
総合評価
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powered by ブクログ今年1番の読書体験。刊行当時(2000年)の日本の現況に触れながらアーレントの思想を語っていくのでどんどん頭に入ってきた。さらに、社会から疎外されている人々の存在と自分の関わり方とあるべき姿について考える言葉が沢山で何度も読み返したい。人と人の間に世界があるのであって、誰かがいなくなると世界が一つなくなってしまうということ。そして誰とも世界を共有できない人がいること。もう一度原典に当たってみる。何を言ってるのか考える。一つのテーマになる。
1投稿日: 2024.03.24
powered by ブクログ「誰」と「何」の話はとても面白かった。 公共性を出発点に個人が持つ姿勢の話まで書かれていて、割と作品鑑賞にも通ずる話(特に現れの空間)もあり、楽しく読めた。
0投稿日: 2023.07.10
powered by ブクログ公共性とは何なのか、逆に、公共性とは何でないのか。著者はアーレント、ハーバーマスらの記述を用いて、国家と市場の双方から区別される市民社会の領域を描き出す。人々が互いの生と彼らの間に生起する出来事への関心をメディアに結びつく領域としての公共性。しかし、それはユートピア的空間ではない。著者は、その内部に存在する権力的非対称や周辺化の圧力に触れつつ、ハーバーマスやアーレントの「公と私の境」に関わる主張を批判的に汲んで公共性の概念に新たな解釈を付け加えている。
0投稿日: 2018.10.23
powered by ブクログハーバーマスやアレントによって論じられた「公共性」の概念のもつ現代的な意義についてわかりやすく紹介するとともに、著者自身の立場から批判的に検討をくわえ、公共性のもつあらたな可能性を切り開こうと試みている本です。 著者は、ハーバーマスの公共性が言説の政治的なレヴェルに限定されていることを批判し、アレントの公共性の議論により高い評価を与えています。しかしアレントに対しても、フーコーが生権力の問題としてあつかった広大な領域を公共性の空間から切り離し、もっぱら行政権力に預けてしまったことは大きな問題をのこしていると指摘します。そのうえで、公共圏と親密圏がどのようにかさなりあっているのかという問題を提起し、その具体的な絡みあいのなかから公共性をよりダイナミックな機能をもつものとして把握するような思索の道筋を示そうとしています。 「思考のフロンティア」シリーズは、比較的執筆者の問題関心に引き付けたかたちでそれぞれのテーマがあつかわれており、本書も著者自身の考えがある程度明確に打ち出されています。その一方で、主にアレントの公共性の概念が現代の政治哲学・政治思想に与えたインパクトについてわかりやすく解説がなされており、このテーマについてこれから学ぼうとする読者にとっても有益な手引きとなっているように思います。
1投稿日: 2018.06.01
powered by ブクログ公共性の概念がこれほど重要なものであるとは全く知らなかった。人間という存在を理解するためのキーポイントであり、石工が石目を発見したような感じである。再読、再再読が必要だ。
0投稿日: 2017.03.23
powered by ブクログ齋藤純一の著作。 公共という言葉の持つ多義性が詳しく述べられている。主にアーレントとロールズの政治観を中心にして、現代における政治の欺瞞と在り方を追求していく。
0投稿日: 2014.11.15
powered by ブクログ公共性について述べているんだけど、積極的な定義というよりは消極的な説明という感じで、かつ非常にわかりにく文章だった。そのため、理解できていない。 他の人の言葉を引用していること、普段使わない言葉を多用していることなどが原因だと思う。
0投稿日: 2014.02.07
powered by ブクログWho と What の区別と前者の重視。 What=共同体の名ではなく、Who =共訳不可能な個人との付き合い。 Whoを前提とする公共性。 (一神教の一神教性を去勢し、一神教を多神教の一部として受容してきた日本において、つまり、ずぶずぶの共同体思考を引きずった日本において「共訳不可能な個人」を掲げることに「可能性」があるのか?)
