
総合評価
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powered by ブクログ「ヒューマン・ファクター…人間や組織・機械・設備等で構成されるシステムが、安全かつ経済的に動作・運用できるために考慮しなければならない人間側の要因のこと」(Wikipedia) 舞台は第二次大戦後冷戦時代のイギリス諜報部。 アフリカ情報担当である諜報部員カッスルは、すでに定年を過ぎても仕事を続けているが、その理由は自分でも解らず、常に「引退」を考えていた。 そこへ、所属する部署に内部調査が入る。 誰かによる情報漏洩の疑いを明らかにするため……。 イギリス諜報部というと「スパイ大作戦」「007」など派手なイメージがあるが、まったくそんな描写はなく、淡々と日常を描きながら疑心暗鬼が高まっていく様子が中心。 それは、主人公カッスルの好物である、J&Bスコッチの喉を通る甘く芳醇な香り、それで いてキリキリと内臓を締め付ける刺激にも似ている……。 「我々はみんな“箱”の中にいる」 「あなたは言う、私は自由ではないと。 しかし私は思いどおりに手を上げて、おろしている。」 終盤に差し掛かった時にカッスルが引退を告げる。 物語は、ここからいよいよクライマックスへ向かっていく。 そして、わたしはこの結末が大好きだ。 どう好きなのかは、未読の人のために言わないでおく。
1投稿日: 2023.01.19
powered by ブクログこれは翻訳の妙でもあるのだろうけど、文章の隅々まで英国っぽさが溢れる小説。人物の性格造形から気候や街の雰囲気、ウイスキーや料理、菓子等の小道具に至るまで、芯が一本ビシッと通っていて、知らずしらずのうちに世界に引き込まれた。
0投稿日: 2021.07.16
powered by ブクログスパイ小説ですが、007みたいな感じではなく文学作品という感じ。ヒューマンファクターのタイトル通り、登場人物のもつ異なる性格や背景がストーリーを動かしていきます。 好きなフレーズ “我が国の人たち(my people)なんて話をしないで。わたしにもう同胞はいない。あなたが我が民(my people)なの”
0投稿日: 2020.11.08
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
2019/03/18 グレアムグリーン著、加賀山卓朗訳、06年刊の新訳版。原著は78年刊。ハヤカワepiのグリーンセレクション。 グリーン(1904-91)を読むのは初めて。グリーンは映画化作品が多いが、「恐怖省」「第三の男」くらいしか見ていない。ちなみに本作もプレミンジャー監督アッテンボロー主演で映画化されている。 冒険小説、というジャンルを想定して読んでみて、すぐにスパイ小説というジャンルに想定をくらがえし、最後に官僚人情劇という言葉が思い浮かんだ。登場人物たちは、殺されてしまう同僚デイヴィスを除けば皆いっぱしの見識・教養を抱えた魅力的な人物たちばかりだが、70歳を超えた老作家の手馴れた筆によると、誰もかれも哀愁をただよわせていて、これちょっと枯れすぎていやしないか。フレミングはセックス描写が派手すぎるといって嫌われ、スパイものにお決まりのペン型銃などのガジェットアイディアは子供との会話のなかに顔を出すばかりで、グリーンの描くスパイの実体たるやがっかりするほど素朴なのだ。その一日をかんたんに点描してみると、定期券で電車に乗って職場近くの駅で降りてからは運動不足を補うために自転車で通勤し、毎日決まったパブでの昼食をとり、帰宅して就寝前のJ&B指三本分、と実に慎ましく、拳銃で人を殺したことはなく、引退を考えるとその後の生活は年金暮らし、とまあ通り一遍の官僚生活。 ところが、主人公カッスルの勤める6課から情報漏洩が報告され、保安部の査察がはじまりあれよと言う間に同僚デイヴィスが急性肝硬変として退場したあたりから、身の危険を感じたカッスルが亡命を考え始め慌ただしく物語が動き始める。 