
総合評価
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- さつき"powered by"
日本古来の美しいものは情緒から成り立っているという考え方をとき、古き良き日本人の心や生き方を重んじていることを強いメッセージ性として感じる一冊であった。 そしてその日本古来のの美しさ根底を揺るがしている近年の日本教育について世の中に警鐘を鳴らし続けていたのも特徴的であった。今まで日本から生まれていた素晴らしい技術やアイデアが徐々に世界で頭角を現さなくなってきたのも日本の教育が戦後西洋的型に無理やりはめ込まれたからだという考えも一理あると考えさせられた。 今の自分に特に刺さったのは以下の2文である。 「ある時期は茎が、ある時期は葉が主に伸びるということぐらいは戦時中皆かぼちゃを作ったから知っているはずだが、人間というかぼちゃも同じとは気づかず、時間を細かく切って除いていいとか悪いとか、この子は能力があるとかないとかいっている」 「すべて成熟は早すぎるよりも遅すぎる方が良い。これが教育というものの基本原則である」 上記は結果を急がす日本の教育方針に警鐘を鳴らした一文であると言える。 早く成長することは悩んだり、苦しんだりする過程を省略してしまうことになる。同時に人生の早い段階で成功すると自分はすごいんじゃないかという錯覚に苛まれ傲慢になるリスクが高い。だからこそわたしたちは時間をかけて課題に向き合うべきであり直ぐに結果を追い求めるべきではないのだという主張だと考察する。 時代の移り変わりが早い業界にいるせいもあってかなんでも早ければ早いほどいいとされる風潮に嫌気が差してる自分には納得できる点が多かった。著者はなくなっているが資本主義の加速と不景気が後押しをし社会全体が長期投資に我慢できなくなっている現代を直視して書いたのでは?と思える内容だった
1投稿日: 2025.06.14 - もとひろー"powered by"
情操の大切さを説いた文章であった。 数学を専攻し、これから教育実習に行く身としては参考になった。 かねてから感じていた、日本人の情緒の素晴らしさと廃れていく危機感をつかれて、痛快だった。それとともに、自省の機会になった。
1投稿日: 2025.05.22 - useless2"powered by"
「人の中心は情緒である」から始まる本書は、随所で情緒の重要性を強調している。感情や心、精神といった言葉ではなく、あえて「情緒」が重要だと述べている点が肝なのだろう。一般的に情緒は、何かに触れた際に生じる様々な感情や心の動きを指すことが多い。しかし、その説明だけでは捉えきれない、より深いニュアンスがあるように感じる。本書で用いられている「情緒」も、一般的な意味合いとは異なるようだ。 私自身は、「情緒」という言葉に自然との繋がりを強く感じていた。自然そのものや、自然の美しさを謳う詩に触れたときに湧き上がる心の動き。木々や草花を見て美しいと感じる心、百人一首や漢詩を読み、揺さぶられる感情。それらは、情の緒が自然と確かに結びついているような、そんなイメージだった。 本書における「情緒」も、そのような自然との繋がりを意味しているのだろうかと考えていたところ、解説で見事な表現に出会った。「『自然が人間に差し出してくれるもの』を上手に受け取って生きるための通路」。なるほど、情緒とは「自然への通路」なのだ。この表現によって、私が抱いていた「情緒」のイメージがストンと腑に落ちた
11投稿日: 2025.04.21 - くろ@骨肉腫患者"powered by"
2025年2月22日、YouTubeで「本を読むこととお金持ちになること」と検索して出たショート動画「保存必須!賢くなれる本3選」のコメ欄で、皆がおすすめしてた本。 コメ欄より: ■岡潔「春宵十話」 情緒と直観の重要性を信じられるようになった。 ■鈴木大拙「日本的霊性」 平安時代の女性的な貴族文化に対する言及が、現 代の文化にも通じているのではないかと思い、大 地に立つ生活の重要さを考えさせられる。 ■小林秀雄雄「生きるヒント」 たぶんオタクの元祖。好きなものを批評する態度 を学べる。 https://youtu.be/zW1jx6LS4ko?si=EpTXRbzGwUm9u9fN
0投稿日: 2025.02.24 - 正木 伸城"powered by"
メモ→https://x.com/nobushiromasaki/status/1832227532772372613
