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日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか
日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか
竹内整一/筑摩書房
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総合評価

25件)
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    さらば/さようなら=然(さ)あらば/さようであるならば (A)-さようであるならば[ということなら]-(B) 生の終了(A)-ということなら[さようなら]-死(B) 兼好ニキ 徒然草 生というのがあって、その生が終わってその向こうに死があるというのではない 春のうちにすでに夏が始まっているように、生のうちにすでに死は始まっている ゆえに、「つれづれ」っちゅー生き方 すなわち、“今”やりたいことをやる 未来の目標/目的のために“今”をそれを叶えるための手段として消化しちゃう(ひいては後世での安楽のためにこの世の生を捧げちゃう)んじゃなく、今やることがそのまま目的になってる=今日を今日として楽しむ サヨナラ=“そうならなければならないなら”…? どき!はー!おしゃれ!これにしよう! 森鴎外と娘茉莉さんの話やべぇ!パパァ!えーん

    0
    投稿日: 2026.03.22
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    このレビューはネタバレを含みます。

    「さようなら」は、もともとは「さようであるならば」という接続詞。 一人称の死は、死後自分はどこに行くのだろうという自己中心的な恐怖になるが、 二人称の死では、亡くなった大切なひとは自分の中にいることに気づく。自分があの世。 死とは無になることではなく、自分が生きていた世界はそこにあり続けるけれど、自分はその世界とはお別れしていくということ。 死ぬことは何よりもかなしいことだけれど、そうならなければならないのなら、そのかなしみをしっかりとかなしむ先に安心がある。 「この世をば どりゃおいとまに せん香の 煙とともに 灰左様なら」

    0
    投稿日: 2025.09.07
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    古文、例文が多すぎて所々飛ばして読んだ。 good-bye→God be with you(神と共にあらんことを) さようなら→さらば。そうであるならば。そうでなければならないなら。 表現の元をたどっていくと、死生観に行き着くのも面白いと思った。 「東洋風な諦念の美」として賞賛される一方で、「浅薄なニヒリズム」だと批判もあるようだが、過去にけじめをつけて無常を受け入れる言葉、私は美しいと感じた。

    0
    投稿日: 2025.08.20
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    第92回ビブリオバトルinいこま「三冊屋」で紹介された本です。 2022.6.26 ①『さよなら俺たち』清田隆之 ②『貴様いつまで女子でいるんだ問題』ジェーン・スー ③『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』竹内整一

    0
    投稿日: 2024.09.21
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    とにかく読みにくい。レトリックの要素をもっと減らして、もっとロジックに寄せて書いてほしい…と思ってしまった。

    1
    投稿日: 2024.04.30
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    テーマが面白い!と思って手に取ったが、小難しいことがいっぱい書いてあった。別れの挨拶は世界的にも3つに分類(①良い別れ系②再会系③神のご加護を系)されるらしいが、「さようなら」はどれにも当てはまらず、この独特の別れ方から、日本人独自といえる文化を見つけだそうとする試み。「そうならざるえないならば」という諦観と、受入れる心、文章や会議の最後に「以上です。」と付け加える風習との類似性から探っている。面白いが小難しい。

    1
    投稿日: 2019.07.24
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    昔「さよならは別れの言葉じゃなくて~♪再び逢うまでの遠い約束~♪」という歌があったけど、やっぱりさよならは別れの言葉なんだなあ、と思った。「再び会う」期待や祈りは込められていない。花は散る、人は死ぬ、諸行無常。「さらば」「さようであるならば」さようなら、なのだろう。いろんな人の死生観なども語られているが、特に十返舎一九の辞世の句、志賀直哉や吉田兼好が印象に残っている。

