
総合評価
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powered by ブクログ著者である綾屋さんは発達障害(自閉症スペクトラム)、熊谷さんは脳性まひという障害を抱えており、「自分がどう感じ、どう困っているのか」「他者とどう関わってきたのか」を、身体感覚や言葉、記憶を通して丁寧に語っている。 正直、専門的で難解な部分も多く、読み進めるのに時間がかかった。それでも、二人の語りからは、自分の感覚や苦しみを言葉にすることの切実さが、ひしひしと伝わってきた。 困難を抱えながらも他者とつながるとはどういうことか、その意味を深く考察しており、違いを認めたうえで関わり合うことの大切さを学ばせてもらった。 まだ咀嚼しきれていない部分もあるが、「違うまま共に生きる」ためのヒントをくれる、静かで力強い一冊だった。
16投稿日: 2025.07.21
powered by ブクログ身体障害者当事者と、発達障害当事者による、当事者研究の本。言葉が、資本主義が、効率化が、わたしたちをこんなにも分断してしまった。もともと脳には差異やネガティブな事の方がよく見えるソフトウェアが走っている。それに抗するための方策を案じた本だと思いました。やはり心理的安全性を持ってゆるく繋がれる場が必要だな、と従来からの自分の問題意識が浮き彫りになりました。
72投稿日: 2024.11.07
powered by ブクログとても面白かった。自己と向き合う、をビジネス書に書いてないアプローチで理解したい人にも良さそう。(でも抽象では同じこと言ってる)。 弱さは終わらない、と最後の章にあるように、一生付き合っていく自己との折り合いの付け方、がリアルでよい。 本質主義的にならない=決めつける、無理に答えを出すことを控える、は、深い。
1投稿日: 2024.09.01
powered by ブクログアスペルガーの方と脳性麻痺の方による、それぞれの特性について当事者の立場で考察した交換書簡。特に自閉についてとてもよくわかった。
1投稿日: 2024.08.21
powered by ブクログ「第六章 弱さは終わらない」と、「あとがきにかえて」の内容が興味深かった。 綾屋さんが感じている「弱さ」は程度の差こそあれ、誰もが感じたことのあることだと思うし、「ここならいつでも話して大丈夫」という安全に語れる場がほしいというのも、ほとんどの人が同じではないかと思う。 そのことに関して、ダルク女性ハウスの上岡陽江さんが仰ってたという内容も心に残ったので、次は『その後の不自由』(上岡陽江、大嶋栄子)も読んでみたい。 自閉症診断の急増についての綾屋さんと熊谷さんの仮説「社会の流動化」にもなるほどと思えた。ここでも、個人だけではなく社会の側にも原因を探そうとする彼らのブレなさ?が流石だと思う。当事者達からの目線であるからこそ、さらに説得力がある気がした。
1投稿日: 2024.07.26
powered by ブクログ第六章「弱さは終わらない」は、すごかった。 綾屋さんのぐるぐる沼感。 (そこまでは、淡々と当事者としての自己分析でわかりやすい。別にアスペルガー症候群の当事者でなくてもわかるところもある。) 第六章はなかなか生々しく、これはこれでそういうことなんだろうなと思った。 としか、言えない 「誰にも言えない」から「私には話さねばならぬ責任がある」へ。 「相手に迷惑をかけたくない」「相手をいやな気持ちにさせたくない」と思って話せないでいるのに、そうして黙り込むことこそが加害行為になってしまうと。 話すのは怖いけど、沈黙の暴力をふるわないために、私には「話す」責任がある。そこまで来てようやく、人に打ち明けることができると。 傷つきが深いほど、人は何度も同じことを話さないと良くならないとか、結局ユングだなー。 中井久夫の訳も本に出てきてなんだか、おーと思う。 決してマイノリティのための本ではなかったと思う。 ぐるぐるモードと、あたふたモード、すいすいモード 777のスイスイ人を思い出した。 熊谷さんのあとがきもよかった。 一人で傷つきを抱えこまないこと。そのための一つの方法が当事者研究。
21投稿日: 2024.02.23
powered by ブクログ自立とは依存先を増やすこと。熊谷が言ったこの言葉を深堀できるかと思ったが、話の内容が難しく読み解くことが出来なかった。 自分が苦しい時に人と繋がる方法は様々。これが正解という繋がりはない。ただ自分自身が自分を語る言葉をもって相手に伝えられる関係性が重要なんだと感じた。
