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総合評価

33件)
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14
8
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  • chittkaのアイコン
    chittka
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    江戸時代、人間の代わりに、犬がはるばる伊勢まで行き、神宮に参ってお札をもらい、無事に帰還した。「はじめてのおつかい」の犬バージョン。そんなの不可能と思いきや、ところがどっこい、出会う人たちがみな親切にしてくれた。札をつけてくれる、お金をくれる、食べ物をくれる、宿泊の手配をしてくれる、道案内をしてくれる。その結果、犬は無事に任務を完遂した。読みながら、少し感動する。 しかし明治に入ると、洋犬と洋犬文化(所有・飼育・管理の文化)が入ってくる。それと同時に、犬の伊勢参りはパタリと止む。伊勢神宮も、明治政府によってより神格化され、犬が立ち入れるところではなくなった。 諺「犬も歩けば棒にあたる」についての解説が興味深い。明治に入ると、警官が警棒をもち、悪さをする犬を取り締まるようになった。犬からすれば、なにかへんなことをするとすぐ警棒でぶたれる、ならばおとなしくしていたほうがよい。なるほど、筋が通っている(いまは「棒」を幸運の意味にとる人が多いけれど)。

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    投稿日: 2025.06.04
  • seihuuのアイコン
    seihuu
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    我が家の愛犬空、ミニダックス、の頭を撫でながらこの本を読み進めた。 伊勢参りをする犬の話はどこかで聞いたことがあったが、詳しい内容についてはよくわかっていなかった。 本書には人々の善意が溢れている。被害者もいなければ被害者もいない犬と人間の関係は、現在と江戸時代では大きく違うのだろうか、犬が人間と深い関わりを持っていたと言うのは、長い時代を通して続いているのだということがよくわかった。 20年に1度の遷宮と、60年に1度の御鍬祭りがこの犬のお伊勢参りにも大きく関連しているのだろうなと改めて感じた。

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    投稿日: 2024.03.02
  • ほんのむし100のアイコン
    ほんのむし100
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    現在と江戸時代とでの 動物(主に犬)の扱い方 人(町・村)との関わり方 全てを素晴らしいと受け取るのは 違うと思うが 動物(犬)にとってはどちらが 幸せだっただろうと思った 白い犬は人懐っこい性質がある(気がする) 市のリユース文庫にて取得

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    投稿日: 2022.08.17
  • 김치 のアイコン
    김치
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    2022/04/10 学校のレポートのために読みました。 物語というか論文を読んでるみたいで、歴的な資料も多く出てきて感じが大変

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    投稿日: 2022.06.13
  • たきゆかのアイコン
    たきゆか
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    楽しく読めました。私も江戸時代の犬になって、お伊勢さんんと金毘羅さんに行きたくなりました。もう、ワクチン2回接種したし、旅行に行ってもいいかしら?

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    投稿日: 2021.09.15
  • sayaのアイコン
    saya
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    このレビューはネタバレを含みます。

    過日、「一生に一度はお伊勢参り」と思い行ってきた。 犬のお参りについては知識として知っていたし 実際土産物でそうした関連の名前やデザインのものも見かけた。 犬は大好きだし賢い生き物だとは思っているが 犬がたったひとりで往復できるとは流石に思えない。 実際のところどんな感じだったのだろう、と思いこの本を手にとった。 最初の犬のお伊勢参りがは、明和8年4月16日だという。 本来犬は穢れがあるから入れないのだが、手水で水を飲んで体を清め、お宮の前で平伏したのだとか。 実際犬がどういうつもりだったかはさておき、なかなかかわいらしい光景ではある。 「抜け参り」や「御蔭参り」の後を追いかけた結果、伊勢神宮まで辿り着くというのはありそうな話だ。 犬の伊勢参りの話が広まって、首に書付などをぶら下げて歩いていれば 現代日本人よりも”お節介”だったと思われる日本人たちが、 声をかけてこっちだと呼んだり船に乗せたりして面倒を見てやり 神宮まで辿り着くこともあろう。 お伊勢参りだろうと誤解して木札を書いてやった犬が三年かけてお伊勢参りなど 昔の日本っぽい話でちょっと笑ってしまう。 犬ほんにんはどう思っていたことか。 お伊勢参りをするのは白犬というのも面白い。 白い犬=霊力が高い だからお伊勢参りをしにいくのだと 人間が勝手に勘違いして話が大きくなることもありそうだ。 豚や牛の伊勢参りについても書かれており、これも興味深い。 人と動物との距離感が代わり、町犬がいなくなり 綱をつけて繋いで飼うのが普通になれば、お伊勢参りのお犬がいなくなるのも当たり前だ。 明治になって途絶えてしまうというのもさもありなん。 眉唾の御伽話ではなく、調査に基づいて書かれており 大変面白かった。

