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忘れられた日本人
忘れられた日本人
宮本常一/岩波書店
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総合評価

202件)
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    おもしろかった 老人の昔話って、当人にとってはそんなにとくべつなことでもないからちゃんと聞かないと残りにくいんだよね、もったいない!人の生活はおもしろい ひとそれぞれの人生があるし、村それぞれの歴史と社会がある!! わたしも1930-40年代生まれの祖父母から昔話を聞くのがすき

    0
    投稿日: 2026.02.12
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    このレビューはネタバレを含みます。

    何だか読んでいて不思議だった。 全然民俗学のこととかは知らないのだけれど、 とにかくこの人はいろいろと村社会などの日常を観察して記録してたらしい。 100年ぐらい前の。 本人はいわゆる都会の知識人で、 日本各地の庶民の生活史を研究者として報告していて、 現代の私達からしたら、100年前の学者ということ自体も史料という側面があるから、 著者のまなざしに半分入り込み、半分外に出ている感じで読んでいた。 いろいろ印象に残ったことがある。 老人の役割、40代からすでに隠居も、 老女の泣きごと講、 寄りあい、地縁と血縁、 若者への視点、世代間格差、近代化の波、 世間師、 文字に縁があるとないと、 … 新鮮でした。

    1
    投稿日: 2026.01.30
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    昭和初期に西日本の山間部に暮らす老人から聞く暮らしの情報は、江戸時代の終わりから語られるものや戦中に、農村を囲む地域での職業を生きた語りと、当時の人が何を考えどのような暮らしをしていたのかが生々しく描かれている。 あえて個人に絞って聞き取った語り口は読みづらくはあるが、その分に空気感や湿度を感じられ、もっと知りたいという気持ちで読み切った。

    0
    投稿日: 2026.01.22
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    どこまでが本当なのかはわからないが、およそ本当のことだと考えると大変興味深い。 江戸末期から昭和初期にかけての地方の日常がこんな感じだったのかと思うと同時に、だから、地方ごとに色々なことが異なるのかと合点がいく。 移動時間やコストが下がり、SNSである特定の情報が瞬時にわかる時代になれば、そういう違いもだんだんなくなるのだろうと思う。

    0
    投稿日: 2026.01.22
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    336P 宮本常一誕生日同じ 宮本常一の忘れられた日本人の命懸けでキンタマのデカさを自慢してくるタヌキが出てくる所好き。面白すぎる。 宮本常一の忘れられた日本人の良さは、性を奔放に楽しむ日本人の野蛮な描写は"美しい日本"のメッキが剥がれるから、現代の"似非保守"にも都合が悪いし、"女性は性搾取にされていた"ということにしたい"偽善的左翼"にも都合が悪い所だと思う。 宮本 常一 1907年、山口県周防大島生まれ。大阪府立天王寺師範学校専攻科地理学専攻卒業。民俗学者。日本観光文化研究所所長、武蔵野美術大学教授、日本常民文化研究所理事などを務める。1981年没。同年勲三等瑞宝章 柳田国男・渋沢敬三の指導下に、生涯旅する人として、日本各地の民間伝承を克明に調査した著者(一九〇七―八一)が、文字を持つ人々の作る歴史から忘れ去られた日本人の暮しを掘り起し、「民話」を生み出し伝承する共同体の有様を愛情深く描きだす。「土佐源氏」「女の世間」等十三篇からなる宮本民俗学の代表作。 (解説 網野善彦) 「蚕を飼うようになるまで、このあたりで金になるものは、藍と茶と煙草と馬くらいであった。馬はたくさん飼うておりました。名倉馬というて、どこの家にも二頭や三頭はいた。十頭もいた家があります。田口から津具へぬけて信州へはいる伊奈街道も、稲武から根羽を通って信州へはいる飯田街道も、中馬*がたくさん通っていまして、その馬を名倉から出したもんであります。それで馬を家の中で飼うものだから昔から家が大きい。  藍もよいのができまして、それを筵に入れて海老まで持っていきました。買いに来るものもあった。買いに来るのは田口の谷五郎という紺屋でありました。稲橋にも紺屋があってそこからも買いに来ました。田口の紺屋は糸をそめるだけであったが、稲橋の紺屋は下の方から腕ききの職人をやとうて来て、糸ばかりでなく、しるしや模様もそめておりました。  煙草もよいのができました。山中でできたものはやにがすくなくて喜ばれたもので、これは吉田(豊橋)から買いに来ました。」 —『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著 「働く働くと申しましても、ただ牛や馬のように働くのはだめで ​ 。 ​この村ではみな仲よく働きましたが、もとはただ働くだけのことでありました。どういうものか、この村にはオイコ(背負子)のある家は私の家のほかに二、三軒しかありませんでした。オイコをもたずに百姓するのはおかしいようだが、百姓家には大工道具というものがない。金といえば鍋釜に 丁、鍬、鎌くらいのもの、鋸や鉋やのみをもっている者はありません。その上近くに大工がなければオイコをつくってもらうこともできません。それである者のところへかりにいく。私の家にはオイコが二十近くもある。ところが、こわれたらこわれたままでかえす。こちらもたまったもんでありません。そこで私の親父が、「オイコを借るのもいい加減にせえ、自分の家でつくったらよかろうに、大工をたのまなくても、自分で工夫すればいい」と文句言いましたら、それですっかり村中がつくりましたなァ。そういうもんでありましょう。ところが一軒一軒でオイコを持つと、みなよく働くようになりましたなァ。」 —『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著 「そうでないものでも、本人同士が心安うなるのが多くて、親は大ていあとから承諾したものであります。はァ、申すまでもなく、よばいは盛んでありました。気に入る娘のあるところまではさがしにいって通うたものであります。しかしなァ、みながみなそうしたものではありません。一人一人にそれぞれの性質があり、また精のつよい者もあれば弱いものもある。精のつよいものはどうしても一人ではがまんができんという者もあります。あっちの娘のところへ通うた、こっちの娘のところへ通うたというのがあります。しかし、みな十六、七になると嫁に行きますから、娘がそうたくさんの男を知るわけではありません。よばいを知らずに嫁にいく娘も半分はおりましたろう。若い者がよけいにかようのは、行きおくれたものか、出戻りの娘の家が多かったのであります。はいはい、よばいで夫婦になるものは女が年上であることが多うありました。それはそれでまた円満にいったものであります。はい、男がしのんでいっても親はしらん顔をしておりました。あんまり仲ようしていると、親はせきばらい位はしました。昼間は相手の親とも知りあうた仲でありますから、そうそう無茶なこともしません。」 —『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著 「共同体の制度的なまた機能的な分析はこの近頃いろいろなされているが、それが実際にどのように生きているか。ここに小さなスケッチをはさんでおこう。これは周防大島の小さい農村が舞台である。」 —『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著 「 「昔、嫁にいった娘がなくなく戻ったんといの」「へえ?」「親がわりゃァなして戻って来たんかって、きいたら、婿が夜になると大きな錐を下腹へもみ込うでいとうてたまらんけえ戻ったって言ったげな」「へえ」「お前は馬鹿じゃのう、痛かったらなして唾をつけんか、怪我をしたら「親の唾、親の唾」って疵口へつばをつけるとつい痛みがとまるじゃないか。それぐらいの事ァ知っちょろうがって言うたんといの」「あんたはどうじゃったの」「わしらよばいど(夜 奴)に鉢を割られてしもうて ​ 」 ​「今どうじゃろうか。昔は何ちうじゃないの、はじめての晩には柿の木の話をしたちう事じゃが ​ 」 ​「どがいな話じゃろうか」「婿がのう、うちの背戸に大きな柿の木があって、ええ実がなっちょるが、のぼってもよかろうかって嫁に言うげな、嫁がのぼりんされちうと、婿がのって実をもいでもえかろうかちうと、嫁がもぎんされって、それでしたもんじゃそうな ​ 」」 —『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著 「このような話は戦前も戦後もかわりなくはなされている。性の話が禁断であった時代にも農民のとくに女たちの世界ではこのような話もごく自然にはなされていた。そしてそれは田植ばかりでなく、その外の女たちだけの作業の間にもしきりにはなされる。近頃はミカンの選果場がそのよい話の場になっている。全く機智があふれており、それがまた仕事をはかどらせるようである。  無論、性の話がここまで来るには長い歴史があった。そしてこうした話を通して男への批判力を獲得したのである。エロ話の上手な女の多くが愛夫家であるのもおもしろい。女たちのエロばなしの明るい世界は女たちが幸福である事を意味している。したがって女たちのすべてのエロ話がこのようにあるというのではない。  女たちのはなしをきいていてエロ話がいけないのではなく、エロ話をゆがめている何ものかがいけないのだとしみじみ思うのである。」 —『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著 「どうも助平話ばかりじゃあいそがないのう。しかしわしは女と牛のことよりほかには何にも知らん。ばくろうちもんは、袂付をきて、にぎりきんたま(握り睾丸)で、ちょいと見れば旦那衆のようじゃが、世間では一人まえに見てくれなんだ。人をだましてもうけるものじゃから、うそをつくことをすべてばくろう口というて、世間は信用もせんし、小馬鹿にしておった。それでも、そのばくろうにだまされては牛のかえことをしておった。わるい、しようもない牛を追うていって、「この牛はええ牛じゃ」いうておいて来る。そうしてものの半年もたっていって見ると、百姓というものはそのわるい牛をちゃんとええ牛にしておる。そりゃええ百姓ちうもんは神さまのようなもんで、石ころでも自分の力で金にかえよる。そういう者から見れば、わしら人間のかすじゃ。ただ人のものをだまってとらんのが、とりえじゃった。」 —『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著 「なさる。「なめますで、なめますで、牛どうしでもなめますで。すきな女のお尻ならわたしでもなめますで」いうたら、おかたさまはまっかになってあんた向こうをむきなさった。わしはいいすぎたと思うて、牡牛を牝牛のところへつれていきました。すると牛は大きなのを立てて、牝牛の尻へのっていきよる。わしゃもうかけるほうに一生けんめいで、おかたさまのほうへ気をとられることはなかったがのう、牛のをすませて、おかたさまのほうを見たら、ジイッと見ていなさる。牡牛はすましたあと牝牛の尻をなめるので、「それ見なされ ​ 」 ​というと「牛のほうが愛情が深いのか知ら」といいなさった。わしはなァその時はっと気がついた。「この方はあんまりしあわせではないのだなァ」とのう。「おかたさま、おかたさま、人間もかわりありませんで。わしなら、いくらでもおかたさまの ​ 」。 ​おかたさまは何もいわだった。わしの手をしっかりにぎりなさって、目へいっぱい涙をためてのう。」 —『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著 宮本常一『忘れられた日本人』。面白かった!主に昭和前半、地方に住む老いた男性の聞き書きで構成されている。東北地方と西南地方の文化の違い、識字の有無による語りの切り口の違い等、興味が尽きない。女性も伸び伸びと生きる知恵を持っており、文字通り今の私たちの忘れていることを教えてくれる。 宮本常一『忘れられた日本人』143ページまで。面白い!昭和二、三十年代の地方を徒歩で巡り、古い証文などを写し取り、老人たちから昔話を聞いて記録している。百姓が美声の持ち主だったり、村娘が洗練された踊り手だったり、嬉しい予想外の文化の豊かさ。#読書中 宮本常一『忘れられた日本人』179ページまで。地方に住む老人たちの聞き書きがとても興味深い。著者は優れた聞き上手なのだろう。昭和二十年代、明治の記憶が残る人々の語る土地の歴史と人生。今は都市部に住む私が正に忘れていた生き方。#読書中 『忘れられた日本人』 宮本常一 西日本の辺境、下層社会に生きる人々や老人の伝承を描く。北と風習は似てるが違いは貧しくとも自由で生き生きしているところ。土佐寺川シライ谷のシライとはシレエ(彼岸花)のこと。飢饉の時これを餅にして食べたらしい。動物も食べないほどまずいらしいが食べてみたい 忘れられた日本人 ¥990 税込 宮本常一/岩波書店 文庫 336ページ 昭和14年以来、日本全国をくまなく歩き、各地の民間伝承を克明に調査した著者(1907‐81)が、文化を築き支えてきた伝承者=老人達がどのような環境に生きてきたかを、古老たち自身の語るライフヒストリーをまじえて生き生きと描く。辺境の地で黙々と生きる日本人の存在を歴史の舞台にうかびあがらせた宮本民俗学の代表作。 bokenbooks.com/items/60441437 宮本常一なんかを読む限りでは、昔の日本人って避妊方法もないままやりまくってる。 ヤリチンとヤリマン以前、貞操観念のない動物みたいな人が多い印象なんだけど、左翼にも右翼にも都合が悪いらしく、そういう「忘れられた日本人」には誰も触れないよね。 そんなに性欲自体が変わるのかなあ。 「人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大事なものがあるはずだ。あせることはない。自分のえらんだ道をしっかり歩いていくことだ」(『民俗学の旅』) 宮本一が父から授けられた「世間」を歩く際の心構え「十か条」の第十条 100分de名著 畑中章宏『宮本常一忘れられた日本人』 より 「 「おれのはどうだ」見ると、岩の上に腰をおろして前をひろげていますが、すごく大きいキンタマがだらりと下がっています。  「大きいのう」と言って、いきなり腰の脇差で、そのキンタマを切りつけました。するとキャッという声がして、そこには大きな古狸が死の苦悶をはじめていました。  こういう話はこの山中にはよくありました。百姓たちは谷の奥などで木を伐って焼畑をつくることがありました。そういう時、風もないのにすごいような風の音を聞いたり、また木の倒れる音をきくことがありました。これはこの土地から近い石 山の天狗や、黒森の天狗のしわざだと村の人々は信じていました。この付近には天狗のいる山は比較的多かったのだそうです。それが今ではどうも人臭くなったと言って天竺の方へとんで行ってしまったと申します。」 —『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著 「対馬ちうところは朝鮮へちかい。それで日本人が内緒でよく朝鮮へ人参を買いにいったものじゃちう。朝鮮人参ちうのはよくききもしたが、大そうな値のするもんで、手のひらいっぱいでも何両という値うちがあった。日本にはどうしてもでけんもんじゃから、内緒で買いにいったのよのう。それには銭屋五兵衛ちうのが大将で、加賀の銭屋か銭屋の加賀かちうて、加賀一番の大金持で、また大けな回船問屋じゃった。この人は対馬まで来るときは、日本の着物を着、日本の帆をまいてはしっておるが、対馬をすぎると、朝鮮の帆をまいて、朝鮮の着物を着て、朝鮮人になりすまして朝鮮へわたったちうことじゃ。銭屋はまァええとして、銭屋のまねをするもんが数知れんほどいって、対馬の役人の目をかすめては朝鮮へいく。どうにも手に負えるもんじゃなかった。」 —『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著 「祖父が死んでから盆踊りがみだれはじめた。あたらしいものにきりかえようとしたこともあったがうまくいかなかった。その豊富な昔話も私は十分にうけつがなかった。世間話はあまり持たぬ人だったが、その生涯がそのまま民話といっていいような人であった。」 —『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著 「 その頃まで芸人たちは船賃はただであった。そのかわり船の中で芸を見せなければならなかった。昔は遊芸の徒の放浪は実に多かった。それは船がすべてただ乗りできた上に、木賃宿もたいていはただでとめたからである。だからいたって気らくであって、いわゆる食いつめる事はなかったし、また多少の遊芸の心得があれば、食いつめたら芸人になればよかった。だから「芸は身を助ける」と言われた。芸さえ知っておれば飢える事もおいてけぼりにされる事もなかった。台湾へわたる船の中でも、そうした芸人たちが歌ったりおどったり手妻(手品)をして見せてくれるので退屈どころか、いつキールンへついたかわからぬほどだった。」 —『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著 「翁も十五になったとき、この一夜ぼぼへいって初めて女とねた。それから後もずうっとこの日は出かけていったが、明治の終頃には止んでしまった。  ところが明治元年には、それがいつでも誰とでもねてよいというので、昼間でも家の中でも山の中でもすきな女とねることがはやった。それまで、結婚していない男女なら、よばいにいくことはあったが、亭主のある女とねることはなかった。そういう制限もなくなった。みなええ世の中じゃといってあそんでいたら、今度はそういうことをしてはならんと、警察がやかましく言うようになった。」 —『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著 「その夏、隠岐島に国語教壇の講習会*があって、それに出席するため出かけた。そのまえに隠岐へは一度わたった事があり、その時十分見なかった牧畑などもできるだけこまかに見て来たいと思った。この旅で私は森脇太一氏に初めて うた。森脇さんもこの講習へ出かけた人であるが、おそろしくエネルギッシュな人で、もうその頃一〇〇〇ページをこえる大きな『邑智郡誌』という書物を出しておられた。森脇さんという人は学歴から言えば小学校を出ただけだったが勉強ずきで、独学で小学校の先生の検定試験に合格して小学校の先生になった人である。後に森脇という商家へ養子に行かれたが、根っからの百姓っ子で、百姓しながら先生をしていた。質素で勤勉で自分の力の出しおしみをしない人で、その上旺盛な知識欲をもっており、自分はまともな勉強をした事がないのだから、何とかしてよい先生について本当に生きた知識を得たいと思い、しかもその知識が自分にもまた子供たちにも役に立つものであるためには講習会などへいくよりは、先生に来てもらって直接指導をうけるのがよいと考え、家で百姓をして食う方は憂いのないものにし、月給をためて、それで島根師範から一人ずつ先生をまねいて、そのおともをして邑智郡内をあるきまわって実地について指導をうけたという。地理、歴史、動物、植物などあらゆるものにわたって郡内の自然人文現象を見、その見方を教えてもらい、かつ丹念に記録したのである。その費用はすべてためた金でまかなった。そしてその原稿が何千枚というほどになり、それをまた自分でためた金をもとにして、教育会などから若干の補助金をもらって出版したのが『邑智郡誌』で、森脇さんの二十歳から三十歳までの間の仕事であった。」 —『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著 「 「田中氏は既に七十歳を超える老人であるが、余裕綽々意気尚壮者を凌ぐ慨があり、談一度郷土の事柄に及べば談論風発一つとして知らざる事なく、夜を徹して語り、その博学と熱情とは訪ねるものをして驚嘆せしめずにはおかない。所謂地方の「生字引」として尊重される所以はここにあるのである。斯様にして「生字引」たらしめるのには理由がある。氏の「永久保存物目録」の序に「書き残す繰言」という題目の下に次の様な事が書いてある。「自分は幼少の時から何でも物を保存するという癖がある。そして学生時代から歴史的なものが好きである。(中略)今僕は若い時に書いたもの等出して見ても何の役にも立つものでもない。だがこれを歴史的に見ると、あの時はこんな事があった。僕が何歳の時にはどんな状態であった等という様な事を見るには矢張参考になる事がある。(中略)何の役にも立たない様なものでも歴史的に見れば、古くなる程面白味が出来てくるであろう」というのである。」」 —『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著 「これは田舎にいて文字を解し、しかも百姓をしている老人に見られる共通した一つのタイプではなかろうか。地方をあるいていてこういう老人に う事は多い。その人たちは多くその故里を 愛している。しかし決して郷土自慢をしているのではない。酸いも甘いもかみわけた上で愛しているのである。」 —『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著 「高木さんの家を出るとき、高木さんは白米一升を袋に入れて、「一升くらいなら闇米としてとりあげられることもありますまい。これを持っておいでなさい。食うもののないところでは、これをたいてもらえばよい。なくなったら、また米のありそうな仲間のところへ泊りなさい」と言って下さった。  私は丘をこえて和田さんの家へいき、そこでお世話になって長友付近の調査をした。その夜であった。座敷で和田さんとはなしていると、「宮本さんいるか」と、土間の方から声をかけた人がある。高木さんの声である。台所の方へ出てみると、上りはなに腰をおろして高木さんはニコニコしている。」 —『忘れられた日本人 (岩波文庫)』宮本 常一著

