
総合評価
(26件)| 17 | ||
| 6 | ||
| 0 | ||
| 0 | ||
| 0 |
powered by ブクログイスラエルによって、パレスチナで、ガザで何がなされてきたのか、知らずに過ごしてきてしまった自分自身を、過ごせてしまうこの世界を、これからは、変えていかなければならない。 何が出来るだろう。とにかく知ること。BDS運動。他には。 毎日をつつがなく過ごせてしまう世界で、何が出来るかを、問い続けることから始めようと思う。
0投稿日: 2025.05.25
powered by ブクログパレスチナ人か、レバノン人かを見分けるためにトマトを意味する「バンドゥーラ」を発音させるという方法があるそうです。昔は、これでレバノン風の発音ではなく、パレスチナ風の発音をすると殺されたと言います。調べたところ、パレスチナ風だとバンドゥーラの「ラ」の部分が若干強く、レバノン風だと「バンドーラ」と、doの音に近いとか。 シボレトのわかりやすい例ですね。
0投稿日: 2025.05.03
powered by ブクログロシアの残虐な暴力にさらされているウクライナの人々には共感を寄せる僕が、なぜイスラエルの暴虐にさらされているパレスチナの人々には、あまり共感を寄せられないのだろう。 子供の頃からアメリカ文化を満身に浴びて育って来る中で、いつの間にかイスラムフォビアを植えつけられてしまっているのだろうか?/ 本書は2018年に出版された本なので、本書からの引用は必ずしも現在のガザやパレスチナの状況とは整合していない可能性もあることを、最初にお断りしておく。/ 【パレスチナ人であるがゆえにイラクを追われた彼らは、パレスチナ人であるがゆえにヨルダン入国を拒絶され、夏は気温が摂氏五〇度を超え、冬は零下となる砂漠のただなかに何ヵ月も留めおかれることになった。(略)祖国を持たないがゆえに、国境のノーマンズランド、この世と地獄を分かつ、砂漠の辺獄に。 ノーマンの土地の住人たちである彼らは No Man だった。いま、この世界にあって、国を持たないということはノーマン、すなわち何者でもない者、人間ならざる者であることを意味する。国を持たざる難民とはノーマンなのだ。国民国家の空隙に落ち込んだノーマン。彼らは人権とも、彼らを守るための法とも無縁だ。「法」も「人権」も、それは「人間」(マン)、すなわち「国民」の特権なのだということ。国民でない者は「人間」ではない、それが、普遍的人権を謳うこの世界が遂行的に表明している紛うことなき事実であり、その事実が(略)露わになるのが、ここノーマンズランドだ。】/ この文章は、日本国内にいる非正規滞在外国人を想起させる。 彼らは、ノーマンであるがゆえに、彼らに対してならどんな非道な扱いをしても許される。 つまり、この日本もまた、北海道から沖縄に至るまで、彼らにとってはノーマンズランドなのだ。/ 【この七〇年間、パレスチナの内と外で、パレスチナ人の身に繰り返し生起する虐殺は、ナクバ、すなわちパレスチナ人の民族浄化が、遠い過去に起きた昔話ではなく、現在もなお進行中の出来事であることを示している。イラン・パペはこれを「漸進的ジェノサイド(略)」と呼ぶ。(略)パレスチナ問題とは、この漸進的ジェノサイド、終わらぬナクバの問題である。】/ 【「テロと報復の連鎖」「暴力の悪循環」などというと、人間の理性による制御がきかなくなった暴力が勝手に(略)暴走しているかのような印象を受けるが、現実はそうではない。イスラエルはガザに対する大規模軍事攻撃を仕掛けるために、その口実となるハマースの攻撃を誘発しようと日常的にガザを空爆して挑発している。(略)そこには占領者たちの明確な政治的、戦略的意図がありプロットがある。】/ 【いくつもの《ゲルニカ》に満ちた歴史を生きるのは、パレスチナ人に限らない。クルド人もそうだ。主権国家をもたない者たち、あるいは、主権国家に暮らしながらも、そこに十全な国民として帰属しない者たち、国民ならざる者たち─。彼らの身に繰り返し虐殺が生起するのは、彼らが国民でないがゆえに人間ならざる者、人権など慮る必要のないノーマンであるからにほかならない。】/ 【ガザでいちばん安いもの、それは私たちの命よ。 ─二〇一四年三月、ガザで、NGOスタッフ、メイサのことば】/ 【地獄とは人が苦しんでいる場所のことではない。 人の苦しみを誰も見ようとしない場所のことだ。 ─マンスール・アル=ハッラージュ】/ 【占領と同じく封鎖は、ガルトゥングの言う構造的暴力である。(略)外形的な物理的破壊を伴わないので、封鎖がガザの人々の生(略)をいかに致命的に蝕み破壊しているかということは可視化されない。封鎖とは不可視の暴力なのだ。そこにはただ、真綿でじわじわと首を絞めるような、人間と社会を内側から蝕む封鎖下の生という「日常」があるだけだ。(略)だから暴動もされない。】/ 正直、岡さんの文章を読むことは辛い。 これらの文章は、明らかに僕自身を断罪して来る。 誰の言葉だったか忘れてしまったが、「見えないのは、見ようとしていないからなのだ。」 これからも、岡さんの本を始めとしたパレスチナ関連の本を読んで行きたい。
