形、バランスのとれた教養を! 【引用】 「教養」とは、世の中に溢れるいくつもの正しい「論理」の中から最適なものを選び出す「直感力」、そして「大局観」を与えてくれる力だ。 では、教養を身につけるためにはどうしたらいいのか? 教養の歴史を概観し、その効用と限界を明らかにしつつ、数学者らしい独創的な視点で「現代に相応しい教養」のあり方を提言する。 p25 誰しも、有限の人生において、無価値の情報に関わっているヒマはありません。 自分にとって価値のある情報だけを選択したい。それらがその人の判断力の基盤となるからです。 ありとあらゆる情報から、どんな物差しにより自分にとって有意義で価値のある情報を選ぶのか? その嗅覚は何によって培われるのか? 教養とは一体何か? p28 紀元前三三一年、ギリシア人の国家マケドニアのアレクサンダー大王は、念願のペルシアとの戦争に勝利しました。 その後10年も経たないうちに32歳の若さで病没してしまい、大帝国は将軍達により三分割されました。 そのうちの一つが、アレクサンドリアを首都としてプトレマイオス一世の創立したプトレマイオス朝エジプトです。 アレクサンダー大王は「父から生を受け、アリストテレスから高貴に生きることを学んだ」と言うほどアリストテレスを崇拝し、その下で教養を積んでいましたが、このプトレマイオスも同様に学問や文学を愛好していました。 彼は首都アレクサンドリアに学術研究所「ムセイオン」を作り、文献学を中心に、数学、物理学、天文学など70万巻以上の蔵書数を持ち、大いに隆盛しました。 プトレマイオス朝は300年ほど続きましたが、陰りの見えてきた紀元前30年、絶世の美女クレオパトラが即位し、美貌美声媚声を駆使してローマ帝国の英雄を籠絡したが、乳房をコブラに噛ませて自殺してしまい、その後プトレマイオス朝はローマに滅ぼされました。 p41 ・12世紀ルネサンス バグダッドを拠点としたイスラム国家アッバース朝が地中海沿岸を占領してから3世紀あまり、地中海貿易は停滞し、この海はいわば閉ざされた海となっていました。 アッバース朝の勢いが衰えた12世紀になって、ジェノヴァやヴェネツィアなどの北イタリア都市国家が地中海貿易の主導権を握るようになりました。 ヴェネツィアの貿易商人だったマルコポーロはジェノヴァとの戦争中に捕虜になりましたが、その時に著したものが「東方見聞録」です。 日本をジパングとして初めてヨーロッパに紹介しました。 ギリシア古典は千年間もビザンティン帝国やイスラム国家に保存されましたが、衰退する帝国に見切りをつけた幾多の学者たちがヨーロッパに里帰りしました。これがルネサンスです。 知識人は新たな知識を求め、これら古典をむさぼり読みました。 p49 ・リベラルアーツの起源 アリストテレスは数学中心主義から離れ、広く人文、社会、自然からなる3つの科学が体系的に教えられた。 アリストテレスはリュケイオンで教えながら哲学・論理学・生物学・修辞学・倫理学・政治学をはじめ諸分野で膨大な業績を残し、「万学の祖」と呼ばれるようになった。 ※補足 リベラルアーツとは? リベラル・アーツとは、 ギリシャ・ローマ時代に理念的な源流を持ち、ヨーロッパの大学制度において中世以降、19世紀後半や20世紀まで、「人が持つ必要がある技芸の基本」と見なされた自由七科のことである。 具体的には文法学・修辞学・論理学の3学、および算術・幾何・天文学・音楽の4科のこと。 (Wikipedia引用) p52 現代人は、科学技術や生産手段の進歩を人間性の進歩と勘違いしたまま、自惚れと傲慢に身を置くようになっている。 このような現代人は、生存競争に勝つためにも、生活を豊かにするためにも役立ちそうにない教養などは、遺物であり暇人の時間潰しと見下すようになっている。 功利性、改良や発明、金銭は確かに大切だが、教養が疎かになってしまうのは、、、 p55 アメリカのトランプ大統領も、口ではウォール街を牽制しているが、実際は金融規制緩和などでウォール街を喜ばせ、国益を優先としている。 アメリカに限らずどの国も、弱者や敗者への惻隠などはどうでもよいことなのです。 世界中の99%の人々は、ほとんど利害得失だけで行動しており、そういった人々から成る国家がそのような浅ましい行動やさもしい行動に向かうのは、残念ながら仕方のないことなのです。 そんな中で、「教養」は本能を制御する力として大きな意味を持つのです。 p60 ヨーロッパでは「大戦争」と言えば第二次ではなく、より多くの死者を出した第一次世界大戦のことです。 大戦勃発の引き金は「サラエボ事件」です。 1914年6月に、オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻が、サラエボでセルビア人に暗殺された。 事件の発生とともにオーストリアでは新聞などが国民を煽り始め、それに反応した国民が激昂したため、政府は事件のひと月後にセルビアに対し宣戦布告をした。 p67 ・近代ドイツの振り返り 長い中世を抜け出たものの、16世紀にはルターの宗教改革、17世紀には30年戦争と、プロテスタントとカトリックの抗争で人口は激減し、国土はすっかり荒廃していた。 約300もの領邦に分かれ、それぞれが主権や外交権まで持っていたため、国としてのまとまりはなかった。 1807年にナポレオンに国土を蹂躙された挙句に国土の7割あまりを奪われ、巨額の賠償金を課せられた。 ナポレオン失脚後もドイツを弱体化させたままにしておくというコンセンサスがヨーロッパにはあった。 このような数重なる国家存亡の危機に立たされたところでドイツはやっと目を覚まし、国家主義の気運が一気に高まった。 果敢な政治改革、軍制改革、そして教育改革が断行されてゆく。 p81 産業革命を経た19世紀末から、ドイツでは大衆の精神的空隙に、まずマルクス主義が、ついでフェルキッシュ運動(民族運動)、そしてついにナチズムが怒涛のように入り込んだのです。 p114 第一次大戦末期、ロシア革命(1917年)が起きてロマノフ王朝は滅び、1922年にソ連が誕生しました。 その間にレーニンにより、世界革命を目指すコミンテルン(共産主義インターナショナル)が組織化されました。 日本共産党は、その日本支部にあたる組織です。 満州との国境を平穏に保つため、同じコミンテルンの出先である中国共産党を用い、日本軍を挑発し続けて中国と日本の戦争を泥沼化させました。 またドイツ軍に追い詰められたソ連を救うため、アメリカを世界戦争に参加させます。 そのためには日独伊同盟を結んでいる日本に、アメリカに対して最初の一発を撃たせることを行います。 日米通商条約の一方的破棄、在米日本資産の凍結、鉄鉱石や石油の対日禁輸、日本を真っ向から侮辱するハル・ノートなど。 p127 ・独ソ不可侵条約の密約 ソ連がバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)を併合し、独ソでポーランドを分割するというもの。 結果、1937年9月にドイツがポーランドに突如侵攻して第二次世界大戦の引き金を引き、密約通り18日後にソ連が東からポーランドに侵攻、独ソに占領・分割統治されました。 ポーランドは両国に対しいかなる敵対行動をとったわけでもなく、それどころか両国と不可侵条約を結んでいました。 しかもこの密約の存在は独ソが明かさなかったため、ゴルバチョフが1989年に情報公開するまで、50年間も隠蔽されていた。 p148 ・これからの教養とは一体なに? 書斎的の知識ではなく、現実対応型のものでなくてはなりません。 現実対応型の知識とは、屍のごとき知識ではなくて、生を吹き込まれた知識、情緒や形と一体となった知識です。 実体験は擬似体験により補完され、健全な知識と情緒と形、バランスのとれた教養を! p175 ・これから必要な教養 何かが突出しているだけでは、いくら論理的であっても間違った方向に行ってしまう。 人文的教養(哲学や古典) →長い歴史をもつ文学や哲学など 社会的教養 →政治、経済、地政学 科学教養 →自然科学や統計学 大衆文化教養 →漫画やアニメも