11投稿日: 2024.01.22
powered by ブクログ「人と違う事の自覚」は、基準と自らの差を理解し、一方を正しいと思い込む事から生じる。ならば、正しさは理解できており、その通りに振る舞えば良いのだろうが、そう、できない。あるいは、人に指摘されて初めて自覚する。そんな生き難さを感じる著者。アスペルガー症候群と身体障がい者。生きる難しさは、よくわかる。人と同じように行動したり、言葉を理解し合うのは、いつだって難しい。ボーっとしていても話は進むし、かと言って同じ事を繰り返し言われているようで、そう感じてしまうと注意力は続かないし。油断してボーっとすると、隙をついて重要な事が述べられていたりするのだ。 そんな事を繰り返すと不安になるだろうし、更にできない自分を自己暗示し、強化学習してしまい、泥沼化。グループカウンセリングや当事者研究は、そうした自己意識を加速させないのだろうか。どんどん自分自身を規定してしまう気がする。
22投稿日: 2023.12.12
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「個々人の差異はそのままに、同時に差異を超えた共感と合意を立ちあげる」これがなかなか実現できないのが実際の社内であり、だからこそ諦めずに追求していく大きな価値がある課題。
1投稿日: 2023.12.09
powered by ブクログ常識やコモンセンスといった液体で満たされたグラスの中に、マイノリティー成分とでも呼ぶべき固体(氷みたいなもの)が沈んでいる。 恐らくはこの液体・固体両者を含めてのものが「私」。しかし色のついた液体は容易に固体を覆い隠す。またその状態こそが正解だと思い込まさせられる。結果、固体をもった私は「悪い私」となってしまう…。 「対話」の場は、そんな「私」達が集い、氷を中央のボウルへと入れていく「場」である。このボウルは、安全安心という規則のもとで、出来るだけ常識・コモンセンスという液体が混ざり込まないように工夫されている。そこに集められた氷達は、ゆっくりとボウルの中でとけだし、緩やかに混ざりあう。 これは、従来の個々人の中では決してみられなかった現象だ。個人のコップ内にある限り、その固体は決して溶けない。異物として、マイノリティーとして残り続け、「悪い私」を産み出し続けてしまう。 となると、この液体自体が強固な固体を作り出す作用を持っていると言える。固体の輪郭線を厚くするのは、固体そのものではなく、液体のほうの作用ということになる。 そしてボウル内でとけだして混ざりあった新たな成分は、再び個人というコップに戻されていく。その結果生じたのは、もはや常識・コモンセンス色に染まったかつての「私」ではない。化学変化を起こした「変化し続ける私」なのだ。その中でマイノリティーとして沈められてきた固体成分が、私の一部として緩やかにとけだしていく。 そういうイメージだ。
0投稿日: 2023.08.17
powered by ブクログ私と似通った特性の綾屋紗月さんの当事者研究、パートナーの熊谷氏との共著。 自らの特性を深く追求し、研究し続けるさまに、頭が下がります。 多くの発達特性の人は、自らのセルフモニタリング能力が難しい中、綾屋紗月さんは、当事者研究に立ち向かっている生き様に、あこがれをいだきました。 私のこれからにも、 当事者研究のスタートラインに立てたように思えました。文中のなかの、独特な表現に、「わたしも、あるよな〜で、おうちで、ぐったり」とうなずける部分あり。 熊谷氏のつながりの研究にも、頭が下がります。 当方、福祉の仕事についているため、利用者様に寄り添い、ただつかずはなれずてきにも、支援しようと学びの機会になりました
4投稿日: 2023.03.09
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
アスペルガーと脳性まひを「つながりにくさとつながりすぎ」で表現するのが面白いなぁと思った。また、生きづらさを感じた人間が、自身の仲間を見つけることによって自分の存在を再認識して、そこのグループでまた疎外感を感じるようになるという流れがあること発見だった。最後の部分にある自閉症が1970年代から増えているっていうのは元々単純作業なら出来ていた人が、サービス業や複雑な作業をする割合が増えてきて、生活に支障が出る人が増えてきたのかなと思った。生きづらさを抱えているけど病名がついていない方にも読んでもらいたい。
1投稿日: 2022.04.09
