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powered by ブクログ1992年に刊行されたエッセイ集。その時にすでに成人していた自分はその頃の時代感もわかり、かつそれから30年以上経っても当てはまるようなエピソードも多くて、古さや感覚のずれがさほどなかったことに安心しつつ社会の変わらなさをもどかしく思ったりもしました。 「銀金」や「海がきこえるII」などその後の氷室作品にも出てくるフレーズが本エッセイ集にも出てきたりして氷室さんの視線や思考が伝わってくる。 町田そのこさんの解説もとてもよかった。
11投稿日: 2025.07.06
powered by ブクログ女の子が好きで女の子に甘いところも、「わかる」と思いながら「わかる」に立ち止まるところも、たくさん傷つき闘いながら「いっぱしの女」として生きるところも、全部素敵だった。こんなひとが少し前のこの日本にいた。それだけで気分が良くなる。そんな風に生きてくれてありがとう。
1投稿日: 2025.02.23
powered by ブクログ1992年刊行、1995年文庫化、これは2021年に新版として再版されたもの。もう30年も前なのかと。 タイトルがいっぱしの女ですから、女であるが故のあれこれについてですね。当時の社会が垣間見えつつも、女同士の友情の顛末、恋愛の話、バブル時代のクリスマスの話、そして当時ようやく言語化された概念「セクシャル・ハラスメント」。現在では到底考えられないレベルの編集者からのセクハラ、一方でおそらく現在も健在であろう、ファンレターを装った強烈なポルノ爆弾についても。。。 ふと思ったのは、ネット婚活、マッチングアプリについて、彼女が現在も存命であるなら何をどう書くだろうと。読んでみたかったですね。彼女の作品は大好きだけど、もう少し大人向けの作品を書いて欲しかったです。本当に早逝なのが残念な方です。 星少なめなのはやはり内容が少々古いので。
1投稿日: 2025.01.01
powered by ブクログ自分も、世界も客観的に見ている。 どうしてそんなに簡単に、世界を「わかる」と言えるのかわからないと思っている。 客観的に見ているからこそ、「わからない」ことがたくさんあることも分かる。 ただ、自分のことはそれなりに「わかって」いて、その「わかっている自分」でいてしまう自分も感じているようにも感じる。 違う自分にはならないのであり、なれないのでもある。
1投稿日: 2024.11.29
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
切れのよい言葉で綴られるエッセイ。 以下、お気に入りの段落。 ・いっぱしの女の夢の家 『共感』についての話が心に残っている。 自分を顧みる。 ・いっぱしの女から男たちへ 『オンナにも、オンナと生まれたからには栄耀栄華を極めたいと思う人もいるはずだけれど、それはひとつのタイプであって、十字架というようなものではない。肩にくいこむ十字架というより、いくつかの選択肢のなかから選びとった、天にはためくスパンコール付きの軍旗みたいなものである。いざとなれば、作戦変更も名誉ある撤退もありうる。理屈なんて、あとでなんとでもつけられる。この選択肢の多さにかけては、男はほとんど太刀打ちできない。』 氷室冴子さんの著者、もっと読みたい。 単行本は1992年発行。
0投稿日: 2024.09.30
powered by ブクログ未婚、女性、社会人であるがゆえに感じることをピタリとハマる言葉と繊細な言葉で表現しており、その時々の心の揺れが鮮明に伝わってきた。今でも古くないエッセイ。
0投稿日: 2024.03.15
powered by ブクログ女だから、女性として、というような属性の押しつけは、男からだけではなく、女同士でも行われる。妻として。会社員として。部下として。上司として。人は、歳を重ねるにしたがって、他者からの押しつけだけでなく自らすすんで属性を増やし、会話の内容もその属性に沿ったもの中心になっていってしまう。それを大人になることだと思い、そのような会話を疎む人を、あなたは相変わらずね、と見下げようとする。著者の視線は、友人知人のまとう属性ではなく中身に向けられている。彼ら彼女らが、属性にまつわる話ばかり語ることに悲しみを感じている。思わず私自身のこれまでを省みてしまった。
