Reader Store
哲学の誕生 ──ソクラテスとは何者か
哲学の誕生 ──ソクラテスとは何者か
納富信留/筑摩書房
作品詳細ページへ戻る

総合評価

7件)
3.0
0
1
4
1
0
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    ソクラテスの考えを知るというより、ソクラテスを中心にその時代の哲学者への理解を深められるような、哲学書より歴史書的なものでした。 哲学初心者には少し退屈かも? てか、あの時代の人たちの名前あまりにわかりにくすぎる。

    1
    投稿日: 2025.01.17
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    現代哲学において、ソクラテス、プラトン、アリストテレスのような古代ギリシアの三大哲学者を別格とするのは何故か。ソクラテスによる「無知の知」の真意は。衆愚政治により死刑判決を受けたソクラテスについて、どのように考えれば良いか。私自身は、特にこれらのポイントで興味を持って読んだ。それと、先に読んだ『パイドン』について、対話相手であるパイドンとはどのような人物だったのか。 ー ソクラテスの死に親しく立ち会い、後にフレイウスでピュタゴラス派の人々に「ソクラテスの死」を語るパイドンとは、一体どのような人物であったのか?パイドンについては次のような逸話が、ディオゲネス・ラエルティオスによって伝えられている。ペロポネソス半島北西部に位置するエリスは、小ポリスながら近郊にあるゼウスの神域オリュンピアを管轄する重要な町であった。そのポリスの有力者のもとに生まれたパイドンは、戦争によって奴隷となり男娼として売られたという(その出来事を、トゥキュディデスの「戦史」が記述する、前四三一年の戦争にあたると推定する研究者もいる)。そうして不道徳な生き方へと転落したパイドンは、アテナイでソクラテスに見出され、クリトン、もしくはアルキビアデスの援助で自由の身に解放されたという。娼家に売られた人を解放するためには、多額の身請け金が必要であったろう。ソクラテスはそれを、富豪の友人に頼んだのである。パイドンはこれに感謝し、以後ソクラテスの熱心な弟子として哲学者の生を送ったとされている。ソクラテスは、パイドンを肉体の欲望から解放し、魂におけるより善き生へと導いた恩人であった。 ソクラテスは、何故訴えられたのか。次のような論法は興味深い。現代においても、どのような権力構造であれ、それを盾に強制するならば、そこには暴力性を帯びる。会社における人事異動、給与査定などもそうだろう。説得無き強制は暴力である。 ー 「若者を堕落させた」とのソクラテス告発に、クセノフォンはどう答えたのか? 「告発者」は、ソクラテスが危険な言論を若者たちに教えることで、ポリスの法律を蔑視させたと主張する。彼はつねづね、民主政の役人選出法をこう批判していた。船の操舵士や大工の棟梁や笛吹きといった、失敗してもそれほど害にならない場合でも籤引きで選ぶことはないのに、大切な国政の執行人を籤引きで選ぶとは愚の骨頂であると。 ー 「何であれ僭主が統治して制定する限り、それも法律と呼ばれる」と彼は言う。「では、暴力や不法とは何でしょう、ペリクレスさん?」とアルキビアデスは言う。「それは、強い者が弱い者を、説得ではなく暴力によって、何であれ彼に善いと思われることを強制する場合ではないでしょうか?」「私にはそう思われるよ」とペリクレスは言う。「それでは、借主が市民たちを説得せずに制定して為すことを強制したら、不法ではないでしょうか?」「私にはそう思われる」とペリクレス。「僭主が説得せずに制定したものが法律であるということは、撤回しよう。」「では、少数者が多数者を説得せず、力が勝ることで制定した限りのものを、私たちは暴力と呼びませんか?」「説得せずに人に為すように強制する限りのものはすべて、制定されていようがいまいが、法律というよりむしろ暴力である、と私には思われる」とペリクレスが言った。 最後に無知の知。「知らないので、そのとおり知らないと思っている」と捉え、けっして「知らないということを、知っている」と語ってはいない。レトリックのようにも思えるが、この差は大きい。後者は、無知も含めてカウントした完全知の立場だ。不完全を前提する前者とは異なる、というわけだ。 - この不知の自覚の上に、ソクラテスは裁判で毅然とした態度をとり、死を従容として迎える。ここでもソクラテスは、自らの状態を、「知らないので、そのとおり知らないと思っている」と捉え、けっして「知らないということを、知っている」と語ってはいない。プラトン対話における「不知」の自覚は、すべて同様に表現されている。ソクラテス哲学の核心を表わし、また、ソクラテス的な探究を総括するこれらの箇所では、一貫して「知らないと思う、考える」という表現が用いられている。「思う、考える」は、「知る」という確固とした認識状態を意味しない。「知る」とは、つねに根拠づけられた真理の把握である。これに対して、「思う、考える」とは、主体がそう見なしているが、真理の保証がない状態である。「知る/思う」の区別こそソクラテス哲学の基本であり、両者を混同することはけっして許されない。この点を強調しておきたい。 ー 他方で、不知の自覚がない人々は、「知らないのに、知っていると思っている」という「恥ずべき無知」にあった。ソクラテスの持つ不知の自覚と強烈に対比はされるが、両者は「思う、考える」状態にある点では共通する。ソクラテスの不知の自覚やそれに相当する認識状態には、プラトン対話全体をつうじて、一貫してこのような言い回しが用いられている。つまり、日本で流布している「無知の知」という表現は、そのままの形で対話に登場することはなく、さらに、その原型にあたる「知らないということを、知っている」という言い方でさえ、まったく用いられてはいないのである。プラトン対話で示されるソクラテスの自己了解のあり方は、「無知の知」とは根本的に異なる把握である。

