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遠くまで歩く
遠くまで歩く
柴崎友香/中央公論新社
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総合評価

18件)
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    「コロナ禍」を懐かしむ気持ちは少しもないけど、あの時期特有の人との繋がりや交歓は確かにあった。 それによく歩いた。 歩いたことぐらいしか記憶にないくらいよく歩いた。 しかも遠くまで。 そんな時代の記憶や感情を後に残す貴重な作品だと思った。 『その街の今は』をまた読みたくなった。

    0
    投稿日: 2025.10.20
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    ステイホーム期の小説家の一日を淡々と綴ったもの。いくらでも読めてしまいそうだったが、ちゃんと終わりが来た。好みでした。

    51
    投稿日: 2025.10.12
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    なんとなーくなお話だけど、アイテムから由来を話すくだりは面白かった 一瞬の感覚を伝えようとするお話。

    1
    投稿日: 2025.09.22
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    コロナ禍の真っ只中、「思い出深い場所」をテーマに作品を作るというオンライン講座で出会った人たちとその後のお話。 講座の場面、作品の羅列が多すぎてしんどかった。作品ひとつひとつはどれも興味深い内容だったのに残念。

    2
    投稿日: 2025.09.03
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    文章を書く、とりわけ物語を書くというのは、自分の経験してきた事や感じてきた事の反映であり、それを伝えんがために文字に起こす、という事なんだろう。 前半はささっとと読み進め、最終章はじっくり、少し落ちてくるものがあったかな。

    1
    投稿日: 2025.08.22
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    コロナ時期が舞台。オンラインでのワークショップを軸に話が展開していく。場所と人の記憶というテーマが分かりやすく前面に出ていてたと思う。 川に沿って歩く場面も講座との対比でとても良かった。

    0
    投稿日: 2025.07.20
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    コロナ禍で失ったものを懐かしく思い出した。 人と会うこと、みんなで集まること 歩きながらの感じたことを言うことを 思いついてできることの貴重さは コロナ禍があったから。 オンラインで会ってたあの時と 遠くまで歩ける今にはやはり隔たりがあるのだと

    0
    投稿日: 2025.06.03
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    コロナ禍の世界、私は変わらず出勤していた。オンラインの仕事はたくさんあったけど同僚と毎日顔を合わせていた。オンラインの飲み会には一度も参加しなかった。家族がいれば人恋しくはならなかったせいなのかも。オンライン会議は苦手だった。そもそもこういう講座そのものが苦手なのか、ちっとも話に入っていけない。あ〜もうあんな事態には二度と遭遇しなければいいなという物語とは無関係な感想だけが残って読了しました。

    0
    投稿日: 2025.05.25
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    コロナ禍で漠然と考えていたことや行動したことってこういったことだったなと要所要所で思い出させる書きぶりだ。 ==== モニターの枠の外側は、いつも通りの散らかった自分の部屋である。さっきまで丘ノ上のにぎやかな声が響いていた反動で、部屋の中はとても静かに感じる。自分がマウスやキーボードを操作する音とエアコンの振動する音だけだ。オンラインの打ち合わせやイベントや、何度やってもこの終わった瞬間に一人になる感覚は苦手だ、とヤマネは思う。(p.40) ==== 2020年になってから出てきた感覚であるなと思う。 この時期は特に時間間隔が狂っていたことも思い出す。別箇所にあった、東京オリンピックが本当に開催されていたっけ?という感覚にも共感した。 持ち寄った写真についてあれこれお話する展開で、静かに心地よく進んでいく。写っている風景を眺めたりや生活感を感じたり、それらについて集まった人と話したりしていくことで、新たな気づきを得る。長く他人と話さないと自分のことが少し分からなくなる。そのぼんやりとした感覚がうまく小説の中で表現されていてとても良い空気感であると思えてくる。 ======= 「なんていうか、たまに人に会うと、自分じゃない人と接するからこそ、自分の輪郭がはっきりするなと思って。ずっと親しい友人、ほら、あれ、ああ、あれね、みたいに通じる人だけじゃなくて、仕事や環境がかなり違う人にごくたまに会うと、はっとするんです。急に、目が覚めた感じというか」 ときどき喉の奥で咳の気配がして、ヤマネはその度に水を飲んだ。 「では、ぼくは今日、こちらにうかがってよかったということですね。駅を出て、歩いている人たちに囲まれて、森木さんが今言われたような感覚がありました。全然違うかもしれませんが」 コーヒー豆を挽く音が聞こえてきた。何十年も、毎日、どれくらいの時間この音はこの店に響いているのだろう、とヤマネは思った。(p.284)