3投稿日: 2023.09.17
powered by ブクログ氷室冴子さんのエッセイ。 私は学生時代、小説を読まずに漫画に浸かっていたので、大人になるまで氷室冴子さんの作品を読んでなかった。そして大人の私の感想は、独特の空気感と女の子たちの心情や言動がとても好きだ、だった。 そんな氷室冴子さんのエッセイ。 作品に通ずる、愛の深さと潔さと多彩さを感じた。深くもあり、けれど一瞬にしてそれが飛散するような儚さもある。でも、ゼロにはならない、ような。そんな、感じ(私の感じた雰囲気の話なので、それを伝えようとしてたというわけではない、と思う、多分) どん、と胸に重みを感じる言葉がたくさんあった。そしてほんの少し、昔だったり今の私が思い浮かんでくることも。 そして、当時の氷室冴子さんが生きていた世界と、そこで過ごしていた氷室冴子さんに、なんだか窮屈だな、そんな時代だったのかな、そんなふうに思い生きていた人たちが、道を少しずつ作ってくれて今があるんだろうな、と。 いっぱしの女が、たくさんいたんだろう。 私も、もしも何かぐぬっときたとき、つぶやこう。自分のために。それはもしかしたら、この先の誰かのための、道のカケラくらいにはなるかもしれない。 町田そのこさんの解説も、愛が溢れててとても好きだった。ほんの少し、寂しさがあって、それこそ、愛だなと感じた。
1投稿日: 2023.07.09
powered by ブクログ女性読者向けと思いますが、男でも面白く読ませてもらいました。特に「とても素晴らしかった旅行について」は最高でした。
4投稿日: 2023.06.09
powered by ブクログもう先生が執筆した年齢をはるかに超えましたが、読んでいると10代20代に自然と戻ります。 いつまでも繰り返し読んでも飽きない。
2投稿日: 2023.06.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
昔、憧れて好きだった女友達。 久しぶりに会ったら、夫や恋人の愚痴ばかり話してきて、聞いていてうんざりしてしまうと。。 旅先で一緒になった女性たち。 その人たちのこれまでに行って良かったところ等の話が聞きたいのに、同行者への愚痴に喜々としてしまう。。 どちらも分かるなあと思った。愚痴ばっかり聞いてるとゲンナリするけど、盛り上がってはしまうんですよね。もっと楽しい話がしたいと思いつつも。 そして30年前も人々は、「わかる〜」と言っていたんだなと。私もすぐ言ってしまう。わかる。
2投稿日: 2023.05.11
powered by ブクログ23/05/03読了 おそらく20年ほど世代が異なるけど、その20年の変化たるや大きいのだろうなとしみじみ感じた。 言っても詮ないことだけど、氷室冴子さんの物語を読み続けたかったなと思う。
1投稿日: 2023.05.05
powered by ブクログ「私たちはふだん、友人だから、女同士だから、親子だから、恋人だからという理由で、相手の何かをわかった気になっているけれど、それ自体はなんの根拠にもならないのだと言うこと」〜一番遠い他人について〜 この文章をTwitterの紹介文で見つけて読んだのだけれど。 〜とてもすばらしかった旅行について〜に出てきたンマーおばさんが印象的だった。正確にはこのンマーおばさんの言動に初めは適当にあしらっていたのだけれど、流石に嫌気がさし、正論の反論を試みた著者に対して、密かに思いを打ち明けた老婦人の言葉が印象的だった。 氷室冴子さんの著作は名前は知っているけど、読んだことがないので、読んでみようと思う。
1投稿日: 2023.01.25
powered by ブクログ自分が小学生の頃に書かれた本。海がきこえる、が面白かったので、図書館で借りて、読んでみた。 わかる、という言葉に対する不遜さを指摘しているのが、印象的。解説で町田そのこもそのことを指摘している。 自分がなんとなく感じている違和感をわかりやすく表現していて、僕が言いたいのはそうだよ、と思わせる箇所がいくつかあり、よかった。 ただ、筆者は女性らしい細やかさというよりも細かいことは気にしないおおらかさがあるように感じた。
0投稿日: 2022.09.18
powered by ブクログ氷室冴子さんの作品を初めて読んだが、日々の鬱憤や違和感を、こんな風に自分の言葉にしていることってすごいな、と思う。元は1992年に刊行された本だが、30年経ても良くも悪くも変わらないことはたくさんあり、すんなりと読めた。
