
総合評価
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powered by ブクログ荒野さんの本を久しぶりに読みました。 炭鉱の島、炭鉱の言葉「切羽」 現実にはそこの心境にはならなくとも、実は深い所でセイさんと石和聡は繋がったんだと。 書かない所に作者の心情があるって、解説に書いてありました。納得。
0投稿日: 2024.06.18
powered by ブクログうーむ わからん 感情がまだわからん 私はまだ子どもなのか、、 幸せな家庭ならそれでいいじゃない なぜ他の方をみるのかな
0投稿日: 2024.05.16
powered by ブクログたまたま図書館で手に取った一冊。 淡々と進んでいくお話の中で、切羽とは何を意味するのか、なかなか読み取ることが難しかった。 初読みの作家さんだったので、他のお話も読んでみたいと思います。
1投稿日: 2023.09.24
powered by ブクログ荒野さんの文章が大好きなので引っかかるところも一切なくするすると読める。 物語としてはつかみどころがなく、一見して何事も起きてないような大人の世界が書かれてるイメージ。深く読めていないということなんだろうけど、主人公が教師に惹かれる理由が全くわからなかった。何回も読んだ方がよりよさがわかってくるのかもしれない。
0投稿日: 2023.08.28
powered by ブクログ大人だ〜と思った なんだ何も起こらないなあなんて呑気に考えていたわたしはレベル3だ 大人だ〜と思う作品はたくさんあったけど、これはその中でも大人 何も見えない、何も見せない 濃密さはこうやって表現されるんだと気づいた タイトル、端端ででてくるキーワード ほんの少しの言葉で多くを感じさせる こんな作家さんも素敵だし、こういう大人になりたいと思った
0投稿日: 2023.06.30
powered by ブクログトンネルを掘っっていくいちばん先を切羽と言う。 日本の離島、作中の方言から九州方面でしょうか。 島出身の主人公のセイは、島内の小さな小学校で養護教員として生活している。夫は、幼児期島で暮らし本土へ渡った、画家。島の丘の上のセイの父親の残した診療所後で、豊かな自然と濃密な人間関係の中、穏やかな日常。そこへ新任教師の男性が本土から、転任してくる。偶然が二人を呼び寄せ、恋に落ちる様に出会ってしまう。セイは、夫を確実に愛していると同時にこの男性にどうしようもなく惹かれていく。彼からも確かにセイと気持ちを絡ませる刹那がある。 切羽に向かおうとした二人の情愛は、踏み留まる。 そんなこともあるだろうなあ、と思うけれど、謎めいた新任教師へ傾倒するほど、セイが渇望しているものが何かわかりにくい。
47投稿日: 2022.12.28
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
わたしはいったいここ数年で何度、「あ、長崎の話だな」って理由で本を読んだだろう。 この本もそう。パラパラめくったら長崎弁(らしきもの)が目に入ったので買った。しかしながらしょせんわたしは「よそ者」なので、長崎の話なのかそれとも同じ九州のどこかなのか判断が付かず。本の中で結局長崎とは出てこなかったけれど、空港で買った大村鮨という言葉に長崎だと確信を得て、言葉だけでは確信出来なくとも、地域の食べ物では確信出来るくらいなのだな、と思ったり。 いつまでわたしの頭の中で長崎弁がすんなり音になってくれるだろう。一度もわたしの口から出る事はなかった言葉。頭の中のひとりごと止まりだった。けれど意味や発音はしっかりわかるようになった言葉。それを忘れたくなくて、まだ忘れていないと思いたくて、こういう本を選んでしまうのかもしれない。 「本土さん」のようにわたしはずっと「東京の人」だった。「よそ者」でい続けるつもりなんかなかったのに。いまはわたしも石和のように誰にも思い出される事はないのだろう。関わった決して多くはなく、大概は付き合いが濃くもない人たち。通った学校のクラスメイト。何個か働いたパート先の先輩後輩。美容院やまつ毛サロンやジムの店員さん。彼の友人や、バーのお客さん。彼のご家族や親戚。 わたしの事を「よそ者」と思っていなかった人だけは、もしいるとしたら、思い出してくれる事があるのかもしれない。いるのかはわからないけれど。石和に対してのセイや、陽介、月江のように。
2投稿日: 2022.12.06
powered by ブクログ何かを成す途中にはとても大切と思われていた場所が、終わってしまえば影も形も消えてしまう、そんな場所をあなたはご存知でしょうか? これはなかなか難しい質問です。簡単には思い浮かばないと思いますが、例えばビルや家の工事現場がそんな場所と言えなくもありません。もちろん白い幕に覆われていて容易には目にできないという突っ込みはあるかもしれませんが少なくともそんな場所をイメージすることはできると思います。私たちが当たり前に目にするビルや家が今の姿になるまでにはその途上の姿がある、それが工事現場です。しかし、最初の質問の解答としてはこの答えは少し不適切です。何故なら工事途中の形状こそなくなってしまうとはいえ、そこにはその途中の積み重ねの結果としてのビルや家が姿をとどめているからです。 では、そんな質問に対する答えはあるのでしょうか?全く思いもしなかったそんな答えを私は偶然にも手にしました。井上荒野さん「切羽へ」というこの作品。直木賞も受賞されたその作品の書名となる『切羽』とは、”トンネル掘削の最先端箇所”のことを指す言葉なのだそうです。トンネル工事にたずさわる方でもない限り決して見ることのできないその現場。それは、トンネルを掘るという一大事業を進める中では一番大切な場所です。しかし、トンネルが完成してしまえばそんな風に定義される場所自体どこにもなくなってしまいます。 そんな『切羽』という文字を書名に関するこの作品。