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    投稿日: 2019.04.15
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    語りおろし的な、さーっと読める本だが、なかなかに本質をついていて、現代人必読の書。 藤原氏の辿ってきた戦後の生育体験、アメリカでの学究生活からの知見、今までの日本の大学生に接してきた経験、豊富な読書体験などに裏打ちされた話はどの世代が読んでも有益だと思う。 ドイツの教養主義の誕生を歴史的背景から考察し、エリート知識層の功罪と、それが輸入された日本の戦前高等学校文化の系譜は興味深い。今まであまり疑問視しなかったけれど、今から見ればかなり偏った文化的態度が日本の知識層カルチャーであるなと相対化できる。 アメリカの知識層、支配層の内奥に接した藤原氏だけに、アメリカの日本支配の真相にも触れている。 本物の教養を持った藤原氏だからこそ語れる日本の良さ、あるべき姿への提言は、どこにもおもねることはないが、その藤原氏をして大切と言わしめる日本の心は、どこか古き良き日本だ。 例えば、見えないところにまで気を配る文化、他者を慮る文化、努力する文化など。四季を感じたり、先祖や自然の尊さを大切にする文化。強い者に巻かれず弱いものを助ける文化。年寄りの情緒的な傾斜もあるかもしれないが、逆説的だけれど、海外に行って帰ってきた人が改めて日本の良さを語る時、そういう場所に回帰していくように思う。 それを、ガチガチの保守政治家が説く「美しい日本」みたいなものとは一緒にしたくはないが、日本の存在意義として大切にすることを提言している。

