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アイヌと縄文 ――もうひとつの日本の歴史
アイヌと縄文 ――もうひとつの日本の歴史
瀬川拓郎/筑摩書房
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総合評価

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    学校では、教えてくれない、日本に住む民族の話だ。日本は、決して、単一民族ではない。ただ、歴史の中に埋もれてしまっているだけなのだ。

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    投稿日: 2025.03.20
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    我々日本人がもしかするとありえたかもしれない時代を考察する書籍 基本的には北海道、東北北部を中心とした縄文人の末裔に関する歴史や文化の歩みを考古学の観点から考察していく流れで進んでいくが、読み進めていくうちに鉄器などの技術は和人から流用するにも関わらず何故縄文人は和人の文化に染まりきろうとしないのか?という疑問を抱き続けるようになった。 しかしそういった疑問を(そういう読者もいると想定したのか?)終盤で解決させる構成からか今まで知ってきた歴史の見方が変わり視野が広がったように感じるようになった。 もしかしたら現代社会の構造が実は彼らよりも進歩的ではないのではないか?そんな事も考えさせられる内容でもあった。

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    投稿日: 2024.08.11
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    アイヌと縄文の連続的な繋がりが見えてくる。 ゲノム解析によると、多くの東アジア人から韓国人→日本本土人→琉球人→アイヌ人の順に関係性が直線的に離れていき、その延長上に縄文人の存在が想像できる。 染色体分析で人類の「出アフリカ」後の軌跡を辿ると、日本語やアイヌ語を含む世界の9つの孤立言語のうち、6つが同じレイヤーのグループに属するという研究も。 縄文は「未開」だったために弥生の稲作文化が浸透しなかったのではなく、公益の優位性から狩猟に特化する「選択をした」という考えも興味深い。

    0
    投稿日: 2024.07.11
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    瀬川拓郎 「 アイヌと縄文 」 アイヌ文化に保存された 縄文思想(日本の原郷としての)を 抽出しようとした本。 面白い。日本の原像を探ろうとする 人類学者、歴史学者、作家等が 縄文時代に 惹かれる理由が わかる気がした アイヌが 日本列島のみでなく 北東アジアの交易(商品交換)により、富と権益を拡大しながら、アイヌ同士では 贈与交換により社会を維持していたことに驚く。日本人のバランスの良さを感じる アイヌ文化に保存された 縄文思想(日本の原郷としての) *贈与交換の社会〜親戚のような連帯性 *個人へ富の集中させない→権力や階級を生じさせない→心の連帯を求める集団 縄文時代 *縄文文化は 北海道、本州、四国、九州、琉球で展開〜抜歯が行われた人骨、イノシシ祭り、土偶 *日本列島の縄文人は 異なる生態系を超えて 共通の宗教や儀式(縄文イデオロギー)を共有 *縄文時代の巨大な土木遺産=縄文社会の心の豊かさの証拠→静川遺跡、垣の島遺跡など〜聖域、祖霊を祀る場→心の豊かさ 続縄文時代(弥生時代) *日本列島に弥生文化が広がるなか、北海道の縄文人は弥生文化を拒否 *縄文イデオロギーとしてのイノシシ祭りが アイヌのクマ祭〜子熊を一定期間飼って 殺す習俗(神の国に送り返す)〜へ変化 擦文時代(奈良、平安) *毛皮、サケ、大鷲など交易品を生産し、本州へ流通 *東北からの移住者(エミシ)→擦文文化を形成→富を求めて商品生産社会に転換し、他者の領域を侵して成長 *擦文文化では、墓や墓地がない〜擦文文化の特徴は 複雑な文様の土器、竪穴住居 ニブタニ時代(鎌倉以後) *交易品をさらに拡大→北東アジアへ進出→アイヌは 日本と北東アジアを結ぶ中継交易者 アイヌの縄文思想 *和人、北東アジアとは 交易(物々交換=商品交換)をしても、アイヌ同士は 贈与により モノをやりとりしていた(贈与交換) *人々を親戚として結びつけるような連帯の原理 *商品交換は 人々を不平等化し、差別化する原理→戦争を常態化させ、王を誕生させ、国家を成立

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    投稿日: 2022.02.18
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    日本の総氏神が伊勢の天照だと言われる中、どうしても納得と同意しかねていた自分が立てた仮説に答えを与えてくれるような記述が多く発見できた書籍特にアイヌに縄文の流れが残ると言う基論を下地に展開される証拠の数々は、改めて多くの旅への機会を提示してくれた。一冊で三度以上の楽しみができた。まずは感謝!そして出会えたことに礼◎

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    投稿日: 2021.01.15
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    シャーマンキングやゴールデンカムイなどの漫画からアイヌに興味を持つようになり、ちょうど筑摩書房のセールもやっていたため購入。 縄文人の末裔であるアイヌの歴史を振り返りながら、同じ祖先である縄文人の縄文思想とは何だったのかを考えていく内容です。 これは良書ですね。 遺伝子的な部分だけではなく、言語や文化、風習などといった多角的方面からアイヌの歴史について述べています。 そして参考文献の数がすごい…。 アイヌを語るのに欠かせない本州との関連や中国やロシアなど大陸側との関係にも言及されており、より理解が深まります。 今のアイヌはただ縄文人が外部の文化を受け入れずに現代まで続いているのではなく、様々な文化と交わり変化していった姿だということがよく分かりました。