それは、人がいっ時抱くある感情の存在を思わせる描写が淡々と続く物語。いっ時が過ぎればそんな感情がこの世にあったこと自体消え去ってしまうことを感じる物語。そしてそれは、登場人物から消え去った感情が、読者の心の中にいつまでも余韻として残り続けるのを感じる物語です。 『明け方、夫に抱かれた』と、『私を眠らせたまま抱こうとする』夫の存在を『眠りの中で感じ』ているのは主人公の麻生セイ。そんなセイが『目を開けて、夫を見上げ』ると、『できあがった』『明日。一緒に見よう』と得意そうに夫の陽介は微笑みます。朝になり『小さな丘のてっぺんに建っている』という家の庭に出て『野蒜を抜いていると』、『見る?』と陽介が声をかけてきました。そして、『手を繫いでアトリエに向か』う二人。『かつて父の診察室』だったアトリエは『雨戸もカーテンもすでに開け広げられていて、明るい日差しがいっぱいに差し込んでい』ます。そこに、『百号の大きなキャンバス』に『海を描いた絵』が『日を浴びてい』ました。『これは、どこね?』と訊くセイに『俺たちの島たい』と答える陽介はセイ『の腰に腕をまわし』ました。『一日中でもそうしていたかった』ものの、『小学校の養護教諭』でもあるセイは『今日は卒業式だ』と出かけます。『小学校へ行くまでに私は丘を三つ越える』という丘の多い島に暮らすセイは、三つ目の丘の麓にある港で『港湾課の村崎さん』に声をかけられます。『人間より先に荷物が着いてしもうて』と言う村崎は東京からの荷物を見て、『家賃が格安』で、『本土から島へ渡ってくる人は、たいてい』入るという『岬住宅』に引っ越してくる人のことを話します。そして、再び歩き出したセイは『生徒は九人』という小学校へと着きました。『今日で、アキラとミドリはいなくなる』という別れの日。そんな日にピアノを弾くのは『何かと噂の的』になる『グラマーで、その上いつでも体にぴったり張りつく服を着てい』る月江先生。その横に『風貌のやさしい』校長先生と、『がっしりした山男タイプ』の教頭先生が並ぶ卒業式、そしてその後の懇親会も終わった中、月江が『季節はめぐっていくのよ』と話しかけてきました。『新入生?』と訊き返すと『新任教師。男。東京から』と答える月江に、朝の一件がピンときたセイは『もう会った?』と訊くと、『まだ何もしてないわ』と悪ぶって答える月江。そして、四月となり、『石和聡(いさわ さとし)といいます』という『歳は三十歳前後 ー 私より少し下かもしれない』、『背はさほど高くなく、少年のようにするりと瘦せている』という一人の音楽教師がセイの前に現れました。そして、そんな石和のことを強く意識しだすセイのそれからの一年が描かれていきます。 「切羽へ」という書名の意味と読み方がまず気になるこの作品は、2008年に第139回直木賞を受賞している井上荒野さんの代表作です。私は井上さんの作品を初めて読みましたが、美しい表現とともにゆったりと展開する物語の中に、独特な世界観が作り上げられているのにとても魅了されました。まずはそんな表現の数々を見てみたいと思います。 この作品の舞台は『かつて大きな産業が栄え、そして衰退した』という一つの島が舞台となっています。そんな島の豊かな自然を感じさせるのが、『蒸し暑い晩だった』という夜に『散歩ばせんね』と誘う夫と共に出かけたセイが見ることになる光景です。『植物ではなく、動物を思い起こさせる草の匂い』が立ちこめる屋外へと、陽介の後に着いて出たセイは『土手を越え、小川のほとりに下りる』陽介の後を追います。『どこへ行くとね』と訊いても教えてくれない夫を追うセイは、足元ばかり気にしていたことで『夫が見ているものに気がつ』きませんでした。そして、『わあ』と思わず声を上げるセイの前には『小川の向こうの林の中から川面にかけて、小さな光が幾つも浮遊してい』ました。『どがんね』と得意そうに言う陽介に『もう、こがん飛んどったとね』と返すセイ。そんな二人の前には蛍が『乱舞してい』ました。『どんぴしゃり、まっさかりやったね』と言う陽介に『いっそう呆然とした』セイは、『目の前の蛍の美しさにうたれ』ます。そして、『まっさかりの蛍を、私たちは毎年ちゃんと見てきたはずなのに、これほど美しい光景をはじめて見た気がする』と思うセイというこの場面。蛍を見ること自体が容易でなくなった現代において、小説中に蛍が登場すること自体なくなりつつあるように思います。私が読んできた小説の中にも、そんな描写をすぐに思い浮かべることはできません。そんな身には、清らかな水の存在があってこそ成り立つ、蛍が舞うという光景は読んでいてハッとするものがありました。そして、井上さんは、さらにこんな言葉を使ってその光景の素晴らしさを決定づけます。 『私は、蛍が雪のように舞い落ちているほうへ歩いていった』。 季節が真逆のまさかの雪に蛍を例えるこの絶妙な表現。そして、そんな中にスケッチブックを取り出して鉛筆を動かす陽介…と続くこの場面の美しさにはうっとりと魅せられるものがありました。 また、ハッとするような描写は自然だけではありません。セイが意識する石和に対してこんな表現が登場します。『石和聡はジーンズをはき、白いシャツを着ていた』という十月のある日の描写。『石和はずいぶん日に灼けている』と彼のことを見るセイ。そんな理由を『白いシャツのせいだろう。そのシャツはしわくちゃで、新品にはとても見えなかったが、奇妙に真っ白だった』と、セイが見る光景をそんな白いシャツと秋の空を絶妙に組み合わせてこんな風に表現します。 『初秋の濃い青色の空が、石和のかたちに切り取られていた』。 石和を意識するセイの感情を見事に絵にしたこれまた絶妙な表現だと思いました。 そんなこの作品は、東京から新任の音楽教師として島に赴任してきた石和聡のことを、主人公の麻生セイが強く意識の下に置いていく姿が全編に渡って描かれていきます。それは、作品に登場する『石和』という名前の数の多さが象徴しています。同じ言葉が繰り返し登場すると数えずにはいられなくなる さてさてとしては、”正”の字を書いてその登場回数を数えてみました。 ・『石和』の登場回数: 365回 この作品は文庫で240ページ程度の作品です。にも関わらずこの登場回数はもう異常とも言えます。『石和は音楽の専任教師だった』、『石和聡は料理がとても上手だった』、そして『石和は希望してこの島へ来た』といったように『石和』、『石和』、『石和』と繰り返し登場するその名前に、読んでいてセイの石和への意識の強さがいやがおうにも伝わってきます。麻生陽介という夫がいて、その夫に決して不満な感情を示すそぶりが全く見えない中に、ただただ盲目的に石和を意識し続けるセイ。しかし、そんな作品を読んでいてふと不思議なことに気付きました。それは、石和を意識するセイの感情とはどのようなものなのだろう?というものです。夫がいるのに他の男性のことを思うのは一般的には不倫とされる感覚です。もちろん、この作品の中でセイが石和の体に溺れるような描写がなされていくわけではありませんが、これだけ他の男性を意識するシーンが登場するとそこには、恋愛感情の存在がどうしても想像されます。しかし、この作品には肝心のセイの石和に対する想いというものが全くと言っていいほどに描写されないことに気づきます。これは非常に不思議な感覚です。この作品は全編に渡って主人公である石和セイ視点で展開します。ということは、そこにセイの内面が描写されて然るべきとも言えます。しかし、描写されるのはセイが石和を見る、石和と共にある、そんなある意味淡々とした描写のみです。こんなに意識する存在であればそこには”好き”だとか、”愛する”といった表現が登場してもいいはずですが、こういった表現は一切登場しません。また、これは夫の陽介にも言えます。『もちろん、夫は帰ってきた。それも、予定よりも一日早く』という展開には、妻の何らかの異変を感じ取る夫・陽介の心情が伺い知れます。もちろん、セイ視点なので陽介の内心が表現されることはないとはいえ、二人の会話にはセイの異変を訝しむ表現さえ登場しません。登場人物たちが相手をどう思っているかを表す表現がほとんど登場せずに情景描写だけで進んでいくのがこの作品の特徴と言えると思います。そんな作品を読んでいると、ふと自分自身が、セイの心がそのシーン、そのシーンでどのようなものであるかを類推していることに気付きます。そんな私の類推が正しいかどうかはわかりません。何故なら私はセイではありませんし、そもそも書かれていないことでもあります。逆に言えば書かれていないからこそ、そんな心情を類推する感情が生まれてくるとも言えます。そう、この作品は登場人物の感情を敢えて書かないことによって、そこには読者の数だけ物語が存在する、そんな非常に大きな可能性を秘めた物語なのだと思いました。 『トンネルを掘っていくいちばん先を』指す『切羽』という言葉。『トンネルが繫がってしまえば、切羽はなくなってしまう』一方で『掘り続けている間は、いつも、いちばん先が、切羽』であるという事実。そんな『切羽』という言葉を書名に冠したこの作品では、穏やかな島の暮らしの中に現れた一人の男性を強く意識する一人の女性の姿が描かれていました。物語の背景に描かれる美しい島の自然と、ほのぼのとした小学校の日常が一年に渡って淡々と描かれるこの作品。読者の想像力に委ねるかのように、直接的な感情表現が抑えられた極めて落ち着きのあるこの作品。何か大きな出来事が起こるでもない平板な物語に、しっとりとした大人の小説とはこういう物語のことをいうのかもしれない、そんな風に感じた作品でした。
103投稿日: 2022.04.16
powered by ブクログ最近、ミステリーのように筋立ての妙で読者をひっぱる物語よりも、文章それ自体の力によって、ゆっくりと歩ませてくれる種類の小説に強くひかれる。在るということ、それ自体が発する力を受けとめる緊張感をもった器のような、そんな小説だ。 九州の小さな離島の、わずか一年間の物語である。眼に見えるような変化はほとんど起きない。ただ、ひとりの男がやってきて、いつのまにかいなくなっただけ。しかしその、何もないように見えて何でもある島の生活は、たとえば、セイの毎日を満たす食べものを通して、こんなふうに描きだされる。 「こればっかりは島で採れるとが一番」と義父がいう、アオサのおつゆ。から揚げにしようか、さっと煮ようか、叩きもいい、と考えながら市場で買う、とてもきれいな小アジの一盛り。男の親指ほどのミミ竹を採って、その場で味噌をとかしてつくる茸汁。そこで採れる食べ物をていねいに食べる、その一年を通した描写があるからこそ、何かをあきらめたわけでもなく、強がりでも倦んでいるのでもない、「島の女」として、この男の妻として生きていくことを選んだセイの姿が、それでもなお、先の見えない「切羽」へと手を延ばそうとする心のひたむきさとともに、くっきりと像を結ぶのではないだろうか。 傍目に何もないように見える日常を生きることは、けっして何かをあきらめることと同義ではない。その日の食事をていねいにつくり食べることは、たぶん、空気のなかにひそむささやかな季節の変化、エロスの信号を感じ取ることと通じるのだ。たとえば、夫がはじめて「ぞんざいさと親密さを織り交ぜて」「あんた」と自分のことを呼んだことに気がつくこと。
5投稿日: 2022.02.13
