
総合評価
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powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
すごく面白かった。 自分の価値観が広がっていく瞬間が、読書をする中で随一の快感である。 個人に主体があるという概念が近代以降のものだとは思いもよらなかった。社会あるいは集団の中の個人、そして社会または集団を別個のものとして、もしくは実体的なものとして研究しても答えは出ない。認識とはあくまでも社会と個人の相補的なものである。 まさに目から鱗だ。だが同時に、納得感が強い。こうして変化することにより、私自身の自己の同一性が保たれているのだろう。そして、認知不協和状態になると、安定させようと自己を変化させる。それの限界が訪れた時に、自身の変化が難しい時や、折り合いがつかない時──人は精神が参ってしまうのではないか? 特に今は仕事の影響で私自身が脅かされている印象があり、その意味でも本書は有益だった。 第13講では日本の異文化受容について触れていた。日本人が特殊な民族だという信仰こそが、異文化受容を進めることになるという。〈外部〉と〈内部〉の融合を阻止するが故に、〈外部〉の内部化に成功するのだ。印象的な一文があった。 「日本の西洋化の背後に見るべきは、新しい物好きで好奇心旺盛な模倣者でなく、荒々しい野生の外部を馴致された〈外部〉とすり替えて内部化する奇術師の姿でしょう」 そのほかにも、印象的な文言が数多くあった。 以下にいくつかを備忘のために記す。 矛盾が創造を生む泉である。 知識とは常識を破壊する運動である。 常識や従来の理論ではうまく説明できないから、矛盾が起きる。 心の論理にしたがい、社会と歴史の文脈でしか生きられない人間という存在に対する侮辱、これが合理性の正体です。 そして、今の自分に一番、響いた言葉が後書きにあった。 「確かに迷いは誰にもあります。私などは今でも迷ってばかりです。しかし文科系の学問なんてどうせ役に立たないと割り切って、自分がやりたいかどうか、それしかできないかどうかだけ考えればよいのだと思います。落語家もダンサーも画家も手品師もスポーツ選手もみな同じです。やりたいならやる。親や周囲に反対されてもやる。罵られても殴られても続ける。才能なんて関係ありません。やらずにはいられない。他にやることがない。だからやる。ただ、それだけのことです。研究者も同じではありませんか。 死ぬ気で頑張れと言うのではありません。遊びでいい。 人生なんて、どうせ暇つぶしです。理由はわからないが、やりたいからやる。 それが自分自身に対する誠実さでもあると思います」
0投稿日: 2025.11.21
powered by ブクログとても深く歯応えのある内容だが、講義録なので読み易くはある。行動経済学とか以前に、社会と個人の関係を考えるのならば、基礎知識として本書を読んでおく必要があるだろう。
5投稿日: 2024.10.31
powered by ブクログ前半は研究などを交えて心理学を紹介している。ファーストアンドスローやhuman kindなどで読んだ内容が多いが説明が厚めでより理解か深まった。特に認知不協和はページがさかれている。終盤は日本人や日本文化について書かれていて良い観点がえられた。
0投稿日: 2023.11.12
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社会秩序の維持と変化について。実験結果を使いながら理論を裏付け、それを社会現象に敷衍していく。社会秩序の維持について。フェスティンガーの認知不協和理論は、自分の意志と矛盾する行動を取ったときに行動を正当化することでその不協和を軽減するというもの。これを民主主義社会に当てはめれば、この社外では平等が建前になっている。だが実際に格差は存在する。したがって社会的弱者は不公平を糾弾する。民主主義社会は建前と現実の乖離の正当化を常に迫られる不安定なシステムだと筆者は言う。 変化について。フェスティンガーらは変化は多数派によってもたらされ、少数派は社会規範に従うか社会から排除されるしかないと考えていた。これを批判したのがモスコヴィッシである。少数派はいわば触媒となり、多数派の考えを変えていくと考えた。 最後に筆者はなぜ個人や社会が同一性を維持しつつ、変化するという矛盾を両立させられるのかを考察する。我々は対象が不変だと信じるからこそ、同一だという錯覚をする。実際のところ、対象は非常に滑らかに、連続的に変化している。
0投稿日: 2023.03.10
powered by ブクログ先に残念なところから。第2講はアイヒマン実験,監獄実験,傍観者実験に触れていますが,今ではこれらは「胡散臭い実験」と考えられます。著者が行動を左右するのは個人内の要素よりも「状況」だと言うならば,「実験に参加する」という状況を加味して,実験データを考えていくべきです。それがすっ飛ばされているのが残念なところ。いくら同様の結果が他国でも認められているとしても,「実験」という状況の影響込みのデータなので,アイヒマンの状況のシミュレートにはなっていないわけです。この著書が出版された当時よりも今は社会心理学の知見にはかなり疑義が呈されていますから,第2講の内容は,社会心理学の実験を持ち出すのはナンセンスで,アレントなどの哲学者や社会学者の説で十分だと思われます。 些細な残念箇所もあるにはある。例えば,「仮に今,太陽が消失したとしても八分以上,地球はその事実を知らず,同じ軌道を回り続けます。(p.96)」は嘘です。太陽がなくなっても8分は太陽の光を浴びるでしょうが,太陽がないのであれば,太陽からの引力はなくなるので,公転軌道は維持されません。 とはいえ。 ***** 私の本を手にとって下さる読者の中には,私の発想を学際的だと評したり,引き出しをたくさん持っていると言う人がいます。しかし哲学とか心理学とか社会学とか分けて考えるから,学際的という表現が発明されるのであり,哲学・社会学・心理学・文化人類学・経済学・大脳生理学・進化論など,実はどれもつながっている。私は自分のテーマに必要な本や論文を読むだけであり,学問領域なんて考えたことがありません。(pp.17-18) そんな方法論は社会心理学ではない,そのようなテーマは社会学の領域だ,思弁的考察は哲学に任せろと反論する人もいるでしょう。でも,そんな制度上の区別は私にとってどうでもよいことです。人間を知るためには心理と社会を同時に考慮する必要がある。というよりも,社会と心理とを分ける発想がすでに誤りです。問いの建て方や答えの見つけ方,特に矛盾の解き方について私が格闘した軌跡をなぞり,読者と一緒に考えたい。人間をどう捉えるか。願いはそれだけです。(p.19) 社会心理学の学術誌を見ると引用文献が満載です。文献をたくさん挙げると偉くなったような気がしますが,それは錯覚です。出典が多ければ多いほど,よく勉強したことにはなるので,学校の先生には褒められるかも知れない。しかし,今までに私が上梓した本への反省も込めて言うのですが,出典が多いのは創造性がない証拠ですから,実は恥ずかしいことなのです。(p.39)
