
総合評価
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powered by ブクログNHKの歴史番組である程度は知っていたものの、改めて活字で読むと、今までの歴史の教科書では知り得なかった話が多いと感じた。 古代とはいえ、他国との関係を意識して、教科書としては記載しないという配慮だったのか。 いずれにせよ興味深い。
13投稿日: 2025.11.11
powered by ブクログ高句麗の好太王碑に4世紀末頃の日本進出の記載があり、朝鮮半島に任那日本府があったとと学校時代に日本史で学んできたが、碑文は日本軍の改竄ではないかと、その後聞かされてきた。しかし、今では改竄ではないとされているらしい。任那は百済、新羅と同じような広さの「国」に近い領域があったように感じていたが、当時は加耶とよばれ、多くの小国があったようで任那日本府もその一部だったということを理解した。
0投稿日: 2025.10.15
powered by ブクログ何となく中世の松前とアイヌのやり取りを朝鮮半島と日本でやってたような想像を勝手にしていたので、日本側がほんとにある程度の勢力だったと現代朝鮮半島史観でも認められてるのだとすれば、ちょっとうれしい。のは愛国心なんだろうか。
3投稿日: 2025.09.22
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
朝日新聞の書評で紹介した本である。かなり専門的であり、日本書紀のなるべく事実の部分を抜き出して分析するという方法をとっている。伝聞伝聞からのものであるので、すこし内容がぼやけているような気がする。学生が卒論で扱う場合には非常に難しいと思われる。3600冊目であった。
2投稿日: 2025.09.19
powered by ブクログ古代史の中でも謎とされていた任那について、最新の研究をまとめた本である。結論からいうと、任那とは加耶諸国に住んでいた倭系の人々の総称であり、ヤマト政権の出先機関ではなく、ましてヤマト政権の植民地ではないという。そもそも近代の概念である国民国家の考え方で古代史を理解しようとするのは無理がある。人は、国などという意識はなく、それぞれの住みたいところに住んでいたのだ。
0投稿日: 2025.07.30
powered by ブクログハン・ガンを読んだこと、番組で韓国の現在が日本の姿に近似してきていることなどがきっかけで手にした本。663年白村江の戦い以前の任那日本府とは何だったのかを朝鮮の史書「三国史記」を基に読み解いていく。百済から送られた372年の七支刀の存在がこの時以来の百済と倭の交流の存在を実質として意味づける。つい先日この七支刀を国立奈良博物館で見たところであった。朝鮮半島と日本の間の海を越えた相互的な交流が4世紀から続いていたことをもう一度確認できる一冊だった。
0投稿日: 2025.05.22
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
期待ハズレ。 勝手に、もっと新たな研究や考古学的発見を通じての検証が行われるのかと思ったが、文献を渉猟した分析、見解がほとんどだった。 NHK出版の『新・古代史』のほうが面白かったかな。 https://booklog.jp/users/yaj1102/archives/1/4140887354 文献も非常に限られているのも残念(というかやむなしだけど)。それより、本書は朝鮮半島での歴史や、古代国家の成り立ち・変遷がほとんどで、そこに日本がどう関わったかの記述が少なかったのが期待ハズレの一因かな。 副題の「古代朝鮮に倭の拠点はあったか」問題も、日本国が積極的に人を送り、設けたものではなかった、とうい結論も、ちょっと残念(笑)
0投稿日: 2025.05.22