0投稿日: 2024.09.07 - 空中遊園地"powered by"
「人間の建設」を読んで岡潔をもっと知りたくなって。明治は金で岡の時代を銅だと評し、同時代に警鐘を鳴らしている。そうなると果たして現代は。「人間の建設」で触れられた"世界の知力が低下してきている"の意味が分かる。金言に溢れている。
0投稿日: 2024.08.04 - Hockeiji"powered by"
人の中心は情緒である という書き出しで始まる 日本文化の特性がこの情緒を土台に組み立てられていることや、それがいかに美しい心情を生み出してきたかを様々な側面から論じている。 そして昨今の教育制度がいかにこの情緒的中心が失われ、それによって子供たちの創造性が阻害されてきたか警鐘を鳴らす 特に前半はあるべき日本人観のようなものが書かれていて名著。日本有数の数学者が書いている点も大変興味深い 情緒とは自然が人間に差し出してくれるもの を指していると解説にあった 人の人たる道をどんどん踏み込んでいけば宗教に到達せざるを得ない。 人の悲しみがわかること、そして自分もまた悲しいと感じることが宗教の本質ではなかろうか。キリストのいう愛も同じことを言ってると思う。 宗教の世界には自他の対立はなく、安息が得られる。しかしまた自他対立のない世界には向上もなく理想もない。だから自分は、純理性の世界だけでも、宗教的世界だけでもやっていけず、両方を兼ね備えた世界で生存し続けるであろう。 秩序を保っているのは法律ではない。それは道義心に他ならない。義務教育は、この道義的センスをつけることに尽きる。 1、2、3歳は母が愛と信とを教え、4、5、6は父が信と欲とを教えると良い。 漱石 自分の小説は少なくとも諸君の家庭に悪趣味を持ち込むことだけはしない 宇宙があるから地球があるのではなく、たった一つ奇跡の地球のために宇宙があるのかもしれない 真実美は、求めれば求めるほどわからなくなるものだと思う。わからないものだということを一般の人がわかれば、それだけでも文化水準は上がるに違いない。
0投稿日: 2024.01.30 - ゲレーロ"powered by"
読み終え、まず思ったことは、岡先生が今生きておられたら国の行く末に絶望するほかないだろう、ということでした。 本書で明かされる岡先生の案じた日本の教育の乱れや西洋化一辺倒でアイデンティティを失いつつある日本人の在り方。数十年の時を経てその通りになっている部分もありつつ、加えて、近年ではAIの普及も手伝って情緒を排したとて正解にたどり着ける選択肢が増え、成果を効率的に得るビジネスハックが隆盛していますが、岡先生はまさにこのような観念的な世相こそ危惧しておられたのではないでしょうか。 そういった国を憂う考えが展開される中、教育を扱ったトピックが非常に多く、岡先生は教育に日本再生の望みを託されていたのだと思います。特に「情緒」「情操」「道義」は本書でも重ねて使用される最も重要なキーワードだと思います。 教育への言及の中でも秀逸なのが、本書の中盤にある「道義教育の根本は悲しみがわかるということで、幼い子供には悲しみの感情が最も教えにくい。だから、小学校に入るまでは人が喜ぶからこうしなさいと教えられても、人が悲しむからこうしてはいけないとは教えられない。」(意訳)という考察でした。これは現代社会にも通ずる鋭い考察だと思います。 何事にも情緒が中心にあって学びや教育があるという岡先生のシンプルな考え方を以って現代を捉えた時、まさしく情操/道義教育をなしに悪趣味な刺激や動物的な教育に子ども達が晒された結果が、今現在の半狂乱の世相に繋がっているのではないか、と考えると裏付けがないのに妙に納得がいってしまうのは不思議なものです。 本書では一部、かなり偏った主観的な意見、データに基づかない意見も多々あり、現代の感覚では受け入れられない言葉遣いも見受けられます。しかし、それでも読者を立ち止まらせ考えさせてくれるような力を本書は大いに秘めていて、日本人とは何か知る上で今こそ読む価値のある書籍だと思いました。
3投稿日: 2023.07.26 - ユウダイ"powered by"
