
総合評価
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- kantamrt"powered by"
第三巻では、チャーチルとソ連のスターリン、モロトフとの交渉と駆け引きに興味を惹かれました。当初、ドイツと協力関係にあったソ連ですが、ヒトラーが対ソ戦を開始したことにより熾烈な戦いへと引きずり込まれます。ソ連は、英国との共闘へ転回していていく中で、の英ソ交渉は水面下での駆け引きが多々あったことを感じさせる緊張感のあるものとしてチャーチルは述懐しています。 また日本の真珠湾攻撃により米国の参戦が決定的になったときのチャーチルの大きな安堵には、日本人として複雑な気持ちを抱きました。またミッドウェー海戦以降の旧日本軍の敗退については、情報戦で劣後したことや作戦に固執するあまりそれがうまくいかない場合にすぐ目的を放棄してしまう傾向も指摘されています。 対独戦については、まず北アフリカのドイツを責めることにより地中海での主導権を握ることによるメリットをチャーチルがスターリンに説明し理解を得る件が描かれています。この時、チャーチルはモスクワにいるのですが、スターリン、モロトフの歓待を受けて痛飲するときの様子が活写されています。 ドゴールについては、傲慢な態度に腹が立った、英国の友人ではない、と手厳しく記述していますが、一方クレマンソーとともに、押さえきれないフランス人である、との印象を持ったともいい、フランスに対する崇高な思いを体現するする人物として敬意を表しています。一方、ルーズベルトとは盟友ともいうべき仲を育んでいくのですが、マラケッシュを一緒にドライブした逸話など、アメリカに対するチャーチルの親しみは彼の母がアメリカ人であったことによると後に本人も語っています。 大戦当時の各国の巨頭たちとの交流や絆についてのこうした記述に、チャーチルの正直な感想が述べられており、彼の率直な性格がよく分かりました。
1投稿日: 2020.07.16 - satoko"powered by"
第3巻。アメリカがいよいよ正式に参戦。それも真珠湾。チャーチルは真珠湾のニュースに接してこう言っている。「この辞典で合衆国が完全に、死に至るまで戦争に入ったことが私には分かった。それゆえ我々は結局はすでに戦争に勝っていたのである!」アメリカと戦ってはいけなかったんだろう。戦わざるを得なかったのだろうが。「日本人について言うなら、彼らは粉々に打ち砕かれるだろう。」大喜びである。もう一つは原爆。対ドイツという事でしょうがないのだろうが、原爆開発にはイギリスも積極的に関わっていたし、データの多くもアメリカに提供している。チャーチルはこれに対して肯定的だったのだな。しかし日本に関わる箇所についてはやはり少し心がざわつくな。
0投稿日: 2020.02.02 - natsuoka"powered by"
とにかくヨーロッパの地名、地図が頭に入りきっていないのでリアルタイムで理解は追いつかない、さらに登場人物も多すぎて混乱するが頑張って一旦読了。 ソビエトがようやく危機に気づく。スターリンとの会見でただものじゃないとチャーチルが感じた件は面白かった。アメリカも本気を出して北アフリカ戦線を制圧。徐々にドイツの旗色が悪くなってきている感じ。太平洋戦争は当事者じゃないので記述が少ないが、4巻では終戦までいくのだろうか。この勢いで読んでしまおう
0投稿日: 2019.05.30 - bukuroguidkodama"powered by"
ロシア参戦からイタリア侵攻前まで ところどころ訳文が直訳調すぎるところがあり この手の本でありながら日付が間違っていたりといろいろ疑問 本巻では日本も本格的に登場し 戦後の英国から日本をどのように眺めていたか興味深い それにしてもロシアは付き合うのは勘弁願いたいが見てるぶんには楽しいところだ
0投稿日: 2018.10.17 - まずは1000冊"powered by"
P56 1941年12月7日 真珠湾攻撃 日米開戦 P62 1941年12月10日 戦艦プリンスオブウェールズ、巡洋戦艦レパルス撃沈 「すべての戦争を通じて、私はこれ以上直接的な衝撃を受けたことはなかった。」 P82 1941年12月22日〜1942年1月14日 第一回ワシントン会談(ARCADIA) 「合同三軍参謀首脳委員会」を設立 帰路は急遽飛行艇で。 P93 戦争内閣の指導者のリアルな孤独。 P120 1942年3月28日 サン・ナゼール強襲 ドイツ占領下のフランス大西洋岸、ロワール川河口の重要なドックを破壊 P294 カサブランカ会談 ド・ゴールの態度 P311 モル・フランダース