    0
    投稿日: 2021.08.30
  • イワシ頭のアイコン
    イワシ頭
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    江戸時代も後期、文化の中心がいよいよ上方から、江戸に移ろうという頃、犬が突然、伊勢参りを始めたという。人が連れて行くわけではない。犬が単独で歩いて行くのである。最初の記録は明和8年(1771年)4月16日午の刻(正午前後)、山城国、現在の京都宇治市の犬であった。それから、およそ100年、伊勢神宮には、はるばる参詣する犬が度々現れることになった。 江戸時代、ほとんどの人は「一生に一度はお伊勢参りに行きたい」と願っていたという。当時、まだ自由な旅行ができなった庶民にとって、伊勢参りはそれが許される一大事であった。子供や、奉公人が申し出れば、親も、主人もそれを止めてはならないとされた。もし、無断で参詣に出た場合でも、証拠の品物(お守り、お札等)を持ち帰れば、咎めてはならないとされていたのである(お土産の発祥ともいわれる)。 そういうわけで、江戸時代の伊勢参りは、親や仕事を放り出した者たちによる「抜け参り」を多発した。また、「抜け参り」が「抜け参り」を呼ぶ連鎖で、およそ60年周期の「大規模な抜け参り」=「お蔭参り」を発生した。その規模は、実に数百万人にも及んだといわれる。当時の日本の人口が3,000万人程度だったことを考えると、その盛り上がりは驚異的ですらある。(国によって「抜け参り」の自粛要請も出た。) そう、実は冒頭の犬の伊勢参りも、そんな「明和のお蔭参り」の、最中であった。犬は、参詣の隊列にまぎれて、伊勢に辿り着いたのである。「人が連れて行くわけではない。犬が単独で歩いて行く」というのは、確かに誇張といえる。しかし、成り行きで辿り着いたとはいえ、自ずと外宮、内宮を参詣し、その振る舞いの神妙であったことを、伊勢神宮は公式の記録として残した。伊勢神宮がむしろそれまで、犬を穢れとして寄せつけなかったことからも、極めて異例なことであったという。 この話が、瞬く間に全国に広がって、伊勢に参詣する犬が続くようになった。病身や老身などで参詣を諦めていた人たちが、犬を代参に立てたのである。首から下げた札に、住所と、代参の旨を書いておけば、あとはもう「これは殊勝な犬だ」と、人から人に、飯や銭の施しを受け、伊勢まで導かれていった。帰りは帰りで、「これは御神徳のある犬だ」「たいした犬だ」と沿道の人から贈り物までもらっていたという。持ちきれないものは、また別の人が付き添って運んでくれたというから、至れり尽せりである。 そんな調子であったから、初めの犬よろしく、たまたまそこにいた犬も「これも伊勢参りの犬では」となった。たまたま誰かがそう思って、首に木札を下げたり、旅銭をくくってやれば、それはもう立派の参詣犬となって、伊勢にいざなわれたのである。日本における犬の長距離単独(?)旅行記録は、津軽~伊勢を往復した(2400キロ)犬であるが、これもそうやって期せずして伊勢に参詣したうちの一匹であるという。人も人なら、犬も犬である。(ちなみに、犬が行くならと、豚や牛を送り出した記録もある。猫は無い。) さて、時代を降って現在、伊勢神宮のお土産に「おかげ犬」というのはあるが、実際に伊勢に参詣する犬は、明治7年の記録を最後に途絶えて久しい。伊勢神宮が、より厳粛な聖域となったということもあるが、なにより大きかったのは、人と犬の関係が劇的に変化したことであった。詳しくは同著者の『犬たちの明治維新 ポチの誕生』に譲る。ここでは、最後の犬の伊勢参り、その顛末について、本書引用の明治7年12月18日「横浜毎日新聞」コラムを孫引して、犬たちの労を讃えたい。 「犬の伊勢宮に参る事は古くより多くいい伝えたるが、この頃聞きしは最珍しき者というべし。東京新泉町(新和泉町)七番地に古道具屋渡世、角田嘉七という者あり去る九月中、府令ありて、無主の犬は打殺さるゝ、事有りし頃、嘉七が家の前に一頭の白犬来たりしを見てあわれに思い、己が名と町名を書きたる札をかの白犬の頸に付けやりしが、その後何人か連れ行けん、東海道の駅に出たるが、伊勢参宮の犬なりという者有りしに、人々珍しき事におもいて、銭を与え首に結び付けしかば、次第に銭多く成りしを以て之を金にかえ、好事のもの更に一冊の帳面を作り、白犬参宮の由を記し、施与の金をつけて宿々に継ぎ送る。是を奇とする者、銭を与え、宿賃食料(食費)を取らずして人を付け、件の帳面を持し、是を送りしかば、桑名の渡しは更なり、その余、山川滞る所なく行き過ぎ、十一月九日、終に神宮に至りしかば、神宮の人々大いに奇とし、即ち神前に拝せしめ、途中にて施されし金銭を以神宮に献じ、大麻(御祓)を受け、剣先御祓三十二枚を授くるもあり。又一書を付けて参宮終りし由を記し、帰路におもむかしむ。 この日、度会郡西河原町 (三重県)に至りしに、柳原某、大黒恵美須の像四体を与え、件の帳簿と共に一包にし、且つ犬の首札に新泉町とありしを以て東京に有しとも知らず、熊谷県(埼玉)にさる名ありという者有しに、かの地を指して次第に継ぎ立て送りしかば、日ならずしてかの地へ至りしに其人無し。さらば東京新泉町なるべしとて、又前の如く継ぎ送り本月十三日、第四大区四七小区扱所に至りしに、十四小区に告げ、且つ白犬を角田嘉七へ引渡せるとぞ。この時犬の持来りし行李一つ有りて種々の物入れたり。途にてお施し得し金、合せて六円金も有りしとなり。」