    4
    投稿日: 2026.01.05
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    「私の祖父」や「文字をもつ伝承者(1)」などお気に入りの話があったが極め付けはみんな大好き「土佐源氏」。土佐源氏の猥談?色懺悔?はなんとも味わい深い。土佐源氏こそ後世に遺されるべき逸話だと思った。 それぞれの語り手の人となりは面白く、その考え方には感心させられる。

    0
    投稿日: 2026.01.03
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    江戸後期〜明治〜大正〜昭和初期のころの日本の原風景を切り取ってきたような書籍です。田舎の村々での百姓の暮らしぶりが、とてもよくわかります。百姓の日常や村人たちの当時の暮らしっぷりを知ることができます。今より、性に対してゆるい社会で村の中で夜這いも日常的にあったようです。あとは、動物たちとの関わり方が、私はとても興味を持ちました。ミミズにションベンをかけてはいけない、こととか、可愛がっていた犬が山で迷っていた時に助けてくれたり、亀との逸話や狼との対話など当時の人々の考え方と、動物との関わり方がおもしろく感じました。八百万の神を感じながら自然とお付き合いしていた様子が伺えます。貧しいながらも懸命に暮らしていたこともわかります。今の豊かな暮らしに感謝しつつ、そう遠くない時代に生きた人々の息遣いを感じることができました。

    13
    投稿日: 2026.01.02
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    エッセイであり、オーラルヒストリーであり、記録された伝承であり、当事者の記憶である本書には様々な視点があり、著者の多様な問題意識があるように思われる。一つの視点を持って本書に向き合うのはもったいないことである。

    0
    投稿日: 2025.12.16
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    明治から戦後すぐのあたりまでの、農村の生活や庶民の暮らしぶりを伝える名著です。 舞台が四国、山陰、東北などということもあって、暮らしは質素で貧しい。 その中にあっても、素朴にして明るく、そしてたくましく生きてきた庶民の生活や営みが生き生きと描かれています。 当時の日本の地方部って、ある意味では民話の世界だったんだな。 興味をそそられたのは、夜這いや性にまつわる話が頻繁に出てくること。 性に宗教的タブーのなかった日本ならではの現象かもしれませんが、老人が昔の思い出として夜這いのことを語るさまや、農作業での女性の明るいエロ話など、性に対する疚しさは感じられず、むしろカラッとした解放感が見られるのが面白かったです。 タイトルは「忘れられた日本人」ですが、むしろ今の日本人が忘れているものは、本書で随所に見られる明るさやたくましさなのかもしれません。

    1
    投稿日: 2025.11.19
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    ずっと積読になっていた本。無名な老人のライフストーリーを伝えた本。全ては読まなかったが、「土佐源氏」という盲目のおじいさんの話がとても独特。これが現実生きてきた生身の人間の話なのだと分かると、「家ついてっていいですか」を聞いているような気持ちになり、人間こそ歴史なのだなということを、ありありと感じた。日本中を歩き回りこうした方々に、こんなに詳細なインタビューをしてきた宮本常一さんに感謝しかない。

    1
    投稿日: 2025.11.15
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    西日本の昔の風習を知るのにとても良い著でした。 あとがきに著者が書いていたように、首都が東京に移って以降、日本の昔を語る時東北や東日本のデータが中心になっているという視点に初めて気づきました。 「昔はお見合い結婚が当たり前だった」という定説にしても、西日本では意外とそうでもなかった、など… 日本の歴史と一口に言っても地域によってかなりバラつきがあるということを改めて学びました。