0投稿日: 2022.06.15
powered by ブクログエッセイの内容はさることながら、言葉の選び方や紡がれた言葉のリズムがとても綺麗で、読んでいて感動を覚える。
0投稿日: 2022.05.29
powered by ブクログ女が生きる上で感じている違和感を描くエッセイ。 時代が変わっても変わっていない部分が大きいことに驚く。
0投稿日: 2022.05.29
powered by ブクログ30年前に刊行された本とは思えない。 いつの時代も同じように生きづらい。 氷室さんのカラッとした語り口が痛快でクセになる1冊。
0投稿日: 2022.03.27
powered by ブクログ2022.07 "いっぱしの女"?と思って なんとなく本屋で開いて面白そうだったので 会計へ向かうと本屋の店主さんに 「それ、面白かったですよ」と言われた本。 ベルサイユのバラ、関白宣言、ノルウェイの森など 出てくるワードに時代を感じつつ でも書かれるエピソード自体には 時代を感じないというか"わかる"だった そしてその"わかる"のエピソードにちくっとして それすらもまた"わかる"なのだ…なった (自分でも何言ってるんだろうと思うけど本当にそう) 何度も読み返したくなる気がするし このところ分厚い本ばかり読んでいたので この軽さが心も軽くしてくれる気がして とてもよかった。 *** P46 女性はどうして簡単に、この小説がわかる、というるのだろう。"わかる"という言葉を、かるがるしく使うのがどんなに傲慢なことか、わかってない。かりにも文学を研究するのなら、"わかる"という共感を落としどころにしてはいけない。せめて、私はほんとうに"わかっている"のか、私がわかる(共感する)のはなぜなのか、と自分自身への問いかけを含んでいてほしい。わかる、だけで書いたものは論文とはいわない。それは夜中に書いた片思いのラブレターみたいなものだ、と。 P49 ただ、もうこれ以上、彼女のいう"あなたは〇〇なタイプだから""あなたのことはわかってるわ"ふうな押しつけがましい物言いを聞くのは絶えられない気がしたのだ。 P50 私たちはふだん、友だちだから、女同士だから、親子だから、恋人だからという理由で相手のなにかをわかった気になっているけど、それ自体はなんの根拠にもならないのだということ。いつも、自分はほんとうにわかっているのかを自問した方がいいこと。共感によりかかった態度は、決して誠実とはいえないこと。
0投稿日: 2022.03.08
powered by ブクログ30年前に、30半ばで書かれたエッセイ集 友人関係に思うこと、自分の生き方に思うこと、親との関係に思うこと、核になる氷室さんの考え方は色褪せず共感するところも多い 女だから、もう30過ぎなんだから、と好き勝手言われてる様も赤裸々に描かれる 疑問に思い、反発し、書き記し、小説に昇華し、、、先人たちの生き方が反映されて、まだましな今があるのかな 昭和32年生まれとのことで、両親と同世代 両親の刷り込まれた価値観の片鱗に触れられたようにも思う
1投稿日: 2022.02.24
powered by ブクログ1992年に単行本として出版されたエッセイ集の新版。 女性に対する世の中の見方も良い方に変わってきたといえば、そうではあるが根底にあるものは変わってはいないのではないかと、この本を読むと感じる。 エッセイといっても年月が経つと、時流にあわず、古さを感じてしまうものもある。しかしこの作品は、30年も前に書かれたものなのかと驚かされる。 30年を経ても、古さを感じさせない、普遍性のある作品である。
1投稿日: 2022.02.20
powered by ブクログ2022年1月 氷室冴子さんの本は『なんで素敵にジャパネスク』といろいろエッセイとを小学生の時に読んでいて、この本もおそらく12歳の時に読んでいた。 約30年後のいま読み直すと新鮮…というか昔読んだ時が本当に子どもの頃だったので、ぜんぜんわかっていなかったところも。いま読むと、わかる!なるほど!ということ多数。(やっぱり使ってしまう、わかる、なるほど) でも子どもながらにこれを読んで共感し影響を受けたことがたくさんあることに今回読んだことによって気づいた。 あとがきで町田その子さんも12歳で読んだと書いていらっしゃって、この本は思春期の女の子にとてもとてもオススメの本なのではないかと思った。
