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猿の戴冠式
猿の戴冠式
小砂川チト/講談社
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総合評価

32件)
3.2
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9
7
6
3
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    動物園の猿と競歩選手の人間が手話のような言語で通じ合い、魂の邂逅をする…みたいなお話しでした 設定や表記の工夫、比喩表現などは良かったけれど、猿と人間のシンパシー具合がわかるようなわからないような… やっぱりわからないかなあ 猿がちょっと人間と近すぎたからかなあ… 取り合わせってあるよなあ 共感100パーセント!となる一文の次に全くわからんです共感0パーセント…となりまた共感100パーセント!!の一文が来て、またまた全然わからんです0パーセント…となる、わかるとわからないが波のように寄せては返っていってしまう感じがあった でも 猿が毛繕いする表現描写などはほんとうに夢見る心地よさでした 冠=プライドは他人から授かるものではなく自分で自身に授けるもの 間違っていても歩き続けるんだぞ、みたいに読んだけどちょっとそれも疑問があるような…読みきれなかったかなあ とゆうのが正直な感想です  もっと感覚的に聴覚的に読んだらよかったかもなあ なんとなく著者のやりたかった事は後に九段理江が「しをかくうま」で大成功させたのではないだろうか…とも思った 

    21
    投稿日: 2025.11.07
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    難しい純文学ですね。 多分2度3度読むともっと色んな事を感じると思いました。 人間と猿どっちのこと言ってるのかなって迷ったりして読んでました。 けどまた手にとって読んでみたいと思いました。

    10
    投稿日: 2025.11.05
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    ★3.8 しふみとシネノ。ヒトとボノボ。 言葉も種族も越えて、彼女たちは通じ合った。 いや、そう信じたくなるほど、孤独だったのかもしれない。 「感動した」とか「泣いた」とか、そういう類の本ではない。 物語のすべてが抽象的で、境界が曖昧で、構造はまるで“夢”のようだ。 正直なところ、意味がわからなかった。 ……が、それでいいのだと思う。むしろ、わからなさは、この物語の“仕様”だ。 「わからないから駄目」と切り捨てるにはあまりに惜しい。わたしの駄文を踏み台に、もう一度本書を手に取ってみてほしい。 なぜならこの物語は、わかりやすさや整合性ではなく、“魂の揺れ”を描いているからだ。 主人公・しふみは、かつて陸上競技での炎上をきっかけに、社会から距離を取るようになった女性。 もう一人の主人公は、言葉を教え込まれたボノボ(猿)のシネノ。人間の都合によって“知性”を与えられ、動物園に展示されている。 二人は互いを認識し、思い合っていく。 姿かたちは違えど、「期待を裏切った者」「役割を演じさせられた者」という点で、限りなく似ていた。 シネノ視点でのしふみと、しふみ視点でのシネノ。 互いが互いの目から自分も見つめ、交錯する。 視点が切り替わるたびにその差異はだんだん“遠近感”としてぼやけていくから、読み手は戸惑う。 それはもはや正しい混乱で、作者の意図するところなのだと思う。 言葉はしばしば隠喩としてしか機能しない。その世界観に、わからなさごと身を委ねてみる。 「猿の戴冠式」とは何か。 それは「あなたがあなた自身に与える王冠」。 他人の評価や、社会的な役割ではなく、自分の価値を、自分で認める行為。 しふみがその手話を使うとき、彼女は言葉にできないものを差し出している。 痛み、願い、そして、許し。 それはシネノに向けられているようで、実は“かつての自分”に向けたものかもしれない。 現実と幻想のあいだを彷徨いながら、しふみとシネノの境界の曖昧さはさらに加速していく。 台風の夜に、檻から抜け出すシネノ。 その姿を見たとき、しふみは再び歩き出す決意をする。 現実か幻想か境は、たぶん重要じゃない。 しふみが「自分で自分に王冠をかぶせた」――それだけが、真実なのだ。 「猿の戴冠式」とは、“猿に人間的な知性と尊厳を与える行為”であると同時に、 “しふみ自身が自分を赦す儀式”でもある。 だから、仮にシネノが実在していようがしていまいが、物語として成立してしまう。 シネノの視点というのは、しふみの願望や投影かもしれないし、あるいは本当にシネノが持っていた「内面」だったのかもしれない。 どちらとも確定できないからこそ、判断は読者に委ねられている。 与えられた知性は、贈り物か、それとも呪いなのか。 知性獲得がもたらす儚さは、どこか「アルジャーノンに花束を」を連想させる。 理解されたい欲求と、理解されない痛み。 知性は救いではなく、やはり悲劇なのだろうか。 『猿の戴冠式』は、“わからなさ”こそを作品の一部にしているようだった。その体験は、しふみやシネノと同じように、「わからない自分自身を見つめ直す」契機を与えてくれる。 読む人の数だけ、解釈がある、という結論でいい本なのだ。 読むたびに、意味が揺れていく。 だからこそ、2度目、3度目に意味がある。 でも、それでもこの問いだけは、残るはずだ―― わたしは、わたしという存在に、冠を授けているだろうか?