保安部の調査で漏洩元を突き止めようと指揮を執るのは情報部長官ジョン・ハーグリーヴスと医師エマニュエル・パーシヴァル、査察にあたるのはデイントリー大佐。エマニュエルはマス釣りのため自分の庭に川を引くことを本気で考えている時代錯誤の元医師で、デイヴィスが部屋から機密文書を持ち出していたというデイントリーの報告を早とちり(もしくは計算づくの)して落花生が腐食した際発生する菌を使って、ポートワインに目がないデイヴィスに近づき、自然死をよそおってさっさと殺してしまう。 カッスルが二重スパイであることは半分くらい読んだところで明かされるが、アフリカ時代に出会った褐色の肌を持つ妻と息子が重荷になり、思うように動けず、30年もの間沈黙を抱えてきた神経は同僚の突然死に際して動揺をはじめる。コミュニストとの密会場所が急きょ閉鎖されたことを知って不安に襲われたカッスルは、帰路ふらりと入った教会で告解を望んで、拒否される。 P334司祭とのやりとりを引用してみる。 司祭はしぶしぶ顔をカッスルのほうへ向けた。その眼は血走っていた。カッスルは、気味の悪い偶然で、ここにも自分と同じ孤独と沈黙の犠牲者がいたかと思った。 「ひざまずきなさい。自分をどういうカトリック信者だと思っているのです」 「私は信者ではありません」 「それならここで何をしている?」 「話したい、それだけです」 「教えがほしいなら、司祭館に住所を残しておきなさい」 「教えがほしいわけではありません」 「私の時間を無駄にしないでいただきたい」と司祭は言った。 「告解の秘伝はカトリック信者でない者には閉ざされているのですか」 「あなたの教会の司祭とお話しなさい」 「私には教会がありません」 「ではあなたに必要なのは医者でしょう」と司祭は言い、シャッターを勢いよく閉めた。 スパイ小説をつきつめると、誰もかれもがあやしくみえてくる。しまいには神さえ信じられなくなるらしい。カッスルが信じているのはもはやかつての共産主義などではなく、アフリカで彼を魅了したカースンなる人の顔をした共産主義者への思慕だけ。妻は夫が二重スパイであるという真実を明かされるよりも前に、彼に警告している。共産主義者に感謝するのは自由だが、入れ込み過ぎるのはやめてねと。 カッスルは幼少時近所の娘と親しくなるため、木のうろに飴や手紙を隠してやりとりしていたのを思い出し、何十年ぶりかにそのうろを使って今度はコミュニストへ文書を横流しするのに使うことになる。それも文書に使うのは「戦争と平和」だったりする(書店主ハリデイを通じて文学仲間の分と偽って2部ずつ調達していたのだけどこれなんで?読む用とちぎる用ってことか?)。電車で半時間ほど行ったところにボリスという同志がいて、彼とだけは名前で呼び合い仕事について率直に話せるのだが、アンクルリーマス作戦の協議が始動しはじめるとこの密会所は閉鎖されてしまう。同じ庁舎に勤務する上官との水面下での攻防は、デイヴィスの死でひとまず停滞していたが、一方同じ時期に始動をはじめた国家秘密情報局BOSSの高官コーネリアス・ミュラーとの共同作戦「アンクルリーマス」の協議内容が機密として保管されていないことに上官たちが気づいてしまう。文書を持ちだしたカッスルはデイントリーの呑気な訪問をうけて身の危険を察知し、その日のうちに妻子を田舎の母のもとへ送り、ハリデイの助けを借りてパリ経由でモスクワへと立つ。 上官との追いつ追われつの攻防とはまた別のところからカッスルの素性があばかれるという趣向なのだが、そのミュラーとの邂逅で「アンクルリーマス作戦」の概要が浮かび上がってきて、単なる追いかけっこには終わらない、遠いアフリカの記憶のなかに誘い込まれていく。。巻頭グリーンが断っているようにこれは空想の産物だが、70年代当時のアフリカで起こっていた部族紛争が、さきに(失敗に)おわったばかりのベトナム戦争の二の舞になるのではないか、という危惧にはそれなりに説得力があるように思える。この「リーマスじいや」なる人物にも出典があるみたいだ。