    0
    投稿日: 2025.04.17
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    このレビューはネタバレを含みます。

    遠くまで歩く 著者:柴崎友香 発行:2025年1月25日 中央公論新社 初出:「読売新聞」夕刊 2023年4月17日~2024年2月24日 (2025年4月16日読了) コロナ禍は2020年春に始まり、2023年5月初旬の5類移行まで続いた。この小説は、2021年~2022年夏までの物語が中心で、それに加えて、最後の章は2023年秋の物語で締めくくられている。主人公の森木ヤマネは小説家で、あることから、映画監督が主催する映画スクールにゲスト講師として2年間参加する。開催はリモートで講座をし、最後の2023年秋はリアルである場所を歩く。いわば〝遠足〟である。 物語は、森木ヤマネと出版社の本多直記とのやりとりからスタートする。ヤマネが書いた未収録短編集を出すことになり、本多はその担当エディターだった。本多はヤマネが書いた文章から、「五分だけの散歩」という短編があることを知った。それは16年前に書いた短編のようだが、どこからも見つからないという。雑誌などでも未発表なのか? 実は、ヤマネもその短編には覚えがない。書いたことすら記憶にない。しかし、書いたということを、なにかに自分で書いているのは事実だった。 時間と記憶の関係は不思議である。年を取ると、昔のことがつい最近のことのように思え、鮮明に記憶に残っていたりするが、つい最近のことは綺麗に忘れていたりする。コロナ禍では、単調な毎日が続き、あれはどの年の夏だったか分からない、記憶に区別がつかない、という現象が酷くなったように思える。この小説にも、中間あたりに、こんなことが書かれている。 (163ページより) 何年前だった、何か月前だったという時間の距離感みたいなものって、その結びつきで記憶されていますよね。私は、去年の春からの時間感覚がつかみどころがないというか、うまく思い出せないんです。どのできごとがいつのことだったか、今年の春だったのか去年の春だったのか。 去年の夏と今年の夏は、オリンピックが開催されえていたかどうかでかろうじて区別がつく感じなんですが、つい数ヶ月前のオリンピックですら、ほんとうに開催されていたっけ、みたいなあやふやな感覚があって。 柴崎友香は2024年に出版した『あらゆることは今起こる』で、自らがADHD(注意欠如多動症)であることを明かしている。その診断を受けたのは、なんと2021年9月だという。1973年生まれの彼女だから、40代後半ということになる。その著作の中で、こんなような記述があった。 (『あらゆることが今起こる』より) 結婚パーティがスケジュール上にある日付と、現実の日付が、たぶん別の並行世界状態になっていて、併存していた。結婚パーティに着ていく服を買うため新宿に行き探しているときに、えーと、○日の土曜日やったから・・・あれ、もう過ぎてるやん!と突然気づいた。 彼女はそんな感覚も踏まえて、時間の感覚についてこの小説でも書いているのかもしれない。 ****** 柴崎友香作品ともなると、とても期待してしまう。今回も期待したが、裏切られた気がする。恐らく連載小説だったからではないだろうか。締め切りまでに絶対に字数をうめなければいけない。しかも新聞、来る日も来る日もそれに追われる・・・出口が見いだせないまま、クルクルと話は回り、時がたっていく。そして、1年近くしてやっと出口が見えて、どこか中途半端に終わってしまった。そんな印象が残る小説だった。表現は悪いが、彼女にしたら、駄作の部類に入るのではないか。 