【読もうと思った理由】 直前に読んだ「人間の建設」は、岡潔氏と小林秀雄氏の対談を一冊の本にしたものだが、非常に読み応えがあり、また感銘を受ける箇所も多かった。二人ともそれぞれに特徴があり、小林秀雄氏にも当然興味を持ったが、僕は岡潔氏に、より惹かれてしまった。一般的に数学とは、論理的な学問と言われている。ところが岡氏は、数学にしてもどんな学問にしても、その中心にあるのは「情緒」である、つまり、心なんだと訴えている。岡氏が情緒にそこまで固執する理由を理解したく、また、岡潔氏本人にも興味がかなり湧いてきた。晩年には数学の研究のみならず、思想家として数多くの随筆(エッセイ)を残した。岡氏の代表作として名高い、本書「春宵十話」を読んでみたくなった。 【岡潔氏って、どんな人?】 1901年4月19日、大阪府で生まれる。しかし、育ちの故郷は和歌山県橋本市。若い頃から学問の才能を持ち、小学校のころは飛び級などもしていたそうである。その後、旧制粉川高校、旧制第三高校を卒業。旧制粉河中学校3年の時に、父親の書斎からクリフォードという数学者が書いた『数理釈義』という本を偶然見つけて読んだことにより、数学に熱中していくようになる。毎日、本の中に記載されている定理を、画用紙と定規とコンパスを使い証明していたという。 1922年には京都帝国大学理学部(今の京都大学理学部)に入学し卒業。おかしな行動が目立ち始め、変人と言われるようになってきたのもこの頃からという。卒業後は同大学講師、教授とエリートの道を進んでいく。生涯の伴侶となる小山みちともこの頃に結婚をした。 1926年ごろからフランスのガストン・ジュリアという数学者の論文にハマり、論文が擦り切れるほど読み込んだ。このことから留学することがあれば、絶対ジュリアが教鞭をとっているフランスのソルボンヌ大学に行くと決めていた。 その願いが叶い、1929年から3年間フランスに留学する。ここで岡はソルボンヌ大学に在籍し、ジュリアに師事しながらひたすら数学を研究していく。その熱中ぶりは数学以外の雑務は一切せず、食事も一日に一回しかしてなかったほどであった。そんな中、岡はある一つの研究題材にであう。それが生涯を通して向き合うことになる「多変数函数論」であった。これはこの頃注目され始めたが、難しすぎるため誰も手に付けていない、まさに岡のためにあるような題材であった。 このフランス留学の時期には一本の論文も書いていないが、これに出会えたことが岡にとっての最大の収穫であった。 また、この頃に生涯の親友となる物理学者であり、後に世界で初めて雪を人の手で作ることに成功する中谷宇吉郎、その弟であり考古学者である中谷治宇二郎と出会う。宇吉郎とは下宿先で筋違いの部屋を取り、毎晩のように語り合った。そして兄を頼りに単身で渡仏してきた治宇二郎とも出会う。治宇二郎とは特に仲が良く、岡は治宇二郎との出会いを「フランスでの私の最大の体験であった」と語っている。宇吉郎が研究のためベルリンへと去った後は二人はほとんど一緒にいたという。 しかし、治宇二郎は突如結核に倒れてしまい研究の中断を余儀なくされた。病身の彼を献身的に支え続けたのが岡と、フランスに合流した岡の妻のみちであった。二人は国から渡される留学費用を節約するため狭いアパートに移り、余りを治宇二郎の医療費と生活費にあてた。また、治宇二郎を一人でフランスに残すわけにはいかないと考えた岡は留学期間を延長してもらい、治宇二郎と共に帰国した。 帰国後は広島の大学に勤務する。4年を過ぎたころに岡はある事件を起こしてしまう。それは川沿いを歩いていた二人の中学生を襲い、彼らから学帽に靴、書籍を盗んだのである。この事は被害者の父兄に訴えられ岡は逮捕されてしまう。さらにこの一件が新聞に大きく報道されてしまった。医者は岡を「過度の勉強により、神経に異常をきたした」と診断する。 この頃に岡は「クザンの第二問題」という多変数函数論の非常に難しい問題を研究していた。これは現代数学の根底をなす非常に重要な分野であり、後に「岡の原理」と名付けられた。しかし、これが難しすぎたために精神を病んだというのである。実はこの事件の3か月前に治宇二郎が病により34歳の若さで死亡している。治宇二郎を失った衝撃も少なからずこれに影響していると考えられる。 この事件や精神状態により、大学を休職、後に辞職を余儀なくされ無職となった岡は、故郷の和歌山にて13年間にも及ぶ数学研究のみの生活に入る。この間、職もなかったため持っていた田畑を売り、奨学金のみで生活していた。一時期、北海道の大学で一年ばかり教職についたが、基本的には和歌山で生活した。研究が進むうちに生活は一層苦しくなり、家族五人のために土地や財産を次々に売り払い、ついに住む家もなくなり、村人の好意でやっと物置を貸してもらいそこに住んでいた。1945年の敗戦直後の食糧難の時代にはイモをつくり、イモをかじって飢えをしのぎながら、研究に取り組んだ。 