wikiによると、19世紀末にアメリカ南北内戦後の経済立て直しのさなかで出版された口伝集に登場する架空の存在で、南部プランテーションの黒人像をステロタイプにおしこめて論争を呼んだ。著者はジャーナリストのジョエル・チャンドラー・ハリスで、邦訳もでているみたいだ。この著作をもとにしてディズニーがアニメつくったり、ザッパが曲かいたりしている。 小説の中でこの語彙が吟味されることはないが、名誉白人やアパルトヘイトと並べて注意深く扱うべき言葉だろう。再び小説の方にもどってみれば、ミュラーが警戒しているのはどうやら金鉱山をめぐる部族争いに、金を豊富に排出するロシアが利権にからんでくることだ。そのうえで水爆を戦術核として使用することも辞さない、という態度を明らかにする。カッスルは長官の命令でミュラーとの面会を自宅で行うが、ミュラーを待つ間アフリカ時代に彼と保安警部に厳しい尋問をうけたことを回想する。カッスルが現地人のセイラと恋愛関係に陥り、人種法に違反したとして査問にかけられたのだが、ミュラーは単に彼の色恋をとやかくする気などもちろんなく、彼女を通じて反アパルトヘイトの書物を制作していたことに目を光らせていた。そういうわけでカッスルはかつてアフリカで人種法に隠れて異分子を探り出す査問をうけ、いま官庁で行われている漏洩犯人探しにおいまくられている。別のところでカッスルが述懐する通り「同じことを何度もやる運命にあるようだ」 作戦の概要は上に書いたくらいにほのめかされる程度だが、ともにアフリカを知りながらカッスルとは決定的に異なる立場にいるミュラーとの対話を通して、各人にとってのアフリカをおぼろげにうかびあがらせている。オランダ系のミュラーのひととなりがわかるところを以下に引用してみる。回想のなかで、ミュラーがカッスルを尋問しているところから。 p174 「あなたは南アフリカに来るたいていのイギリス人と同じだ」とミュラーが言った。「アフリカの黒人に自然な同情を憶える。それはわれわれにもわかる。われわれもほかならぬアフリカ人だからだ。もうここに三百年住んでいる。バンツー族はあなたたちと同じように新参者だ。だが歴史の講義をする必要はないね。くり返しになるが、あなたの考えはわかる。それがいかに無知なものであるかにしても。けれどそこに感情が加わると危険だ」 ミュラーはカッスルの自宅を訪れるなりあのバンツー人の娘をどうやって持ちだしたのか、バンツー人の娘は30を超えると急速に衰えるからきっと様変わりしているだろう、と差別意識を隠そうともしない。ただ二階から下りてきたのが件のバンツー人であることを目の当たりにすると、すぐに態度を変えて通り一遍の官僚に様変わりする。カッスルのアフリカ時代からこちら沈黙と孤独を強いられることになる秘密の一端に触れた男を前に、この男がアフリカから転身した適応力に脅威を感じている。 この好ましからざる再会を果たしたあと、デイヴィスの死をはさんでもう一度ミュラーと邂逅することになる。そこでアンクルリーマス作戦について概要を話すことになるのだが、ミュラーは再びアフリカ時代のことを思い出しながら、人種差別法はスパイを探る時の隠れ蓑にになった、といっておしげもなく差別法を称賛する。この作戦やアフリカについて滔々と語るときミュラーは最もいきいきとしていて、それはハーグリーヴスが19世紀ヴィトリア文学のなかにある幻のアフリカに親しみを感じるのと同様、牧歌的な支配者の寓話に惹かれているのだろう。この小説には聖書からの引用はもちろん、スティーヴンソンの詩(夜子供にせがまれて読んでやる)、ロシアの翻訳もの、アンクルリーマス、など文字通りエキゾチックなテクストが張り巡らされていて、登場人物たちは知ってか知らずか、その物語たちに魅せられている。道化を演じざるを得なかったデイヴィスでさえ例外でなく、2年も想いを寄せた秘書への愛の詩をひそかに所有している。著者はミュラーを含め、彼ら夢見るひとたちを断罪することなく、好きなようにふるまわせている。
0投稿日: 2020.05.07