powered by ブクログとてもツラい時期にこの本に救われた。(お二方と同じ状況、境遇なわけではないけれど)わたしの孤独をわかってくれるひとがここにいたんだ、と。当時、暗くて出口のないトンネルを歩き続けているような日々だったけど、この本が理解者として優しく寄り添ってくれた。いまでも読み返すと涙が止まらない。
1投稿日: 2021.11.22いわゆる健常者にも生きやすくなる視点の提示
発達障害や麻痺や依存症などの方について、他者からの視点では自身との差異ばかりが目に付くところ、当事者研究を通すと自身との連続性・普遍性が見出せるばかりか、関わり方の相対化ができること、そして社会現象への視点も立ち上がってくる。 とても面白かった。
0投稿日: 2021.06.28
powered by ブクログ当事者研究、熊谷先生、「つながり」に関心があり手に取った。 ASD当事者と脳性麻痺当事者の、身体の中の「つながり」、他者・社会との「つながり」をベースに当事者研究について綴られていた。 自分の弱さをそのまま他者やコミュニティに共有し、少し心が軽くなる。また、それを経て自己の理解を更新し続ける。当事者研究のあり方をそう理解するならば、心や身体の状態に疾病や障害の名がついていなくても、苦しいと感じることがある人なら誰でもこの取り組みに共感し、実践していけるものだと思った。自分自身、何度も救われてきた友人との対話がこれに近いのではと感じた。 何度か引用されていた「その後の不自由」も読みたい。 印象に残った箇所。 ・ネガティブな話は他者に話してはいけないものだという規範に生き… そうした規範こそが家族という密室の中で支配や暴力を生み出すカリクリとなっている… ・「横の笑い」は「あんたもやっぱりそうか」という仲間同士の共感 ・身体や世界の不確実性に怯え続けている人は、不確実性を減らそうとして過剰に規範的になる場合も多い ・痛みの記憶は消えることはない。でも痛みが静かな悲しみに変わるということはあり得るのかもしれない
0投稿日: 2021.06.27
powered by ブクログ勧められた本だったが、思っていた内容と良い意味で全く違っていて興味深かった。 「マイノリティ」と言われる属性当事者の感じ方が具体的に記述されていて、世界の見え方がほんの少し変わる、気がする。
0投稿日: 2021.03.31
powered by ブクログ「当事者研究の可能性」という章の中に、「所属するコミュニティの言語、社会制度、信念や価値観」という基本設定が文化人類学者の大村敬一さんにならって「構成的体制」と呼ぶことにして紹介されているが、この「構成的体制」と、「個人の日常実践」との相互循環という考え方が読後に一番印象に残った。個人間の差異だけ見る、木だけ見るのでもなく、構成的体制という全体としての森だけを見るのでもなく、木のために森を見て、森のために木を見るというような印象を受けた。また、この構成的体制というのは、普段「当たり前」としていて意識にものぼらないもののことで、構成的体制を無意識に受け入れられているときは人は自由に思考できるという内容を読み、ある程度縛られている環境の方がより自由を感じやすいという自分の感覚にも合うと感じた。 また、それより前の章の「つながりすぎる身体の苦しみ」という章では、睡眠•覚醒サイクルの話が書かれていて、身体が日中に取り入れた情報は夜間に睡眠時という密室で処理•統合されるという話だった。 安定した「私」を手に入れるためには、「わたし」が得た情報と「わたし」が上手くつながる必要がある。上手くつながるためには、安心できる森の中の一本の木としての「わたし」が、日中に取り入れた情報を夜間健やかに眠ることで処理するというようなイメージが生まれた。
1投稿日: 2021.03.03
powered by ブクログ冒頭では、そもそもアスペルガーとは、自閉症とは何かを、筆者の日常とシナプスの結合という科学的な仕組みにより、非常にわかりやすく、イメージされやすく解説している。 その後、個と集団の両立の難しさや、同族感による安心感と煩わしさなど、私にも共感出来るような形で書いている。 個人的には、人と違うことは不安だけれど、かといって同調しないといけないのは面倒だという人間関係にはすごく納得がいった。 ―――――― 綾屋さんは、アスペルガー症候群と自分が気づくまで、自分と周りとの違い悩んだ。 やっと同じ症状の人がみつかり安心感を得られ、アスペルガー症候群への理解高まり、生活しやすくなるだろうと思ったら、そうでもなかった。 