    1
    投稿日: 2025.11.07
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    -こうした貧農の家の日常茶飯事についてかかれた書物というものはほとんどなくて、やっと近頃になって「物いわぬ農民」や「民話を生む人々」のような書物がではじめたにすぎないが、いままで農村について書かれたものは、上層部の現象や下層の中の特異例に関するものが多かった。そして読む方の側は初めから矛盾や悲壮感がでていないと承知しなかったものである(「私の祖父」) -村里生活者は個性的でなかったというけれども、今日のように口では論理的に自我を云々しつつ、私生活や私行の上ではむしろ類型的なものがつよく見られるのに比して、行動的にはむしろ強烈なものをもった人が年寄りたちの中に多い。これを今日の人々は頑固だと言って片付けている。(「世間師(一)」) -文字を持つ人々は、文字を通じて外部からの刺戟にきわめて敏感であった。そして村人として生きつつ、外の世界がたえず気になり、またその歯車に自己の生活をあわせていこうとする気持がつよかった。(「文字をもつ伝承者(一)」) 宮本常一の民俗学の金字塔といわれる著書。 巻末の網野善彦氏の解説によると、宮本氏は、客観的なデータを整理・分析する従来の民族誌よりも、「生きた生活」をとらえることを目指したということで、分析的な記述よりも、地方村落のお年寄から聞いたことやフィールドワークの体験がそのまま記録されている。 太平洋戦争直後の昭和20〜30年代に調査は実施された。 東京の文壇ではちょうど同じ頃に小林秀雄が『ゴッホへの手紙』を書いたが、その当時の地方村落は、まだ中世のような生活だった。 地方の村落と言うのは、文明では都市部から100年近く遅れているようで、素朴なやり取りに、ほっこりと里山の空気を感じる。 動物や虫を支配するのではなく共に生き、性愛に風流を感じ、目に見えない神を尊ぶ、などが日本の特徴だろう。 西洋文明では、人は自然を支配し、純潔を重んじ、一神教、となる。 現代の日本が西洋と同じとは勿論言わないが、昔に比べてその傾向に近づいていることは間違いない。 科学技術や目に見える文化だけでなく、人間の頭の中もそのように変わるものだと改めて知った。 『源氏物語』の風流は、庶民にも存在したのかもしれない。 印象的だったのは、対馬である老人を訪ねた際のやりとりだ。 老人「あんたァどこじゃね」 宮本「東京の方のもんじゃがね…」 老人「へえ!天子様のおらしゃるところか。天子さまもこんどはむごいことになりなさったのう」 太平洋戦争敗戦について天皇を気遣う言葉だが、あっさりとどこか他人事のようで、自分が所属する国が他国との戦争に負けた、という実感は感じられない。 そもそも、「国家」というものが機能や組織として意識されていない。 都市部の戦争体験と言えば、空襲を受け、日の丸を掲げ、プロパガンダ新聞を読んで他国への憎悪を燃やす、と悲壮な画が浮かぶが、 それに比べて、「天皇かわいそうだったねー」というこの遠めの距離感。 国家や政府によって作られた物語に煽られず流されない、都市住民にはない素朴な人間の聡明さを感じた。

    49
    投稿日: 2025.10.19
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    歴史上の主要人物や戦時中の様子は歴史の教科書で知ることができるが、一般市民はどのような生活していたのかずーっと気になっていた。 一番興味を惹かれたのは民謡に関する事柄。夜、峠を越える際に民謡を歌いながら歩くことですれ違う人や生き物を判別したり、田植えをしながら歌を歌ったり。民謡に描かれた生活や土地の特徴について純粋にもっと知りたいなと思った。言葉に縁がある人、縁が薄い人との対比も興味深かったな。 生活を描いた内容だから良い出来事も悪い出来事も淡々と書かれており、私情を入れずにただひたすらに知る行為が民俗学というか学問のあり方なんだろうなと思った。 この本を書かれたのは1950年代で、発刊されたのは1984年。その時に「忘れられた日本人」と名付けて、今はどうだろう。私が受け継いでいる伝承もきっとあるはずで、言葉を持つ者として受け継いだ伝承は記録せねばな...と思ったりした。

    1
    投稿日: 2025.10.15
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    昭和20年頃までの話を作者が60年頃にまとめている。出征する人を峠まで見送ると終わりどきがわからないので、峠の手前で分かれるようになったという話は実に面白い。演出と合理が田舎の生活に溶けこまれている。 百年もしないうちに、日本人の価値観はこんなに変わるのかと興味深い。

    1
    投稿日: 2025.08.09
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    面白く読んだ。 宮崎駿がこの本を読んでいなかった鈴木敏夫に「教養が無い」と言ったそう。 この本を読んで今の日本人は確かに昔の日本人を忘れていると思った。 核家族化が進み親から子に継承することがなくなってきた。資本主義のもとに大事な価値観も大きく変わってきた。もう50年も経てば戦前の人からみれば想像できない日本人となっているだろう。その時大事な事を失っていない事を願うばかりです。今でも何か失いつつあるのではないかという脅迫観念に陥ることが時々あります。 大部分の人はそうは思っていないのだろうが。

    2
    投稿日: 2025.05.04
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    一昔前の日本の村の生活や風習を記録した書籍。少し慣れるのに時間がかかったが、貧しくて不自由なようでどこか自由そうな人々の生き方や、農村漁村での生活や風習を感じられて一気に読み進んだ。本来好みというほどではないが、何故か手元に置いておきたい一冊。

    1
    投稿日: 2025.05.04
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    このレビューはネタバレを含みます。

    読み直しシリーズ二作目。 民俗学者で、山間地などの老人たちに話を聞き、それらをまとめてきたひと。去年(2024年)の6月にNHKの100分de名著に取り上げられてたらしい。 学生時代は、なんだか生々しい記録だなあ、フィールドワークってこういうものなのかなあなどと、読んだのみだったのが、読み直すと(本文より) ・娘たちちとって旅はそうした見習いの場であった ・字を知らなかったおかげで、みなこづきまわされてきたのである。 と、今となれば当たり前の事がちょっと前まではそうでなかったことが判る。好きにすればって思うけど、少なくとも義務教育は受けといた方が良いよなあと感想も脱線する。 読み直して面白かったのは、姑の嫁いじめは世に知られても、嫁の姑いじめが知られてないのは、姑が世に訴える方法と力がない(あとがきより)という指摘。なんだか納得しつつ、過去に読んだときはさして気にしなかった部分が、読み直しすると刺さるという良い例かと。 ついでに、解説が網野善彦先生なのが豪華と思うのも読み直しならでは。

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    投稿日: 2025.04.30
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    大変面白く、そして貴重な本だと思う。 山あい、海っぺり、日本各地にあった貧しい集落で精一杯生きてきた民の記録。やれることに限りがある中で、日々の楽しみを見出し、やるべきことをやってきた人生。現代人にはなかなかないワイルドなエネルギーがぎっしり詰まった、まさに「忘れられた日本人」がいる。 何度か挫折した本だったが、10数年ぶりに手に取ったらスルスル読めた。どういう事かはわからないが、これが「機が熟す」ということなんだろうか。

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    投稿日: 2025.04.19
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    民俗学など少し興味があるので、頑張って読了。これはかなり好みが分かれそう。お年寄りの昔話が苦にならない人にはハマるかもしれません。

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    投稿日: 2025.03.28
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    日本の歴史のある時期のなかなか語られない部分が知れて面白かった。 未だに名残が残っていること、消えていったこと、自分の時代もこうして変わっていくのだろうなあ。この辺りの時代の小説を読むときにも想像の手助けにもなりそう。

    1
    投稿日: 2025.02.24
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    日本各地のお年寄りのお話です。風俗、農民の暮らしぶりなど、興味深い内容です。でも途中までしか読めてません。

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    投稿日: 2025.02.09
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     ブクログで「あなたへのおすすめ本」として勧められた本書。宮本常一。うん?これはもしや私がイザベラ・バードの「日本奥地紀行」のレビューを書いたとき、kuma0504さんがコメントで言及された民俗学者ではないか。来た来た!来ましたよ!kumaさん。 「忘れられた日本人」。なんて興味をそそるタイトル!そして、所々のボヤけた白黒写真!これだけでも哀しく温かい。  宮本常一氏(1907〜81)は昭和14年以来、日本全国をくまなく歩き、各地の民間伝承を克明に調査してきた。そして、この中に収められているのは、雑誌「民話」に「年寄りたち」と題して連載されたもので、各地の文化を築き支えてきた伝承者=老人達がどのような環境に生きてきたかを古老たちのライフストーリーを交えて生き生きとえがいている。 面白い!  まず、最初の「対馬にて」では長崎県対馬の北端に近い西海岸の伊奈という村での話なのであるが、宮本氏の滞在されていた期間は丁度村の「寄り合い」の時で、村の大事なことを何時間もかけて皆が納得がいくまで話しあっていた。例えば宮本氏が調査のために村の古い証文類を貸して欲しいとお願いすると、それを貸していいかを決めるために皆が納得するまで何時間もかけて話し合われのだ。ふつうの研究書なら「〇〇という文献によるとこれこれこういうことが分かった」で終わるところだが、宮本氏のこの文章ではその文献に辿りつくまでのその持ち主たちとのやり取りの様子が書かれることで、いかにその村ではどんなことでも皆の意見を聞いて進められてきたかという様子が分かり、その記録こそが研究であり、まるで文学のようだと思った。  お年寄り達のお話を聞かれるとその時代、その土地に住んでいた人ならではの知恵というものがあったことが分かる。例えば、対馬のように海沿いの土地の山間部を馬で移動する時には同行する人の姿が見えなくなってしまうことがよくあることであるが、そこでお互いの場所を知らせるために生み出された知恵が「歌を歌いながら移動する」ということであった。大きな声で歌を歌いながら移動すれば、村の仲間ならその声の持ち主が誰か分かるので、行方不明になっていても、「誰がどの辺りにいるか」だいたい分かるというのだ。  「寄り合い」について、もっと言及されているのであるが、宮本氏によると西日本では特にこの村の「寄り合い」が重視され、そこでは武士とか農民とかの階級を超えた民主的なものであったらしい。また、若衆だけの寄り合いグループ、娘たちだけの寄り合いグループ、隠居組だけの寄り合いグループなどがあり、それぞれの家の中では言えないこともその寄り合いの中で相談したり発散したりして、家の中や村の中の人間関係を円滑にすることに貢献していたらしい。例えば、年寄りばかりの寄り合いでは、村の中の人には言えない男女関係のもつれなど、公にすると大問題になってしまうことも「誰にでも誤りはある」と広い心でこっそり聞いて、相談に乗っていたらしい。また、女性ばかりの年寄りの寄り合いでは、「嫁さんのグチ」をそこで言って発散することによって、家で嫁いびりをせずに済むようにしていたらしい。実際にこのような地域では「姑の嫁いびり」は少なかったらしい。  「女の世間」では宮本氏の伯母さんの若い頃の田植えの時の様子を聞いておられるのだが、その頃、「苗取り」は腰掛けに腰掛けてするのが主流であったが、伯母さんは腰掛けなど使わず、水田の中で片膝をついてするほうがやりやすいと言う。何故かというと娘の時から「田植え」はみんなで競争しながらするもので、男性と仕事を分担しながらしていたが、男性の手が遅いと「この甲斐なし奴が!」とどなりつけたり、大の男を女性3人で田んぼの中に引きずりこんで泥を浴びせたり…とそれはそれで楽しい青春だったらしい。田んぼの畦で太鼓を鳴らしながら歌い、音頭をとって田植えがはかどるようにした面白い人もいて、何も楽しみの無かった時代、大規模な田植えは一大イベントだったそうだ。また、女たちばかり俯いて田植えをしながら、実は「エロ話」も結構していたそうだが、往々にしてそれは彼女達が明るく健康的であった証拠と見られる。機械化される前の田植えなど、「地獄のようにしんどかったんちゃうの」と勝手に決めつけていた現代の私は失礼も甚だしかった。  男女の性のあり方も時代と地域によって今では考えられないくらい解放的な部分があった。宮本氏が調査された昔の農村では、年頃の男性は目を付けた娘の家に「夜這い」をするのが良くあることで親も気づかないふりをして結ばれることは良くあることだったらしい。  しかし、その夜這いも「させてもらえなかった」若者もいた。「土佐源氏」で語る80歳超えの盲目の乞食の老人は、孤児で「ばくろう」(牛を交換して商売する人)だったそうだ。ばくろうというのは、たいしたことのない牛を「いい牛だ」と言って百姓が育てた良い牛と交換して歩いて、最終的に牛親方の所に高く売りつけるというヤクザな商売だったらしい。特定の集落に属していないので、若衆仲間にも入れず「夜這い」はさせてもらえなかった。相手になるのは、旅のばくろうを留める家の「後家」が多かった。ある日、その後家さんの娘と結ばれ、逃げて一度は堅気の商売を始めたのだが、商売で関わった良家の奥様と関係を持ち、隠れるように逃げて結局は元の商売に戻ったそうだ。妻には言えないけれど、同じような経験が他にもあったらしい。当の元ばくろうの老人の思いによると、その良家の奥様もばくろうも「寂しさ」というのが共通していたので、何も取り柄のないばくろうの優しさがその女性の心を動かしたらしい。あの「光源氏」とは似ても似つかない環境だが、何故か女性を喜ばせた「土佐源氏」。このばくろうの話がいい話だとか同情するとかは思わないが、特定の集落にも属さない、日本列島の山あいを毛細血管のように生きた男の生涯を生き生きと蘇らせて「土佐源氏」としてまとめた宮本氏の調査力と文学性には目をみはるものがあると思う。  昔のこと、地方のことというと「現代から見た昔」「中央から見た地方」「都会から見た田舎」という視点になってしまう気がするが(少なくとも私はそうだった)、宮本氏はどんな辺鄙な所でも実際に足を運んでその土地の老人の話を聞いて、日本の隅々に独自性があり、「日本は一つではない」ということを思い知らせてくれた。  大変興味深く、そして切なくなった一冊。だって宮本氏が必死になって、当時の地方の老人たちから聞き書きした「消えゆく文化」は既に70年くらい前のことであり、既にその多くが消えているだろうから。過去進行形で消えていった文化を書き留めた「文字」と宮本氏の研究姿勢はすごい。何かに行き詰まったとき、宮本氏の研究姿勢とこの本に書き留められた昔の人の生き方を思い出したい。