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    投稿日: 2020.05.10
  • ko2baのアイコン
    ko2ba
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    江戸時代になってお伊勢参りは庶民の中で爆発的ブームとなる.加えて,犬が単独で伊勢参りをし,かつ,元の場所に帰ってくるという事象が散発するようになる.果たしてそれが真実なのかを,本書は資料をあたることによって解き明かし,かつ,現代常識では信じられないようなことを当時可能とした社会的背景も解説したものである. そもそも犬は神宮境内には立ち入り禁止とされており,最初の犬によるお伊勢参りは偶然が重なって成功してしまったものであるが,その話に尾ひれが付いて拡散し,幕末には「飼い主が自分の代わりに犬にお伊勢参りをさせる」ようになる.豚に代わりをさせた例もあったようだ. 残念ながら飼い主制度が確立され,車社会となった現代では,犬の伊勢参りはもう不可能だなあ.

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    投稿日: 2019.10.27
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    Στέφανος
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    最近では伊勢土産にもなっているおかげ犬。おかげ犬は伝説ではなく、江戸時代に普通に見られたものです。ところが明治時代になると途絶えます。 作者は犬が禁忌とされた伊勢神宮になぜ犬が参拝できたのか?どうやって長い旅路を行くことができたのか?なぜ江戸時代におかげ犬が発生できたのか?なぜ明治になると途絶えるのか?犬と人間のかかわりが垣間見えて新撰です。 それにしても、昔の人って、犬がお金を下げていても奪うわけではなく、えさをあげたり、船に乗せたり、あげくは駕籠にまで乗せてあげたり、本当に優しくて信心深い人たちだったんだねぇ。 序章 犬が拝礼した 第1章 「虚説」か「実説」か―明和八年、御蔭参り 第2章 単独で伊勢参宮 第3章 文政13年の御蔭参りと「不思議」の正体 第4章 神宮と犬、千年の葛藤 第5章 ぞくぞく犬の伊勢参り 第6章 豚と牛の伊勢参り 第7章 長旅をする犬たち 終章 犬たちの文明開化 著者:仁科邦男(1948-、ジャーナリスト)

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    投稿日: 2019.03.26
  • ドナのアイコン
    ドナ
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    かつての日本であった、犬が伊勢神宮に参宮するという不思議な話の謎を追う本。 結果として犬の習性や人の勘違いや思い込みなどが、「犬の伊勢参り」を生み出すことになったのかもしれないが、伊勢参りを達成するには各々の善意が不可欠であり、当時の事を想像すると何か微笑ましく温かい風景が見える。 素晴らしい本です。

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    投稿日: 2019.01.07
  • かおるひめのアイコン
    かおるひめ
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    かつては、犬は穢れをもたらすものとして禁忌だった 伊勢神宮。遠くへ追い払ったりと、犬対策に努力して きた歴史・・・それが、たった一匹の犬の参拝により、 変化する! 江戸時代、あちこちから犬が伊勢参りに訪れる不思議。 信仰とおおらかさから、人々はその犬たちを大事にし、 餌を与え、宿を貸し、時には駕籠で運んだ。 飼い犬とはまた違う、里犬という存在とは? 多くの文献から浮かび上がってくる、 犬の伊勢参りの実態は興味深く、面白いものでした。 また、 豚のお伊勢参りは朝鮮通信使と密接な関係が! 御蔭参りのきっかけとなる、お札が降る仕掛けとは? 犬のみならず、お伊勢参り関連の多くの事柄がわかる、 楽しい本でした。

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    投稿日: 2018.01.05
  • zatsmomoのアイコン
    zatsmomo
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    この時代、飼犬も野良犬もいなかった。いたのは町犬、村犬。そんな犬だから、伊勢参りと言う信仰を核とした一大エンターテインメントに自然に巻き込まれていった。人は伊勢参りの犬、と大事に扱い、無事村まで送り届ける。のどかでおおらかでほんと面白いなあ江戸時代って! 「信仰と娯楽は矛盾しない。その二つのものを伊勢参りは同時に実現してくれる。厳粛さと猥雑さが同居するから、犬やら豚やら牛やらニワトリやらもお参りできる。------江戸時代、世俗世界の代表的存在である犬は超俗の世界に足を踏み入れることが認められ、100年にわたって伊勢参りを続けていく。」

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    投稿日: 2015.08.14
  • おおのやすよのアイコン
    おおのやすよ
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    このレビューはネタバレを含みます。

