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タテ社会の人間関係 単一社会の理論
タテ社会の人間関係 単一社会の理論
中根千枝/講談社
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総合評価

105件)
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    「資格」でなく「場」による集団の形成が日本社会のベースとなってきたことは納得できるが、コロナ禍を経たテレワークなどオンラインツールの発展により、「場」のあり方や密度は変化しているはず。 単一性という日本社会の前提的な特徴は変わらないだろうが、集団形成の根底だった「場」が変容することで、どのように人間関係は変わる、ないし変わらざるをえないのだろうか。 今後数十年の変化を過ごすにあたり、記憶に留め置きたい内容だった。

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    投稿日: 2025.08.17
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    『タテ社会の人間関係』を今後にどう活かすか (中根千枝『タテ社会の人間関係 ― 単一社会の理論』を読んで) 1. 「人間関係の作り方」に注意を払う 日本では「何を知っているか」より「誰とどう関係しているか」が重視される。 今後は、「能力」や「実績」以上に、**人との“つながり方”**を意識することが重要。たとえば、 •初対面でも共通の“場”(出身校、所属、紹介者)を探す •上下関係に敏感であること(先輩・後輩、上司・部下) •「義理・人情・筋」を大事にする → 結果よりプロセス、人間関係の文脈を意識して行動することで、日本社会での信頼形成がしやすくなる。 ⸻ 2. 「ウチ」と「ヨソ」の境界を見抜く 日本では「仲間」か「部外者」かで対応が大きく変わる。 組織や集団の中で、自分が「ウチ」として受け入れられているかどうかを見極め、それに応じて言動を調整する。 •「ウチ」と認識されたら信頼関係を深める努力を •「ヨソ」なら無理に主張せず、まずは観察と共感から → 空気を読む、役割を演じるといった“場の感覚”が、結果的に仕事や交渉をスムーズに進める力になる。 ⸻ 3. 「上下関係」の中で自分の立ち位置を理解する 欧米の「ヨコ社会」ではフラットな関係が理想だが、日本は「タテ社会」で動く。 無理に「対等」を主張するのではなく、立場を踏まえた発言やふるまいが求められる。 •上司には敬意をもって接し、指示を咀嚼して実行 •後輩には面倒を見る姿勢を持ち、信頼を与える → 役割を理解し、上下関係のなかで**「調和」と「主張」のバランス**を取ることが成功の鍵。 ⸻ 4. 変化より「継続・忠誠・所属」を重んじる文化を理解する 転職や異動が多い人より、ひとつの場に根を張る人が評価されやすい。 今後のキャリアにおいて、「場への貢献」「継続性」「忠誠心」が評価される傾向を頭に入れておく。 •長く関係を築ける人・場所を大事にする •すぐに結果を求めず、時間をかけて信頼を築く •環境が変わっても、一定の「義理」は守る → 「短期成果」より長期的な信頼関係を資産として築いていく。 ⸻ 5. グローバルな視点を持つことで「タテ社会」のクセを相対化できる 日本的価値観に慣れすぎると、外に出たときに適応しづらい。 「タテ社会」を活かす一方で、外の社会との違いも理解することが必要。 •海外や異文化では「成果・契約・個人主義」が基準 •フラットな議論、合理性、率直な意見が評価される → 自分の中に「タテ社会モード」と「ヨコ社会モード」の両方を持ち、状況に応じて切り替えることが今後の武器になる。 ⸻ 最後に:自分の武器にするには? •人間関係は“能力”より“空気と関係性”で動くと心得る •無理に逆らわず、「役割」を理解してふるまう •日本的な人間関係に疲れたら、「一度ヨソになる」戦略も持つ •日本社会の構造を理解したうえで、自分なりの“生きやすさ”を探る AIに書いてもらいました。

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    投稿日: 2025.07.25
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    日本的な『ウチ』と言う時の西洋的な『私たち』とは異なる自己中心的で排他的な意識や、日本人は働き者や怠け者と言う考えはあっても、個人間の能力の差を認めない素朴な人間平等主義を持つと言う点など、改めて考えるとすごく腹落ちする部分がありましたが、人間平等主義なのに上まで行ける人は一握りで、下層では同じようなレベルの人が足の引っ張り合いをしている、なかなか成長が難しい環境だなぁとも思いました。 西洋と言う物差しを使わないと言うわりには西洋との比較が出てきたり、その時代に他の人よりも西洋的なものに触れる機会の多かった個人の感想ではかいか?と思われる部分も出てきますが、戦後20年、現代から60年前の本であるにも関わらず、現代に生きる我々にも改めてハッとするような学びが多くある本だと思います。 言い過ぎかもしれませんが、日本や日本人を批判する意見の多くはこの本に書かれている日本的な気質によるものを批判しているとまで言えるかもしれません。

    0
    投稿日: 2025.07.21
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    中根千枝の著書『タテ社会の人間関係』は、日本人の人間関係や集団構造の特質を「タテ社会」という概念によって明らかにしようとした画期的な研究である。本書は、日本社会における人間関係のあり方を、西洋的な個人主義社会と比較しながら、文化人類学的・社会構造的に分析している。 中根は、日本では個人の資格や能力ではなく、まず「場」への所属が人間関係の基盤になるとする。肩書きや属性ではなく、その人がどの集団に属しているかが、その人の社会的位置を決定する要素となる。これを「場の論理」と呼び、欧米社会のように「資格の論理」(=能力・契約・専門性による個人の位置づけ)とは明確に異なるとする。 また、日本社会では集団内部において「序列」が非常に重視され、上下関係が常に前提とされる。入社年次、年齢、経験年数などにより、先輩・後輩の区別が明確につけられ、それによって権限や役割が配分される。このような上下関係が集団を支配する構造が「タテ社会」の核心である。人間関係は、ヨコの平等な連携ではなく、タテの上下関係によって秩序化される。同期関係が存在する場合でも、それは一時的・限定的なものであり、すぐに競争や出世によって分岐する。 タテ社会における集団は、小規模なヒエラルキー構造を連鎖的に形成しており、それぞれの小集団は密接な情的関係によって結びついている。リーダーは、その序列の中で自然に位置づけられ、特別なカリスマ性や能力によってではなく、年功や人間関係の積み重ねによって選ばれる。リーダーシップとは、構造的な位置づけの問題であり、西洋的な合理的支配や契約的支配とは異なる特徴を持つ。 さらに、日本の人間関係には「ウチ」と「ソト」の強い区別が存在する。集団内部(ウチ)においては協調や忠誠が求められ、強い情緒的連帯が形成される。一方、外部(ソト)に対しては排他的・防衛的な態度が取られることが多い。この「内と外」の分離もまた、タテ社会の重要な構造的特徴の一つである。 加えて、日本社会においては論理よりも、感情が優位に立つ傾向を指摘している。契約や原則ではなく、相手との「情」や「空気」を読み合う文化が支配しており、それが時に合理性や個人の自由を制限する要因ともなる。 ただし、現代においては、個人主義や多様性が重視される風潮も強まっており、「タテ社会」の構造が絶対的とは言い切れない。だが、依然として、日本社会に深く根づく集団意識と序列意識を理解するための有力な道具であることに変わりはない。 ・・・・・・・・・・ 164-165頁を読んだ上での考察。 昨今、意外にも、組織の中における「ゲマインシャフト的集団の弊害」があるのではないか。これは、本来合理的・機能的であるべき会社(=ゲゼルシャフト的組織)において、感情的・閉鎖的な共同体的関係(ゲマインシャフト的性格)が過度に強まり、非合理な意思決定や不透明な権限運用が起こる現象である。 人間関係が権限の源泉になる;能力や役職ではなく、「誰と仲が良いか」「どの派閥に属しているか」で権限が配分される。上司に「気に入られている」ことが実質的な影響力になる。 意思決定が情緒的になる;合理性やデータよりも、「あの人が言っているから」「雰囲気的にそうだから」という判断基準が優先される。意見の異なる人は「和を乱す存在」とされ、排除されやすい。 閉鎖性と透明性の欠如;派閥の中だけで意思決定が行われ、情報がオープンに共有されない。合理的な異議申し立てやフィードバックが機能しない。 序列と情実による評価;実績よりも「長くいる」「気心が知れている」「上に気に入られている」といった要素が昇進に影響する。

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    投稿日: 2025.07.20
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    個人的には全体的に筆者の"感想"が述べられただけな様に感じた。読んでいてなぜなのか?だったり、どういう根拠で語られているのか?などの疑問に思う事が多く、あまり理解できずに終わってしまった。 他の方の評価は高く本書は名著なのだろうけど、自分の理解力が足らず申し訳ない限り・・。

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    投稿日: 2025.07.05
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    日本人が大好きな<タテ社会>という言葉を世に広めたすごい本。 人類学者の著者が人間関係や組織・集団について分析したもので、世界的に見て独特な日本の社会構造を丸裸にしてこき下ろし、トドメを刺しつつ最後にお情けでちょっとだけ光を照らしていくスタイルとなっている。 したがって、伝統ある日本的組織に臣従している愛国心に溢れたピュアな企業戦士のような人が読むと、かえって気分を害することになるでしょう。 いっぽうで、ある程度社会経験を積んでおり、会社という組織に違和感を覚えながらもやもやとした社畜生活を送っている大多数の人にとっては、言いたいことを全部言ってくれている気持ちの良い著作です。 初版1963年なのにいまの世の中にも言えることがたくさん書いてあって、名著と言われるのも頷ける内容。 [目に見える文化という点では、これほどに変わってきているのに、日常の人々の付き合い方とか、人と人とのやりとりの仕方においては、基本的な面ではほとんど変わっていない](序論より、21ページ) ところでなんですけど、<タテ社会>というタイトルが的確でわかりやすいために一種のパワーワードになっているし、実際のところ世の中に浸透するくらいだからインパクトがあるのですが、これは本書の枝葉の1つにすぎず、実はキーワードは副題の<単一社会>。 ・就活に象徴される、職種よりも会社名にとらわれる風潮(資格よりも場が大事) ・下克上という文化にもあらわれた、誰でもがんばれば上に行けるボーダレス社会(人間平等主義) ・メディアや学校、同じようなものが競争しながら存在しているという浪エネ社会(同族意識、同類競争) ・人間関係が理由でこじれる職場、感情という不安定要素で成り立つ人間関係(理性より感情が優先する世界) 社会全体を見ても宗教や階層、地域によるはっきりした独自性がなく、会社や教育機関など各集団を見ても似たりよったり。 出る杭は打たれてゆき個性による違いが均されて、共感と同情がお手本的な全体を形成していった結果としてできた単一社会。 ここには色がないために、人は中身よりも色が塗られた看板にひかれるし、ヨコの多様性がないために、自然とタテの序列が生まれる。 こうして生まれたタテ構造の同類どうしで争い、それぞれのタテ構造内では人間関係を契約やルールではなく、忠誠心や師弟愛や包容力といったふんわりした精神論でつなげている。 対外的には柔軟性がなく、相互的にはエネルギーの無駄、内部的には不安定。 こうした日本的集団の弊害はすべて単一社会から来ているという論旨は、それこそ日本的集団の一員である私にとっては共感の嵐でした。 一番印象深かったし、著者も何度も念押ししているのが、単一社会の組織では、人間関係を感情が支配しているという点でした。 日本人はしばしば、職場で人間関係に悩んだり、それが原因でやめちゃったりする。 これはそもそも、精神論によることでしか集団を保てないという構造のほうに問題があるのであって、職場になじめない新人や上下の板挟みで今にも気が狂いそうになる管理職、彼ら個人の意識を変えるだけでは解決しない壮大な問題なのかもしれないなぁと思いました。 そして感情重視志向が人間関係や組織論だけに根付いた特徴ではなく、あらゆる面について回り、決して悪いことばかりではないところが、日本という国の面白いところです。 感情が大好きな日本、という内容は、最近読んだ岩波新書の<論理的思考とは何か>にも、文章や議論という本書とは違う分野で書かれていて、目的によっては論理的思考という形で、感情的なものである経験と共感が力になってあらわれる場合もあるとされています。 本書が分析する人間関係や組織においても、忠誠心が悪を討ち滅ぼした歴史や戦争からの復興といったように、感情に重点が置かれているからこそ人は覚悟し、団結し、集団としてブチ上がる場合もある、そんな希望も見いだせる内容でした。 社会や組織に根付いた構造を変えるのは難しいし、構造を無理やり変えた時に起こる弊害は、本書が指摘しているようなこの構造が伝統的に抱えている問題点よりも、さらに大きなものに違いないでしょう。 ならば私たちはこの構造を受け容れ、弊害は弊害として理解をしつつ、強みを生かしていくことが順当かと思います。 ただ、本書では日本のような単一社会のネガティブな一面に眩しいくらいにスポットを当てている一方で、その強みに関してはあまり触れられていませんでした。 だからこそ、自分なりに考えてみようかなと思ったし、むしろこの本は、酷評を浴びせた上で、そういう課題を提示しているんじゃないでしょうか。 普段厳しいうえにあとは自分で考えろと突き放す、でもごもっともだから毛嫌いできない謎の先生みたいな本。