1投稿日: 2014.01.26
powered by ブクログ「公共性」ついて、とても深く新鮮な考察がなされている良書であることは間違いない・・・ただ難解すぎる。 個人のアイデンティティが複数性(家族、会社、民族的共同体、国民国家etc)を帯びていること、そして、それぞれのアイデンティティの「間」が重要で、そこに「精神の生」が宿っているということ。ムムム。 もうちょっと噛み砕くと、家族の一員である自分、会社の社員である自分、日本人である自分、などなど「自分」を形作っているアイデンティティは複数の面を持っていて、例えば、どれかが重要になることはあっても、他が消滅することはない。 この複数のアイデンティティの「間」を移り動くことが、自分の生の真髄ということではないだろうか? 更に、公共的なものに置き換えれば、様々な人々がいて、それが複数のアイデンティティをもたらし、そのアイデンティティの間(=人々の間)に「公共の生」があると読み取りました。 つまり、人々の間(=人と人の関係性)が重要であって、「公共的空間」を形成しているということだと・・・ こもまで一生懸命にレビューを書いてきましたが、ここまで書いてやっぱり分からなくなってしまいました。トホホ この本に引用されている、ハンナ・アーレントとユルゲン・ハーバーマスについてもう少し勉強してから再読しようと思います。 きっと良書。
1投稿日: 2013.09.10
powered by ブクログコンパクトにまとめられた本だが内容は濃い。 アーレントやハーバーマスの重要さを踏まえ、公共性と共同体を区別する新しい視点でその可能性を論じている。未来につながる本だと思う。
0投稿日: 2013.06.06
powered by ブクログ自分とはまったく違った人びととの「間」の存在により、世界は自由な空間をつくることができる。つまり、我々が恐れなければならないのは、アイデンティティを失うことではなく、他者を失うことであると筆者は言う。 アレントの「現われの空間」の複数性の概念に基づき公共性を論じており、ハーバーマスや親密圏にも触れているため(共和主義と共同体主義の公共性が一緒くたにされている等疑問があるが)、俯瞰的で分かりやすかった。
0投稿日: 2013.01.25
powered by ブクログ岩波の「思考のフロンティア」シリーズの中でも、おそらく最も有名な一冊でしょう。 本書は、「公共性」という多義的な概念について、J・ハーバーマスやH・アーレントを参照することでその可能性を探り、それに倣って、あるいはそれに抗してこの概念の再定義を試みた著作です。 ちなみにこの「それに坑して」の部分は、両者が想定する「公/私」の区別が実は非自明であり、その区別を問い直す役割こそが「公共性」の一側面であることを著者が強調している点にあります。 「公共」と名の付く著作で頻繁に引用される箇所ではありますが、著者は冒頭で、公共性概念の現代的な使用を、①国家に関係するものofficial、②共通のものcommon、③開かれているものopenの3つに区別しています。 重要なことは、これらの意味が互いに対立する可能性を含む点にあります。特に、②と③の抗争は、公共性が問われるあらゆる局面で問題となり得、本書においてもこの対立構図は随所で見出すことができます。 例えば、本書では「言説の資源」の格差について言及されています。公共空間では、その普遍性を担保するためにも議論の手法やテーマに共通性が求められますが、一方でこの共通性は、「公的」な議論の手法を持たない人々を排除し、「私的」と見られるテーマを抱えた人々を排除する危険性を孕んでいます。この危険性への配慮がなければ、先述したような「公/私」の区別を問い直す「open」な公共性の意義は損なわれてしまうでしょう。 また、これらの議論を踏まえ、第Ⅱ部第3章では近年の「福祉国家」から「福祉社会」へという潮流に対して、改めて「国家」や「政治」の重要性が強調されています。 ここでは、市民社会から排除された人々に対しては国家を通じた「顔の見えない連帯」が必要となる点、現状の資源分配を問題化するためにも「福祉社会へ」が「政治的権力の分散」を伴う必要がある点が確認されていきます。 政策実務者が真剣に受け取るならば作業の手を止めなければならないような内容の本書ですが、だからこそ重要性の高い著作と言えます。 思索に耽る時間が確保できる方におすすめです。
0投稿日: 2012.08.12
powered by ブクログ公共性の概念について最初に見取り図を提示したうえで、本書ではその見取り図の概念でさえも包摂しきれていない、弱者的立場に追いやられている人々への配慮や関心についての問題点を概観する。 東日本大震災が起こった後に再読したので、刊行されたときに読んだ印象とは明らかに違った。特に公共性を国家主義的なものへとまとめあげようとする共同体論的思考への批判に関して、そのような共同体的思考への動きもそれへの批判の動きも、何らかの立場に依拠した上で〈島宇宙的〉に批判を加える点で、どちらも同様の〈引きこもり的な決断主義〉に終始してしまっている印象を抱いてしまう。むしろ、震災からの復興・福島原発事故からの復興に関連して、現在より重要性が高まっているのは、先のどちらの思考にも開かれ、島宇宙的な価値観をも架橋する包摂性(本の言葉でいえば「公開性(Oeffentlichkeit)」)であり、数多ある思考からアプローチしても、強制的に統率するのではなく、自然と統合への動きと収斂されていくような包摂性だろう。 今回の震災では「共同性」も「親密圏」もズタズタに壊れてしまった。それをまざまざと見せつけられたのだから。