    説教節で有名な「小栗判官」でも、藤沢(神奈川県)の遊行上人が餓鬼阿弥となった小栗を車に乗せ、「一引きすれば千僧供養、二引きすれば万僧供養」という木札をつけて送り出したところ、道中多くの善男善女に引かれて無事に熊野の湯までたどり着いた話がある。 また、近年では自分の代わりにぬいぐるみを旅に出すツアー(旅の様子はFacebookでリアルタイムに持ち主に報告されるらしい)があるらしい。クマのパディントンの物語や、おぼろげな記憶ではFacebookが始まった頃か欧米あたりで名札をつけたぬいぐるみを見知らぬ人々が順に観光地巡りをさせて元の持ち主に送り届けた話もあったような。 この本は史料から犬(と豚と牛)の伊勢参りの事例をいくつも引くとともに、そのベースとなった伊勢信仰・抜け参りや江戸期の人と犬の関係も紹介している。 「穢れ」の元として伊勢神宮に忌避されていた犬が、「犬まで詣でる」という伊勢のご神徳の表れとして広告塔のように扱われるようになるところが面白い。 また、犬は必ずしも個人の飼い犬ではなく、町や村などに“なんとなく”養われているものだったというのも興味深かった。 何より、うっかり村からさまよい出た犬が「お伊勢参りの犬だ」と誰かに思い込まれることによって木札を付けられ、そこにあれよあれよという間にジャラジャラと施しの銭を付けられ、「重くてかわいそうだ」というのでその銭を銀や小判に両替され、「これじゃあぶない」ってんで村役人が付き添って宿場を継送りになり、病気にでもなれば駕籠にまで乗せられて故郷に送り届けられるという、その図式が面白い! 犬はいったいどんな気持ちで過ごしたのか。 のんきな話といえばいえる。しかし、不特定多数の善男善女がどの宿場にもいたからこそ、起こりえたこと。 犬も豚も牛も、そして人も「伊勢に参る」と言えば無一文でも旅ができたというのは、当時の社会のおおらかさ(豊かさと言ってもいい)を表しているように思う。 ま、現代でもTwitterあたりで適当なタグつけて「拡散希望!」ってやれば、物好きな皆さんが順繰りに送り届けてくれるような気もするが、野良犬を見なくなった昨今、行政に通報しちゃう人も出てきそう……。

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    投稿日: 2015.07.19
  • supika1007のアイコン
    supika1007
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    このレビューはネタバレを含みます。

    犬が伊勢参り? 俄かには信じがたいことながら、江戸時代後期には「よくある話」だったらしい。この本では様々な資料をもとに、その不思議な現象を解き明かしてくれます。 といっても、もともと伊勢神宮では犬は様々な穢れを運ぶ存在として(出産、死、糞・・・犬はどこからでも入り込みますからねぇ)長年排除の苦労が絶えなかったとか。犬の始末に困った人々が(殺すわけにはいかないので)右往左往する書状が残っていておかしかった。いや、彼らは真剣だったのだから笑ってはいけないのですが。 もともと日本では「飼い犬」という概念が無く、犬は村や町などの共同体に属して世話をされていたそう。これも驚きました。 首に銅銭を通した紐をつけ、お札をもらってトコトコ歩く犬と、それを見守り世話し次の宿場へと送り届けた人々の姿(送り状も多数残っているのです!)を思い浮かべると、なんとも不思議であったかい。

    0
    投稿日: 2015.02.19
  • おおきに!(smoneyb)のアイコン
    おおきに!(smoneyb)
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    伊勢神宮に犬が参るという話は聞いたことがあったが、それが文書などに史実として残っていることは知りませんでした。 江戸時代お陰参りが盛んになった時期に、広まった犬の伊勢参り。 犬の伊勢参り他、様々な奇跡がどんな力に寄って人口に膾炙されるようになったのかは、なんとなく想像がつきますが、実際に伊勢までお参りにいって、帰ってきた犬がいただろうことはなんとなく愉快です。 明治時代以降、伊勢参りをする犬はいなくなってしまったようですが、今度三重県にいって、うろうろしてるわんこを見たら、あのこはどこからきたのかな?とか想像を楽しんでみたいと思います。 ということで、犬の伊勢参り??というかたは、ぜひご一読を。

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    投稿日: 2014.11.21
  • kazubook21613のアイコン
    kazubook21613
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    昔の日本人っておおらかで、心優しき人がたくさんいたんだな。何故、犬が伊勢参り出来たか。里犬という犬と人々との関わり方にあったのは間違いなさそうだ。 明治維新とともに、犬の育て方も変わってしまった。其れは仕方ない事なのかもしれないが、なんとも残念な気もする。今では、交通事情をぬきにしてもありえないでしょう。

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    投稿日: 2014.11.01
  • imaht2のアイコン
    imaht2
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    犬がお伊勢参りをした、というファンタジーのような話を、その記録だけでなく、伊勢信仰の歴史や、庶民のお伊勢参りと御師の存在、かつての犬と人の付き合い方などいろいろな角度からたどっていて、面白かった。現代では思いも寄らないことも、時代背景によっては充分あり得ることなのだ、という面白さ。固定観念とか、自分の物差しとか、忘れることも、大事だな。

    0
    投稿日: 2014.09.06
  • legokkoのアイコン
    legokko
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    お伊勢参りは室町以降、日本人庶民の憧れだった。そんなお伊勢さんに犬が参拝しただと!?江戸時代、お伊勢参りができない主人に代わって犬が参った例がいくつもあったそうだ。 首に伊勢参りであることの札をつけてやると、道中親切な人が食べ物をやり、寝床を与えて、つぎの村まで送り届ける。小銭も付け足してやる。 江戸時代に「御蔭参り」という、子どもと女が許可を得ずに伊勢に向かう流行りがあったそうだ。それにくっついてく形で犬も伊勢に向かう。 白犬が首にお金の束とお札をくくりつけて伊勢まで旅してるところを想像すると大変和む。 伊勢神宮は元々、獣の立ち入り厳禁で犬が境内でお産をすると「産穢(さんえ)」といって穢れの対象で、行事が延期されたらしい。 なんで出産が穢れかっていうと、血であったり子を産むことで親に穢れがふりかかるのだと。 神宮の決まりごとも目からウロコだった。