powered by ブクログ再読 再登録 何だか高級な大人の恋愛小説を読んだ気がします。読了済の方はどう思うのだろうか。 「はっきり言ってくれないと理解に苦しみます」と感想を書いたら、所詮男のあなたには女心が分かってないのよ!と糾弾されそうな微妙なタッチで書いている。ん?いや、描かれていない。←(どっち?はっきりしない) 小説の舞台は、本書には島としか書いていない。調べてみると、著者の父親井上光晴の故郷長崎県崎戸島だということがわかった。題名の「切羽」は、地名ではありません。この島は、次回に投稿を予定している同著者の「あちらにいる鬼」にも関係しています。炭鉱で栄えた島であったが、廃坑となって久しく山と海に囲まれた風光明媚な島だと思う。行ったことはないが、グーグルマップで書斎から現地へ飛んでみた(爆) その島の小高い丘の上に、かつて医院を開業していた父の家に住んでいるセイ(私・主人公)は唯一の小学校の養護教諭をしている。三十一歳。夫(陽介)は画家で元医院の診察室をアトリエにしている。 物語は、人肌の温もりが感じられる夫婦らしい滑り出しで始まる。 以下【一部抜粋】 「明け方、夫に抱かれた。大きな手がパジャマの中にすべり込んできて、私の胸をそうっと包んだ。(中略)『どうしたとね?』終わったとき、微かな不安にかられながら、私は聞いた。夫『できあがった』私『ほんとう?』『うん、明日。一緒に見よう』夫はすでに眠りはじめていた。そのことがまた新しい幸福で私を満たした」 セイは語り部として、島での生活の日々を丁寧に説明している。美しい自然に囲まれて、学校での出来事や子供たちのやりとり、島で手に入る食材の料理の話など…。 夫は、セイを通して語っているが、饒舌ではない。そこに不満があるのか、無いのか、しかし、いざという時の行動派の印象を強く感じます。 小学校に、東京から寡黙な青年で音楽の専任教師石和が赴任してきた。セイは気になりつつも、特に甘い言葉や行動があったわけではないのに、心を惹かれていく。肝心なところでセイは、語りを止めていることがこの作品の本質ではないかと思う。冒頭の通り著者は、何故描かなかったのか?「音」無くして声を聴き、「言葉」無くして心を読んで欲しい、と言っている作品ではないかと思う。 切羽は、トンネルを掘っている先のことで、開通してしまえば切羽は無くなってしまう。 何とも儚い作品だと感じた。 読書は楽しい。 2013年5月4日読了 直木賞受賞作品です。この小説は、大人のための情愛小説です。じっくりと想いを馳せながら読まないと、この作品の良さが伝わらないと思います。つまり、作者の伝えたい事が、書かれていないのです。書かないで想わせる技巧は、匠で素晴らしいですね。あとがきの、解説に小説家の山田詠美も同じようなことが書いてます。
20投稿日: 2022.02.02
powered by ブクログ井上荒野さん初読。 なんだか不思議な小説だった。大人の小説。自分にはまだ早かったらしく「?」という感じで終わってしまった。 「トンネルを掘っていくいちばん先を切羽という。トンネルが繋がってしまえば切羽はなくなってしまうが、掘り続けている間はいつもいちばん先が切羽」
3投稿日: 2020.07.29
powered by ブクログ閉鎖的な島で夫と暮らす「私」と、 島へ移住してきた男との心の揺れを 描く物語。 設定はいかにもだけど、 荒野さんの丁寧で緻密な文体と、 生命力溢れる島言葉が美しい。 そして何より、 「切羽」という場所に惹かれて読んだ。 タイトルを見て、切羽詰まる、の「せっぱ」かと思ったら違った。 「トンネルを掘っていくいちばん先」のことで「きりは」と読む。 「トンネルが繋がってしまえば、切羽はなくなってしまう」 「掘り続けている間は、いつも、いちばん先が、切羽」。 有って無いような場所。 先へ先へと求め続けるけれど、 いつかは無くなってしまう場所。 それ以上先へは進めない場所。 それとも、未来へ続く扉にもなる? その切羽まで、「どんどん歩いて行くとたい」と夫に言い放った主人公の母親。その覚悟。 夫か、別の男か、どちらが切羽へ進む道なのだろう? 139回直木賞受賞作。
3投稿日: 2020.07.14
powered by ブクログわたしには良さがわからなかった。 「語らない」ところがいいらしいけど、語ってほしいと思いながら読んでしまった。
1投稿日: 2019.10.21
powered by ブクログ第139回直木賞受賞作。 離島の小学校の養護教諭の麻生セイ31歳がみた、1年間の島の様々な人間模様。 セイは島の診療所の医者だった父の娘で、一度は東京に出たこともありますが、今は両親は亡くなって、画家である幼ななじみの三歳年上の夫の陽介と二人で暮らしています。 島で一つきりの学校である小学校に勤めています。 同僚の教師月江は、生まれも育ちも東京ですが、五年前から島にいます。月江は独身ですが、妻のある愛人が本土にいて、本土さんと呼ばれるその人は時々、島に月江に会いにやってきます。そのロマンスは島民、全部が知っています。 小学校の生徒は9人で、教師は他に校長先生と教頭先生だけです。 そこへ、新任の音楽教師、石和聡が赴任してきて、セイも心がざわついてきます。 90才の島の老嬢、しずかさんにはセイの心の内を見透かされたようなことを言われて落ち着きません。 小さな島の何事もない日常だけれど、石和が現れて少しずつ変化していく様子が描かれていきます。 島ののんびりとした空気、小学校の生徒たちが石和のピアノに合わせて歌っている場面など情景が鮮やかに浮かんできました。 しずかや、夫の陽介も存在感があり淡々とした一連の出来事もはっきりとその空気感がみえてくるようなしみじみとした作品でした。 大きな事件もありませんが、平易な文章で情感がありました。
27投稿日: 2019.10.05
powered by ブクログ・ 日々の暮らしの中で、 切羽詰まる、追い詰められ方は何度か味わっているけれど、ルーツは「切羽(きりは)」だとは知らなかったし、そもそも、切羽(きりは)」という言葉すら知らなかった。 ・ 山田詠美さんが解説。 ・ 抑制的で読者の想像に委ねている描写。 わたしは好き。 書かない言葉もあるという美しさもあると思うから。 ・ 淡い、大人の恋愛。 ・
0投稿日: 2019.06.18
powered by ブクログ心が惹かれ合う2人の様子が描かれている。 一般的な恋愛によくあることは何も起こらない。 山田詠美さんの書評にもあったように、書かないことも大切にしている小説なので、状況や気持ちなど読者の理解に委ねている部分も多く、もどかしい気持ちになる。 直木賞といえばエンターテイメント性が高いものばかりだと思っていたが、この小説はいわゆる地味なものだった。