powered by ブクログスパイは、いつ何時なってしまうかわからない。愛する家族の為なら、一歩踏み出してしまうのだろう。でも、悲惨の中でも、そこはかと出てくるユーモア。さすが、グリーン。読者を飽きさせずに、一気に読み進ませてしまう。
0投稿日: 2020.04.25
powered by ブクログ静かな話なんだけど、最後まで一気に読み進めた。 007みたいな華やかさはないけれど、はらはらしました。
1投稿日: 2020.03.10
powered by ブクログスパイ小説だが複雑な複線があるわけでないシンプルなプロットだ(最後のカッスルの役割が明かされるところは少しひねった感じだが)。しかし強く引き込まれた。いかにもイギリス人と言うシニカルな視点。愛と怖れをコインの裏表として描いている。 最後のほうになってセイラの視点で描かれる転換は何か他の本で同じような手法を読んだ気が。そこに限らず後に続くスパイ小説には大きな影響を与えているのだろう。ただひとつうらみがあるとすれば、うますぎてスルスル流れてしまうような感じだろうか。
0投稿日: 2018.11.05
powered by ブクログ本書の解説には、某小説家による以下のコメントが引用されています。 「スパイを主人公にしているからスパイ小説にちがいないだろうが、そのようなレッテルは無用の傑作である」 まさにその通りです。 スパイ小説の傑作であることは間違いないですが、より大事なことはスパイという存在を描いた人間小説ということかもしれません。 誰が二重スパイなのかという謎を追いかける愉しみもありますが、それと同時に語り手であり主人公である男にとって何が大事なのかを知っていく愉しみもあります。 500ページ近い作品ですが、久しぶりに睡眠時間を削ってでも読み進めたいと思わせてくれた一冊でした。
0投稿日: 2018.10.15
powered by ブクログイギリス情報部からソ連への情報漏洩を巡り内部調査が始まる…スパイ小説ではなくスパイを題材にした人間小説。映画を見ているように読める。堪能しました。
0投稿日: 2018.10.09
powered by ブクログ派手さの全くないスパイ小説。なのに、確かにぐいぐい引き込まれる。政治状況は変わっているが、今、読んでも古びれないのは、ヒトの生きざまの根幹に触れているから。
0投稿日: 2015.10.17
powered by ブクログたいへん渋いスパイ小説。 舞台はイギリスの諜報部なのだが、派手なアクションは無く心理描写が主。全体通して悲哀が漂っている。 静かで地味なラストシーンが重い。 登場人物それぞれに悩みがありそれぞれに人間味があるけれど、パーシヴァルはこわかった。 デイヴィスが主人公だったらもう少し取っ付き易い話になったかも知れない。 とは言えもう一冊くらい読んでみたい作家だな。
0投稿日: 2015.05.25
powered by ブクログ「ヒューマン・ファクター」。人間的要因、とでも訳しますか。 これは、大人の男性には堪らない小説でした。 手に汗握る、スパイ小説。紛れもないスパイ小説なんですが、そういう状況に置かれた男性の心理描写。葛藤。 銃の撃ち合いやら車の追っかけっこなんか、ゼロです。 後半は物凄い緊迫感。やめられないとまらない、でした。 1978年にイギリスで書かれた小説です。 書いたのは、グレアム・グリーンさんという人です。 グリーンさんは1904年生まれのイギリス人さん。1991年に亡くなっています。86歳くらいまで生きたんですね。 で、1930年代、つまり30歳前後にはもう、小説家として成功していたみたいですね。 そして、20代で共産党に入党。 この辺で、誤解してはいけないなあ、と思うのは。 1950年代くらい以降、スターリンさんが、隠しようもないくらい、相当な虐殺や警察国家をつくるまでは、 共産主義、というのは、世界中のインテリさん、理想主義者、ロマンある知識人的な若者たち、にとって、ある種の期待を込められる希望だった、ということですね。 