0投稿日: 2022.12.05
powered by ブクログHONZや出口治明さん、Amazonでも絶賛されていて、比較的時間がある夏休みに読んでみた。大学講義レベルとまではいかないのだろうが、しっかり考えながら読まないと理解できない。 社会と心理の密接な関わりを研究するのが社会心理学。社会現象を説明するための心理学的な考察、社会と心理の相互作用、などが紹介されている。 次の項目が興味深かった。 ●思考実験の手法、考え方 ●明治の開国、そして第二次世界大戦の敗戦後、すごい勢いで西洋化、西洋崇拝した理由の考察。 ●民主主義の格差、それを受け入れる心理。 ●差別の心理は、同質性の問題。
1投稿日: 2022.08.28
powered by ブクログ(社会)心理学の理論をカタログ的に紹介するのではなく、社会心理学はどうあるべきかを中心軸として、行動主義〜認知不協和理論〜少数派の全体への影響の仕方を題材に、論の立て方、実証の歴史をたどるような本。 少数派の影響が、無意識下で確実に現れる(モスコヴィッシ)というのは勉強になった。
1投稿日: 2021.11.27
powered by ブクログ社会心理学と聞いて心理学の一部門というくらいにしか考えていなかったけれど、社会学や哲学にも造詣が深い著者の目線からの話が全体像を把握しやすかった。 volumeも多く読むのに時間がかかったけれど、どの章もとても内容の濃いものばかりで、改めて読み返したいと思うほどだった。 読み終わって改めて感じたことは、世の中を一つの真理で説明することはできないと。多様性や自由が大事だというけれど、社会で揺るがない普遍的価値があるとすればそれはもう閉ざされた社会になってしまう。 開かれた社会というのはあらゆる法律ルール道徳、いずれにおいても変わることのない絶対的なものは存在しない。全ては相対化されたものに過ぎないことを受け入れることが大切なのだろう。
2投稿日: 2021.10.20
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同一性と変化という観点を通して人間とは何かという問いについて考察される書とのこと。いくつかの書籍で引用されており、前から気になっていた本。 社会、人間についての理解を深め、今後の人生に活かすべく読書。 メモ ・客観性の追求は主観性の絶え間ない相対化の努力に支えられる。 ・自分がしなくても他の人がやるだろうと安心すると責任感が希薄になり、犯罪阻止したり、救助の手を差し伸べる気持ちが鈍る。
0投稿日: 2021.07.23
powered by ブクログ人間社会を生きる全ての人に是非読んでほしい!! 後書きまで含めて最高すぎた。 未来は誰にもわからない。だから希望を持ち続けられる。多くの絶望や虚無の先に見えたのは、原始から続く当たり前であった。陽はまた昇るのだ。 アイアムアヒーローは、そういう話だったんじゃないかと思う。批判の多いエンディングだけど、希望に満ちていた。
0投稿日: 2021.04.11
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• 新しい価値やアイディアはなぜ生まれるのか(297) -少数派が行使する影響は盲目的な追従や模倣ではない。常識を見直すきっかけを少数派が与え、そこで新しい発見や創造が生まれる(298) -閉鎖系として影響を把握する機能主義的発想を脱し、自己言及的な相互作用を通してシステムが変遷する可能性を見据える必要がある。少数派に影響されるとき、主張内容を超えて、背景にあるイデオロギーや人間像も問い直される。多様な見解が衝突する中で、暗黙の前提を新しい角度から見直す契機が与えられる。こうして多数派の見解にも少数派の立場にも収斂されない新しい着想が現れる。社会という開放システムは異端者を生み続けるおかげで停滞に陥らず、歴史の運動が可能になる。 -イデオロギー・宗教・科学・迷信・芸術・言語・価値・道徳・常識などの精神的産物は、多くの人々のコミュニケーションによって生成される。 -人間が複数集まって集団を作ると、そこに規範が生まれる。市民全員が同じ考えに染まる完全な全体主義社会でない限り、多数派に従わない逸脱者が必ず現れる。少数派と多数派との対立を通して新しい価値や思考が誕生する(299) • 非連続性は連続性の懐から滲み出てくる。知識は開かれた系をなすから。新発見の源は、過去の遺産の周辺部にすでに潜んでいる(300) • 国語が人工的に発展させられる事実:日本、フランスにおける標準語化政策、トルコ語のラテン文字採用、イスラエルのヘブライ語(312) -初等義務教育制度、戦争中の兵士動員を通して言語の均一化が進む • 太古から続く伝統などというものは、たいていが後の時代になって脚色された虚構である。実際に生じた変化、そして共存する多様性が忘却されるおかげで、民族同一性の連続が錯覚される(e.g.スコットランド「伝統文化」)(314) • 血縁の連続性も虚構:文化も血縁も実際には断絶がある(314) 同一性維持の錯覚(317) -同一性と変化をめぐる謎:<部分>の変化にもかかわらず、<全体>はそのまま維持される:テセウスの舟 -形相の連続性を根拠に同一性は保証できない。それ以外の何かが必要になるが、その何かは舟自体にはない。同一性の根拠は当該対象の外部に隠されている。 -変化が極めて小さければ、同一性が維持されると我々は認識する。もし人間の感覚に探知されない程度の変化が徐々に生じるならば、同一性が中断された事実に我々は「気づかない」(319) -対象の異なる状態を観察者が不断に同一化する。これが同一性の正体。時間の経過を超越して継続する本質が対象の同一性を保証するのではなく、対象の不変を信じる外部の観察者が対象の同一性錯視を生む。同一性の根拠は対象の内在的状態にではなく、同一「化」という運動に求めなければならない(320)
0投稿日: 2021.03.11
powered by ブクログ図書館で借りて一読し、すぐに買った! 人とは、社会とは、そんな多くのこと自分で考える入口になる本でした。
0投稿日: 2021.01.16
powered by ブクログ2020.8.22 読了 社会心理学のテーマに興味があったので読んでみることに。 非常に濃く、そしてヘビーな内容だった。 社会心理学の存在意義と分類から定義を行い、やや哲学的な考察を交えて話を進めていく構造。 自分には哲学的解釈の部分が非常に難解で、一読で理解できるような内容ではなかった。 深い洞察が多く、自分の読書の力量のなさを痛感することに。 また機会があれば再読したい一冊。
0投稿日: 2020.08.22