    1
    投稿日: 2025.04.13
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    紛れもなく名著。 日本の対立軸としてインドを持ってくることで説得力を増している。 社交、家族、本当の血縁、日本人的一方で所属、ステータスソサイエティ、その組織に一番早く入った人という意味での老人天国など目から鱗だ。 日本は商売下手で製造が得意というのも、本論の枠組みで理解できる。

    0
    投稿日: 2025.02.18
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    東大で名誉教授を務めた社会人類学者である中根千枝による書籍。 1967年発行。 日本の社会的構造を他国のそれと比較する形で分析し、その特徴を解明することが本書の主題とされている。 本書における筆者の主張をまとめると、下記の3つである。 ①日本社会における集団意識では「場」が優先される ② 日本人は「ウチ」「ヨソ」の意識が強く、人間関係の機能の強弱は実際の接触の長さ、激しさに比例する ③日本の組織の階層は強い「タテ」の関係で構成される ①は、一定の個人から成る社会集団の構成の要因は、二つの異なる原理「資格」と「場」の共通性に大分できるという前提に立つ。 「資格」とは、社会的個人の一定の属性を表すものであり、先天的な性別・血縁、後天的な学歴・地位・職業などがある。 これに対して「場」とは、地域、所属機関のように資格の相違を問わず、一定の枠によって一定の個人が集団を構成している場合を指す。 日本社会の組織においては、この比重が「場」に重く置かれている。日本人は、記者であるとかエンジニアであるというよりも、まずA社の者ということを言うし、他人も第一に場を知りたがる。 これは、日本社会は非常に単一性が強い上に、集団が「場」によってできているので、常に枠をはっきりさせて、集団成員が「他とは違うんだ」ということを意識しなければ、他との区別がなくなりやすいためだとされる。 そのために、日本のグループは知らず知らずのうちに強い「ウチ」「ソト」の意識を強めることになってしまう。 結果、ローカリズムが強まり、自集団でしか通用しない共通認識・共通言語が発達する。 さらに、ローカルであることは直接接触的(tangible)であるということと必然的に結びつく。 つまり、日本社会における人間関係の機能の強弱は、実際の接触の長さ、激しさに比例する。日本のいかなる社会集団においても、「新入り」がそのヒエラルキーの最下層に位置付けられているのは、この接触の期間が最も短いためである。年功序列制の温床もここにある。 これが②の主張に該当する。 「場」の共通性によって構成された集団は、閉ざされた世界を形成し、成員のエモーションな全面的参加により一体感が醸成され、集団として強い機能をもつようになる。 これが大きい集団になると、個々の構成員をしっかりと結びつける一定の組織が必要となる。 理論的に人間関係をその結びつき方の形式によって分けると、「タテ」と「ヨコ」の関係となる。たとえば、前者は「親子」「上司・部下」関係であり、後者は「兄弟姉妹」「同僚」関係である。 「ヨコ」の関係は、理論的にカースト、階級的なものに発展し、「タテ」の関係は親分・子分関係、官僚組織によって象徴される。 この内、日本の組織は「タテ」の関係で構成されることが多く、それが故に、同一集団内の同一資格を有する者であっても何らかの方法で「差」が設定され、強調されることによって、驚くほど精緻な序列が形成されることになる。 例えば、同じ実力の資格を有する旋盤工であっても、年齢・入社年次の長短などによって差が生じるというのはこのためである。 これが3番目の主張になる。 以上が本書における著者の主な主張である。 さらに本書ではここから発展して、日本的階層構造の成り立ちと功罪、日本人の能力平等観、社会的分業、日本的宗教観についても述べられる。 また日本的社会構造から帰着するリーダー論と階層のモビリティ(移動性)についても著者の自論が述べられており、非常に興味深かった。 これは、日本の階層構造は強い「タテ」関係で成り立つので、一見弾力性がなく硬直した組織のように見えるが、内部構造は実は非常にルーズに作られているという論である。 つまり、「タテ」線の機能が強く密着しているので、個人の能力次第で自分の上司や先輩の仕事に侵入することができる。これは他の社会であれば強いタブーとして扱われるが、日本の集団内部構造は許容される。 だからこそ、能力の高い若手は自由に羽を伸ばして活動できるので、序列偏重の年功序列の強い組織にいながらそこまで不満を蓄積することなく働けているのだ。 故に、リーダー個人の能力の有無はそれほど大きな問題ではない。日本のリーダーの威力というものは、部下との人間的な接触を通して発揮される。優れた能力をもつ子分を人格的に惹きつけ、いかにうまく集団を統合し、その全能力を発揮させるかというところにある。 これは非常に興味深い考察であると思った。 個人的にも、能力とモチベーションの高い若手が職位を越えて、その組織のタスクを実質的に回しているケースを見てきた。得てしてそうした若手の処遇は年功序列に阻まれて無能な上司・先輩よりも悪いが、彼自身が自由に仕事ができていること、彼の功績は後年になって昇進という形で返ってくるため我慢していることが多い。 従来はそれでもよかったかもしれないが、不確定性が高まり、人材流動性が高まった現在においてこのタイムラグは致命的である。JTCの人事は無能故にこれに気付けていないが。 この議論は本書とは筋が異なるので据え置く。 本書は日本的社会構造の特質、その問題点を鋭く分析した本である。50年以上前の本であるが、その分析は現在にも通ずる精緻なもので、かつ以降の議論に多大な影響を与えてきた。 こうした思考を頭の中に入れておくことで視野が広げ視座を高めることができる。 久しぶりに良い本に出会った。

    6
    投稿日: 2024.03.20
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    本書は1967年に初版が出されたものではあるが、現代社会の会社の中に、そして政治を動かす政党、官僚組織にも概ね当てはまる内容である。少なくとも私が所属する会社も一般的には社員規模数万人の大企業と言われ、本社組織だけでも1000人以上が働く会社であり、本書の言うタテの構造が全く当てはまっている。今日も誰かが書いた稟議書を眺めながら、誰かが提出してくる企画書を忙しく眺めながら、「そこだけ担当してる立場ではないから、こんなに専門的に(さも知ってるかの様に)書かれても解らないよ」との考えを頭の隅に追いやって、まるで無意識でもある様に書類を決裁者に回す。時折、自分の存在に自信を失うほど、決まりきったタテの構造の一部に陥った自分の姿を客観的に眺めて、果たしてこれで良いのかと疑問に苛まれる。但しこうした構造があるからこそ、更に上の上司が世に言う盲印でもそれ程大きな問題になる事もない。決裁もその分早いのかもしれない。一方、他の部署との調整ごとはいつも難を極める。高く、分厚い壁を設けてくる部門間折衝ほど自分の力を発揮できそうで楽しいのだが、無駄な時間に感じられる事が多い。今日数名の部下と面談したが、正に本書でいうタテ構造の中で評価を勝ち得るか。その難しさに話が集中したりする。本来は組織の枠を超えて十分話し合い、役割分担を明確にしてから、スピード感ある施策を施さなければならないのに、どうも本書記載の通り、互いのチームに如何に仕事を持ち帰らないかの闘いの様相を呈して来る。知り合いのデジタル庁職員から話を聞く限り、各省庁間の横の連携も、概ね同じ様な形で仕事が進められているようだ。果たしてこの構造がいつまで続くだろうか。一つヒントになるのは従来の日本型雇用である、新卒一括採用と年功序列から役やり・能力をベースに組織化する形から、欧米のジョブ型雇用に変わりつつある点である。「うちの会社」も早くから実験的にジョブ型雇用を取り入れてはいるもの圧倒的な指示方=トップダウン式の仕事から脱却に至っていない。その辺りが日本的雇用体系、タテ組織の我が国にあっていないのか、中々当社で本格的に進めるのはハードルが高い。 少子化だからこそ、ジョブ型雇用の形を取りたいのだが、何となく上からの抵抗に毎回頓挫する事態だ。 これじゃあいつまで経っても大会社で組織の存在意義を100%意味のあるものにして、有機的に動かすなんて無理なのでは。その様な疑問を抱きながら、自社の組織に置き換えて、時にはメンバーや他の管理職の皆さんの顔が思い浮かびながら、ニヤニヤ読んでいる自分がいた。部門長の皆さんの机の上に配布でもしようかしら。

    1
    投稿日: 2024.01.12
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    日本という社会を明快に分析していると思う。場を基礎とする集団意識、縦を基礎とした樹状構造とそのヒエラルキー、これらは現在でも通じるものがあるだろう。初版初刷りの発行が 1967 年、底本の発表は昭和 39 年 (1964 年) というのが信じられないくらい。入社 2 〜 3 年で転職してしまう若者が当時すでに増えていた (p.56) とはさらに驚いた。

    1
    投稿日: 2023.12.24
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    経営側ではなく、従業員の同期という発想が能力主義を阻み、年功序列を加速させる 日本では、良きディクテーターシップは起こり得ない。だから、リーダーは無能である方が良い。なぜなら、自身で思考できないが故に、全体の意見を吸収させるため。 カースト制度などインドは「資格」が重要だが、日本ではどのような「場」に所属しているかが問われる。そのため嫁にいった娘という本当の血縁関係よりも、婿養子の方が重要視される。

    0
    投稿日: 2023.08.24
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    なぜ日本では傑出したリーダーが生まれないのか、なぜ日本の労働力の流動性が低いのか、年功序列はどのように機能しているのか、、、そういった疑問について1つの枠組みを得ることができた。 60年前の本とは思えないほど、現代でも当てはまることが多くあった。社会が変わるということが、それほど難しいということなのかもしれない。 本書の内容が記憶に新しいうちに『タテ社会の力学』も読むと、筆者の主張がより理解できました。