    1
    投稿日: 2018.03.15
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    求めていることに、応えてくれる一冊でしたー。 繰り返しの部分が少し目立つけど、読みやすい。 「さようなら」と「goodbye」の違いって。 「さらば」(それならば)に含まれた意味って、何なんだろうと思っていました。 そこから、やはり死生観に入っていくのね。 西田幾多郎、九鬼周造、柳田邦男から古典文学まで幅広い引用もあり。 死とは、不可避の状態である。 自分にとっては経験のない非日常だけれど、あらゆる物事にとっては当然そう在るものだとも言える。 そうした「自然」自ずから成り行くことを、「あきらめをもって受け入れる」態度。覚悟。 互いの別れを「いざ」「ならば今」と受け入れることで、見送る方も見送られる方も、心にケジメが付くということのようだ。 面白いのは、日本では死者が彼岸と此岸を行き交っているというイメージ、風習があること。 確かに、死んでも案外と身近な場所にいるのかもしれない、という思いは、死への恐怖心を和らげるのかもしれない。 「おのずから」と「みずから」の違いにも言及し、そこに日本人の諦念、悪く言い換えれば無責任さを見出す。 ここから、「る、らる」つまり「受身、可能、自発、尊敬」という多様な意味を持つ助動詞にまで触れて、ワクワクする。 中古では「ゆ、らゆ」であり、「尊敬」の意味はまだ付加されず、「自発」の意味を軸とした動詞がその後も残っていく。 おのずからそう感じられるという自発の姿勢は、栄枯盛衰、様々な推移に対して「まあ、人生ってそういうものだよね、仕方ない」と言ってしまう感覚のルーツなのだろうな。 「もの」と「こと」の違いについて、また運命については引用。 「『もの』的世界とは、原理的・法則的・普遍的な、発語者の力ではどうにもならない、不動なもの、運命的なものを表しており、われわれは、そうしたものを過剰ともいえるかたちで表現し、それにしたがってきたという指摘」 「つまり、この世の普遍的・集団的な論理・原理にしたがうときには『もの』という言い方をし、その時その場での、一回的な出来事については『こと』という言い方をしているのだ、という指摘」 「運命とはそうしたものであるがゆえに、それにただ巻き込まれ翻弄されるべきものではなく、それをそれとしてあらためて認め、受けとりなおすところに、真に運命となりうる」 「詩のもっている、押韻、リズム、畳句(リフレイン)といった技術は、すべてその『現在の今』を繰り返し反復するということにおいて、そこに『永遠の今』を顕現させうるものだと九鬼は考えています。 韻と韻とが重ねて踏まれることは、われわれの偶然性としての出会いが重ねて反復されることの象徴です。」

    7
    投稿日: 2018.02.18
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    一般に世界の別れ言葉は、「神の身許によくあれかし」(Goodbye)か、「また会いましょう」(See you again)か、「お元気で」(Farewell)のどれかである。なぜ、日本人は「さようなら」と言って別れるのだろうか。語源である接続詞「さらば(そうであるならば)」にまで遡り、また「そうならなければならないならば」という解釈もあわせて検証しながら、別れ言葉「さようなら」にこめてきた日本人の別れの精神史を探究する。

    0
    投稿日: 2016.02.24
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     世界の別れ言葉は、一般的に、「Good-bye、Adieu(=神があなたとともにあらんことを祈る)」、「See you again、再見(=再び会おう)」、「Farewell、安寧ヒ ゲセヨ(=お元気で、安らかに)」の3つに大別できるが、日本語の別れ言葉「さようなら」はどれにも当たらない。「さようなら」は、「さらば」あるいは「しからば」という言葉で、もともとは「そうであるならば」という接続詞なのだ。ではなぜ、日本人は別れ際に「そうであるならば」と言うのか。そして、この別れ方が一般的ではないなら、それは日本人のどのような世界観を映し出すものなのか。  この問題を、とりわけ死生観の次元で検証したのが本書だ。「サヨナラダケガ人生ダ」とうそぶく日本人の持つ無常観の源泉を探りながら、その精神史を別れ言葉によって探求した一冊。

    0
    投稿日: 2015.11.26
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    「さようなら」とは不思議な言葉だ。 左様なら、なんなのか。ずっと疑問に思っていた。 これが別れの挨拶として、定着するに至るまでどのような経緯があったのか、それを考えるヒントにこの本はなる、と思う。 かつて文章の中で、文学の中で、この言葉がどのように使われてきたか、ということはよく研究してある。 美しい言葉である。「さようなら」。 この言葉によって日本人の精神性がわかるか?答えはNOだ。 挨拶はどのような場面で使われるか、それがどのような心持ちであるか、は、自由であるから。 ゆえにこの本ももう少し違うアプローチなら、よりよかった。 内容は大変興味深いので一読の価値はある。

    0
    投稿日: 2015.06.12
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    数年ぶりに再読。タイトルだけで買った記憶があるけど、きらいじゃない感じ。きちんと理解してない部分もあるけど、個人的には「もの」「こと」のあたりが特に興味深かった。