この期間で岡はとある記録をつけており、それは起床した時の精神状態を「プラスの日」と「マイナスの日」に分けるというものである。プラスの日は知識欲が頭の底からどんどん湧き、身の回りのあらゆるものを考察しまくるのだが、マイナスの日は布団から起き上がることすらできず、無理に起こそうとすると激怒する。このため、岡は今でいう、躁うつ病であったと考えられている。 そんな岡を支援し続けたのが友人たちである。フランスで出会った中谷宇吉郎は、岡の精神状況が悪化したと聞けば、自分が療養に来ている静岡の温泉に岡を呼び療養させたり、「雪の結晶の研究」で得た賞金を、岡に送金し続けたりした。旧制第三高校時代の同級生であり、京大教授であった秋月康夫は岡の相談によく乗ったり、岡の世界的評価のきっかけとなった論文をフランスの学術誌に掲載させることに尽力したり、職がなかった岡のために奈良女子大学の教授に岡を推薦したりした。 これらの人たちの協力により岡は、研究に専念でき、ついに世界に名が知られることになる。 世界に研究が認められたことにより、岡の名は一躍有名になる。そして1960年には文化の発展や向上にめざましい功績を挙げた者にのみ授与される、最高の栄典である文化勲章を受章する(同年の受賞者は作家の吉川英治など)。なお、これだけでなく業績が認められた後の岡は、様々な勲章を受け取っている。 その後は、職場でもあった奈良女子大がある奈良に移住し、日本人の心についての哲学書や随筆を著したりしながら、数学の研究をし続けた。 1978年3月1日に奈良で死去。享年76歳。妻のみちも後を追うように三ヶ月後に死去している。 【本書概要】 「情緒の中心がそこなわれると、人の心は腐敗する。社会も文化もあっという間にとめどもなく悪くなってしまう」——数学者として世界的な難問を解き天才と呼ばれた岡潔は、一方で思想家としても多大な影響を残した。日本の文化を培ってきたのは自然に根ざした「情緒」であり、戦後急速に西欧化が進む中、その伝統と叡智が失われることに鋭い警鐘を鳴らす。本質をみつめる精神の根底を語る代表的名著。 【感想】 「人の中心は情緒である」 上記は本書“はしがき“の冒頭の一文である。本書を読んでいると、「情緒が大切」ということが、それこそ何度も出てくる。著者の岡潔氏は本気で、「人間が生きていく上で、最も大切なことは情緒である」と、信じきっているのが伝わってくる。そもそも「情緒」って、感情とイコールなんだっけと、ふと思った。 岡氏は決して感情とは書かずに、情緒と書いている。認識が間違っていたら、まずいなと思いwebで調べてみた。webの辞書には、「事に触れて起こるさまざまの微妙な感情。また、その感情を起こさせる特殊な雰囲気」とある。大筋では合っているが、少し違う。微妙な感情と、感情を想起させる雰囲気か…。なるほど、僕が感じた感情との違いは、もちろん感情は大事だけれども、その感情が動く為のきっかけになるトリガーが、大切なんだと僕は感じた。 人と人とのコミュニケーションでも、相手がいま、どう感じているかや、相手の気持ちに寄り添うことなど、コミュニケーション本などを読むと、どの本にでも書いている。大多数の人が分かっていることであるから、恐らく普段のコミュニケーションにおいて、「これぐらいは配慮してくれるだろう」とか、「これぐらいはしてくれるだろう」という期待は、大抵の人がしているのではないだろうか?そこで自分が行った行動が、相手の期待する範囲内であれば、多分相手の心(感情)は動かない。だから相手の心を動かすのが、難しいのだろうなと思った。 じゃあ逆に、相手の感情を揺さぶれるほどの行動ってどんな行動かを考えた時に、岡潔氏が祖父から受け継いだ言葉が、ようやく胸に染み渡った。その言葉は「人を先にして、自分を後にせよ」だ。この言葉って、「ただ謙虚に生きよう」って、軽い言葉ではなかった。実は「人間の建設」にも、この祖父の言葉は書いていた。よく考えれば、このことを徹底的に実施していた行動を、岡潔氏の人物紹介のエピソードの中に、僕自身が書いていた。 フランス留学時に中谷治宇二郎氏が結核に犯された時に、自分や奥さんの住まいを狭いアパートに移し、お金を浮かした。その浮いたお金で留学期間を1年延長し、自分や妻のことなど完全に後回しにして、献身的に看病するなど、なかなか普通の人には出来ないと思う。それを岡潔氏が出来たのは、幼い時に祖父から口酸っぱく言われた、「自分のことは後回しにして、人のことを先にしろ」という格言を、徹底して実直に実行し続けたからなんだろう。 