
総合評価
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powered by ブクログ有元葉子のレシピや考え方にはお世話になってきたが、そんなハイブロウな文化資本と共に栄達した人物だとは知らなかった。戦中生まれで2025年時点で81歳ということも、意外(戦後すぐに生まれた栗原はるみとほぼ同世代だという)。 この枠組みで近年の料理研究家(長谷川あかり、リュウジ、稲田俊輔など)の分析をした第二弾も書いててほしいと思った。
3投稿日: 2025.10.04
powered by ブクログブクログがめっさ20周年を推してきますね 「知ったことか!」ってkuma0504さんが言ってました(フェイクニュース) はい、『小林カツ代と栗原はるみ』です いやーこんなん出てたんですね〜 もうびっくりです!BigMarronです! 料理研究家を分析することで図らずも女性史が見えてきたみたいな触れ込みですが、ごめんどうでもいいわ そっち方面どうでもいいわ あんまり料理しないんですけど「料理番組」は小さい頃から大好きだったんです なんかいいですよね そしてわいが小さい頃の二大スターですよ! マジで! ほんと大好きだったんです お二人とも 小林カツ代さん、栗原はるみさん うちなんかもう貧乏だったからね 外食なんてめったにないわけです でもほらお二人の作るものはなんていうか手に届くところにある豪華料理?そんな感じで見てたような気がします そしてなんと言っても『男子ごはん』ですよ(テレビ東京系列なので見れない地域も多いかも) もともとケンタロウさんという小林カツ代さんの息子さんと国分太一さんとで始まった番組なんですが、ケンタロウさんが事故にあわれた後は心平ちゃんがやってるんです そしてこちらは栗原はるみさんの息子さんなんですよ もうこの番組も大好きなんよね〜 しかしレジェンド料理研究家は二代目率高いな 土井さんとこもそうだし(ご近所さんみたいな言い方)
59投稿日: 2024.10.19
powered by ブクログその時代に活躍した料理研究家から見える、その時代の女性の社会参画や料理の位置付け、各料理研究家の「料理」の捉え方が見えてとても面白かった。料理研究家それぞれのビーフシチューの作り方の比較にもその方の信念や時代が現れていてまた面白い。
0投稿日: 2024.10.09
powered by ブクログ洞察が深い一冊。 料理が苦手な主婦が存在するようになった背景に対する考察などもあり、興味深かったです。 それぞれの料理研究家のビーフシチューのレシピを比較しているところも面白い。 どの料理研究家もポリシーがあるところなど、確かにそうだなと気付かされました。 料理研究家それぞれの特徴をズバリと述べているのも凄いです。 有元葉子→ずば抜けたセンスの持ち主 藤野真紀子→美人 コウケンテツ→イケメン 辰巳芳子→オレンジページには決して出ない
0投稿日: 2024.03.01
powered by ブクログこの本に出てくる料理家は有名人ばかりなので知っている。 どの時代のどの料理家にも思いがあり、学ぶべき事がたくさんある。 久しぶりに料理がしたくなってきた。
0投稿日: 2023.04.10
powered by ブクログ「ジェンダー」という言葉こそ出てこないけど、‘’妻たる者は家庭で料理を作り、夫やこどもを支えるべき‘’と意図的に刷り込まれてから、日本では料理が女性の一生の課題になったんだ…と実感する半面、 作って食べることをもっと楽しもう!と違う視点を見つけたような気持ちになった。 相手が美味しさや食卓を囲む楽しさを感じるのは、きっと料理の腕よりも、作る私の気持ちと笑顔なんだよね♪
0投稿日: 2022.09.28
powered by ブクログ時代と共にバックボーンの違う料理研究家がフォーカスされるけど、日本の食卓はレベルが高いと思う。 料理本やSNSにあがる料理レシピの数々が無くならないのは暗黙の了解のうちに求められているレベルの高さじゃないかと思う。 時にそんなに頑張らなくていいと言ってくれるのは、男性の料理研究家の方ばかり。女性の料理研究家からもそんな声を聞けるようになるといい。
0投稿日: 2022.07.18
powered by ブクログ大好きな料理研究家の名前が並ぶ。これは読まずにいられない! 中には、小林カツ代、栗原はるみのみならず、昭和の時代からの人気を博した、料理する人なら聞いたことがあるだろう料理研究家の名前とその生い立ちやその研究家のレシピの特徴、その時代の女性や家庭の時代背景とともにつづられている。 その時代によって料理の位置づけ、暮らし方、女性の働き方の変化があって、こういう料理研究家が出てきたのか、と膝を打つ一冊だった。
2投稿日: 2022.05.08
powered by ブクログ昭和のテレビ時代を象徴するひとつとして勃興する料理研究家の系譜は今に至っては匙加減すら明示しない『カレンの台所』(本作には登場しないが、SNS現象への言及で「予見」されている)に行き着き、一方で2000年以降ケンタ心平コウケンテツに代表される「男子ごはん」が定着する。danchuに憧れた一時もあったリタイア主夫の拠り所は今では専らクラシル・アプリです。
0投稿日: 2021.08.02
powered by ブクログ時代によって、料理研究家に求められるものは異なる。 初期の頃から現在まで、時代背景と彼らの立ち位置、その紹介する料理の中身について論じる。 主婦論はちょっとアレだが。
0投稿日: 2021.07.03
