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なぜ勉強させるのか?~教育再生を根本から考える~
なぜ勉強させるのか?~教育再生を根本から考える~
諏訪哲二/光文社
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総合評価

27件)
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  • mihaのアイコン
    miha
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    少し難しい部分もあったが、だいたい著者の言いたいことは分かった。再読すればもう少し理解が深まりそう。

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    投稿日: 2025.05.07
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    頼む
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    なぜ勉強しなきゃいけないの? と子どもに問われたら、私は「なんでだと思う?」と聞き返すことにしている。そして、子どもの答えをニコニコと聞いて、「そうかもね」とだけ言い、自分の答えは教えないことにしている。そして、時々家でも勉強している父の背中を見せることにしている。 著者は、頭脳明晰で、かつ、現場に立ち続けてきたホンモノの教師である。だから、説明がうまいし、説得力がある。けれど、だからこそ、上から目線で、やや断定的である。好みは分かれるところだろうし、「我が子を賢くする方法」などの記事を探しては読み、子を通わせる塾を転々と変えているような方は、絶対に読まない方が良いと思う。 ゆとり教育のせいで学力が低下したわけではないことは、確かにそうだなと納得した。 あとがきの抜粋。 【したがって、勉強するということは、まず私たちひとの生物性を一度否定することと言えましょう。(略)まず先に「私」があって、後からその「私」が知識を身につけていくのではありません。近代的な主体である「私」をつくるために、ひとの本能や自然性に逆らって、知的な身体に変えていくことなのです。】

    1
    投稿日: 2022.09.14
  • reinouのアイコン
    reinou
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    このレビューはネタバレを含みます。

    2007年刊行。  百マス計算・早寝早起き朝ごはん提唱者である陰山英男氏、あるいは親野智価等(?)氏など、いわゆる知識重視派に対して、本書は批判を加え、人間としての力が学校教育における前提で、学校教育の目標をここに置く立場から論を張る。  まぁ、良くも悪くも「プロ教師の会」の物言いである。個人的な好悪は別にしても、そもそも彼らの社会的使命は、学生・生徒、あるいは保護者の心性が大きく変わった結果、現行の学校制度では立ち行かなくなる(あるいは、既に立ち行かなくなっている)ことを明白化し、その事実を社会に公知させる点にあるだけなのだ。すなわち、処方箋を作りえるような経験も立場にもなく、その任に堪えるようなモノでもなかったと考えられる。そのことがよくわかる一書である。  人間力構築が知識受領のために必要だということは否定しないが、人間力構築の任を公務員に過ぎない教員に与えられるべきかは困難をはらむ。そんな社会的コンセンサスがあるとは言えないし、精々1日数時間、そして1年間しか担当しない人物にかようなことまで預けられるわけがなかろうし、教師も責任を負いきれまい。  社会全体の変貌が現行学校制度の制度疲労の要因ならば、学校だけでの対応は困難を来すだろう。その仕組み全体との兼ね合いで、一定の限定的役割しか負えないのだ。

    0
    投稿日: 2017.01.04
  • み~くんのアイコン
    み~くん
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    著者は、教育の目的は「知識の伝達」ではなく「人間的な成長」であるという立場をとっています。 そして標題の答えは「明確に答えを出さない」でした。 前著「オレ様化する子どもたち」は面白く読まして貰いましたが、本書は心に響く内容ではありませんでした。 もっと人間的に成長してから読めば違うのかもしれません。

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    投稿日: 2016.04.28
  • 「なぜ勉強させるのか?」という題名ですが・・・。

    「勉強させる意義」が中心となっている本ではないです。 筆者は教師です。 ある一人の教師が感じてきた、学校を取り巻く環境について書かれている本だと感じます。

    0
    投稿日: 2015.09.15
  • 薬局薬学のエディターのアイコン
    薬局薬学のエディター
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    http://kumamoto-pharmacist.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-4139.html

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    投稿日: 2014.09.05
  • komodaのアイコン
    komoda
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    http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334033910

    0
    投稿日: 2013.08.27
  • takoyakiのアイコン
    takoyaki
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    ゆとり教育とは何だったのか、 よく分かりました。 子供の変化と家庭教育についても、 納得できました。

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    投稿日: 2013.02.06
  • hodakasanのアイコン
    hodakasan
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    学力至上主義に異を唱える。なんのために勉強するのかということに経済観念で考えるのには限界がある。 今、君たちが最も関心のあることの一つかもしれない。でも、そんなこと考える前に勉強するっていうのも一つの手です。長山 靖生『不勉強が身にしみる 学力・思考力・社会力とは何か』(光文社新書2005)は勉強する意味が見つかるかも。