実際その際に中谷氏のために尽くしたことによって、その後、自分が人生で最もピンチになった時に、その兄である中谷宇吉郎氏に、長年に渡り金銭的援助をしてもらえたことにより、最大のピンチを乗り越えている。それは、見返りを期待して実施した打算的善行ではなく、心からの尽力であることが、お兄さんに伝わったからであろう。それが岡潔氏が「人間の建設」でも、本書「春宵十話」でも、再三にわたって伝えていた「情緒を大切に」(思いやりを大切に)ということなんだなと実感した。 そういえば、僕が今までで最も感銘を受けたビジネス書(コミュニケーション本)が、デール・カーネギーの「人を動かす」だ。その本に載っているエピソードで、特に好きなエピソードがある。それは、アンドリュー・カーネギー(鉄鋼王)のエピソードだ。かなり有名な話なのでご存知の方も多いと思うが、アンドリューが自分の墓石に刻んだ言葉が、「おのれよりも優れた者に働いてもらう方法を知る男、ここに眠る」だ。自分が死んだ後までも、自分のために働いてくれた人を持ち上げるなんて、人を褒めることに心底徹底しているなぁと、恐れ入ったことを思い出した。 まさか。もしかしてと思い、webで調べるとあった。墓石ではないが、生まれ故郷の紀見峠に岡潔氏を称えた顕彰碑に、かなり大きく彫られている。「人を先にして、自分を後にせよ」と。それを見つけたとき、心底痺れた。 【雑感】 次は予定通り、三木清氏の「人生論ノート」を読みます。この本はだいぶ期間が空いてしまいましたが、以前読んだ本、「行く先はいつも名著が教えてくれる」で、名著として紹介していた本です。哲学者としてもハイデカーに師事していたとのこと。初読みの著者だが、期待して読みます。
94投稿日: 2023.07.04 - rui369"powered by"
人の中心は情緒である。日本人とは何か?人間とは?この世界とは?を考えるためのヒントを沢山頂ける逸出した随筆。
0投稿日: 2023.06.05 - ぴかお"powered by"
著者の考えを半分も理解出来なかった感じがする。文章などが悪いのではなく、自分の考えが及ばないところが多分にある。抽象的な部分は、繰り返し読んだり経験を重ねることで分かることがあるだろう。ただ、数学は脳みその切れ味みたいなのをフルに使う学問と思いきや、5感で感じる事、調和や美しさを捉える感性:じょうちょが土台になっている事。百姓の例えは面白かった。
1投稿日: 2023.04.30 - ムーママ2号"powered by"
ある先生のお薦めに従い読んでみたもの。ところどころ難しく感じる箇所があり、読みこなせた感じがしないのは、おそらく私の教養が足りないせいだろう。具体的な話は面白く読んだが、感覚的な話については表面的な言葉は理解できてもピンとこない箇所があった。数学と心の関係も、よく理解できない。でも、上手く言葉にならないが、面白い人だなぁと思う。天才というのは凡人には理解しきれないのだと感じてしまうが、それでも知りたいという興味をそそられる。強烈なほどに自分がある人は面白い。
1投稿日: 2023.04.23 - etoile"powered by"
このレビューはネタバレを含みます。
p131の義務教育秘話の天才教育はとても理に適っているなぁと共感できた。平等に教育の機会を与える日本の方法は悪くないけど、特別扱いする人が出るのは良くないというのが良くない考えで岡先生はそれを悪平等教育とおっしゃっていたけど、なるほど、その通りだなと思った。
1投稿日: 2023.04.20 - pompokotaro"powered by"
1901年生まれの著名な数学者・大学の先生のミニコラム集。岡さんの経験した青少年期は今と違って自然との触れあいが多かったのだろうなと感じられ、情緒の調和(安定)の大切さに気付かれたのかもしれないですね。スマホやパソコン漬けで、切れがちの人が増えてきている今こそ、学びが多いと感じました。数学・算数の上達論のヒントも面白かったです。
2投稿日: 2023.02.19 - ひーら"powered by"