    47
    投稿日: 2024.09.18
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    ソクラテスの生きた時代は、ソクラテス・プラトンだけが突出していたのではなく、同時代に生きる思想家たちの大きな潮流の一環として位置付けとして再認識すべきとして、紹介しつつ、後代における主にソクラテス思想の受容の仕方を紹介した著作。

    2
    投稿日: 2021.03.21
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    納富信留『哲学の誕生』ちくま書房,2019(初出2005) だいじな本である。ポイントはソクラテスの「無知の知」というのは誤りだし、問題が多いと論証しているところだろう(第六章)。教員採用試験の用語集とか、高校の倫理の教科書もそのうち書き換わるんじゃないかな。(もう書きかわっているかも) (プラトンの)『ソクラテスの弁明』で言っているのは、原文にもとづくと「知らないと思う」(不知の自覚)という透明な自覚で、この意味で『論語』の「知らざるを知らざるとなす」と同じだそうである。それで、「知」を二重化する「無知の知」というような「メタな知」ではないそうだ。そもそもソクラテスは対象をもたない「知」を認めていないのである。日本で標語のようにいわれている「無知の知」は明治以来の哲学の受容のなかで、禅や儒学の下地のうえで言われだした誤解なんだそうだ。要するに、ソクラテスはそんなに難しいことを言っていないのだけれど、実行するのは難しいのである。ついでにいうと「悪法も法なり」は「厳しい法も法である」という意味とのこと。 第一章は、ソクラテスが毒杯をあおいだところを書いている『パイドン』の舞台が、ピタゴラスと関係があると指摘していて、「哲学者」(知を愛し求める人)という言葉をつかったのはヘラクレイトスという人で、ピタゴラス派の「博学」を批判した言葉だったそうだ。プラトンにはピタゴラス派の影響がある。ちなみに哲学のはじまりをタレスとするのはアリストテレスの『形而上学』に書いてある意見で、文献的にはピタゴラス派を指す方が有力なようである。 第二章・第三章は「ソクラテス文学」というジャンルがあったことを書いている。ソクラテスの死後、いろんな人がそれぞれの立場からソクラテスについて書いており、プラトンもその一人だった。それで、クセノフォンとかいろんな断片もみていかないといけないという話で、学問のやり方の話が主となっていると思う。プラトンの『ソクラテスの弁明』も決して歴史的ソクラテスをそのまま書いたものではなく、プラトンの創作として扱わなければいかんそうだ。もちろん、創作だからといってデッチアゲではなく、ソラクテス裁判の「真実」を探究するものである。 第四章は、ソクラテス裁判の背景を書いている。前404年、ペロポネソス戦争でアテナイが負けて、スパルタ王の後援をうけてアテナイにクリティアスらの「三十人政権」ができた。この政権は裁判にかけずに殺された人もふくめて、1500人も市民を弾圧して殺したのだが、一年でこの寡頭制が打倒され、民主制が復活する。ソクラテスの処刑(前399年)の時期には民主派の復讐心が渦巻いていた。ソクラテスの罪状は「瀆神」のほうはあまり問題にならず、「若者を堕落させた」ことが主になるんだが、この「若者」が「三十人政権」を指導したクリティアスだったり、アルキピアデスであったりしたそうだ。なんとなく、プラトンの民主制ぎらいが分かる気がする。 第五章はソクラテスとアルキピアデスの関係を書いている。アルキピアデスは美男で雄弁で金持ちという「アイドル」のような人なんだが、ペロポネソス戦争の和平を邪魔して、シチリアから包囲して全ギリシアを支配しようとする作戦を考えて、アテナイのために戦い、気にくわないことがあって裏切ってスパルタに走り、「そこまでやるか」と思うくらいアテナイ軍の攻略法を教えてたりした。だけど、スパルタでも王妃を誘惑して孕ましてしまい、暗殺指令がでて、ペルシアに逃げてペルシアも手玉にとった。里心がでてアテナイに戻ったときは、なぜか英雄扱いされた。とにかく善にも悪にもふりきれた人だったらしい。この人を教育したかどでソクラテスは断罪されるんだけど、アルキピアデスはソクラテスの魅力が分かっていて、「一生そばにいるしかない」はめになるんで、ソクラテスを避けたそうだ。だから、アルキピアデスについてはソクラテスに政治目的で近づいた「ほんとうの弟子ではない」という弁護は、弁護になっていないんじゃないかという指摘がある。 補遺はソフィストと哲学者をわける発想は「ソクラテス文学」の作品群のなかでも、プラトンに独特な点で、この意味でプラトンの創作だそうだ。ソクラテスの時代はこんな区別はなかったと指摘している。 全体的にソクラテス裁判の歴史的背景がしっかり書いてあって、古典屋の仕事だなと思った。おもしろかった。