    24
    投稿日: 2025.06.19
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ほらわたしを見て、かんむりを頭に戴きながら、頭を垂れることはできない。 “おねえちゃん”とわたしが、お互いの世界で生き延びるためのおまじない。 あまりの直向きさにぐっときてしまいました。いい子のかんむりは/ヒトにもらうものでなく/そう自分で/自分に/さずけるもの。 シネノという類人猿ボノボと人間のしふみの意識の境目が溶け合う…という突飛な内容ではありましたが、力を貰えました。ボノボ視点の部分も面白かった。 ボノボの最長記憶、26年という記録があるらしい。人類も、Yが弱くなってきてるのでこれからはボノボのほうがいいのでは…みたいなシスターフッドも感じました。 あと、動物映像はいいのに何故アテレコするんだ……とわたしも、なる

    2
    投稿日: 2025.06.01
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    これまた難しい 多分理解は半分にも満たない 抑圧されてる人間と抑圧されてるボノボの共鳴のようなつながり 全部ぶち壊してしまえ、みたいな気持ちはよくわかる シノエは最後逃げながら何を考えてたんだろうな

    1
    投稿日: 2025.03.21
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    もともと純文学をほぼ読まないというのもあってか、なかなか理解が難しい。 猿と人間の子供を一緒に育てる、という実験の当事者だった過去を持つシネノ(猿)としふみ(人間)の再会と別れを描いた物語。 実験ではおそらく各々の意思とは関係なく言葉を覚えさせられたりキーボードを使ったコミュニケーションを覚えることを強要された。 考える力を持っているので自分は何かを問い、どうしたいかを考え続けるものの、最終的には人間の都合の良いようにされた(テレビ番組の笑い物にされたり動物園から脱走しても捕まえられたり言葉が話せないからと諦められたり)シネノの行動はなんとなくわかるけど、しふみの破壊的衝動はどこから生まれたんだろう。頑張って失敗する前に自分の意志で破壊すれば失敗にはならないってことか、んーちょっとよくわからない、、、 純文学は普段と使う脳が違うのでなかなか疲れた。

    1
    投稿日: 2025.02.07
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    どこまで類人猿の描写なのか、分かりづらかったので、感情移入しようとか、その思想に共感や気持ちを寄せようと思っても、それが出来なかった。言葉が話せる生き物とコミニケーション出来たらいいなと思う。子供なら話せるような気もする。うちの犬を見てても、身体で話してるのはわかる。子供同士なら話せるのではと感じる 人に褒められて載冠するのではなく、自分で自分に載冠する

    5
    投稿日: 2024.08.26
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    わからないようなわかるような世界の中を通って読了。わかりやすい小説ではないけれど、ふとした破壊欲求や自分はもっとできるのではないかという感覚など、時折どきりとさせられる。 猿人と人間という形をとりながら、次第に境界が曖昧になっていく。不思議な感覚。 私たちは発語や行動など、目に見えるものだけで相手を評価しがち。でも、現れていない思考やもっと本質的な豊かさを見逃して、相手のことを軽視してしまってはいないだろうか。特に子供や他の種…自分とは違う世界に生きている者たちの方がよほど豊かなのかもしれないというような感想を持った。うっすらとした恐怖。

    1
    投稿日: 2024.07.30
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    正直書かれていることの半分も理解できている気がしない。混乱しながらなんとか読了した感じ。 全体的な印象としては、自意識過剰な人の頭の中の言葉が垂れ流されているような感じで、とにかく饒舌。 ただ、クライマックスの高揚感と現実に引き戻される感じは、とても力強いものがあった。 挫折した人、負けた人、抑圧に慣れてしまった人、挑戦を諦めた人の心理描写がかなり鋭く、個人的に刺さるものがあった。著者が心理学専攻というので得心した。