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なかなか内容が入ってこなかったので超流し読み。評価無し。 アイヒマン実験と、囚人看守実験、救助/通報行動と居合わせた人数の関係性から見る責任回避行動実験あたりが印象に残りました。 第12講の生物と社会の本質的な特徴は同一性の維持と変化であるとしながら、変化も同一性も矛盾しながら共存しているのは、どちらも虚構だからではないか(テセウスの舟のような心理現象)という考え方も面白く感じた。 ※日本人は100年程度で総入れ替えされるのに日本人という同一性を保つという考え方は心理現実とも考えられる。
1投稿日: 2020.06.21
powered by ブクログ著者が熱い。社会と心理は切り離して考えられないという主張を支えるように、著者の言葉には魂がこもっていると感じる。人の意志と言われるものは環境の集積によるもの、自由意志による責任は社会が要請しているもの、といった考察が頭に残っている。
0投稿日: 2020.05.10
powered by ブクログ私の貧相なボキャブラリーでは、すごい本としかいえない。 また、今年中に読みたい。 以下、気になったことば。 常識を、理論に1人歩きさせる余裕が大切。 大切なのは答えよりも問い。 異質性多様性を受けてめる訓練が人文学。 理論から始める、事実からではなく。 社会が個人の選択を誘導する。 結果があり、そのための責任として自由意思がある。 同質のものの間に差別が生まれる。
0投稿日: 2020.04.24
powered by ブクログ人間の判断が、いかにいろいろなものに 左右されているのか、過去の研究成果を分かりやすく 説明しつつ、人文科学の研究のあり方、 研究者の問題意識の立て方などを論じる 刺激的な書。 再読したい。
0投稿日: 2020.03.22
powered by ブクログスゴ本だった。 構成としては、社会心理学として抑えておくべき理論的な発射台を前半部分で示し、これらを基礎とした各論題の追求と考察を後半に行うもの。 人間心理と社会性について古今東西の研究考察を交えたのちにその集合である社会、また社会を構成する一員としての個人へと還元し直す論展開が鮮やか。何より著者の社会心理学に対する憤りと熱量が終始マグマのように底流していて、圧巻の読み応えでした。
0投稿日: 2019.12.15
powered by ブクログp18 ソクラテス・パスカル・キリスト・シッダールタ〜・親鸞など、思想家の多くは素人です。 p50 各時代のおける科学者集団の知見に照らして〜正しいと暫定的に認定される。〜観察された事象が真実の姿なのかどうかを知る術は、我々人間には閉ざされている。科学の成果が信じられるのは、〜手続きが信頼されるからです。〜正しいかを決定するのは〜共同体のコンセンサスにすぎません。 p51 理論の不備を露わにすることで、慣れ親しんだ世界像を破壊し、その衝撃から、さらに斬新な理論が生まれるきっかけを提出することこそが実験に本来期待されるべき役割です。
0投稿日: 2019.10.19
powered by ブクログ悪とは何か? その根拠を永遠に辿っていくと、不変で普遍的な答えがないことに気付く。人間の行動に科学的な考察を施し普遍的な法則を求める社会心理学。その現状を示す。 何故か最近哲学っぽい書籍を偶然にも続けて読んでいる。合理的だけでは人間社会は成り立たない。虚構性があるからこそ人間社会は成り立っている。法律でも道徳でも人間が作った規則には、突き詰めると根拠はない。ナルホド。 近代社会では人間に本質的な差異はないとされる。しかし、同類の間には比較が必ず起き格差が現れる。したがって、下層に位置する人間は自らの劣等生を否認するために社会の不公平を糾弾する必要がある。現代社会には構造的に格差が組み込まれている。 判断の力は、想像の中で他者と取り持つ同意に支えられる。それは理性的推論の場合のような、私自身との対話ではない。後ほど同意しなければならない他者とのコミュニケーションである。 他者が行使する強制力は、外部からではなく、内面化された規範として現れる必要がある。社会制度は人間が決めた慣習に過ぎない。しかしその恣意性が人間自身に対して隠蔽されてはじめて、社会強制力は自然な形で効果的に機能する。
0投稿日: 2019.05.09
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「社会心理学講義」というタイトルではあるが、いわゆる教科書的な内容ではなく単純に読み物として面白いためおすすめ。 まず本書を読むと社会から切り離された個人というものは存在し得ないということに気づく。いかなる個人(生物?)も、それを取り巻く制約や文脈、環境との総体として想定されなければ、個人というものを分析していくことは難しいのだろうということを感じる。 また、本書では個人の"自由意志"というものが存在しないことを示した実験を紹介している。そして"自由意志"というものが否定されるとなると、いままで私たちが信じてきたもの社会の在り方の根幹が覆されることを説明している。 本書とは多少話が逸れるが、本書読んでいて私が読み返したくなった本が、長谷敏司氏の「BEATLESS」である。「BEATLESS」はSF作品であるが、人間及び社会に対する洞察が非常に興味深い本で、「社会心理学講義」で語られている内容を頭に読むとより面白く得られるもののある作品となるだろうと私は感じた。例えば、「BEATLESS」では人間を道具との総体とする考えが出てき、やはりそこでも、”individual”の単語に象徴されるような個人というものの考えに疑問が提示されており、自らの社会に対する考えが揺らぐのを感じられるだろう。
0投稿日: 2019.01.03
powered by ブクログ社会心理学の現状を「心理学の軒先を借りているに過ぎない」と嘆き、社会と個人のあいだのダイナミズムをこそ研究しなければと説く。著者は、日本の大学は中退してフランスに渡り、ほぼ「独習者」として社会心理学を修めた方。 →哲学にまで遡って(主体概念なんかに正面から取り組む)、タコツボ化せずにビッグ・ピクチャーを描こうとする心意気やよし。しかし、そうするとどうしても議論は大味になる。バランスというか、なんだか難しいね。 社会システムの同一性と変化という矛盾する(?)力に着目していく。 フェスティンガーの認知不協和理論は知っていたが、社会秩序を維持する方向に働くホメオスタシスの理論として捉えたことはなかった。ほんとうは周囲からの影響を受けているのに、自ら自分を説得して態度変化させるので、その変化は強く長く続くと考えられる(実験での実証は難しいが)。個人主義の限界を浮き彫りにする理論だと。 一方で社会システムの変化を扱う、モスコヴィッシによる少数派影響の理論は初耳だった。多数派の影響は表面的なものにとどまるが、少数派の影響は根っこから態度を変えるらしい。難しくてよく分からないところが多かったが、残像色を利用した実験はエレガント。
0投稿日: 2018.11.05
powered by ブクログ人間とは何か、まではわからなかったが、社会における人間の行動については読む前より少しだけ賢くなった気がする。常識を覆される快感。