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    投稿日: 2025.02.02
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    おすすめ。 #興味深い #教養 #読みやすい #日本を知る 書評 https://naniwoyomu.com/30221/

    1
    投稿日: 2025.02.01
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    農業など前近代的な社会を私たちは下に見てしまう傾向があるように思えた。しかしその社会には知恵と工夫が張り巡らされていて、人々の繋がりも深い。 わたしも農業やりたい!この時代に生きてみたい!と思えるような本だった。

    1
    投稿日: 2025.01.24
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    老人達の語りが印象的だった。自分でも、年長の人の言葉に耳を傾けようと思った。 当時の人々の感覚(の気配)が感じられた気がする。 当時の人々の感覚は、現代の我々の感覚とは隔絶している。この本がなければ知ることもなかっただろう。 肌触りのある本だった。旅に出たくなる。

    1
    投稿日: 2024.11.29
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    とても興味深く読んだ。しばらく前に100分de名著で放送されており、その際に面白そうと思って購入していたが、読めずにいた。今回、機が熟して読んでみたが、想像以上、期待以上に面白みを感じた。 東日本で育ち、東日本を出たことのない身としては、違和感があったがそれも、東と西では違う、とのことで納得。伝承者、というにはあまりにおおらかな土地の人々の話は、つい笑顔になってしまうような話が多くあった。 油を売る、という言葉が当時当たり前だったけど、それを文字で説明することの意義。そんなところで、ふと、子供の頃、トマトに砂糖をかけて食べる、ということを職場で話した際の皆の反応が面白かったことを思い出した。私にでさえ、既に記憶の中だけの風習、習慣ってあるものだ。それを学問にするかどうかは別として、私たちと同じように一生懸命に生きて亡くなっていった人々がいて、今の私たちが存在するのだと当たり前のことだけども、感じた。 文字を知る人と知らない人とでは話し方、考え方が違うということも興味深かった。もはや、日本に住む私たちは文字を知らない人と話す機会はほぼない。ということは、文字を知らない人たちの思考も知らぬままに生きていくのだ。それは誇りでもあるし、私自身が書くこと、読むことで人生を豊かにしていることを考えると複雑な気持ちになるのだが、多様性といいつつも、つまらぬ時代だなと思う。 民俗学というと、柳田國男のイメージでほんわかとしていたが、もっと知りたいと思うようになったし、時代を書き記すことの意義を強く感じられた。

    11
    投稿日: 2024.11.04
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    2024.10.11 スケールを挟んで、改めて積読に戻ってこちらの本を手に取った。民俗学を代表する本書をやっと読むことができた。大学院の授業で知ったのだから、7年越しに読むことになった。本当に罪すぎ(積みすぎ)。。 我々は物事を学ぶとき、知らぬ間に我々が生きている今の社会の慣習を前提にしている。多くの情報、特に学術や行政などの情報は文書によって伝達されるが、その前提は皆が文字を読み書きできるという至極当たり前なことに支えられている。この「至極当たり前」は「今の社会」における状況である。明治時代、日本という国ができ、近代化が推し進められた当時の日本人の多くは文字を読み書きできない。そんな社会状況に立つと、あらゆることが変わると気づく。

    1
    投稿日: 2024.10.27
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    小学5年の初夏のことであった おちんちんがとんでもなく腫れたのである もうぱんぱんである 痛いし、痒いしでとてもじゃないが学校にも行けないということで2,3日休んで家で寝ていると当時一緒に住んでいた祖父が来て一体どうしたのかと聞いてきた そこで実はこういう訳で学校も休んでいると答えると「お前どこぞで立小便をしてきたな」と言うのである 確かに立小便をしたと返すと「みみずに小便をかけるとちんちんが腫れるのだ」と言うのである みみずの怒りを買ったのだと しかし、みみずを見つけて、水できれいに洗ってやればみみずの怒りは収まり腫れはひくと続けるのである そんな馬鹿なことがあるものかと思ったが、祖父が「年寄りの言うことは聞くものだ。大した手間ではないのだから騙されたと思ってやってみろ」と言うので、みみずを見つけて洗ってみると次の日の朝にはきれいに腫れがひいて元の粗ちんに戻っていたのである 不思議なことがあるものだ 本書の中でもこのみみずの話が出てくるが、日本各地でこのような伝承は残っているようである って、誰が粗ちんやねん!( ゚д゚ )クワッ!! *ちんなみに本書『忘れられた日本ちん』はクマちんにおすすめ頂いた たいへんおもちんろかったです ありがとうクマちん

    54
    投稿日: 2024.10.05
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    一日を大事に生きる 損得を考えず黙々と働く 人の役にたつ、人を面白がって噂話をしない 文字の知識での生活が違う時代 人と比べず自分と周りの生活を大切にする 忘れてはいけない真摯さ、思いやりがあります

    1
    投稿日: 2024.08.11
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    読んだと思い込んでたけど読んでなかったっぽい。 NHKの100分de名著はよいまとめ方だったんだなぁと改めて思ったけど、常一のお父さんが常一に伝えた旅をするときの注意点は別の本からの引用だったんだな。あれ、ちゃんと読み直したい。 それにしても、文字を知らない民は人を信じるしかなかったとか、歌で覚え伝えたとか、オングを思い起こさせられる。常一のおじいちゃんが動物や虫をいじめちゃいけないよ、と諭すありかたなど、愛おしくグッとくる。また、己の日々の生き方を考えさせられてしまうな。

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    投稿日: 2024.08.08
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    昭和の初めに地方を巡り老人たちから村の伝承や風習などを聞いて回り集めた話。歴史や石碑なんかには刻まれないけれど、そこにある生活、喜びや悲しみや笑いや涙や知恵のようなもの、もしかしたら読むことも知ることもできなかったかと思うと少し感慨深い。

    2
    投稿日: 2024.07.28
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    机上の話ではない。実際に聞き書きして著わされたことに価値がある。1人の人生が「日本人」の全てではないが、1人の日本人の真実ではある。 気をつけなければならないのは、これは一つの時代の、主に西日本の農村部で聞き書きされたものであるということ。 しかも相当プライベートな内容である。 現代の農村の事情と異なることは当然だが、誰にでも話す内容ではない。このような貧困からくる人生やおおらかな性は、今も表には出てこないだろう。 記録された人たちは、歴史の中の人々として今も生き続ける。

    1
    投稿日: 2024.07.23
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    民俗学者、宮本常一の代表作。主に宮本常一が戦後、聞き取り調査を行った農村の古老たちの話をまとめたもの+α。 語られている内容は明治から昭和にかけての農村に暮らす市井の人々の日々の営みの中でも個人史や世間話のようなもの。いずれも面白いが読んだ印象は民俗学の本というよりは、もっと文学的な読み物といったほうが近い。有名な橋の下で乞食として暮らす元馬喰の色懺悔とでもいうべき「土佐源氏」は現在では宮本常一の創作であったとする説が有力であるようだが、それはそうかもなという感じ。 村の意思決定機関である寄り合いの実態や、世間師といわれる村と外部をつなぐ共同体の異端的な存在の話や、女達のエロ話や娘の家出の話、ハンセン病患者が人目を避けて旅する山間の道や、芸人は芸を見せれば船代が只とか興味深いエピソードは数知れないが、一番気に入ったのは、長州征伐の際、負けて逃走中の侍に道で出会った農夫が自分の睾丸を触ったら垂れていたので、それなら相手に負けるものではない」と確信したという話。いざというとき自分の金玉の具合を確認するというのは山口あたりでは一般的な話だったんだろうか?

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    投稿日: 2024.07.22
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    知ってるようで知らない日本 でもなんだかこの雰囲気 身体が感覚として 覚えているような気がする 現代の価値基準からいくと 猥雑だったりプライバシーの事で 「昔は良かった」なんて 100%言えないけれど 「生き物」として考えた時 現代よりも過去の生き方の方が 現代の価値基準より 圧倒的に強いなぁと思う hennbooksにて購入

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    投稿日: 2024.07.09
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    丁寧に綴られる生活誌。 人の歩み、真の進歩とは。 ・寄りあいと年より ・生き方、生活そのものが民話。

    1
    投稿日: 2024.06.30
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    このレビューはネタバレを含みます。

    100分で名著で取り上げられていたので読んでみた。 柳田國男の遠野物語を少し読んだことがあった。番組で解説していた、柳田のそのような視点とは違い、人々の日々の生活がどのように営まれていたかに着目した、という点が、わたしにとっては親しみやすく面白かった。 序盤の方でこの本で語られていることへの興味がぐっと大きくなった一文がある。 「ラジオも新聞もなく土曜も日曜もない、芝居も映画も見ることのない生活がここにはまだあるのだ」(p.27) 正確な年はわからないけど、100年ほど前の日本の端っこには、こんな生活が残っていたんだと、著者が出会った人々のことを知って驚いた。 朝起きて畑仕事をして、ご飯を食べて暗くなったら布団に入る…目の前のことを繰り返し繰り返しやっていく、それが当たり前の生活が、一世紀前にはあったんだ…と思うと、今の日本の生活の方が、日本の人々の生活を大きな視点で見たとき、異常だと言えてしまうんじゃないかって考えた。 他にも印象に残った文章がある。 いなくなった村の子供を村人みんなで探す話で、不思議なことに村人が探しいく場所は、子供の行きそうな場所を的確に分担していて、それは示し合わせたわけではないという… 「ということは村の人たちが、子供の家の事情やその暮らし方をすっかり知り尽くしているということであろう。もう村落共同体的なものはすっかりこわれ去ったと思っていた。それほど近代化し、選挙の時は親子夫婦の間でも票のわれるようなおころであるが、そういうところにも目に見えぬ村の意志のようなものが動いていて、だれに命令せられると言うことでなしに、ひとりひとりの行動におのずから統一ができているようである」(p.103) 昔は町全体で子供を育てていたと話には聞いていたけど、こうやって本当にあったことを読むと、よりイメージが湧いてくる。 あとは「私の祖父」から、番組でも紹介されていたところ。 「市五郎はいつも朝四時にはおきた。それから山へいって一仕事してかえって来て朝飯をたべる。朝飯といってもお粥である。それから田畑の仕事に出かける。昼まではみっちり働いて、昼食がすむと、夏ならば三時まで昼寝をは、コビルマをたべてまた田畑に出かける。そしてくらくなるまで働く。雨の日は藁仕事をし、夜もまたしばらくは夜なべをした。祭りの日も午前中は働いた。その上時間があれば日雇稼に出た。明治の初には一日働いて八銭しかもうからなかったという。 仕事をおえると、神様、仏様を拝んでねた。とにかくよくつづくものだと思われるほど働いたのである。 しかしそういう生活に不平も持たず疑問も持たず、一日一日を無事にすごされることを感謝していた。市五郎のたのしみは仕事をしているときに歌をうたうことであった」(p199-198)