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    投稿日: 2019.04.07
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    古典的な教養論だが、情報過多の現代こそ必要な生き方。 最初は軽く読み流すつもりだったが、実は「現代日本への警鐘」として、あるいは現代人へ生き方の問題提起として、真摯に受け止めた。 アメリカ主導の市場原理主義・新自由主義が主流となる中で、金融資本主義による覇権が至上の価値となり、 実務・金銭・収益の物差しがスタンダードとなった。 歴史的に敬意を払われてきた「教養主義」は時代遅れとして捨てられていくようだ。 権力者にとって、うるさい教養人が居なくなり、享楽主義者ばかりとなるのは望ましい社会である。 しかし経済的成功が国民を幸せにしないのは、戦前の第一次大戦時の好況も、戦後の高度成長期の好況も同じ。 物質的成功は精神の充足を導かなかった。むしろ更に高みを求めて、結果的に転げてしまった。 人間としての幹を鍛えることが、強靱な国家を形成する。 そのための肥やしが、読書であり、教養だ。

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    投稿日: 2019.03.12
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    民主主義は成熟した国民がいてはじめて成り立つ。ポピュリズムは選挙を経て国民から選ばれたという前提が成り立つために、独裁政権よりもたちが悪いと思ってしまう。 いつの時代も教養のあるもの申す市民は権力者に嫌われるものかもしれません。本を読み考えて行動するひとが増えることは、政治や経済を他人任せにしないで、自分達の足で立って考えるきっかけになるのではないでしょうか。

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    投稿日: 2019.02.18
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    教養は、世の中の一過性の流行や言動に流される事なく、自分としての意見を持ち正しい判断へと導くもなのだと痛感。少々書く内容に偏りがあるが納得できる所も多い。

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    投稿日: 2019.02.10
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    現代においては死語と化した「教養」について、『国家の品格』の著者が述べる文化論。 その衰退の要因として、次の4点を挙げる。 ①生活を豊かにするのには役に立たないと見下す現代人 ②アメリカ化 ③グローバリズム ④二つの世界大戦 そして、教養を主体とした、ヨーロッパさらに日本の歴史が詳らかに綴られる。少数エリートに独占されていた教養は、戦争を押しとどめる上では無力だった、と。 しかし、民主主義は教養がなければ成り立たないと、解き明かす。 では、情報社会の現代に対応する教養とは何かといえば、「生を吹き込まれた知識、情緒や形と一体になった知識」だそうだ。 それには、我が国が誇る「大衆文化教養」が役に立つと述べ、アニメ映画『君の名は』にも触れる。 それらを自らの血肉にするには、読書が欠かせない、と強調する。 ブクログの利用者の中には、我が意を得たり!と、感嘆する人もいることだろう。

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    投稿日: 2019.01.30
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    このレビューはネタバレを含みます。

    市民に教養がなければ民主主義は地獄 『国家の品格』にすごく感銘を受けたので続編として期待して購入.前作ほどじゃないが自分が漠然と感じていたことをずばり筋を通して示してくれた.近代における国ごと教養層の動きの違いなどを示してくれてそれぞれの側面がよく分かった. とはいえ『国家の品格』に比べるといまひとつ物足りなさもある.前作と被る部分もあったし,どうすべきかという主張が少なかったように思う. 今後もちゃんと自分の頭で物事を判断できるように,本をはじめいろんな知識をつけようと思えた.