0投稿日: 2018.10.09
powered by ブクログライフネット生命の出口会長のお薦めの書。社会心理学講義と言いながら、著者は、「本書は社会心理学を俯瞰する教科書ではありません。人間を理解するためには、どのような角度からアプローチすべきか。それを示唆するのが本書の目的です。」と言っている。哲学・社会学・心理学・文化人類学・経済学・大脳生理学・進化論など、幅広い領域から本質的なテーマに真摯に向き合っていることが本当に伝わってきた。出口氏は、「およそ全てのビジネスは、人間と人間が作る社会を対象としたものである。そうであれば、ビジネスには、人間とその社会に対する深い洞察が欠かせない。その意味で、本書は疑いなく、今年度最高のビジネス書の1冊であると考える。1人でも多くの真の経営やマネジメントを志す人にこそ、熟読してもらいたい本だ。」と本書を薦めているが、まさにその通りだと思う。 以下、マーケティングにも応用するべき事項を抜き出す。 「自ら主体的に選択したと思っても、我々は知らず知らずのうちに外界からの情報に影響を受けて判断や行動をしている。嫌ならば拒否しても良いと明確に指示をしてもしなくても、実験参加を承諾する被験者の割合はほとんど変わらない。しかし、『嫌ならいいですよ。強制する気はありません』と言われると、本当は外的強制力が原因で引き出された行為であるのに、その事実が隠蔽され、あたかも自ら選び取った行為だと錯覚するのです。この錯覚がなければ、矛盾した心的状況は初めから起こらない。ここには自由意志などない。あるのは自由の虚構です。 この論理を推し進めると、個人主義者ほど簡単に意見を曲げやすいという常識とは正反対の結論が導き出されます。他人の意見に流されず、自分の頭で考えて判断・行動し、自らの行為に対して責任を持つ。そんな自律的人間像が近代社会の理想です。しかし心理機構の原理からして、そんな人間は実際にはありえない。したがって、個人主義的とは、外部情報に依存しても、その事実に無自覚だという意味にすぎません。何らかの行為を行った後で、『何故そのような行動をとったのか』と自問する時に、個人主義者ほど自らの心の内部に原因があったのだろうと内省し、自らの行動に強い責任感を感じやすい。そのため行動と意識との間の矛盾を緩和しようと自らの意見を無意識に変更する。こうして個人主義者こそ、強制された行為を自己正当化しやすい、したがって認知不協和を緩和するために意見を変えるという逆説的な結論が導かれます。」 「人間は周囲の影響を簡単に受ける。しかし同時に我々は自律幻想を持つ。根本的帰属誤謬を再び取り上げます。性別・年齢・文化にかかわらず、このバイアスが広範に観察されるため、人間に共通する普遍的な認知形式だと考えられてきました。しかしこの自律幻想は人間すべてに共通する普遍的な認知形式だと考えられてきました。しかしこの自立幻想は人間すべてに共通する認知バイアスではなく、近代が生んだ個人主義イデオロギーと深い関係があうことが後ほどわかりました。『根本的』という形容からうかがえるような、ヒトの脳が持つ癖というようりも、錯覚がより強い。また同一社会内でも社会階層を上昇するほど、学歴が高いほど、自律幻想が強い。そして子供よりも大人の方がこの錯覚に囚われやすい。このバイアスが社会的に学習される産物だからです。」 「弟子(少数派影響源)の主張を退けておきながらも無意識には影響を受けており、後になって効果が現れたのです。影響源は忘れられ、影響内容のみが受容される。まるで時限爆弾か、潜伏期間を経て発病するウィルスのようです。影響源が少数派だと、本当は他者から受けた影響の結果なのに、自らが選択した判断であるかのごとく錯覚する場合が少なくありません。 …影響源の少数派性と主張とが切り離されて、主張内容そのものが吟味し直される。そのため権威や権力を持たない少数派でも影響を行使できる。影響効果が遅れて発露したり、影響が無意識に行使される現象は、一般に影響源が権力・権威・声望などを持たない場合に観察されます。ここに取り上げた近くの分野だけでなく、公害・人種差別・妊娠中絶・死刑など社会問題に対する態度に関しても、その事実は広く実証されています。」 「モスコヴィッシはなせ少数派影響理論を考えついたのでしょうか。アッシュもフェスティンガーも実在論者だったのに対して、モスコヴィッシは構成主義的な発想をし、世界や歴史の根源的な恣意性あるいは虚構性を熟知していた点がその理由の一つだと思います。つまり世界に普遍的な真理はない、我々の目に映る真理は人間の相互作用が生み出すという世界観です。真理だから同意するのではない。悪い行為だから非難するのでもなければ、美しいから愛するのでもない。方向が逆です。同意に至るから真理のように映る。社会的に非難される行為を我々は悪と呼ぶ。そして愛するから美しいと形容する。共同体での相互作用が真・善・美を演出するのです。」 「万物は流転する。集団を実体化するから、同一性の変化などという、表現自体が形容矛盾に陥ったような状況の前で右往左往するのです。発想を転換しましょう。世界は同一性や連続性によって支えられているのではない。反対に、断続的な現象群の絶え間ない生成・消滅が世界を満たしている。虚構の物語を無意識に作成し、断続的現象群を常に同一化する運動がなければ、連続的な様相は我々の前に現れません。集団の記憶や文化は常に変遷し、一瞬たりとも同一性を保っていない。したがって結局、集団同一性がどのようにして変化するかと悩むのは的外れです。それは原理的に解けない問題です。視点を変え、虚構の物語として集団同一性が各瞬間に構成・再構成されるプロセスを解明すればよいのです。 絶え間ない同一化が民族や国民の連続性虚構を生むとわかれば、世代間を超える集団責任の仕組みも同様に理解できます。戦後生まれの日本人が大日本帝国の戦争責任を負うと言う時、それはどんな論理によるのでしょうか。子供の行為に対する責任を親が負うのと同様に、次世代を教育する義務が現在生きる人々に課せられると考えることは可能でしょう。しかし反対に過去の世代の行為に対して、それを阻止できない、当時まだ生まれていなかった、あるいは幼少だった人々の責任が問われるのは何故か。」
0投稿日: 2018.10.08
powered by ブクログあまりに学会よりに読めてしまい、面白くはない。が、例示や引用の幅広さや解説の快刀乱麻のごときは爽快。飛ばし読みだったので購入候補。
0投稿日: 2018.08.03
powered by ブクログ出口さんが絶賛していたので、読んでみたが、次から次へとモヤモヤ続き。まさに講義という言葉が当てはまる。読みながら、考えさせられた。差別が異質性からではなく、同質性から生まれるという話は、目から鱗。
0投稿日: 2017.09.29
powered by ブクログ大著、或いは出来のよくないパッチワーク。 筆者が疑えと言っているのに、筆者自身が無批判に過去の研究をつなぎ合わせている。 哲学的な部分はまさにそうで、浅いところがある。
0投稿日: 2017.09.11