    2
    投稿日: 2024.06.24
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    民俗学者である著者は農漁村を歩いて周り、その土地の老人(文化伝承者)から生活や文化についての話を聞いた。ここに出てくる人々は、歴史上には名を残さないような市井の人々だが彼らの生き様は非常に深く誰も代わりにはなれない。今忘れてしまっている人間の根本的なものについて気づかせてもらったように思う。時が進むにつれ生活様式や文化も変わるけれど、語り継がれていくことは重要なことだと感じた。「土佐源氏」が印象的でこみ上げてくるものがあった。長く積んでいた本でしたが「100分de名著」で取り上げられ読む機会を得た。

    3
    投稿日: 2024.06.19
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    何度も読み直したくなる一流のドキュメンタリー 前半は文字を読み書きできない老人たちを語り部とした、村における風俗史といっても差し支えない内容。口語調であるが故に容易に情景が浮かび上がります。中盤は氏の祖父の歴史、世間師、大工といった村と外部をつないだ人々の話から、いかに外部と交流することで変化していったか、が描かれる。 終盤は村におけるインテリ農民による記録から村の隆盛の過程を紐解いていく。。 それぞれが非常に面白く、想像力が掻き立てられます。

    20
    投稿日: 2024.04.21
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    石鎚山は天狗の巣で、その天狗が時々山をわたりあるく事があった。風もないのに木々の梢が大風の吹いているようにざわめくのである。また夜半に山がさけるような大きな音がしたり、木のたおれりするがあった。これを天狗の倒し木と言った。さて夜が明けて見ると何のこともないのである。

    4
    投稿日: 2024.03.20
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    忘れられているが、忘れてはいけない日本人の姿。戦前から戦後まもなく日本全国の民間伝承を調査した民族学の名著。 長崎の対馬を先祖に持つ関係で読んでみました。初めの章にこの地方のしきたりや伝承が載っていました。 この本に登場する日本人は、司馬遼太郎さんが、理想としているような鎌倉武士の起源を原形とする姿ではないかと思い浮かびました。 特に宮本常一の祖父の宮本市五郎の話は胸を打つ。…仕事(百姓)を終えると神様、仏様を拝んでねた。とにかくよくつづくものだと思われるほど働いたのである。しかし、そういう生活に不平も持たず疑問も持たず、一日一日を無事にすごされることを感謝していた。市五郎の楽しみは仕事をしているときに歌をうたうことであった… この祖父と幼期期に一緒に寝て、おびただしい数の昔話や伝承を聞いて育った宮本さんが、大人になり古老から多くの伝承を集めることを仕事にしたのも頷けます。

    2
    投稿日: 2024.03.19
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    日本中を旅して一般の人から話を聞いた宮本常一の代表作。日本中を旅して階段や廃校の写真をSNSにアップロードしている人の大先達。

    1
    投稿日: 2024.01.03
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    このレビューはネタバレを含みます。

    もともと為政者の歴史より庶民の歴史に興味があるので面白く読めた。宮本常一の最高傑作と言われる本作だが、雑誌掲載のものをまとめた作品だからなせいか、一つの研究成果を起承転結でまとめた研究書ではなく、長年聞き書きしてきたトピックをオムニバス的にまとめたものだったことがわかった。 昭和の初めごろの老人というと幕末明治大正昭和と激動の時代を生きてきた人々。よくぞこの時期に聞き書きをして記録を残してくれたと感謝したい。 私たちが教科書で知っている長州征伐や西南戦争の時の話も田舎ではどう見聞きされていたのかが、よく知ることができた。 また直接慶喜公が大阪から船で江戸へ落ちのびる時の舟渡をした古老の話などもあった。 昔は今より性に関しておおらかで結婚前の夜這いはどの地域でもあり、未婚同士ではない場合もあったようだ。 車が普及する前は物流は主に馬や海川に頼っていたので、職業として博労の仕事に就いている人もおおかったようだ。 職業の変遷も伺える。 旅芸人は旅先で芸さえ披露できれば、宿代や船賃は無料でできたということも初めて知った。 昔は今より気安く世間を知るために旅もしていたらしい。 ともかく、庶民は常に為政者から抑圧され苦しい生活を強いられていたというステレオタイプなイメージが払しょくされた。 また、昭和初年代では60歳をすぎると隠居するのだが、隠居しても暇を持て余すのではなく、村社会での役割があったことを知り、今のシニア層の人の生き方のヒントにもなりそうに思えた。 今なら宮本常一はどんな聞き書きをするのだろうか。 とくに都市での聞き書きに興味があるのだが。 満足度★★★★+0.5 忘れられた日本人 (岩波文庫) 宮本 常一(著) 目次 凡  例 対馬にて 村の寄りあい 名倉談義 子供をさがす 女の世間 土佐源氏 土佐寺川夜話 梶田富五郎翁 私の祖父 世間師 ㈠ 世間師 ㈡ 文字をもつ伝承者 ㈠ 文字をもつ伝承者 ㈡ あとがき 解  説(網野善彦) 注(田村善次郎)

    9
    投稿日: 2023.12.31
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    名もない人々の日常を聞き書き。 人びとの生きた記録が、文学作品のような読み応えになる。 土佐源氏は読んでしばらく噛み締めちゃった。それから94pからの、和さんのエピソードがとても好き。 他の方も感想に書いてるけど、昔の日本人の意識って「女の子は慎み深く」「嫁いり前なんだから不用意に男の人とお話ししちゃいけません」みたいなものだと思ってたけど、思った以上に強くておおらか(?)で意外だった。思えば民謡の歌詞とか聴くとわりと大らかで下ネタも満載だから、まあ、そういうものなのか。この辺のことは地域や時代、社会的立場も関係するのかな。 聞き書きの良さを感じたものの、同時に思うのは、どの程度、開示されるのだろうか、という事。姑のイビリはそんなに無いという話のところでふと思ったんだけど、他所者にどの程度、自分たちの事情を話してたんだろう。 嫁イビリがそんなに発生しない理由は読み進めるとちゃんと説明されてるので、まあ、そうかもね、と思うものの。レアケースな割には世に嫁イビリの話や唄があるのはなんでなんだろう。

    8
    投稿日: 2023.12.01
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    ・面白い! ・西日本が記述の中心であることが、なんとも嬉しい。 ・もとは「年寄たち」という総題が想定されていたのだとか……「忘れられた日本人」は同じ意味だが、より大上段に構えた表現であって、もとの素朴な想定のほうが内容にフィットしている。 ・寄合とか地域会とかめんどくせぇと肌で嫌悪するシティボーイなので、興味を持ったのは多くの人と同じく「土佐源氏」が、結構作者による創作なのだという事情を聴いてから。 ・が、むしろ冒頭の「対馬にて」「村の寄りあい」あたりで、記述内容と、地の文の文体と、差し挟まれる聞き取り引用会話文の面白さが、「女の世間」を経て「土佐源氏」で大爆発する、という構成の妙に強烈に引き込まれた。 ・その頂点が、148p「(略)つい手がふれて、わしが手をにぎったらふりはなしもしなかった。/秋じゃったのう。/わしはどうしてもその嫁さんとねてみとうなって、(略)」。 ・「人のぬくみ」を思い出す「私の祖父」や、「非農民の粋」を語る「世間師」、そして貴重な取材源を疎かにしない「文字をもつ伝承者」が後半にくる、やはり構成の妙味。 ・隙のない連作短編集の構成だ。 ・奥さんをないがしろにして「助手」を伴って取材旅行に出ていた自身の「いろざんげ」を、「土佐源氏」に代弁させたのだ、という読み解きも、実に文学的でぐっとくる。 ・ちくま日本文学022の文庫解説では石牟礼道子が解説を寄せているのだとか。確かに、石牟礼道子、森崎和江、上野英信、谷川雁らサークル村の活動と、近接する研究だ、とは思う。が、敢えて露悪的に言えば、根本に左翼思想を置いて、日本の原郷を目的として探る、という活動と、宮本常一の活動は、因果が逆なのだと感じた。宮本の左右政治思想は知らない、が、この本を読むと、思想より人への興味が先行しているように思えるのだ。 ・また、被差別部落に生まれ落ちたことを根拠に文筆活動を組み立てんとする中上健次に対して、「中上健次の同和理解は暗くて浅い、私の理解ではもっと明るくて深いものだ」と言ったという。勝手な推測だが、路地出身とはいえボンボンのインテリに過ぎなかった中上の近代性を、むしろ前近代性から批判し得る見聞をたくさん仕入れている、ということなのだろう。「山に生きる人々」にて、ある種の作家(三角寛とか?)のサンカ幻想を意に介さない記述があるらしいが、うーんたとえば吉本隆明に「どういうことですか」と質問を繰り返した岸田秀のごとき、カラッとした鷹揚さが感じられるのだ。 ・左翼ー日本探求という点では、宮崎駿も同じ文脈に入れるべき。文芸や表現が、左翼的心情を出発点にしたりモチベーションの源にしたりするのはありうべきことだが、主張の道具に、作品や研究が使われてしまう可能性もあるのだな、とここ数年の石牟礼ー森崎読書で知った。いやむしろ石牟礼ー森崎は、谷川ー上野のその傾向に抗しているのかもしれない……今のところは想像するばかり。そこに思春期に熱中した中上や大江も加わってきたり、いずれ読みたい柳田国男や折口信夫や南方熊楠もきっと関わってくるんだろうと想像されるが、何かしらのストッパーとして、宮本常一を憶えておきたい。 @ 柳田国男・渋沢敬三の指導下に,生涯旅する人として,日本各地の民間伝承を克明に調査した著者(一九〇七―八一)が,文字を持つ人々の作る歴史から忘れ去られた日本人の暮しを掘り起し,「民話」を生み出し伝承する共同体の有様を愛情深く描きだす.「土佐源氏」「女の世間」等十三篇からなる宮本民俗学の代表作. (解説 網野善彦) 目次 凡例 対馬にて 村の寄りあい 名倉談義 子供をさがす 女の世間 土佐源氏 土佐寺川夜話 梶田富五郎翁 私の祖父 世間師(一) 世間師(二) 文字をもつ伝承者(一) 文字をもつ伝承者(二) あとがき 解説(網野善彦) 注(田村善次郎)

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    投稿日: 2023.08.14
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    民俗学の巨人・宮本常一の代表作。方言が心地よく、今でも通読に耐える名文。 「名倉談義」や「村の寄りあい」のように、聴き書きに宮本氏の解釈がバランス良く織り交ぜられた話も勉強になるが、個人的なサビは何と言っても「土佐源氏」。老人の紡ぐ言葉はあまりに美しく、一つの短編小説として完成されている。 総じて学問的な分析は少なく、知識を吸収するというよりはただ読んで味わう本という感じがした。 宮本氏の他の著作も読みたくなるというほどではないが、どれか一冊読むならまずこれだろう。とにかく「土佐源氏」だけでも一読されたい。

    0
    投稿日: 2023.07.31
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    「この学問は私のようなものを勇気づけます。自分らの生活を卑下しなくてもいいことを教えてくれるのですから」

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    投稿日: 2023.07.07
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    東京中心・今の時代を最善と考える傾向のある私にとって、民俗学はその意義がよくわからない学問であった。しかし、この本を読むと、各地方特有の生活の合理性、世間的には有名でない人がそれぞれの立場で懸命に生きてきたことが追体験でき、民俗学の意義を少し理解できたと思う。 また、西洋の法を継受し作り上げられた現代の法体系ではうまく解決できない事象について、紛争解決のためのヒントが得られそうな本でもある。