3投稿日: 2025.05.02
powered by ブクログパレスチナ問題によって、過酷な生活を強いられているガザの人々の様子が詳細に書かれている。 日本では当たり前に享有できる人権。占領という暴力によって、パレスチナ人はその権利が剥奪されている。 平和とは?正義とは?パレスチナ問題をとおして著者は我々に考え続けることを要求している。加えて、知らないことの罪深さ、そして無知によって(知らないうちに)加害者側に加担している可能性を指摘している。 パレスチナ問題の初心者向けの本ではないと思った。歴史事実の解説が本文にはほとんどないため、ある程度基礎知識を得た上で読む必要がありそう。だが、読み終わった時には理解がものすごく深まる気がする。多くの人に読んでもらいたい。 本文ではユダヤ人に対するホロコーストとパレスチナ人に対する占領という暴力の類似性や相違を考察している。 一たとえば、ユダヤ人に対するホロコースト、とりわけアウシュヴィッツなどの収容所は「閉ざされた監獄」であることに対しては、ガザは「世界最大の野外監獄」と表現している。 罪名はそれぞれユダヤ人であること、パレスチナ人であること… ホロコーストの歴史からわかることは、「ホロコーストの犠牲者であるユダヤ人がなぜ?」という問いは偽善的である、ということ。 ホロコーストのような暴力の犠牲者ならそれが倫理的誤りであることを体験によって熟知しているはずであるため、同じような暴力を他者に対して振るったりはしないはずという考えがこの問いの前提にある。 ユダヤ人たちは何も歴史から学んでいないのか?否、歴史から何も学んでいないのは実はこのような問いかけをする側の人間なのかもしれない。人間とは「非人間化」の犠牲者であろうとなかろうと「他者を非人間化」にすることを教え込むことができる。問うべきは、いかなる政治的装置が、この占領や暴力による「非人間化」を可能にしているのか、だ。
13投稿日: 2025.02.25
powered by ブクログ・国境と国境の間にどこでもない場所が存在し、そこに難民キャンプがあることもある ・イスラエルの占領は国際法違反 ・イスラエルとパレスチナは圧倒的な力の差がある(これまでの日本の報道から互角なんだと思ってた) ・占領下で生きるとはどういうことなのか(イスラム教では自殺は罪だけどそれでも自爆することを選ぶのは未来への希望がないから)、難民として差別される(大学を出てもパレスチナ人は専門職につけない国がある)など、 具体的にどんな苦難があるのかよくわかった。 途中で難しい話が入ってきたり、時系列がバラバラだったりして分かりにくい箇所もあった。パレスチナのことを全く知らなかったので知れてよかった。でも知ったところで私に何ができるだろうとモヤモヤもする。
1投稿日: 2025.01.26
powered by ブクログ中東地域に何度も足を運んできた筆者の体験談をふんだんに交えながら、パレスチナ問題について論じた書である。 ここまで最前線でアラブ世界を見聞し、そこで知り得た現地の声や実情を世に届けようとしている研究者は他にはいないのではないか。 本書では、故郷を追い出されたパレスチナ人の70年間や、完全封鎖から十年経過したガザのリアルが緻密に描写されている。自爆テロの真意とは如何に。パレスチナ人として生きるとはどういうことか。イスラエルはパレスチナ人から何を奪ってきたのか。そして、絶望に打ちのめされてなお人々が闘い続ける理由とは何か。 ジャンルとしては評論に属するのだろうが、詩的な表現が随所に散りばめられ、レトリックの巧みさに圧倒される。言葉の力が凄まじい。 そういった意味で、これはまさに「文学」なのだと思う。 静かな熱気を帯びた筆者の語りが、まるで読む者の心にダイレクトに届くようだ。 京都大学名誉教授が執筆した魂の一冊。 ※筆者である岡真里は、アラブ文学者・思想学者。
1投稿日: 2025.01.06
powered by ブクログ刊行された2018年に「人間の想像を絶すると思われたあの攻撃」として書かれている規模と、2024年現在のガザの惨状では想像もつかないほど深刻になっているとわかっているから、読んでいてとても苦しい 2018年の私はパレスチナの状況を全く知らなかった、「イスラム、テロ、アルカイダ」と同列のように感じる文字の並びだった ハマスのキブツ奇襲作戦が私にパレスチナの存在を知らしめた 岡真理さんの著書に出会った 「ガザとは何か」は中東の歴史に無知な私にも伝わる丁寧であり、緊張感のある説明だったから、その後にこの作品を読めたので理解しやすかった この作品が難しくて脱落された方は、ぜひ岡真理さんの「ガザとは何か」を読んでみてください 言葉を武器に、ジェノサイドと戦う岡真理さんに深く感謝します 日本語でパレスチナについて知りたい情報を発信し続けてくださる希望です 『 忘却が、次の虐殺の準備をする 』 わたしもパレスチナの暗闇で遠くに見える小さな灯になりたい、ならなければ