    1
    投稿日: 2019.08.30
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    哲学者として有名なソクラテスに対する考察本。 有名な『無知の知』が、「知らない事を知っている人の方が知らない事を知らずに語る者より優れている」という論ではない説明がとても面白かった。 ソクラテスの著作は何もないので、その思想は弟子や知人というフィルターを通じてしか残っていないため、そこから吟味する必要がある、という主張なのだが、正直前半は読み飛ばしてしまった・・・。

    0
    投稿日: 2019.01.12
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    最新の研究成果が導入され、人口に膾炙したソクラテス理解を誤りとして指弾している。厳密な学問的態度を貫くため、文献の一字一句を詮索するのはある意味仕方ないだろう。それより私にはソクラテスを巡る知的攻防が、ソクラテスの生前においても死後においても沸騰していた様子が浮き彫りにされていて、面白かった。当然ソクラテスも聖賢の称誉を始めから得ていた訳ではなく、ソクラテスの生前の活動を基軸としながらも、死後において弟子達がソクラテスを巡る誤解や紛争を乗り越えて、真実に近づく形でソクラテス理解を確立したからこそ、我々はソクラテスに学ぼうと発奮するのである。とはいえ、少なくとも私にはソクラテスがしたような悠長な議論をする時間はないし、言論に専心する以上に働いて生活をしていく重要性を重く見ている。その点を踏まえて、ソクラテスに何を学ぶのか、この問いは真剣になされるべきだ。

    0
    投稿日: 2018.02.10
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    ブログ更新:『哲学の誕生 ソクラテスとは何者か』納富信留 そこでネックになるのがソクラテスはどこまでがソクラテスでどこからがプラトンの創造なのかという問題である。プラトン作は初期・中期・後期と後の研究者によって分別され、初期の対話篇に登場するソクラテスが史実に近く、中期以降になるとプラトンが独自の哲学をソクラテスに語らせるようになっていった、という理解がオーソドックスである。私もそんなものだと思い、初期の対話篇に価値を置いていた。 http://earthcooler.ti-da.net/e9800316.html

    0
    投稿日: 2017.08.19