powered by ブクログ“料理”に関する肩書きの多いこと! 料理研究家、料理評論家、フードライター、フードコーディネーター、レストラン評論家などなど。スイーツ評論家なんてものもありました。 阿古真理さんの『小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代』は、タイトルどおりテレビ放送が始まった時代から、料理番組を持ち、料理教室を開き、レシピを開発してきた「料理研究家」の立ち位置と、変化を追ったノンフィクションです。 歴代の研究家の哲学には、生活への想いがあふれていました。「料理研究家論」とはつまり、テクノロジーの進化とフェミニズムの歴史そのものだといえます。だからこれだけ「肩書き」が増えていったのかも。 1950年代後半、「三種の神器」と呼ばれる家電3品目が普及したにもかかわらず、1960年代に行われた調査で女性の家事時間は減っていないことが判明。その理由として、家庭料理のハードルが上がったことが指摘されています。 フェミニストの上野千鶴子さんは家事労働を「愛という名の労働」だとして、「主婦」という身分が誕生して以降、「家事労働」が発明されたと指摘。 高水準の「労働」が求められるようになった結果、「料理が苦手」「めんどくさい」と感じる層も増加傾向に。そうした意識を持つ人たちに向けて、料理研究家たちはどのようなメッセージを発してきたのか。膨大な書籍や雑誌資料を基にていねいに追いかけています。 ローストビーフや肉じゃがのレシピを定点観測した比較もおもしろい。部位は? 出汁は? といった視点から、時代時代で大切と考えられていたことが透けて見えるのです。 昭和のはじめに料理研究家と呼ばれていた人たちは、生まれ自体がセレブ階級。そのため、本場の西洋料理に触れることができた人たちでした。その後、活躍を始めた城戸崎愛さんや小林カツ代さんは、家庭の料理を発展させる形で「料理家」としても活躍するようになった方たちです。わたしもひとり暮らしを始めたころ、レシピ本にお世話になりました。 そして、インターネットによって登場した「アマチュア」の時代。タダで、手軽に手に入るレシピが流行る中、プロの知識はどうあるべきなのか。 揚げ物が流行ったのは、家庭に換気扇が導入されて以降のことなど、なるほど!と思う知識もいっぱいです。昭和の終わり頃から気軽に海外旅行に行けるようになったことで、“現地”の味を知っている人も増えました。そんな中で行うレシピ開発って、本当にすごいことなのだと思います。 仕事をしながら“こなす”家事は、できるだけ時短したいし、マンネリも打破したい。でも、毎日している料理は、身体をつくるものなのです。外食・中食が増えたいま、「家庭料理」の存在価値を見直したくなりました。 家庭料理のプロとしてのプライドを持っていた小林カツ代さん。主婦という立ち位置でカリスマとなった栗原はるみさん。キャスリーン・フリンの著書『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』なんて読んだら、なんて仰るか聞いてみたい。 『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』 https://note.com/33_33/n/n039e104b328e
0投稿日: 2021.05.07
powered by ブクログ栗原はるみさんの主婦としてのありかたがトリッキーで興味深い。主婦を演じている、という記述に納得!個人的には高山なおみさんに興味を持った。何か楽しそう。
0投稿日: 2021.04.12
powered by ブクログニューヨークタイムズのデジタルのサブスクリプションはクロスワードパズルとクッキングレシピから始まったという話を聞いたことがあります。今日も日本の各新聞には毎日小さなスペースながらも料理のレシピが載っています。もちろん本屋でも料理本のコーナーは百花繚乱な存在感を示していますし、個人的にも隙間時間でついついクックパッド開いたりしています。性欲、睡眠欲と並んで人類三大欲求を成す食欲の受け皿としてのレシピの市場のなんと広大で盤石なことか!たとえ中食市場が2020年には10億市場になる予測があったとしても家で「ごはん」を作ることは不変の営みにも見えます。しかしレシピは世に連れ、世はレシピに連れ、時代が求めるレシピは変化し続けています。そしてレシピのクリエイターである料理研究家も変化し続けています。その流れを社会学的に分析した久保明昇「家庭料理という戦場」に引用されていたので本書にたどり着きました。タイトルでは小林カツ代と栗原はるみをフューチャーしていますが飯田深雪、江上トミから始まる料理研究家スーパースター列伝です。「家庭料理のいう戦場」の分析からすると単なる紹介にも終わっている気もして「おなかいっぱい」にはなりませんでしたが、小林カツ代をアーティスト、栗原はるみをアイドルとする見立てはさすがだと感心しました。料理研究家という存在がビジネスだとしたら、そこにはマーケティングがあることは自明です。ここに書かれている数々の料理スターが、フィリップ・コトラーいうところの製品中心のマーケティング1.0、顧客重視のマーケティング2.0、ソーシャルなマーケティング3.0、そして自己実現のマーケティング4.0に至る流れとシンクロしているように思えます。ビーフシチューという同一のレシピに各料理研究家のコアの進化を見出そうとする試みには興奮しました。そういう意味では今、料理研究家ではなく料理家という自称が増えていること、前述したクックパッドのようなコンシューマージェネレイテッドなアプリの隆盛は、料理も自己実現の世界に突入しているということなのでしょう。きっと。
0投稿日: 2020.03.11
powered by ブクログ時代をけん引する人の背景には裕福さがあるという記述に大いに賛同しました。 女性の立ち位置も見える興味深い本でした。
0投稿日: 2020.03.10
powered by ブクログテレビや雑誌などでレシピを紹介し、家庭の食卓をリードしてきた料理研究家たち。彼女・彼らの歴史は、そのまま日本人の暮らしの現代史である。その革命的時短料理で「働く女性の味方」となった小林カツ代、多彩なレシピで「主婦のカリスマ」となった栗原はるみ。百花繚乱の料理研究家を分析すれば、家庭料理や女性の生き方の変遷が見えてくる。(e-honより)
0投稿日: 2020.01.14
powered by ブクログまえがきより 料理研究家を語ることは、時代を語ることである。 彼女・彼達が象徴している家庭の世界は、社会とは一見関係がないように思われるかもしれないが、家庭の現実も理想も時代の価値観とリンクしており、食卓にのぼるものは社会を反映する。 それゆえ、本書は料理研究家の歴史であると同時に、暮らしの変化を描き出す現代史でもある。 あとがきでも触れられていたが、この本は「料理研究家とその時代を研究した本」ではあるけれど、「女性史の研究」という意味合いが強い本になってしまったとのことである。 この本を読むと、それぞれの時代に女性に求められたものや押し付けられたものが浮かび上がってくる。料理研究家というのは、そんな女性たちに救いの手をのべるような存在だったのだ。
