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SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと
SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと
チャールズ・ユウ、円城塔/早川書房
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総合評価

40件)
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2
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    このレビューはネタバレを含みます。

    難解。 数学的、理念的な説明が多くてストーリーが進んでいかない。それもそのはず、タイムループで時間が進んでいなかったというオチなのだから。家族、特に父親への思慕なのか、同情なのか、憐憫なのか

    0
    投稿日: 2024.09.18
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    このレビューはネタバレを含みます。

    「SF的な宇宙」と言ってしまっている時点で、SFではない可能性を孕んでしまっている、自己矛盾。 それを感じつつも、現実にこの本を書いているチャールズ・ユウと、この本の中で『SF的な宇宙で安全に~』を書いているチャールズ・ユウと、……という入れ子構造は、そもそもタイムトラベルとは入れ子構造的ではないか、という疑念を抱かせる。 それはつまり、ガレージで発見した、「あらゆるものはタイムマシン」ということなのであって。 だからこれは、引きこもりの男が家族と、そして社会と和解するための、家族小説となるのだ。

    0
    投稿日: 2024.04.05
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    なんかインターステラーみたいな。クリストファー・ノーランの映画的な難しさがあって読むのに思ったより時間がかかってしまったな… 作者はコロンビア大学のロースクールで法学博士号を取った方のようなので、そういう博識な人が書いた文章って感じですね、ええ。

    0
    投稿日: 2024.03.09
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    読んでいて気持ちがよかったな……あたたかな読後感 著者のチャールズ・ユウって、本当にいるの?と正直しばらく疑っていたが、調べてみたら「ウエストワールド」の脚本家だった!

    1
    投稿日: 2022.06.06
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    煩わしさから逃避して時制から逃避してそれで良いと思ってたけどループの中に閉じ込められてそう遠くない未来の自分からメッセージを受けとる。過去は変えられない。繰り返すたび記憶がなくなることは幸か不幸か ちなみに、本の内容ではないけど、久しぶりに紙で本を読みました。電子よりも世界に入れる気がしてよかった。

    0
    投稿日: 2021.01.04
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    円城塔の翻訳が綴るタイムトラベルもののSF純文学。メタフィクショナルで概念的な世界観は難解に映るものの、文体の軽妙さのおかげかまるで苦痛に感じない。特に翻訳者との親和性は抜群の一言。ウィットに富んだ比喩表現やプログラムとの掛け合い、自己語りなどは『ライ麦畑でつかまえて』のように軽妙洒脱で、非常にスマートで美しい文章だった。帯にある自分殺しのパラドックスが起こるのは中盤からで、やや遅めに感じるかもしれないが、序盤部分でじっくりと語られた主人公の生活や家族との思い出こそが本筋であり、パラドックスのアクシデントそのものは物語の一要素に過ぎない。難解な用語と世界観の把握が困難を極めるものの、一冊の本のような人生と家族の物語ということから逆算すれば、それらのメタな装飾もすんなりと理解できる。結末はやや安直で手垢のついた言葉のように映るものの、力強さのある言葉だった。ヒーローでも何でもない、ぼっちで、家族に取り残された主人公の放つ言葉だからこそ人間的な説得力に満ち溢れているのかもしれない。

    1
    投稿日: 2019.05.27
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    よくわからない文章に、イラつく心を「バーナード嬢曰く」のセリフで、なだめすかしながら、なんとか読了。でも前述のセリフはグレッグ・イーガンに対してのもので、たいへん好ましいものだったが、今作のわからなさは非常に不愉快な部類のものに感じ、久しくなかったのだが、購読を後悔する結果に。苦手だわ、これ。

    0
    投稿日: 2018.12.25
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    タイムマシン青春小説。 主人公の表現を「僕」にするから青春小説になるのか、そうじゃなくてもそうなのか。 なるかな。 そんなにたいした作品でもない。 無限ループとか、複数の自分とか、父と息子とか、コンピューターとのつきあいとか、メタとか、そんなこんな。 読んでも読まなくても。

    0
    投稿日: 2018.11.14
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    タイムトラベルの技術が確立され、現実の外にサイエンスフィクション的な宇宙を構成して暮らすことのできる時代。タイムマシン修理工のぼくは、ある日未来の自分を銃で撃ってしまい、タイムパラドックスに陥ってしまう。時間の繰返しに巻き込まれたぼくは、失踪した父を見つけられるのか。 物理学の素養があると、専門用語が面白おかしく使われているので読んでいてもっと楽しめるだろう。話の大筋としてはありふれている。普通。