3投稿日: 2022.01.14
powered by ブクログセクハラもマンスプレイニングもトーンポリシングも、ぴたりと当てはまる単語が生まれる前からずっとあった。 それを既存の言葉でするすると言語化し、怒ってみせる著者。 キレっぷりがかっこよくて憧れる。 とくに好きな章は、 「詠嘆なんか大嫌い」「とてもすばらしかった旅行について」「一番とおい他人について」「それは決して『ミザリー』ではない」 連帯しながらもそれぞれに孤独を抱えている女性たちの描かれ方、尊重のされ方が印象的だった。
2投稿日: 2021.12.24
powered by ブクログ好意を持つ男性とドライブ中、 暖炉の火を消し忘れたかもしれない と帰宅を告げると、 うまい断り文句だねと言われ、 それっきりになってしまった。 かつて読んだ覚えがあったエピソードだけど、 どうやらこの本じゃなかった。 違うエッセイ本だったのかもしれない。 まだおぼこかった僕は、 大人の女性だなと感じた記憶がある。 氷室冴子さんは幾つになっても 仰ぎ見る存在だった。 いつだって先を走る人生の先輩だった。 リアルタイムで読んでいた頃、 彼女は10歳以上年上だった。 今、この本を書いていた頃の彼女より、 僕は10歳以上年上となった。 高校球児が見せる心の揺らぎに、 彼らがはるか年下の10代の若者ということを 改めて思い知るような、 不思議な感覚がこの本にもある。 彼女は世の中とその身一つで戦う。 女性であるだけで経験する違和感と 必死に折り合いをつけようとする。 その勇敢な姿は微笑ましくも感じられる。 応援したいと感じさせられる。 その時、僕の立ち位置は明らかに年上のものだ。 氷室さんには、もっとずっと 僕らの先を歩いていて欲しかったと改めて思う。
2投稿日: 2021.12.04
powered by ブクログさようならアルルカン、白い少女たち、クララ白書、アグネス白書、シンデレラ迷宮、シンデレラミステリー、恋する女たち、雑居時代、少女小説家は死なない!、ざ・ちぇんじ、なんて素敵にジャパネスク、なぎさボーイ、多恵子ガール…… ちょいとマセた小学生が児童文学に飽き足らず、大人の階段のぼる読書にハマるにうってつけのコバルト文庫。 そういえば、シンデレラ迷宮のあとがきに登場人物ジェーンの由来があって『ジェーン・エア』を手に取ったのだった。11歳だった。 復刊エッセイ。 いっぱしの女として。独立して生きていく上で、断絶する社会と、友人たちとの違和感。少女小説家は世間とどう抗っていたのか。その怒りと行動に、思わず(わかる……)と苦笑していると、ピシャリと叩かれる。 「私たちはふだん、友人だから、女同士だから、親子だから、恋人だからという理由で、相手の何かをわかった気になっているけれど、それ自体は、なんの根拠にもならない」
1投稿日: 2021.10.14
powered by ブクログ30年前の作品とは思えないほど現代に通じるフェミニズム&シスターフッド。そのような言葉はまだないのでレズと表現されているのに時代を感じる… ただ、「男は奢って当たり前」という価値観はこの頃には最新だったというのが驚きなんだけど、本当か?! 30歳過ぎて(私はまだ過ぎてないけれど)女友達が昔とちょっと変わってしまった淋しさ、男は男でオトナぶっていて、それを冷ややかに見たい一方で自分だけオトナになれていないようなやはり淋しさ、でも自分はプライド持って生きてるしどこかに仲間だっているんだから、という意地に大いに共感、元気が出た。 なんなら最後の対談の貧乏暮らしエピソードにもめちゃくちゃ元気もらった。マジ生きるぞと思った
0投稿日: 2021.10.08
powered by ブクログ子供のころよく読んでたコバルト文庫。その中でも特に人気で、映像化もたくさんされているのがこの著者。久しぶりに新版が出たと知って、懐かしくなって読んでみた。 30年近く前に出版された本を、2021年に新装版で出版したもの。解説(町田そのこ)が追加されている。町田そのこと言えば、今大人気の「52ヘルツのクジラたち」の著者だ! 氷室冴子は小説以外も読んでいたので、この本ももしかしたら昔読んだのかもしれない、覚えてないけど。 30歳前後で独身、小説家という自由業、そして女であるということでの世間の風当たりの強さなどが書かれている。今では結婚しない人も多いし、当時もセクハラという言葉はあったみたいだけど、今では〇〇ハラもいっぱいできて、他人との距離感の取り方が変わってきているので、他人の生き方、趣向にずけずけ踏み込んでくる人もあまりいないけど。 「結婚なんかより大恋愛をするといいのよ。いい思い出になって、幸せなものよ。」というのが心に残った。完全に理解はできないけど、そうなのかな…