0投稿日: 2019.08.02
powered by ブクログ小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代。阿古真理先生の著書。昔は料理研究家といえば女性で、女性の料理研究家が女性のために料理を教えていた時代。今は男性の料理研究家がとても増えて、男性の料理研究家が男性のために料理を教えることも増えている。料理は女性がするべきもので料理下手な女性は女性失格、そんな時代遅れの既成概念が変わりつつあるのは素晴らしいこと。そして料理上手な男性が魅力的な存在とされているのも素晴らしいことだと思います。
1投稿日: 2019.01.13
powered by ブクログ料理研究家の変遷と家庭料理の変遷をたどっている。読む前はタイトルどおりの二人だけを比較しているのかとそれを期待していたのだが、実際には1950年代あたりからの主だった料理研究家を網羅的に取り上げている。小林カツ代と栗原はるみだけでも一冊に足るお二方だと思うが、そうならなかったのは欲張りだけどそのぶん薄味になったようで残念。 男性料理研究家の台頭として、ケンタローや栗原心平、コウケンテツなどにも触れているが、やはり彼らと女性の料理研究家には一線を引きたくなる。男性料理研究家って、そもそも「研究家」とするところがプロではないことの言い換えだと思われ、だからこそ家庭料理のプロといえるのだろうけど、やはり男性がプロデュースする料理って、誰かのためというより、自分のためとかわが道的な色が感じられてしまうということがひとつ。 加えて、ケンタローや栗原心平には、結局「小林カツ代も栗原はるみも世襲なの……」という残念な思いを抱かせる。それも「家庭料理でありながら息子が継ぐのか」という残念な感じ。ジェンダーバイアスかかった見方かもしれないけど、そんな大層ぶらなくていいじゃないかというところに端を発する思い。芸能人の子息が芸能人になるようなイージー感を感じてしまう。 わりと短絡的にまとめているようで疑念を抱く箇所がいくつか。何だか結論が拙速で本としての質を落としている感じがする。肝心の終章の締め方にしても「まず自分の手で自分を養うこと。誰かのためにつくるのは、その後でいい。愛情を込めようと必死にならなくても、自分が充足すれば人に与えることも容易になる。やる気があるときも面倒なときも、コンスタントに台所に立ち続ければ、愛情と腕前、求められる味はやがてついてくるだろう」(p.242)なんて述べてるんだけど、そもそも家庭料理ってことを考えると、この引用部分どうなんだろう。
0投稿日: 2018.12.08
powered by ブクログ料理研究家の作る料理から、それぞれの時代の、女性が食事を作るという家事の移り変わりが見えてくるという目から鱗の話だった。料理本の見方も変わりそうだ。
0投稿日: 2018.10.09
powered by ブクログ料理研究家。当たり前に存在してるけど、改めて考えると不思議な存在。違う目線で考えるヒントになりました。
0投稿日: 2018.06.27
powered by ブクログ小林カツ代と栗原はるみの二人を中心に、主として高度成長期から現代にいたるまでの人気料理研究家たちの仕事と、彼ら/彼女らが受け入れられた時代状況をリンクさせて考察している本です。日本のに西洋料理を紹介して人気を博した江上トミ、飯田深雪からはじまり、入江麻木、城戸崎愛、有元葉子を経て、土井勝・善晴親子、村上昭子、辰巳浜子・芳子派親子、そしてケンタロウ、栗原心平、コウケンテツ、高山なおみといった、多彩な料理研究家たちがとりあげられています。 こうしたテーマをあつかうときに、フェミニズムが強力な武器になることは容易に想像がつきますが、その理論はやや切れ味が鋭すぎるのではないかという懸念も抱いてしまいます。しかし本書では、何よりも料理研究家たちのパーソナリティにも触れつつ、それぞれが時代のなかでどのような役割を演じることになったのかがていねいに語られていて、理論的な枠組みに対象を無理やり押し込んだような印象がないためでしょうか。
1投稿日: 2018.04.01
powered by ブクログ過去の料理研究家たちの系譜が、女性の生き方の変化と共に説明されている。 全体としてはとてもよくまとめられているのだが、所々、著者の勇み足というか、思い込みのようなものが見受けられる。 例えば以下の様な箇所。 1.ケンタロウのから揚げのコツについて(124ページ) ”「鶏肉は一件ものすごく扱いやすそうなやさしい素材に見えるけれど、実は肉の中で最もといっていいぐらい火の通りが悪いのだ。優しい外見に惑わされると、外はいい色、中は生、というイタイ目にあう」 鶏肉をキャラクターに見立てて解説している。コンピューターゲーム世代がおとなになったこの時期、若い世代にふえた言い回しだ。” このケンタロウの文章をどう読めば、鶏肉がキャラクターになるのか。しかも『若い世代にふえた言い回しだ。』とは?特に若い世代にふえた言い回しとは思えないのだが。 2.栗ごはんについて(148ページ) ”<前略>、日本人のソウルフードである栗を使った「栗ごはん」なのである。” 一体いつから、栗が日本人のソウルフードになったのだ? それにしても、なぜか栗のレシピが多い。
0投稿日: 2017.09.27
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