0投稿日: 2019.01.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
息苦しい話。町中(島中)知り合い、誰が誰の奥さんで、仕事は…住んでるところは…愛人は!…みんななんでも知っている。昔の自分の置かれた状況を思い出し、つらい気持ちになった。 こんな暮らしが合う人もいると思うけど、私はしたくない。 結局、何も変わらない。
0投稿日: 2018.03.10
powered by ブクログ田舎の島の言葉と東京の言葉の使い分け、はしばしの風景の描写から読み取れる隠喩、場所や会話の設定など、男女の仲の暗示が文学的にうまいなぁと思いました。閉塞感というか、新しいものにドキリとしてしまう感じ。切羽へ、この題名が素敵で切ない。じっくり読まなかったからだと思いますが、時々出てくる十字架の話がよく分からなかった。 道ならぬ恋、というか夫を(心理的にであっても)裏切る裏切られるタイプの話が好きではないから評価が低めだけど、小説としては良かったと思う。
0投稿日: 2018.01.20
powered by ブクログ離島という設定に頼りすぎている。不吉を思わせるように仕向けているようでありながら失敗しているし、死の淵を垣間見せるようでありながら恐ろしさが微塵も伝わらない。性を抑制的に描いてエロスをかもし出す風なのだけれども、エロくもない。とにかく、だらしない小説。
0投稿日: 2017.04.02
powered by ブクログ淡く美しい小説。 夫の描く絵、島の景色、人々のありよう。 穏やかであたたかい、ある意味なまぬるいような 景色のなかにやってきた石和という人。 ざわめきが、ゆっくりと穏やかな景色を、 空気を乱していく。 切羽とは、トンネルを掘っていくいちばん先。 トンネルがつながるとなくなってしまう。 いつか喪われてしまうもの。 喪ったことで美しさがいつまでものこるもの。 書かれないことで、心にのこる、 そんな淡い美しさがこの小説の印象。
0投稿日: 2017.01.08
powered by ブクログ(*01) 廃墟文学というジャンルはあるのだろうか。病院、映画館、廃坑などのモチーフがあって、離島というからそこでかろうじて生きている船や港や学校やマンションや、いくつかの棲みかまでが、いままさに廃れようとしているようにも感じられる。 主人公はこの廃墟であるが、プロンプターの様な女の視点や話題がこの廃墟に入ってくる。廃墟を体現した石和(イサワ)というのが廃墟からストレンジャー(*02)として出てくる。 それだけの物語であるが、絵の夫、性の老婆、痴話の同僚などのすったもんだが、この廃墟の場を回している。 (*02) この道化は、幽霊の様に朧気で飄々でもある。この半存在がいくらかは物語をそれらしくしているように思う。
0投稿日: 2016.10.04
powered by ブクログ静かな小説。方言がちょっとなじめなかったけれど、島を舞台にある夫婦と本土から来た石和をめぐる、味わいのある本でした。
0投稿日: 2016.08.17
powered by ブクログ激しいドロドロはなく、淡いのだけど妙にエロチックて、しかも濡れ場がないという不思議な本でした。島に赴任してきた独身教師にそこはかとなく惹かれていく主人公。夫の事は愛しているのに後ろめたい感情が時折頭をもたげるのであります。僕は性格的に夫側の性格なので、奥さん浮気したらいけませんよと念じながら読んでいました。
0投稿日: 2015.12.02
powered by ブクログ主人公・麻生セイ、夫・陽介。セイが惹かれていく石和聡。官能的な視覚的表現はないものの、セイが心惹かれていく様子が描かれていて、むしろそこが妙にエロティック。同僚の奔放な月江と不倫相手の本土さん(結局最後まで名前は出てこなかった)、近所に住むしずかばあちゃんもいい。(ちょっと寂しいけど)
0投稿日: 2015.08.02
powered by ブクログこれの前に小学生が主人公の本を読んでいたらから、いきなりの大人な内容だな(笑)。 島の狭い人間関係と切なさがうまく混じりあっていてなんとも言えない雰囲気がある。 現在、田舎暮らし。 そういや、田舎暮らしも島ぐらしに近いものがあるように思う。昔から住んでる人とよそ者は区別しているし、周囲で起こったことはあっという間に広まるし。 近所は皆家族ってな感じ!? 隠し事なんてできそうもないもん。 そんな狭い世界で、島外から人がやってくるとか日常と違うことがあったら心がざわざわしそう。 石和の独特の雰囲気が余計にこちらの心も揺さぶってくるし……。 よくわからないって気になるものね〜。
2投稿日: 2015.07.21
powered by ブクログ繊細な文章から平穏な離島の暮らしが窺えた。 方言ものんびりとした雰囲気を醸し出しているし、登場する料理もとても美味しそう。 ヒロインは東京から赴任してきた石和に惹かれるのだけど、正直なところこの石和の良さがさっぱり判らない。 かえってご主人の陽介さんの方が好みなんだけど、恋に落ちるのに理屈はいらないということなのね……。 文章が抑え気味なので、どの程度の恋心なのか測りかねますが、精神的には夫を裏切ったわけで、精神的な裏切りと、心を伴わない肉体的な裏切りの場合、どちらの方が罪は重いのかなとふと思った。
0投稿日: 2015.03.29
powered by ブクログ淡々とした語り口ながら、もてますほどの感情を底に感じる、抑え気味の情熱小説。諦めを知った大人の心の物語。ごちゃごちゃとした記述はなく、そぎ落とされている。島ならではの生活の様子が鮮やかに描かれている。
0投稿日: 2015.03.12
powered by ブクログ素敵な文章でした。直接的な表現のない官能小説のような生々しさがあって、終始、心がざわざわする感覚がありました。この作家さんの他の作品を読んでみたいです。