映画サークルのゲスト講師をする部分の話が多いのであるが、生徒たちに、最初は1枚写真を用意して、それに絡んだ文章を書いてください、という課題を与える。次には、3枚の写真を用意して文章を書いてください、という課題となる。段々とストーリーのような文章になっていくはずだから、と。 1枚写真の時は、数人分の発表シーンですんだのだが、3枚写真になると多人数の発表シーンをだらだらと書いている。みんな似たような話で、子供の頃の思い出話のようなものばかり。講師としてのヤマネの指摘も評価ばかりで歯切れが悪く、だらだらとしている。この部分はつまらないし、小説の出口が見つからないのかもしれないという印象を読者に与える。 小説の最後に、リアルに会って〝遠足〟をするのだが、その参加者の一人が「五分だけの散歩」を知っていて、読んだという話が展開する。何かの小冊子だったように思う、と。しかし、そこまで止まりで、中途半端に途切れて終わっている。これまた理解できない切れ味の悪さだった。 ***** 1.忘れられた小説/ある年の八月 森木ヤマネ: 本多直記:未収録短編集の担当編集者 2021年5月、イギリスの大学の翻訳サマースクールに参加。 ・アメリカから千葉に留学中の学生 ・リトアニアの翻訳者 ・ヤマネ 2週間後、出版社での打ち合わせ。 「五分だけの散歩」(16年前に書いた短編、覚えがない) ヤマネ、夫とは7年で離婚。人間の脳細胞は7年で入れ替わる、作家のスランプも7年に1度? 2.地図を始める/九月 丘ノ上太陽:映画監督、8月にメールを送ってきた、大阪弁 七坂マチ:丘ノ上の事務局 小滝沢道子:地図を作る教室をしていた先生 ・川端あしほ:小滝沢の授業を取っている大学2年生 ・入江:15年前に丘ノ上の撮影スタッフだった、ウェブサイト作成や映像の編集をしている、瀬戸内海でゲストハウスしようかな・・・ ・ヤマモトマヤ:漫画やイラストを描く仕事、高一(長子)の母、 花井みどり:友人でイラストレーター、東京での初友人、遊びに来る ビデオ会議システムによる映画スクールへのゲスト講師としての参加。 1.身近な場所の写真を撮ってみる 2.身近な場所の地図を描いてみる 3.思い出がある写真や地図や絵で表してみる としてきた。最初に参加したのは3だった。次にヤマネが講師として・・・ 4.写真を1枚選び、その場所を誰かに伝える文章を書く、を提案した 3.場所を思い出す 映画スクール ・湯元真二:定点観測の映像、異動のため水曜夜は参加できなくなった ・平野リノ:ベルリン在住、建築事務所 ・堀:ほりっち、丘ノ上と同じ高校(後輩)、映画にも出演、不動産業 ・辻小巻:FとR(ルース、台湾)と3人で同じ家に住む ・堤健次:河川敷から変わらぬ鉄橋を撮影した写真 4,道をたどる/十一月 映画スクール ・川端あしほ:階段だけが残りその先がない写真、トマソン系 ・北野大地:北海道移住。神奈川県生まれ、 ・畑田(はたけだ)耕太:直前に欠席連絡、ラーメン屋の写真、 *次回は写真3枚+文章を提案、ストーリーが生まれるかも、と。 みどりんが来て、夕食に居酒屋へ。 来年、小田原に引っ越す予定だという。 5.声を聴く、声を話す/秋から冬へ 映画スクール ・湯元真二:定点観測の映像(10月16日~11月15日) ・入江:『昔の話』、父親の写真(本当は父の従兄弟)、猿がセミの抜け殻を投げた父の思い出話 ・ヤマモトマヤ:『遊歩道から続く』、遊歩道を子供と散歩する写真、僅かに紅葉しかかっている葉っぱ、押し花の額 ・堀:『あのときだけの場所』、アーケード商店街、古い雑居ビル、道頓堀。アルバイトしていた居酒屋の客に誘われて行った店、桃のジュースをご馳走になる。 ・川端あしほ:『会ったことのない人の記憶』、会ったことがないトシオさんの話。37歳で交通事故死、二眼レフカメラ ・堤健次:一戸建てマイホームに引っ越して1年、イノバラが咲いている家を見つけたが、塀の木戸はいつも開いている。奥のドアも。犬は預かるから中へどうぞと言われ、入ると古そうな椅子やテーブル、人形、電気スタンドや雑貨などがある。木彫りのレターケースを買う。 ・畑田耕太:『遠くを見る』、帰宅が間に合わずに欠席、子供の頃に夏休みに行かされた祖父の田舎の家、ギターがあったがそれは父が若い頃に使っていたのではなく祖父がいきなり始めると言い出して買ったものだった。父が東京の大学に行くといい、それで対抗したのかも? ・平野リノ:ベルリンから参加、自らが住むアパート、借りたくても競争率が高い、大家が自らリフォーム ・魚住ナミ:病気のため久し振りの参加、ヤマネ講師下では初参加となる。黄ばんだ写真、長屋、1982年当時の出身地の街、写真展で見る。なんと自分が住んでいた家が写っている。ただし、1982年だと19歳だからもうこの街からは離れている ・辻小巻:温泉宿の写真、同居人Fさんから旅行した場所について聞いた話を書く ・大野大地:畑の続く写真を朝と午後と夕方に撮影 ・柏木ひろ子:参加者最年長68歳、よく通った喫茶店と茶色い冬期のカップに入ったコーヒー・・・・ 6.話すことを思い出す/次の春から夏 2022年3月5日~先週末まで、市民センター3階にある実物の「302教室」で「実践講座・身近な場所を表現する/地図と映像を手がかりに」の受講生たちの作品展が開催されていた。ヤマネがゲスト講師として参加した3ヶ月の後、受講生たちはそれぞれの表現形式で作品を完成させていった。映像、手書きの地図、写真コラージュした地図、短編映画・・・見に行きたかったが、感染が心配、仕事がたてこんでいた、そして、体調を崩すも症状があると医師に診てもらえないので、オンラインで見るに留めた。 3月になると、短編の編集担当である本多に会った。去年の打ち合わせ会議以来だった。1月に家族がコロナに感染していた本多。短編集が無事に発刊できて打ち上げをしたかったが、できなかったことを詫びている。また、前から提案している長編は書けそうか?とも言ってきた。もう少し見えてきてから書くつもりのヤマネ。 6月に二年半ぶりの遠出。陶芸教室などの体験、雑誌の企画、コテージに2泊3日。帰りの鉄道の中で、ハトに卵を産まれてしまって困ったと話をしている10歳ぐらい上の女性2人連れの話を聞いていて、思わず声をかけてしまう。もちろん、マスク越しに。ヤマネもマンションの換気扇口に巣をつくられかけた体験を話した。3人で盛り上がる。日頃、知らない人が多い都会で暮らしていると、ほとんど喋らなくても生活ができると自覚していたヤマネだったが、見ず知らずの人に話しかけていた。 8月には、三年ぶりに郷里に帰り、地元の友人たちと会った。 あまり人に会わない3回目の夏。 9月、感染者数が落ち着いてきて、映画に。帰り道、最寄り駅近くで声をかけられた。七坂マチだった。意外や意外、近所だったとは。しかも、ヤマネのベランダからよく見えるマンション。オンライン講座の後、夜更かし仲間だと思って電気がついている部屋をよく見ていたが、そこに住んでいるという。 しかし、もうじき引っ越すという七坂。次の土曜日、友達を呼んで食事会をするのでと招かれた。彼女の部屋から見える、今はだれもいない部屋。そこからこちらを見ている自分の姿が思い浮かぶ。 7.遠くまで歩く/さらに次の年の秋 西武鉄道拝島線上水駅、午前9時45分。 七坂ナチが、畑田耕太と堀(ほりっち、大阪)の3人でいた。そこに、辻小巻(F、Rとシェア)と湯元真二(定点観測)も現れた。