    0
    投稿日: 2013.12.26
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    図書館で出会ったが、いつか買って手元に置きたい。 「今」に含まれるもの、「みずから」と「おのずから」 この二点が個人的に発見だった。 「自然・自然な」が英語ではnature, naturalで、同じく"自然"を使うことに面白さを感じた事があるが、"自然"の捉え方、視線の違いまでには思い及ばなかったため。 古典の引用が多いのも、勉強になりました。

    0
    投稿日: 2013.09.07
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    東大倫理思想のペリカン文化人は眉唾本が多いが、本書は、さようならという言葉を巡って、日本人の精神のありようを少しづつ浮き彫りにしていく。その思索の様は、特に文学作品の豊富な引用とあいまってなかなか説得力もある。日本人の「哲学」とは本来かくあるべきという良いお手本ではないかと感じる。

    0
    投稿日: 2013.06.23
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    先行の事柄が「そうであるならば」 不可避の定めによって「そうならなければならないならば」 「さようなら」という言葉自体には過剰な希望も悲哀もないけれど、それを口に出すためには事実を事実として認めつつも胸の内に押さえる覚悟が必要だ。そしていくらかの諦念も。本書を手に取ったときはまさか死生観の話になるとは思っていなかったが、日本人の時間に対する考え方やものごとの移り変わりを見つめるまなざしが、多様な文献によって浮かび上がってきて興味深かった。

    1
    投稿日: 2013.05.30
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    このレビューはネタバレを含みます。

           -20090325 アメリカ人の女性飛行家A.リンドバーグを「これまでに耳にした別れの言葉のうちで、このように美しい言葉をわたしは知らない」と言わしめた別れの言葉-「さよなら」の持つ人間的な温かみと人知を超える厳しさ、そして生と死の「あわい」で揺れるその両義性‥。  心の際-こころのきわ  -2009.04.13記 この「さよなら」が、「さようであるならば」か、はたまた「そうならなければならないならば」のいずれに偏るものか、その判別も下しかねるが、ただおのれ一身の「心の際」-器量のこととして受けとめずばなるまい。 いまはただ、本書の中で採られていた、浄土真宗の僧であった金子大栄-1881~1976-が「色即是空、空即是色」を意訳したもの、とされる詞を書き留めておく。 「花びらは散る 花は散らない」

    0
    投稿日: 2013.03.29
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    「サヨナラ」は言いすぎもしなければ、言い足りなくもない。それは事実をあるがままに受け入れている。人生の理解のすべてがその四音のうちにこもっている。ひそかにくすぶっているものを含めて、すべての感情がそうちに埋め火のようにこもっているが、それ自体は何も語らない。

    0
    投稿日: 2012.10.11
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    「さようなら」という言葉には,幾許かの諦めのような認識(そういうことならば)が感じられる一方で,どうにもならない事柄に対する厳しい覚悟(そうならなければならないのならば)も感じられる.このふたつのバランスが微妙に絡み合いながら成立している素晴らしい言葉であるということ,そしてこの言葉にかつての日本人が込めてきた思いはとても切ないものであったということをこの本は示してくれている. 幾らかの感傷が含まれているのを承知で言えば,井伏鱒二の「さよならだけが人生だ」という言葉の素晴らしさを改めて認識させられた.

    0
    投稿日: 2012.07.21
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    このレビューはネタバレを含みます。

    タイトルに引かれて読んだんだけど、妙に前に読んだ本や考えてたこととリンクしていて“縁”だなあ、と思いながら読んだ。内容は、「さようなら」の語源かと思いきや、日本人の「死生観」について、あるいは日本人の人生や世界のとらえ方について、であった。内容はともかく書きぶりが冗長で読みにくいと思ったら、東京大学での講義を元にしたもの、ということで納得。読む進むにつれて、かなりダイナミックに展開して面白かった。私が大事にしている心のありように「あきらめつつ、あきらめない」というものがあるんだけど、これについて大変上手く説明がされていて、素晴らしいと思いました。そして、講義なので多くの古典や名著が紹介されていて、読むべき本は限りがないなあ、と呆然とした気持ちにもなってしまいました。新書はこういう解説として大変よいんだけど、新書ばっかり読んでると原典のまわりをグルグルまわるばかりで物事の核心に迫っている感じがしない。「葉隠」と「歎異抄」はやっぱりちゃんと読んでおいた方がよいようだ。 .