この本は小林カツ代と栗原はるみにとどまらず、戦前からつい最近にいたるまでの料理研究家を論じながら、日本の既婚女性に求められてきたもの、そしてこれからの男性女性が直面する食を通した生活誌である。 まず、主婦が毎日の食事に頭を悩ませる姿というのは、割と最近できたものであるという事実にを指摘する。 冷凍・冷蔵の技術が庶民とは縁がなかった江戸以前、そして明治の頃。 多くの庶民は、旬の野菜と旬の魚を煮たり焼いたりして食べるしかなかった。 メニューに頭を悩ませるどころか、毎日同じものをほぼ食べていたのである。 数少ない大店の女性、または金回りのいい武家の女性は、自分で食事に頭を悩ませることもなく、使用人の作るご馳走を食べていた。 明治になり洋食が広まったころ、家庭で作る洋食のレシピの需要が高まった。 洋食屋に行かなくても食べられるハンバーグ、スパゲッティ、ライスカレーなど。 そしてほぼ日本オリジナルと言っていいコロッケやとんかつ。 その後中華のラーメン、餃子、焼売、酢豚などが家庭でできるメニューとなり、エスニックのフォーやトムヤムクンも、家庭で作れるようになってきている。 つまり、外食をいかに家庭料理にするかが、当初料理研究家がなしたことだった。 外食の料理が家庭料理になると今度は、いかに時間を短縮するかがキーになる。 どれだけ段取りをよくするか。 セオリーにとらわれずに手際よく。 これが小林カツ代の売りだった。 食がバラエティを競っている現在、和食洋食中華にとらわれないハイブリッドな料理を考案したのが栗原はるみ。 その後の世代ももちろん社会風潮を反映した調理法、メニューを次々発表する。 料理研究家を論ずるということは、日本の食文化を論ずることなのだ。 力強く同意したり、目からうろこが落ちたりしている間に、日本の食文化が実感できる。 これは稀有な本なのである。 特別料理好きではない私だけど、これを読んだらちょっとは料理を作りたくなった。 そうね。 里芋とエビとシメジの煮物にあんをかけたやつ。 食べたいものが作りたいもの。
3投稿日: 2017.03.07
powered by ブクログ料理番組を支えるさまざまな料理研究家について その人の環境や時代背景を下に どのような料理を作っているか 紐解いていく一冊。 どの料理家も みんなが幸せになれる料理を クリエイティブに 豊かに 表現していて 面白かった。
0投稿日: 2016.08.20
powered by ブクログ2014年1月に小林カツ代さんが亡くなって約1年後に出た本である。結婚して初めて料理本なる物を見、真面目に料理に取り組んでいたのは子育て期の80年代と90年代だ。その時のビッグネームはこの本の題名のとおり、小林カツ代と栗原はるみか。戦後、料理研究家と言われた人たちの生き様とその料理の特徴をその活躍した時代とともに語った本。小林カツ代は常識をくつがえす時短料理の革命としてとりあげられている。 料理の内容から、本格派、創作派、ハレとケの4つにグループ分けして語る。小林カツ代はケの創作派、栗原はるみは創作派、西洋料理の本格派は飯田深雪や江上トミ、土井勝など。80年代は図書館でたくさんの料理本を見た。この本には取り上げられていないがさらに優雅な藤野真紀子、お菓子の今田美奈子もなつかしい。
0投稿日: 2016.07.09
powered by ブクログ斜め読みだが、料理の歴史がわかって良かった。小林カツ代の革命性に感動。ケンタロウが一番好き。回復して欲しい。
0投稿日: 2016.06.15
powered by ブクログ小林カツ代と栗原はるみ、どっちが優れた料理研究家か勝負!…の本、かなと思っていたけど、やはり違った。 二人だけでなく、料理研究家たちの足跡を偲ぶ(なんて言ったら悪いか)ものであった。 小林カツ代は時短メニューを考案し、「これでいいのか」と思わせた。栗原はるみは自宅で再現できる憧れのレシピを提唱し、「こんなことができるのか」と思わせた。 僕のスタンスは小林カツ代に近い。家庭料理って家庭があってのものだから。 でも一方で、小林は自らを主婦ではなく料理研究家と名乗り、栗原は主婦だと言い続けた。二人の息子はそれぞれ料理研究家としての道を歩み、やはり僕はケンタロウのほうが、なんつうか、粗にして野だが卑ではない感じが好みに合う。 けれど、小林親子はふたりとも料理界から去ってしまった。まあ、でも土井善晴の真面目さが、結局のところ一番好きだったりして、と改めて思った。 料理研究家自身のことを知っていたほうがより楽しく読めるだろうけれど、そうでなくても、その時代の「家庭」が「主婦」に何を求めてきたか、また「主婦」が料理にどのぐらいの重みをかけようとしていたか、そして「主婦」が女性ばかりでなくてもいいのだろう、と社会が気づいてきたか、というように読んでいけば極めて面白い。 僕は親に料理を教わらなかったから、結局のところ、僕の料理の先生はこの本に出てくる人たちだった。ふと気づいたが、いっときよく見ていたクックパッドに全然訪れなくなっていた。料理にもコンテクストが必要だからかな、なんて思った。それをファッション、という単語に置き換える人もいるかもしれない。ああそんな面倒なこと考えずに、美味しいご飯をつくって家族を喜ばせてあげたいなあ。
0投稿日: 2016.04.06
powered by ブクログ料理研究家を振り返ってみれば、その時々の女性の立ち位置が見えてくる。小林カツ代は働く女性に寄り添い、時短テクニックを披露しつつもどこか「母親の味」の印象。実家のキッチンにあったのが彼女のレシピ本だったからだろうか。栗原はるみのベストセラー「ごちそうさまが、ききたくて。」などは私も持っているし、母の味に「洗礼された感」を加えたメニューは何度も作った。栗原はるみは「カリスマ主婦」となり、「それなりにオシャレな食生活」だけではなく「それなりにオシャレな生活スタイル」を提唱した。2名は違うアプローチで女性を料理の重圧から解放してくれたのだろう。だが、私が日々、愛用しているレシピ本の著者は、男性の「ケンタロウ」というのは、なんだか皮肉だ
0投稿日: 2016.02.03
powered by ブクログ小林カツ代さんはすごい人だったんだなぁ。 働く女性に寄り添ったレシピは革命だった。 家族みんなが食を大切にするようにとの思い。 今日もカツ代レシピが我が家の食卓に生きてます。 http://zazamusi.blog103.fc2.com/blog-entry-1199.html
2投稿日: 2016.01.17