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    投稿日: 2019.01.21
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    藤原正彦氏(1943年~)は、新田次郎と藤原てい(太平洋戦争直後のベストセラー・ノンフィクション『流れる星は生きている』の著者)の次男で、数学者にしてエッセイスト。1977年発表の米国留学記『若き数学者のアメリカ』で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。2005年発表の『国家の品格』は270万部を超えるベストセラーとなり、「品格」は翌年の流行語大賞にも選ばれた。 本書は、『国家の品格』以後、ますます広範に渡り深化する情報社会において、われわれ日本人(そして日本という国)が生き残っていくためには、日本の歴史・文化に根差した「教養」が最も大事であることを(藤原流に)力強く語ったものである。 印象に残った内容は概ね以下である。 ◆現在一般に認識されている「教養」の原型は、古代ギリシアから帝政ローマ時代の、自由人になるための技術「リベラル・アーツ」(音楽、算術、幾何学、天文の数学系4科と、文法、修辞、論理の言語系3科を合わせた、自由7科)である。 ◆リベラル・アーツは、帝政ローマ以後はビザンティン帝国やイスラム国家に保存され、約千年のときを経てルネサンスでヨーロッパに復活したが、その後、①教養そのものは、生存競争に勝つにためにも、生活を豊かにするためにも役に立たないと考えられた、②世界のアメリカ化により、ヨーロッパ的なものが否定され、功利性、改良・発明などが重視された、③グローバリズム、新自由主義の浸透により、利潤を最大化し競争に勝つことが求められるようになった、④ヨーロッパは、「教養」により二度の世界大戦を防ぐことができなかった、などにより世界的に「教養」は衰退した。 ◆近代以降、古典と哲学を重視したドイツ教養市民層と、スポーツやユーモアを大事にしてバランス感覚を培ったイギリス教養市民層は対照的で、それが二度の世界大戦を含む、過去一世紀の両国のたどった運命に表れている。 ◆日本では、明治維新以降ドイツ的教養主義が広まり、第二次大戦の戦前戦中も概して教養主義を貫いてはいたが、ドイツの教養市民層と同じく政治には疎く、戦争に向かう過程では無力だった。戦後の教養層は、GHQ史観、それに基づく戦後体制、対米従属による経済成長ばかりを重視し、日本古来の形(武士道精神、儒教精神、情緒など)を忘れてしまった。 ◆深化した情報社会において最も大事なものは、無限の情報の中から最も必要で本質的なものを選択するための、知識や情緒に根差した物差し(座標軸、価値基準)であり、それは現実対応型の知識、即ち、情緒や形と一体となった知識であり、それこそがこれから求められる真の教養である。「生とは何か」を問うのがかつての教養で、「いかに生きるか」を問うのがこれからの教養とも言える。 ◆これからの教養とは、人文教養、社会教養、科学教養に加えて、日本が誇る大衆文化教養が柱となるべきである。 「論理に先立つ情緒や形が大事」、「日本は情緒や形を重んじた、他国にない優れた文化を持つ」、「読書に勝る修養はない」などは、藤原先生がこれまで繰り返し主張してきていることで、安心して読み進めることができたが、それらの主張を“教養”というワード・切り口で編みなおした一冊と言えるだろうか。 (2019年1月了)

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    投稿日: 2019.01.05
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    教養を養うことが情緒を育む、教養を持っていたことが日本が完全に植民地化されなかった理由。だから若い人も本を読むべし、との主張。 老人の愚痴に感じる言い回しが気になってしまう。 なお、著者が現代の素晴らしい大衆芸術として例に挙げた 君の名は を自分はそれほど面白いと思えていません。

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    投稿日: 2019.01.04
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    最終的には,読書を以てしか教養を得ることはできないと説く.残念ながら,多くの日本人は世界において自分が存在する,と考えず,個として世界を閉じているので,教養を獲得し,世界を俯瞰する,という必然性自体を必要と感じていない.だから,世界あるいは他者に対する寛容性が微塵もない世界が生成されるのだ.他者と自分とで構成されて世界が成り立ち,その一員として自分を客観視している人は,はじめから教養の必要性とその獲得方法は理解している.教養以前の段階に問題がある.

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    投稿日: 2018.12.31
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    教養論は出たら一応だいたい買うようにしているのだが、目新しいことが何も書いてないし全部独断だし。フンボルトに関する記述も杜撰。エッセイとしても面白くもなんともないのだが、固定ファンがいるのだろうか。何かもっと銘文家なんだろうと思っていた。

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    投稿日: 2018.12.30