    0
    投稿日: 2023.06.25
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    感想 時代は変わる。しかし社会のタテ構造はなかなか弛緩しない。気候が人種が、建物の構造が影響を与えているから。長所も短所もある。

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    投稿日: 2023.06.12
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    50年前に刊行されていまだに読み継がれているという日本社会を論じた代表的な書籍になります。いままで読む機会がなくようやく読みましたが、納得する点も多々ありました。原則ではなく人間関係がモノを言う、「ウチ」と「ソト」の意識、などの概念は今でも十分通用すると思います。ただ学術書ではなく一般書を意識してあえてそうしたのかもしれませんが、データの裏付けや検証部分については省かれていて、うがった見方をすれば「それは著者の周囲の偏った社会の中だけではないのか?」ということも言えるわけです。また海外との比較もたまに書かれていますが、英国、インドとこちらもかなり限られたサンプルとの比較であることは否めません。 5節では集団の構造分析ということでタテ、ヨコ、外周というような形で構造分析がなされていますが、私は本書のフレームよりも、エマニュエル・トッドが示した家族構造のモデルの方がピンときています(詳細は例えば『世界の多様性』などをご覧ください)。ただトッドも日本社会の分析となるとあまり切れ味が鋭くないことから(日本人の実感に合わない分析も多々ある)、そこは日本人の中根さんに軍配が上がる、ということで、日本社会の分析については本書が役立つと思いましたが、構造の一般化についてはさほど感銘を受けませんでした。

    1
    投稿日: 2023.05.06
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    メモ→ https://twitter.com/nobushiromasaki/status/1629094524361515008?s=46&t=iIkfXhkLTElgSN9R4n4cAQ

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    投稿日: 2023.02.24
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    タテ社会とは、タテの上下関係でできあがっている社会。動員は早く、一気に末端まで指示を浸透できる。リーダーとの人間関係という感情的な要素が強く、結束が強い。ただし、ヨコの連絡調整はタテの構造を弱くさせるということにもなる ヨコ社会とは、ヒエラルキーによって作られないので、個々の意見が同様に扱われるので、意思決定をして進むには論理プロセスなどが必要になる。また、新規参加にあたっては、同列にすぐ参加できるが、何らかの資格が必要で、排他的になる。ただし、リーダーに依存していないため、個人がいなくなっても、集団組織は存続しえる。 タテ ヨコ 動員力強い 意思決定に工夫が要る 開放的・新規参加容易 排他的・新規参加に資格が必要 横の関係が機能しにくい 孤立などが起きにくい アジャイルの文脈でSAFeというのがあるが、 これはタテを重視してスピードと伝達能力を活かすやりかたになっている。 でも、Amazonなどの組織の作り方や、もとのスクラムというのは、このタテの重視では無かった気がする。タテを使ってスケール指せる要素はあるとおもうが、ヨコを重視する側面がある気がする。 整理がおいつかない。 (追記) タテ・ヨコという構造のほか、契約による構造という提示があった。 なるほど。 タテの社会というのは非常に優しい世界で、個々人を尊重するスタンスがあくまで求められる。 ヨコは、組織を動かすには向かないので、どうもそれだけでは成立しない。 契約の社会というのは、優しさがなくて、厳しさのなかで、組織が一定の契約で結びつく。 これだと、今の日本のメンバは、どこにも守られない中で、耐えられないかもしれない。 ただ、テレワークという中で、タテの結びつきを作る場がなくなりつつあり、さらに組織構造も薄くなった。 この中で、タテを求めて、優しさを求めてしまうと、キビシイ世の中になってしまう気がする。 もう少し整理しよう。

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    投稿日: 2022.08.19
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    常々抱いている組織に対する違和感の正体が分かったような気がした。横のつながりは個人の力で構築できるものではないと納得した。

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    投稿日: 2022.05.28
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    明晰な文章。簡潔で歯切れがよい。 あまりにも人口に膾炙したタテ社会論。これ以前の日本人は自分たちのことをどう見ていたのだろうかと思うくらい。50年を経て日本の社会構造は多少なりとも変化しているのかどうか考えてみる。少なくとも企業社会はタテ社会の構造が色濃いか。

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    投稿日: 2022.04.20
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    中根先生の訃報を聞きようやく読めた。日本人の本質というのは変わらないのだな、1967年初版だもの。それを憂うことはないが日々の仕事生活で感じることばかりだった。そして飲み会の意義…! …海外駐在者の苦労がまたひとつわかった気がする。

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    投稿日: 2022.03.06
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    2/25 日本社会の社会学的構造分析の本。1966年に書かれたもの。日本社会における集団の役割や人と人の関わり方など日本の単一性から生まれる日本ならではの特徴が述べられていた。 Todo この特徴を知った上で、どうすればさらに幸せになれるのかを探求していく。

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    投稿日: 2022.02.25
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    このレビューはネタバレを含みます。

    西欧の理論ではなく、日本社会を日本から眺めて分析しようという本でした。 まず社会集団の構成要件に、「場」の共有性と「資格」の共通性の2つが挙げられています。場というのは、例えば同じ会社とか同じ学校卒とかそういうもので、資格というのは厳密なルールがあり、同じ職種(例えば旋盤工であるとか)とか、同じ父系一族であるとかというものです。 で、日本の場合は、とにかく「場」が重視されていて、例えば「家」についても、よそに嫁いでいく娘よりも、家に入る嫁が重要であったり、独立した息子よりも番頭やお手伝いさんが一族的な立ち位置になったりと、血族という資格よりも家という場に属しているということが重視されます。で、「資格」はルールに基づいているので枠組みははっきりとしているんですが、「場」というのは枠をはっきりとさせておかなければ、曖昧になってしまうので積極的に「ウチ」と「ソト」を区別するという意識になるようです。 そして、「場」による関係性は資格の異なる構成員を結びつけなければならず、必然的に「タテ」の関係が重視されます。一方、資格の共通性による集団は、「ヨコ」の関係が重視されます。「タテ」関係は並列でないものの関係で、親分・子分のような関係です。「ヨコ」は同じ階級同士のつながりとかそういった関係性です。例えば日本の企業は「タテ」が重視され、欧米の働き方は「ヨコ」重視なのではないでしょうか。「タテ」の関係は開放性がある(ネズミ講みたいなイメージ、ヤクザの組織形態ですね)のですが、非常に厳格な上下関係があります。一方、「ヨコ」は並列でお互いに尊重しあえますが、資格外の人を排除するような排他性があります。「タテ」の関係は、開放的ですが、親分を解してしかつながりが持てないために、親分がいなくなると崩壊してしまったり、ある一定の子分を率いて独立するということが起きます。「ヨコ」の関係は、ルールに基づいていますので、親分がいようがいまいがその関係は維持されます。ただ、階級を乗り越えて「タテ」につながることは難しい組織形態になっています。(筆者はインドのカースト制をヨコの例として挙げています。同じカースト同士は非常に結びつきやすいですが、階級を乗り越えることは容易ではありません。日本の場合は、末端同士の同じ立場で団結するというより、どの派閥に属しているかが重視されます)ところで、同期同士はつながりがあるし「タテ」だけじゃなく「ヨコ」もあるという指摘もあるようですが、あくまでも同じ会社という「場」の中の「ヨコ」関係であって、「場」を超えた「ヨコ」関係は成り立ちにくいというのが著者の主張です。

    0
    投稿日: 2021.08.11
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    日本という単一民族、閉ざされた環境で育った人達にとって、年功序列は割と理にかなった統率方法ということが理解できる一冊。

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    投稿日: 2021.07.29
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    固くて読みにくかったけど納得するところいっぱいだった!複数の組織に身をおいてみたからこそ今面白く読めるのかもな~ 「それはそうだけどちょっとold fashionedじゃない?

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    投稿日: 2021.06.10
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    ●企業に入社した頃に読んだ本です。家族的、よそ者意識、単一主義、能力平等観、同僚意識・・・日本社会のキーワードが出てくる。実際に組織では、納得いく言葉だ。 ●それらを、日本のメリットと考えるかデメリットと思うのかは人それぞれ。価値観の差はあると思うが、メリットを伸ばすのが賢明と思います。

    18
    投稿日: 2021.05.19
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    名著とも言われる本書であるが、とてもそうだとは思えない。 日本が儒教に影響されている事を知る者は、日本がタテ社会であることを、著者に改めて言われなくても理解しているであろう。 そこから想像できる事柄を超えて、目新しい事は別に書かれていない。 丸山眞男の『日本の思想』を読む方が、よほど有益であり、刺激に満ちた読書体験を得られるであろう。 著者の中根千枝は、社会人類学者である。 そして、本書で、日本社会の隠れた構造を取り出そうと試みている。 それが、タテ社会である。 が、例示に乏しく、あっても、通例、類書である社会学系の書であれば、ふんふんと納得する事が多いのであるが、本書で示された例示に納得する事は少ない。 また、インド社会などの社会との比較文化論の形を取るが、そのインド社会の記述にも乏しく、あっても、著者のいる学者社会での2、3の見聞でしかなく、著者の言う日本のタテ社会の文化が世界的に珍しい社会なのかどうかの判断ができず、世界での日本文化の位置付けも定かでなく、また、日本社会の文化を浮きぼらせる事もできていない。 全体として、着想はあったかも知れないが、それを裏付ける事実調査がなおざりにされているのは、社会人類学者として、如何なものか?

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    投稿日: 2021.01.20
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    このレビューはネタバレを含みます。

    日本人は、上からヒイキしてもらいたい… ・「2017/6/28出光興産の株主総会で、出光興産の創業家は、"昭和シェルとは企業文化が異なる"ことなどを理由に合併に反対の考えを示した」とのことです。  これは、この本に示されている「成員の全面的参加、家族ぐるみの雇用関係、ウチのもの意識などタテの関係、序列意識、場を強調する日本の組織」と、ロイヤル・ダッチ・シェル(オランダとイギリスの企業)傘下の日本法人である「昭和シェル」が持っていると思われる「欧米的“ヨコ”につながる階層的な文化」との違いを危惧してのことだろうか? ・この本を読み終えて、感想・レビューをアップしなければ、と思っていた時に、報道されていたニュースに絡めてしまいましたが、正直、感想・レビューが書きにくい本でした。なぜならば、古い本なので仕方がないのですが、新しい発見をした驚きに乏しかったからですヾ(- -;) ・前書きに、遜った言葉があったり、文章が硬かったり、サンプルが少なかったり、変わった本だなあと思いながら読んでいたのですが、50年も前に書かれた本だったのですね。  かく言う私も思い当たる節が色々とありますが、50年後の現在、上席に座っている人たちは、崩れつつある「タテ社会の人間関係」を守ることに苦労されているようにも見えます。この本が提出している世界は、私たちが普段から意識的または無意識的に順応してしまっている日本の社会でした。 ・グローバル化が進んでいるのか、私の上司たちは、私よりも若い人たちなのですが、更に上は、年齢的にも先輩なので、タテ社会的な応対を望んでるようにも見えます。私が違和感を感じたのは、ヨコ文字職業の懇親会で、あたかもタテ社会のような空気が充満していた時でした。この本で示されているタテ社会に加えて、タテの上からヒイキしてもらって引き上げてもらいたい、という意識もあるような気がします。

    0
    投稿日: 2020.05.03
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    1967年2月に初版が発行されているが、小生が大学1年の時だ.日本社会の形態を見事に描写している好著だと感じた.大学卒業後、会社生活を40年間過ごしたが、本書にある「タテ」社会は本当に実感するものだった.「ヨコ」「コントラクト」に関する記述もあったが、そのような形態をゴリ押しすると、必ず反発があったと記憶している.長い歴史が作り上げてきた組織構成なので、一朝一夕に変化させることはできないが、別の形態もあるのだという発想はぜひ持ち続けたいものだ.