powered by ブクログある著名な料理研究家が生み出されるには、その時代々々の特別な背景(主婦が求める料理、需要)があることが分かった。主婦論としても面白かった。 ●料理研究家を語ることは、時代を語ることである。彼女・彼たちが象徴している家庭の世界は,社会とは一見関係がないように思われるかもしれないが、家庭の現実も理想も時代の価値観とリンクしており、食卓にのぼるものは社会を反映する。それゆえ、本書は料理研究家の歴史であると同時に、暮らしの変化を描き出す現代史でもある。 ●有元の幼少期は、町にも農村の面影が残り、自然に寄り添う暮らしが当たり前だった最後の時代だ。そして、両親の文化的、経済的豊かさを吸収したベースがあるからこそ、時代の先を行く提案ができた。流行を牽引する人の背景には必ず豊かさがある。 ●料理研究家のスタイルを決める原点には、必ず育った環境がある。元奉公人に「忘れられない」と言われる母のそうめんは、つゆに使う出汁の「かつお節はぎゅっとしぼって」味を出すことがコツだった。カツ代レシピでかつお節の出汁を絞ることは定番である。 ●1994年8月26日、小林カツ代は料理研究家として初めて『料理の鉄人』に出演した。じゃがいも料理がテーマの回で、小林はじゃがいもとエビの炊込みご飯、肉じゃがなど7品をつくり、鉄人の陳健一に見事勝利、一躍時の人となった。 ●彼女が挑んだ常識は、料理メディアが主婦の教科書になった高度成長期に定着したものだ。明治生まれの江上トミや飯田深雪が現役で、大正生まれの城戸崎愛や入江麻木が活躍したころ。先行世代は、西洋から輸入した料理を翻訳して紹介した。しかし、昭和生まれの小林は、本格的な西洋料理も和食も食べて育った。文化的な蓄積があるからこそ、新しい発想を持ち込むことができたし、それゆえに批判もされたのである。 ●それにしても、料理研究家の離婚は多い。売れっ子になる代償として、仕方ないことなのだろうか。それとも、家族に向けられていた愛情やつくられた料理が、他人に向かう不満が夫の中で大きくなるのだろうか。家庭料理はもともと家族と日々をわかち合う中にある。より多くの家族を幸せにしようと、その技術を公開することで足元の生活が揺らぐとすれば、皮肉な仕事だ。 ●プロの世界で修行した善晴は、物事を突き詰めて考える性格もあり、外で食べる料理と家庭料理は何が違うか、おいしくつくるためには何が必要なのかを論理立ててわかりやすく仮設する。外食・中食といったプロの味を基準にする女性がふえた平成の事情を反映し、家庭料理ならではの魅力を伝えようと腐心する。
1投稿日: 2015.12.06
powered by ブクログ料理研究家の評論だけでなく、専業主婦論、女性論としても面白かった。 結婚した当時小林カツ代さんの料理本と首っ引きで、夕飯を作ったのは懐かしい。
0投稿日: 2015.11.11
powered by ブクログ各国の料理が日本にいても食べられて、コンビニ弁当やスーパーのお惣菜で日々食べつなげられて、安く飲み食いできるガード下のお店なんかもあり、本当に便利な時代に生きているわけだけれど、それが果たして幸せなことなのかと考えてしまう。 色々な時代変遷の中で、家族の食を守ってきた女性たちの姿や、それを手助けする料理研究家たちの歴史は、とにかく興味深かった。 もっとちゃんと料理しようと思わされる。
0投稿日: 2015.11.09
powered by ブクログ半分、業界ゴシップ誌のような感覚で読んでしまった。 しかし小林カツ代はやはり偉大だと感じた。以前読んだ本では、それぞれの家事にかかる時間を実際にタイマーで計ってみる、というのがあった。彼女もまたライフハックの先駆者だった。
0投稿日: 2015.11.07
powered by ブクログ料理研究家の歴史を辿ることで、女性史・生活史も辿ることができる。当たり前のことなのだけれど、どんな現象にも理由がある、求められるものが表に引き出されてくるのだと腑に落ちる。 食べること、料理すること、じっくり向き合おう、と思った。
0投稿日: 2015.10.30
powered by ブクログ非常に面白い。 料理研究家の変遷とその背景が、女性の社会進出とともに端的に書かれている。 登場人物については深掘りしつつ、さらっと書いてあるが、膨大な資料からの分析が気持ちいい。 惜しむらくは参考文献が書かれていないことだろう。 なお、サブタイトルが主であり、女性二人の名前はアイキャッチ的な意味合いである。
0投稿日: 2015.10.27
powered by ブクログ書籍・雑誌に出版年が入っているのが親切です。家庭料理と女性の置かれた立ち位置は切り離せないということで、料理研究家と女性の歴史といったところです。女性誌の話題で、整理整頓や家計簿ネタ(節約)なんかへブレないのは、できそうでできないと思います。
0投稿日: 2015.10.19
powered by ブクログ人気の料理家さんたちの、そこに至るまでの背景が面白い。背景を知ると、もっとその料理家さんが好きになった。料理自体にも、より興味がわいた。もっともっといろんなレシピを知りたいし、作りたくなった。
0投稿日: 2015.10.04
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
まず難点を書いておく。この本は「小林かつよ」と「栗原はるみ」の2名について「だけ」書かれたものではない。時期ごとに活躍した「料理評論家」を通じて、戦後すぐから現代に至るまでの日本の家庭における食生活を評論分析したものである。古くは江上トミ・城戸崎愛らから、コウケンテツ・高山なおみに至るまで様々な料理研究家がこの本には登場する。 タイトルがミスリードを誘っている。この2名の料理研究家を対比し、さらには各々の息子と「男子ご飯」という番組の結びつきを盛り込んでいけば、それだけで十分読み応えのあるテーマとなりうる(実際この本でもそのあたりに触れている部分非常に面白い)だけに、このミスリードはとっても残念である。絶賛したい割に満点でないのはそこを指す。そこを差し引けば、非常に面白い切り口の評論だと思うのだけども。 日本経済はもはや、かつてのように男のみが働くことでは成り立たない。女性の社会進出が必要だなどという言葉すら旧時代的であると思う。性差だけでなく若者がバイトに行くことも、定年延長も含めて、働けるものは皆、経済をまわすために社会に貢献することがもはや大前提となっている。雇用形態・賃金格差の問題はここでは置くし、良し悪しを論ずるものでもないが。 当然、家事だけをするために労働力を家に囲っておくなどという贅沢は、よほど裕福でないとできないわけである。「専業主婦」という存在がレアになるのは当然である。 では家事は誰がするのか?「妻がいないと飯も食えない」という男贅沢な時代は終わっている。得意苦手は言ってられない。男であれ、息子娘であれ、炊事洗濯掃除等、最低限の家事は自分でできるのが大前提となった時代がやってきているのである。家事メンやイクメンなどもすぐ死語になるだろう。 仕事に関わる専門知識技術や、学生であれば学力なんかは無論のこと、プレゼンや人脈やゴルフや接待や、そんなものだけでなく、国民全員が家事・育児・介護などの「生活力」というスキルをあげていかないと生き残れない時代なのだと思う。 この本に直接的にそんな内容が書かれているわけではないが、読んでいて切実にそう思った。その当たり前だけど結構厳しい現実に気付かせてくれるだけでも、この本は名著だと思う。