1投稿日: 2024.12.12
powered by ブクログ2023年10月から始まったハマースとイスラエルの戦争から、もうすぐ1年が経とうとしている。「戦争」とは書いたものの、それは本当に、国と国が対等に争う戦争なのかどうか。 本書は2018年発行だが、少なくとも本書においてイスラエルとパレスチナの関係は対等ではない。イスラエル軍のジャーゴンで、数年おきに繰り返されるパレスチナへの破壊や殺戮は「芝刈り」と呼ばれているらしい。これだけでもなかなか衝撃的で暗澹たる気持ちになる表現である。 本書内で、ヨハン・ガルトゥングの定義を引用される形で、暴力を3つの形に分けている。戦争などの直接的暴力、貧困や差別など社会的な構造から生み出される間接的暴力、そしてそれらを正当化あるいは維持するための思想や態度などの文化的暴力。 パレスチナへの暴力はどれにあたるのか。すべてである。ガザが封鎖されたのは2007年からで、散発的に攻撃は繰り返されている。そして、国際社会(特にアメリカだが)は、それを正当化する。 その暴力のすべてを、本書は文学的に記している。文学的に、というと安っぽくて批判的に聞こえるかもしれないが、このナラティブな文体が内容を伝えるには最も合っているように思う。論文のようなむずかしさはない。おそらくは、そのようなむずかしさで読者を限定しないように、読みやすさを優先して、なるべくひとびとに届きやすい文体を意識的に選択したのではないかと思う。そんなリーダビリティを優先するまでもなく、あまりにも届きやすすぎる悲惨さではあるが。
0投稿日: 2024.09.01
powered by ブクログ一度読みかけて知らない単語が多すぎて断念したが、『ガザとは何か』を読んだ後、最初からすらすらと読めてしまった。 一気にとてつもない量の絶望と希望を受け取ってしまい、パンクしそう… 滔々と、パレスチナの人々の終わらない悲しみとわずかな希望を伝えられた。とても伝わった。 こんな状態の国で、祖国を取り戻すために希望を持って生きられる人の強さはとてつもないなと思ってしまう。 日本はやはり大国であり、パレスチナは距離もあるため、意識せずとも生きていけてしまうと思う。ただ、やはりこの問題を皆が理解し、いろんな立場から声をあげる人が増えることはまだまだ可能なのではないかと思った。 自分も誤解していた部分が多いので、せめて周りの人には少しずつでも共有していきたい。 最近の日本人は郷土愛のようなものが薄れがちというようなことが『離れていても家族』にも書かれていたが、自分で生きる場所を選べるという大前提があった上でだよなぁと… 贅沢ってなんだろうと鑑みる。
116投稿日: 2024.07.09
powered by ブクログ怒りと困惑と悔しさで脳がバグりそう。これは読み切るのにかなりのエネルギーを要した。自分みたいな軟弱者には、途中でライトな本を挟まないと到底読み切ることができなかった。 ここに書かれていることは、パレスチナ人が国を追放されて以来受けてきた受難の歴史と現実である。(レバノン、ヨルダン川西岸地区、そしてガザ) 文字を追うごとに心が抉られ、セメントについた足跡みたいに深く食い込んだ。 しかしもっと情けないのは、ここまで感情を掻き乱して漸く関心を向けるようになった自分だ。日々のニュースでショックを受けていなかったわけではないけど、ショック以降の進展がなかったから。 3週間前に公開された映画『関心領域』を先日鑑賞した。(あらすじは敢えて割愛) 主人公と一家が大切にするものー夢にまで見た生活や幸せにピントを合わせているのが特徴的だったが、これは今を生きる我々にも当てはまる。(当てはまっているが故に、画越しに突きつけられているように思えた) 一番関心を向けて然るべき、パレスチナの人々に対する無関心…。 「ミサイルや白燐弾で殺す代わりに、私たちは、ガザを関心の埒外に打ち棄てることで、日々、殺しているのではないか。[中略]私には無関心による他者の人間性の否定のほうが、より罪深いものに思えてならない」 著者も時としてこの「無関心」に触れている。本書のテーマの一つであることは間違いない。 しかし終わりの見えない疲弊した日々の中、ガザに住まう人々の間ですら他者への無関心が広がっているという。絶望から生じる暴力・ドラッグの蔓延・相次ぐ自殺者…。 ナクバ(1948年にパレスチナでイスラエルが建国される前後、70万余名ものパレスチナ人が国を追われ、難民化した出来事のこと)から70年(刊行時、今年で76年)、イスラエルは人々から人間性をも奪おうとしている。