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    投稿日: 2020.05.02
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    この本が世に出たのが1967年ということにびっくり。その後、携帯電話、インターネットの普及、グローバル化が進み世界はきゅっと小さくなったが、違和感なく読み終えた。つまりこんなに時代が変わっても国民性はそんなに変わらないんだと思った。国民性には良いところと悪いところがあり、また個人に置き換えるとその国民性に合う部分もあれば合わない部分もあると思う。その中で自分を信じてやっていくしかない。リーダー論に関してはグローバル化が進んだ現代では日本人は確かに少し弱いところがあると思う。Skillで補える部分もあるので、自分は微妙だが・・、若い人にはチャレンジしてほしいなと思った。

    0
    投稿日: 2020.04.05
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    1967年の本だそうだが、今でも全く古びてないと思う。社会構造はそう変わらない訳だが、単一社会ではなくなりつつあるので、実は変化が起こりつつあるのかもしれない。

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    投稿日: 2020.04.03
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    小熊英二著「日本社会のしくみ」よりたどり着く。 論文発表より50年以上も経っている為、当時と今では日本のタテ社会も様変わりしている部分がある。一方で根強く定着している部分も多い。ここは変わった、ここは変わらないと考えながら読み進めると面白い。 タテ社会や単一社会だけではなく、多様性のある社会を考えたい人にオススメ。 紀伊国屋書店堺北花田店にて購入。

    0
    投稿日: 2020.03.24
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    ワールドビジネスサテライトで紹介! 「場」を強調し「ウチ」「ソト」を強く意識する日本的社会構造の条件とは。

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    投稿日: 2020.01.21
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    50年前に書かれた本とは思えないほど現代社会にも通じる良書。身分や職業などの「資格」を重視する社会と家や会社など「場」を重視する社会。日本は後者でそれ故よりエモーショナルな繋がりが深くなり、ウチとよそ者の境界が濃くなる。日本が多文化コミュニケーションや共生が苦手な理由もここにあるのだと思いながら読んだ。

    0
    投稿日: 2020.01.13
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    中根千枝 「 タテ社会の人間関係 」 会社などの社会集団から日本社会の特徴を抽出した本。 否定的な論調だが、会社に関しては、契約や論理より 感情や一体感を優先させる日本的集団の方が、明確な指揮命令や統率のとれた組織行動に 経営合理性があるように思う。 日本的集団の問題点 「序列で物事が決まり、個性が奪われ、法律が無視され、ウチとヨソモノの意識が強まり、ヨソモノ排除へ向かう」 日本的集団の特徴 *2つの集団の合併は、一方による乗っ取りでしかなく、序列により系列化しているだけ *提携は 表現であって、実態の構造を反映していない *リーダーは一人であり、リーダーの交代は困難 *集団は 乗っ取りか 分裂 により破局する

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    投稿日: 2019.11.28
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    1967年に書かれた本なのに、今となんら変わっていない。日本社会の単一性、「場」による集団の形成は、身をもって感じているが、認識は出来ていなかった。インドや他の国との対比では、こんなにも違うのかと驚いた。 複数の場への所属は、日本人は心理的にすごく抵抗があるが、中国の方はどんどん転職されていた。 親分・子分や序列意識では、笑ってしまうぐらい身の回りで起きている「タテ」の関係だった。能力主義も序列システムの枠内の狭い範囲で、改めて見回してみると確かにそうだと感心してしまった。 「タテ」から抜け出して、生産的な会議が開催される日はまだまだ遠そう。

    3
    投稿日: 2019.11.20
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    梅棹忠夫関連でAmazonか何かにおすすめされたので読んでみた。 戦後の復興期はこういう「外国礼賛・日本はダメ」という論調が流行ったのだろうけど、今となってはもう古い。 具体的な事例を挙げてくれるのはいいが、なぜそうなのか、文化的・歴史的背景にもう一歩踏み込んでほしかった。 そしたら今でも読めたと思う。

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    投稿日: 2019.11.12
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    弟に勧められて読んでみた 1960年代に書かれた本であるが、全く時代を 感じさせない新鮮な内容だった。 日本のリーダーの影響力・威力というものは 部下との人間的な直接接触をとおして、はじめて よく発揮されるものである。 など、いろいろと示唆に富んだ含蓄ある内容です。

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    投稿日: 2019.06.16
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    1967年に発行された本が、今でもこれだけ現代日本社会の本質を突いていることに驚く。良書! 日本の「能力平等観」「人間平等主義」についての指摘はごもっともだと思ったし、だから平等論について欧米と分かり合えない部分があるんだな…

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    投稿日: 2019.01.21
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    40年以上前に書かれたものとは思えない先見性を感じられる。メイン内容は組織論としてのタテ社会、日本は序列重視の社会であり、西欧、インド、中国とはまったく異なる人とのつながり方を分析されている。(特に本書の著者はインドをよく例にあげられていた) 40年以上経過した現在でも、この考えは廃れるどころか、国際社会の中で日本という国が他国とどう渉りあっていくか、理解しあっていくかを考える上で非常に考えさせられた。 また、いわゆる成果主義といわれる考え方が、序列重視の日本人と相容れることの難しさを実感することができる。 形の上では序列をなくすということは可能でも、日本人である限りは完全に欧米化することは困難だろう。 世界的に珍しい単一民族を現在まで維持してきたという特殊性が今日の国民性を形成してきたと言われているが、今後、移民・難民受け入れに関しても、慎重な姿勢は崩してはいけないと思われる。

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    投稿日: 2019.01.10
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    kindle版で読み上げさせて聴きました。 私の職場は割と人数の多い古い組織なので、敵を知り、己を知れば百戦危うからず??? 個人への対応は、コーチングの本などを読んでみましたが、組織への対応ということで。 ちょっと古いかなぁとは思うものの、思い当たるところはたくさんありました。 成員の誰も他の組織の有り様を知らず、ここで立ち振舞を学んでいくので、こういう文化の変化は徐々にしか起こらないだろうなぁと思いました。

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    投稿日: 2018.10.20
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    1967年発刊だが,色あせない.日本のタテ社会(資格ではなく場を強調する社会),ウチ/ヨソ者的発想のムラ社会を冷静に考察.批評や議論する際に,論理より感情が優先されるという指摘は確かに.FBなどTwitterなどコミュニケーション方法が変わっても本質的には変わっていない.

    0
    投稿日: 2018.10.09
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    去年、働き方改革のセミナーで、これまでの日本社会の特徴を説明した本として紹介されていた一冊。気になって買ったものの1年以上積読。やっと読みました。 「資格」ではなく「場」で集団構成される日本社会。そこで重視されるタテの関係。 俺が生まれる前に書かれた本ではあるものの、今でも変わらないところ、この前まえそうだったってところがたくさん。 いい悪いではなく、組織論を議論する前提として、頭の整理になった。

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    投稿日: 2018.09.29
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    もう半世紀も前に発行されたものだが、内容は全く色あせておらず、社会組織の構造を見事に分析している。 社会集団の構成要因は、資格(属性)の共通性にあるものと、場の共有によるものがある。資格には、氏、学歴、地位、職業などがあり、職業集団、血縁集団、カースト集団などが構成される。場とは、地域、所属機関などの枠のこと。 場の共有による社会集団は、枠によって閉ざされた世界を形成し、構成員の異質性による不安定さを克服するために、集団意識を高揚する必要がある。日本社会では、人間関係の強弱は、接触の長さや強さに比例するため、集団に加わってからの年数が、個人の位置づけを決定する重要な要因になっている。これが年功序列の温床であり、同じ資格を持つものの間でも序列による差が意識され、同期生との平等意識を駆り立てる。これは、能力主義の人事管理を阻むことになる。接触の長さは個人の社会的資本となるため、集団を移動する場合の損失となる。 タテの関係が強い社会では、ヨコの関係は弱い。能力差を認めようとしない西欧とは異なる平等主義のため、集団の間でも同業他社などの同じ種類の集団とは競争となる。どの社も同じ製品をつくり、同じ商品を出し、分業は行われず、過当競争となる。 タテの集団では、既存のいずれかの構成員との関係を持つことによって、新たな成員の入団が認められる。ヨコの集団では、新たな成員の入団には全員の承認を必要とし、明確に規定されたルールに従って認められることが多い。 タテの集団では、リーダーは、直属する幹部を通してすべての成員を把握している。そのため、幹部成員の発言権は強く、リーダーは2人以上の幹部の調整役的立場に立たされることもある。党中党や派閥が作られやすく、分裂の可能性も高い。日本のあらゆる集団では、リーダーの権力発動は特定分野や特定条件に限られ、きわめて制約されている。リーダーに対して部下の力が強いことから、民主主義とは違った平等主義がはびこる。 タテの集団、ヨコの集団のほかに、契約関係がある。西欧では、広くから目的にあった者を抜擢・招聘することによって構成される場合が多く、コントラクトが結ばれると、リーダーの命令は絶対的なものとして服従される。この精神は日本人には全く欠如している。 <考察> 場の共有に基づく集団は、動かすことができない土地で営む農業の社会から生まれたものと推測できる。属性の共通性に基づく集団は、様々な人々が行き交う都市的、大陸的なものから生まれたことを想像させる。

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    投稿日: 2018.02.14
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    新書の古典。人と人のつながりを、タテの関係とヨコの関係に分けて日本の社会や家族、企業などに当てはめてその関係性を解説していく。 「集団の内部構造」が図解されていてわかりやすい。が、他にビジュアルが少なく、タテヨコの関係が文章だけだと理解しにくい面もあった。 もう一つ「場と資格」に二分して同じく社会を説明していくことで、日本の社会の構図を大まかに説明してあってわかりやすかった。

    0
    投稿日: 2018.01.20
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    刊行から50年とのことだが近著と言われてもわからない程、現代の日本にも当てはまっている。それは日本が今もまだ同質の単一社会であり続けているからだろうか。 では今後の日本はどうあるべきかというところまではは本書が扱う範疇を超えているが、これが世に出てからは可成の議論が可能であった筈。それなのに現代社会がその弊害をそのまま抱え続けてきたことに対し、先人達に失望せざるを得ない。 とは言えかく言う自分自身もこの社会の一員として、知ってか知らずか相応の振舞いをしてしまっている以上、非難すべからざるところか。反省。 他文化との比較に於いて論証が不十分の嫌いはあるが、新書という形式上この程度かなと割り切って読んだ。

    1
    投稿日: 2017.08.22
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    タテ社会の語源となった書物。多少変わったところもあるような所もあるが書かれている内容は、全然色褪せていない。というか、冒頭でもなかなか変化しにくい特徴をとらえて論じると言っているだけあって当時とそんなに変わっていない。 文中に出てくるエピソードも現在の事を言っているかのようで、笑える。左翼はエセ同情的で、とかどのテレビも同じような内容だとか。師匠を二人持たないというのは、新たな気づきになった。