    0
    投稿日: 2011.12.03
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    とてもいい本だったと思う 読みやすくもあった 日常のさようならの意味よりは死別としてのさようならがメインテーマであり 図らずも 日本人の死生観について考えるのにとてもよい本に出あえよかった そしてこの本を読み終わってからだと 高見順の「さようなら」に身に迫るようリアリティを感じる この美しい言葉「さようなら」を大切にしようと思うようになった 決して明るいテーマではないが、鬱々とすることもなくさっぱり読めた 読んでよかったと思っている

    0
    投稿日: 2011.11.14
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    どうでもいい話をえんえんと説明してくれる。タイトルを見ずにまとめ買いした一冊。しかし、なかなかエキサイティングな本だったのでびっくりしたことを思い出す。 「左様なら」というのは日本だけらしい。ラリー・エリソンが「サヨナラ号」を持っていたことも思い出した。

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    投稿日: 2011.03.01
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    [ 内容 ] 一般に世界の別れ言葉は、「神の身許によくあれかし」(Goodbye)か、「また会いましょう」(See you again)か、「お元気で」(Farewell)のどれかである。 なぜ、日本人は「さようなら」と言って別れるのだろうか。 語源である接続詞「さらば(そうであるならば)」にまで遡り、また「そうならなければならないならば」という解釈もあわせて検証しながら、別れ言葉「さようなら」にこめてきた日本人の別れの精神史を探究する。 [ 目次 ] 第1章 「さらば」「さようなら」という言葉の歴史 第2章 死の臨床と死生観 第3章 日本人の死生観における「今日」の生と「明日」の死 第4章 「いまは」の思想 第5章 不可避としての「さようなら」―「そうならなければならないならば」 第6章 「さようなら」と「あきらめ」と「かなしみ」 第7章 出会いと別れの形而上学 第8章 「さようなら」としての死 [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]

    0
    投稿日: 2010.08.29
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    はじめに 第1章 「さらば」「さようなら」という言葉の歴史 第2章 死の臨床と死生観 第3章 日本人の死生観における「今日」の生と「明日」の死 第4章 「いまは」の思想 第5章 不可避としての「さようなら」 第6章 「さようなら」と「あきらめ」と「かなしみ」 第7章 出会いと別れの形而上学 第8章 「さようなら」としての死 あとがき 引用文献・参考文献 (目次より)

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    投稿日: 2010.02.06
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    別れを惜しむでもなく、再会を願うでもなく、ただ”さようなら”と言う。 そうでなければならないのならば。 潔い言葉です。

    0
    投稿日: 2009.04.30
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    普段、あまり新書を読まない私ですが。 本屋で立ち読みしたら、前書きにやられてしまいました。 日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか (ちくま新書) (新書) 竹内 整一 (著) その前書きを紹介引用いたします。 ―阿久悠の「ぼくのさよなら史」の中の一文を引用して  「人間はたぶん、さよなら史がどれくらいぶ厚いかによって、いい人生かきまる」  なるほど、だから 沢田研二の歌に「さよなら」とか「さらば」という言葉を多様したのだな。 この本、なかなか上手いからめ方をしながら本質をついてくる。 全てねたはばらしませんが、注目点をいくつか紹介します。  「さらば」「さよばら」とは、本来「然あらば」「さようであるならば」と接続語である  前の事象から次の新しい事象を案じさせる言葉である  「さよなら」自体は日常使われなくなってきたが 「それでは」「では」「じゃあ」「ほな」  東北弁だと「せば」「だば」も接続詞である この言葉の使い方は日本独特の文化である。 さよならの起原  「さらばいかはせん。難きものなり共仰せごとに従ひて求めにまからん」(竹取ものがたり)    「さらばよと別れしときにいはませば我も涙におほぼれなし」(伊勢後撰和歌集) 時代は進んで  「世を背きぬべき身なめりなど、言ひおどして、さらば今日こそはかぎりなめりと(源氏物語)  「氏既に寺内に討ち入れたれば、紛れて御出あるべき方もなし、さらば、よし自害せんと思し召して、(太平記) と出家や自害と死に近づいてくる と日本の古典を並べて「さよなら」の変遷を説いていく かと思えば、死生観を題材に柳田 邦夫 そして「百万回いきた猫」に色即是空を想起し かと思えば、中原、中也を持ち出す。  なかなか面白い構成でした。新書にしては久々におもしろかったです。 

    0
    投稿日: 2009.04.20