powered by ブクログ出口治明(ライフネット生命代表取締役会長)「旅と書評」2013/8/29 http://blogs.itmedia.co.jp/deguchiharuaki/2013/08/post_16.html
0投稿日: 2017.08.26
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
過去の遺産は宝の山です。もっと本を読めと心理学部の学生に言うと、また宿題かと嫌な顔をする。しかし、それは勘違いです。自分の頭で考えることは大切ですが、無からアイデアは生まれない。カントやヴィトゲンシュタインのように難解な哲学書でっもm同じ内容を自分で書くことに比べれば、読んで理解するのは、はるかに簡単です。(p.40) 哲学や人文・社会科学では、答えよりも問いの立て方、つまり考え方自体を学びます。法学・語学・経営学などの実学を除けば、文科系学問の生活にほとんど役立ちません。しかし、これは悲観論ではない。人間の世界は謎ばかりです。それなのに性急な答えを無理に求めると、問いが小さくなってしまう。(p.41) 良識と呼ばれる最も執拗な偏見を、どうしたら打破できるか。なるほどと感心する考えや、これは学ぶべき点だと納得される長所は誰でも受け入れられる。しかし自分に大切な価値観、例えば正義や平等の観念あるいは性タブーに関して、明らかにまちがいだと思われる信念・習慣にどこまで虚心に、そして真摯にぶつかれるか。自己のアイデンティティが崩壊する恐怖に抗して、信ずる世界観をどこまで相対化できるか。(p.44) 科学者たちが合意する理論にしたがって適切な実験方法が定められ、実験機器が出す結果の意味が解釈される。この解釈以外に事実は存在しない。観察された事象が世界の真実の姿なのかどうかを知る術は、我々人間には閉ざされている。科学の成果が信じられるのは、この分野で事実が生み出される手続きが信頼されるからです。(p.50) 社会状況に応じて人間行動は、どのようにも変わる。悪人だから犯罪を為すのではない。確かに、すんでのところで犯罪行為を踏み止まる者もいれば、一線を越えて罪を犯し、投獄される者もいる。同じ社会環境の下で育っても、ある者は人を殺し、他の者はそうしない。しかしそれは犯罪者とそうでない者とを分け隔てる何かが各人の心の奥底にあるからではない。因果関係が逆です。(pp.74-75) 意志は個人の心理状態でもなければ、脳や身体あるいは外部空間のどこかに位置付けられる実体でもない。意志とは、ある身体運動を出来事ではなく、行為だとする判断そのものです。人間存在のあり方を理解する形式が意志と呼ばれるのです。(p.126) 意志が行動を決めると我々は信じますが、実は因果関係が逆です。外界の力により行動が引き起こされ、その後に、発露した行動に合致する意志が形成される。そのため意志と行動の隔たりに我々は気づかない。つまり人間は合理的動物ではなく、合理化する動物である。これがフェスティンガーの答えです。(p.162) 周囲から影響を受け、考えが変わり、その結果として行動に変化が生ずると我々は信じている。したがって社会環境が行使する影響の事実を認めながらも、人間は主体的存在であり、意識が行動を司るという自律的人間像が踏襲されている。しかしフェスティンガーはこの人間観を覆しました。社会の圧力が行動を引き起こし、その後に、行動を正当化するために意識内容を適応させるという逆の発想を提示しました。(中略)社会の中で自分の置かれた状況に応じた思考を人間は持つ。つまり認知不協和理論は社会構造の再生産プロセスを説明する心理学理論です。(p.192) 人間は常に他者と自分を比較しながら生きている。そして比較は必然的に優劣をつける。『広辞苑』で「欲望」を引くと「不足を感じてこれを満たそうと望む心」と説明されています。問題は客観的な欠如ではない。恋愛の霊がわかりやすいでしょう。美しい人に出会うだけでは恋愛感情は必ずしも生まれない。最初は気にもとめていないのに、その人に注目するライバルを身近に感じた時、にわかにその人を独り占めしたくなる。ライバル関係の導入により、相手の絶対価値が社会での相対価値に変換される。(p.203) 同期に入社した同僚に比べて自分の地位が低かったり、給料が少なかったりしても、それが意地悪な上司の不当な査定のせいならば、自尊心は保たれる。格差の基準が正当ではないと信ずるからこそ、人間は劣等感に苛まれないで住む。正しい社会ほど恐ろしいものはありません。社会秩序の原理が完全に透明化した社会は理想郷どころか、人間には住めない地獄の世界です。(p.216) 母親が悟りを開いたのは、生きとし生けるものには必ず死が訪れるという事実を知ったからではない。そんなことは初めから彼女にもわかっています。事実から革新げの論理飛躍がそこにはある。子供の死に際して、子供を復活させようとする努力そのものが、母親の苦しみの原因でした。つまり求めている「解決」こそが、まさに彼女の問題だった。その「解決」を放棄した時、同時に彼女は問題から解放され、救われます。メタレベルに視野を広げて初めて問題の根が見える。(p.302) 判断の力は、想像の中で他者と取り持つ同意に支えられる。そこで生ずる思考のプロセスは、理性的推論の場合のような、私と私自身との対話ではない。私がたった独りで決断しなければならない場合でも、それは常に、そして先ず何よりも、後ほど同意しなければならない他者とのコミュニケーションである。この想像上の同意なしに、判断の正しさは得られない。(ハンナ・アーレント:p.303) 慣れ親しんだ思考枠から脱するためには、研究対象だけ見ていても駄目です。対象を見つめる人間の世界観や生き方が変わる必要がある。研究の対象が外部にあって、それを主体が眺めるという受動的な関係ではない。研究が進むにつれて自己変革がなされ、それがひるがえって対象の解釈を変化させる相互作用として研究活動はあるべきでしょう。(p.350) 権威と権力は異なる原理に支えられます。合理的思考から生まれるのは権力であり、権威ではない。権威は、ある意味で信仰の産物です。フランスの哲学者パスカルは言う。 方の依拠するところをよく調べようとする者は、法がはなはだ頼りなく、またいい加減であることに気づくだろう。国家に背き、国家を覆す術は、既成の習慣をその起源にまで遡って調べ、その習慣が何ら権威や正義に支えられていない事実を示して習慣を揺さぶることにある。(p.365) 高橋和巳『邪宗門』:人の解決を盗むのはやさしい。カントがどう言ったかヘーゲルがどう言ったか、博引旁証の才は山といよう。思想とはなにか思惟とはなにか、それぞれの哲学者の言葉を引用して、それぞれに応えよう。だが、「思うとは自分のどたまで思うこと」ということを日本人はまず肝に銘じねばならぬ。でなければ日本人はかつて中国に内面的に従属し、今またヨーロッパに追従するように、永遠に利口な猿となりはてるであろう。(p.389)
1投稿日: 2017.06.09社会学なの?心理学なの?ハッキリしないんだから、もう!