0投稿日: 2018.09.29 - estheim93"powered by"
このレビューはネタバレを含みます。
非常に濃く、日本とアメリカが主体の太平洋方面の戦局描写こそ確かに薄いもののこれはチャーチルは当事者ではなくこの巻の時点(1943年6月まで)では仕方なかろう。短期間に北アフリカ、米国、カナダ、ソ連・モスクワ、中東、トルコ、カサブランカなど飛びまくり各国首脳や軍高官と直接対話を試みるそのエネルギッシュさは凄まじい。スターリンとの直接会見は極めて興味深く驚くほど率直な物言いもあれば、農業集団化と今度の戦争のどちらが大変かを訪ね、農業集団化の方だと答えさせ多少農民たちへの対応を言わせて集団移住の犠牲の悲劇の裏付けをチャーチルの個人的な裏付けとして得ている。空前の凄惨な大戦争が展開されている中であり、チャーチルはそれをその場ではそれ以上追求する気にはならなかった、とある。一方、ルーズベルト大統領とは会合を重ねるに連れ親愛度を増し殆どの面で意見の一致を見、世界最大の国力の国をがっちりと味方につけた。ロンメルはとの戦いにも勝利し、ソ連はスターリングラード攻防戦を勝ち抜きいよいよ連合軍の優勢は決定的になってくる。そして次巻、チャーチルのこの回想録兼かなり緻密な戦記モノとも言える第二次世界大戦も最終巻となる。歴史的事象を網羅しなおかつある程度のユーモアや楽観主義に救われながらも夥しい犠牲は割と簡素に語られホロコースト関連の詳しい描写にはかけるのでそちらの方面、第二次世界大戦の本質はホロコーストである、とも言われる現在、この大著を読了してもそれで終わるのではなくホロコースト研究書籍への新たな歩みも勧めたい。
0投稿日: 2018.06.10 - okadata"powered by"
「ソビエト政府はヒトラーに攻撃される瞬間まで、自国のことしか考えていなかったようだ。」フランスの崩壊やバルカン戦線への目論見を傍観しながらナチスドイツに重要な経済援助を与え、ヒトラーとの間で分割できるかもしれないと考えたイギリスに援助を求め、アメリカにはイギリスではなくロシアに補給品を要求し、危険や犠牲も顧みずにヨーロッパに再上陸し、第二戦線を作るように要請した。つまりソビエトはヒトラーに攻撃されてからも自国のことしか考えていなかったということだ。 「ソ連が敗れたなら、どうしてイギリスが勝てるというのか」脅しすかしのソビエトの唯一の歓待はモスクワのヒトラー街をチャーチル街に変えるくらいでしかないがそれでもイギリスとアメリカはソビエトに協力をする。やはりナチスドイツに対してはソビエトに踏みとどまってもらわなければならないからだ。 1941年8月12日後に大西洋憲章と呼ばれる共同宣言をチャーチルとルーズベルトは作成した。アメリカはまだ中立の立場ながら「ナチ圧政の最終的な壊滅」と踏み込んだ表現をしている。一方でインドシナを侵略した日本に対しては合衆国における資産の凍結、にイギリスとオランダが同調し日本は石油の輸入を断たれた。 真珠湾攻撃に対するチャーチルの感想は東洋においては大きな損害を被るがアメリカの参戦により「ブリテンは生き残るだろう」というものだった。しかし、シンガポールにおける最新戦艦レパルスとプリンス・オブ・ウェールズの喪失には強いショックを受けている。チャーチルがこの2艦をアメリカ海軍に合流させようと決めた直後だった。ただ戦時中の日本と違いチャーチルは議会に不利な戦況もきちんと報告している。 1942年前半はUーボートが大西洋で猛威をふるい7ヶ月間で300万tが損失を受け対するUーボートは14隻を失っただけだった。後半にはようやくUーボート対策が進み、6月のミッドウェイ海戦がひとつの契機となった。太平洋の制海権は日本からアメリカに移りまだビルマからインド進行の恐れはあるが東洋戦線の負担は限定された。しかし北アフリカではロンメルが脅威として残っていた。 1943年のフランス上陸作戦「オーバーロード」に先立ち、英米が取るべき作戦は何か。ソビエトは42年秋にシェルブールに上陸する「大鎚」を要求するがチャーチルの頭にあったのは北アフリカ進行の「たいまつ」とノルウェーの「ジュピター」だった。42年6月にはリビアのトブルクが陥落しロンメルはアレクサンドリアのすぐ手前まで迫ってきた。エジプトが陥ちるとスエズから中東の石油がヒトラーのものになる。 アレクサンドリアではロンメルを撃退しようやくバランスはイギリスに傾き始めた。そして10月末のアラメインの戦いでは強化された連合軍が優位な空軍によってドイツアフリカ軍団の補給を妨げロンメルは決定的な敗北を喫した。ソビエトでもスターリングラードで反攻しここから連合軍が明らかに優位に立っていく。「アラメイン以前に、われわれには勝利はなかった。アラメイン以後、われわれには敗北はなかった」アラメインの戦いはミッドウェイと並ぶ転機となった。 チャーチルの描写はソビエトやヴィシー政権のフランスなど気にくわない相手の時ほど冴えてくる。抑えてはいるのだろうけど腹を立てているのがよくわかる。