    0
    投稿日: 2013.01.21
  • mitsu1124のアイコン
    mitsu1124
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    この本はまず、現在の受験戦争の早期化の時代背景を説明し、その後「ゆとり教育」の目的について話し、学校の必要性について説いた後、「学力向上」を求めるだけでは学力は上がらず、近代的な個人(おとな)になることができないことを述べ、最後にこどもにとって、ひとにとっての垂直的な存在(絶対な存在)の必要性について説明し、本を閉じている。 筆者は近代を「農業社会的な近代」、「産業社会な近代」、「消費社会的な近代」の3つに分けている。「農業社会」では共同体の力が強く、こどもは自身共同体の1個人であるという感覚を持っていた。自分が勉強し、頑張ることが親のため、家族のため、共同体のためになるという感覚が漠然とあった。「産業社会」では、生活の中に「消費」という概念が入り、裕福な家族像を描きながら、家族の一人一人が「個」としての存在を形成していった。「消費社会」では一人一人が「私」という感覚を持ち、それぞれがお互いを主張する関係性に発展していった。そのような時代に生まれ育ったこどもは、幼い時から「私」という感覚を持ち始めた。「社会」があって、「私」があるのではなく、「私」があって、「社会」があるという感覚だ。 そのような時代のこどもに合わせて行おうとした政策が「ゆとり教育」である。私は恥ずかしながら、ゆとり教育の目的やヴィジョンを分かっているようで、理解していなかった。教育の有り方を細分化し、こどもに決定権を与え、社会にこどもを合わせるのではなく、こどもたちが選択した道によって社会を形成しようというのが、ゆとり教育の目的であり、それによってこどもたちは一人一人が大切にする「個性」を持った近代的個人に成長し、社会を形成していく、ヴィジョンがあったのだと、解釈した。しかし、結局親、こどもが学校教育のゴールは良い大学に入って良い企業に入るというゴール像に縛られてしまったことや、教育の多様化が義務教育時間の削減と教育の細分化という「科目」の面でしか改革が行われなかったことなどから、失敗してしまった(と認識されてしまった)。細分化されても、結局細分化される前の道をこどもは選択した(させられた)ため、細分化される前の道筋だけが残った。また時間に「ゆとり」ができたため、お金に余裕のある家庭は塾などにこどもを通わせ、教育格差が広がった。「ゆとり教育」が終わった今、またこどもの学力を向上させることが学校、家庭の役割であるという考えが強くなってきている。 しかし学校はこどもの「学力向上」の機能だけではなく、社会のルールや、コミュニケーション能力など、「生きる力」を学ばせる場所である。学校は塾がなくても存在することができるが、塾は学校がないと存在することができない。学校で「生きる力」を学び、その土台があった上で塾などの教育機関で学ぶことができるからだ。だから、こどもは学校に行かなければいけないし、親もこどもは学校に行ったほうがいいと、直感的に分かっている。 消費社会的な近代において、こども、ひとは自分の考えを主張し、自分の分かっている範囲内で周りの物事を判断するようになってきている。自分は1人の自立した個人であり「私」であるのだ。しかし、人とはちっぽけな存在であり、社会を構成する一要素(その人がいないと今の社会が成立しないという意味で大事な要素ではあるが)でしかない。その事実を認識させてくれる、絶対的な、垂直的な位置に存在するものが、今の日本には無いと筆者は述べる。筆者は日本の中学校で先生をしていたころ、オーストラリアの生徒が海外から交換留学に来て、その子の「決して自分の主観だけで物事を判断しない姿勢」に衝撃を受けたという。それは彼女にキリスト教という絶対的な宗教が存在し、それによって、彼女は自分自身を客観的に評価し、高められたのだと、筆者は考えている。この考えに、自分の過去に見たり聞いたりした経験が重なり、深く共感した。 現在の消費社会的な時代において、ひとが自立するというのは、自分が1人では生きていけないことを認めることだと、彼は言う。たしかに、勉強し、新しいことを学ぶということは、一度、そのことを知らなかった自分を否定し、それを自分の中に内面化する作業であるし、内面化した内容によって、「私」という存在が再構築されていく。 自分は「私」であるというありのままの「私」を一度否定し、私はいろいろなものに依存しながら生き、社会という圧力の中で部分的な「自分らしさ」を失い、自分が大切にしたい(とがりたい)「自分らしさ」を内面に持つこと(たこつぼ的な)。これが近代的な個人なのであり、勉強する意義なのだと思った。