    3
    投稿日: 2023.03.13
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    江戸末期から昭和初期くらいのかつての日本人の暮らしが書かれている。寄り合い、村の意思決定、女性の役割、娯楽としての歌や踊りや性など、そもそも人の暮らしとはこうだろうなと思えて、視野が広がった感じ。あるがままに生きることが良いことだと感じる。 記録するのは未来のため

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    投稿日: 2023.01.25
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    いまでは通信技術などが発達し、電話ひとつあれば離島を含む日本の隅々まで容易につながることができる。地方の誰かに話を聞きたければ、自分のいる場所から電話の一本入れたらすむ。だが本書の時代は電話などない。筆者はそのような環境のなかでこの物語を自らの足でかき集めたのだ。当時は道路網も十分ではなかっただろう。彼の行くような地方では尚更だ。まずその点に感銘をうける。  本作のいえば「土佐源氏」である。面白さはいうまでもない。筆者が取り上げなければこの物語は世界のどこかの砂粒のように一生誰かの心に留まることのなかっただろうと思う。しかしながら、土佐源氏の物語には少し引っかかる点がいくつかある。内容そのものを批判する訳では全くないが、まずここまでのことをこれほど詳細に覚えておくことがはたして可能なのかという点。録音技術は当然ないし、筆者がメモの達人だったとしても土佐源氏の話を一言一句記録できるものだろうかということは疑問に思う。また雰囲気がとても小説のようで、創作のように見えないこともなかった。このような点で本作が現実にあったのかという点を疑問に思う瞬間があった。  といっても、本書に対して言えることは完全に一読の価値がある本だということしかない。この本の価値に比べれば、土佐源氏の物語が本当か本当でないかは全く問題ではない。本書に登場する人々とその暮らしぶりは、いまとなっては失われた日本の景色を私たちに教えてくれる。このタイトルの通り私たちは彼らを「忘れていたこと」を教えられるのだ。 これからもたまに読み返して自分が生まれる前の日本に想いを馳せたいと思った。  

    2
    投稿日: 2022.11.03
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    民俗学者、宮本常一の代表作。 まるで小説?と勘違いするほどの描写の連続で、現実に日本でこんな生活が行われていたのかと驚くはず。 しかもほんの100年前、すぐそこにあったはずの20世紀で。 100年前の日本人と比べて私たちは進歩・発展しているのだろうか?と思う。 こんなにもできないことが増えた我々を、祖父よりも少し上の代の方々が生きていれば笑うだろうか? それとも便利さを羨ましがるだろうか? あとがきには自叙伝(民俗学の結び)が引用されている。 「進歩のかげに退歩しつつあるものを見定めていくことこそ、われわれに課されているもっとも重要な課題ではないかと思う」 と。 単純な昔の面白話では終われない、そういう重大な事実を示唆する一冊である。

    2
    投稿日: 2022.10.05
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    宮本常一という民俗学者が日本全国を旅しながら、その土地のお年寄りから聴いた話をまとめたもの。 明治、大正を生き抜いたある意味自分の祖父母の若い時代はちゃんとしっかり若者で、自分の足で様々な所に旅したり、出稼ぎに出たり、ずっとアクティブだったんだと実感。 性に関しても現代よりもずっと奔放な感じでそんなエロ話が田植え中の奥様たちがとても健康的に語る姿にクスッと笑ってしまいました^_^

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    投稿日: 2022.09.16
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    江戸や明治の頃の田舎(主に四国や九州)の庶民の暮らしというと、貧しく虐げられたものというステレオタイプなイメージしか持っていなかった。 そこに住む生き字引のような翁や婆のいきいきとした実話はどれも興味深い。 ■女の世間 世間を知るために、女性でも山口から四国まで旅をする慣わしがあった。下半身に下着をつけずに歌を歌いながら田植えをして観音様と呼ばれた農婦の話。下世話でおもしろい。 ■土佐源氏 盲目で80歳過ぎのヤクザな翁の話。ばくろうというちょっと悪い牛をいい牛にとりかえる仕事をして、社会コミュニティに属せず、貧しくもフリーな立場だった。あちこちの女性に親切にして手を出した話など、下衆すぎておもしろい。 ■梶田富五郎翁 対馬を開拓した翁が語る密かに朝鮮までにんじんを買い付けに行った者の話、船幽霊の話、風の話、大型魚の釣りの話。おもしろい。

    4
    投稿日: 2022.07.17
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    今の私たちの生活からは、想像できない明治から昭和初期のごく一般的な片田舎に住む庶民の人生、日常がテーマの本書。こういう何者でもない人の何でもないことがおもしろかったりする。正に人の数だけドラマがある。

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    投稿日: 2022.06.23
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    書店で手に取るまで、恥ずかしながらこの本のことを知りませんでした。不朽の名著!岩波文庫70刷です! 司馬遼太郎や近代日本史の本を読んで、戦前の日本がわっかたように思っていたことが恥ずかしい。 古老のひとつ一つの話が、短編小説のようでもあります。著者の宮本常一氏が只者ではないことがすぐにわかります。

    3
    投稿日: 2022.06.12
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    100年ほど昔の日本の庶民生活が人の生の姿を見てで垣間見える。ほんの1世紀で社会の様子はこれほど変わるものかと面白い。自分の祖父に会った事はないが、牛を取引していたと聞く。ちょうど生きていたのも同じような時代。見た事のない祖父のイメージが少し湧いた気がする。

    1
    投稿日: 2021.09.12
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    1955年あたりから、村々の年寄りから、聞き集めた伝承をまとめたものです。幕末から、戦後まぎわあたりの話で、まさに忘れられた日本人の姿が、老人たちの口から語られています。

    11
    投稿日: 2021.09.12
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    世に名を残した偉人だけでなく、一生懸命生きた普通の人達のおかげで今の豊かな暮らしがある。そのことが、地道な取材を方言を交えた臨場感溢れる描写で描かれていて、白黒の昔の映像が鮮やかに蘇るような感覚になった。なんとなく知識としてはあったけど、現実に落とし込むとこういう感じか!とか、えっそうだったの!!という事実までが生き生きと見えてくる。 『土佐源氏』については映画や小説のような読みごたえがあって印象的

    1
    投稿日: 2021.08.17
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    あとがきより 「一つの時代にあっても、地域によっていろいろの差があり、それをまた先進と後進という形で簡単に割り切ってはいけないのではなかろうか。」 「私の一ばん知りたいことは今日の文化をきずきあげて来た生産者のエネルギーというものが、どういう人間関係や環境の中から生れ出て来たかということである。」

    3
    投稿日: 2021.07.31
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    こういう民俗学的な話はやはり「エロばなし」が面白い。ある地方では男女共に誰と寝ても良かった!めちゃオープン。

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    投稿日: 2021.06.20
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    ほんの100年前の日本人の暮らしが垣間見れる、とても貴重な本だった。 改めて現代の移り変わりの速さに愕然とする。

    0
    投稿日: 2021.06.13
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    このレビューはネタバレを含みます。

    辺境の地で黙々と生きる日本人の知恵。 村では、寄合制度が形成され、そこでは表面的には村の取り決めや自治が行われていたが、本質的には村の人々との知識の共有がメインだった。 今から120.130年前は、読み書きができない人の方が多く、読み書きができるひとの役割が非常に大きかった。そのような人々は、正確に村で起きていることを記録し、伝承し、のちの世代を発展させることを目的としていた。今の時代で考えてみると、文字は溢れんばかりに存在していて、その存在意義を考える暇もない。のちの時代へと伝えていくという文字の一面を考えてみると、もう少し責任を持たないといけないかもしれない。 今、日本にある村は絶滅しつつあるが、昔はそのコミュニティで人々が生活を営み、生きた知識を繋いで行ったという事実をこれからの時代にも伝えていかなければならない。

    1
    投稿日: 2021.04.18
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    人々がまだ世界とつながっていなかった頃のエピソード 日本各地における特有の文化、風習などが生き生きと書き留められている良書 人々が混ざらないことによって産まれた凝縮された営みはとても豊かで、健気で、セクシャルだったりする。 一言でいうと「おおらか」といった感じか。 ものすごい勢いで変わっていく世の中で、少し立ち止まって読んでみたい本。

    0
    投稿日: 2021.02.11
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    難しい… 文字の読める人と読めない人とで伝承に差が出てくるって所はさすが、民俗学の権威だなと思った 話が本物であろうがなかろうが、その話から文化を見出すだけでなく、地域、日本とファイリングすることによって見えてくるものもある それは全国を渡り歩いた宮本常一だからこそのことだし、具体にとらわれていないところにすごさがあると思う

    0
    投稿日: 2021.01.31
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    民俗学者である宮本常一の著作。民俗学に触れるのは初めてだったが、本書で江戸時代末期から昭和にかけての地方での生活を知ることができた。当然ではあるが自分の生きている時代との違いが大きく衝撃を受けた。現在の方が桁違いに便利で豊かではあるが、精神面では昔と比べてむしろ乏しくなっているんじゃないかと感じたし、今の時代の生き方を考えさせられた。

    0
    投稿日: 2021.01.30
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    2020/12/13 読了 貧乏で命をつなぐのにも苦労しただろうに、不幸に感じない。それどころか、できること、目の前にあることをひたすらやっていて、むしろ幸せに感じる。 モノが豊かになることイコール幸せではない。民俗学はそのことを勉強できる学問だなとつくづく思う。

    0
    投稿日: 2020.12.13
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    すべてを手放しに称賛することはできないけど、善悪で判断しない、法律で線引きしない世界には、現代にはない豊かさがあると思った。教育や開墾が何をもたらし、何を失くしてしまったのか、考えるきっかけになる本。

    1
    投稿日: 2020.07.22
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    昔の日本人の庶民の生活を垣間見る事が出来る。昔の人は真面目で慎ましくしているイメージがあったがひっくり返された。特に性に関するあけっぴろげなところはイメージが全然違った。貧しくも幸せに足る事を知っていた日本人。時間も緩やかであったろうと思う。現代のギスギスとした時間に追われる生活は人間らしい生き方なのか。考えさせられる。

    0
    投稿日: 2020.07.12
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    ★3.5だがおまけで。 寄せ集めの本だから、読んでいていきなりトーンが変わってしまっているところが減点材料。 でも、忘れられたか、、、消えたんですよね、こういう世界は。当方に関係する田舎にはここに書かれている空気をどことなく持っていた気がする。そしてそれはやはり外から見るとノスタルジックで良いと感じるのかもしれませんが、自分はいたくないかな、そこには。濃厚な人間関係は、いわゆる街中の希薄なそれとは違った意味ですが良し悪しです。 でも確実にあった人間への大らかな態度のほんの一かけらでも現在あれば、と思うことは確かです。日本全体、遠くに来てしまったんでしょうね、。。。

    0
    投稿日: 2020.06.25
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    NHK新日本風土記みたいなイメージかと思ったらもっと生々しく温度を感じられる良書。沢山の日本人に読んで欲しい。

    0
    投稿日: 2020.05.24
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    このレビューはネタバレを含みます。

    スタジオジブリの宮崎駿・高畑勲の愛読書であり、彼らの作品に影響を与えた本であると何かで見て読んでみる気になった。 明治から昭和にかけて生きた地方の古老たちのライフヒストリーを民俗学者の宮本氏がまとめて本にしたもの。 100年以上前の地方の村社会で生活した人々の話が面白いのかなと最初思っていたのだが、良い意味で完全に裏切られた。 当時の人々の生活についていかに私が何も知らず、テレビや歴史物語で刷り込まれたステレオタイプ的な人間像しか持っていないか思い知らされた。 彼らの人生が本当に多種多様であった様で、地方から東京はおろか、台湾や韓国まで働きに行った人等もいたようだ。 また、生まれ育った村で誠実に一生懸命働き、人はおろか動物たちにも深いやさしさと愛情を寄せ生きている人たちの話など、その心根の善良さに心を打たれてしまった。 一つ言えるのは、殆どの人が、世間体や一般常識よりも自分の心に忠実に生きたのだという事。 あと当時は性的に大変おおらかであったのだなと感じさせられた。 大変読む価値のある一冊であった。