今度は集団の中でアスペルガー症候群らしくしなければならないこと、型にハメられる気がし、そもそも障害者と健常者の区別は何を持ってして決められたのかそもそもその基準を疑問に思う。 アスペルガー症候群と症状を括って、症状に対して社会的なアプローチをかけるのではなく、都度都度発生したパターンに応じてよりよい対処をしていくのがよいと考えた。 そうして、綾屋さんは、当事者研究として、自分の内面と外部環境を改善していくしくみを考えた。 観者的な役割と自信の経験を都度都度フィックスさせて、当事者研究を進めることで、自分への気づき、周りへの変化をもたらすと考えている。 ―――――――――― 章立てで流れるように記述されており、2人の著者の内容が、上手く絡まっており大変読みやすく、理解もできた。 1度読み、やっと自分なりにこの本を要約できだが、文の中にはたくさん心に残るワードが記されていたので、再度読み直そうと思う。
0投稿日: 2021.02.21
powered by ブクログ抽象的で難しい本だった。 綾屋さんのあまりに細かな語りには、なぜか同族嫌悪的な苛立ちも感じた。(ここは言語化が難しい) 終盤にある「話さねばならない責任」というくだりが胸に沁みた。問題を開示せず不機嫌に振る舞うことは相手を脅かす。沈黙は加害行為。 その後の何度も話すことを肯定する引用の一文も好きだ。「同じ話ができるようじゃないとよくならないわよね」
4投稿日: 2020.07.08
powered by ブクログ過剰につながれない綾屋と,過剰につながりすぎる熊谷の両氏が,それぞれの立場から,多様な他者を他者として認めた上でどのようにつながれるのかを考察した一冊。 どのようにしたらつながることができるのか(つながりの作法)についての著者らの考えは大きく4つにまとめられる。 1. 世界や自己のイメージを共有すること 2. 実験的日常を共有すること 3. 暫定的な「等身大の自分」を共有すること 4. 「二重性と偶然性」で共感すること これらのポイントはなかなか実践するには困難があるものの,ポイント自体は納得できるものであるので,興味のある人は本書で確認してみてほしい。 個人的にはつながりの作法よりも当事者研究の成果としての本書に感銘を受けた。 ・自分の経験を経験として終わらせず,体系化した「知識」にまで昇華し,他者と共有できる形にしたこと ・その「知識」を得るために,自身の経験をどのように捉えたら良いのかについての視点 ・両極の経験から同じ現象を考える方法 など,自分の悩みをモヤモヤした曖昧なものに終わらせず,悩みを解消し,あわよくば他者の悩みを解消するきっかけになるものへと発展させている。本書で最も魅力的に感じたのはその点である。 読めば読むほど,つながるのが簡単ではないと感じるかもしれないが,味の出る一冊であるように思う。
1投稿日: 2020.02.15
powered by ブクログアスペルガー症候群と脳性麻痺の二人が、マイノリティの立場で自らの事情や経験を語り、外界の人々(マジョリティ=「健常者」)との繋がり方を述べたもの。個人個人をみていくと究極的にはその人一人であり、誰もがマイノリティとも言える。また、多様性や変化を善しとする社会においては、主流であることすら大変な作業であり、そうでない人々があたかも落伍しているような捉え方すらある。このような中で人々とつながることの大変さを正直に述べ、成功体験、工夫、ある種の諦めなどを使い分け、最悪の事態を避けている著者らの社会に向き合う姿勢がとても参考になる。
0投稿日: 2018.10.24
powered by ブクログロボットプログラミングするときにいくつもの条件を複雑に入れると失敗するのと似てるなって思った。当事者研究はきっと人工知能研究にもつながるんだろう。
0投稿日: 2018.04.08
powered by ブクログ面白い! 最近、自閉症の人が周囲の環境からどういう刺激を受けているのか、テレビなどで可視化されているが、この本はその先駆け。 それだけではなく、当事者研究の豊かな可能性を示している。 生きづらさを感じている人が生きやすい世の中に なるヒントであり、健常者、マジョリティと思っている 自分も「地続き」であることを気づかせてくれる。
1投稿日: 2018.01.14
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
おそらく当事者研究をとても分かりやすく説明した本なんじゃないだろうか。何べんも話す、は結構目からうろこ。