    3
    投稿日: 2017.08.19
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    このレビューはネタバレを含みます。

    初版は50年も前なのに、本質的なところは普遍的なのだろう。 雇用形態こそ大きく変わっているが、ムラ社会や封建主義的な企業組織はあまり変わっていないんじゃないか。 日本的な組織では上はバカでもいいと言うのは納得。

    1
    投稿日: 2017.07.23
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    日本論ではなく組織論。冒頭で「和裁ではメートル法ではなく鯨尺を使う方が便利なように、日本社会を収まりよく表現できるモノサシを探す」と例えてあるように、横断的・階層的な社会構造とは異なる、「タテ方向につながる社会構造」を考察し、日本のいろいろな事象に当てはめて説明している。 社会構造の優劣を論じているわけではないので、短所ばかりではなく長所にも触れており、特に反発や気恥ずかしさを感じることもなく、フムフムと読み進められる。 日本における官僚組織の効率の良さ、セーフティネットの脆さ、品質の高い製品・サービスを作ると同時に果てしない消耗につながる競争原理、論理ではなく情、建前と本音...いろいろな特徴が捉えられている。 日本によく似た社会としてチベットがあげられていたが、そのチベットでさえも「学問の討論は対等である」ことが紹介されており、学者としての作者の立ち位置が垣間見える。 古典として読んでおいて損はない。

    0
    投稿日: 2017.06.20
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    ふむふむなるほどと思うことしばしばだった。無意識に過ごしちゃってるけど,そういう背景があってこういう立ち位置になってることを意識した方がよいよなと思う。

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    投稿日: 2017.05.02
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    既に50年前に出た日本社会論。決して読みにくくはないけれど学術的な論文に近く、日本という単一性の強い社会の構造を決める基本原理を明らかにしようという内容。そのためタイトルには「日本」は出てこない。また副題に「単一社会の理論」と添えられているのは、「あくまでも単一性の強い社会の構造を社会文化人類学的に論じたものである」ということを表明している。もちろん日本を題材にその社会構造を解き明かしていくのだけど、別に日本に限定される理論ではない、ということだ。たしかにこの本の論理を理解すると、日本に生まれ育ち、社会人になっていく中で、地域社会とか所属する組織、会社などのに感じてきた疑問なんかが、すっきり理解できる(ような気がする)。例えば、自民党と民進党って主義主張にほとんど差がないような気がするけど、なんで分かれて争っているのかなぁ、そもそもかなり考え方の違う人たちが何で同じ政党に集まっているのかなぁ、とかそう言う疑問も、本書で示される「日本社会を動かす論理」によって説明できそう。その論理のキーワードとしては、「資格」より「場」、「ヨコ」より「タテ」、「論理」より「感情」でしょうか。

    1
    投稿日: 2017.04.11
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    資格(個人の属性)より場(帰属集団)を偏重する日本人の特性とそれにより築かれる日本社会についての詳細解説。よそ者意識、距離の取り方、単一所属主義、序列意識、ワンセット主義、X型集団、無防備な会話、などなど、本書で取り上げられているあらゆるエレメントが非常に納得感があり、各リーズニングはまさに目から鱗である。著者も海外経験があるのでノンジャパニーズのカルチャーと比較しつつ説明がなされており、自分の経験と照らしてもすんなり入ってくる。 何より、この内容が1967年に発行されていたという衝撃。マネジメントにノンジャパニーズを迎えようが、海外新卒採用を積極的に増やそうが、結局根底が変わっていないがゆえに日本の組織は何一つ変わっていない。ではそれがダウンサイドなのかと言われれば、一概にはそうは言えない。大事なのは、その特性をしっかり自認しつつ、それを活かしていく方向に舵を切っていくこと。中途半端に角落ちだけするのが最もリスキーである。

    0
    投稿日: 2017.04.02
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    日本の社会は単一性が強い上に、集団が場によってできている。資格よりも場を大切にするということである。よって日本人は頼りになる所属集団はただ一つとする単一社会であるが、これは海外では珍しく保身的であると捉えられる。また、社会においてヨコよりもタテを大切にする傾向を持つ。

    0
    投稿日: 2016.10.03
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    新装版の本の帯にはズバリ「日本論の不朽の名著」。半世紀近く前に書かれたにも関わらず、「タテ社会」構造に根付く日本組織のあり方、人間関係の分析は正確そのもの。女性学者としてのみならず日本の社会人類学においても草分け的存在である著者の説得力ある論旨に皆さんもうなること間違いなし。

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    投稿日: 2016.06.04
  • 人生経験と海外経験があってこそよくうなずける

    今まで読もうとして50を過ぎやっと読みました。私が生まれたころの執筆ですが、なお新鮮です。特に今までの海外経験とも照らし合わせ、非常に納得する点が多々あります。わが子にも読んでほしいですが、高校生では理解が表面で留まるかもしれません。また10年後に読んで見たい本です。読み手の人生経験で面白さが変わるような気がします。

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    投稿日: 2016.02.23
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    社会人類学者の中根千枝が1967年に発表した、日本の社会構造を分析した古典的ロングセラー。 著者は、本書の目的を、(当時の)日本社会を、社会人類学的立場に立って分析すると、どのように解釈され、どのような理論構成になるかを試みることと述べ、日本の近代化の過程や社会的変化、西欧社会を基準とした比較を扱った論文とは性質を異にするとしている。 著者による分析・論考は以下の通りである。 ◆社会集団の構成の要因は、「資格」(氏、学歴、職業、資本家、労働者、男女、老若などの属性を表すもの)の共通性と「場」の共有の2つに分けられる。日本の集団意識は「場」に置かれており、それは「イエ」の概念に代表され、職種よりも会社を優先することなどに表れている。「場」を重視する社会は、「場」ごとに閉ざされた世界を形成して強い孤立性を持ち、成員によるエモーショナルな「場」への参加を強調し、ウチ・ヨソの意識が強く、社交性がなく、複数の「場」への所属が難しい社会である。 ◆「場」を重視する日本的集団には、「タテ」の組織という共通構造がみられる。構成員を結びつける方法として、精緻な序列(会社の上役・部下のような)が形成されるため、能力制ではなく序列制に比重がおかれるが、その根底には能力平等主義がある。 ◆こうした社会構造による社会の全体像は、企業別・学校別のような縦断的な層化であり、横断的な層化ではない。闘争関係は上下や対立関係(労使など)ではなく並列関係(他社など)と展開される。これらは人間平等主義に基づいているが、それによりぬるま湯的な道徳が発生している一方、努力する個人が増える面もある。 日本ではヨコ関係の同類は互いに敵であり、個人は同類の中では孤独である。並列競争は日本の工業の近代化に大きな貢献をしたが、同一のことを皆がする点でマイナスが大きいとも言える。 ◆タテ組織である日本的集団の構造的短所は、リーダーは一人かつ交代が困難で、リーダーと他の成員の関係が等質でないこと、長所は、日本の近代化に貢献(官僚制)し、動員力が強く、上から末端までの伝達が速いことである。 ◆タテ集団のリーダーには、集団の力を発揮させることが求められるため、個人の能力よりも人間的な情、包容力が重視され、年長者がつくことが多い。 ◆日本では、契約関係は見られず、終身雇用という制度を生み出したが、それは人間関係を重視する日本人の価値観に基づいたものである。日本人は論理より感情を優先するといえ、これが知的活動においてマイナスである一方、論理のない世界に遊ぶというような社会的機能を担っている側面ももっているが、これが日本文化を外国人に理解しにくくさせ、国際性を奪う原因となっているのではないか。 本書発表後の50年を振り返ると、経済成長がピークを過ぎると、本書にある日本的社会構造は日本の短所とされ、その変革が進められたが、2000年代の国際情勢や資本主義経済の混迷を見るに至り、それぞれの社会構造には長短両面があることが実感される。 今改めて読み直す意義のある論考と思う。 (2005年10月了)

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    投稿日: 2016.01.11
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    リベラルアーツ本として紹介されていたので、読んでみた。社会人類学者の本なので難しくはあったが、大きな組織の一員として働いているので、タテ社会の成り立ちや、崩れなさなど、かなり腑に落ちた。勉強になりました。

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    投稿日: 2015.10.21
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    おすすめ資料 第69回単一性社会日本の特徴とは(2008.7.18)   刊行されて30年余り経過してなお、増刷され続けている社会学の名著です。 読み進めてゆくと、日本の社会の枠組みは時代が移ってもそう大変わりしていないように思えます。 著者は日本の社会の特徴を一例として次のように述べます。 人は自身の持つ資格(技能)より先に、属する組織の一員として認識される。 血のつながりがあっても他所に嫁いだ娘は「他家」の人、血のつながりはなくても嫁いできた女性は「家」の人。 能力主義を阻むものは評価する側を問題とするばかりでなく、評価される側にも横一列であろうとする意識が働くからである。 著者はそれらの特徴を日本が世界でも稀な単一社会であること、それゆえに厳格なタテ社会を形成してきたことに答えを求めます。 タテ社会の長所・短所も分析し、短所では上役がいなくなったときの組織のもろさや、論理を軽視したために無防備で情感に流された思考に流れやすい、とも述べています。 海外との比較についても多く言及されているので比較文化の書としても読める資料です。

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    投稿日: 2015.07.28
  • 日本って、特殊なんだよね

    アメリカに住んでいると日本の社会構造の特殊な部分が強く感じられます。著者の鋭い考察には納得できます。

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    投稿日: 2015.07.26
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    このレビューはネタバレを含みます。

    日本社会の人間関係をタテ社会として実に明快にかつ鋭い指摘をしている本だと思う。書かれたのは1967年とのことなのでいかに先見的な目をお持ちであったかと日本の社会構造が変わらずあり続けていることを表しているだろう

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    投稿日: 2015.05.22
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    JMOOC OpenLearning, Japan「グローバルマネジメント(入門)」Week3参考文献。

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    投稿日: 2015.05.09
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    またまた、たまたま図書館のリサイクル本の中から見つけて、もらってきて読みました。長年のベストセラーということもあり、今読んでもそれほど古さを感じません。本書が著されたのは私がちょうど生まれた頃なのですが、その頃といまとでは技術の面では大きく異なるのに、人間関係という部分ではそれほど大きな変化があるように思えません。そんな中、少し変わってきたかなと思えるのは、中学生のクラブ活動におけるタテの人間関係です。以前は先輩・後輩というのが絶対的なもので、どんな理不尽な言いつけも守らなければならなかったし、技術的に劣る先輩であっても、先輩という集団の中にいる限り、ちゃんと相手を立てなければならなかった。ところが、最近はタメ口で先輩と話をする後輩が多いのです。実はこのクラブ活動を通してある程度の敬語の使い方なども覚えてきたと思うのですが、どうもそれがこの人間関係とともに壊れてきているようです。もっとも、私の時代でもいまでも、先生に対してのタメ口は変わらないのですが・・・。こういった本をもう一度読み返すことで、現代社会のかかえている人間関係の問題点が浮き彫りになってくるかもしれません。