0投稿日: 2015.10.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
料理が好きで、栗原はるみが好きで、料理教室が好きな私なので、新聞広告で見かけたときは興奮しました。。 本書は戦後から始まる料理研究家の活躍の歴史をたどりながら、昭和・平成の日本の食文化や女性を取り巻く社会情勢の移り変わりを分析した本です。 面白かった! その時代に活躍した料理研究家を知ることで当時のくらしや価値観が見えてくるってさすが生活史研究家!着眼点がとてもいいです。 日本は戦前までかまどで煮炊きしたご飯が食卓にあがり、そこにメニューの工夫はなく、手に入る食材で毎日ほぼ同じものを食べていた。 それが高度成長期にはいり、専業主婦という地位が確立し、囲炉裏ではなくキッチンが設けられ、はじめて主婦が、同じ料理を出すわけにはいかないとレパートリーに悩み始める。 その後、働く女性が増え、時短料理が求められていく。と同時に、自己実現の欲求から、料理だけでなく生活スタイルまでを提案してくれる人も求められていく。 そして現在は、料理は女性が作るものという固定概念がうすれていきました。。 とまあざっくりこんな流れ。 こうした社会に対して、料理研究家が時代の求めに応じて生まれ、女性をリードしていくのです。 江上トミからコウケンテツまで、みんなかっこいい☆
0投稿日: 2015.09.29
powered by ブクログ料理に興味を持ったのが最近のため、知っている料理研究家に限りがある。 そんな狭かった視野を一気に広げてくれたのが本書。 時代背景を踏まえた歴史解説はとても勉強になった。
0投稿日: 2015.09.27
powered by ブクログ著名な日本の料理研究家を比較しながら、メニューや調理法と時代や社会の様相とを考察した本で、なかなかの力作である。 主婦や料理研究家の誕生の説明から始まるが、それらはけっこう新しくて土井勝や江上トミからなので、本書はほとんど高度成長期以後の話しであり、昔話ではなく馴染みの人ばかりである。それも、読みやすくしている要素かもしれない。 料理人あるいは時代によって作り方がどう変わってきたかをあるメニューで比較紹介しているが、さすがに料理に造詣があり、これらの違いが味や手間などで想像できる人でないとおもしろさは半減するだろう。作者のせいではないが残念である。 日頃から料理する人、料理が好きな人にはおもしろく読めると思う。
0投稿日: 2015.09.23
powered by ブクログ料理家と人気レシピから読み解く近代女性史。スバラシイ! カツ代&栗原レシピは私の料理の基礎でもある。時短メニューとおばさん風のカツ代さんを、社会も見つめる「アーティスト」、カリスマ栗原さんを、野暮ったさが魅力の「アイドル」と看破するのはお見事。 ビーフシチューと肉じゃがのレシピを比較しながら、哲学者のごとき辰巳、徹底した美意識の有元…と的確に各料理家を分類、こちらの頭の中でも再編成とラベリングが行われてスッキリ。男性じゃなく「男子」料理家への目配りも楽しい。 あー、こんな面白い新書はほかにないわ
0投稿日: 2015.09.04
powered by ブクログ小林カツ代も栗原はるみも、とても身近な料理研究家。実家には「ごちそうさまが聞きたくて」があるし、家には「決定版 小林カツ代の毎日おかず」がある。今でもたまに参考にしているけれど、それぞれの料理研究家の背景まで考えたことがなかった。また、時代により求められる料理研究家が変化していることも知らなかった。 ビーフシチューのレシピ比較も、面白かった。 ゆっくり料理がしたくなった。
0投稿日: 2015.09.03
powered by ブクログ歴代の日本を代表する料理研究家のその時代における役割について説く。料理研究家の研究としては面白いと思う。が、主婦でもなく、なんとなく料理番組は見る方で、料理は自分で釣った魚を料理する程度の自分としては、ちょっと違和感を覚えた。料理の情報のリソースとして、料理本を買うことは少なく、テレビが主体で、たまに新聞や雑誌のレシピの切り抜きがメインだったので、料理本にどう描かれているかより、テレビでの紹介。『今日の料理』ついて触れられてはいるが、私にとって鮮明に覚えているのは、帝国ホテルの村上シェフのシャンピリアンステーキ。フライパンをむこうに傾けると自分の方に油が飛ばないとか、基本的なところから、おいしさの秘訣まで、惜しげもなく披露しているところがよかった。この前、母と話していたらやはりその番組を覚えていた。料理番組は長寿なものが多く、『3分クッキング』『チューボーですよ』『おしゃべりクッキング』など、何年やっているのか。その中で、時代がどのように変わっていったのか知りたいと思った。小林カツ代と栗原はるみがタイトルになっているのは、やはりこの二人が家庭料理に、変化をもたらしたのは事実。また、この二人は子供たちに見事に引き継がれたことも、見逃せないと思う。
0投稿日: 2015.08.25
powered by ブクログなるほど女性の権利獲得と喪失の推移なのねーと思いつつ、目線が女性に厳しい気がするんだけど何だろうか。 単純に女性の権利やらなんちゃらで不遇について書かれてい るからなのか。 あるいは私が女性に対して向ける目線が厳しいだけなのか。
0投稿日: 2015.08.13