0投稿日: 2021.09.26
powered by ブクログ氷室さんの作品は実は読んだことがなかったが、面白そうだと思って手に取った作品。まず、この作家さんの物事に対する視点と、語彙力、表現力に驚かされた。流れるように読めるのに、深くて、そしてすごく面白い。これが33歳で書かれたもの、ということに驚愕。自分は33歳よりも大部年上なのに、例え作者と同じようなことを感じたとしても、このように表現する言語能力を持ち合わせていない。まあ作家さんと素人の自分を比べることがおこがましいですが。。 内容としては、作者の考えていることを、実体験で起きた出来事を基に描いていく構成で、その対象となる映画やらを知らないとついていけない部分もあるが、それでもなお楽しめる。なんというか、これを読んでいると、今のあるがままを批判的な目線で見つめることもせず、ただそういうものなのだ、と受容し、ノホホンとしている自分が恥ずかしくなった。
0投稿日: 2021.09.18
powered by ブクログ202109/新版で再読。1992年の刊行、なのに今もこの時とあまり変わっていないことにショックを感じつつ。まだまだ氷室冴子たくさん読んでいたかったなあ…。
1投稿日: 2021.09.15
powered by ブクログ私にとって氷室冴子さんといえば、『海がきこえる』。2冊を一晩で一気に読んだことを思い出す。あぁ、そうか。あの瑞々しい描写の背後には、こんな淋しさや、怒りや、そしてそれでも手放さなかったユーモアがあったのだな。
12投稿日: 2021.09.15
powered by ブクログ30年前のエッセイだからといって「さっぱり理解できない」なんてことは無いらしい。 時代が変わっても同様のもどかしさや面倒臭さはあるのだなあと。 特に『ミザリー』と『一番とおい他人』の章が痛い。 旅行先で一緒になった老婦人が囁いてくれた“人生の秘密”は覚えておきたいと思った。
0投稿日: 2021.09.05
powered by ブクログ読了。氷室さんの文章を数十年ぶりに読んだけど、心にズーン!とくる感覚は変わらず。この本を書いた氷室さんが今の私と同年代ということもあるのかも。これはまた読み返す。「やっぱり」って私も書きがちなんだけど氷室さんも同じと書かれていて嬉しかった笑 また著作も読み返したい
1投稿日: 2021.09.01
powered by ブクログなんだか「女である」ということに疲れていた、そんな時に出会った一冊。 20代の頃は結婚しなきゃと焦りを感じていた。 そして結婚して5年経つ今、私は出産に対して焦りを感じている。 周りからの「子どもはまだ?」という言葉にひっそりと傷つき、プレッシャーを感じ、勝手に後ろめたさと劣等感を感じている。 子どもはほしい。でもその私自身の気持ちの他に、他者からの重圧から逃れたい、という気持ちがあることがはっきり否定できない。それが悲しい。 周りも私自身も、「この年頃の女はかくあるべき」という過去の価値観の呪いから脱し切れていないのだ。 こんなこともあった。 職場でわたしはある役員の書いた原稿の校正作業をした。特に命じられたわけではないが、私がやらなければ誰もやらず、そのまま世間に出版されてしまう。原稿を書いた役員の意図を損なわないよう、連絡を取りながら、通常業務の合間を縫ってやった。役員の方はその仕事を評価してとても感謝してくれた。 でもその後、私の直属の上司と私とで2人で話していた時に言われたことが忘れられない。 「あの人は女性に優しいからな。女性は得だね」 あの言葉にどんな意味が込められていたのかはわからない。もしかしたら嫉妬があったのかもしれない(ちなみにその役員の方は性別の差で態度を変えるよな人ではなかった)。 あの上司の言葉は、私のした仕事や私個人の存在を否定し、この本の言葉を借りるなら、逃れようのない私の〝女(性別)〟の部分だけを切り取って、かつ女性というものを見下したニュアンスを含ませて放たれた言葉だった。 