難民から、国連やNGO団体の助けなしには生活できない物乞い、果ては人間ならざる者にまで貶めようというのか。 戦争犯罪(イスラエルは軍事産業が盛んで、ガザは新兵器開発のための実験場にされている節がある)の片棒を担ぐアメリカもアメリカだ。このままだと、米映画『シンドラーのリスト』など見られたもんじゃなくなるのでは?冗談抜きで。 「地獄とは人が苦しんでいる場所のことではない。人の苦しみを誰も見ようとしない場所のことだ」 著者自身、1980年代・2000年代から2010年代と難民キャンプを訪ね歩かれてきた。淡々と語りながらも節々からは怒りが滲み出ていて、事実反戦デモにも積極的に参加されている。 同時に、近い将来パレスチナの人々がナクバの呪いから解放され、地下鉄(このエピソードで少し気持ちを持ち直した)でエルサレムまで移動できるのだと、希望と関心を抱き続けてもいる。 「関心」ってシェルターみたいなものだと思う。関心さえあればその領域は守られるが、消えたら最後…嵐が来ればたちまち木っ端微塵になってしまう。無知も恐いけど、こちらはこれから知ることで変わっていく余地がある。 この手の関心は永続的でなければならない。一発限りであっても人々の寿命を縮めるのだから。
60投稿日: 2024.06.13
powered by ブクログ数年おきに繰り返されるガザに対する殺戮と破壊。2008-09年には、想像を絶するジェノサイドと思われたそれが、5年半のあいだに二度、三度と繰り返されるうちに、いつしかガザのルーティンになってしまった。イスラエル軍はこれを「芝刈り」と呼ぶ。伸びてきた柴が刈られるように、ガザのパレスチナ人は「刈り取られる」のだ。そのたびに何十人、何百人という子ども達が命を奪われる。「ガザ、世界最大の野外監獄、無期懲役時々死刑、罪はパレスチナ人であること。
5投稿日: 2024.06.03
powered by ブクログあらすじ(みすず書房より)イスラエル建国とパレスチナ人の難民化から70年。高い分離壁に囲まれたパレスチナ・ガザ地区は「現代の強制収容所」と言われる。そこで生きるとは、いかなることだろうか。 ガザが完全封鎖されてから10年以上が経つ。移動の自由はなく、物資は制限され、ミサイルが日常的に撃ち込まれ、数年おきに大規模な破壊と集団殺戮が繰り返される。そこで行なわれていることは、難民から、人間性をも剥奪しようとする暴力だ。 占領と戦うとは、この人間性の破壊、生きながらの死と戦うことだ。人間らしく生きる可能性をことごとく圧殺する暴力のなかで人間らしく生きること、それがパレスチナ人の根源的な抵抗となる。 それを教えてくれたのが、パレスチナの人びとだった。著者がパレスチナと関わりつづけて40年、絶望的な状況でなお人間的に生きる人びととの出会いを伝える。ガザに地下鉄が走る日まで、その日が少しでも早く訪れるように、私たちがすることは何だろうかと。(https://www.msz.co.jp/book/detail/08747/) 土地を追われ、閉じ込められ、ただそこで生きようとする人々に対して繰り返される暴力のあまりの残虐さに言葉を失う。人間は「人間ではない」とみなした人間に対してここまで残酷になれるのか。 人間は一歩一歩、少しずつでも世界をより良くしてきたと信じたかったが、パレスチナの人々が国際社会において「ノーマン」とされ続ける限り、イスラエルの暴虐が放置されている限り、決してそう思うことはできない。これまで無知だった自分が情けない。 パレスチナの人々が人間らしく生きることを許さない、じわじわと首を絞めるような占領下の生活、繰り返される殺戮と破壊、そんな中でも生き続ける人々に心を動かされるが、もしこの方達と言葉を交わすことがあったら私は何と言えばいいのかわからない。不自由なく日本で暮らす私にどんな言葉がかけられようか。 著者の岡真里さんが実際に言葉を交わした、志高き若い人々が数年後に命を奪われる、そんな当たり前のように訪れる死、気持ちの持っていきようがない。イスラエルは、生きようという、戦おうという人々を一人一人潰せば一掃できるとでも思っているのだろうか。これまでの歴史を振り返っても、必ずその人の意志を継ぐ者が現れるのに。国際社会全体の無関心により、あまりに遅いけれど、変化は必ず訪れる。 あとがきでも「いかなる不正義も永久に続くということはありません」と締めくくられていた。確かにそうだし、そう信じたいが、今現在おぞましい殺戮が発生していることを思うと希望を失ってしまいそうになる。またしても最悪を更新してしまった今回こそは占領を、全てを終わらせないと。停戦だけでは生き地獄に戻るだけ。起こってしまったこの最悪を最後にしなければ。 以下、印象に残った部分 いま、この世界にあって、国を持たないということはノーマン、すなわち何者でもない者、人間ならざる者であることを意味する。