0投稿日: 2015.06.09 負け続ける連合軍に転機が、ミッドウェイ、アラメイン、スターリングラード
「ソビエト政府はヒトラーに攻撃される瞬間まで、自国のことしか考えていなかったようだ。」フランスの崩壊やバルカン戦線への目論見を傍観しながらナチスドイツに重要な経済援助を与え、ヒトラーとの間で分割できるかもしれないと考えたイギリスに援助を求め、アメリカにはイギリスではなくロシアに補給品を要求し、危険や犠牲も顧みずにヨーロッパに再上陸し、第二戦線を作るように要請した。つまりソビエトはヒトラーに攻撃されてからも自国のことしか考えていなかったということだ。 「ソ連が敗れたなら、どうしてイギリスが勝てるというのか」脅しすかしのソビエトの唯一の歓待はモスクワのヒトラー街をチャーチル街に変えるくらいでしかないがそれでもイギリスとアメリカはソビエトに協力をする。やはりナチスドイツに対してはソビエトに踏みとどまってもらわなければならないからだ。 1941年8月12日後に大西洋憲章と呼ばれる共同宣言をチャーチルとルーズベルトは作成した。アメリカはまだ中立の立場ながら「ナチ圧政の最終的な壊滅」と踏み込んだ表現をしている。一方でインドシナを侵略した日本に対しては合衆国における資産の凍結、にイギリスとオランダが同調し日本は石油の輸入を断たれた。 真珠湾攻撃に対するチャーチルの感想は東洋においては大きな損害を被るがアメリカの参戦により「ブリテンは生き残るだろう」というものだった。しかし、シンガポールにおける最新戦艦レパルスとプリンス・オブ・ウェールズの喪失には強いショックを受けている。チャーチルがこの2艦をアメリカ海軍に合流させようと決めた直後だった。ただ戦時中の日本と違いチャーチルは議会に不利な戦況もきちんと報告している。 1942年前半はUーボートが大西洋で猛威をふるい7ヶ月間で300万tが損失を受け対するUーボートは14隻を失っただけだった。後半にはようやくUーボート対策が進み、6月のミッドウェイ海戦がひとつの契機となった。太平洋の制海権は日本からアメリカに移りまだビルマからインド進行の恐れはあるが東洋戦線の負担は限定された。しかし北アフリカではロンメルが脅威として残っていた。 1943年のフランス上陸作戦「オーバーロード」に先立ち、英米が取るべき作戦は何か。ソビエトは42年秋にシェルブールに上陸する「大鎚」を要求するがチャーチルの頭にあったのは北アフリカ進行の「たいまつ」とノルウェーの「ジュピター」だった。42年6月にはリビアのトブルクが陥落しロンメルはアレクサンドリアのすぐ手前まで迫ってきた。エジプトが陥ちるとスエズから中東の石油がヒトラーのものになる。 アレクサンドリアではロンメルを撃退しようやくバランスはイギリスに傾き始めた。そして10月末のアラメインの戦いでは強化された連合軍が優位な空軍によってドイツアフリカ軍団の補給を妨げロンメルは決定的な敗北を喫した。ソビエトでもスターリングラードで反攻しここから連合軍が明らかに優位に立っていく。「アラメイン以前に、われわれには勝利はなかった。アラメイン以後、われわれには敗北はなかった」アラメインの戦いはミッドウェイと並ぶ転機となった。 チャーチルの描写はソビエトやヴィシー政権のフランスなど気にくわない相手の時ほど冴えてくる。抑えてはいるのだろうけど腹を立てているのがよくわかる。
0投稿日: 2015.06.08- bax"powered by"
このレビューはネタバレを含みます。