    0
    投稿日: 2017.02.19
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    自分で未来の自分を殺す最悪のパラドックス。 抜け出すには、過去を受け入れること。そんなありきたりの答えは、だからこそ、破壊力がある。 途中かなりメタフィクション的な実験があちこちにあったけど、終わってみればとても美しい家族小説。 この本が、『SF的な宇宙で安全に暮らすということ』とは、なんと皮肉なタイトルだろう。 安全な宇宙から出て身近な人を愛することが出来るのかという問いは、最近読んだディックのヴァリス三部作にも通じるような気がした。

    0
    投稿日: 2017.02.07
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    円城塔先生翻訳ということで読んでみたのだけど、翻訳っていうかまんま円城塔で、いやこれ本人でしょと思いながら読了。気になって調べてみたら作家のチャールズ・ユウ実在してた。 ユーモラスなSFでありながら哲学的で素晴らしかった。チャールズ・ユウは他にも書いてるみたいなので翻訳求ム。あと、円城塔先生の翻訳も他にあるみたいなので読もう。

    0
    投稿日: 2016.12.11
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    タイムマシンの修理とサポートの技術者である主人公は、個人用のタイムマシーンで長年時間のはざまを漂っている。母は同じ時間をくり返していて、タイムマシーンを開発していた父はどこかの時間に行方不明だ。あるとき未来の自分を見た主人公は、思わず自分を撃ってしまう。 最悪の時間のループを抜け出せるか? SFちゃあSFなんだろうけど、成長記でもあり親子の物語りでもある・・・らしい。 思っていたような話とは大分違っていたのは事実。 結局よくわからないまま、読み終えてしまった。

    0
    投稿日: 2016.10.16
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    書評的な宇宙で無批判に暮らすっていうこと  チャールズ・ユーなんて知らない。これが処女長編というから、知らなくても当然だが、円城塔が初の長編翻訳していて、この珍妙なタイトル。これは買い。  しかも時間SFである。私は時間ものが大好きであることを公言してはばからない者だが、サグラダ・ファミリアの真ん中でも公言するし、陸前高田市の奇跡の一本松の根元でも公言する。するだろう、するに違いない、したかも知れないが、しているところである。  主人公チャールズ・ユーはタイムマシン修理屋。タイムマシンものをかなり読んできたがこういう職業ははじめてだ。しかも流しの修理屋。狭い四畳半アパートみたいなタイムマシンに乗って時間と時間の狭間の時間では無いところでひきこもっていて、修理の要請があると出向いていく。とてもとても後ろ向きな主人公である。  そして本書は家族小説である。家族小説ってなんだかよくわからないが、本書の場合は主人公ユーが父のこと、母のことについての繰り言を延々と続ける作品である。両親はあまりいい関係ではなかった。互いに互いをわかってやれなかった。技術者の父は自宅ガレージでタイムマシンを作ろうとしており、「ぼく」もそれを手伝っていたが、タイムマシン発明者という名声を博す寸前で失敗し、父はタイムマシンのような何かを作って姿を消してしまった。「ぼく」はタイムマシンにひきこもりながら、父を見つけ出したいと思っている。  タイムマシンの駆動原理は相当に人を食ったもので、フィクショナル・サイエンスによって駆動し、サイエンス・フィクション的な宇宙を航行するのである。とはいえ、自分自身に出会うのはタイム・パラドックスを引き起こすので避けねばならない。しかし「ぼく」は未来の自分に出会ってあわを食って、自分を撃ってしまうのだ。タイムマシンにひきこもっていた「ぼく」は、タイム・パラドックスのループに囚われてしまう。そこで未来の自分からこの窮地を抜け出すために告げられたのが、本の中に解答があるということだ。その本とは『SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと』というユー自身が書いている本なのである。  かくて、本書はひきこもり小説である。うまくいけばひきこもり脱出小説になる。なるだろう、なるに違いない、なったかも知れないが、なっているところである。

    0
    投稿日: 2016.02.15
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    どんなに頑張ったって過去は変えられないんだから、悩んだって仕方ない。 じゃあ、未来はどうか。 未来なんてものは、ただの白紙でしかない。 だったら今を生きるしかないのだけれど、それはすごくお腹が痛いことで……