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    投稿日: 2015.04.27
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    もとの雑誌掲載が1964年(昭和39)年5月。 初版が1967年2月(まえがき66年12月)、手にした版が2004年10月の120刷。 そして読んだのが2014年5月(読み返し7,8月)。 初版から47年、およそ半世紀。(雑誌掲載からはまさに50年!) そして初版は戦後22年で出たものである。 つまり書かれた年を起点とすると、戦時へ遡るよりも現在へは3倍の年月が経っている。 それにも関わらず論に古さを感じない。 成果主義が導入され年功序列が消えようとしても、根本の組織体系は50年ほど前と同じ。 日本人って何だろうって考えさせられる。 いくら欧化政策したって、させられたって日本人または日本文化の本質は変わらないってことか。 言い尽くされた感があっても、これが日本人のアイデンティティだったりDNAだったりするのだろう。 〈2回目を読み終えて〉 個人個人の選手が優れていても、外国人(有能)監督では成績残せないサッカー日本代表の秘密もココにありそうだ。 つまり本書で述べられているように、「論理より感情が優先」する日本人だから、 戦術論よりエモーショナルに訴えたほうが成績を残せるのかも。 もちろん個々の実力が備わっていることが条件だけれども。 >職能より組織で語る 確かに現実社会はそうかもね。 でも匿名性の高いネットでは匿名性ゆえに自称エンジニアとかトレーダーとか職能で語ってるかな。 一般社会では専門(学部・学科)よりも学校名で語られるよね、良くも悪くも、学歴。 以外にも、ちょっと古さを感じた箇所 (但し論に影響するものではない) >BGの職場にはボスができていたり(P22) 古さを感じさせない内容であるが「BGの職場にはボスがいたり」が理解できず、 Wikiるとbusiness ladyの略と知ってジェネレーションショック。 >南方ボケ(P60) 熱帯に行かされた者が帰国し一定期間しっくりいかない意。 いま南方って言わないよね?この辺りが戦後っぽい。 >日独伊のリーダー対比(P142) 戦時中のリーダー(独裁者)を比較しているところ。このあたりも戦争の影響が色濃いね。 >よし 冒頭に仮定の意で使われている感じ。 軽く調べてみると、陳述の副詞、仮定の用法のようだ。 【以下 個人的メモ】 P154冒頭4行 7章「人と人との関係」 日本の組織論は必読 最後のところ 論理より感情が優先 (携帯に眠っていた文章:20140527頃)

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    投稿日: 2015.03.14
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    一度の失敗で人生の決まる単線的社会から、働き方、学び方、暮らし方が複線化された社会に変わっていかなければならない。こうした社会環境の変化を阻害しているのが本書が指摘する「タテ社会」である。「職場あっての自分」というように場の共通性によって構成され、集団は枠によって閉ざされた世界を形成し、成員の感情的全面参加により、一体感が醸成されて集団として強い機能を持つ。感情的全面参加はエネルギーを結集することができても、個別的で多様性に欠け、論理性に乏しいため合理的な展望を描けない。共通の場に立つものや同じ空気を持つものにしか通じない。 組織は硬直的、閉鎖的なものではない。これからは流動性が高まり、もっと自由なものになる。雇用関係の有無さえとはない。協力、連携、パートナーシップを含む多様なつながりとなる。雇用のあり方はコスト・オンリーの経済的視点から少子高齢化や情報化社会など社会的視点で規定されるようになる。 正社員にこだわるのはもうよそう。労働者は自らを雇っている組織よりも長生きするようになる。安心は雇用から生み出されない。幸いにしてあらゆる仕事が高度化し、人と人との共同作業によって行われるようになった。分業が促進された組織は人の強み、得意分野を動員して、弱みを意味ないものとする。「みんな同じじゃなきゃ気がすまない」終身雇用前提のタテ割り分業ではなく、それぞれの得意分野を磨くことによって、掛け合わせるヨコ割り分業を進める。分業によってお互いを必要とし合って生きることで共同性の回復が図られ、安心感のある社会に変わっていける。

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    投稿日: 2015.03.04
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    日本の社会はタテだという。 西洋の社会はヨコだという。 日本は場を重んじ、 インド人は資格を重んじる。 結局のところ、どちらが良くて どちらが悪いというのはないのだろうし。 僕自身、どちらがどうという話をする気もないのだけれど。 “論理よりも感情を楽しむ日本人” その表現は、なんだかいいなと感じます。

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    投稿日: 2015.02.14
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    会社で読んでいたら、この作者のいうことが似たような形で起こっている、当てはめやすいものだった。 何が言いたいかというと、昔の本。だけど、とても今の世の中にも会社組織にも通用することが多い。 少しタテ社会の常識がわかれば、短期な私にも渡り合うのに必要なもののため理論的にガマンができそう。 かっこいい理由を一生懸命唱えながら、上司の理不尽にも。

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    投稿日: 2015.01.04
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    このレビューはネタバレを含みます。

    伝統的に日本人は「働き者」とか「なまけ者」と言うように、個人の能力差には注目するが、「誰でもやればできるんだ」という能力平等観が非常に根強く存在している。 天才的な能力よりも、人間に対する理解力・包容力を持つということが何よりも日本社会におけるリーダーの資格である。

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    投稿日: 2014.12.29
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    半世紀近く昔の本なので、当然その理論の説明力も弱まる。 先輩後輩の関係など、未だにタテ社会の文化が日本に存在していることが間違いないわけだが、 以前ほどの強い意識はなくなっているのだろう。 読んでいて、キレは今ひとつのように思えた。 そのため、 理論をサポートする例示とそのロジックが強引というか選択バイアスがかかっている感じがあり、 読んでいて「それは一部の意見や状況を引っ張ってきて、理論に当てはめているだけじゃないの?」 と突っ込みたくなる記述が多かった。 これは、日本社会が様々な要因の中で変わってきた、と捉えるのが適切なのかもしれない。 中盤の日本人に蔓延る能力平等観を学歴主義の原因に見る組織論的な話は、まぁ面白かったが、 やはりここでも議論の強引さが気になった。

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    投稿日: 2014.12.29
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    この著書ではカースト制度のインドと日本を比較して、 場による集団特性、たとえば「ウチの者」「ヨソモノ」など述べられているが、山本七平の「空気の研究」を読んだ以来の衝撃を得た。「空気」とは、これのことだろうか??? 共に約半世紀前に書かれたにも関わらず、全く今と変わらないのが、恐ろしくもある。我々日本人には何か呪いをかけられているのではないだろうか。 この呪いが解かれるのは著者曰く「圧倒的な経済力と政治権力をもった外からの社会に呑流される場合」とある 今はそうだろうか?そうではないだろう。緩やかな死を迎える状況で解かれることはない メモ) ・あらゆる問題は、属する枠の中で解決しなければならない ・日本人はいちいち人と相談、寄合をして決める。インドでは規制があり、それに反してなければ自分で決めれる ・大企業も大きな家。丸抱え。結果、経営者は家族、私生活まで考え方、思想、行動を規制してくる。そして、それに成功した ・日本人は仲間といるとき、ヨソモノに対して、極めて冷たい態度を取る アメリカの大学。中国人が中国語で雑談。著者が通りかかると「英語」に切り替える=壁を作らないマナー ・日本では2つ以上の集団に同様なウェイトをもって参加するのが非常に困難。どちらかに優先的に所属しているものがなければならない ・従業員の序列は入社年次で決まる。これは経営者が決めるのではなく「従業員が決めている」 ・日本では個人の努力差には注目するが、基本的に「誰もがやれば出来るんだ」という能力平等観が存在  能力を学歴、年齢で判断するのは、そこにある  これにより努力を惜しませない、そのかわり梯子を  用意する ・リーダーは一人に限られ、交替が困難 ・集団に時間があると、行動を起こす前にひともんちゃくがある。時間がないとヒエラルキー優先。議論の余地なく上部優先で進む。それを「意見の一致」「思想の統一」と呼ぶ ・契約精神がない。組織と個人の関係がうまくいかなくなると「おれはやめる」などといって脅し、エゴイスティックな感動を味わおうとするのは感情的な人間関係を優先される性向が強い。ただ、これは依頼する方も同じである ‥等

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    投稿日: 2014.12.28
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    日本社会における官僚支配の構造の分析は丸山真男氏とかわらないのだが,高校生にもわかる言葉で解説しているところが昭和の名著と言えるであろう。 「孤立した諸集団を統合する行政網は,同時に各集団の内部組織である「タテ」の線を伝わり,その集団の底辺にまで難なく達することができ,それによって世界にちょっと比類のない徹底した行政網が完備し,全人口に浸透したのである。実際,江戸時代において,幕府の政策や藩の政策が,山奥の村々の家々にまで,あのようにもれなく達していたという行政網の機能力は,たんに幕府の権力のみでなく,日本における社会集団の構造におっているところが多大であると思われるのである」中根千枝(1967)『タテ社会の人間関係』講談社pp.112-113 「この同族的(むろん擬制を含んだ)紐帯と祭祀の共同と,「隣保共助の旧慣」とによって成立する部落共同体は,その内部で個人折出を許さず,決断主体の明確化や利害の露わな対決を回避する情緒的直接的=結合態である点,また「固有信仰」の伝統の発源地である点,権力(とくに入会や水利の統制を通じてあらわれる)と温情(親方子方関係)の即時的統一である点で,伝統的人間関係の「模範」であり,「国體」の最終の「細胞」をなして来た。それは頂点の「国體」と対応して超モダンな「全体主義」も,話合いの「民主主義」も和気あいあいの「平和主義」も一切のイデオロギーが本来そこに包摂され,それゆえに一切の「抽象的理論」の呪縛から解放されて「一如」の世界に抱かれる場所である。したがって「近代化」にともなう分裂・対立など政治的状況を発生させる要因が,頂点の「国體」と同様に底辺の「春風和気子ヲ育シ孫ヲ超スルノ地」(山県の言)たる「自治体」内部に浸透するのをあらゆる方法で防遏するのが,明治から昭和までの一貫した支配層の配慮であった」丸山真男(1961)『日本の思想』岩波書店pp.50-51

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    投稿日: 2014.12.23
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    文化人類学は おもしろい。 日本という国を 文化人類学の視点から見ると こんな風に 見えるのだ。 そして、不思議なことに なるほど そう言うことか と納得してしまうから 恐ろしい。 中根千枝は、中国でのフィールドワークもあり 名前を知っていたが もっと早く 読むべきだった。 と思うほどだった。 そして、この人は 教授たちからは 随分嫌われている 存在じゃないかと思った。 親分子分。 先輩後輩。 天皇陛下のために命を捧げる。 オレのメンツ。 など いくつかのキイワードが タテ社会 ということが、 はっきりしてきたのである。 ふーむ。 この視点で 会社というものを見ると 事業部制 なんてやり方は 江戸幕府のやりかたに そっくりなので、なかなか変わらないものだ と思う次第。 しかし、中根千枝の はっきりした物言いと 日本を見る 慧眼に ただただ 恐れ多く感じた。

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    投稿日: 2014.10.25
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    日本論・日本人論の古典的著作。 著者はまず、日本社会が極端な単一性を特徴としており、「資格」によってではなく「場」によって組織されていることを指摘しています。その上で、能力や資格はそれほど重要ではなく、同一の「場」に属しているというエモーショナルな一体感がもっとも重要なものとされる平等社会だからこそ、「場」の中での序列が重んじられるようになることを明らかにしています。ここに、能力や資格に基づくのではなく、年齢・入社年次・勤続期間によって決まる先輩・後輩という序列を持つ「タテ社会」が成立することになります。 さらに、そうした「タテ社会」が単一性という特徴を強く帯びているため、日本人は「ウチ」と「ソト」を隔絶する意識が強いこと、また、「ソト」の社会に属する人びととの間で個人的なつながりを形成することが苦手だということが論じられます。 西洋社会やインドのカースト制度などとの比較を通じて、日本的集団主義の特質を明らかにしようとしていますが、学問的な方法に基づく議論ではなく、個別のエピソードからそれぞれの社会の特質を抽出するという仕方で議論が進められています。そうしたことを考慮するならば、あくまでエッセイ(試論)として読むべき本なのでしょうが、その限りでは日本的集団主義の特徴に鋭く迫った本だと思います。