社会心理学の現状を「心理学の軒先を借りているに過ぎない」と嘆き、社会と個人のあいだのダイナミズムをこそ研究しなければと説く。著者は、日本の大学は中退してフランスに渡り、ほぼ「独習者」として社会心理学を修めた方。哲学にまで遡って(主体概念なんかに正面から取り組む)、タコツボ化せずにビッグ・ピクチャーを描こうとする心意気やよし。しかし、そうするとどうしても議論は大味になる。バランスというか、なんだか難しいね。 社会システムの同一性と変化という矛盾する(?)力に着目していく。 フェスティンガーの認知不協和理論は知っていたが、社会秩序を維持する方向に働くホメオスタシスの理論として捉えたことはなかった。ほんとうは周囲からの影響を受けているのに、自ら自分を説得して態度変化させるので、その変化は強く長く続くと考えられる(実験での実証は難しいが)。個人主義の限界を浮き彫りにする理論だと。 一方で社会システムの変化を扱う、モスコヴィッシによる少数派影響の理論は初耳だった。多数派の影響は表面的なものにとどまるが、少数派の影響は根っこから態度を変えるらしい。難しくてよく分からないところが多かったが、残像色を利用した実験はエレガント。
0投稿日: 2016.10.09
powered by ブクログ社会心理学を切り口にしているが、これは「人間とは何か」、「社会とは何か」について、従来拠り所とされてきた「常識」を覆し、筆者独自の視点からそれらの問いに答えた稀有の書である。 あまりに扱われているコンテンツが豊富過ぎて、一読しただけでは消化不良であった。何度も読み返しながら、自分の思考を深める機会にしたい。
1投稿日: 2016.08.15
powered by ブクログ・実験は発見を可能にする技術であり、証明するための道具ではない ・子どもが夜泣きで健康を崩すと、フランスの小児科医は子どもにではなく、親に睡眠薬を与えます。なぜでしょうか。夜泣きのために親が眠れずイライラする。すると親のストレスを敏感に子どもが感じ取り、夜泣きする。そこでまた親は眠れず、ストレスが強くなるという悪循環に陥ります。だから、この悪循環を断ち切ればよい。睡眠剤をもらった親が熟睡してストレスが減れば、子どもに対する態度が変化し、子どもも安心して寝付きがよくなる。 ・居合わせる人の数が多いほど、かえって救助行動が起こりにくい。自分がしなくてもほかの人がやるだろうと安心すると責任感が希薄になり、犯罪を阻止したり救助の手を差し伸べる気持ちが鈍る。 ・フロイト理論における無意識やエスは自我とは別の存在者であり、我々の知らないところで我々を操る他社です。このように常識的な意味にすり替えられてしまえば、無意識はもはや既成の世界観を脅かす危険な存在ではなくなる。なれたイメージにいったん変換・解釈された後に、新しい情報・経験は既存の世界観・記憶に取り入れられていきます。 ・態度概念と行動は必ずしも相関は高くない ・被験者は選択の「理由」を誠実に「分析」して答えました。自らがとった行動の原因が実際には分からないにもかかわらず、我々はもっともらしい理由を無意識的にねつ造するのです。自らを納得させるために妥当な「理由」を常識と照らし合わせて見つけるのです。 ・個人をターゲットにするのではなく、集団全体の社会規範を変化させないと影響力は長続きしない。各人を別々に考えるのではなく、集団に属す人々の相互関係を考慮する必要があります。 ・預言の失敗を機に精力的な布教活動が始まる。信者を増やせば、教団の進行を指示する人の数が増加し、認知不協和の低減が図れるからです。信者増加の事実は、とりもなおさず、進行内容が正しい証拠です。 ・「いやならいいですよ。強制する気はありません」といわれると、本当は外的強制力が原因で引き出された行為であるのに、その事実が隠蔽され、あたかも自ら選び取った行為だと錯覚するのです。 ・何らかの行為を行った後で、「なぜこのような行動をとったのか」と自問するときに、個人主義者ほど自らの心の内部に原因があったのだろうと内省し、自らの行動に強い責任を感じやすい。そのため行動と意識の間の矛盾を緩和しようと自らの意見を無意識に変更する ・いったん決断して行為を始めると、そのあとに考えを変えるのは想像以上に難しい。(インセンティブが変わっても行動は続ける) ・境界が曖昧になればなるほど、境界を保つために差異化のベクトルが、より強く作用する様子が分かります。人種差別は異質性の問題ではない。その反対に同質性の問題です。差異という与件を原因とするのではなく、同室の場に力ずくで差異をねつ造する運動のことなのです。 ・同期に入社した同僚に比べて自分の地位が低かったり、給料が少なかったりしても、それが意地悪な上司の不当な査定のせいならば、自尊心は保たれる。格差の基準が政党ではないと信ずるからこそ、人間は劣等感に苛まれないで住む。正しい社会ほど恐ろしい物はありません。社会秩序の原理が完全に透明化した社会は理想郷どころか、人間には住めない地獄の世界です。 ・合理的な個人の誠心も集団に取り込まれると変質し、原始状態に戻る。感情に踊らされ。無意識の働きにより各人は集団にとけ込み、主体性を失う。集団内の個人は自立性をなくし、集団全体がひとつの精神と化す。 ・人間は安定した認知環境を必要とする(シェリフ)。だから大将が曖昧なとき、不安定な状態を脱するために心理が変化すると考えました。 ・弟子(少数は影響減)の主張を退けておきながらも無意識的には影響を受けており、後になってその効果が現れたのです。影響減は忘れられ、影響内容のみが受容される。まるで時限爆弾か、一定の潜伏期間を経て発病するウィルスのようです。影響減が少数派だと、本当は他社から受けた影響の結果なのに、自らが選択した判断であるかのごとく錯覚する場合が少なくありません。 ・悪い行為だから非難されるのではない。我々が非難する行為が悪と呼ばれるのです。 ・単語の存在にされ気づかないほど短時間だけ示す場合でも、つまり被験者は何かが見えたと意識しない場合でも単語の情報が働いて、最初の単語と意味が似ている単語が選ばれる。しかし最初の単語を示す時間をもう少し長くして、どんな言葉かはわからないが何かを見たのは確かだと感じるようになると、今度は意味のにた単語ではなく、形のにた単語が選ばれるようになる。 ・何人かが同じ意見を表明する場合は、真実を反映しているのではと思い直す ・集団表象と集団におかれた個人の表象に区別すべきである ・恐怖の対象への同一化を通して自我を防衛するという精神分析学者アンナ・フロイトの「攻撃者への同一化理論」があります。子どもが幽霊のまねをしたり、しかる教師の表情や癖を模倣して生徒が自己防衛する例を取り上げ、攻撃の犠牲者から攻撃者へと変身して恐怖を乗り越えるといいます。 ・人の交流という意味では日本社会は閉ざされている。しかし文化面から考えると、外の要素を自主的にまたどん欲に取り入れてきた。そういう意味で情報の流れから見ると、日本文化は外部に開かれている。 ・間接的接触のおかげで外来情報がもとの文脈から切り離され、情報の具体的状況が無視されるので、日本社会の磁場作用を受けて意味内容が変化しやすい。 ・情報源と直に接しないので異文化を押し付けられにくい。ある時代において、変えたら日本人でなくなってしまう感じのする本質的あるいは中心的価値もあれば、少々変化しても問題ない周辺的価値もある。変化が中心的価値に抵触すればするほど、日本人の抵抗は強くなる。それに対して、中心部と正面衝突しない形で周辺部から変化が導入される時はアイデンティティの聞きが生じない。周辺部が緩衝地帯の役割を果たします。 ・慣れ親しんだ思考枠から脱するためには、研究対象だけ見ていてもダメです。