powered by ブクログ本書は3世紀以降の朝鮮半島と日本列島にあった古代国家との関係を史料(史料批判を含む)を基に考察する。高句麗・百済・新羅の三国は教科書にも出てきたが、加耶/任那は読メに出会ってから知ったと言って過言ではない。古代国家が編纂した歴史書は、神話であったり自国に都合の良いことを書くため、中韓日の資料を比較検討するのだが、離合集散がなかなかにややこしい。倭(ヤマト王権)が朝鮮半島に進出したくとも、軍事的にも距離的にも無理があったのだと思う。
1投稿日: 2025.05.05
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
仁藤敦史「加耶/任那」あとがきに本書の主張がわかり易くまとまっている、3~6世紀朝鮮半島南部の十数か国の小国群「加耶(加羅)」(主に大加耶・金官・安羅)、日本書記では任那と表記されるが、百済サイドからは安羅を指し、新羅サイドからは金官四村を指し、時代によっても範囲が異なる、また任那日本府(百済系史料、ここでは安羅)という愛国心をそそる問題にしても、実体は統一国になる前の顔役とでもいうか統一国家でもなく①倭から派遣の使者②土着した二世の旧倭臣③在地系の加耶人の3つから構成された集団が、倭・新羅・百済との駆け引き(時には中国へ独立国として認められるべく朝貢もしている)で自国の存続とイニシアチブを握る為に内通・裏切りを行っている、任那という存在について自分でも整理できつつある
2投稿日: 2025.04.16
powered by ブクログ任那って本当にあったのという長年の疑問のために購入。ちょんとした支配という感じではないという著者の見解。専門書の風であり、結難しい。
0投稿日: 2025.04.13
powered by ブクログ3~6世紀に朝鮮半島南部に存在した小国群の歴史を実証的に示そうとする内容。基本史料や研究史・論点の解説が冒頭に置かれることもあり、時期毎の国際情勢や中心勢力の変遷を丁寧に押さえながらの論述が分かりやすい。
1投稿日: 2025.04.11
powered by ブクログ最新の古代朝鮮史が展開されるとして、学術書には珍しくなかなか借りれない状況だったが、やっと紐解くことができた。残念ながら、私の期待した記述はなかった。 「加耶とは、3世紀から6世紀にかけて、朝鮮半島南部にある洛東江(大邱、釜山を通り朝鮮海峡に流れる)の流域に存在した十数か国の小国群を示す名称である。」代表的な国として金官加耶(金海大成洞古墳群)、大加耶(高霊 池山洞古墳群)、阿羅加耶(カン安 道項里古墳群)、小加耶(固城 蓮塘里古墳群)がある。このうち私は道項里古墳群を除く古墳群に2回以上訪ねたことがある。弥生時代に関係すると、勘違いしただめだ。3世紀以降ならば古墳時代にとって重要な遺跡だった。 期待した記述と違ったのは、弥生時代と違ったと言うだけではない。それはある程度予想していた。加耶の通史を書くとなれば、少なくとも1-2世紀の加耶地域、つまり「弁韓」の歴史について、まとまった記述があるだろうと期待していた。 しかし、2世紀どころか、3世紀以前の信頼できる文献資料は、どうやらないらしい。ほとんど「神話」記述でしか残されていない。よって、反対に言えば、1-2世紀の南朝鮮と倭国との関係は、考古学的事実以外は、自由に描けるということだ。この当時、北朝鮮ののことは、楽浪郡の記事が中国の正史に載っているので、かなり信ぴょう性が高い。3世紀の事については、日本書紀の記述が神功皇后の時代に入り、いろいろ推理を働かせば信ぴょう性が高くなる。しかし、弁韓については、弥生時代の例えば出雲や吉備が、どのような関係を持ったかは、今は誰にもわからないのである。 この本には、考古学記述はほとんどなかった。 1-2世紀の倭国の歴史を調べる場合、文献は何処を当たるべきか、だいたの目論見がついたという意味で収穫だった。
109投稿日: 2025.03.18
powered by ブクログ昔、社会科で習った微かな記憶がある「任那日本府」、朝鮮半島に日本の支配地があったとする日本の歴史観と、対立する韓国学者の歴史観との論争を経て(決着はついていないらしいが)実際はこうだったのだろうという筆者の中間的な考えを述べた本。歴史とは時代によって解釈が変わってしまうのに気をつけたい。 それにしても各章扉の文字は大きすぎるのでは?