奇しくも、そんな33歳(このエッセイを書いていた氷室さんと同じ歳)の今、エッセイを読み、私は幾分か救われた想いがした。著者は私が普段違和感を感じる〝女〟を取り巻く状況を冷静に言語化し、不条理なものを断じてくれていたから。 この本がリアルタイムで出版されてから数十年が経ち、女性(に限らず性別に関する意識や固定概念)を取り巻く環境は少しずつ変わっていると思う。 (特に若い世代は。上の世代はまだまだ変わっていない部分がたくさんあると思う。) 女性(に限らずすべての人)が、押し付けられるジェンダー観に傷ついたり違和感を感じることなく、〝いっぱしの女〟と意気込まず〝いっぱしの大人〟と言えるような、そんな世の中になってほしいし、私自身も変えていきたいな。
7投稿日: 2021.08.24
powered by ブクログ文庫化された時に、初めて本書の存在を知り懐かしさのあまり手に取った。 多感な学生時代に、氷室冴子さんの本を読み漁った記憶が蘇る。マンガと児童文学しか読んだことのなかった当時の私には、氷室さんの作品は衝撃的な面白さだった。 エッセイを読みながら、彼女の作品に出てきたきっぷの良い女性キャラクターが思い出される。氷室さんだなぁ…。30年も前に彼女のように生きるのは、今よりずっと覚悟と勇気が必要だったのではないだろうか。 知識不足により、いくつかわからない話題があり、知らないとついて行けない感があったので★3つに。
1投稿日: 2021.08.23
powered by ブクログこの本を読んで「やはり!」「なるほど~」と言ってしまう人がかなり居るだろう。流石な「いっぱしの女」なのである。
1投稿日: 2021.08.23
powered by ブクログとてもおもしろかった。鮮やかでシニカル時に感傷的総じて聡明な…自分の知人で一番捻くれている最高な人と重ねながら全編楽しく読んだ。氷室冴子さんて、こんな人だったんだ。ご存命だったら今は何を書いたかな。好き。
1投稿日: 2021.08.17
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
1992年発行の単行本を新版として再刊行。 懐かしい。私にとっては『なんて素敵にジャパネスク』の原作者さん。小説は原作として読んだかな?というぐらいの記憶しかないのが申し訳ない(;'∀') 「詠嘆なんか大嫌い」…昔の女友達にたまに会うとこういう感じ(現在の愚痴をずーっと言う)になるのかなぁ。もう会ってないのでなんとも言えない。 「一番とおい他人について」…女性の「それ分かる(共感)」について。 「レズについて」…女が女にあこがれること、について。女性が「こうなりたい」と思うときの対象って女性なのが普通なのでは? 「なるほど」…セクハラについて。この時代の一部の男性は気持ち悪かったなぁ。今も一定数いるかな?ああ気持ち悪い。 「やっぱり評論も読みたい」…「ベルばら」とか「ポーの一族」とか。ベルばらからツヴァイク、一条ゆかりからサガンを読む読者たち。的外れなオジサン評論家たちから評されることに傷つきはしたけれど、評論がないと世界がどんづまりになってしまう、と思う、と。 15年ほど生まれ年が違うので少しジェネレーションギャップを感じた。でもそれは好いこと。15年でギャップがなかったら令和でも変わってなくて恐ろしいことになっていると思う。 「まえがきにかえて」や「なるほど」で女性に対して「処女かどうか」などという質問をするおっさん、私も遭遇したことあります、19歳のとき。学生なので激怒してガン無視できたけど、社会人なら受け流したんだろうなぁ~。ああいやだぁ。嫌な記憶。
3投稿日: 2021.08.13
powered by ブクログ時を経てなお生きる言葉のひとつひとつが、呼吸を楽にしてくれる――。大人気小説家・氷室冴子の名作エッセイ、待望の復刊! 解説 町田そのこ そんなものかなと生きてきた。
1投稿日: 2021.08.10
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
読んだ理由: クララ白書が大好きだったので。 1992年発行だけれど、時代の感覚はそれほど変わっていないことに驚く。セクシャルハラスメントという言葉が出てきて、今までモヤっとしていた不愉快な出来事が、多くの女性が感じていた事なんだと気付くエピソードや、久しぶりに会った既婚の友達が夫の愚痴しか言わずがっかり、など ”あるある〜” と共感しながら読んだ。
