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エクスタシーの神学 ――キリスト教神秘主義の扉をひらく
エクスタシーの神学 ――キリスト教神秘主義の扉をひらく
菊地章太/筑摩書房
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総合評価

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  • 入門書にはぴったり!

    キリスト教神秘体験をわかりやすく書いてある。普通、神秘主義者の本を読む時は、キリスト教をよく知らないとわからないことが多くある。でも、この本は言葉もわかりやすいし、キリスト教を全然知らない人でもよく読める。神秘体験を哲学、心理学、精神医学からもとらえて描いてあって、こんなに簡潔にしかも深く書いた本は自分が読んだ本の中ではなかった。入門者には、お勧めの一冊。

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    投稿日: 2017.06.28
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    エクスタシーという言葉は、今ではセックスと麻薬ぐらいにしか使われない。それを神学にあてはめるという神をも恐れぬ暴挙…ではない。だって神とつながり、自分の外に立つことがエクスタシーなのだから。 僕らがよく知るザビエルの肖像画。それはエクスタシーの画である、そうだ。そう見えてくる。 聖なるものと性なるものはとけあうのだ。同じなんだ。 もっとも美しいエクスタシーはほとんど必然的に宗教的な形態をとる、というとピンと来ないかもしれないが、宗教が生の躍動をもたらし、その帰結であると考えれば極めて自然だ。 けれどエクスタシーを個々でバンバン感じられては教会も商売上がったり、なわけだ。そうしてエクスタシー、というか神秘主義はときに弾圧される。なんたる不自由。キリスト教は理性と感情のはざまを揺れ動く振り子のようだ、という。 現代日本でなら、そんなふうに気楽にもいえるが、しかしヨーロッパというのはそういうものでできているわけだ。 遠い、遠いなあ。

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    投稿日: 2016.05.10
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     宗教改革以後、聖女となる修道女を、彼女たちを描いた彫刻や絵画をもとに、その恍惚のありようを読み解く。さらに、精神分析黎明時の同様の恍惚感を示す女性まで、同じような冷静な分析で読み解いてゆく。

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    投稿日: 2015.03.04