
実践理性批判2
カント、中山元/光文社
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総合評価
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- MSTK"powered by"
《目次》 第一部 純粋実践理性の原理論 第一編 純粋実践理性の分析論 第三章 純粋実践理性の動機について 純粋実践理性の分析論の批判的な解明 第二編 純粋実践理性の弁証論 第一章 純粋実践理性一般の弁証論について 第二章 最高善の概念の規定における純粋理性の弁証論について 一 実践理性の二律背反 二 実践理性の二律背反の批判的な解決 三 思弁的な理性との結合における純粋実践理性の優位について 四 純粋実践理性の要請としての霊魂の不滅 五 純粋実践理性の要請としての神の現実存在 六 純粋実践理性一般の要請について 七 純粋理性の認識を思弁的に拡張せずに、同時に実践的な意図からみた純粋理性の拡張を考えることは可能か 八 純粋理性の必要から生じる〈真とみなすこと〉について 九 人間の認識能力がその実践的な使命に賢明に適合し、調和していることについて 第二部 純粋実践理性の方法論 結論 解説 中山元
0投稿日: 2024.01.11 - 美希"powered by"
道徳的である(この表現は正確さが足りない)ことは予想以上に困難であることが判明。私の考える道徳というものはカントでいうところの適法性の道徳でしかなかった(振る舞いとしては倫理的と言えると思うけど)。 教会の悪いところは、悪がそこにあるからではなく善の代用品があるからだ、というヴェイユの言葉を思い出す。 最高善という概念は魅力的であるけれど、逆接的に神はいないと言っているように聞こえる。別にいいんだけど。都合の問題なのかとふと思ったり。
1投稿日: 2014.05.14