    0
    投稿日: 2025.04.16
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    コロナ禍で外出もままならず、それまでの暮らしが成り立たなくなって誰もが生き方を模索している時期に302教室で催された企画もオンラインになり、参加者それぞれが課題に沿って作品を出し合いコメントし合う様子が前半で描かれる。作家の森木ヤマネも一時期請われて参加し、一人の部屋にいながら日本国内に留まらない様々な地の風景とそれに纏わる想いに触れる。後半はコロナ禍が一段落し、実際に講座の参加者たちと顔を合わせて話をする機会が描かれる。いつのどんな状況であっても、人との出会いと会話から得られるものの奥深さと、連綿と続く時の流れを体と心に刻みつけられるような心地の読書だった。

    0
    投稿日: 2025.04.13
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    あくまで個人的にだけど好みじゃなかった。映像を文字にした感じの作品、全く悪くないし空気感は好きなのだけども

    0
    投稿日: 2025.04.04
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    人の記憶や時間感覚は、思った以上に不正確なものであることを再確認させられる話。 「遠くまで歩く」というタイトルは、距離だけでなく記憶の中の遠く(=昔の記憶)まで遡って振り返ってみるということ。 本作では登場人物たちが身近な風景の写真と地図を基にして、そこにまつわる記憶や派生して考えたことを共有する会が開かれている。  記憶は記録しないと永遠に忘れ去られてしまうものも多い一方で、関連する映像や香りをきっかけに蘇ってくるものもあり、上述の会の参加者たちは改めてそのことに気付く。 それでも、その記憶が実は他の記憶と混ざっていたり、実は最初に思っていたより随分前の時代の出来事であったと気付くこともある。 本作は何か劇的な出来事が起きるわけではなく、先に先に読み進めようと急いでしまうと、単調に感じてしまうかもしれません。 そのため、時間的に余裕があるときにじっくりと味わいながら読みたい作品です。 映画や小説のような「作品」になると、鑑賞者はどうしても盛り上がる部分や「良い話」を期待してしまい、制作者側もそれに合わせた作品作りをしてしまいがちに思います。 しかし、作中にも出てくるような記憶にまつわる日常の景色をじっくりと観察し、その対象が積み重ねてきた年月に思いを馳せてみると、些細な事柄から浮かび上がってくる思考は無数にあるように思います。たとえそれが劇的なものではなくても、誰かの心を動かしたり、共感を呼んだりすることは、大いにあるのではないでしょうか。 記憶の中の「遠く」まで歩き、思索を深めることも案外楽しいことかもしれません。

    14
    投稿日: 2025.03.17
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    コロナの最初の頃って混乱してたな、と今となっては思う。そんな時期に人と会いたいと思う欲求は、それが実行しにくいからなんだろうな。制限があることが刺激になるというか。