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    投稿日: 2014.05.03
  • じゅたろうのアイコン
    じゅたろう
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    タイトルの面白さも有りますが、中身もしっかりとした調査に裏付けられたものです。江戸時代の犬の扱いがどういったものだったのか、現代とどう違うのか、どうしてそうなっていったのか。 そして江戸時代の人々の「これは伊勢参りする犬だから大切に扱おう」という暖かさと大らかさが、このタイトルを実現させていたという現実。忘れかけていた大事なものを教えていただけました。

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    投稿日: 2014.04.27
  • basil1127のアイコン
    basil1127
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    犬が伊勢参りに行く…!? 私だってまだ行ったことないのに! 犬めーーーー。 …というのはさておき、主に江戸時代を中心に盛んに記録されたという「犬の伊勢参り単独行」について書かれた本だ。 お参りする人が連れているわけではなく、完全にソロ活動。場合によっては飼い主の「代参」バージョンもあったようだが。 伊勢の歴史ははじめから犬(を含むけもの)を受け入れていたわけではない。逆に神域としては穢れを持ち込みたくないー犬にはご遠慮いただきたかったわけなのだが。 どういったわけか、犬の伊勢参りが流行り出してしまった。いわゆる「おかげまいり」の頃には犬の「お参り」も増えたらしいのだが、この理由については本書で。 すごいのは、牛やら豚やらも伊勢を目指したという話。 ……牛。 牛はほら、寺参りに人を引いていったりするような生き物だから…って、豚???? 豚がお参り? まぁこれにも合理的な理由はあるのだが、それにしても本当に、惹句にある通り「事実は小説よりも奇なり」だ。 ああ、私も犬に引かれて伊勢に行ってみたい。

    0
    投稿日: 2014.03.25
  • hori2221のアイコン
    hori2221
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    力作。 題名からして、目の付け所がユニーク。 凄い調査の賜物。 江戸時代~明治時代の人々は、犬を伊勢に導いてくれる、 良心的で、信心深い人々だったんだ。良い時代。 こういった日本の良さを引き継いで行きたいものだ。 現代も、四国のお遍路さんはありそうだが。 同じような例が記述されており、少々読むのが疲れた印象。

    0
    投稿日: 2013.12.07
  • たまもひのアイコン
    たまもひ
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    面白かった。こういう、政治や経済の大きな話では全くなくて「だからどうなんだ?」ではあるけれど、間違いなく歴史や社会の一面を物語るルポ、好きだなあ。 犬が伊勢参りをする。「え~、ほんと?ま、そんなこともあったかも」くらいにしか思っていなかったが、筆者は丁寧に文献等にあたってその実態を明らかにしようとする。実際に多くの犬が人々の助けをうけてお伊勢参りを果たしていたそうだ。豚や牛までというのが驚きだ。 このことに過剰な意味づけなどをしないところがとてもいい。すまし顔で街道をトコトコ歩く犬と、それを見守り大事にした昔の人たちの姿を思い描くだけで、とてもおおらかな気持ちになってくる。筆者あとがきにあるとおりだ。 「もし伊勢神宮を訪れる機会があれば、その時に、お祓いをつけ、首に銭を巻き、人々の見守る中をすたすた歩く犬の姿を想像してもらえたら、と思う。犬も不思議、人も不思議、でも、なんだかほのぼの、あったかい」

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    投稿日: 2013.09.04
  • キー子のアイコン
    キー子
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    うっそ~!と、思わず口にしそうなタイトルですが、読んで納得。 昔の人達は、のんびり優しかったのね。 