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    投稿日: 2014.02.12
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    日本のヨコのつながりはその会社内だけにとどまる。労働組合もその会社内だけ。 タテ社会は中央集権に好都合で一部だけに開放的。誰かの紹介で入社した人はその人しか知らないので、承諾せざるを得ない。 非常に面白い。

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    投稿日: 2014.01.24
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    本書が刊行されたのは、「年功序列」「終身雇用制度」というものがあった時台。 しかし、数十年経った現代でも、日本に見られる「タテ社会」。 基本的に、日本の社会システムは変わっていないのだなぁ、と実感。

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    投稿日: 2013.08.31
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    何十年も前に書かれた本とは思えない。それだけ今も社会の体制は変わっていないということ。変わらなくていいのだろうか?と、考えさせられる1冊だった。

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    投稿日: 2013.06.14
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    (1982.02.21読了)(1982.02.18購入) 内容紹介 日本社会の人間関係は、個人主義・契約精神の根づいた欧米とは、大きな相違をみせている。「場」を強調し「ウチ」「ソト」を強く意識する日本的社会構造にはどのような条件が考えられるか。「単一社会の理論」によりその本質をとらえロングセラーを続ける。

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    投稿日: 2013.04.10
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    いわゆる日本(人)論のように、日本の独自性だけを論じる閉じた感じではなく、サブタイトルにあるように「単一社会の理論」としての日本、という抽象度を上げた比較可能な論じ方をしています。

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    投稿日: 2013.02.24
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    人が関係性を構築する仕方の類型として、縦、横、契約の3つをあげる。日本人は縦の関係で組織をつくるのが特徴。縦社会のつながりが弱まる今、どの関係を強化すべきかよく考えねば。

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    投稿日: 2013.01.09
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    なるほどと思う記述は多いのですが、最後のくだりで欧米人が、日本人が酒の席で仕事と全く関係ない話が出来るのが羨ましがっている、それができないから欧米人にハートアタックが多いと思われているってのが面白いというか、アメリカ人の方が子供っぽくて人生楽しそうにしていると感じるんだけど、彼らはそうは思ってないということなのですかね

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    投稿日: 2012.11.10
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    初版は昭和42年、東京オリンピックが終わって数年経過した頃。図書館で借りたのだが、なんと平成元年で80刷となっていた。流石のロングセラー。 タイトルと目次を見ても内容が想像できず、恐々読み始めた。まだ3章を読んでいるところなのだが、面白いかもしれない。一般人向けに平易に書かれているのに、理論的であり、ぶれることがない。 読み終わった。 日本人として生きてきた経験より頷くことしきりであり、約50年経っても本質は変わらないのだと感じた。著者は「日本人の特質」ではなく、「単一社会の理論」だという立場であるので、当然かもしれない。本書の主張は、まったく驚くほど的を射ている。新しい見識を得たわくわく感ではなく、社会を見る適切な定規の教示を受けたという意味で、本書に対する評価は高い。 たとえばヨコ=資格での繋がりは身の回りを見ると、本当にない。学生時代の友人だって、「場」の繋がりだ。卒業後も親しみを感じていたとしても、それは付き合いを続けていた場合、つまり「場」を設けていた場合であり、会うことがなくなれば親しみは薄れる。「疎遠になる」という言葉が、そのものを表現している。数年単位ならまだしも、何十年も会っておらず、再会した日に一気に時を越えることはあり得ない。ぎこちなさ、噛み合わない感じ、どことなく感じるずれがあるはずだ。 上司におもねる、「ウチの会社」意識(会社単位で感じるものであり、会社内での職業は気にされない)、論理的ではない感情の赴くままの会話等、身に覚えがあることばかりだった。 単一社会である日本社会を渡っていくにあたり、本書の教示は重要な指針になるだろう。仲良くしたけりゃ、「場」を共有しろってことだね。

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    投稿日: 2012.10.23
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    日本の社会の特性をついている。 日本は、自分の資格よりも自分の会社を自慢する。 自分の意見を言わないと生き残れない。

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    投稿日: 2012.10.04
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    この本を読むのは初めてです。もちろん、その存在は知っていました。しかし、読む気にはなりませんでした。この本を読むきっかけは、Harvard Business Reviewに掲載された中根先生へのインタビューに興味をもったからです。非常に興味深い著作でした。また、読みやすい文章でした。日本と西欧の組織の相違を「資格」、「場」をキーワードにして、説明しています。西欧は、「資格」に帰属します。たとえば、「大工」、「インテリ」、「銀行員」等です。それに対して、日本は、「場」に属します。たとえば、「三井物産」、「大蔵省」等です。僕の実感とあっているのですが、疑問も残ります。日本でも、「場」を重視する組織がほとんどですが、「資格」を重視せざる得ない組織も存在するはずです。そのような組織でも、日本的特質が現れるのでしょうか。また、戦前の企業に関する著者の認識は、明らかに間違っています。

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    投稿日: 2012.09.18
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    なんか、山川出版の歴史教科書と同じくらい、書いてる事が頭に入ってこなかった。 「ウチの者」「ヨソ者」についてもっと書いてほしかった。 「能力平等主義と序列偏重は相関関係にある」とか、「本当に能力主義が実行されているとすれば、序列意識は後退しなければならないはずである」とか、「実力主義=序列の否定」といった事が何度も書かれて違和感を感じたが、「実力の高低による序列」について言及がないのがその違和感の原因だろう。 日本では表現に対する評価(書評など)が人間関係によって決まる傾向があるというのは、実感を伴って理解できるものだった。 共同体の「ソト/ウチ」に関する話と、共同体内の構成員の能力の高低によるヒエラルキーの両方について書かれた本があればいいのになぁ、と思いました。

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    投稿日: 2012.08.13
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    西欧などと比較しながら日本のタテ社会の組織構造を分析した作品。 歴史や過去の背景に基づく分析は、一つずつ丁寧な論理の積み重ねており、感心する。 特に納得がいったのは、日本の組織は論理よりも感情を優先させているというところ。本書は日本型組織に身を置くものがどう振舞えがいいのかを教えてくれる。 140208再読 気になったワードが「単一性」。多様性という言葉が流行する今日、逆を意味する言葉を考えもしなかった。 日本人だから…という考えに汲みせず、日本に存在するある条件を設定すれば、他国でも似たような社会構造が出来るのではという問題意識は参考になった。当たり前と思われるものに切り込んでいく姿勢は、大前氏のいう戦略家のものと同様。 日本は、単一性があったからこそ数回にわたる復活を遂げられたのかもしれない。日本の強味が機能しにくいのが現代なのかもしれない。

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    投稿日: 2012.05.04
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    本書は日本社会の人間関係の考え方、日本的社会構造について述べられています。 初版は1967年ですが、全く違和感がありません。 私は僅かな期間ですが中国出張を経験しており、中国人の人間関係の在り方や組織に対する姿勢など間近で見てきました。 それからといもの、周りに対して感じてきた疎外感・違和感・閉塞感・・・など常に感じていたのですが、本書を読んで納得できました。 ある組織(会社でも、地域のコミュニティー等)に所属し、私と同じように感じていいる人にお薦めしたい本です。

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    投稿日: 2012.04.21
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    代表的な「日本人論」「日本文化論」とひとつとだろう。1967年初版発行だから『甘えの構造』よりは4年早い。『甘えの構造』の中でも、甘えとの関係でこの本について言及している。 甘えは本来人間に共通の心理現象でありながら、日本語の「甘え」に当たる言葉は欧米語には見られない。この事実は、甘えの心理が日本人にとって身近であるばかりでなく、甘えを許容するような社会構造が日本には存在することを物語る。「甘え」という言葉は、日本の社会構造を理解するためのキー概念ともなるのではないか、日本社会で甘えが重要な働きをすることは、『タテ社会の人間関係』でいうタテの社会構造と一体をなしているいるのではないかと土井は指摘する。 甘えとタテ社会とは、どのようにつながるのだろうか。日本がタテ社会だというのは、タテの人間関係つまり上下関係が厳しいということだという誤解があるかもしれない。しかしこれは俗説であり、欧米の会社での管理者と労働者との上下差の方がはるかに大きく、厳しいという面もある。 タテ社会とは、ヨコ社会と対をなす概念である。日本人は、外(他人)に対して自分を社会的に位置付ける場合、資格よりも場を優先する。自分を記者、エンジニア、運転手などと紹介するよりも、「A社のものです」「B社の誰々です」という方が普通だ。これは、場すなわち会社・大学などの枠が社会的な集団認識や集団構成に大きな役割を果たしているということである。すなわち記者、エンジニアなどの資格によるヨコのつながりよりも、会社や大学などの枠(場)の中でのつながり(タテの序列的な構成になっている)の方がはるかに重要な意味をもっているということである。 日本の労働組合が、企業という枠を超えた職種によるヨコの組織になっておらず、職種の違いに関係なく企業単位の組合になっていることは、場や枠を重視する日本のタテ社会の特徴をみごとに現している。 「タテ社会」日本の基本的な社会構造が、企業別、学校別のような縦断的な層化によって成り立っているのに対し、「ヨコ社会」は、たとえばインドのカースト制度や西欧などの階級社会のように横断的な層化をなしている。「ヨコ社会」では、たとえば職種別労働組合のように資格によって大集団が構成され、個人の生活や仕事の場にかかわらず、空間的な距離を超えて集団のネットワークが形成される可能性がある。 日本人にとって「会社」は、個人が一定の契約関係を結ぶ相手(対象・客体)としての企業体というより、「私の会社」「ウチの会社」として主体的に認識されていた。それは自己の社会的存在や命のすべてであり、よりどころであるというようなエモーショナルな要素が濃厚に含まれていた。つまり、自分がよりかかる家族のようなものだったのである。もちろん現在このような傾向は、終身雇用制の崩壊や派遣労働の増加などで、かなり失われつつある。しかし、それに替わってヨコ社会が形成されはじめたわけではなく、依然として日本の社会は基本的にタテ社会である。 終身雇用制が崩壊していなかったころは、会社の従業員は家族の一員であり、従業員の家族さえその一員として意識された。今でもその傾向はある程度残っているだろう。日本社会に特徴的な集団は、家族や「イエ」のあり方をモデルとする「家族的」な集団でなのである。そして家族が親と子の関係を中心とするのと同様の意味で、集団内のタテの関係が重視される。そこでは、家族的な一体感や甘えの心理が重要な意味をもってくるのは当然である。