で、第2次世界大戦が1945年に終了して、数年内に東西冷戦が始まるまでは、共産主義というのは、そんなに蛇蝎のように否定されるものではなかったはずです。 一方で、子供の頃からスパイ小説好きだったグリーンさんは、第2次世界大戦前から、MI6に入って、諜報活動、スパイをやります。 マジで、007の世界な訳です。 で、終戦直前くらいに辞職してます。 この辺、僕も不勉強ですが、若い人気作家が、同時にスパイでもあった訳ですね。 その後は、人気小説家として、不動の地位、死ぬまで続きました。 とは言え、一部の「スパイ小説ファン」「ミステリー愛好家」「イギリス文学ファン」以外には、そんなに知られてないですね。 名作映画「第三の男」の原作者でもありますが、これはグリーンさん本人が、「映画は素晴らしいけど原作はそうでもない」と発言しているそうです。 今回、読んでみたのは、大した理由でもなくて。 「娯楽小説読みたい気分だなあ。ミステリーっていうか、犯罪モノとか」 という気分と、 「丸谷才一さんが、褒めてたなあ。グリーンさん」 そして、 「読んだことのない作家を、外れるかも知れないけど、読んでみないとなあ」 という感じで。 で、外国文学は、翻訳が命。 これはほんと。 ぱぱっと調べて。 代表作らしく評判が良い。そして割と最近に新しい翻訳が出ている。電子書籍にもなってる。ってことで、「ヒューマン・ファクター」。 ########### 主人公は、どうやら50代らしい男性の、カッスルさんです。 イギリスの情報部で働いています。 現場と飛び回るわけじゃなくて、ロンドンのデスクワークです。 アフリカなどの情報の受けや、その整理をやってます。 割に地味な仕事、地味な風貌、地味なブ男な感じ。 年下の部下デイヴィスと、実質ふたりの部署っぽい。 郊外に、妻と子と住んでいます。これがなんと、黒人妻、黒人の子。 カッスルさんは、諜報部員として南アフリカにいたんですね。 そのときに、スパイとして使った黒人女性に恋をして。 南アフリカですから。アパルトヘイトですね。白人が黒人と愛し合うなんて、えらいことなわけです。 色々あって、なんとか彼女を逃がして、自分も脱出。その辺りは全て、上司組織にも隠さず報告済みな訳です。問題なし。 さてこの、カッスルさんの部署の情報が、どうやらソ連側に漏れている、ということになります。 誰かが、スパイなんじゃないか? って・・・みんな仕事がスパイですから、つまり、「二重スパイ」がいる・・・隠れている・・・。 さあ、それは。カッスルなのか。部下デイヴィスなのか。 罠。監視。不審。不信。不安。嘘。猜疑心。恐怖。 物語は、疑い迷う、上司たちの視点の章と、 疑われている一人である、カッスルの視点の章で描かれて。 #######ここからは、ネタバレです####### 上司たちは、部下デイヴィスが犯人、と状況証拠で判断、デイヴィスを暗殺しちゃう。 だけど、二重スパイは、カッスルだった。 カッスルは、妻をアフリカから脱出するときに世話になった友人がいた。 その人に本当に世話になった。 その男性は、共産主義者だった。 その人への友情義理から、ソ連側に情報を流していた。思想としては、全く共産主義じゃないけど。 そして、カッスルは恐れる。いつバレる。もうだめか。バレてるのか。バレてないのか。 デイヴィスが死んだ。もうこれ以上、情報を漏らしたら、自分が犯人だとバレる。引退しよう。 そんなときに、MI6の仕事で入った情報。 それは、そのまま許すと、アフリカの黒人たちに大変不利になる、米英の陰謀だった。 苦悩したが、それを、ソ連側に流すんですね。 もう、カッスルさんは、祖国も思想も大義名分も、その欺瞞性に倦んでいます。 ただ、黒人の妻と自分との、愛の共同体だけが、彼にとっての祖国なんですね。 それには、アフリカを、黒人を、見殺しにはできないんですね。 その情報を出した後で。 周辺の「連絡網」に異常が起こります。 もうダメか。妻子は、母の実家に、喧嘩したことにして去らせる。 さり気ない尋問に、職場の人が来る。ダメか。殺されるか。東側の救出は、あるのか。 結果、ぎりぎりタッチの差で、東側に救出、脱出、亡命。 