「近頃のこの国のありさまがひどく心配」と憂う高名な数学者のエッセイ。「頭で学問をするものだという一般の観念に対して、私は本当は情緒が中心になっているといいたい。」と、学校教育のあり方について持論を述べる。 1960年前後の文章で古くさい箇所も多いが、その指摘は今の酷い学校教育の状況にも当てはまる内容で、こうしてみると教育問題って本当に根深いなと思わされる。著者が60年後の現在の状況を見たら何て言うのかな。 #岡潔 #春宵十話 #角川ソフィア文庫 #読書 #読書記録 #読書記録2022 #岡潔 #春宵十話 #角川ソフィア文庫 #読書 #読書記録 #読書記録2022
4投稿日: 2022.02.06 - glideoff"powered by"
幼い人が書いたのかと思うくらい簡明で純朴な文章に驚かされる。人柄が文章に表れすぎている。溢れ出す人柄を、文章という形式が抑えきれていない。情緒とは自明を自明と見る働きであるそうだ。全く思いもよらぬ定義であった。しかし、そんなわけあるかといくつか情緒をその観点から考え直してみると、まったく当てはまっているようにも思える。天才の発想としか思えない。
2投稿日: 2022.01.27 - okayamania"powered by"
シブい(随筆) かかった時間 不明 数学者(かなりすごいらしい)岡潔の随筆。新聞に連載されたもの? プラスアルファ? 内容の半分くらいは、非常に前時代的で、頭の固いおじいさんの説教。曰く、日本から情緖が失われている、だとか、女性の顔がキツくなっている、だとか、今の教育は間違っている、だとか。 残りの半分くらいには、数学者(かなりすごいらしい)としての自分を作っているのは何か、数学とはどのような学問か、自分の場合に学問的ひらめきはどのように訪れたか、が綴られており、個人的にはこの部分がめちゃくちゃおもしろい。特にこの人の場合? 他の人も? 数学的インスピレーションが文学や芸術に支えられているようで、文学論や芸術論なんかにも筆が進んでいる。 そして、頭の固いおじいさんパート(顔はともかく、情緒と教育)も、数学者パートと併せて受けとれば、前時代的ではあるけれど、説得力がある。 たしかにな、と思う。 いずれにしろ、数学者パート(生い立ち、ひらめきかた、芸術を含む)がおそらく唯一無二でとてもよい。
2投稿日: 2020.04.11 - katohiroki"powered by"
このレビューはネタバレを含みます。
娘が学芸大学に行っているので教育学を学んでいる学生たちのことを聞いてみたが、ひどいものだと思った。「何々教育学」というものがそこら中いちめんにあり、必ず出席をとるだけでなく試験をする。おもしろくもないのを覚えなければならない。ゼミナールだ、講義だといって自分の勉強はちっともしていない。こうして本来のものからはずれたものになり、理性が理性として働かず、鉛のさびをかぶせたようになってしまう。 こういう人たちが先生になり、その調子で教える。義務教育の子に遊ぶひまもないくらいいろんなことを教え込む。その結果、子供たちは、わかってもわかっていなくてもぼうっとしていることになり、いろいろなセンスが欠けて正義心、廉恥心も働かなくなるのだ。 近ごろは集団として考え、また行動するようしつけているらしいが、これこそ頭をだめにしてしまう近道だと思う。人の基本的なアビリティーである他人の感情がわかるということ、物を判断するということ、これは個人が持っているアビリティーであって、決して集団に与えられたアビリティーではない。学生たちに最初から集団について教え、集団的に行動する習慣をつけさせれば、数人寄ってディスカッションをしないと物を考えられなくなる。しかしそれでは少なくとも深いことは何一つわからないのだ。
4投稿日: 2020.03.08 - 国中千鶴"powered by"
キーワードは“情緒”。 →https://ameblo.jp/sunnyday-tomorrow/entry-12142356616.html
0投稿日: 2019.10.31 - モーリー"powered by"
数学者岡潔が毎日新聞紙上で連載し人気を博していたエッセイ集。「私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと答えて来た。」全然次元は違うが勝手に勇気をもらっている。「すべて成熟は早すぎるより遅すぎる方がよい。」糸井さんも同じような趣旨のことを言ってた、じっくりと農業のように対象に取り組め。「緻密さが欠けるのは一切のものが欠けることにほかならない。」神は細部に宿ると同じ意味か?「本だって読むことより読みたいと思うことのほうが大切」合間合間の時間こそがひらめきを生む。
1投稿日: 2019.07.19 - kyan88"powered by"