0投稿日: 2011.12.11
powered by ブクログアレントの面白さを窺い知ることができた。 齋藤先生は、色々な思想家の良い点を吸い上げるのが上手いな。下を巻いてしまう。
0投稿日: 2011.11.27
powered by ブクログとにかく、もっと早く読んでおくべきだった。わずか100ページあまりだが、含まれる示唆の豊かさは目を見張るものがある。ユニークな存在同士がお互いの「あいだ」においていかにかかわりあっていけるか。人間を考えるうえで欠かせない問題の一翼を示唆する名著だと思う。
0投稿日: 2011.09.23
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
本書の冒頭にもあるように「公共的空間とは、自らの行為と意見に対して応答が返される空間」である。端的にいえば周囲に無視されない空間のことであるが、これは必ずしも自分にとって心地良い空間を意味しない。何故なら自らの行為と意見を真っ向から批判される空間も広義においては公共的だからだ。 上記の観点から、本書は「孤独」を公共性の対義語として位置付ける傾向にあり、主にカント、アーレント、ハーバーマスを中心とした公共性論者の言説を取り上げながら公共性の概念を整理している。私は社会学者のことはよく分からないが、おそらくこの3者が簡潔にまとめられているというだけでも本書を読む価値があるのだろう。 本書での核となる理論は、アーレントの言説を中心に正しい公共性の条件が整理されている。それによると「現れの空間」、つまり自分が周囲の他者から「誰」であるかを認識される空間こそが公共的空間であるという。これはある個人が「何者であるか」という問いかけとは決定的に違う意味を持つ。後者は学生である、日本人である、○○社員であるといった、周囲の人間の認識が入り込む余地のない個人の属性のようなものである。対して前者は、彼は優しいか否か、何が好きなのか、どんな傷を抱えているのかなど、つきつめれば他者の内面が完全に予期できることはないという点で、限りなく他者が自由な存在者でいられることを意味する。 それに対し共通認識(本書では「ニーズ」とかなり似た意味で用いられているが)のあることを公共性とみなす向きもあるが、現代ではそれが「生命の保障」に集約されているという。社会国家の誕生は生に対するリスクの集合と分散化を目的としていた。しかしその大前提となっていた個々人の集合を基盤とした経済成長にブレーキが効き始めた結果、個人が社会保障に充てることのできた資本を自ら抱え込むようになり、生命の保障を個人が担うようになってしまったという。これが現代において公共性の必要条件である公開性を阻害する最大の要因でもある。 少々結論を急げば、本書でいうところの公共性を実現するには、その参加者全員が公共性の意味を正しく理解し実践できることが条件となる。そのためには個人のリスクを減らしつつ公共性を実現できるか、という矛盾した問題にも目を向ける必要があるし、自らの意にそぐわない他者との折り合いを、妥協ではなく協調として受け入れることを真正面から考える必要もあるだろう。
0投稿日: 2011.08.14
powered by ブクログとりあえず第一部だけ 多様な価値観や立場を持つアクター間に公共性を成り立たせるために、彼等が思考する原資としての知を図書館が提供し補助できるのかもしれない 研究内容に必要そうならあとでまた深く読み直そう
0投稿日: 2010.09.15
powered by ブクログ言葉の定義とか言い回しとかに慣れていないせいなのか、引用されている文章の翻訳のせいなのか分からないが、読みづらかった。 公共性は複数の位相、複数の参加者から成り立っており、その複数性は公共的空間において議論される物事が「より」普遍的妥当性を獲得することを担保する。更にその複数性を担保するためには排他的であってはならない、というのが本書の骨子であろうか。 最初に公共性を公的なもの(official)、全ての人々に関係する共通のもの(common)、誰に対しても開かれているもの(open)の三つに大別してくれたところはとても分かり易かったのだが・・・ もう少し深く公共性について知りたいのであれば、アーレント、ハーバーマスの著作は必読。
0投稿日: 2010.09.10