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    投稿日: 2013.09.03
  • ぽんきちのアイコン
    ぽんきち
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    「シロや、お伊勢さんにお参りしてきておくれ」「あいー」---かくして、江戸時代の犬の壮大なおつかいが始まる・・・ 今年は2013年、伊勢神宮の遷宮の年である。遷宮の年は多くの人がお参りをする。 それにちなんで、今日は犬も伊勢参りをしたらしい、という本を。 ときは江戸。 伊勢神宮の遷宮に触発されて、庶民が大挙してお参りに向かう、「おかげ参り」が発生した。ほぼ60年に一度の周期で何度か起きている。 伊勢は決して行きやすい場所ではなく、旅費も掛かる。庶民が気安くお参りできる場所ではない。「お伊勢さんに一度はお参りしたい」と思う庶民の思いが遷宮を期に爆発し、十分な旅費も持たず、奉公人も主人に断りなく、集団で伊勢に向かう事件が生じたのである。別名「抜け参り」とも言う。 この「おかげ参り」に付随して、伊勢参りをする犬の話が残っている。 首に在所が書かれた札と幾ばくかの路銀をぶら下げ、伊勢参りに向かったという。「抜け参り」も困難であったものか、飼い主が犬を代参に寄越すのだ。 「伊勢参りの犬」ということで、道中大事にされ、先々で食べ物をもらい、寝床を借りる。実費を取ってもらうはずの路銀が、逆にお賽銭をもらって増える。あまり増えて犬が重そうだというので、小銭を銀などに換えてくれる親切な人がいたり、挙句は代わりに持ってくれる人まで出たりする。 つつがなくお参りを果たし、神宮のお札をもらってまた元の家に戻っていく。 こんな話がいくつも残っている。 ことの真偽については当時から賛否両論あったようである。 当時の犬は今とは違い、引き綱などを付けない方が一般的である。それが本当に伊勢までいってまた故郷に戻れるのか。 虚言である、というものと、いや、これはあったことである、というものがいる。 江戸時代に写真で証拠を残せるはずもなく、また地方から伊勢までの犬の旅に最初から最後まで付いて歩く暇人もいないだろうから、書面に残る記録はすべて、断片的な見聞であったり、伝聞であったりする。 著者は江戸期の多くの日記や随筆、役所の記録等を調べ、犬の伊勢参りに関する記事を丹念に洗っている。結果、(もちろん犬自身に信仰心があったわけではないが)犬が伊勢参りをした事例はあっただろう、と結論づけている。 大勢の人が伊勢に向かう。そこに紛れて犬も歩く。こっちだこっちだ、と人が歩けば、こっちかこっちか、と犬も付き従う。 帰りの道には、在所の札を見て、次の宿場まで申し送りがされ、そちら方面に向かうものと一緒にまた旅する。ご丁寧に、犬がいくらの路銀を持っていたかまで申し送られたりする。あいにくと犬が姿を消してしまった場合には、その旨、故郷の村に知らせる役所もあったようだ。 犬は元来、穢れとして神社への立ち入りは忌み嫌われていた。おかげ参りの賑わいに紛れてか、いつの間にやら犬の代参が「ありうるもの」になってしまった。この際、多くは白い犬がお参りの犬とされたようだ。 当時は犬の飼い方もゆるやかであり、町や村全体で何となく面倒を見てもらっている、「地域犬」のようなものもいたという。こうした犬が地域の代表として代参したこともあったらしい。 犬の伊勢参りとして記録に残る最後の事例は明治7年。 文明開化は犬の飼われ方も変えた。首に飼い主を記した札を下げない犬は、無主犬として殺してもよいことになった。通行人に噛みついたりした場合は、飼い主が責任を負う。狂犬病への怖れも犬を管理する方向へと拍車を掛けただろう。 犬はつながれて飼われるものへと変わっていった。 昭和期にはまだ、犬が買い物かごをぶら下げておつかいをするなんてのどかな話もちらほら聞いたが、いまや、犬は原則、外ではリードを付けて飼い主に引かれる。 胸を張り、街道を伊勢へとトコトコと進む犬。「おお、お伊勢さんにお参りかい。偉いねぇ」と頭の1つも撫でてもらい、ちゃっかり美味しいものももらう。 確たる証拠はなくても、こんなおおらかな光景を想像するのはちょっと楽しい。 *犬に関する行政史というのも少々興味が湧く。 *著者は動物文学会の会員誌(市販はされていない)に「犬の日本史」を連載しているとのこと。書籍化されればこちらもおもしろそう。 *引用されている文献は、著者によって適宜現代語訳されている。一般書であるので、気楽に読めてそれもありか。

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    投稿日: 2013.08.23
  • kazyxのアイコン
    kazyx
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    江戸時代にあったという犬の伊勢参りを検証している。多くの史料が残っている事実で、最初は珍しかったが、幕末には普通の光景になっていたという。豚や牛もお参りをしたが、明治維新後は、動物の伊勢参りは、ばったり途絶えたという。現代の目から見ると、江戸時代の人も動物も夢の世界の住民のようだ。

    1
    投稿日: 2013.08.16
  • デローザ快調のアイコン
    デローザ快調
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    このタイトルはルール違反やわ〜。読んでしまうもん〜。でもイマイチやったわ〜。生物学的な裏付けも欲しかったですなぁ。

    0
    投稿日: 2013.07.09
  • わっさんのアイコン
    わっさん
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     少し前の「サザエさんを探して」(朝日新聞日曜版)に「犬のおつかい」が取り上げられていた。話(漫画、アニメ)としては知っていて、違和感はないが、実際に見た記憶はない。昭和30~40年代のことだろうか。 突然始まり、突然終わった犬の伊勢参りが、伊勢神宮のたどった歴史と関連付けられ、お陰参り、明治維新、文明開化により合理的に説明されていておもしろい。 明治時代以降、共同体により飼育されていた犬はいなくなったようだが、昭和40から50年代までは、数は少ないが野良犬がいたような記憶がある。 野犬狩りは見たことはないが、いつのまにか町から犬がいなくなった。ペットブームの反映とも関係があるのか? 記憶にはないが、妻の話によると飼い犬も夜になると鎖を外され、町を放浪していたという。タイでは象が夜間は放し飼いになっていると聞いたことがある。 今は犬ではなく、猫が共同体で飼育されている。 江戸時代の人のおおらかさ。本当に犬が信仰心を持っていると思っていたとは思えないが、宴会があった次の朝その部屋に行ってみたら猫しかいなくて、化け猫にだまされたという妖怪話になったというのを聞いたことがある。同じことのように思える。