    1
    投稿日: 2024.07.13
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    難しかった 幼い頃、猿のシネノとともに研究所で訓練を受けたしふみはシネノを姉と認識していてシネノの動物園に通い始める かれらの手話で意思疎通をとげたあとにそれぞれに起こった変化は… 人と猿の境界なんてほんとにあやふやなものなのかもしれない 動物園の檻の内と外、どっちがどっち?と よく言われるもんね

    0
    投稿日: 2024.06.26
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    過去人間によって言語を教えられたが今は動物園で暮らすボノボ、シネノと競技中に不正をしてバッシングを受けている競歩選手との話。 難解!言葉を紡いでいるけど意味をなしていない感じ。(私の理解力のせいだと思うけど) 読む前にあらすじ見た方がわかりやすいと思う。 ↓以下感想↓ 前半のシネノは言葉を理解できるのに動物園の一動物として過ごしている事とのギャップ?の部分はまだ付いていけたが、後半の競歩選手の部分はシネノとの関係を明らかにせず、どんな人物で何でシネノに執着しているのかを先に明確にしないまま進むので難しく、徐々に読み飛ばした。 シネノの言葉を理解できるけど声帯の問題で声に出せない事で劣等感を抱いている、失敗したら周りの人間はどこかしら誇らしく感じ人間の赤子の方が自分よりも上だと位置づけする、という部分は人間のエゴで動物を実験対象としか見てない腹黒さが出ていて嫌悪感を感じた。

    0
    投稿日: 2024.05.12
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    このレビューはネタバレを含みます。

    第170回芥川賞候補  初出 群像2023年12月号 第37回三島由紀夫賞候補入おめでとう御座います。 人間がおそろしい。 「わたしたちのいち生物としてのテリトリーはすでに議論の余地もないほど、こてんぱんに侵され踏みにじられている。 ー捕獲されたボノボによる人的、物的被害はありませんでした。」

    6
    投稿日: 2024.04.22
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    難解な純文学。 これぞ芥川賞候補作だと頷ける。 途中で頭が混乱して、しばらく中断したせいか、最後まで分からずじまいだった。けど、2回目に読めばなんだかわかる気がする。 さて、2回目の気分になるまで、無理に理解するのはやめようっと。

    16
    投稿日: 2024.04.19
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    一言で言うと不思議な本。 人間のように思考する猿と、猿のように不器用な女。 この話を理解するレベルにはまだ自分が至っていないのかもしれないです。でも、周囲から孤立してしまう孤独感や腹立たしさはすごく共感を得られる部分もあり、いつのまにか読み終わっていました。

    0
    投稿日: 2024.04.13
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    このレビューはネタバレを含みます。

    初めて読んだ作家さん。 動物園で暮らすメスのボノボ、シネノと、競歩選手のしふみ。 2人が心を通わせたり、言語実験で冠をお互いに授け合ったり、最後の逃げるシーン……どんどん現実としふみの想像、妄想が入り混じってどこまでが本当にあったことなのかわからないまま、最後は投げ出されて終わった感覚になりました。 シネノが感じたこと、流した涙、怒った感情は実際にシネノが体験したこと、でいいのかな、それすらわからない気持ちになってます。他の作品にもいつかチャレンジできたらいいな〜

    1
    投稿日: 2024.04.12
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    小砂川チトさんの作品は一読では理解が追いつかない。 前作の『家庭用安心坑夫』も疾走感があったが、 本作も置いてきぼりになるほどのスピード感。 でも私はこの小砂川さんの作品がなんとも気になってしまう。 ボノボのシネノと、人間のしふみ。 それぞれが自分は何がが欠けていると感じているような思い。 しふみが感じた破壊衝動のようなもの。 母親や周りからの良い子、悪い子の評価。 ぐるぐると回る。 再読したい。

    0
    投稿日: 2024.03.29
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    とても不思議な作品で、様々な解釈ができそうだ。ボノボとヒトが理解しあえるのかどうかや、そもそもヒト同士ボノボ同士で分かりあえることはできるのだろうかとか、ヒトへの進化の過程だとか、様々な解釈と回答が読む人の数だけ出てきそうだ。個人的にはヒトとボノボは分かり合えないと思ったし、そもそもヒト同士も分かりえないとも思った。それでいて、どこかに物理的な自分はそんざいしているし、論理的な(自我的な)自分もどこかに存在していて、分かろうと努力をしている。けど、どうなの? と小説が囁いてくる。奥深さを感じる作品だった。