powered by ブクログ読む前は、なぜ「小林カツ代」と「栗原はるみ」なのかと思っていた。しかし本書は戦前の“料理研究家”のはしり、入江麻木、江上トミから始まり、テレビの台頭、家電の普及、サラリーマン家庭、専業主婦の増加に合わせて変化していく家庭料理の遍歴を、それぞれの料理家のビーフシチューのレシピで比較していく。それぞれの料理家たちの故郷や家庭環境まで丹念に調べられており、論に説得力が増す。 取り上げられている料理研究家: 入江麻木、江上トミ、飯田深雪、瀬戸崎愛、有元葉子、小林カツ代・ケンタロウ、桐島洋子、栗原はるみ・栗原心平、土井勝・土井善晴、村上昭子、辰巳浜子・辰巳芳子、コウケンテツ、枝元なほみ、高山なおみ
0投稿日: 2015.08.12
powered by ブクログ小林カツ代と栗原はるみ 阿古真理著 レシピの背景にある思想の変遷 2015/7/19付日本経済新聞 朝刊 大正期に創刊された「料理の友」「主婦之友」といった雑誌の人気コンテンツはレシピだった。メディアでそれを指南する料理研究家が登場したのもこの頃だ。本書は、レシピの背景にある思想を読み解き、家庭で料理を担った「主婦」の役割の変遷と、時代ごとに様々な料理研究家が登場した必然を明らかにする。 現在への画期として、著者が重視するのが表題の2人である。女性の社会進出が進んだ1980年代に支持された小林は「時短料理」を打ち出し、「完璧でなくていい」と読者を勇気づけた。「正しい家庭料理」「本物の西洋料理」を説き、半ば主婦を抑圧した前世代へのアンチテーゼを、著者は「革命」と評する。 86年の男女雇用機会均等法施行以降に社会に出た世代のロールモデルとなったのが「カリスマ主婦」栗原だ。市販のソースもいとわず小林以上に「時短」しながら、ハーブ使いや盛りつけも工夫した創作レシピは、多忙な中でも「私らしさ」を求めた栗原自身の生活の反映でもあった。 2人の最大の「作品」は、終章で触れたケンタロウ、栗原心平という料理研究家となった息子たちかもしれない。彼らが体現するのは、自身が楽しみ、充足することが、他者をも幸せにするという思想だ。主婦を悩ませ続けた家庭料理100年の、悪くない帰結だ。(新潮新書・780円) このページを閉じる
0投稿日: 2015.07.20
powered by ブクログ題名に著名な料理研究家二人の名前を冠しているが、この二人だけではなく、日本の一般家庭における料理を牽引してきた(特に戦後)料理研究家とその背景にある女性の社会的立場の変遷、それに伴う日本の家庭の食生活の変化を著している。 料理研究家といえば、私が家庭をもち、毎日の食を作っている中で本当にいろいろな方たちのレシピ、そして料理研究家自身の人となりを参考にさせていただいてきている。 しかしそれも時代と共に変化していることがこの本を読むとわかる。戦後すぐには食材料も限られ、しかしその中で自由に献立を考えられる、また西洋へのあこがれを食生活にも反映したものが望まれた。時代と共に食材も豊かになり、メニューも豊富になると多国籍な食が現れる。 またそればかりではない。女性の立場の変化にともなってーーたとえば戦後サラリーマン化家庭の増加で核家族のなかでの専業主婦、その後女性の社会進出による共働き家族等ーー家庭の食が大きく変化していることがわかる。料理研究家はその時代その時代のニーズに合ったレシピを提供し、またあるときは自身の生き方をも表しながら、私達に「食」を提示している。 私がお世話になった多くの料理研究家の方たちの背景、日本の食文化の変化、女性の立場の変化を私自身が生きてきた時代と照らし合わせながら読むことが出来、とても興味深い一冊だ。
0投稿日: 2015.07.13
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
ハンドル名からもご察しの通り 料理が好きである。 食べるのも作るのも好きである。 そのためきょうの料理のような番組にはよくお世話になっている。 テレビの料理番組の音声が聞こえてくると その音声から利き料理研究家ができるほどである。 この本のようなことを いつかは書いてみたいと思っていた。 このような 女性の社会進出とかの視点ではなく 彼ら彼女の調理から見える価値観のようなものを書いてみたいと今でも思っている。 そんな私がこの本を読んでおもしろくないわけがない。 名だたる料理研究家も 料理を習熟しようとする努力の末に今日があるのだが それは主婦や料理研究家の初期だけではなく 実はずっと続くのである。 不断の努力によって支えられている。 一方 フランスやイタリアや中国の家庭料理をみると 範とする伝統的な調理法があり、それに近づけるという手法が多い。これは様々な外国の料理研究家の料理をみてきたから確かである。 日本は明治維新以来そして戦後さまざまな生活文化を受け入れてきて咀嚼し、自家薬籠中の物としてきた。 それはオリジナルの調理法を日本人の口に合うように勘案されてきたからである。 このとき ビジネスとして レストランや食材として提供する流れとこの本で取り上げられているような家庭での翻案や実践という二つの流れがある。 馴染みのない調理法や食材を家庭に導入するにあたり、呂理研究家の果たした役割は大きい。 このような家庭料理におえる水先案内人を数多く 排出することに日本文化の特質をみる思いがした。
3投稿日: 2015.07.07
powered by ブクログ料理研究家の人達は、豊かさに触れて育ってて、恵まれた環境だからセンスを育てられたんだと思った。それに加え、情熱という才能。
1投稿日: 2015.06.27