powered by ブクログ[ 内容 ] 公共性とは、閉鎖性と同質性を求めない共同性、排除と同化に抗する連帯である。 現在提起されている「公共性」は異質な声に鎖されてはいないだろうか。 互いの生を保障しあい、行為や発話を触発しあう民主的な公共性の理念を探る。 [ 目次 ] [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
0投稿日: 2010.07.14
powered by ブクログH・アーレントとJ・ハーバーマスを中心として「公共性」について書かれた思考のフロンティアシリーズのテキスト。 このテキストの中で終始一貫して強調されていたのは「他者の複数性」だと思う。公共圏は言説の空間であり、そこに支配的な価値観などは存在せず、常に見えざる複数の他者との間で議論がなされている。この逆の状態は何かといえば、全体主義やナチスと考えて間違いないだろう。独裁政権をこの公共性に関する議論の反面教師と立てることでやはり“他者”の重要性は再認識される。 とっても学問的におもしろい。深く思考する楽しみもある。 学生のうちに酒を交えながらでいいから、とことん議論しまくりたいです。
0投稿日: 2010.01.16
powered by ブクログアーレントとハーバーマスの議論を中心に紹介しながら、「公共性」というものの理念、概念を解説しています。 100ページほどの短い文献ですが、公共性をめぐる議論の歴史的変遷や言葉の定義などが分かりやすくまとめられていると感じました。ただ自分は、アーレントやハーバーマスについて何の前知識もなく読んだため多少難しく感じる部分もありました。それでも公共性という問題が、グローバリゼーション、新自由主義、福祉国家、家族など近年の社会の変容を考える中でよく目にするこれらの議論に深く関わっているものであることが理解できた。 「個人の共約不可能な生が提示される空間」 「公共性は真理ではなく意見の空間」 公共性という言葉に対して今まで漠然と抱いていたイメージが整理された、というよりは刺激されたという感じ。 様々な文献も引用されており、巻末には基本的文献紹介もされていたので、この本を手がかりにもう少し考えてみたい。 と、そう思えたことはこの本を読んだ大きな収穫でしたが、そもそもなぜ自分がこの本を読んだのか、最初の問題意識(ボランティアを公共性という観点から考えたかったのですが)からはなんだかずれてしまった気もします。 何かしらを考えたいときには、ちゃんと何についての本なのかを知ってから読むようにしようと思いました。
0投稿日: 2009.10.18
powered by ブクログ全体として非常にクリアな論理と文章で書かれており、アレントやハーバーマスらの思想もかなり分かりやすく解きほぐしてくれている。格差社会とナショナリズムとの関係や、市民活動と公共性の(難しい)関係など、なるほどと思えるところの多い本であった。 http://d.hatena.ne.jp/hachiro86/20070405#p1
0投稿日: 2008.05.03
powered by ブクログハーバーマスとかアーレントを「わかっている」人にはわかるのだろうけど、入門書なのに私にはわからなかった。
0投稿日: 2007.11.30
powered by ブクログJ・ハーバーマス、H・アーレント等の公共性に関する主張の解説、及びその背景、それに対しての批判の紹介、といったところでしょうか。 最近興味を持ち始めた分野なので、この一冊を起点として、自分なりに納得がいくところまで進んでいけたらと思います。
0投稿日: 2007.07.31
powered by ブクログ『思考のフロンティア』はシリーズものですが、本当におすすめですよ。ページにして100前後ですが、とても内容が濃い。タイトル通り、思考が触発されます。 いつもは気になった箇所を転載するのですが、その数なんと16箇所!!もあるので、今回は本を紹介するにとどめます。 内容としては、本当に簡単に言うと、ハンナ=アーレント、ハーバーマス、カント、フーコーなどの言葉を引きながら、「公共性」について今何が争点になっているかを整理したものです。 いやぁ〜久しぶりに「当たり」の本でした。やっぱし古典に当たらんとダメだなぁと痛感。また、3年間で自分が考えてきたことがいろいろ思い起こされてきて…さらには病気で頭が朦朧としてきて…よくわかんな〜い状態に(笑) 病気が治ったら読み直してみる必要があるかな。
0投稿日: 2006.03.03
powered by ブクログ公共性に関する既存研究を主にアーレントの言葉を用いてサーベイすると同時に、独自の理論である公共性=複数性を提示している。
0投稿日: 2005.11.04
powered by ブクログ最近の公共性に関する議論の全体を眺めるのに最適。うすい本だが主要な議論は網羅しているようであるし、記述が平易で読みやすい。。「公共」いう言葉の定義は人それぞれだが、おおよそのコンセンサスとしては、国家にも個人にも回収されない討議空間(ハーバーマス)であり、同時に異質な他者が出会う現れの場(アーレント)ということだろう。
0投稿日: 2005.10.03