    13
    投稿日: 2024.03.19
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    #猿の戴冠式 #小砂川チト 24/1/19出版 https://amzn.to/3v6DD4K ●なぜ気になったか 第170回芥川賞候補作。予期せぬ出会いがあるかもなので候補作は手にすることにしている。内容は深層心理に向き合うことができて楽しめるかもの感じ。さて、実際はどうであろう? ●読了感想 芥川賞関係作なのを納得。違和感を感じ入り込めない表現、わかりやすくはないストーリー。つまりは僕には楽しめない作品。ただ、免疫力は向上しているらしく、途中断念することなく目は文字を追えた #読書好きな人と繋がりたい #読書 #本好き

    7
    投稿日: 2024.03.17
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    物語の語り手の視点がいきなり溶け合うような独特な文体で、読みにくさを感じました。 それは本作の試みなのだと思うし作者の狙いは成功していると思います。 後半の疾走感は私も好きな展開です。 けれど、心理面で最後まで共感できなかったので残念でした。 読み手によっては、私が苦手と指摘した点に面白さを見出す人もいるのかもしれませんね。

    3
    投稿日: 2024.03.12
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    自他境界が無意識に曖昧になったり、そんな文章を書く人はいるけれど、自覚的に個と他が混じり合う文章を書く人は稀有なんじゃないだろうか。 面白かった。

    1
    投稿日: 2024.03.12
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    面白かったー。 競歩の選手である主人公のしふみはレース中にとある出来事で炎上し休業状態にある。そんな中、しふみは動物園にいるボノボのシネノに自分を重ねて見るようになっていく─── 最初シネノの視点で物語が進むのだが、読み進めていくと、シネノが見たり感じていることはおそらくしふみの妄想らしい…と分かってくる。 ボノボはチンパンジーと同様に遺伝子的に人間にとても近い生き物なのだそう。チンパンジーが同種を殺すこともあるほど獰猛な気性がある反面、ボノボは穏やかで同種を殺したりはしない。人間がどちらに近いのかといえば、残念ながらチンパンジーなのだろう。しかし、ボノボのように生きていくことも出来るはずだし、主人公がボノボに自分を重ねるのもボノボのような生き方への憧れがあるのかもしれない。 人間社会に絶望しつつもしねのが再び自分の足で歩きだそうとするラストは、希望を感じさせる終わり方だった。 やっぱり小砂川さんの表現は好きだなぁ。一番印象に残ったのは、「二匹のそれは言語をつかった有形の交流ではなく、もっとブヨブヨした一一一たとえばみずのはいった袋のようなものをふたつ持ち寄って、黙ってそっと押し付け合うような、そういう無音の、おだやかな交流のなかで進んでいった」という文章。すごく良い。

    2
    投稿日: 2024.03.07
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    なかなかにごちゃごちゃとさせられた本だった。 文体の癖は強いわ、展開が突然飛ぶわ……。 何となく思ったのは、「猿」というメタファーとして現代社会に生きる我々は文化という服を着て歩いているだけで基本は野生の本能に従うだけの低脳で、粗野で、品性の欠けた「猿」そのものなのではないか、という事。 ネットでの炎上が作品内であげられるのにもそんな事を思った。

    2
    投稿日: 2024.03.02
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    競歩選手の女性と動物園のメスのボノボ。 女性はボノボに自分を重ねる。 2つの軸で話はすすむ。 現実なのか妄想なのか?こんがらがった。

    0
    投稿日: 2024.03.02
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    作者は岩手県出身者。惜しくも芥川賞は逃したが、純文学ならではの分かる人にはわかりすぎる感じ、又吉さんが言っていた本が頭の上でめくれていく感じが最高。

    1
    投稿日: 2024.03.01
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    最初は動物園に日参する客を観察する猿の視点で、同じ檻の仲間や死んだ子供のことなど語られる。 後にその客が大会で失敗して休養中?謹慎中?のアスリート瀬尾しふみだと分かる。