0投稿日: 2015.01.16
powered by ブクログ面白くありません 文章は平凡 物語性も無し 何故直木賞を受賞したのかわからない 期待して読んだだけにがっかり
0投稿日: 2014.09.02
powered by ブクログつながらないことで、確かにつながっていた。 セイにとっては夫のほうが、石和にとっては月江のほうが、近くにいるはずなのに。 書かれていないふたりの空白にはどんな物語があったのだろう。 裏表紙の解説からどんななまめかしい話なのかと思っていたけれど、艶っぽく、瑞々しい反面、画家が描くグレーの色彩に覆われたような、静的なエロスを感じる良作でした。
0投稿日: 2014.07.16
powered by ブクログ切羽、「きりは」と読みます。 聞きなれない単語ですが、物語を進める内にキーワードとして登場。 都会と田舎、本土と島。母と娘。対比しながら人間模様を描いています。じっくりと軽く読むことができる大人の恋愛小説。
0投稿日: 2014.04.04
powered by ブクログ恋愛、不倫、そして生と死。普遍的なテーマを淡々としたリズムで描く。抑揚なし、メッセージも伝わらない。が一気読み。終わり方もなるほどね~。直木賞作品だが純文学な感じかなぁ
0投稿日: 2014.03.19
powered by ブクログ初井上荒野さん。二人の男女の間に愛の言葉など、何もない。関係を変えてしまうような事件も、これといって何もない。ただ淡々と物語は進み、ひょっとしたらこの作品を「退屈」と呼ぶ人もいるかもしれない。しかし、豊穣な情愛の芳香が作品の隅々に残る。その香りにつられてページをめくる手が止まらなかった、かつてない作品。 切羽(きりは)という単語も初めて知りました。「トンネルを掘って行く一番先」のこととか。「つながればなくなる」という意味において切羽は二人の切なく儚い関係性を暗じているようにも思えましたし、生きる、とか、死ぬ、ということにも通ずるように思いました。 人がただ繰り返してきた、生と死。
0投稿日: 2014.03.03
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
喪失することが人生。 北の島。 養護教諭のセイは画家の夫をもつ。 新任教諭の石和にお互いに魅かれていく。 その先が切羽。トンネルを掘っていく一番先。 切羽へ。切羽へ。 そして、その切羽で石和は去る。 セイは夫の子を身ごもっていた。 欲しくて欲しくてたまらないけれど。 手には入らない。手には入れない。 そして喪っていく。 喪失こそが人生。 島という舞台が その喪失感を象徴する。 この一節が印象的だ。 「彼らはすでに、石和を忘れる準備をはじめているようだった。 それは島の子供たち、あるいは島の人間が、 身のうちにこっそりと培っている方法なのかもしれない」
0投稿日: 2014.01.22
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
直木賞受賞作品。 離島で暮らす小学校の養護教諭セイの1年間が綴られている。 なんというか、色で言ったらグレー?? ゆるゆるしていて決定的な何かも起こらない一年間。 ・・・文章は流れるようで、最後まで読んでしまうからやはりいい作品なのかなぁ? このテの受賞作品はいつもよく分からない(--;)。 私の感受性が足りないに違いない・・。 ただ、話し言葉がまさに九州の方言なので、その点私にとっては郷愁を煽る部分がありました。 ちなみに「切羽」とは。。 「トンネルを掘っていくいちばん先、を切羽というとよ。トンネルが繋がってしまえば、切羽はなくなってしまうとばってん、掘り続けている間は、いつも、いちばん先が、切羽」 ということらしいです。
2投稿日: 2013.06.16
powered by ブクログどうかな。 読み終わってじーんと何か残る作品では、 あるような気がするけれど、もう少し何かほしい、 何かが何かはわからないけれどそんな気がした。 題名とプロットとの綾の厚みでしょうか? ちょっとさらりとしています。 そのあたりは、好みもあるでしょうが。
0投稿日: 2013.06.02
powered by ブクログ139回 2008年(平成20)上直木賞受賞作。恋愛小説。九州のとある島で夫と暮らす小学校の女教論セイは、赴任してきたミステリアスな音楽教論石和に魅かれていく。アゴ(とびうお)とアオサといった食材から舞台の島は、長崎の「五島」だと推測する。
0投稿日: 2013.05.05
powered by ブクログ心の不倫の話。 事実としては何も起こらない。 穏やかでゆったりだけど ずっと薄暗いというか渋い色の風景。
0投稿日: 2013.03.17
powered by ブクログよくわからなかった。本が良くないのか、自分が読み落としているのかわからず、2回読んだ。それでもよくわからない。文章が良いので途中でやめることは無いけど、書かれている心情が複雑すぎてよくわからん。
0投稿日: 2013.02.15
powered by ブクログ直木賞、芥川賞が発表の時期になる度に、文庫になったら読もうと思い、文庫になる頃には忘れてしまっている私。今回は、正月三が日のブックオフ全品20%オフのタイミングで見つけて買い、読むことにしました。 読み終えて、私は白黒はっきりつけたくなる性格なんだなと思った。著者のメッセージがぼやけてわかりにくい。読み手の取り方によって、何通りもの受け取り方があると思う。それが良さなのかもしれないが。 セイの暮らし方は憧れるものがあったし、描写の仕方も好きだけれど、ぼわーっと終わってしまった感が拭えない。この量だからすらすら読めたのかな。
0投稿日: 2013.01.11