モスクワで何とか無事暮らす。 だが、妻と子とは別れたまま。それが辛い。それが辛い。妻子もいずれモスクワに呼ぶ、と東側は約束してくれたのに・・・。 ############### と、言うお話です。 なので、ほとんどは、サラリーマン的な暮らしをしているカッスルさんの日常。 そして、サラリーマン的な暮らしをしながらも、二重スパイが誰なのか、考える、上司たち。 という、地味な状況。 全体の1/3くらいを過ぎて、多分そうだろうな、と思っていたけど、「カッスルが二重スパイ」と分かる。 ●もう、そこからの、心理サスペンスが一級品。 ●それから、敵味方を問わず。 諜報に生きて暮らす人々の、神経の疲れ具合。孤独感。不信感。寂寥感。この描写がまた、絶品で。 これは、ある意味、何の仕事をしていても、愛無き暮らしに忙殺されていれば、同じように当てはめれる心理。 ●そして、そんなにクドくなく、語られ、展開される、世界観。 共産主義が正義でもない。 でも資本主義陣営が正義でもない。 黒人、という立場を通した時に見える風景。 仁義なき戦いの中で、主人公と妻が、守らなければならない、人としての最後の砦というか。 ヤクザ映画風に言うと、それでも捨てられない義理というか。 そして。 そんな主人公の周りで行われる、なんだかもう、手段と目的が数回転くらいこんがらがったような、 諜報戦。ゲーム。 いやあ、このジリジリした心理描写、圧巻です。脱帽です。 神なき孤独な街を往く男の背中、という意味では、男性のハードボイルド・ミステリー娯楽作なんですが。 とてもそれでは収まりきらない。 小説ならではの心理描写、サスペンス。 確かに、原作を手がけた映画「邪魔者は殺せ」「第三の男」に通じるテンション、焦燥感。 女性向きではないでしょうが、えらく、面白かったです。 丸谷才一さんの「快楽としてのミステリー」で確か知ったんですけどね。さすが丸谷氏。 ちなみに。 「半分、実話小説じゃないか」、という噂があるらしいですね。 キム・フィルビー、という名前でネット検索するとわかるんですが。 雑に言うとグリーンさんがMI6時代に、仕えていた上司さん。 この人が、MI6でかなーり偉くなったんですけど、実は共産主義者で、ソ連の二重スパイだった。 1950年代の英米のスパイ戦略は、モスクワに漏れまくっていたそうです。 で、ばれて、1960年代かな?にソ連に亡命したんですね。 その後は、モスクワでKGBで働いていた。 1988年か、そのへん、冷戦終結直前に逝去。 この人と、グリーンさん。 ゴルバチョフの雪解け時代にですね。 グリーンさんは何度かモスクワに行って。 再会してるんですね。 相当、仲が良かったみたいです。 面白いですね。 グレアム・グリーンさん、大人の味わいのある作家さんですね。 渋いです。 ジョルジュ・シムノンさんの、イギリス版っていう感じですね。 次々続けて読みたいわけではないですが、うん、四〇代から読み始めるくらいで、正しい作家さんだと思いました。 お子様にはね、渋すぎて。面白くないだろうなっ・・・と(笑)。 そんな、歳を取ることの旨み、を、味わえるのも、読書の快楽ですね。
0投稿日: 2014.03.30
powered by ブクログ007の痛快なスーパーマンの諜報部員ではない。地道な情報担当の諜報部員の日々が息苦しく描かれている。主人公は妻のために祖国を裏切った二重スパイ。疑惑・陰謀・奸策に囲まれてる。家族とともに生き抜くために、自分を隠しながら全てを疑い、真実を判断しなければならない。小さな過ちは破滅につながる。心の支えは妻と息子、しかし家族に真実を話すことも許されない。孤独と愛、信頼と裏切り、人生でのどうしようもない不条理が濃縮されているよう。その中で懸命に生きる主人公たちが切ない。緊迫感に溢れたストーリー。
0投稿日: 2013.05.06
powered by ブクログ派手なアクションは無縁ですが、登場人物の心情が細やかに描かれていて作品の世界に入りやすい作品です。翻訳が良いのでしょうが、場面、場面を、まるで絵を見るかのように想像できます。 文学作品にふれた印象を残すでしょう。