    0
    投稿日: 2016.02.11
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     息子に自身の失敗の場に立ち会われてしまった父の羞恥とやるせなさと、尊敬していたはずの父をはたと客観視してしまう息子の切なさ。そんな父子をキッチンで待つことを自分に課しているかのような母。家族って実は脆くて頼りないつながりで、各々の努力や分別なくしては維持できないんじゃないかと思う。

    0
    投稿日: 2015.12.24
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    2015年8月29日読了。 タイム・ループというSFの王道をテーマとした物語。でも、壮大な展開があるわけではなく、藤子・F・不二雄の言葉を借りるなら「少し、不思議」の物語。主人公は特別な能力があるわけでもなく、若くもない、なんだったらちょっと冴えない人生を送る青年。その青年があるきっかけで、日常から少し逸脱して、タイム・ループに陥ってしまう。そのタイム・ループで青年が自分と家族の半生を振り返ることになる。自分の人生を振り返って、青年が最終的に下した決断、そこに至るまでの過程、その結果に全てに胸のすく思い。爽やかな読了感。

    0
    投稿日: 2015.08.29
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    タイムパラドックスに陥った青年が、過去と未来を通して自分と、そして家族を見つめ直す。 円城塔の翻訳がものすごく円城塔な感じ。ちょっと笑える。 わかりづらいけど、読みやすくて、 ちょっとせつなくなったりした。 SF小説だけど、家族の物語でした。

    0
    投稿日: 2015.01.27
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    読んでいると、宇宙船酔いしそうだ。 良くも悪くも。 宇宙ものは苦手なのだけど、こういう狭っ苦しい 日常感あふるる宇宙船というのは面白い。 ラストは演出感たっぷりで面白く、それもアリだなぁとおもう。

    0
    投稿日: 2014.10.20
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    円城塔氏の作品を読んだことがないので、 彼の翻訳だからといって、 その点では特になにか感じるところもなく読み始める。 形而上ではなく継時上的物語学っていうのは、 つまりメタ的視点を持つ人物の物語ということなのか? 不思議なタイプの作品であったが、 なんか未消化なまま読了してしまった。 思い出したが、伊藤計劃氏の未完絶筆を引き継ぎ 『屍者の帝国』として完成させたのが円城塔氏であった。 これは読んだ。

    0
    投稿日: 2014.10.02
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    SFのSはStoryのS。 SFのFはFunctionのF。 直訳すれば「物語的関数」、または「物語性のある関数」とでもなろうか。 変数としての文字列に任意の読み方を代入することで、 あらゆる意味を持ち得るのである。

    1
    投稿日: 2014.09.23
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    大好きな時間SFですが、これはちょっと? 時間ループに陥った主人公ユウがある本を頼りにループから脱出しようとする。その本が「SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと 」。主人公が書いた(らしい)本が鍵となり、脱出出来る(らしい)、と何とも曖昧な話。パラドックスを捏ね繰り回してる感があり、SF的高揚感より文学的な趣きが濃厚。 それよりも物語の設定の方が面白い。 スターウォーズが実際に行われた数年後の世界、Lスカイウォーカの息子がタイムマシンを故障させたり、主人公の親戚がデススターの経理部に勤めてたりする。 経理部!確かにあれだけデカいと人事部も総務部もシステム部(忙しそう!)も土木課も水道局も有りそう。 細かいネタに感心しました。

    0
    投稿日: 2014.09.08
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    タイトルと装丁からてっきり軽くて楽しい話かと想像して読んだら、湿っぽくて内向きで後ろ向きな、まるで日本人が書いたかのような手触り。 この間「キャッチャー•イン•ザ•ライ」を読んだところだから、こういうのはちょっとお腹一杯ってのもあるし。

    0
    投稿日: 2014.08.30
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    このレビューはネタバレを含みます。

    2014 8/23読了。 本屋をぶらぶらしていて見つけた、円城塔の訳本。 タイムマシン技師の、ナードな感じの主人公が、タイムパラドックスにハマってしまい、脱出しようと試みる中でタイムマシン発明家になりそこねた父の姿に向き合っていく、SF家族小説。 円城塔と縁のある人の小説であったということでの訳出だったそうなんだけど、小説としては円城塔本人の話の方が吹っ飛び方が笑えて好きかも。 単にうじうじ系の主人公が苦手というだけかも知れないけど。