    1
    投稿日: 2020.05.04
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    民俗学者宮本常一さんの著書 何もない、道具もないところから、生活をするために、手作業で築きあげて生活をしてきた 昔の時代、その時代、その時にはそのように生きる以外に方法がなかった そして今がある 昔を知ることはとても興味深く、 また何もないということを知ることは あるということを当たり前だと思わず、築き上げてきてくれた先代の方たちがあるからこそだと 私は感じた 古い著書だが、読み易く、面白かった 対馬にて、村の寄あい、女の世間、土佐源氏、梶田富五郎翁、著者の祖父、世間師(一)・(二)、文字をもつ伝承者(一)・(二) 年寄りを中心にして古い伝承のなされかたについて書いた 伝承者としての老人の姿 いま老人の人々が若い時代にどのような環境の中をどのように生きて来たか 現在につながる問題として、老人たちのはたして来た役割を考えるため 中部および西日本の社会を背景にした年寄りたち

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    投稿日: 2020.04.21
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    生活誌の叙述の最高峰とも呼ばれる本書だが、戦後日本の地方生活をオーラルヒストリーから垣間見ることで、当時から村落共同体は崩壊しつつあると考えられていたものの、少なくない地域で依然残っていた等の状況を知ることができ、大変興味深かった

    0
    投稿日: 2020.04.19
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    何年かに一度 読み返す 一冊 ポール・ゴーギャンのあの作品名 「我々はどこから来たのか 我々は何者か  我々はどこへ行くのか」 になぞらえば 「日本人は 何を考えて来たのか  日本人とは 何者か  日本人とは どこに向かっていくのか」 を いつも 考えさせてもらえる 一冊である 地位、名誉、権威になど 頼らずに 自分の言葉で語り 自分の考えで判断し 自分の思いを生きた 正真正銘の 日本人が ここに おられる 自分の中の「日本人」が ここに ある

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    投稿日: 2020.02.17
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    現代の我々とはかけ離れた生活を送る人々に対して、インタビューをして調査している。 老人の役割、連日続く会議、性への開放性といった、現代では非効率、非現実とも思えるものであるが、当日の人々にはそれが当たり前のものとして見られていた。遠い昔でもない時代に対して、僅かな期間でここまでの生活環境、思考の劇的な変化があることに驚嘆した。 外国に行けば、異なる文化や価値観に出会い、自己の成長にも繋がると聞くが、国内だけでもこのような辺境の地を訪れれば、同様の収穫があるのではないか?この質的調査への需要を感じた。

    0
    投稿日: 2020.01.17
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    やはり『土佐源氏』は印象的だなあ。老人の猥談かと思いきや、最後までたどると見事に恋物語になっている。 ほかの老人の聞き書きにしても、一編の小説のよう。

    1
    投稿日: 2019.10.31
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    幕末から明治にかけての古老のお話し。貨幣経済が浸透したなかにも、村落共同体のしきたりや明らかな身分差など中世的、封建的な匂いを感じる話しが多い。文明開化を中心とした教科書的な歴史との同時代に、パラレルに存在した民俗学的な景色である。 近代の価値観では会議は結論が大事であり、性は秘匿し慎むものと相場が決まっている。しかし、対馬の会議はプロセスに重きを置くため結論がでるまで何日も続き、土佐における性の交わりは単調な暮らしにおける最も身近な娯楽である。 私が手にとったのは61刷である。岩波文庫のなかでも人気の一冊であることがわかるが、その理由は近現代に欠けたものに想いをはせるノスタルジックな感覚だけでないと思う。冷静になって自省したとき、曽祖父母の時代にまであった感性がどこか自分のなかにも息づいている直感を残すからであろう。

    1
    投稿日: 2019.09.18
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    明治~昭和前半期を生きた、主に四国・中国地方の老人の話をまとめた書です。分類的にいえば民俗学です。 みなが納得するまで2日も3日も話し合う“寄り合い”とか、声のいいのがモテる“盆踊り”、情報ネットワークでありガス抜きでもある女たちの会話、犯罪や病気でドロップアウトしても用意されているセーフティネット、おおらかな夜這い習慣(楽しそうだなぁ(笑))…タイトル通りの、今は無き日本の良風が、古老の声を通してつづられています。 貧しかったかもしれないが、必ずしも暗く狭い時代ではなかったのだ…それを教えてくれる良書ですね。 日本人は物質的な豊かさを(一応)手に入れた一方、なにかを置き去りにしているのではないか? それがいま、さまざまな社会悪として露見しているのではないか? というのがソボクな感懐であるのですが、こういう本を読むと、やっぱそうだよねぇ、と思いますね。

    1
    投稿日: 2019.06.11
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    けっこう気楽に読める。 今の感覚ではびっくりするほど非効率だけど、人の入れ替わりのほとんど無い狭い共同体をうまく回す工夫の結果だとわかったり。 夜這いがあったり、やしない子があったり、旅の人を気安く泊めたり、余所の者がそのまま居着くようなことがあったり、おおらかなのかわからないけど。 昔の農村、漁村というとなにかと不便で抑圧されていたと思いがちだし、現代の価値観からは豊かで幸福とは言いがたいが、それでもだいぶイメージは崩れた。

    1
    投稿日: 2019.05.05
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    面白かった。 民俗学とかあまりわからんのですが、フィールドワークの大切さは良くわかるし、伝わって来る。 後で自分のサイトにちゃんと書こう。

    0
    投稿日: 2019.01.20
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    このレビューはネタバレを含みます。

    おそらく戦中から戦後間もなくの頃にこれだけの聴き取りをするのは相当な労力がかかっている。当時、テレビはなくラジオも普及していない地域のそのままの習俗が残っている様が感慨深い。テクノロジーが発達し、どこの町に行っても同じようなチェーン店があり、またそれに期待してしまう今、地域ごとに習俗を記録することの意義はこの先も色あせないのだろうか。

    2
    投稿日: 2018.12.04
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    対馬にある村の寄り合いで、著者が文書を一時貸出してくれるように頼むシーンから始まる。ああでもない、こうでもないと、関係あるようなないような取り留めのない話が何日も続いて(一つの議題だけを話している訳ではない)から、やおら結論が出る。会社の打合せの場でも、こうした由緒正しき合意形成のスタイルを継承している人が多くいるような。 昭和10年代から20年代にかけての西日本を中心とした聞き取り調査。著者による分析、まとめも少々交えるが、ほとんどが古老たちの語るライフヒストリーや伝承を記録したもの。 まず序章の対馬での調査旅行の様子が、著者のスタイルを伝えていて面白い。寄り合いに付き合い、騎行の一団に小走りでついていき、着いた村で歌垣の名残に出会う。なんと自由で刺激的な旅であることか。 2章目では村落の社会構造についての東西比較。 ・年齢階梯制が色濃く、村内の非血縁的な横のつながりが強い西日本。伝承を伝えるのは男が多く、早く村の公役から身を引くために隠居するのが早い。 ・家父長的な同族結合の東日本。伝承を伝えるのは女が多くなる。 第3章は愛知県設楽町(旧名倉村)での座談会。夜おそくまで田で仕事をする隣人のために、戸を開けて明かりをつけていた家。働いていた方は数十年後まで、夜のおそいうちだと思い込んでいた。それに著者は感動する。細やかな話である。 その他にも、エロ話、村を出て方々を渡り歩いた世間師、レプラ患者の旅する裏の細道、対馬の漁村の開拓談、ピシッと背筋の伸びた著者の祖父、文字記録を残した村の文化人など内容は盛りだくさん。 土佐源氏は、創作と疑われたというのも納得の数奇な人生。

    1
    投稿日: 2018.11.05
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    やっと注目していたこの本を読みました。生きるということ、いや、生きてきたということの重みが誇張のない淡々とした語りからかえってずっしりと感じられる語り。登場する人たちは大変な辛苦を経てきたはずなのに、現代のほうが進んでいると単純に言い切れなくなってしまう切なさ。実際に読んだのは「未来社」1975版:ISBN不明

    1
    投稿日: 2018.10.24
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    久しぶりの再読。 以前読んだときは土佐源氏や梶田富五郎翁、もしくは宮本常一の祖父のような個々の人物の語りに興味を持ったのだが、今回は「文字をもつ伝承者」に興味を持った。 その地域の人文・自然について調べる、書き記すというレベルを超えて、それがその地域社会において何らかの意味がある行為(社会改良とでもいうべきか)を目指しているメタレベルがあること。それにふかく共鳴する。 処分日2014/09/20

    0
    投稿日: 2018.10.14
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    ここのところ宮本常一ばかり読んでいる。 なんか、こういう日本人がもうほとんど居なくなっちゃったんだなぁと思う。

    0
    投稿日: 2018.05.28
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    普通に暮らす人々に焦点を当ててつづった本書。ミクロ視点から見えてくるものは一般論としてくくることができないかもしれないけれど、そこにあったという事実を浮かび上がらせてくれると思う。

    0
    投稿日: 2018.05.24
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    当時の生活や雰囲気がよくわかる。文字がない世界に生きてた伝承者は、信じる力をもつ人だけだった。文字を使える人の役割、という見方は感心した。

    1
    投稿日: 2018.02.11
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    「維新以降の日本のリアル」を知りたい欲求が止まらない今日この頃。大河ドラマの「史実との違いを探せばキリがない」という謎の開き直りや、「君たちはどう生きるか」のコぺル君周辺のSF的とも言える豪奢な生活ぶりを鑑み、一度ストレートに民俗学に立ち戻っては如何だろう?と名著の呼び声高い本書を。大当たりです。 民俗学と言えば夜這い、夜這いと言えば民俗学ですが、やはり性の話題を避けてはリアルが見えない近代日本。この本の白眉は、橋の下で30年起居する盲目の乞食の性遍歴を30ページにわたって綴る「土佐源氏」。人生って凄い。これからも既成の価値観をグラつかせてくれる書籍を読んでいこう。