0投稿日: 2012.10.27
powered by ブクログ12年ぶり!に読んだ。 感動した感覚は覚えていたけど何が起こったのか覚えてなかった。まったく新鮮に再読した。 おもしろかった。 モルティーザーズ探したけどプラザにもジュピターにも売ってなかった。韓国スーパーに行ってみる。12年前にはなかったよね。韓国スーパー。 ---------------------------------------------------------- 2012/06/14 『死者にかかってきた電話』、『真冬に来たスパイ』、『スピアフィッシュの機密』に続いて読んだ。前3作はどうしても「おっさん目線」が鼻につき、「あー、そうですか。はいはい。」といった感じだった。 この『ヒューマンファクター』は"male gaze"はそれほど気にならなかった。 切ない話。 もっとグレアムグリーン読んでみようと思う。
0投稿日: 2012.06.17
powered by ブクログフレミングのような分かりやすいスパイ活劇ではなく、主人公の内面を追ったスパイ小説。面白かった。それ以前のスパイ小説が愛国主義vs.敵国という構図だったのに対して、1978年のこの小説では個人の感情vs.組織の外圧という構図が物語の枠組みとなっている点が興味深い。主人公以外にも、登場人物それぞれを悩みを持った人間としてしっかり描いているところに好感を持った。少し残念なのは、主人公の魅力が少し薄いように感じられてしまったところ。正直、カッスルよりもデイヴィスに感情移入してしまった部分もある。
0投稿日: 2011.12.04
powered by ブクログスパイ小説ではありますが、派手な撃ち合いも激しい駆け引きもなく、終始淡々と進行します。主な登場人物は全員心の弱さを抱えていて、祖国を裏切ったはずのスパイですら悪人ではなく、敵対する立場の人物の弱さに共感を抱いたりもします。 言ってみればスパイ小説の形を変えた人情もので、読後感は非常にしんみりとしています。 文学的な香気があふれる作品ですが…残念ながら僕の好みではありませんでした。
0投稿日: 2011.10.19
powered by ブクログイギリス情報部で、極秘事項がソ連に漏洩した。二重スパイは一体誰か? 上層部が特定を進める中、主人公カッスルは・・・。 グレアム・グリーンの『二十一の短編』に収録されていた「廃物破壊者たち」は、通学中の電車内で読んで、「駅を乗り過ごしてもいい!」と初めて思った短編だった(結局ちゃんと降りてしまったのだけれど・・・)。 しかし、この「廃物~」以降の短編は読んでもよく頭に入らず、一冊読み終えた感想は「一番最初のだけめちゃくちゃ凄かったのにな」だった。 というわけで、グリーンの本が自分に合うのか合わないのか、いまいちよくわからないまま、この本を手に取ったところ、これもちょっと違ったらしい。 確かに、抑制の効いた静かな語り口に含まれる哀しみの感情は、押し付けがましいものがかけらもなくて素晴らしい。しかし、登場人物たちの関係や状況などが、はっきりと明言されず、あわいを揺らいで濃ゆくなったり薄くなったりするので、私には少々掴みづらく、読みにくかった(それがこの小説のよさでもあるのだろうけど・・・)。 もう一度「廃物破壊者たち」を読んだときのような読書がしたいとは思うのだが、これからまだグリーンを読んでみるべきか否か、この小説が合わないようだったので、またわからなくなってしまった。うーん。
0投稿日: 2011.07.21
powered by ブクログスパイ小説の傑作と呼ばれているだけある。一気に読み終わった。たくさん出てくるウイスキーの銘柄が気になる。
0投稿日: 2010.12.12
powered by ブクログ古本市で購入。 この前にジェフリーアーチャーの十一番目の戒律を読んだけど、読了感は全く異なる。 国家を、祖国を、使命を、神を裏切ってまでも愛に生きたのに、 最後はかなわずハッピーエンドでないところがまたよい味を出している。 タイトル秀逸。スパイ小説としてもおもしろい。 背景知識深い。