    0
    投稿日: 2014.08.25
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    僕(チャールズ・ユウ)は電話ボックス大のタイムマシンTM-31で、OSの少女タミー、非実在犬のエドと、タイムマシンの修理工として暮らしている。 タイムマシンを開発した父は失踪、母は一番幸せな1時間をタイムループし続ける生活を送っていた。 ある日、僕は未来からやって来た自分と遭遇し、光線銃で撃ってしまう。 TM-31でその場から逃げ出した僕は、未来の僕から託された本「SF的宇宙で 安全に暮らすっていうこと」を手にタイムパラドックスから逃れる方法を探っていく。 久々に本格SFを読んだ。 module αは面白いけど読みづらくて、どうなるかと思ったけど、それ以降はスイスイ読めた。 予想外な話の展開も◎

    0
    投稿日: 2014.08.20
  • 初訳だけど、やっぱり円城塔の世界。

    芥川賞作家・円城塔氏の初訳作品。 「タイムマシンの修理を仕事にする男が未来の自分を撃ち殺してしまい、陥ったタイムループから逃れる方法を探そうとする」というのがこの本のあらすじですが、「道化師の蝶」に併録されている「松ノ枝の記」の冒頭部分で主人公が翻訳する小説とも同じ設定になっています。このことを知った時には凄い読みたい!って思い、配信を待ちわびていました。 電話ボックスみたいな狭いタイムマシン内に引きこもって非実在犬(実在しないのにモフれるってなにそれw)のエドをペットにし、マシンのUIをかわいい女の子(ドジっ子気味)にする主人公のダメさ加減が絶妙。そして、同じ時間をループし続ける母親との関係や、失踪したタイムマシン開発者の父親との思い出をめぐる後半のストーリーは少し思いがけない展開で切なくなってしまいました。 円城さん特有のユーモア溢れる文体はそのままで、「記述がタイムトラベルを左右する」という設定は、言葉が世界を定義し、変えていく「道化師の蝶」「これはペンです」等とも共通する世界感だという印象を持ちました。オリジナル作品とも微妙に違うけど、言葉・言語がキーになっているっていうのはやっぱり円城塔の世界だなぁ。

    5
    投稿日: 2014.08.19
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    タイムマシンものは読みにくい。更に訳者が「円城塔」ときては、読み易くなる筈が無い。 自分を殺してしまうというタイムパラドックスを解決するため1冊の本を頼る。果たしてパラドックスは解決できるのか? 論理的な部分を読み込もうとするも途中で断念。その部分を理解せずともストーリーは面白かったが、読みにくい。

    0
    投稿日: 2014.08.13
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    イメージがなかなか結びつかず、難しかった、というのが正直なところ。理解しようとしすぎず、無理やり読み切るのがよいと思う。

    0
    投稿日: 2014.07.30
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    『SF的な宇宙で…』という題名とタイムマシンという語句で勝手にワクワクするような冒険物としてのSF小説を想像して手に取りました。が、何といえばいいのかはわかりませんが、その手の話ではないことだけは確かです。 タイムマシンの設定も“継時上物語学”というちょっと不思議なもので、過去を「想起する」ものから「認識する」ものに捉え方を変えてタイムトラベルする(と解釈しましたが違うかも)というもの。 設定も難しいし、独特な言葉遊びをしているかのような文章に揺られてるような感覚を味わい、内容を理解できた気になったり、さっぱりわからなくなったり、読むのにも時間がかかりましたが、ちょっと曖昧なままの世界を読み進めるのも楽しいものでした。

    0
    投稿日: 2014.07.27
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    予想以上に円城塔だった。何回か間をおいてよんだのでラストで何が起こったのか正直よくわかってないのでもう一度読み直した方が良いかもしれない。

    0
    投稿日: 2014.07.26
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    科学的な部分はちんぷんかんぷんでしたが、 わからないままでも無理矢理がんばって読んでみたら 結構楽しく読めた。いいお話だと思いました。 装丁がおしゃれ。

    0
    投稿日: 2014.07.26
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    解説にあった、作者の第一短編集Third Class Superheroがちょう読みたい。水分でちょっとしっとりさせることしかできない三流スーパーヒーロー・モイスチャーマン。円城さん訳してくれないかしら。

    0
    投稿日: 2014.07.23
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    タイムマシンでずっと考えことをする話。自分殺したり異世界いっちゃったりするけど、結局のところ何なのだといわれると、第三者から見れば何も起こってない。主人公以外の生身の人間が全くと言っていいほど出てこないので、文字通り私小説か…。ゆっくり読んでわけわからなくなるけど、何故かすこし感動する良い小説。いったいどこからどこまでがチャールズ・ユウで円城塔だったのかが問題?