    0
    投稿日: 2024.02.28
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    どっちがどっちか、度々分からなくなる。 それが狙いなのかもしれない。 人の評価ではなく、自分で自分を認めてあげる事こそが、最大の幸福なのだろう。 でも今の世の中は、生きにくいね。

    0
    投稿日: 2024.02.24
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    このレビューはネタバレを含みます。

    これは…なんというジャンルの物語なのだろう。 登場するのは動植物園にいるボノボのメス、シネノとアスリートの女性、しふみ。しふみはシネノを見て、お姉ちゃんだと思う…というあらすじが気になって読み始めた。 読んでいると、誰の視点なのか?これは現実なのか?夢なのか妄想なのか。わからないところもあって、結局最後まで本当のことは何なのかよくわからなかった。(読み取る力がなくてつらい) ただ、本当はできることをやらないのは苦しいという文章に、なるほどと思わされた。できないことをやらないのはよい。できることをやらないのは苦しい。確かに。というか、むしろできることから逃げたり面倒だから避けたりしてることで、余計に自分を苦しめていることもあるかもと思った。苦しくならないために、面倒だからやりたくないと避けているのに、避けたことで出来たことによる達成感とか得られる経験とかからも避けてしまっていて、日々がつまらなくなっていないかと考えてしまった。 しかし、シネノとしふみの関係性は幼い頃に実験で会っていたということなの…?なんだかそのあたりがよくわからず、すっきりとはしなかった。

    9
    投稿日: 2024.02.18
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    このレビューはネタバレを含みます。

    主人公が檻の外に出る物語。あるいは、虎になりそこねた李徴の話。 自我をとろけさせる心地よい相手もずっと存在するわけではない。自分を呪うわかりやすいトラウマがあるわけではない。不倶戴天のわかりやすい敵もいない。自分を不愉快にさせる相手や知らない大勢の悪意も自分を縛るものではない。頭の中で目まぐるしく移る思考を、身体はどう思うか。 空想の安全地帯を何度もループし、主人公は結論に達する。自分は自分というだけで王冠を戴き、誇りをもてばよい。安全地帯を出て無様にもがけばよい。

    0
    投稿日: 2024.02.16
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    独創的すぎる。 自他境界、アイデンティティが曖昧で、ないまぜになって起きる幻想の文芸。 他種とのシンパシーにグラグラする世界観。 その疾走に酔いそうになるけれど読み進める。 前作も主人公は心的現実を生きていたが 言語化できないけれど、ありきたりなさに最後までどう展開するのか全く読めない。 けれど、しふみはきっと大丈夫。 いろいろな読み方ができる本は面白くて好きです。

    7
    投稿日: 2024.01.25
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    ジャケットが気になったのと、著者が岩手県出身とのことで同郷のよろこびで購入しました。 自己と他者を理解.識別できるボノボと、臆病な主人公の女性との邂逅から、心の成長を一歩一歩描く様子がとても心に響きます。 現実と空想?の境目をあえて曖昧に描いているためか、途中で読むのをやめられなくなり、すぐに読み終えることができました。 芥川賞候補作とのことですが、受賞していい本だと私は感じました。

    0
    投稿日: 2024.01.22
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    群像2023年12月号 前作『家庭用安心坑夫』も、本作も、私にはサッパリ理解できませんでした。 どなたかこの小説の良さを解説していただけないでしょうか。

    2
    投稿日: 2024.01.05
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    群像12月号より 小砂川チト氏の作品は前回の家庭用安心坑夫に続く2作目で、正直前作で感じた違和感より、更に強く感じた違和感とでも言おうか、わけわからなさが増し増しでした。今回も芥川賞候補作に選出されたので、読みましたが、そうじゃないのであれば、最後まで読めなかった作品かもしれない。 自分に読み取る能力がまだまだ備わっておらず、この手の作品は苦手である。 どこからが現実で、どこからが妄想なのかわからず、常に足場は揺ら揺らし、不安定な日常の中、壊れていく精神の崩壊。 実際、物語のメインパーソナリティしふみは引きこもり。アスリートでありながら ある事件で世間を騒がせ、心を病んでいた。そんな中、たまたま観たTVに映った 類人猿ボノボ、シネノに自分の姉を重ね動物園に会いに行く。と言った話だが、最近読んだ中村文則の列で猿の生態や、猿の世界の序列と人間界のシンクロを狙ったものかと思いきや、そうではない。他の人の感想がとかく、気になります。

    9
    投稿日: 2024.01.03