約50年前に書かれた書物であるが、内容は今でも全く色あせていない。 「人の心には情緒がある」 著者は、日本文化の特性がこの情緒を土台に組み立てられていることや、それがいかに美しい情緒を生み出してきたかを、様々な側面から論じている。 また、戦後の新教育制度の中で、いかにこの情緒的中心が教育の現場から排除されてしまっているか、それによっていかいに子どもたちの創造性が阻害されたかを示して、警笛を鳴らした。 P200
3投稿日: 2018.10.12 - 小野不一"powered by"
ダイヤモンドは磨かなければ光を発しない。松村記者の筆記・編集という行為が研磨作業となったのだ。いい仕事である。タイトルは「しゅんしょうじゅうわ」と読む。 https://sessendo.blogspot.com/2018/08/blog-post_90.html
0投稿日: 2018.08.21 - Maxy"powered by"
50年前の教育論。岡潔自身が自分の成り立ちを正当化しているようで、些か鼻に付く感じがしないでもないが、情緒を育む義務教育の在り方は、氏が主張する通りである。 個人的には岡潔が同じ場所を眺めていたと知って感激。
1投稿日: 2018.03.10 - show"powered by"
このレビューはネタバレを含みます。
何故かわからないが岡潔さんがTVドラマになったので著書を借りてみた。 数学者として凄い人だったとのことであるが,エッセイも素晴らしい。全面的に合意できる訳ではないが,21世紀の今でも当てはまるというか,今になっても解決されないというか,悪くなっていることの方が多いか?
1投稿日: 2018.02.25 - mk"powered by"
冒頭、人の中心は情緒である。その言葉に衝撃を受ける。数学者の言葉であること、普段あまり考えていなかったことだからだ。岡潔は思想家でもあったことを知る。教育について多くを語る。自分自身が受けた戦後間もない頃の教育を考える機会となった。数学者は百姓、物理学者は指物師という。なるほどだ。便利だけど落ち着かない現代社会。今、現代にこそ読まれるべき本だ。
1投稿日: 2018.01.17 - clloudthick"powered by"
表題作の春宵十話には、数学者・岡潔の人生が語られている。そこには一般的なイメージでしか数学を知らない私には驚くようなことがたくさん書いてあった。 なによりもまず、人の中心には情緒がある、数学を成立させているのもこの情緒である、というのが岡さんの主張である。「芸術の目標は美の中における調和、数学の目標は真の中における調和」といった表現もあった。私個人の言い方になってしまうが、数学というのが人間の生の営みからすればごく限定された自意識の中でやるものと思っていたけれど、この本を読むと、それは人間の知られざる領域までを駆使した肉体的・総合的な営みであり、どこか自然の中に投げ出されているようですらあった。そこには風が吹き、すべてのものとつながるような清々しさがあった。 後半のエッセイには、最近の世の中や人の心はどんどん悪くなっていて、それが心配である、ということがたくさん書かれている。その心情を汲むことには努めたいが、あれもこれも悪くなっている、という見方をすることには賛成できなかった。孔子さまの時代から続くこの観察には、必ずしも客観的とは言えない観察者の視点の問題も含まれていると思うからだ。
4投稿日: 2016.11.26 情緒と直感の数学者…。
数理の直観的発見と計算による発見があり、それは芸術についても通じるのだ! …などと言ったら、なんだこの偽教養人め、と思いたくはなります。 ですが、相手が多変数解析の先駆的実践者で、文化勲章受章者で、三次方程式の解法を現代とはいえ三日で導ける天才がいうのなら話は別です! う、う、うーむ。岡潔先生、教養人気取って批評してすいません! まあ、それはそれとしてエッセイの内容としては、芥川龍之介や夏目漱石のような文学者を数理学者の目でみるとどう見えるかが知れて興味深いです。 芥川は詩人で、夏目は豪傑なのですね。うん。分かります…、いや、わかりますよ、本当に! 夏目が諸君の家庭に悪習を持ち込まないと言ったように、岡先生の豪快さと天才、そして戦前と戦後を分ける戦後のとらえ方がよくわかる一冊です。 …私も三次方程式を三日で導けるか試してみようかなあ。 なんちゃって。星5つ。
5投稿日: 2016.09.30- もの知らず"powered by"