0投稿日: 2017.11.23
powered by ブクログ発達障害を持つ綾屋と、脳性まひの障害を持つ熊谷の「つながり」をキーワードにした本。 「つながらない」綾屋と、「つながりすぎる」熊谷という区分の仕方はユニークでなかなか面白かった。 この本で何か特効薬を出そうというのではなく、結局「つながるもつながらないも、ほどほどがいいんだよね」という“あそび”を持たせて終わる感じがとても良いと思う。 つながるもつながらないも、コミュニケーションをして探っていくしかないのだと思う、きっと。
0投稿日: 2017.07.30
powered by ブクログ自分もコミュニケーションに難ありとの自覚があるので読んでみた。 ああ、こういう考え方もあるのね、と納得する一方で、どこかしらのコミュニティの一員として生きていくのには、やはり努力が必要だとも感じた。
0投稿日: 2017.04.14
powered by ブクログ当事者による自閉症の説明 「バラバラな情報の大量のインプット」 とても分かりやすい 自閉症と診断される人が増えていることについて ウイルスでもなく、ワクチンでもなく 社会の変化
1投稿日: 2017.02.15
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
とりわけ発達障害に関して言えば、これまで読んだどの本よりもわかりやすい。 当事者の内面がようやくわかったような気がする。 が、本自体は難解である。 一度読んだだけでは理解できない(少なくとも私には)。 ただし当事者研究についての具体的な記述は、ものすごくわかりやすかった。 あとがきにある「自閉者」の増加についての説明も、かなり鋭いところをついていると感じた。
0投稿日: 2016.12.24
powered by ブクログアスペルガーの当事者の「つながらなさ」と脳性麻痺の当事者の「つながりすぎ」を比較することで、「つながりの作法」がどのように生まれ、そしてそれがいかに私たちを生きやすくしていくかを考察された本である。そしてその考察のヒントとして「べてるの家」の当事者研究、「ダルク女性ハウス」での自助グループ体験体験があげられる。「べてるの家」も自助グループから始まっているので根は一緒であるが。ただ自助グループから当事者研究への発展は「べてるの家」での実践から始まっているもので、当事者研究がいかに「つながりの作法」に通じているかがストンと身に落ちた。自助グループに色々と参加している専門家としてはいつも体験していて言語化出来ないものを言語化してくれた本として貴重な一冊であった。
0投稿日: 2016.10.28
powered by ブクログ読了せず。 趣旨は非常に好みなのだけれども、どうにも読めなかった。 何というか……自意識が邪魔をする感じ。作法としている時点で構えてるような、構えざるを得ないのが妥当なのか。読みながらついつい考えてしまい、もやっとする。 私の他人に対するものの見方が書き手とずれているからなのかなぁと。
0投稿日: 2016.02.10
powered by ブクログ変化し続ける個人、組織が尊重される社会ににおいて、それについていけない人は社会からはじかれ「障害化」される。 つまり、社会の流動化の中での生きにくさは、自閉症のそれと地続きである。 その社会の中で、人は次の2つのモードを行ったり来たりする。 1.外界の「差違」に細かく反応する「あたふたモード」 2.外界のノイズを排除して、同化圧力をかけて「全体」でつながろうとする「ぐるぐるモード」 この2つのバランスをとり、循環させるために当事者研究の「研究の理論」に期待する。 具体的に挙げられているのは ・「言いっぱなし聞きっぱなし」 ・「新しい仲間が一番偉い」 ・「部分引用によるゆるいつながり」 あとがきの熊谷氏の言葉が心に残った。 「ひとりで見る夢は悪夢でも、それを仲間と分かちあえばつながりになる。」 「ひとりで傷を抱え込まないこと。差異を超えた共通感覚も同時に育むこと。」
0投稿日: 2014.02.21
powered by ブクログ当事者研究にはとても興味がある。健常って何だろうと思った。それぞれが違う人間であるわけで、標準的健常人間という人がいたとしても、周りにはそうでない人だらけなのだから、やはり生活する上で多少の違和感はのこるはず。何も感じない、もしくは、何らかの生きづらさを理解できない、としたら、それはもはや健常とはいえないのでは?つながること、絆といったことについて、読んだ後もずっと考えている。