    0
    投稿日: 2014.07.16
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    『すなわち、原理的には万能タイムマシンを構成するにはこれしか要らない。(i)記録媒体の中で、前方と後方、二方向に動かすことのできる紙切れ。(ii)そいつが、叙述と、過去形の直接的な適用という二つの基本操作を果たせばよい』 この小説は納め所の難しい小説だ。特に前半と後半の印象ががらりと変わる。ただ解説にあるようなSF か家族小説かというような二者択一を迫られているとは思わない。この小説はあくまでもSF であると思う。ただ、SFとしての印象の落とし処が見えにくいという気がしてならないのだ。 単純化を恐れず言えば、SFの楽しみは想像力の喚起、ということに尽きるのではないかと思う。しかもそれは一見途方もない嘘のようでいて言葉の一つひとつには科学的に証明された概念が用いられ、それらを組み合わせて行けばその途方もない嘘が実現しそうな気になるのが醍醐味ではないか。例えば最初の引用は知らない人にとっては、物語の中での意味を見出だしかねる文章かも知れないと思うけれど、これはロジャー・ペンローズが展開した万能チューリング・マシンのことを下敷きにしていると気付けば(奇しくもどちらも略号はUTM)、不可能性は可算的に証明できないということに繋がる話だなと頭の中で思考がぐるりと回転して物語の次元を拡張する。一つのエピソードの背景に別のエピソードがきちんと流れているように感じられる。それがSFの楽しみの王道ではないかと思う。前半にはそんないわゆるSF好きを刺激する言葉使いが多用されていると思う。 『失敗は容易に測定できる。失敗は出来事だ。無意味さは測定し難い。非出来事なのだ』 それが後半になると急に哲学的な言い回しが多くなる。それはそれで物語に深みを与えるとは思うけれど、思考が哲学的になる時、物事の因果関係は必ずしも明瞭になるとは限らない。つまり、物語の筋はもつれて(tangled)くる。一つの思考を俯瞰したメタ思考があるかと思えば、更にその思考を俯瞰したメタ思考があり、その連鎖は永遠に続くように思われる。その永遠に続く連鎖を俯瞰した思考、例えばε-δ理論のような思考も考え得るけれど、人は無限を取り扱う術を完全に心得ている訳ではなく、そこに容易に不完全性が忍び込む。 その混沌とした世界を叙述することがひょっとしたらこのSFの真の狙いなのかとは思いつつ、指輪物語が終わった後にホビットの冒険があったといわんばかりの短いエピローグが添えられているのを読むと、それならばもっときちんと閉じて完成した世界を描いて欲しいとも思うのである。究極的には量子力学的世界観を受け入れることが出来るか、それとも古典物理学的世界観に留まるのかが問われているのだろう。しかし、SFを読むときにそこまでの覚悟をして読むことは稀であるに違いない。まあ、円城塔の翻訳ならそこまでの覚悟が必要なのかも知れないけれどね。