    0
    投稿日: 2025.03.11
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    『いくつもの人の流れが交差する通路を歩き、ヤマネはようやく家に帰る路線に乗り換えた。ホームに入ってきた電車に乗り込むと、こちらもほどほどに混雑していた。ちょうど目の前の席が空いたので座り、一息つく。慌ただしくドアが閉まり、電車は走り始めた。スマホを取り出して、「普請中」がいつ書かれたのかを検索した。発表は明治四十三年。一九一〇年だから、百年以上前になる。百年以上、東京は普請中なのか、と思うと、長距離を移動してきた疲れも相まって頭の芯がふらっと揺れる感覚がした』―『話すことを思い出す/次の春から夏』 柴崎友香の風景というか情景描写がとても好きなのだけれど、その理由を突き止めようとすると言葉に窮する。ただその場の光景を言葉に置き換えているのではない。その視線の持ち主の心情がその景色をそのように見せているのだということが伝わって来るような書きぶり。デビュー以来、その筆致は変わることがない。 それなのに、この、普段なら数日もあれば読み終えてしまうだろう一冊の頁が中々進まないのを何故だろうと考えながら読んでいた。そして、読み進めなくなるのは、主人公が参加するオンラインでの創作講座の部分だと気付く。参加者が発表する画像や映像を描写する文章で躓いてしまうのだ。ああ、心情なしの描写だと柴崎友香の文章といえどもすっと言葉が入って来ないのだな、と。 本書は作家である主人公がコロナ禍の生活を過ごす、言ってみればヴァーチャルな人々との会話の前半と、ある程度自由に外出でき人とも会うことのできる後半とのコントラストが際立つ構成となっている。後半は、断然いつものこの作家らしい筆致で情景描写や会話が進むので、読んでいて楽しい。それに比べると前半は意図的かと思える程に色の無い世界の中で話が進む。例えば、オンラインの創作講座で発表される作品にモノクロの作品が多いのもそれを強調する。落ち葉の押し花を使う作品からも何となく枯れた葉の色が連想される。この作品は新聞の連載なので最初からそのように設計していたかは定かではないけれど、2023年からの連載時にコロナ禍での作家の実生活の中での心象を振り返り、それが反映されているのだろうと想像する。そして連載中に起きてしまった事象もまた、小説には投影されている。もちろん主人公の作家が柴崎友香本人だなどと野暮なことは言わないけれど、随分と重なる部分はあるし、独り言のような心情の吐露は作家自身の心の内を聞いているようでもある。それもかなり率直に思うことを語っているように聞こえる。 後半も最後の方になって、作家が担当編集者に対して、たくさん人が登場する作品が書きたい、という場面が出てくる。それが、この本のことを湾曲的に示唆しているようでもあるし、そうでないようでもあるのだけれど(しつこく言うけれど、この主人公を作家本人ではないと思いながら読むのは実は中々難しい)、自由に外出できるようになってからオフラインで講座の参加者たちと玉川上水を歩きにゆく場面は、同時並行に幾つもの会話が進行していて、こういう作品を意図していたのかなと勝手に理解する。それは柴崎友香の作家としての可能性をいち早く見抜いた保坂和志の「カンバセーションピース」の最終場面とよく似た構図でもある。最もこの小説は、そこへ向かって収束してゆく訳ではなくて、むしろ自由になった世界の中で改めて理解する不自由さや不条理のようなものの存在を静かに語り、自分の身に引き寄せることが主題となっているような気がする。作家の静かな主張が確かに響いている作品だと思う。

    6
    投稿日: 2025.03.05
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    コロナウイルスが蔓延し不要不急の外出は控えて欲しいと盛に言い出した時にオンラインでの講座開催の話しが前半の話しだったが小生にはどうも苦手だ!6話7話になってやっとホッとした。著者は多分猫大好き人かな?なんて思ったが?

    1
    投稿日: 2025.02.25
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    「思い出深い場所」を作品にするという講座の物語。コロナ禍で、本当にあったような講座だなと思う。オンライン開催という設定のせいか、まるで自分も参加者の一人のような気分で読んだ。 みんなの作品に出てくる場所がノスタルジックなものが多くて、過去の記憶を刺激されまくった。 特に似ているというわけでもないのに、その時代特有の雰囲気で、昔に引っ張られるのかな。 懐かしい場所に行ってみたくなる…いや、行っておかなくちゃという気持ちになった。

    39
    投稿日: 2025.02.23
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    読売新聞夕刊に連載された長篇小説。始まってすぐは読んでいたが、すぐに止めてしまった。まとまった形で読んでも、うーん……となった。 作家の森木ヤマネが過ごしたコロナ禍の日々を綴った作品だ。彼女が思い出せないいくつかのこと、ゲストとして参加した「実践講座・身近な場所を表現する/地図と映像を手がかりに」と題するオンライン講座、感染状況が落ち着いた頃の「遠足」などが、日常風景と共に綴られていく。 中でもオンライン講座が曲者で、参加者たちの“作品”がとにかく退屈。作家としては一番の読ませどころなんだろうし、それぞれの人生や背景までも創造するのはすごいとは思うが。

    1
    投稿日: 2025.02.08