    0
    投稿日: 2012.09.25
  • kaze229のアイコン
    kaze229
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    「教育」っていう部分は 一番、文句がつけやすい「処」ですよね 自分が「評論」した(文句を言った)としても まず、自分自身に危害が加えられることが ない「処」でもありますね ただ、諏訪さんの場合 現場の先生であるという 強みが大きい 一億総教育評論家の時代の中で ちゃんと 傾聴に値する一冊だと思う 本書の中で「そりゃそうだ!」 と思った人は次の人に この一冊を薦めていきたいもの

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    投稿日: 2011.11.13
  • Nomuのアイコン
    Nomu
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    自分の精神の内部に幾筋も乱反射させた本。「勉強とはありのままの自分を捨て、社会的な個になるためのもの。」結構生きてきましたが、初めて哲学的な題材の本に触れたような気がします。

    0
    投稿日: 2011.11.07
  • sachikokawasakiのアイコン
    sachikokawasaki
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    勉強になった。 やはり、勉強すると言うことは、精神性をも追求してしかるべき 成長を促す。と、私は、思った。

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    投稿日: 2011.09.20
  • makisugiのアイコン
    makisugi
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    今、わたしたちが追いかけてる「新課程」。こんな風に、これからの子供達に影響を及ぼすのか、って考えさせられた。自分たちがたどった教育課程も、時代や政治的背景をいっぱい背負っていたんだね。勉強になったけど、難しかった。

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    投稿日: 2011.08.25
  • satmanのアイコン
    satman
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    中公新書ラクレでの著書に比べれば、興味深く読むことができた。 子どもはそのままでは社会で生きていけない。社会に自分を会わせる必要がある。また、学習して行くには、それへ向かう態度のようなものが必要となる。学校は学力向上にのみ目を向けるのでなく、子どもを社会化し、学習へ向かう態度を身につけさせることにも力を入れなければならない。そのために、強制は行われる。 子どもは、テレビとお金などの力により個として認められているために、学校でも個であり続けよう、教師と対等であろうとするがそれでは教育が行えない。 主張したいことは、変わらないようだし、他者の意見に対する断定と経験に基づく推測は相変わらずだった。

    0
    投稿日: 2011.08.11
  • irmknk56のアイコン
    irmknk56
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    このレビューはネタバレを含みます。

    《学ぶや生きるは、人としてが経済的利益を離れ、換金出来ない人の崇高な価値として、再構成されていなければならない。≫からこそ、教師やおやは、子どもたち(若者)に勉強することへの精神的な価値に出会えるような働きかけをしようと説く第8章が印象に残った。

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    投稿日: 2011.06.30
  • baxのアイコン
    bax
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    [ 内容 ] 学校不信が止まらない。 保護者たちは、右往左往の教育改革を横目に、「わが子だけを良い学校に」と必死だ。 そのニーズに応えて、「百ます計算」や「親力」といったメソッドが次々と紹介され、指導法のカリスマが英雄視される。 勉強の目的といえば、「得になるから」「勝ち組になるため」に収束した感があり、すこぶるドライな経済的価値観が目立つようになった。 だからこそ、本質から問いたい。 「なぜ勉強させるのか?」と。 本書は、「プロ教師の会」代表の著者が、教職生活四十年間で培った究極の勉強論である。 [ 目次 ] プロローグ―そして「学力向上」だけが残った 1章 時代論1―「お受験キッズ誌」が映し出すもの 2章 時代論2―ゆとり教育は案外、将来を見据えていた 3章 学校論1―それでも学校を信じなければならない訳 4章 学校論2―塾・予備校は学校改革のモデルとなるか 5章 指導論1―「百ます計算」・陰山メソッドの問題点 6章 指導論2―「親力」ブームの誘惑に耐えられるか 7章 子ども論1―世界の子どもと比べてみる 8章 子ども論2―「なぜ勉強するの?」と問われたら エピローグ―勉強するにも、させるにも覚悟がいる [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]