    0
    投稿日: 2014.07.11
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    うーん、これは何と言ったらいいのか、タイムトラベルもののSF小説であり、同時に、家族(特に父子)小説でもある。前者としては非常に面白く読んだのだけど、私はどういうわけか後者はきわめて苦手で、サーッと気持ちが引いちゃうんだよね。クールなSF部分に比して、家族部分はかなりベタに語られるのがつらい。そこがいいという人も多いだろうけど。 出だしはまるきり円城塔。チャールズ・ユウって、円城氏の英語でのペンネームでは?という疑惑が頭をかすめるほど。シャープで、でもどこかとぼけていて、好きなタッチだ。いったいこれってどこまでが原文の味わいなんだろう。合わせ鏡の中にいるような自己言及の連続や、物語のメタ構造がとても刺激的だ。 時間って本当に不思議だ。「未来」を私たちは知らない。「現在」はつかもうとしたときには既に過去になっている。じゃあ「過去」は確かか? そうじゃないのは、次の独白の通り。 「時間は装置だ。痛みを経験に変換し、生データはコンパイルされてより理解しやすい言葉に翻訳されていく。あなたの人生における個人的な出来事は記憶と呼ばれる別の物質に変換され、その変換過程では何かが失われることになり、あなたは決して、それを復元することができなくなる。あなたは決して、オリジナルの瞬間をそれがまだカテゴライズされていない未処理の状態として取り戻すことはできないだろう。その過程はあなたに先へ進むことだけを強制することになり、この件についての選択権があなたに与えられることはないだろう」 本筋ではないが(いや待て。もしかして重要な要素かも)、始まってすぐに主人公の容姿(と言うより体型)が明らかになるところで、「は?」と目が点に。表紙の朝倉めぐみさんの手になる繊細そうな青年とは全然違うじゃん!あの絵をイメージするから、現実の時間の流れから切り離された電話ボックス大の空間で、非実在の犬とコンピュータプログラム相手に何年も過ごし、父を探す青年の姿が切なく感じられるんだけど。本文通りに思い描いてみると…、うーん、また別の切なさがあるかなあ。

    1
    投稿日: 2014.07.04
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    科学は理解することはできないが、心を理解することは可能ではないだろうか。この小説はわたしたちの物語です。円城塔さんの翻訳が柔らかく受けとめやすく、その分突き刺さった。もし過去の過ちや後悔していることやその時にすべきことに気付くことが出来たとして、果たしてそれを行う決断がその時の自分にできるのか...いやできないだろうなあ。わたしはわたしでどこまでも繋がっているのだから、繰り返してしまう気がする。願わくば、これから先のある時点ですべてを失うまで少しでも後悔をなくすようにしよう。今を楽しもう。

    0
    投稿日: 2014.07.01
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    邦題がまず良い。 そして読み進めると「これは本当にユウさんが書いたものをトーさんが訳したのだろうか、トーさんが書いたものではないのか。もしくは『松ノ枝の記』のような書かれ方をしたものではないのか」という疑念が頭をよぎる。 少し物悲しく、しんみりとした空気が漂っているのがまた好みだった。(ある種の)引きこもりからの脱出。過去との決別のお話。

    0
    投稿日: 2014.06.30
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    SF脳持ってないので、読むのに時間はかかるのですが、後半以降の、あの日を思い出す父と子が苦しくて気に入りました。でも構造的には、理解できてないな…。 円城塔も読んだことないので、気になりました。

    0
    投稿日: 2014.06.21
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    これを読み始めたとき、チャールズ・ユウの実在を疑い、円城塔の自作自訳なのではないかとちょっとでも思った人。やあ、兄弟。 “継時上物語学”とか日本語でうまいこと言うから疑いがより強まる。 でも、読み進めると結構違う。円城塔よりもっとウェットで、ちょっとだけ温度が高くて、地味な家族の話。

    1
    投稿日: 2014.06.18
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    [関連リンク] Twitter / sasakiatsushi: 円城塔訳によるチャールズ・ユウ『SF的な宇宙で安全に暮らすっ ...: https://twitter.com/sasakiatsushi/status/477619473130586113

    0
    投稿日: 2014.06.14
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    アメリカの新人作家による第一長編であり、円城塔の初翻訳作品でもある。 解説によると、著者であるチャールズ・ユウは、本国では『一般文芸の世界で活躍する、SF的な小説を書く作家』と見られているようで、確かに作風も所謂『SF』とはかなり異なっている。本作にしても、父と子の相克や己の内面を見つめ直す、という、寧ろ文学的な主題をタイムマシンを始めとするSF的なガジェットを用いて描き出している。 SFジャンルで内的宇宙というと、バラードに代表されるニューウェーブ運動をどうしても思い出すが、時代が異なるせいか、かつてのニューウェーブ的な印象は余りない。逆に強く感じられたのは恩田陸的なノスタルジー、郷愁であるというのも不思議なものだ。 『円城塔の翻訳である』ということで一部で話題になっていたが(作家的なポジションには共通点がある)、そういうものを抜きにして面白かったので、新作が翻訳されるならまた読みたい。円城塔ではなく文芸翻訳家が訳したらどうなるか? というのも気になるところ。

    0
    投稿日: 2014.06.08