0投稿日: 2013.04.17
powered by ブクログある方からお借りした。 かなり興味深い内容だったので、注文。(地方都市の本屋には、残念ながら在庫がなかった……) 綾屋さんの本は『前略、離婚を決めました。』も違う方からお借りして読んだが、合わせて購入に値する本だと思う。 発達障害を持つ綾屋さん、脳性まひを持つ熊谷さん共著で、それぞれの視点からのコミュニティに対する考えが読める。 影響し合い、まとめられた二人の意見は大変参考になる。
2投稿日: 2013.02.18
powered by ブクログコミュニケーションについて新たな視点や考え方をもらえる良書。 新書なので読みやすいが、書かれていることは深い。 健常者ではない2人の著者による共著だが、健常者が読んでもむしろ健常者こそ読むべきだと思う。
0投稿日: 2013.01.13
powered by ブクログアスペルガー症候群と脳性マヒという障がいをもつ二人の世界や人とのつながりについて書かれている。正直、当事者でない私にはピンとこないところが多い。ただ、脳と身体の関係や感覚についての記述は納得する部分も多い。書き出し「はじめ」の部分である、「同じ部分」と「違う部分」を認識するということが、やはり一番大切ということか。健常者、障がい者含め人はそれぞれ一様ではない。そこから「つながり」がもてれば、ある意味「壁」はなくなる。
0投稿日: 2013.01.05
powered by ブクログ図書館で借りて1回読んだけど、落ちついて、またゆっくり読みたいから買おうかな。いい本なのに地元図書館がこれを持っていないのは問題だから、地元にリクエストを出そうかな。 マイノリティが人とつながるための3段階の話は、障害の有無に関係なく役立ちそうです。有形無形のたくさんの集団に属して私たちは暮らしており、そのどこでいつマイノリティになるかわからないのですから。
1投稿日: 2012.12.15
powered by ブクログ人間同士の関係と距離感を対立と差別でなく 対等で自在な自律する相対の関係で磨き合えれば お互いに傷付くこともなくなるから傷付けることも起こらず 安心して切磋琢磨しながら共存することができる アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)と診断された綾屋と 痙直型脳性麻痺による身体障害者と診断される熊谷の 二人のマイノリティが出合うことで「当事者研究」が始まり 共同戦線を張っているマジョリティー(多数派)と対決することなく つながるための研究とその方向性にたどり着くまでの過程を 克明に描き出している本である 結果としてこの研究はマジョリティーどうににおける距離感にも 通じる一般性のある答えだということが見えてくる そこには健常とか普通ということの意味の傲慢さと 危うさからなる不安と自己防衛本能による暴力が存在する これを克服するには部分の差異を知って認めることと 距離感を捉え全体観を客観的に見る視野の広さの両立が必要になる 例えば自閉症の特徴とされる相互的社会関係能力の限界と コミュニケーション能力の限界と想像力の限界の三つが定説とされているが このどれもが多数派の健常者と自称する人々にそのまま当てはまることでもある 違うのは損得勘定という餌でも融通がきかないことである 枠を作ることと連帯することの矛盾をさておいた上で語るコミュニケーションは 一方的でナンセンスである この本が主張する「社会の流動化」がすべての人を傷付けているのだと私には思えない 流動化が競争を舞台とする不自然な環境でに行われているのが問題なのであって 個人個人の創意から成る自然な流れならば その波に調和することで自分を表現しながら発見を遊び創造する事ができるだろう 安定はステーブルによって得られるものではなく 回転して連載て流れている今を冒険によって生きること得られるはずであると 私は確信している
0投稿日: 2012.09.29