2投稿日: 2025.02.25
powered by ブクログ著者ご想像の通り、任那日本府の位置付けが知りたくてこの本を手に取った。わずかな資料しか残されていない中で、ここまで精緻に歴史を再現しているのは驚くほかないが、漠然と当時の状況を理解することはできた。今風に言えば、任那日本府とは「日系移民の自治会」程度の組織に過ぎず、百済と敵対していたが故に百済が十把一絡げで様々な倭系集団をそう総称したものだという。確かに現在の我々の感覚で植民地経営みたいな高度な体制を想定するのは無理があるわな。十分に説得力のある説だと感じる。 それにしてもこんな昔から朝鮮半島と人の往来があったなんてびっくり。どちらかと言えば日本の方が過ごしやすい気候ではないかと思うが、何故に古代日本人は日本海を渡ったのだろうか?次はこんな疑問が浮かんできた。古代日本とその周辺諸国にまつわる謎は尽きるところがない。
3投稿日: 2025.02.22
powered by ブクログ大変意義のある本だと思います。勉強になりました。が、難しいテーマだからか、大変真面目な書き振りで、あまり面白さは期待しないほうが良いようです。
17投稿日: 2025.02.21
powered by ブクログ紅顔のみぎり、学校で習った「任那」が最近は教えられてないと聞いた。当時の半島には、高句麗と、百済、新羅に任那だと思ってたんだが、どういうことね。 任那は、伽耶ともいう。又は加羅。 確固とした国でもなく、いろんな国の集合体だったようだ。 滅んだ国の伝統を引き継いだ国もないことから、極めて曖昧な存在らしい。日本を含む周辺国の文献に現れる著述を、慎重に分析しているということのようで、任那日本府も、日本の統治機構でなく、府というのは臣のことで、倭国関連の集団があったことだというのが最近の通説らしい。 この薄い本のかなりが過去の研究者の紹介だったり、この記述は信用できる、コレは潤色だよ、と、なんてか、聞きようによっては逆にいいとこ摘んでるようにも思えて、そんな詳細な研究歴史知りたいわけではなく、結局任那って何よ、なんで教科書から消えたのよという疑問は有耶無耶にされた感じで、なんか隣国との歴史すり合わせ集会の話もあって、ああそういうことなんか、と変な方向に得心仕掛けない感じで。 あんまり関係ないが、伽耶っていう名前いいよね。 一夢庵風流記でも、亡国に連なる幸薄い美女の名前にしてたが、いいわ。
2投稿日: 2025.02.17
powered by ブクログとても面白かった。もちろん、この著者の主張が学説として確定的な立場にあるかというと今後の研究の進展により変わるとは思うが、任那とはなんだったのか、ということに中立的にあたっているので、ミステリーのような面白さも感じた。
1投稿日: 2025.02.15
powered by ブクログ研究者の間では常識なのかも知れないが、p102の表「「百済記」を典拠とした『日本書記』の年代移動」にある、干支二巡・干支三巡(120年・180年)遡らせて日本書記を作った、という所が本書で最も得心が行った所だった。 この様な移動は朝鮮関係以外にも、対中国や国内記事にも仕組まれているのかも知れない。日本書記を歴史書と捉えるとありうべからざる事だが、神話と割り切ると神話の創作過程を覗き見る様で、また違った感慨がある。 田村書店千里中央店にて購入。
1投稿日: 2025.01.09
powered by ブクログ本書では、国家・国境や国籍など現在の国民国家的な立場を前提とした解釈ではなく、両属的、あるいはボーダーレスな立場の人々がいたことを、史料から実証・解釈し強調している。(221頁)加耶/任那の小国群にはまとまった史料がなく、複数の史料を組み合わせて読み解くなかで、新羅琴として定着した伽耶琴、加耶の地名がタイトルの作曲の記録があることが印象に残りました。
1投稿日: 2025.01.05
powered by ブクログ配架場所・貸出状況はこちらからご確認ください。 https://www.cku.ac.jp/CARIN/CARINOPACLINK.HTM?AL=01435072
0投稿日: 2024.11.07
powered by ブクログ昔は教科書に任那日本府という記述があったが、現在ではないという。歴史的に否定されているようだ。これは、朝鮮半島南部の加耶諸国などに倭系の人々がいたことを歴史書や古墳などからの出土品で検証した本だ。加耶などの諸国は日本では全体で任那という呼ばれていたようだ。これは大和政権の出先官庁ではなかった。しかし倭系の人たちはいて、日本からも交易や出兵などもあったようである。日本は鉄器などで交易できていれば良かったようだった。歴史の霧の向こうの話なので確定的には決められないが、霧の切れ間から少しは見えてきたようである。
2投稿日: 2024.10.28