powered by ブクログまってました、本邦初の料理研究家論。朝ドラ「ごちそうさん」モデルはだれか(いるのかどうかとずっと疑問だったけどなんと!)を枕に、草分け・江上トミと飯田深雪から本格西洋料理の入江麻木と木戸崎愛、時代下って有元葉子、時短料理で常識を覆した(しかしきわめてまっとうな)小林カツ代、カリスマ主婦栗原はるみ、土井勝親子、辰巳浜子・芳子などの和食指導系、そして平成の男子ごはん、ケンタロウ(カツ代息子)・栗原心平(はるみ息子)・コウケンテツまで、時代や社会背景、女性の生きかたの変化まで目配りして系譜をたどった読み応えある一冊。 こどものころはじめてであった『くまのプーさんのお料理読本』、いまでも宝物にしている『赤毛のアンの手作り絵本』、雑誌『頓智』でおぼえた小林カツ代流肉じゃが、本棚に並ぶ『ごちそうさまを聞きたくて』『あなたのために いのちを支えるスープ』など、なるほどそういう流れの中で登場したのか、と興味深く読んだ。主な料理研究家の「ビーフシチュー」のレシピを比較できるのもおもしろい。 けっきょくどの料理研究家も、それぞれの時代の中でみんなが発信しているSOSを上手にキャッチして解決策を提供しようとしていたのだな。それは、食事の支度が当たり前に身についた習慣だったかつては、異国の本格料理だったり専業主婦の求める献立を日替わりにするためのアイデアだったりしたけれど、一人暮らしか結婚を機に初めて台所に立つ現代は、本格派でも創作派でもなく、パーティーやもてなしの非日常のごちそうよりもむしろ日常のお料理のハードルを下げて楽に続けるためのレシピが必要されているわけだ、とわかった。 今回は出てこなかったけれど、女優・作家の料理本やテレビの料理番組の人気者などについて、いつか続きが読めたらと思う。
0投稿日: 2015.06.18
powered by ブクログ戦後の代表的な料理研究家たちを主に時系列で(「和食指導」者たちの章は別立て)、それぞれが活躍した時代背景とともに紹介し、それぞれのスタイルと彼女たち(料理研究家は、やはりというかなんというか、ほとんど女性)が世に出た必然を語る本。 料理が一部の女性の「教養」だった時代から、冷蔵やバイオテクノロジーなどの技術や物流システムの発達で食材が豊富になり便利になった反面、多くの女性たちが毎日の献立に悩むようになった高度成長期、女性の生き方が多様化した現代まで、女性がどんなふうに毎日の料理や暮らしと向き合ってきたのかを俯瞰します。 タイトルに名前が踊る小林カツ代さんと栗原はるみさんはそれぞれ自身のことを、かたや「家庭料理のプロ」、かたや「主婦」と自任します。その思いの違いはどこにあるのか。 著者は栗原はるみさんを「女性のヒエラルキーのトップ」といいます。それはなぜか。 それぞれの料理研究家のレシピの特色を、ビーフシチューや肉じゃがで比較する、という趣向もよかったです。面白くて読み始めたら止まらない一冊でした。 著者があとがきで「料理研究家とその時代を研究」しているうちに、「女性史としての側面」が強いものになったと書いていますが、まさにその通りのイメージです。 最終章では平成の男性料理研究家も登場します。これも時代ですね。
1投稿日: 2015.06.10
powered by ブクログ着眼点が面白い。女性の生き方の移り変わりを、料理研究家の分析から考えてみる。言われてみれば、なるほどなあという目の付け所だけれど、なかなか思いつかないだろう。その時代時代で、人気のあった料理研究家にはどんな特徴があったのか、どこがうけていたのか。一人一人の背景にも踏み込み、暮らしや女性の意識の変遷との関わりで論じられている。 特に、表題にもなっている小林カツ代さんの章が読みごたえがあった。小林さんについては、さして意識していたわけではなかったけれど、なんとなく好感を抱いていた。見栄え重視ではない実質的な「おかず」を手早くおいしく作る、という小林さんの料理について、「家事をへらしたい、でも、ちゃんとつくって家族に食べさせたいというアンビバレントな気持ちを抱く主婦に処方箋を示した」と書かれていて、ああ、そこが良かったのだなと腑に落ちた。 まったく、家事、特に料理については、実に「アンビバレントな気持ちを抱」いてしまう。義務として、または愛情の名の下に押しつけられるのはごめんだ。一方で、家族においしいものをしっかり食べさせたいなあという気持ちも大いにあって、やりがいを感じる。そこにこそ喜びがあるとは思わないが、煩わしいものとしてパスしようとも思わない。宙ぶらりんな感じで気持ちの納まりどころを見つけられないけれど、ま、それは仕方ないかと思っている。 特にはっきり示されているわけではないけれど、この論考もこれまでのフェミニズム研究の流れを踏まえたものであるのは間違いない。本書ではやや批判的に言及されているが、上野千鶴子先生の功績は実に大きく、「家父長制と資本制」はやはり名著だとあらためて思った。
0投稿日: 2015.06.09
powered by ブクログ女性と社会の変遷を、料理研究家のキャラクター移り変わりから読みとくアプローチ。充分な情報量、仮説にも無理はみえない。料理研究家の特徴を饒舌に語るよりも、ビーフシチューのレシピを引用し比較する企画が効いている。100冊はあるだろう我が家のレシピ本を改めて読んで、つくって、みたくなる。 一代ブームになった高峰秀子や向田邦子を完全にスルーし、職業料理研究家にしぼったのも良かった。続編で、有名人の家庭料理をテーマに一冊書いてほしい!
0投稿日: 2015.05.27
powered by ブクログ料理研究家という職業が成立してから現在までについての概説、着眼点もタイトルもいいですね。とくに江上トミや飯田深雪といった黎明期の人が興味深かった。自分が多少なりとも知っているのは「オレンジページ」創刊以降の人たちだが、著者の評価はおおむね納得がいく。たいへん読みやすくわかりやすいのだが、活躍期が長い人たちなので、「時代」とからめて書くところがいささか牽強付会に感じるところも。「クックパッド」以降、料理研究家という職業が変質していくのかもというところもあるが、現時点のまとめとして新書一冊で書いてもらったところが、なによりいいところ。あと、個人的には、「料理研究家」というポジションでは村上祥子を絶対に外せないと思っているので、そこにはぜひ触れてもらいたかった。
0投稿日: 2015.05.27
powered by ブクログ料理についてもほとんど知らないし料理研究家と呼ばれる人たちも名前ぐらいしか知らない。でも、ここに書かれている人たちは料理研究家としても個性的だけどその時代ごとのニーズとともにあり時代の変化とともに求められるものも当然ながら変わっていく。その流れがとてもわかりやすく書かれていた。戦争で一度断絶したものや世代ごとに違う価値観や食文化が今にどう繋がっているのかというのは僕たちが生きているこの世界の変容そのものだった。欲望する世界と求めらる人たちは呼応しているんだなと思う。
0投稿日: 2015.05.19