powered by ブクログ「アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)」という発達障害の診断名を得ている著者が、自分の中の「不確実で意味づけできない痛み」を当事者研究という手法で、他者と共有できる言語としてひとつひとつ拾い上げ、他者とのつながりを得ていく(発達していく)自伝である。 この発達障害の特徴は、社会の側から見ると、①相互的社会関係能力の限界、②コミュニケーション能力の限界、③想像力の限界と定義されているが、本人の感覚を丁寧に言語化すると、「どうも多くの人に比べて、世界にあふれるたくさんの刺激や情報を潜在化させられず、細かく、大量に、等しく、拾ってしまう傾向が根本にあるようだ」という表現になる。 モノや人がてんでんバラバラに統一感なく発している情報はもちろん、自分の身体の内部において、体の各部分が一致することなく勝手気ままに発している情報も、自分にとって大事かどうか、必要かどうかという優先順位をつけにくく、等しく感じとってしまい、情報の全体像を見失ってしまうというのである。 この発達障害と多少かかわりのある自分にとって、この定義は今まで見聞したどの定義よりもしっくり来るし、この障害とより深く「つながる」ことができるようになったと感じる。 そもそも、相互的社会関係能力やコミュニケーション能力の限界という言い方は「本人の特徴」のみを定義している訳ではなく、社会や相手の側に限界があるとも言えるはずである。おかしいのは「障害者」ではなく、その特徴が「障害として扱われる社会」の方かもしれないのだ。このことにはいつも敏感でありたいと思う。 著者の二人と「うつ病新時代ー双極性2型障害という病」の著者である内海健氏との鼎談も興味深い。http://igskankan.com/article/2011/08/000460/
0投稿日: 2011.09.04
powered by ブクログアスペルガー症候群と脳性まひ、というマイノリティの身体をもつ、綾屋氏と熊谷氏の二人の立場から「人とつながるためにはどうしたらよいか」という問いについて書かれた本。 「アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)」の特徴 1、相互的社会関係能力の限界 2、コミュニケーション能力の限界 集団での疎外感や空気の読めなさ 3、想像力の限界 4、自閉症と同じ症状を持つが、知的障害がなく言語も幼いころから話せる あふれる刺激 = 感覚飽和 優先順位をつけにく 大量の情報を無視できずに感じっとってしまう 自身の内外の訴えをバラバラのまま感じ取ってしまう 運動のつながらなさ 外部と自分の動きの関係が読めない e.g.,お茶碗運び、ドリブル運動、発生運動、パソコン操作 世界の崩壊 目の前に人がいても「つながり」を感じられない 多謝の表情や行動の同一性を見失う 物の位置の変化を見失う 自身の身体内の感覚を〃 痙直型脳性まひ 緊張しやすいので、一斉に筋肉が緊張する 幻想 過食嘔吐などでギャップを爆発させた 健常者幻想 パーフェクトな人間像を幻想して邁進してしまう ギャップで緊張してしまう悪循環 厳しい社会幻想 母と子の密室幻想 つながり感を得る条件 アスペルガー症候群(つながらなさ) 過剰なつながりとつながらなさ 「差異の検出」と「全体パターンの検出」が同時に必要 脳性まひ(つながりすぎ) 外界で生じる差異を分節化して反応できない 仮説 密室をほどくこととと、密室を取り結ぶことの繰り返しこそが「差異」と「全体」の検出の両方を可能にし、つながりを与える 第一世代 自分がマイノリティと気付かずに社会から外されていると感じる時期 第二世代 病状認定 アスペルガー症候群の仲間たち 言葉を持たなかった感覚が承認される感覚 症候群への自覚 第三世代 互いの多様性を認め、仲間としてつながり続ける道を模索 アスペルガー症候群=見えにくい障害 脳性まひ=見えやすい障害 べてるの家の「当事者研究」(医学書院、2005) 「構成的体制」 所属するコミュニティの言語、社会制度、信念や価値観」という基本設定をいう(文化人類学者 大村敬一) 当事者研究とは、「わたし」が「私」のことを記述、解釈する実践 マイノリティの病を抱えた2人が人とのつながり方を考えた本であるが、人は誰しもマイノリティの部分を持ち、その糸口が見えずに悩んでいる部分がある。それを解きほぐす光明を見いだせる本でもある。 実際のところ、島国同一民族であるために日本はマイノリティに対して偏見を持っている。私自身も若くして地方の女性起業家(経営者)となったので、立場は違えど文化的に偏見の中で右往左往していたため、現在の女性起業家やジェンダー(男女の特性)の研究や支援をおこなっているといえるので、非常に参考になった。 以上
0投稿日: 2011.04.12
powered by ブクログ自分の特性に気づき、行き詰ったら臆することなく言葉にしてみる、自分だけではない、受け止めてもらえる。孤立することなく誰かと繋がることで一歩踏み出せるそれが大事。