国を持たざる難民とはノーマンなのだ。国民国家の空隙に落ち込んだノーマン。彼らは人権とも、彼らを守る法とも無縁だ。「法」も「人権」も、それは「人間」、すなわち「国民」の特権なのだということ。国民でない者は「人間」ではない、それが、普遍的人権を謳うこの世界が遂行的に表明している紛うことなき事実であり、その事実がー彼らが「国民」ではないために「人間」ではないという事実、それゆえに人権や人間を護るべき法の埒外の存在であるという事実がー露わになるのが、ここノーマンズランドだ。(p.17) 離散状態のなか、いまだ過去の暴力の傷口が癒えてもいないのに、新たな暴力が上書きされてゆく。一九四八年のナクバ、そのとき、自分たちの村で何が起きたのか、その始原の暴力の記憶を掘り起こし、共同体の集団的記憶として言説化する余裕など、今日を生きていくことに必死の彼女たちにあろうはずもなかった。(p.55) 歴史の事実が私たちに教えるのは、パペが書いているように、人間とは「非人間化」の暴力の犠牲者であろうとなかろうと、「他者を非人間化することを教え込むことができる」、ということなのだから。(p.58) 本来、ペンの力によって伝えなければならないのは、自爆を選ばせるまでに若者たちを絶望の淵に追い詰める「占領」とはいったいいかなる暴力なのか、といいうことであるはずだ。(中略)中東で起きることは、すべてイスラームという信仰、イスラームという文化ー我々とは本質的に異質な文化ーに還元されてしまうと、サイードが『イスラーム報道』で批判している。まさにそのとおりの「カヴァリング・イスラーム」だ。(p.65) イスラエルの犯した戦争犯罪がこれまでひとたびも正しく裁かれなかったという、国際社会におけるこのイスラエル不処罰の「伝統」が、パレスチナ人に対してイスラエルが繰り返し戦争犯罪を行使することを可能にしている。サブラー・シャティーラ、ジェニーン、ガザ、繰り返される虐殺……、パレスチナ人がどのような戦争犯罪、不正を被ろうと、国際社会は寛大にも、つねにその犯罪を看過し、責任者を処罰しないことで、世界に向けてメタメッセージを発してきたのだと言える、パレスチナ人などとるに足らない存在であると。彼らは我々と等価な存在ではない、ノーマンであると。ラジ・スラーニは言う、私たちは人間として尊厳をもって生きる機会が欲しい、これは不当な要求だろうか、と。(p.129) 占領という「人間を破壊する」怪物と闘うパレスチナ人にとって真の敗北とは、自らが怪物と化してしまうこと、敵の似姿となってしまうことだ。たとえ政治的に勝利したとしても、軍事的に勝利したとしても、「人間であること」を手放してしまったら、それこそが人間にとっての真の敗北となる。だから彼らは人間であり続けようとする。人間の側に留まり続けようとする。サリ・ハナフィが言う「スペィシオサイド」、パレスチナ人がパレスチナで人間らしく生きる可能性をことごとく圧殺する暴力のなかで、人間らしく生きること、それが占領下のパレスチナ人の根源的な抵抗となる。(p.227) ガザの歴史をざっと概観しただけでも、パレスチナ人がその難民的生の経験を通して、国連の援助でかろうじて命をつなぐ「難民」から、占領と闘う抵抗者、自らの権利を訴え、故郷への帰還と主権国家の樹立を求めて闘う政治的主体、自分たちの社会を自分たちで統べる市民へと変貌していったことが分かる。(中略)継続する完全封鎖と繰り返される攻撃が目論むのは、このパレスチナ人を、今日を生き延びることに汲々として、国際社会の恩情がなければ生きていけない、テント暮らしの「難民」に再び鋳直すことにほかならない。ポリティサイド、政治的主体性の抹殺である。(p.251)
4投稿日: 2024.01.10
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
YouTubeにて「アラブ、祈りとしての文学」の著者がパレスチナを伝えているーーこの報せが、映像は(感情を揺さぶられすぎるために)見られない私にこの本を手に取らせた。 先日ネットニュース号外で拾い読んだばかりの、イスラエル側が「ハマスの拠点」と主張して攻撃した病院の名が、文章の中に載っていた。この本が書かれた時点では治療が、資源が払底しながらも行われていた場所だ。同名の病院でなければ、ここがいま爆撃され、襲撃され、侵入されている。 しかしその地獄は、パレスチナの人びとが1940年代から、残酷度をこれでもかというほど上塗りにされて受けさせられ続けているものだ。 ひと(いのち)を、想像の天秤において自分と等価値に置く。世界のあらゆる地域でひとりひとりによってそれが行われなければ、イスラエルはパレスチナを焦土にしてしまうだろう。……そして、高みの見物を決め込むごく少数の、大金を持ったウィンディゴが、次の標的を探しはじめるだろう。