昔から数学が苦手だったので、数学者の随筆をいつか読んでみたいと思っていたところ、見つけたのがこの本でした。 おそらく自分の理解のおよばぬ考えを持っているのだろうと思いながらいざ本を開いてみると、”数学とは「自らの情緒を外に表現することによって作り出す学問芸術の一つ」である”という驚くべき宣言が目に入る。数学は表現手段であり、芸術なのだ。これを覚えろ、答えを出せと言われ続けてきたわたしの数学は、まさに「わかったかわからないかもはっきりわからないのに、たずねられたらうなずく」教育だった。 数学というと無味乾燥した小難しい計算だと思ってしまうけれど、この筆者の考えていることはとてもシンプルなことだとわたしは思う。つまり、当たり前の物事を当たり前だと見通す純粋な目を養うということ。これに尽きる。純粋な目を養うということは、見えるものをそのまま受け入れる心をもつということだから、これは情緒の問題にほかならない。 こう考えたうえで昭和44年に著されたこの本を読んでみると、筆者の危機感はまったく色褪せないどころか、ますます重みを増しているように思える。わたし自身が今もっとも共感を覚えるのは、この一文である。「ただ、選ばれるべき優れた人というのは、少なくとも日本のくにでは、情緒のきれいな人という意味である。邪智の世界の鬼才と混同してはいけない」。物事を否定し相手を黙らせる人が優れているのではない。本当の物事を本当だと見通し、相手の悲しみがわかるということ、そういう純粋な目を持った人間を選ぶということ。それには、選ぶほうもそういう心を養わないといけない。動物性が入り込み、人の情緒が崩れれば、社会も文化もあっという間に悪くなってゆく。
2投稿日: 2016.08.19 - yo"powered by"
購入。 「情緒」が失われているという。情緒とはどのようなものか、きちんと説明されないが本文のいたるところに出てくるので何となくイメージがつかめる。 目先の刺激が強いものを受け取り過ぎて、細かなニュアンスが分からなくなっていると言われると我が身を省みてしまう。そして一度失われた情緒は回復しないというのも分かる気がする。周りからも失われていたら自分だけでは回復させられないし、緩やかにしか育てられないものだと思うから。 解説にあるように自然から色々と受け取れるよう経路を確保しておきたい。
1投稿日: 2015.03.29 - aikido10"powered by"
2014/12/16図書館から借りてきた。 人の中心は情緒である。と岡潔は言うが、どういう意味であるのか。 私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと答えて来た。 新明解国語辞典によると、 情緒とは、その・もの(場)に接した時に受ける、特有の情趣。 情趣とは、そのものに接した人に感じさせる、ほのぼのとした・よさ(味わい)。 情操とは、美しいもの、純粋なもの、崇高なものを見たり聞いたりしてすなおに感動する、豊かな心(の働き)。 これらを踏まえて、岡潔の情操、情緒という言葉を眺めて見たい。 購入。 何回も読まないと分からないだろうなぁ。何回も読みたい内容だなぁ。
1投稿日: 2014.12.16 - long2ago"powered by"
2014/11/24読了。 偉大な数学者らしいがほとんど存在を知らなかった。この本で語られている内容は「情緒」をキーワードとした著者の考えである。今時「今の教育はダメだ」系の文章がストレートに読めるのは新鮮だった。少し「何様だ」と思うような文章が無いでもなかったが。
1投稿日: 2014.11.25 本の内容よりもまず先に
語彙の豊かさに驚きました。 使われている言葉が難解でもなく、私にも十分理解できる。 ただ、普段使わない、見かけない。 自分のボキャブラリーが貧弱というのもありますが、それらの言葉が違和感もいやみも無く普通に使われていることに愕然としたというか。 最初から最後まで、なんと知性の高い人なんだろうと思いながら読んでいたという感じです。 今まで本を読んで来た中で、初めてそんな風に思いました。 誰にでもわかるように表現することについて、改めて考えさせられました。
3投稿日: 2014.11.12- nyankoteacher"powered by"
優しい手触りに見えるが、きりり、とした厳しさも感じられる。宗教にも傾倒した著者であり、観想というものがベースになっているようにも思う。
1投稿日: 2014.05.30