0投稿日: 2009.10.08
powered by ブクログひとつの言葉、一行のセリフがストーリー全体へと浸透していく。イギリス諜報機関を舞台にしたスパイ小説、ではあるが、何か、たとえば信念とか正義とかを、声高に掲げるようなことはしない。淡々として見える日常の中で静かにそれは進行する。以下、引用。---------------------------------------------「サムを愛しているのはきみの子だからだ。私の子じゃないからだ。あの子を見たときに、自分の何かを見ないですむからだ。きみの何かだけが見える。自分の何かが延々と続いていくのは嫌だ。自分はここで終わりにしたいんだ」----------------------------------------------「ああ、私は同じことを何度もやる運命にあるようだ」----------------------------------------------恐れと愛が不可分なら、恐れと憎しみもまた不可分だ。---------------------------------------------「偏見にはどこか理想と共通するものがある。コーネリアス・ミュラーには偏見がなく、理想もない」----------------------------------------------「そうかな。後悔は理性でどこかに追いやれるものではない−人を愛するのに似ている。人を愛するように、後悔する」----------------------------------------------「憎しみは往々にしてまちがいを引き起こす。愛と同じくらい危険だ。」----------------------------------------------礼儀は反目を超える障害物になることがある。糧として生きたいのは礼儀ではなく、愛だ。---------------------------------------------
0投稿日: 2009.08.08
powered by ブクログ主人公カッスルの心情を表わす箇所を一部抜粋。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「信じてないのか?」 「もちろん信じているわ。でも・・・」 階段の上まで”でも”が追いかけてきた。カッスルは長いこと”でも”と生きてきた(中略) いつか人生が子供の頃のように単純になる日がくるだろうか。”でも”と縁を切り、誰からも信頼される日が。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・主人公がイギリス外務省の二重スパイであるという小説でありながら、ハラハラする場面は殆どなく、ずっと静かな"哀しみ”がまとわりついて離れないという感じだった。 物語の全体に人間の悲哀と孤独が流れているように思えた。読み終えたとき、静かで物悲しい気持ちを抱えつつも充足感のつまった長い長いト息を吐きだしていた。
0投稿日: 2008.09.09
powered by ブクログスパイ小説ということで、スリリングな展開を期待する方も多いとは思うのですが、それだけを目的に読むのはもったいないです。彼は祖国を裏切り、もしかしたら神までも裏切ったかも知れません。それでも、大切なものは見失わなかったのだと思います。
0投稿日: 2007.12.15
powered by ブクログ名人芸。 グレアム・グリーンは本のタイトルのつけ方が上手ですね。「おとなしいアメリカ人」「負けた者がみな貰う」そしてこれ。これはタイトルに思い込みすぎて、読後すぐは思っていたよりも軽いという印象をうけてしまいましたが、あとから考え直してみるとけして軽い内容ではないから、軽いという印象を与えてしまう書きっぷりがまた名人芸だと思った。
0投稿日: 2007.05.06