対象を見つめる人間の世界観や生き方が変わる必要がある。研究の対象が外部にあって、それを主体が眺めるという受動的な関係ではない。 ・他社が行使する強制力として法・道徳が意識されると、社会生活は円滑に営まれない。外部から行使される暴力としてではなく、内面化された規範として現れる必要があります。社会制度は人間が決めた慣習にすぎない。しかしその恣意性が人間自身に対して隠蔽されて初めて、社会強制力は自然な形で効果的に機能する。 ・人間が作った秩序なのに、それがどの人間に対しても外在的な存在になる.共同体の誰にも、そして権力者にさえも手の届かない外部だからこそ、社会制度は安定する。誰にも自由にならない状態ができるおかげで社会秩序は、誰かが勝手にねつ造した物ではなく、普遍的価値を体現すると感じられる。人間自ら創り出しておきながら、人間自身にも手の届かない規則を作るというルソーが夢見た方式です。 ・時間はなぜ過去に向かって流れないのだろう。それは過去はすべて決定されていて再現する必要がないからだ、というのが私の答えである。同様に未来が現時点で厳密に決定されているならば、わざわざやってみる必要はない。やってみなければわからないから時間が進むのである。
1投稿日: 2016.01.23
powered by ブクログ『世界や歴史の根源的な恣意性あるいは虚構性を熟知していた点がその理由の一つだと思います。 つまり世界に普遍的な真理はない、我々の目に映る真理は人間の相互作用が生み出すという世界観です。 真理だから同意するのではない。悪い行為だから非難するのでもなければ、美しいから愛するのでもない。 方向が逆です。同意に至るから真理のように映る。社会的に非難される行為を我々は悪と呼ぶ。そして愛するから美しいと形容する。共同体での相互作用が真・善・美を演出するのです。』 世界の虚構性といかに向き合うか。奥深く、めちゃくちゃ面白い。 ただ、自明と思われている世界の自明性を一枚一枚剥ぎ取ってしまい、そこには虚構性しか残らないことを明らかにしてしまった先に、何が待っているのだろうか。
1投稿日: 2015.08.01
powered by ブクログ非常にフランス的な学問観。 矛盾があった場合そのどちらかを疑うという形で解消を図るべきではない。その一見矛盾した両者を包摂する次元や、常識を超えたところに目指すべき理論がある。
0投稿日: 2015.02.14
powered by ブクログ本質という確たる存在があるのではなく、すべては関係性の中でとらえられるということが腑に落ちた。 日常でよくある、どこかに確かな真理たるものや結論、責任さがしをすることの虚しさが理解できた。 何回も読まないとなかなか理解には至らないが、人間と社会を考察するために非常に有益だった。
0投稿日: 2015.01.19
powered by ブクログ異質な生き様への包容力、世界の多様性を受け止める訓練。これが人文学の果たすべき使命。との主張から「役に立たない」が、「己を知る、少しでも納得する」ために学問する。内容的にはやや難解だが、読み応えはある。 <印象に残った箇所> ・服従者は命令者への責任転嫁により何でもできるようになる ・科学が進めば進むほど主体性は消えてゆく。心理学は主体の消滅というパラドクスに陥る ・相関関係と因果関係は区別可能か? ・個人主義者ほど強制された行為を自己正当化しやすい。したがって認知的不協和の緩和のために、意見を変える ・自信のある者、知能の高い者ほど自己決定権が高いと錯覚するので意見を簡単に変える ・異質性よりも同質性の方が差別の原因になりやすい ・同一性の変化は主体と客体の関係、そして時間によって錯覚される ・日本は「閉ざされた社会」であり「開かれた文化」(社会の閉鎖性と文化の開放性)
0投稿日: 2014.11.26
powered by ブクログ考え方の枠組みを意識するという点で,学ぶところは多かった。 変化はどのように生じるのか,という問い。 一般には,多数派となった意見がその勢いや人数によって伝播されていくもの,と考えられる。しかし,それは閉鎖した社会での話。変化するのは瑣末であり,パラダイムシフトは生じ得ない。 では変革と呼べるほどの根底からの変化が生じるには,どのような過程があるのか。 変革の基は,少数派の意見。「正しさ」を社会全体が幻想する場合,そこから逸脱する人間は否が応でも必ず出てくる。その逸脱に,変革の原因となる可能性が存する。逸脱者たちが自らの意見を反復主張することで,マジョリティの非意識レベルに再考の機会を植え込む。 この”内省”の影響は,上位者からの意見の伝播とは違い,表面的言動に留まらない。自ら考え直すことで,人間の”意識”そのものを変化させる可能性を秘めているのだ。 不思議に思ったのは,禅宗の場合。 禅寺は完全なるオーウェルの「1984年」状態なのに,なぜ風狂な逸脱者が出てくるんだろう。一度「私」を殺すことで,逸脱へとつながるのだろうか。 もしくは,禅僧の風狂さは,システム内の逸脱とは異なるのか(パラシステム的逸脱?)。
0投稿日: 2014.10.10
powered by ブクログボリュームもあるし小難しいことも書いてある。秋の夜長にピッタリ、と言いたいところだが、四六時中痛みと闘っている身としては、なかなか集中して読むのがつらい厚さではある。 けれど、読み始めると、痛みを忘れる、とはいわないものの、痛みよりも本の内容にのめり込んでいく(ので、休憩時などはよりいっそう痛い)。 とにかく常識を疑え、常識なんてものはないのだ。イエスやガンジーは当時こまった人だったし、ヒトラーやスターリンは賞賛をもって迎えられていた。何が良い悪い、ということが決まった時点で開かれた社会にはならない。 難しい本だと思うなかれ。本書にもあるが、どんなに難しい本でも、自分で書くよりは読む方が簡単だ。
0投稿日: 2014.09.28
powered by ブクログかつて同著者の『民族という虚構』(ちくま学芸文庫)を読んで非常に共鳴するところ多く、感銘を受けたので、この本を買ってみたのだった。「選書」に収まった地味なパッケージで、書名も、心理学に興味のある人以外は手に取らなさそうなものであるが、これは凄く良い本だ。できるだけ多くの方に読んで欲しい。いずれちくま学芸文庫として出版されることを期待する。 自然科学的手法だけでは解読しきれない「心理」の学を、「科学的見せかけ」にとらわれず、縦横に論を展開する本書は、心理学上の豊穣な実験データを収録すると共に、社会論であり、哲学でさえあるような、優れた知的営為の結実である。 ミルグラム『服従の心理』(ハヤカワ文庫)のあの実験も含め、たくさんの心理学実験を本書は紹介してくれるが、我々の常識をくつがえすようなものばかりで、これだけでも本書には価値がある。 そうした実験結果を受けて、西洋の近代がたいせつに育んできた「個人主義/自由/意志」といったものを、それ自体自立した閉鎖系としては、否定する。人間は常に、無意識レベルでも社会や他者とに影響されて行動する。「選好」ですら、ほんとうに自律的な個人の感覚だけに由来するものではないのではないか。 ただし、思うに、個人主義的思考を完全に廃棄してしまうことは危険だ。私は 、個人と場所/社会/他者を地続きの流動体として考えるが、モナド的「個体性」は消失するわけではなく、ただ、「静止的モデル」としてのそれの概念を批判したいと思う。 この本は他にも、実にたくさんの問題系を含有しており、思考の材料をほとんど無数に提供してくれる。 デュルケームに拠りながら、社会が正常に機能して多様化が進めば、独創的才能と同時に、個性的な「犯罪」が頻出するのも必然だ、とする指摘には驚かされた。もちろん、だから犯罪者を罰するななどということではなく、正常な社会が必然的に犯罪を生み出すという構造を明らかにしているだけだ。 とはいえ、最近の日本を見ていると、確かに「異常に猟奇的な」殺人事件など多いようだが、それらは割合に共通の傾向を持っていて、「個性」はあまり感じない。日本国内の世論は最近とみに類型化(二極化)してきていて、本当の「多様さ」とは違ってきていると思う。これでは、まだビッグな才能は出てこない。 ともあれ、他にも「異質性よりも、同質性が高まるから差別は生まれる」など、なるほどと唸らされるような指摘がたくさんあって、本書の有用性は語り尽くせない。本当に、みんなも読んでみたらいいと思う。