[ 内容 ] <1> 強力な統率力と強靭な抵抗精神でイギリス国民を指導し、第二次世界大戦を勝利に導いた歴史的な政治家チャーチル。 本書は、歴史の舞台に直接参加した彼の手による、最も信頼すべき最高の第二次世界大戦の記録だ。 深い歴史観に基づく著作活動によってノーベル文学賞を受賞した彼の歴史物語を堪能できる。 第1巻は、一九一九年から第二次世界大戦勃発の翌年までを描く。 <2> 一九三九年九月、ついに英仏両国はドイツに宣戦布告し、史上例を見ない規模の世界大戦が勃発した。 翌年五月、ドイツ軍はオランダとベルギーに侵攻してフランスに進撃、たった三週間でフランス軍は壊滅状態に陥った。 イギリスは最初は無防備のまま孤立するが、敵対的中立を装ってヒトラーを支援するソ連をよそに、「単独で」ヒトラー・ドイツと耐久戦を始める。 <3> ソ連の参戦は連合国側には歓迎すべきことだったが、強力なドイツ軍を相手に、その抵抗力は充分とは言えなかった。 一九四一年十二月、日本の真珠湾奇襲攻撃によってついにアメリカが参戦に踏み切り、戦線は欧州から一挙にアジア太平洋地域へと拡大した。 枢軸側の猛攻の前に連合国側は苦戦を強いられたが、カサブランカ会議やカイロ会談など反抗の準備が始まる。 <4> 第二次世界大戦は、連合国側による反抗へと戦局が転換していた。 ドイツ、イタリア、日本は守勢にまわり始め、スターリングラードの攻防戦で形勢は完全に逆転した。 シシリー征服からイタリア進攻、テヘラン会談。 そして一九四四年六月六日、ついに史上最大の作戦「ノルマンディー上陸」が開始された。 翌年五月、チャーチルはドイツの無条件降伏を発表した。 [ 目次 ] <1> 第1部 不幸への一里塚―1919~1940.5.10(勝者の愚行―1919~1929;絶頂期の平和―1922~1931;アドルフ・ヒトラー;いなごの年―1931~1933;暗黒化への背景―1934;崩れた空軍の均衡―1934~1935;挑戦と反応―1935;イタリアに対する制裁―1935;ヒトラー出撃す―1936;幕間の舞台裏―1936~1938 ほか) <2> 第2部 単独で―1940.5.10~1941.6.22(挙国連立;フランスの戦い;海への進軍;ダンケルクの救出;獲物へ殺到;ふたたびフランスへ;本土防衛と反撃体制;フランスの苦悩;ダルラン提督とフランス艦隊―オラン;窮地に立って ほか) <3> 第3部 大同盟―1941.12.7~(われわれの同盟国ソ連;ルーズベルトとの会見;ペルシアと沙漠;真珠湾!;世界大戦さなかの旅;英米の一致;シンガポール陥落;Uボートの天国;アメリカ海軍の勝利。珊瑚海とミッドウェイ島;「第二戦線をいま!」 ほか) <4> 第4部 勝利と悲劇―1943~1945(シシリーの征服とムッソリーニの失脚;人工の港湾;イタリア進攻;地中海における停頓;北極洋の輸送;テヘラン会談―開幕;テヘラン―難問と解決;カルタゴとマラケッシュ;チトー元帥―ギリシアの苦悩;アンチオ攻撃 ほか) [ 問題提起 ] [ 結論 ] [ コメント ] [ 読了した日 ]
0投稿日: 2014.10.31 スターリンと仲良してね
主に対ソ連対策にページをさきます。チャーチル君はスターリンさんがあまり好きではない。ルーズベルトさんは大好き。 ルーズさんにちょっかいをだす日本さんのミッドウェーでの争いは見てきたかの如く・・・。政治家の見る戦争って・・・。たしかに兵士の視点とは違います。
0投稿日: 2013.12.02- マツモットハージメ"powered by"
長かった。 (−_−;) 途中で何度やめようと思ったことか。 ストレスなく読むには私には教養がなさ過ぎました。 ヨーロッパを中心とした第二次世界大戦の、主要な場所、戦闘とその計画、重要な会談等々が頭に入ってないと 読んでいて、もうワケワカラン。 チャーチルさん、宰相の書く文章じゃないっす。 こまかすぎます。 加えて日本語訳も分かりづらい。 ずいぶん昔に訳されたっきりみたいです。抄訳が読みたかった。 でも読んで良かった。 本書を読んで、自分は日本から見た第二次世界大戦しか知らなかったという事がよく分かった。 アメリカって、太平洋だけでなく ヨーロッパでも戦ってたんだね~。 ノルマンディー上陸作戦というのが、だいたい何なのかようやく分かった。 本シリーズ読破は今年の目標30個のうちの一つでした。 次はベストアンドプライテストで、ベトナム戦争について理解を深める。
0投稿日: 2013.08.29 - torax3"powered by"
いよいよ戦争も中盤へ。世界から見ると対日戦は副次的位置付けだったことがわかる。また、結局のところヨーロッパでもアジアでも勝敗を決めたのは生産大国アメリカを取り込めたかと、輸送線確保できたかどうか。また第二次世界大戦は各局地戦争が複合的に集結したものだが、その起因は王政打倒、ボルシェビキ、恐慌、失地回復あたりに収斂されるか。
0投稿日: 2012.05.14