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    投稿日: 2013.06.30
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    casezuki
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    江戸時代まで、日本では犬が、人に引き連れられてということではなく、単体で伊勢参りをしていた。しかも一匹二匹ではなく、それこそよく聞く話として。 とかいう、今の時代で一度聞いても理解できない位の変な事態を、実際の江戸時代、明治時代に書かれた記録などから読み取る本。 客観的な本でした。江戸日本のおおらかさに関して過度に持ち上げることもなく、淡々としていたので読みやすかったです。 それにしても、俺はもう昭和53年以降の日本しか実感としては知らないわけで、文明開化以前の日本なんて、昔は良かったと振り返るべくもないほど最早別の国だったんだな、と、この本を読んでそういう想いをさらに強めました。 きっと天狗とか、神隠しとかもあったであろうな。 そう考えると文明開化ってものすごいことですね。その時代に生きてたら頭こんがらがって大変だったと思います。

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    投稿日: 2013.06.30
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    kasaji
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    犬が伊勢参りをするというセンセーショナルな話題に行きがちだが、本質は犬とヒトとの関係が明治時代までは今とは違ったということが書かれている。 読み進めると、面白いことが自然発生的に起こっていたんだなぁと楽しくなる。

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    投稿日: 2013.06.29
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    shgmg33
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    犬と伊勢神宮の関わりについて丁寧にわかりやすくまとめられている。 論調も説得力があり、白い犬が伊勢神宮を目指してトコトコ歩き、周りの人間がそれを微笑ましく見守る様子が想像できた。 そんな平和で善意にあふれた社会がまたくるといいなと思う。

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    投稿日: 2013.06.10
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    sazuka
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    犬が伊勢参りをする。何か愉快なフィクションなのかと思ったけれど、事実なのだと強調されてスタート。しかし、なんだかいかがわしいと思いながら読み進めていくうちに、犬の伊勢参りは確かにあったのだとあっさり説得され、というより納得してしまう。 犬は穢れであり、伊勢神宮は犬を遠ざけることに古来腐心してきた、にもかかわらず、犬が伊勢参りをするようになってしまう。そして、やがて犬の伊勢参りは終わってしまう。このスタートとエンドは、本書を読んでのお楽しみ、にしておいたほうがいいから書かないが、前書きにある「動物学でもない、歴史学でもない、民俗学でも、社会学でもない」という、曖昧模糊な面白さ。本の読み始めと読後の感想がこれだけ変化する本も珍しかったなあ。

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    投稿日: 2013.05.16
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    whitesheep11
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    このレビューはネタバレを含みます。

     タイトルを見てまるで東スポの見出しのようだなと思った。犬がどうして伊勢参りなのか。興味がムクムクとわいてきたので、手にとって読んだ。  著者によると、最初の伊勢参りは、明和七年(1771年)、しかも日付まではっきりしていて、4月16日昼ごろとある。ちなみに、最後の伊勢参りは、明治七年とある 伊勢参りに向かった犬は、沿道の住人や、伊勢参りに向かう人たちに大切に扱われたとある。いい話だな。信仰心からではなく、著者も述べているように、人間について行けば、おいしいものにありつけるからと言う理由だそうだ。まるでスイーツにつられてついて行きそうな甘ちゃんのモクモク羊そっくりだ。 今のように野良を除いて犬には飼い主がいる時代とは違って、江戸時代は、はっきりとした飼い主は存在せず、町や村に住みついて親切な人からエサをもらっていたそうだ。この中で、伊勢参りをした犬が出てきたそうだ。 いい話だなと思ったのがもう1つある。それは、明和八年(1772年)の後桃園天皇即位に当たって、将軍家の名代として松山藩主の松平隠岐守定静が上洛したが、その道中で伊勢への抜け参りの一行と一緒になった。その際、かつて祖父が同じ役目で上洛した際にも御蔭参りがあったので、浅からぬ縁を感じて、自分の止まっている宿に泊めてやったとある。しかも、子供がいれば、自分の駕籠に2人まで乗せてやり、自分は馬に乗って機嫌がよかったとある。 本来であれば、抜け参りを禁止している藩があるくらいだが、将軍の名代がやってと聞きつけて、他の藩も見習うところが出てきたとある。 人が見向きもしない事柄に対して興味を持って調べて本にしてもらうおかげで、こうやって手にとって読むことができる。ありがたいことだ。聞く機会があれば、当時の犬にどんな心境で伊勢参りに行ったのか聞いてみたい。「そんなの知らんワン」とでも言うのかな。 こういう本を読んだ方が、百マス計算や川島教授の学習ソフトをやるよりも脳細胞にビビビと刺激を与えることが出来て脳が活性化されるような気がする。