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    投稿日: 2011.04.11
  • yosuke90のアイコン
    yosuke90
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    "勉強の意味"とは。 プロ教師の会代表で、実際に長年現場を経験してきた筆者が「教師」と「子ども」のあり方について鋭い考察をおこなう。 ところどころ飛躍的であったり、歪曲的であったりする箇所があり、正直読んでいて不快になる事もあるが、全体を通してはきれいにまとまっている印象。 筆者は戦後日本を「農業社会」「産業社会」「消費社会」にの3つに分類し、その中で「個(私)」というものがどの様に変遷していったのか、現場でのリアルな経験を元に提示する。 教師論、子ども論にしても、勉強する意味について聞かれた時の対処法にしても、かなり現実的。ここらへんは、やはりプロ教師の会といったところ。 賛否両論ありそうだが、一読の価値あり。得るものは大きい。

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    投稿日: 2011.02.18
  • 右城舞のアイコン
    右城舞
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    おそらくあらゆる人が教育から逃れる事はできないと思う 子供の教育など際たるものだ 特に、保護者達は学校不信になり「わが子だけを良い学校に」と必死に塾に通わせ奔走している だったらこの世を塾だけにすればいい 評価制度と市場原理を持ち込めば屑な教師なんていなくなる そんな俺の疑問に興味深い示唆を与えてくれたこの本をぜひ読んで欲しい 「なぜ勉強させるのか?」 あなたがもし親になったら一度は立ちはだかるであろうこの問いに答えるためにも

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    投稿日: 2011.01.19
  • kosugi_yosukeのアイコン
    kosugi_yosuke
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    教育者的観点から興味深い話が展開されてはいた。興味深いとは、全く未知の事項が現れたということではなく、現代や私が経験していない現代より前の時代に対する整理方法、それもなんとなく有効的な予感をさせるものが示されていた、ということだ。バランス感覚もある…ように思う。 微量な持ち合わせの学者的観点から考えると、ちょっと図式的に過ぎる気もする。哲学とか、思想とか、教育よりも論理的に厳密そうな雰囲気のある学問に関わる人であれば、回避しそうな断定的な表現をしてしまっている。

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    投稿日: 2010.08.24
  • pauloyamadaのアイコン
    pauloyamada
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    光文社新書なのに内容が重い、というか堅めな文章。 ただ戦後の教育史とゆとり教育の実態などが事細かに述べられている。 読んだ価値はあった。 満足度7

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    投稿日: 2010.08.06
  • GKのアイコン
    GK
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    藤本:購入(2008.8.12) 返却(2008.8.23) 子供から「なぜ勉強しなきゃいけないの?」と聞かれてどう答えますか? そのヒントになるかと思い購入しましたが、難しくてあまりなりません。 貸出:丸橋(2011.12)返却:(2011.12) 社長もおっしゃるくらいだから、私の読解力では頭に入ってこないくらい難解で、本当によく眠れる一冊。様々な角度から現状の教育のあり方や問題点など、著者の考察が述べられる。

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    投稿日: 2008.08.23
  • sumbeaのアイコン
    sumbea
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    途中までは「なるほどー」という感じ。 勉強になりました。 でも後半がひどい・・・ 本題からずれてまくって、個人的不満を述べてるだけ。 読んでて不快だった・・・

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    投稿日: 2008.06.06
  • ちびっこのアイコン
    ちびっこ
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    この本が出てから読み終えるまで、そう時間はかかっていない。しかし、ずっとレビュー書くの忘れていた…。でも、今、内容を覚えていない。ということは…再読せねば。

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    投稿日: 2007.12.31
  • ぱぱぉのアイコン
    ぱぱぉ
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    これまでもやもやしていたことが、少しすっきりしました。 学ぶ態度みたいなものをきちっと付けないと応用力も基礎力も付かない。 →確かにそうですね. まず人格の形成、それから知識の形成。 子供の個性を見極める。 どの方向にどの程度伸びていけそうなのか見極める。 その上で一人前の社会人としてやっていけるようにしてあげること。 →そうですよね。 何よりもこの近代社会に生きていくことが「私」の幸せ、かつ私の幸せが社会の発展につながる。 他者に役立つことに喜びを感じることを学ぶのが大切。 →そういう人が増えると社会が変わりますね。 世の中に絶対的な価値はない。 そのためにも神は必要。 生かされていると感じて謙虚になるところから学びの姿勢が変わると。

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    投稿日: 2007.10.08
  • たろお//のアイコン
    たろお//
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    教師生活が長い著者が、現代いろいろ言われている教育論に対して疑問を呈しながら、独自の観点から勉強とは何かと述べている。

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    投稿日: 2007.04.01
  • take9296のアイコン
    take9296
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    勉強するのは「得になるから」「勝ち組になるため」という風潮に著者は批判的です。では、何のためなのか?私も、これを機会にじっくり考えてみたいと思います。

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    投稿日: 2007.03.15