powered by ブクログ第139回直木賞。 内容が薄い。お湯入れすぎた梅昆布茶みたいな作品。 旦那がいるのに違う人がやけに気になってしまうっていう話だけど、切羽詰まらない。 表面上は波風が立たずとも、その奥底のゆらめき、みたいな表現が高く評価されているらしい。 それも自分は感じられず、好みじゃなかった。
0投稿日: 2012.11.19
powered by ブクログ日頃エンターテイメントしか読まない私にとっては何とも異質な空気を味わえた一作。こういうのを読んで手放しで面白いと言える年齢ではまだないのだろうか。いや、そんな単純な話ではないんだろうな、きっと。 70点(100点満点)。
0投稿日: 2012.09.17
powered by ブクログ第139回直木賞受賞作品。 離島の人びとの緊密の中で、主人公と、赴任してきた石和との微妙な関係。何かが起きそうな濃厚な空気感の中で表面的には何も起きず、呼吸のみが聞こえるような小説。 浅田次郎が論評で「余人を以てかえがたいテクニックを随所に感じる」というのはこの空気感か。 「トンネルを掘っていくいちばん先を、切羽と言うとよ。 トンネルが繋がってしまえば、切羽はなくなってしまうとばってん、掘り続けている間は、いつも、いちばん先が、切羽」 ただ、どこがいいんだろう。直木賞?選考委員はこういうテクが好きなんだろうな。
0投稿日: 2012.08.18
powered by ブクログ恋愛小説で、日常のことが書かれているのだが、退屈しないで読める。 切ない気もするけど、こういうことってあるよなと思う。
0投稿日: 2012.06.27
powered by ブクログ表面上は静か、でも水面下では激しく蠢いている。そんな印象を持った。 小さな島を舞台に展開される愛や死の物語、ちょっと大人な小説だけど、未熟な僕でも楽しめた。島での生活が丁寧に描かれていて、人々の息遣いが聞こえるようだ。
0投稿日: 2011.09.18
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
終始、静かに波の音が聞こえてくる場所にいるような気になる 繊細な大人の恋愛小説 印象的な場面、言葉がたくさんある あとがきで、山田詠美さんが書いていた言葉であるけど 「ああ、やはり、井上荒野さんは、書くことと同じくらい、 あるいは、それ以上に、書かないことも大事にしてる人なのだ」 に、そうだったのか、この読後感は・・・と思った
0投稿日: 2011.09.11
powered by ブクログ私にはつまらない内容。美しい言葉がつらなってはいるが、地に足を付けていない気がする。なぜセイは石和に惹かれたのか?そもそも惹かれてたのか?そこからして疑問(解説にはそうは書いてあるんだけど...)。江國香織を読んだ時と似た読後感。
0投稿日: 2011.08.28
powered by ブクログ結構よいかも。 「誰よりも美しい妻」とテイストは同じようだったけどこちらの方が好み。 人物も魅力的。 それにしても山田詠美の解説、すごいな。圧巻。
4投稿日: 2011.07.14
powered by ブクログなんだか・・・う~~~んと唸ってしまいたくなる話。 なんか上手な気がする。 もやもやがずっと続く感じ。 のどかな離島での幸せな暮らしの中に突如現れる男によって、劇的にではないけど変わっていく感じ。 身体で浮気するんじゃなくて、心で浮気してるみたいな? 読み終わった後、余韻というか・・・考えたくなって、次の本に手が伸びなかった。 後で知ったけど、この本で直木賞取ってるらしい。 すごーーくいいって訳じゃないけど、なんか心に残るお話でした。
0投稿日: 2011.06.24
powered by ブクログずっと読みたいと思っていた本。 読み始めたら、すぐに引き込まれた。 学校というものが、小学校1つしかなく、スーパーマーケットも1つだけの、島での生活。 夫との生活を穏やかに送っていた主人公。 ある日島にやってきた男性。 決定的なことはなにもないように見えるのに、そこには確かに揺らぎが生じ。 これは、静かな静かな恋愛小説。 私がもっと大人になって読んだら、今とは違う感じ方をする気がする。今よりもっと、深く響くと思う。 それが今から楽しみ。 とてもよかったです。
0投稿日: 2011.06.02
powered by ブクログ愛する優しい夫がいるのに始終他の男のことを考える。もうこれ以上先がない「切羽」。こんなにも切なくリフレインされる言の葉。ピンと張った糸のような恋とも言えない恋。 井上荒野が描く女性は、華奢でちょっと憂鬱で。それでいて柳のムチのようにしなってピシリと強く打つ。 そんな女が切羽の先に見たものは。 山田詠美の解説を読むだけで切ない。
0投稿日: 2011.05.10
powered by ブクログ好きだなあと思った一冊です。 よく磨かれていて、うつくしい小説だと思いました。主人公に感情移入をしてしまうのですが、あまりに深く移入し過ぎて途中読むことが辛くなったほどです。 もっと大人になってから、もう一度読みたいです。
0投稿日: 2011.04.18
powered by ブクログ田舎の島での閉鎖的な空間で織り成される人間関係。 直木賞受賞作。 田舎の田舎らしい表現。 穏やかな主人公夫婦の関係。
0投稿日: 2011.04.15
powered by ブクログ可もなく不可もなく…特にすごくおもしろかったところも 心動かされたところも思い出せず。 もう一度くらい読んでみたらまた違う感想が出るかもしれないけど。
0投稿日: 2011.03.28
powered by ブクログ島全体が、連絡船という一点の穴で繋がれた切羽のよう こんなに濃密な空気を、日々の生活の中で咀嚼していく お互いに触れることもない 島は断崖絶壁で取り囲まれることで、 何十回目の初恋のような真っ暗闇を繰り返させているのか
0投稿日: 2011.03.16
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