3投稿日: 2023.11.25
powered by ブクログこれまで自分は世界の何を見ていたのか。 自身の不明を恥じる。 この悲劇は今現在も続いていて、この瞬間がこれまでで最も悲惨な状況なのだろう。 ジェノサイドが行われている。世界はそれを知りながら黙って見過ごしている。
5投稿日: 2023.11.10
powered by ブクログ出版社サイト(みすず書房) https://www.msz.co.jp/book/detail/08747/ 「朝日新聞」書評(20190126 都甲幸治) https://book.asahi.com/article/12095708
1投稿日: 2023.11.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
エッセイ、と括っていいのかわからないけれど。感覚的にはエッセイと学術本の間。辛かった、きつかった、それでも読ませる力があってあっという間に読んでしまった。順番は前後するが、『アラブ、祈りとしての文学』を次読もうと思う。 あまりにも知らないことが多すぎて、読めば読むほど、なぜこんなことが起きているのか?なぜこんなことを終わらせることができないのか?なぜ世界は沈黙しているのか?なぜ私は知らなかったのか?なぜ?という悲しみと怒りが溢れてきて、言葉を失う。 1948年、パレスチナに「ユダヤ国家」を掲げるイスラエルが建国された。その過程で、この地に住まっていたイスラーム教徒とキリスト教徒のパレスチナ人70万余名が民族浄化され、難民となった。パレスチナ人を襲ったこの民族的悲劇をアラビア語で「ナクバ(大破局)」と呼ぶ。 エピグラフ的に挿入されたナクバの説明から。まず「ナクバ」から初めましてだった…。そこから、でした。 読み進めていく道中、何度胸が締め付けられただろう。 学生の感想の一文、「ガザ、世界最大の野外監獄、無期懲役ときどき死刑、罪はパレスチナ人であること」、ここに集約されている。 【彼ら彼女らを取り囲む不条理・不正義について】 …これまで家族や友人を誰も失ったことがないという人に会ったとしたら…人を殺す塔や戦車や武装した「入植地」や巨大な金属の壁に囲まれていない世界の現実を体験したとすれば…そうしたら、この子供たちははたして、世界を許すことが出来るでしょうかー(p70) 岡は続ける。 「この子たち」は許せるだろうか。私たちは許せるだろうか、こんな世界を。許せるはずがない、いや、許してはいけないのだ。許していいはずがない、こんな不条理を。許していけないのなら、どうするのか。答えは明らかだ。私たちは変えなければならない、この世界を、私たちの手で、非暴力の手段によって。…私たちは無関係なのだろうか。罪はないのだろうか。ミサイルや白燐弾で殺す代わりに、私たちは、ガザを関心の埒外に打ち捨てることで、日々、殺しているのではないか。(p71-72) 境界侵犯の暴力という点で、占領と拷問は本質を同じくする。占領が、私/たちの土地に対する私/たち自身の主権を剝奪するように、拷問は、私のからだに対する私自身の主権を奪い去るのだ(p214) 【「人間」であり続けるということ】 世界の無知・無関心・忘却という暴力の中で人間性を否定され、世界からノーマンとされてなお人間であり続けること。人間の側にとどまり続けること。この許しがたい世界をわが身もろとも破壊してそれに終止符を打つのではなく、自らの人間性を決して手ば佐須、自分たちの手で、非暴力の手段によって、世界を変えていくこと。…《ガザ》に生きるとは、人間がそのような闘いを闘うということだ。(p74) …パレスチナ人がパレスチナ人であることを引き受けるということが人間にとっていかなる闘いであるのか、そのことを、それを果敢に闘っている者の姿を通して教えようとしたのだと思う。(p151) 人がこの世界で何者であるかは、決して自明なことではない。…パレスチナをその目で見たことも訪れたこともない難民二世の若者たちが、解放戦士(フェダーイーン)として「祖国」の開放を求める闘いに続々と参与したのは、彼らがパレスチナ人に生まれたからだけではない。その難民的生の経験を通して、彼らは人生のいずれかの時点で、自身の生をパレスチナ人として生きることを自らの意志で選びとったのだ。…『ハイファに戻って』とは、同胞のパレスチナ人に対し、「パレスチナ人であること」とは何かを、このような思想的地平で開示した作品である。カナファーニーはこれを「人間とはその一人ひとりがひとつの大義(a cause/qadiyya)なのだ」ということばで表現している。(p188-189) …真の人間とは、どの時代、どの場所にも属さない。…真の人間とは一人ひとりが、ひとつの大義であり、ひとつの国であり、ひとつの時代である…(エマソン)。(p206) 図らずもカナファーニーを読んだ後だったので、文中に引用される話の数々がしっかりわかってよかった。 