0投稿日: 2011.03.05
powered by ブクログコミュニティーにおける同化圧力とそこからの逸脱に対する排斥的傾向というコミュニティーを形成するのと相反する性質を有する内在的な矛盾の克服がいかに可能かをお二人の経験をもとに描く。個人を判断し分類する尺度は必要であるが、尺度の形成に当事者としてコミットして行ける環境形成が不可欠である。 ともすれば自己目的化し、セクト化、分裂を招くことになるコミュ二ティー運営を成員のための組織にしうるかを考えるヒントぐらいにはなると思う。 しかし、若干焦点がぼけてしまっている感は否めない
0投稿日: 2011.02.24
powered by ブクログ山陽新聞2011.02.03夕刊。 《2人の声にじっくり耳を傾ければ、この問題が健常者と呼ばれる人々の世界の外にあるのではないことに気づくはずだ。おそらく誰もが何らかの形でマイノリティーであることにも。》佐藤淳子・ライター
0投稿日: 2011.02.07
powered by ブクログ近所の本屋にこのNHKの新書がなくて、出た頃すぐに図書館へリクエストしてたのがまわってきた。綾屋さんの本は、『前略、離婚を決めました』を読んだことがある。そしてお二人の共著『発達障害当事者研究』と熊谷さんの『リハビリの夜』はどちらもシリーズ「ケアをひらく」の一冊。残念ながら前者は近所の図書館に所蔵がなく(なんでや~)、後者は途中まで読んだところで返却期限がきてしまい、そのあと予約待ちの人が続いていて、続きがまだ読めず…(買うか?)。 アスペルガー症候群という診断名をもつからだで、"見た目にはわかりにくい"生きにくさをもつ綾屋さん。脳性まひという、"見た目、ばっちり障害者"のからだをもつ熊谷さん。二人それぞれの「つながれないさみしさ」「つながりすぎる苦しみ」、一見正反対のからだをもちながら「外界とのつながりからはぐれている」二人の経験を基に、「違いを認めたままつながる」作法を探った本。 このコンパクトな中に、べてる発の当事者研究のこと(←『「べてるの家」の当事者研究』)や、ダルク女性ハウス(←『その後の不自由』)の「言いっぱなし、聞きっぱなし」の場の話が、じっくり書かれている。 「ケアをひらく」のこの2冊は、それだけでもみっちりの本だが、この小さい新書には、その2冊分プラスαがこめられている、という感じ。入っている図は、『その後の不自由』にたくさんあった図のように、そうか~、そういう風に世界を経験しているのか~と思える。 ▼個人の身体レベルにおいてもコミュニティのレベルにおいても、大切なのは「個人の日常実践」と世界や身体にモデルを与える「コミュニティの構成的態勢」との相互循環である。そしてこれらの循環を可能にする具体的な「つながりの作法」として、私たちは当事者研究の可能性に期待したいと思っているのである。(p.187) 3章で書かれている、多数派と異なる身体や経験を持ったマイノリティ(少数派)が「人とのつながり」という面で抱えてきた共通した生きにくさについて、「第一世代(過剰適応)」「第二世代(仲間と出会い連帯)」「第三世代(多様性を認めながら連帯)」と三段階に分けた整理は新鮮だったし、ものを考えていくときに役に立つような気がした。 いい本であった。買おうかな~
0投稿日: 2011.02.03
powered by ブクログpp.112〜113、p.123、p.163=回復とはある地点に到達することではなく、むしろ変化し続ける過程そのもの。
0投稿日: 2011.01.27
powered by ブクログ障害がどのようなものであるか、障害そのものにはどんな処方箋があるのか、と言ったことはこれまでに臨床を中心に考えられてきた。 しかし、当事者本人が自分についての理解、そして他者との違い、かかわり方=つながり方に気付く当事者研究という考え方は、すべての人々に適用できるものだと感じた。 障害のある、無しだけでなく、当事者研究の視点を取り入れて自分について、生活について、他者との関わりについて考えることはより適応的な生き方をしていくことに直結すると感じる。
0投稿日: 2010.12.26
powered by ブクログすごい本。アスペルガー症候群と脳性麻痺という、他者とのつながりに極端に悩む2人の探検隊の冒険記だ。人の心と体の不思議の最前線からの報告だ。ほんの少しでも社会や周囲との関わりに辛さを感じている人は読もう。
0投稿日: 2010.12.18