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    投稿日: 2013.04.24
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    naichi
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    最近では、自分自身の過去と向き合うことを「巡礼」と呼ぶらしいが、こちらは正真正銘の巡礼の話である。ときは江戸の時代、ところは伊勢神宮。だが、ここでお参りを行ったのが犬であったというから、只事ではない。 最初に犬の伊勢参りが行われたのは、明和8年(1771年)4月16日の昼頃のこと。突然、犬が手洗い場で水を飲んでから本宮の方へとやって来て、お宮の前の広場で平伏し拝礼する格好をしたのである。その場にいた神官たちにとって、これはまさに事件であった。 犬の飼い主は山城国、久世郡槙の島に住む高田善兵衛という者。つまりこの犬は、飼い主の元を離れ、山城の国のからはるばる伊勢までお参りにきたのである。 「境内に犬を入れるな」とは、古くからの伊勢神宮における決まり事である。犬が死んだり、お産をしたり、死肉片をくわえてきたりすること、これらは全て穢れとされてきた。だが、その法すらも簡単に破られてしまったのである。そしてその後も、犬の伊勢参りの目撃談は、続々と頻出することになる。 当時、ほとんどの人が「一生に一度はお伊勢参りに行きたい」と思っていた時代である。式年遷宮のある年などは、とくに参拝者も多かったという。しかし、伊勢参りに行けるのは、ある程度生活にゆとりがある大人がほとんど。女性、奉公人や子供たちは行きたくてもなかなか行くことが出来なかったのだ。 これら庶民の伊勢参り願望は、しばしば「抜け参り」という行為を発生させた。仕事も何もかも放り出し、親や主人にも黙って、仲間と示し合わせて伊勢へ向かう。その抜け参りがさらに大規模になると、「御蔭参り」と呼ばれた。冒頭の犬は、御蔭参りの集団の後を追いかけていくうちに、うっかり伊勢神宮まで来てしまったのではないかと目されている。 だがその後は、主人が自分の代わりにと犬に思いを託して行かせたケースなども登場する。一旦飼い主のもとを離れた犬には、「えらい犬だ」「伊勢参りの犬だ」とみんなが感心して銭を施してくれる。重くなりすぎて犬も大変そうだと、周りの人が銭を運ぶ。まるでお祭り騒ぎのうちに、事が運んでしまうのだ。 日本の犬の単独旅行、最長距離記録も伊勢参りの犬によって樹立されている。幕末の嘉永年間に3年間の月日をかけて、青森・黒石と伊勢神宮との間を往復したのだ。その距離、推定で約2400Km 。しかも、このケースが凄いのは、誰かの勘違いがきっかけであったらしいということだ。 この犬を偶然見かけた人が、「もしかしたら、これが噂に聞く伊勢参宮の犬ではないか。」と思う。そこで、どこの犬か誰でもわかるようにその犬と出合った場所、を木札に書き記して首から下げ、それから道中使えるようにと銭の穴にひもを通し、首にまいてやる。これにて、立派な「伊勢参りの犬」の出来上がりというわけなのだ。 誰かが、この犬を伊勢参りの犬ではないかと思った瞬間、本当に伊勢参りが始まる。荷物が増えれば、宿場から宿場へ、皆が運んでくれる。善意の人たちが至る所にいた時代。犬にしてみたら、さぞかし迷惑であった可能性もある。善意と悪意は、まさに紙一重だ。 さらに本書では、犬だけではなく、豚や牛の伊勢参りについても言及されている。しかも豚にいたっては、広島から船で瀬戸内海を抜け、潮岬をまわり熊野灘に出ることによって、伊勢神宮へやってきたというから驚く。豚が伊勢参りをした年は式年遷宮の年。願主は豚に代参させてまでも伊勢参りをしたかったのかもしれない。 伊勢参りをはたした犬の多くが、白い犬であったという点も見過ごせない事実である。古来より白犬には霊力があると言われてきた。日本武尊は信濃で道に迷った時、白犬に導かれて美濃に出たとされてきたし、平安時代、関白・藤原道長は法成寺を建立し、白い犬をお供にお参りした。 その霊力の真偽はともかく、白い犬の伊勢参りの話が広まるにつれ、その後も白い犬ばかりを参宮させようとする力学が働く。極端な話、白い犬が伊勢の方向へ歩いているだけで、「この犬は伊勢参りしようとしているのではないか」と思い込んでしまうことも起きかねなかったのだ。 人々が「伊勢参りの犬」と認識しない限り、犬は伊勢に向かうことも帰ることもできない。犬たちは周りの人たちが期待しているように行動すれば、やがてうまいものにありつけることも知っていたものと思われる。それを「お参り」という行為に結びつけて解釈したのは人間の方なのである。犬の伊勢参りは人の心の生み出した産物でもあったのだと著者は言う。 そんな犬の伊勢参りだが、明治になって間もなく途絶えてしまうことになる。文明開化とそれに伴う洋犬至上主義が、まさに犬の飼い方まで変えてしまったのだ。最後と思われる犬の伊勢参りは明治7年、東京日本橋・新和泉蝶の古道具屋渡世の白犬によって記録されている。やがて犬の伊勢参りは、そういう事実があったことさえ人々の記憶から抜け去ってしまうこととなった。 それにしても、犬の伊勢参りが行われていた時代の日本、まさに魅惑のワンダーランドである。伊勢神宮の厳粛さと、犬・豚・牛の参拝という猥雑さが織りなす、奇跡的なスペクタクル。信じることが苦行の道のみにあらず、信仰と娯楽が十分に共存していた時代の話。まるでお伽話のようなノンフィクションであった。 美しい共同体と、そこにあったケミストリー。これは過去の日本人の姿と向き合うことで見えてくる、「喪失の物語」でもある。

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    投稿日: 2013.04.22