0投稿日: 2014.09.27
powered by ブクログライフネットの出口さんの書評より、読んでみたのですが、数々の"常識"を揺るがすような実験や引用、言葉が多く、思考させられる刺激的な本でした。
0投稿日: 2014.05.29
powered by ブクログ140412 中央図書館 伝統的な人文系学問のカテゴリーに縛られることなく、自由に「社会哲学」を行動心理の方向からほぐしていこうとする、講義形式の本。 内容はスリリングだが、どこまで信頼できるのか客観的なシグナルがないために、戸惑う。 フランスのホメオパシー「同毒療法」の話が面白い。第一原理:有毒物質は病人が摂取する場合は症状抑制に資する(類似の法則)、第二原理:活性物質は極微量に希釈し、薄いほど効果がある、とする。基本的にはプラシーボ効果と見られるが、これは保険が効く「治療」とみなせるのか。
0投稿日: 2014.04.12
powered by ブクログ心理学の理論から社会制度や人間の本質に切り込んでいくところが何とも迫力がある。世の中虚構があふれているが、それ故に成り立っているというのは正しくその通りだろう。
0投稿日: 2014.03.10
powered by ブクログ本の内容を理解するのは大変で時間もかかるが、とっても興味深い本である。 意思から行動するのではなく、行動した後に意思ができる。
0投稿日: 2014.01.21
powered by ブクログ「意志は行為の出発点ではなく、後から作られたもの」、「自由であることが支配を維持する」など逆説的な内容が刺激的でした。 意志が後から作られたものだとすると、自分たちが心の中に持っている悩みはそれほど大げさに考える必要はないんじゃないかと思えてくる。
0投稿日: 2013.12.28
powered by ブクログ経済雑誌で紹介されていた。 とても面白かった。 現在の社会心理学の現実が極めてうまくまとめてあり、 心理学専攻の学生でなくても十分に楽しめる内容だった。 特に、ホロコーストに関する研究をまとめ考察した部分が興味深かった。 (ホロコーストの実際の担い手は、反ユダヤ人主義のナチス・エリートではなく、戦場には赴くには年をとりすぎた普通の人々であり、 そういう人々が、合理的・効率的に行えるように、 つまり心理的負担が少なく行えるように、 作業分担や、銃殺ではなく毒ガス室の利用開始、反ユダヤのプロパガンダが必要だった、という考察) 理解しきれていない部分があるので、是非、再読に必要がある。
0投稿日: 2013.11.24
powered by ブクログ大学の講義をもとにして書いた本であるそうだが、社会心理学を初めて学ぶ学生ではなく、ステップアップとして読むと、とても役立つと思う。しかし、これを読んでしまうとなかなか卒論を書く事は難しいかもしれないが、理解すればすごい論文がかけるであろう。大学院生向けの本かもしれない。
0投稿日: 2013.11.23
powered by ブクログ社会心理学という言葉に全くなじみがなく、小坂井さんの他の著作を知らなければ、多分手に取ることさえなかった本。 小坂井さんの本は「民族という虚構」「人が人を裁くということ」で知っていた。この「社会心理学講座」は、これらの本も含め、これまでの著者の研究をまとめて著したもののようだ。 多分それが原因なのだと思うのだが、題名通り「社会心理学」について、幅広く触れられているため、網羅的ではあるのかもしれないが散漫であるとも感じられる。 学術的な論文では必須なのかもしれないが「誰それの研究によればこう」という文章が多く、外人さんの名前がたくさん出てきて、それを追うことに疲れてしまうところがあった。 この本は14講に分かれている。特に第8講「自由と支配」などは、会社生活を思い浮かべ、なるほどそうだなぁ、と納得できる記述も多数あり、読みにくさを差し引いても、読む価値ある本。 「この著者が基本に据えている考え方が「社会が安定していなければ落ち着かない。しかし変化しないと進歩はない」という矛盾にあり、これが「人間とは何だろうか」という永遠の問いに対する大いなるヒントにつながっている。 人間は動物ですから、寝ている間に寝首をかかれるのはやはり、イヤです。安心して眠れる、道を歩いていても山賊や海賊に襲われる心配もない安定した社会がやはり一番重要です。著者の言葉で言えば、「社会は同一性を保っていないと落ち着かない」のです。 しかし一方で、ダーウィンの進化論にあるように、変化をしなければ社会が存続しなくなってしまいます。人間の面白いところは、同一の存在でありながら、変化を続けていくことにあります。たとえば、一カ月前のあなたと今日のあなたは、体の細胞は合成と分解を繰り返し、入れ替わっています。しかし、あなたはずっとあなたです。これを生命の動的平衡と言います。社会も、同一でありながら長い目で見れば変わっている。この社会における「同一でありながら変化を続けるという矛盾」をどう理解できるのか、この本は、この難問に挑戦して、その答えを全体として捉えようとしている本なのです。 人間とは果たしてどういう動物で、その人間がつくる社会はどういうものなのか。学問が追求すべきは、人間とその人間が作る社会全体の本当の姿を追い求めることにあると思います。しかし医学の世界にしろ経済学にしろ、狭い専門領域のたこつぼに入り込み過ぎて、専門家同士にしか分からない会話をして、専門外の人にはちんぷんかんぷんでも、それで良しとする態度が当たり前になってしまいました。その弊害として、全体を俯瞰しようという試みがなおざりにされていると思います。しかしこの本は、社会全体を捉えることに作者が必死に取り組んでおり、その気迫が感じられ、読んでいるうちにその気迫が乗り移ってきます。 僕自身も、この本からは多くの考えるヒントや知恵をいただきました。」 という出口治朗氏の書評が印象的です。
0投稿日: 2013.11.05
powered by ブクログ***** じっくり時間をかけて読んだのでまだ消化しきれてない。 人を、社会を、心をどうやって捉えるか、 読みながら自分の根本的な考え方を参照できる良書。 ***** 「社会」の「変化」という概念が長らく論理矛盾を起こしてきていた、というのは新たな着眼点であった。その違いは、社会を「理想状態がある閉じた系」と捉えるのか「変化し続ける開かれた系」と捉えるのかの違い。 「アカデミズムも時代の要請を濃厚に反映する」といった主張にも通じるが、現代においては「変化への対応力」が濃厚に問われるようになっている。レジリエンスという概念が着想されることにも通ずる。 *****
0投稿日: 2013.10.25
powered by ブクログ書評を読んでチェック。 http://blogs.bizmakoto.jp/deguchiharuaki/entry/16746.html
0投稿日: 2013.08.29