【私への、世界へのメッセージ】 「訊きなさい!」「私たちには答える義務があるのよ!」(p114) それでも、私たちは証言しなければならないのです、とズフールさんなら言うだろう。これは、私たちが人間としてこの世界に存在するための闘いなのですから、と。(p132) 「パレスチナに行ったこと、ある?」「ええ、何度か…」その答えを聞くや、ホダーとイブティサームさんが間髪入れずに、口を揃えて訪ねたのだ、身を乗り出して、目を輝かせながらー「ヘルウ・フィラスティーン(パレスチナは美しかった)?」(p155) 「ヘルウ・フィラスティーン?パレスチナが美しいだって?こんな、日々、暴力と流血にまみれた土地の、どこが美しいっていうんだ?…このあいだも取材中、友人がイスラエル兵に射殺された。その遺体の傍らで、ぼくはカメラを回せばいいのか、泣き叫べばいいのか分からなかったよ。ここには抑圧と暴力しかない。ぼくたちは自由を求めて闘っている。平和を求めて闘っている。だけど、ぼくたちはこの占領の元で生まれ育って、暴力しか知らないんだ。きみは平和から来たんだろ、日本は平和なんだろ、きみたちは自由なんだろ。じゃあ、教えてくれないか、自由とはどういうものか、平和とはどういうものか」(p176) …イスラエル軍に占拠されたスターホテルのロビーで、アウニーたちがなぜ、あんなに引きも切らず冗談を言っては笑い転げていたのか、今ならよく分かるような気がする。生を破壊する暴力、パレスチナ人の人間性を否定する暴力のただなかで、二人の青年たちは、生を愛し、今、この瞬間の生を精一杯、享受するという根源的な抵抗を遂行していたのだ。それはまた、ロビーの奥にたむろしている同年代のイスラエル占領軍の若者たちに対する抵抗のメッセージでもあっただろう。僕たちは何があろうと、生を愛し、人間であり続ける、お前たちに僕たちの魂を破壊することはできない、というメッセージだ。(p227) 読んでいて何度も、なぜイスラエルはそんなことができるのだろうかと思ったかわからない。アウシュビッツを経験したユダヤ人がどうして、パレスチナ人にこのようなことができるのか。民族を根絶やしにしようなどという行為ができるのか。 地獄とは人が苦しんでいる場所のことではない。人の苦しみを誰も見ようとしない場所のことだ。 マンスール・アル=ハッラージュ Don't forget Palestine エドワード・サイード臨終のことば
9投稿日: 2023.10.21
powered by ブクログハマスの急襲と、それに対するイスラエル軍のガザへの地上侵攻という事態の報道に接し、ガザで何が起きているのか、ガザに生きるとは、あるいはパレスチナ難民として生きるとはどういうことなのか、少なくとも自分は何も知らなかったということを思い知らされた。 一人でも多くの人に読んでほしい。
3投稿日: 2023.10.21
powered by ブクログ読みながらぼくは自分に問うた。ぼくは「人間」と言えるだろうか、と。この著書からぼくが読み取れるのはそうした骨太の「人間主義」とも呼べるものだ。相手を「敵認定」して、それゆえに「ただちに」殺す状況が美しい言葉で飾り立てられてしまう状況にはっきり「NO」と言い続けること。自らの内面にある「人を殺す」こと、「相手の人権を慮ること」を決して「ぬるい」と拒絶するのではなく、むしろその「優しさ」をこそ出発点としてリアルでドライな現状認識と結びつけて、「ガザに地下鉄が走る日」を夢見る理想・希望へと練り上げることが大事だ
3投稿日: 2023.10.13
powered by ブクログ申し訳ない。 パレスチナに関心はありつつも、心的にも傍に寄り添うでもない、ただの、地獄の傍観者。 ノーマンとされる、各地のパレスチナ人。 自国主義。民族主義。 パレスチナはイスラエルの新兵器の広告塔。 平和とは。 地獄とは。 パレスチナから目を離してはいけない。楽な事、自分の事、ごく身近なことにばかり目を向けて、苦しみから離れてはいけない。 この本を読んで、今、これから私はどう行動するのか。 自省。他者が希望を見出せ、生み出せる人間になりたい。
3投稿日: 2022.11.30
powered by ブクログ世界をきちんと理解するには1次情報に触れることが一番だが、全世界全地域に細やかに足をのばすのは難しい。そして、2次情報で世界を知ったと思いがちである。でも2次情報は誰かの目を通して編集された世界なのである。 イスラエルとパレスチナ民の攻防は全く認識できていなかった部分が多かったので、衝撃だった。
5投稿日: 2022.03.13
powered by ブクログ20年以上前にパレスチナ問題について友達が調べていたのを今更ながら思い出しました。その時は全く興味を持てなかった事を反省しながら読み進めました。イスラエルのイメージも変わりました。