第139回直木賞受賞作。 ある島で小学校の看護教諭をしているセイは、絵描きの旦那と仲むつまじく暮らしている。 本土に妻がいる男と愛人関係にある音楽教諭や、頑固おばあさんなど 濃ゆい人間関係の中でそれなりにうまくやってきた。 そこへ石和という男が赴任してくる…というような話。 一見、漫画『天然コケッコー』を彷彿とさせる田舎っぷり。 方言も博多花丸大吉が話していそうな「~たい」で安心する。 反してストーリーは安心しないしない。 ネタばれというか、それがウリなのでしょうが いわゆるそこらへんの不倫ものとちがう、というのが 賞をとった大きな要因のひとつなのではないかな。 わりと地味な話だけど、女の人はちょっとわかるわかるって思う部分があるかも。 セイと仲のよかったおばあさんがボケて入院してしまい、 病室で死んだ夫との淫夢ばかり見ているという描写、 私は死んだ夫じゃなくて、結ばれなかった愛人との夢なんじゃないかしら と思ってしまいました。 どこにも答えは書いてないけれど。 余白の多い、そのわりにちゃんと読ませる力のある小説でした。
0投稿日: 2011.03.05
powered by ブクログ静かに流れて行く一年二ヶ月。小さな変化はあれど、何が起こる訳でもない。それでも、目に見えなくても、ときが過ぎないわけではない。切羽はどんどん前へ進む。私達は切羽まで歩いていくのだ。
0投稿日: 2011.02.27
powered by ブクログ感想はブログでどうぞ http://takotakora.at.webry.info/201101/article_9.html
0投稿日: 2011.02.08
powered by ブクログ恋愛小説なのだが、惚れた腫れたの乳臭い話ではなく、静かで禁欲的な大人の恋愛。 巻末の山田詠美さんの解説が素晴らしくて、自分の読解の浅さを思い知る。 直木賞受賞作。
0投稿日: 2011.02.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
女の人は、誰かの妻になったとしても、いつかおばあちゃんに なったとしても、女であることをやめない。 主人公のセイも、妻でありながら夫以外の人に惹かれていく。 トンネルの中を、切羽へと 向かっていくように。. けれど、結局トンネルがつながることはなかった。 その切羽の先を、互いに向けたまま。 一見大人しいが目をこらしてみれば その静けさの裏側には限りなく強い想いがうかがえる。 今まで読んだ恋愛小説が、まるで子どもの遊びのように 思えてくるから不思議だ。 ただ甘ったるいだけの味に飽きたというなら、 あっさりしていると見せかけて、実は深みとコクのある この一品を試してみるのはいかがでしょう。
0投稿日: 2011.01.25
powered by ブクログこの温度、静けさ。 ともすれば現実味が薄くいけすかない、甘いとこ取りの作品になりそうなところに、 島の人たちが話す言葉の訛りや、質素だけど豊かな食卓なんかが、生活感を程よく与えている。 最後までセイははっきりと自分の感情を言葉にすることはないし、穏やかな夫に加え、新しい温かみを宿した今後も、石和の存在が彼女を激震させることは無いだろう。 でも、月江との関係を告げられた時の痛み、危なげな石和に向ける視線。何も無かったことには、ならない。 石和が自分の唇から指を伸ばした場面。結局その指はセイにふれなかった、何も起こらなかったのに、乱暴な手つきでつかまれたように、はっと心がすくんだ。 トンネルが繋がると消えてしまう、幻のような、切羽。それはピアノと料理が上手で、アラン編みのセーターを着て現れる。
0投稿日: 2011.01.16
powered by ブクログ文章がきれいだなと読み始めてすぐ感じました。 これでもか!と書き込まれた文章ではないからか 素直に心に響く。 恋愛の始まりって、「あ、素敵」じゃなくて、 「何この人?」という反感に近いものだったりすること、 お互いが惹かれあったときは、言葉は要らないこと・・・ こういう話を自分も書きたかったのかも しれないなぁ。
2投稿日: 2010.12.04
powered by ブクログ直木賞受賞作。 成る程、とても繊細でしっとりした物語だなぁ、と思う。 覗いてはいけないものをドキドキしながら覗き込むような感覚。 それでもラスト、ホッとするものがあった。 物語らしい物語。
0投稿日: 2010.11.30
powered by ブクログこの前、夫の不倫を描いた本(夜明けの街で)を読んで、本をシェアしている嫁さんの前で何となく居心地悪かったのだけど、こちらは本の紹介によると「静かな島で、夫と穏やかで幸福な日々を送るセイの前に、ある日、一人の男が現れる。夫を深く愛していながら、どうしようもなく惹かれてゆくセイ」って妻の不倫を描いた本のようで、今度居心地の悪い思いをするのは君のほうだという感じで、手にする。 ところが、そういう邪な考えや或いは艶かしい描写への期待からすると全く肩透かしの、これは何とまあプラトニックな人への思いを描いた物語なことか。 私には懐かしい言葉で綴られる長崎県の島と思しき田舎の生活と人々。 狂おしいほどの激情の迸りも目くるめく恋愛の陶酔感も明け透けな愛憎の行き交いもなく、淡々と綴られる心理描写。 時折いきなり垣間見せる心の中の滓…。 今時こんなナイーブな男女の恋愛関係は無いよなというのが正直なところではあるけれど、精巧な文章での語り口は美しい。 満ち足りた生活を送っていても、夫婦の中ではお互いに入り込めない領域も必ず残っているもので、そう思った時に、セイを見守る陽介さんの、ひりひりするような胸の内が、何も描かれてはいないにも拘らず、私には強く印象付けられる。
1投稿日: 2010.11.14
powered by ブクログ10/11/03読了 登場人物に関しても舞台の島に関しても情報が圧倒的に少ない。だから読み進めたくなるのかもしれない。
0投稿日: 2010.11.03