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    投稿日: 2012.04.20
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    人間関係に悩むことが多い毎日だが、この本を読んで少しすっきりした。 日本では、タテの序列による関係でできており、個人の能力よりも所属している集団によって評価が決まる。 日本人は人間との関係に依存している。日本で転職があまり盛んではないのは人間関係という財産を失うことに大きなリスクを感じるからだ。そして、個々の関係は論理ではなく感情でつながっている。感情が共有できなくなると、関係も自然と破綻する。 私が社会から孤立しやすいのは、他者との感情の共有が下手だからであろう。論理的に話そうと心がけているが、そのことがかえって孤立を生む状況に陥らせているのかもしれない。 会話では愛想笑いの1つもしなくてはいけないが、つまらない話はやはりつまらないんだよなあ。

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    投稿日: 2012.02.25
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    日本論の古典。 格差論とか貧困問題とかを読みあさっていたら,よく引用されていたので,今更ながら読んでみたが,確かにこれは古典だ。 全然古くない。 今読んでも,日本社会の在り方を理解するのに非常に役に立つ視点が明解に示されている。 そして,古典なのに読みやすい。 凄いなあ・・・。

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    投稿日: 2012.02.24
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    なかなか面白かった。タテヨコの概念を編み出した?筆者の、それに基づく社会観。 欧米のようにヨコ社会であるのと、日本のようにタテ社会であるのとでは大違いで、これは社会構造自体にも大きな影響を与えている。

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    投稿日: 2012.02.23
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    45年前に書かれた本だけど、昨年出版された本(『人事部は見ている』)と内容がほとんど変わらない(『人事部は~』は人事・組合関係から光を当てているだけなので範囲は狭いが。)。 半世紀程度じゃ、日本人の日本人的なところは変わらないということですかね。

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    投稿日: 2012.01.30
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     たまたま、池田信夫さんのメルマガでとりあげられていて、自宅の本だなにもあったので、読んでみた。  有名ですよ。この本。確かに。でも、社会人類学とか気負っているので、自分の意見をだらだら書いているだけで、論証となるデータも事例もない。  こっちが、いじわるになったのか、同時はそういう風潮だったのかわからないが、あんまり説得力を感じない。  タテだけをかいてるわけではなく、この本の2章の「資格と場」という発想はおもしろい。  もちろん、資格はカーストのようなもので一生ついてまわるもの、場は、その場所に入ると仲間になるもの、会社組織のようなものです。    僕は、以外とこれから、タテの規律が壊れていって、場というよか横の共同体が重要になるような気がする。 (1)昔からあった自治会、最近できているいろいろな協議会、ひいてはfbの友達なども、横の連帯、あんまりタテの関係はないと思う。 (2)高度成長期がおわって経済停滞の中で、中根先生がいうような年功序列では、とても海外の競争に勝てない。そんなことをまだやっているのは役所だけ。(だといいな。意外と民間でものこっているような雰囲気もするが) (3)都会のマンション生活が、やむをえず、横の人間関係をつくりだしてくる。管理組合の運営などその典型。  けちばかり、つけたが、40年前の古典としてよめば、それなりにおもしろい。

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    投稿日: 2012.01.15
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    (日本人の)「根強い人間関係のあり方というものは、決して、従来説明されてきたような封建制などという簡単なものではないし、工業化とか西欧文化の影響によって簡単に是正されるものではない(p.165)」 1967年のこの指摘は、相も変わらずグローバル化か日本独自路線で逡巡する現代日本においても重要さを全く失っていない。 そう簡単に是正されない日本社会の特徴の源流は何か。筆者によれば世界に類を見ない日本の「単一性」である。 だとすれば21世紀においても、外見上は一般化共通化したグローバル的制度に「日本的人間関係=タテ社会」が内在し続けるということだろう。

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    投稿日: 2011.12.05
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    集団の根源を「場」と「資格」という2つのタイプに分け、日本の集団、組織論を展開しているが、斬新でしかも実際に合致する部分が多くあると感じた。 組織をマネジメントするにあたって、新しい視点を与えてくれます。 初版の発行が40年以上も前のことなので、時代背景の違いは感じますね。ただ普遍的な部分もかなり多くあります。 現代の我々が生きる日本の組織を理解するには、我々の目をもって本書が与えてくれる視点から考えるべきですね。大いに考え、悩み、何かを見つけたいものです。

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    投稿日: 2011.08.08
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    これだけ長く売れて,さらに110万部も売れている新書は珍しいのではないか。 内容は21世紀になっても古くなっていない,というか日本社会が変わらないということか。

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    投稿日: 2011.08.02
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    日本人論のブームの中での文化人類学者の著者が、日本の中にある仕組みを指摘した良書。今でもこの仕組みの中で日本人が生活しているとしか思えないのはよいことか、憂うべきこと?・

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    投稿日: 2011.06.29
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    44年前に書かれたとは思えないほど、現代に当てはまっている。 というか、この本を読むと、社会組織がいかに変わろうと、社会構造(社会の本質)は変わらないってことがわかる。 日本では、ウチ・ソトの区別をはっきりさせるために、ソトに対して排他的になったりするが、ウチにおけるヨコレベルでは、まさに横並び。この点では、根強く「年功序列」が残っている。 また、リーダーの在り方も、西欧のそれとは違い、下からの意見を加味しなければならず(そうしなければ、そっぽ向かれてしまうため)、リーダーシップを発揮できる範囲が限定されている。 これを読むと、やっぱ日本人て特殊(他の国の人とは違うん)だなぁ、と思う。

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    投稿日: 2011.05.11
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    [ 内容 ] 日本社会の人間関係は、個人主義・契約精神の根づいた欧米とは、大きな相違をみせている。 「場」を強調し「ウチ」「ソト」を強く意識する日本的社会構造にはどのような条件が考えられるか。 「単一社会の理論」により、その本質をとらえロングセラーを続ける本! [ 目次 ] 日本の社会を新しく解明する 「社会構造」の探究 「場」による集団の特性 「ウチの者」「ヨソ者」意識 「タテ」組織による序列の発達 集団の構造的特色 日本的集団の弱点と長所 リーダーと集団の関係 人と人との関係 [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]

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    投稿日: 2010.11.20
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     やー、名著と呼ばれ、40年以上も残るだけあってホントにすごい本だなと思う。日本社会を西洋(イギリス)社会とインド(や中国)社会と比較しながら、自身のタテ・ヨコ理論により、そのユニーク性を分析する。  資格・場という2つの切り口から、分析は始まる。資格とは、例えば、名前(血統的な意味も含む)・学歴・社長など。場とは一定の枠組みである。例えば、~社の人間、…大学の人間と言った感じ。  日本の場合、「場」が非常に強く、「資格」が相対的に弱いという点が、他国と圧倒的に異なる。西洋社会・インド社会はその真逆だったりするらしい(実際行ったことがないので分からないが…)。その結果、ウチとヨソと言う概念が生まれ、ヨソの干渉を嫌うようになる。例えば、日本だと「家」という単位が大きな意味を持つ。家という観点では、兄弟よりも嫁の方が重要な要素として扱われる。兄弟は、分家などと呼んで別の「家」とする。また、ムラという場を考えると、外から来た人に対して、ヨソモノとして冷たい仕打ちを与える。上小阿仁村における村で唯一の医師の辞任問題もこの状況と同じかもしれない。  また、中途半端に平等主義がまかり通るようになる。例えば、勤続年数を基に給料が一律に向上し、また表面上は平等に管理職への道が見えているという点で、能力が劣る人でもガムシャラに働く。一方で、優秀な人材はバカを見るシステムとなっている(企業面での、この日本式の考察は、「経営パワーの危機」http://www.amazon.co.jp/dp/4532191653を参照)。  一概に日本のシステムを否定することはできない。しかし、アカデミックな分野や企業社会において、言うべきことが言えない文化(論理的な議論は学問を成長させるものだし、感情だけの理論では、企業をつぶしかねない)は改善するべきだと思う。こりゃ、再読が必要だ!

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    投稿日: 2010.03.25
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    いまさらですが、1967年刊行のロングセラー。なるほど今でも諸問題の構造を知る上で押さえておきたい本。うーん、なるほどなぁ。お勧めです。

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    投稿日: 2010.01.05
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    日本社会論の不朽の名著。発売以来120刷を越えている。 遅ればせながら読んだが、やはり名著である。 日本社会において、外国の契約関係のような関係は成立せず、何事においても周囲の人間に遠慮をしたり許可を得たりする必要があるということが述べられていて、さらに、リーダーの権限の小ささについても述べられている。 さらに、リーダーの権限が小さいがゆえに、副リーダーの2人が派閥を作ったりして、リーダーがいなくなったときには後継争いが起こったりするということが書いてあったが、これなどはまさに自民党の構造そのものである。 言われてみれば当たり前のことだが、言われてみなければ気づかないことがたくさん書いてあった。非常にためになる本なので、ぜひ一読を薦める。

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    投稿日: 2009.11.01
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    文化人類学的視点より書かれた日本のタテ社会がもたらす閉塞性と弊害を明確に浮きぼらせている。 最近 欧米型の人間関係>日本型の人間関係という方程式がよく言われるのは経済の停滞に起因すると思っていたのだが、日本が高度成長期のまっただ中にある1967年に書かれたのだからすごい。 さらに同じ年上を敬う中国、カースト制をとるインド人との人間関係と比べている。 常日頃日本的な組織に属しているときに感じるばつの悪さを言語化している。 タテ組織、人材の流動性の低さ、妙な平等主義 面白いの一部抜粋します。 「…日本人の好む民主主義とは、この人間平等主義に根差している。これはすでに指摘した「能力差」を認めようとしない性向に密接に関係している。日本人はたとえ、貧乏人でも、成功しないものでも、教育のないものでも)同等の能力をもっていると前提としているから)、そうでない者と同等に扱われる権利があると信じ込んでいる。」 「「みんながこういっているから」「他人がこうするから」「みんながこうしろというから」ということによって、自己の考え、行動にオリエンテーションが与えられ、また一方、「こうしたことはすべきではない」「そう考えるのは間違っている」「その考えは古い」というような表現によって、他人の考え・行動を規制する。このような方式は、つねに、その反論に対して、なんら論理的、宗教的理由付けがなく、もしそれらの発現を支えるものがあるとすれば、それは「社会の人々がそう考えている」ということである。すなわち社会的強制である。」 「はっきりいうと、知らない人のもの、自分の反対に立つ人のものに対しては、悪評はするが、知人や仲間、特に先輩のものに対しては、必ずといっていいくらいほめている。」 「日本社会におけるほど、極端に論理が無視され、感情が横行している日常生活はないように思われる。」 大部分同意しますが でもでも、日本のタテ社会がもたらす良い面をもうちょっと、記載してほしかったな。。。 まぁ、理解できるけどね。 外の欧米社会に留学してそこでの人間関係が心地よいと感じてしまえば、日本の閉鎖的なタテ社会には嫌気さすよ。 この、村社会の名残が、外国人留学生との確執を生んでいる気がする。

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    投稿日: 2009.01.27
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    日本人がよく口にするよそ者やウチの者という言葉はどういう心理や状況から生まれる感覚であるかを述べている。日本では、近くにいる人を家族のように接し、家族でも遠くにいる人とは、よそよそしく接してしまうが、インドでは血縁関係がはっきりしていれば、今まで知らなかった人でもすぐに家族として受け入れて接する、と書かれていた。あと、日本ではどこかに属したとき、上下関係がはっきりしていて名前の呼び方にも一つの形があるが、イギリスでは、ファーストネームで呼び合うことが普通であるらしい。世界と比較すると日本で当たり前のことが、日本だけ特殊であるということが少なくないということがわかった。

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    投稿日: 2008.09.13