3投稿日: 2021.02.14
powered by ブクログ読み進めるほど飲み込まれてどんどん潜っていった。知らなかったことが多くてとても恥ずかしかった。 ニュースがいかに偏っているか、彼らに焼身自殺を選ばせるほどの生き地獄とはどんなものなのか、利益をもたらさない「ちっぽけな命」の側には強い国、強い人たちは決して立たない。 この現状を表現するのに他でもないフランクルの『夜と霧』が引用されているのだ。この本を読んで魂を揺さぶられたはずのあなたが、ガザには目を向けないの?と。 楽しく生きることが戦い。何度踏みにじられても、そんなことおかまいなしに希望を見つけられることが、生きることそのもの。
3投稿日: 2020.07.03
powered by ブクログパレスチナ人がどんな境遇にあるのか、この本を読んで初めて知った。なぜもっと世界的な問題にならないのか、放置され続けているのか、現実を知ってショックだった。このような非人道的な考えがまかり通っている理由をもっと知りたいと思った。
3投稿日: 2020.04.11
powered by ブクログイスラエルとパレスチナの関係を、この本によって初めて知った。 ホロコーストで家族や先祖を失ったユダヤ人たちが、先住民であるパレスチナ人を迫害し虐殺し、生きている人たちにも地獄の苦しみを与え続けている。絶望に満ち満ちた世界で、人間性を否定された日々の中で、人間であり続けるために冗談を言って、笑い合う。今この瞬間もそんな人たちが存在していることに気づかされた。反開発、構造的暴力、文化的暴力。どうしてそこまで残酷になれるのだろう。「今日を生き延びることが、明日、あるいは数年後に空爆で殺されるためでしかないような、そんな生活」これからは、パレスチナのニュースにアンテナを立てておこうと思う。
4投稿日: 2019.08.16
powered by ブクログもちろんガザ地区の事は知っていたし、パレスチナ問題だって関心が無いわけでは無かった。TVで流れる映像を見ていたし、中東の問題を書いた本だって読んでいた。 しかし僕は何も分かっていなかったし、知識としてさらりとなぞっただけで、同じ人間が苦しんでいると受け止めていなかった。 今ガザで生きている人々は最初から難民としてガザで生まれ、そして死んでいきます。将来に何の希望も無く、死ぬ為に殺される為に生きているような毎日。ようやく生活基盤が出来家族も増えてきた頃に、必ずやってくるイスラエルの大規模な軍事行動。それは戦争ですらなく民間人に向けられた一方的な虐殺でしかないのです。 彼らに40年間関わり続けた筆者の指した糾弾の指先は、国際社会という曖昧な全てでもあり、無関心でいる個人個人を指しています。無関心でいる事で彼らパレスチナ人を、死んでも虐げられてもいい存在だと認めたと繰り返し糾弾します。 当然それは読んでいる僕自身の事でした。 2014年には51日にも及ぶ執拗な爆撃が行われて、キャンプは完膚なきまでに叩き潰されました。軍事施設でもなんでもない市街地に対してです。 ニュースでもやっていたと思うのですが、すぐに意識は薄れ遠いどこかで起こっている事としか認識されませんでした。今となってはニュースで取り上げられる事も無く、ガザの人々はじわりじわりと窒息寸前のまま生殺しにされています。 筆者は何度も繰り返します、爆撃や狙撃で沢山の愛し愛されるべき人々が殺され、未来に何も希望を抱けない暮らしを強いられている人々が、同じ時代に豊かで安全な生活をしている人々を目の当たりにしたら、果たして彼らはこの世界を許すことが出来るだろうかと。 どこかの国に属している人間だけが「権利」を持っていて、それ以外は人ならざる者「ノーマン」であると。国の庇護を持たない難民はすべからく「ノーマン」として殺されても仕方が無い。そう世界が言っているのだと。 アメリカはイスラエルの最大の支援国です。そして恥ずべきことにイスラエルと日本の関係は非常に良好です。我々は沢山の屍と悲鳴の上に立っている事を忘れないでいようと思います。 ちなみにガザに地下鉄当然ありません。これからも走る事はないでしょう。それはあるアーティストが描いた理想としての地下鉄の路線図です。僕はこの題名を見た時にそういう計画が出るくらいに状況が上向いているのかと思って何気なく手に取った本でした。そんな脳天気な事を考えていた自分を、自分でぶん殴ってやりたい気分です。
4投稿日: 2019.07.02衝撃の光景が、目の前に。
とても辛い、でも直視せざるをえないと思わせる、強力な経験でした。 パレスチナ人が経験している筆舌に尽くし難いことを、筆に表していただいたことに感謝しています。そして、著者の思いがこの地上に広がることを、切に願っています。 私の小さな慰めは、この本の著者が、日本という国で、指定国立大学法人に属しておられることです。。。
0投稿日: 2019.06.02