    0
    投稿日: 2020.06.28
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    このレビューはネタバレを含みます。

    漂海民は魚などが銭で変われることを好まず、陸上の知人に贈り物として与え、その返礼として催事に招待をしてくれることを良しとし、そうした関係を親戚とよんでいました。この親戚は、漂海民にとっての疑似親族、中立地帯であり、彼らはこの親戚を通して外部の商品経済との関係を保とうとしていた。アイヌが守り通そうとした縄文思想とは人々を親戚として結びつける連帯の原理であり、商品交換を忌避したのは、それが人々を不平等化し差別化していく原理だったから。縄文の思想を知る意味とは、非対称化していく歴史のなかで原郷の思想である連帯と平等をかたくなに守り通そうとしてきた人々が今なお私たちの目の前にいること、さらには漂海民のようについ最近まで私たち自身のなかにもいたことを通して、その意義に今一度おもいをめぐらせてみる。 ここまで新書1冊で来られる。なんとはるかに。

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    投稿日: 2018.11.01
  • 民俗学と考古学のお好きな方は是非!

     タイトルだけ見るとアイヌの人々と縄文時代の人々とのつながり、あるいは、アイヌの人々の中の残る縄文時代の文化みたいなものが列挙されているように思うかもしれませんが、あにはからんや、もっと大きな、今日の日本を作り上げた、「流れ」みたいなものを著述したものであります。  実に面白く読ませて頂きましたが、全体として、あまりアイヌとか縄文とかにとらわれずに、日本人の源流みたいなものをのぞき見た感じでした。  特に、埋葬の習慣とか、日本語に残る古代語が、どこからやってきたのか、等というエピソードはとても興味深いものであり、また、夫を亡くした妻はかぶりものをし、3年の間顔を洗わなかったという喪に服する風習は、どこかイスラム社会にも通じるような気がしました。(そんなことは、本の中では指摘してませんけれど)  それから、他の集団、他の民族とか部族との交易の中で、物々交換というのはありがちな話なのですが、私にとっては、贈与交換というスタイルは、初めて知るものでありました。  この手の本を読むといつも思うのは、古代の人々の行動範囲の広さです。江戸時代の歩いて旅をしたことでさえ、驚きでありますが、この交流の範囲の巨大さには驚かされます。人間の好奇心なのでしょうかね?

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    投稿日: 2017.11.30
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    おもしろい! サブタイトルの通り、「もうひとつの日本の歴史」が鮮やかに描かれている。 ひとつひとつ実例を混じえ論理を積み重ねていきつつ、 全体としてとてもダイナミックな構成となっている。 古代から中世にかけて日本にに数々の民族が存在したことを、 恥ずかしながらよく知らなかった。 彼らの文化、言語、DNAが今の日本人とどうつながっているのかなどは、 非常にわかりやすく興味深い。 また、交易や埋葬についてはかなりページが割かれており、 その民族の文化の中で相当重要な位置を占めていたこともわかった。 複雑な話をここまでわかりやすく描ける筆力もあるのだろう。 アイヌや縄文というキーワードだけでなく、民族、文化、精神性などに興味がある人には広くおすすめしたい。

    0
    投稿日: 2017.09.16
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    アイヌと縄文 瀬川拓郎 ちくま 同じ縄文人を祖先に持つからと言って 2千年以上も異なる歴史を歩んできた私たちは 互いに補い合う精神的な文化を選んだアイヌと 権利を主張し合い知識による文明を目指す弥生文化を選んだ本土人を 同一視することはできない しかし現代の日本人として縄文的精神文化を振り返り 彼らが大事にしてきたお互いの関係に自主的な参加をする全体感という 総合的な生き方を取り戻すことが可能なのだとつくづく思わされた それにしてもアイヌと一口に呼べないほどこの二千年は多様であり 意思を貫きながらも生き延びるために 互いを補い合う譲渡の文化と駆け引きによる交易の二刀流を使い分けた したたかさに頭が下がる 所有意識がもたらした侵略という競争に依存する行為が 物的な文明の促進のみを目的にする視野の狭さを 育ててきたことの愚かさに気付かされる そろそろ欲ばかりでなく自主的な選択で 前向きなしたたかさを手にして私達も 墓穴の中から這い出すことが大事なのだと この本で学ばなければならない峠を向かえているのだと思う

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    投稿日: 2017.03.07
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    北海道にこのような特異な文化が育まれてきたことを全く知らなかった.p.19の表で本州の時代との比較があるが,続縄文時代,擦文時代,ニブタニ時代と続き,オホーツク文化も並行して進んでいる.アイヌが縄文時代の風習などを正確に伝えてきていることは驚きだ.さらに大陸との交流も盛んでますます興味が湧く.日本の歴史の見方を根本から変えてくれる好著だ.