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    投稿日: 2018.02.04
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    民俗学者、宮本常一(1907-1981)の代表作。 本の存在は知ってはいたが、何となく取っ付きにくい印象で未読だった1冊。読んでみようと思ったのは、本書に収録されている「土佐源氏」を一人芝居として演じ続ける役者のドキュメンタリーを見たためである。 土地土地を丹念に回り、古老らからじっくり聴き取った話をまとめた文章が13編収録される。雑誌『民話』に「年寄たち」と題して連載されたものを元に、加筆・修正したものである。 なるほど、後世に名を残すことのなかった人々の日々の記録だが、想像をはるかに超えておもしろい。古老の語りに加えて、著者の考察が入り、往時の風景が生き生きと立ち上がる。 貧しくはあっても、厳しい生活ぶりでも、深く豊かな庶民の暮らしを読み進めるうちに、何だか高揚感さえ覚えてしまう。 一種、不思議な読書体験である。 一編目の「対馬にて」は、九州北方の島、対馬を著者が訪れたときの話。 村の記録文書を借りられないか聞いてみたところ、「寄りあい」で聞いてみなければと話し合いが始まった。この寄りあいが延々と終わらない。文書貸し出しに関係する細々したことがあれこれと話題になる。ほとんど世間話のような話も出る。そしてまた元の「議案」に戻る。遠くからやってくるものもいる。途中で自分のグループに持ち帰って聞いてみると帰るものもいる。ゆるりとした雰囲気の中、緩やかな話し合いが続き、そろそろよいだろうという頃合いで「ではこうしよう」とことが決まる。 悠長なようではあるが、こうした過程で各々が了承することが大切であった。またこうした機会に、付随して、地区間の知識のやりとりも行われたことも見逃せない。「寄りあい」は地域の重要な決定機関だったのである。 五編目の「女の世間」では、女たちの結びつきに着目する。 女には女のつながりがあり、そのつてで遠くに出稼ぎに行ったり、奉公に出たりした。島に住む女たちにとっては、余所の土地を経験することが一種のステイタスであり、習い覚えた言葉を使うのがちょっとした自慢となった。 田植えの際には愚痴を言い合ったり、男衆を構ってふざけたり。艶聞混じりの笑い話も賑やかに語られる。皆でわいわいやるイベントのようなもので、話のうまい人や仕事をてきぱきこなす人を中心に、大変ではあるが楽しいひと時だったという。 冒頭で触れた「土佐源氏」は、盲いた元博労の一人語りである。今では橋の下の乞食小屋で人の情けを受けて生きているが、若い頃はあれこれと女遍歴もあり、それがつまりタイトルの「源氏」の由来である。 博労というものは牛を売り買いして歩き、村で地道に定住する生活は送らない。語り手はどちらかというと、最初から自発的に定住生活からドロップアウトしてしまったような、いわば外れ者なのだが、不思議と女性には受けがよかったようだ。村組織に入っていないため、娘相手の夜這いの仲間にはなれなかったが、後家や良家の奥方とわりない仲になったりする。「どの女もみなやさしいええ女じゃった」と語り終える老乞食の傍らには、古女房の老婆がいまだについていてくれるというのも何だかすごい。 著者の自伝的な話が混じる「私の祖父」もいい。 著者が小さい頃、山の小さな井戸に住み着いている亀の子がいた。山に行くたびに見るのを楽しみにしていたが、狭いところに閉じ込められてかわいそうと、あるとき、祖父に頼んで井戸から引き揚げてもらい、家に連れ帰ることにした。縄にくくってぶら下げていくうち、なんだか知らないところに連れていかれる亀が気の毒になってきた。泣き泣き戻った著者に、祖父は「亀には亀の世間があるのだから、やっぱりここにおくのがよかろう」と言って、井戸に戻してくれたという。 働いても働いても貧乏で、特に役職に就くこともなく、ただただ「納得のいかぬことはしない」生涯を貫いた祖父。やはりこれはひとかどの人物だったのだろう。 本編に出てくる人々の生涯も興味深いが、にじみ出る著者の取材姿勢も味わい深い。本当に津々浦々、よく歩き、よく聴き、よく書き取ったのだと思う。 単純な性善説というのではないが、この人は人間という存在が好きで、そのありようをどこか深いところで信頼していたのではないかという気がする。それが全編の底にある「朗らかさ」の一因であるのかもしれない。 総じて、表面だけ見れば、現代の方がさまざまな選択肢があるようでいて、意外に生き方の多様性は失われているようにも見えてくる。 ろくでなしでも、はぐれ者でも、意外に昔の方が鷹揚に受け止めていたようにも見えるのだ。もちろん、一概に昔はよかったとは言えないし、いずれにしろ「共同体」が崩壊してしまっていればありえない形なのかもしれない。 加えて、本書では、中国・四国・九州北部の話が中心であるため、地域によって、風土や気質による違いは幾分かはあるだろう。 とはいえ、ここに語られる「忘れられた」人々の姿は、単なる郷愁を越え、多くの示唆を孕んでいるように思える。

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    投稿日: 2018.01.08
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    ほんの数十年前のことと思えないほど、人の生活や価値観、倫理観の違いに驚く。 常識や当たり前とはなんなのか

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    投稿日: 2017.12.15
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    素晴らしい。とても読みやすいとは言えないが、熱量がすごい。どの村も部落も誰かが拓いたもの、それを維持するために命を燃やしたもの、それを引き継ぐもの、全てが揃わなければ、今の世に現存しない。平成の大合併でほぼ村がなくなった。相互依存による継続か、個性の死滅か、答えは未来にあるんだろう。会社も同じ。肝に銘じたい。

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    投稿日: 2017.09.19
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    寄りあいに興味が出て読む。それ以外は拾い読み。 日本の村には寄りあいというのがあったらしく、そこで村人は自分たちが納得いくまでいつまでも村の課題を話し合っていたらしい。議論の仕方は、自分の経験や体験、知っていることを話し、いろんな意見が出たうえで長老みたいな人にうかがう、という方式。面白いと思ったのが、村の文化伝承などの中心は隠居した人たちだったそう。村での隠居は早く、40~50で隠居。わりかし自由に動き回れるので地域貢献もできたそう。今は難しいから行政が出たほうがいいのかなぁ、どうかなぁ…忘れられた日本人だもんなぁ…

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    投稿日: 2017.09.05
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    再読。 柳田民俗学が風俗や風習に焦点をあてた横串の民俗学だとすれば、宮本民俗学はひと一人ひとりの個人史を追う縦串?の民俗学だ。でもそんなことはどうでもよい。 宮本常一の聞き取る古老たちの、あるいは村の生活史は、一つ一つがおとぎ話みたい。村の名士も、橋の下の乞食(本人がそう名乗る)も、それぞれの時代を自分なりに精一杯に生きた。 楽しいばかりでも、哀しいばかりでもない。それらが縦横に入り組んで織りなす人生の物語は、どっしりとした重量感がある。 後の世に伝わるのは王様や天才や豪傑の名前だけれど、本当に歴史を作るのは、大勢の名もないただの人たちだ。著者が残そうとしたのは、語らぬ人々の語る声。 「無名にひとしい人たちへの紙碑の1つができるのはうれしい」

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    投稿日: 2017.06.15
  • 歩く民俗学者の代表作

    対馬にある村の寄り合いで、著者が文書を一時貸出してくれるように頼むシーンから始まる。ああでもない、こうでもないと、関係あるようなないような取り留めのない話が何日も続いて(一つの議題だけを話している訳ではない)から、やおら結論が出る。現代の会社の打合せの場でも、こうした由緒正しき合意形成のスタイルはそこはかとなく継承されているような。 昭和10年代から20年代にかけての西日本を中心とした聞き取り調査。著者による分析、まとめも少々交えるが、ほとんどが古老たちの語るライフヒストリーや伝承を記録したもの。 まず序章の対馬での調査旅行の様子が、著者のスタイルを伝えていて面白い。寄り合いに付き合い、騎行の一団に小走りでついていき、着いた村で歌垣の名残に出会う。なんと自由で刺激的な旅であることか。 2章では村落の社会構造についての東西比較。年齢階梯制が色濃く、村内の非血縁的な横のつながりが強い西日本。伝承を伝えるのは男が多く、早く村の公役から身を引くために隠居するのが早い。一方、家父長的な同族結合の東日本。伝承を伝えるのは女が多くなる。 第3章は愛知県設楽町(旧名倉村)での座談会。百年近く前の村人たちの息づかいが伝わるような大変に細やかな話である。 その他にも、エロ話、村を出て方々を渡り歩いた世間師、レプラ患者の旅する裏の細道、対馬の漁村の開拓談、ピシッと背筋の伸びた著者の祖父、文字記録を残した村の文化人など内容は盛りだくさん。

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    投稿日: 2017.05.10
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    時代の進歩の陰で失われていくもの、忘れ去られていくものを考え直させられる。時代は常に移り変わっていくもので、今もなおその中で繰り返し何かが淘汰されていく。全てを残すことが良いのではない、しかしここに収められた先人の足跡は根本的な人間のあり方として心の片隅に生かす価値のあるものであることは間違いない。

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    投稿日: 2017.04.23
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    「姑による嫁いじめ」も「嫁による姑いじめ」もあったが、前者ばかりが有名なのは若い方が発信力が強かった、という話。  などなど相変わらず興味深い話が盛りだくさんの宮本常一氏の著。ほんの少し前のことなのに結構忘れられていたり、事実とは異なる固定観念にとらわれていることも少なくない。  その一例が先述の嫁いじめ姑いじめの件であり、また「女性は一人旅をしない」とかいうのも実際はそうでもなかったりという話である。  本書は様々なテーマの章があって、対馬の村落の成り立ちや合議の形成方法なども大変興味深いのだが一つ選べばやはり「土佐源氏」であろう。  土佐で博労(馬や牛の売買人)をしていて、いまは盲目となって乞食をしているという男性からの聞き書き、という体であるが、別の人の話によるとこの博労は盲目でも乞食でもなかったらしい、が、ともあれ話の内容は概ね事実(少なくとも聞き取った内容に忠実)であるとのことである。  この博労は夜這いで生まれた父なし子で、すぐに祖父母に預けられる。母は働きに出るがそこで事故に遭ってすぐに死んでしまう。物心ついたときには彼は「子守り」と一緒にいた。  この「子守り」というのは貧乏な家の子の定番奉公であって、豊かな家に雇われてその家の子(未就学児)を預かるわけだが、なんだかんだで貧乏人の家の子もそこに混じって面倒を見てもらったりもしていたらしい。  で、同年代の子が学校に行く歳になっても彼は学校に行けず、そのまま子守り仲間と育つ。扶養者は隠居の爺婆だから家の手伝いをさせられることもなかった。  そうこうしている内に子守り同士で悪い遊び、つまりは性行為をおぼえ、雨で外で遊べないときは納屋で見せあったり入れたりしていたそうな。 「あんまりええとも思わだったが、それでもやっぱり一ばんおもしろいあそびじゃった」  まあそんな所から始まって彼の女遍歴がとうとうと語られていく。明治大正期にも様々な愛の形、性の形があったのだということを改めて知らしめられる。  宮本氏の話が面白いのは、一貫して「人々」でなく「人」を見ている所であるように思う。幾人かの話を混ぜて「この地域では」などと雑にまとめたりせず、一人ひとりの話を聞き、それを記録している。一人ひとりを積み上げた上で「東日本」と「西日本」を対比しようとしている。  学術的に考えればやはりどこかで「人々」に統合しなければならない場面も出てくるのであろうが、ただの趣味人としては、氏の残してくれた膨大な「個」の記録をただただ眺めていたい衝動に駆られるのである。

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    投稿日: 2017.04.01
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    わずか百年たらずのうちに、日本人の生活はこうも変わってしまったのか…。 数十年前までは、日本全国にありふれていた風景と生活ぶり、しかし今ではイメージすることさえ難しい。 そしてここで描かれている人々のなんと情緒豊かなこと…。ワタシたちの暮らしのなんと殺伐としていること…。 色んな感慨を深くして再読したい本です。

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    投稿日: 2017.03.23
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    不勉強で、民俗学の世界に「宮本民俗学」があることを知らずに今に至ってしまいました。各地の老人たちの語りを通じて、忘れられた日本人の生きようをあぶり出す傑作。分けても、「私の祖父」が深く深く心に残る。

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    投稿日: 2016.10.24
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    人と人とが揉めずに共存していく上で、生活の知恵というか、自然に出来上がったシステムが昔はあったのだという事を知った。 井戸端会議での愚痴の言い合い。 そして男女の関係はもっと自由だった。 日本人は、もう少し元の日本人の姿に戻っても良いかもしれない。

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    投稿日: 2016.09.14
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    忘れられた日本人 宮本常一 岩波文庫 ISBN4-00-331641-X 1984年5月16日第一刷発行

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    投稿日: 2016.05.08
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    民俗学者である宮本常一氏の著書。山奥の僻地や離島に住む人々、時代の流れによって忘れ去られようとしている日本人に焦点を当てている。 日本古来の自治手段である寄りあいにおいて、長老的な年長者が重要な役割を果たしていた事や、隠居の仕組みについて、また娯楽が少ない貧しい生活の中で、数少ない楽しみの一つとして唄われた民謡についてなど、冒頭からとても興味深いエピソードの連続だった。 チョットお硬い内容の話ばかりかと思いきや、早乙女と呼ばれる若い娘たちが田植えの合間にエッチな話で盛り上がっていた事や、老人たちの昔話の随所に登場する夜這いの話など、今も昔も若者の情熱の矛先は基本的に変わらないのだなと思った。 終盤に登場する島根の田中梅治翁が記した言葉の中で、自分が行ってきた百姓仕事を 「コンナ面白ク愉快ナ仕事ガ外二何ガアルカ」 と評しているのには非常に感銘を受けた。民俗学の本はあまり読んだことがなかったが、他の作品もぜひ読んでみたい。

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    投稿日: 2016.02.23