1投稿日: 2021.07.29
powered by ブクログかつて少女だったわたしにとって、氷室冴子はある意味フィクションで実在しないかのような別世界の人だった。 少女小説を読み漁っていたあの頃、作品の登場人物と同じように、氷室冴子というのは少女小説家であって生身の肉体を伴わないものとしてわたしの中に存在していたのだ。 あれから数十年経った今、このエッセイを読んでようやくわたしの中の氷室冴子に血が通い、肉体を持ち、わたしと同じ『女』なのだと思えた。 こんなにも愛に満ちていて、シニカルかと思えば情熱的で、なんて魅力に溢れた女性だろうか。 『わかる』などと口にしてはいけないけれど、今も消えない女の生きづらさをかつてはもっと大きく感じていただろうことが、30年の時を超えてこんなにも伝わってくる。 氷室さん、2021年のこの現状をあなたならどう言葉にしてくれたのでしょうか。 今もなお残る女の生きづらさを、芸術の今の姿を、大量消費されるための安っぽいテンプレ物語の山を、あなたの目にはどう映るのか、叶うことなら聞いてみたかった。 これを書いた時の彼女の年齢を越えてしまった今、わたしは『いっぱしの女』だろうか。 わからないけれど、自信や余裕をなくしたときはわたしもおまじないのように自分に言ってみようとおもう。 もう、いっぱしの女なんだから。 しかし、少女小説を『処女でなければ書けない』とはどういう根拠というかどういう方程式なのだろう。 むかしから『処女』というものに理想とか聖性を押し付けすぎてるよな。 男を知ったからなんなんだっつーのと声を大にして言いたいね。 知って何かがかわるほど男というものが偉大な何かだとでも言いたいのだろうかと、訝しんでしまう程度に男性的な勘違いだよね。 かつて処女だったことがあるからわかるけど、人生変わるわけでも悟りが開くわけでも物語が書けなくなるわけでもねえよ。男に(あるいはセックスに)そんな大きな力はない。思いあがってんじゃねーよバァカと発言者には言ってやりたいものだ。
12投稿日: 2021.07.27
powered by ブクログ氷室さんのことは「海がきこえる」以外知らずになんとなく読んだのだけど、小気味良いエッセイで、元気出た。
1投稿日: 2021.07.25
powered by ブクログ中学生の頃にまわりで大ブームだったけれど、ちょっと遅れて高校生になってからあれこれコバルト文庫で読んでいた(そのせいか、「クララ白書」や「なんて素敵にジャパネスク」シリーズのような代表作は実は読んでない。最初は「シンデレラ迷宮」だったかな?)。そのあと、愛あふれる翻訳少女小説ブックガイド「マイ・ディア」と復刊された角川マイ・ディア文庫にどっぷりはまったのは大学生のときか。 そんな少女小説のパイオニア氷室冴子さんのエッセイ。 中高生のわたしたちを夢中にさせていた80年代後半から90年代はじめ、ちょうど30代にさしかかった頃の氷室さんの考えていたこと感じていたことは、30年経った今読んでも古びないどころか、あ、わかるな、と思うことばかりで(かんたんに「わかる」ですませてはいけない、と氷室さんには叱られてしまうが)、今の自分はそのころの氷室さんよりずっと年上になってしまって読んでいるのが不思議な気がする。 引用したくなるような文章ばかりだったが、なかでも「とてもすばらしかった旅行について」が印象深く、「やっぱり評論もよみたい」には打ちのめされた。 わたしより15歳年上で、親や世間からの結婚への圧もいまに比べたらずっとずっと強かった30代独身の彼女が、あるいはいま以上にマチズモに支配されて「女」が不自由だった中で彼女が感じていた理不尽や無力感、辟易、憤懣、自戒、そしていまの言葉で言えばシスターフッドが痛いぐらい感じられて、そうしたものが当時読んでいた作品からもにじみ出ていて、自分をとりこにしていたのかもしれない…もう一度あれこれ読み直してみたくなった。 1957年生まれ、もしご存命でこの世界を見ていたらどう感じただろう…と考えずにはいられず、ちょっと調べたところ、ちょうど同じ年頃といえば、高橋留美子、柴門ふみ、そして斎藤美奈子がいるとわかった。斎藤美奈子といえば、氷室冴子も愛してやまなかった翻訳少女小説をあらためて読み解く「挑発する少女小説」をちょうどだしたところなのが奇遇。斎藤美奈子にこの本の感想を聞いてみたい。
6投稿日: 2021.07.17