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    投稿日: 2016.11.09
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    北海道の縄文人の食事は肉食主体で、オットセイやアザラシなど海生哺乳類に偏っていた。本州では一定期間飼育した子イノシシを殺す祭が行われていたが、北海道にはイノシシが生息していないにもかかわらず、祭りを行うために本州からイノシシを入手していたらしい。著者は、このイノシシ祭りがクマ祭りのイオマンテに変容したと推測している。 本土の弥生・古墳時代は、北海道では続縄文時代が並行する。1世紀以降、東北北部では水稲耕作が行われなくなり、人口が減少していた。4世紀になると北海道の人々が東北北部に南下し、古墳社会の前線地帯である仙台平野と新潟平野を結ぶラインまで進出した。続縄文時代には、皮なめしの石器が大量に使われており、毛皮が古墳社会に渡っていたと考えられる。この東北進出と同時に、北海道には鉄器の流通が拡大し、石器が激減した。また、オホーツク人が稚内から奥尻島まで南下してきて、古墳社会との交易を求めるようになり、続縄文人との緊張関係が高まった。660年、阿倍比羅夫は北方交易の安定を図るために奥尻島のオホーツク人を撃ち、続縄文人と東北北部の人々との間で行われていた交易を王権の管理下に置いた。8世紀前葉には、国家の出先機関としての秋田城が設けられた。東北北部の人々は、苫小牧から札幌にかけての石狩低湿地に進出し、続縄文人との交易を確保した。 本土の奈良・平安時代は、北海道では擦文時代が並行する。東北北部からの移住者の影響により、住居はカマドをもつ竪穴住居になり、土器は文様のない土師器に似たものになった。アワ、キビ、ヒエ、コムギ、オオムギなどの農耕が行われるようになり、鉄製農具も普及した。9世紀後葉以降、石狩川流域の集落はサケの産卵場地帯に集中するようになり、本州へ大量のサケを出荷した。日本海沿岸には、河口港としての流通集落が現れている。同じ頃から、東北北部の人口が急増し、特に津軽地方では、水田開発、鉄生産、塩生産、窯業などが始まり、北海道の遺跡では東北北部で生産されたと思われる須恵器やコメ、鉄器が出土するようになった。 本土の鎌倉時代以降は、著者はニブタニ時代と呼ぶ。11世紀に東北北部で竪穴住居が平地住居になり、土器は漆器椀や白木の椀、鉄鍋に変わり、北海道の日本海側でも同様の変化が起こった。15世紀になると、東北北部から渡島半島南端に武装した和人集団が進出し、館を構えて交易の利権を争った。

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    投稿日: 2016.10.31
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    北海道にはシベリアあたりの生き方もずいぶん入ってきている 昔々から大陸の生き方だってずいぶん入ってきている そう思うとなんだかうれしい 縄文の遺跡はあちこちにあったということは食べて生きていく程度のことならばどこでもできることの証 商品化の時代ってのが厄介ね 「よりよいものを」と求めてきたのが人間なのね 「よりよく、より争わない生き方を」求めるのがこれからの人間でしょう(^_-)-☆ アイヌの生き方に倣うところ大きいぞ

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    投稿日: 2016.10.05
  • 日本のもう一つの歴史

    日本列島の北と南に縄文人の直系の子孫、原日本人ともいうべきアイヌと琉球の人々がいます。 そのうち特にアイヌの人々は 2000年以上もの昔から 弥生の文化に取り込まれることなく 「続縄文人」として暮らしてきました。 歴史に 「もし」という言葉は存在しないといわれますが、アイヌの人々の姿は 日本人の取りうべき もう一つの日本の歴史だったかもしれないのです。 この後に私がレビューを書いた「2700の夏と冬」という本で、およそ2000年から3000年前の縄文人と弥生人のラブストーリーが描かれていますが、、この「アイヌと縄文」を読んでから 読むと、納得しながら さらに興味深く読むことができます。 古代の日本に興味がある人はぜひ読んでほしい本です。

    7
    投稿日: 2016.10.02
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    現代のいわゆる日本人とアイヌ人の祖先を辿ると、縄文人に行き着く。縄文人からいかに弥生人とアイヌの祖となる人々が分かれ、どのようにそれぞれの文化を発展させたかについて書かれている。

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    投稿日: 2016.06.16
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    アイヌと言ってもその時代ごとにそれぞれの顔を見せており、漂海民だった頃 熊の皮を贈り物として交易を行っていた頃 北海道の各地に広がりオオワシ猟や鮭が獲れる川沿いを住居としていた頃 今の日本人(同和もしくは大和民族)と協調・中立を保っていたが第3者の間に入ると言ったものに全てを壊された頃など時系列的にも様々な面があります。 アイヌの人々は信念(部族的な教え)には忠実でしたが、ルール(日本的なルール内ルール)には縛られていなかったと見受けられます。 縛られてない彼等にノスタルジーや 過去からの延長線上を重ね合わせるのではなく 今でも北海道やアイヌはあるのだから学ぶべき事が 閉塞感がある現代には 彼等からでもあるのではないかと感じました。

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    投稿日: 2016.02.27