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総合評価

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    死はそれを感じ、経験することで初めて言葉にできる。   美しいモノを前にした時、言葉は目の邪魔になる。 言葉は人間の理解と行動のための道具にしかすぎない。 感動は消えてしまう。 美しさを感じるために知る。 耳を澄ますとは、音楽の明示する音を絶対的な正確さで捉えること。 私の人生から割出した結論。 自分を受け入れる、過去現在を。 自分なりの文体を持つ。 働くことが平和なのである。

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    投稿日: 2021.03.23
  • 信じることと知ること

    現代人、とりわけ理性的な人は、科学的なもののみを思考の対象としていますが、では、世の中で経験される合理的・科学的でないものをどう考えるべきかが問題提起されています。 現代人は、合理的精神で説明がつかないものをナンセンスだと言って、思考から捨て去っています。合理的であることは、近代社会の中で効率的に生活していくうえでは重要なことですが、果たして捨て去ったところにあるものをどうすればいいのでしょうか。確かに、科学で説明できないことが、我々の周りでは経験されているのではないでしょうか。 小林秀雄が強い影響を受けた哲学者ベルグソンのことが引用されています。ある講演会にてベルグソンが聴講していたときに、超自然現象に関する話題で質疑が行われました。ある婦人は、夫が戦死した時刻に、夫の死ぬ様子を夢に見たと言ったのに対して、ある医者がその婦人の事例に直接触れず、世の中には他に幻を見たけどそれが誤りだった事例がたくさんあると答えました。それを聞いた別の若い女性が「先生のおっしゃることは論理的には正しいかもしれませんが、何か先生は間違っていると思います。」といったそうです。ベルグソンもその若い女性が言っていることが正しいと思ったのです。 その医者は、婦人の話を直接扱わないで、別の問題にすり替えてしまったわけです。しかしその婦人は自分が実際に経験したことを話したわけです。科学者は経験を尊重しますが、それは我々が普通に経験しているものとは違う科学的な経験に置き換わっているわけです。科学は、我々が生活の上で行っている広大な経験を合理的な経験に置き換え、計量化できるものだけを扱っています。科学はその計量化された経験だけに集中したが故に、大きな成功を収めているのですが、反面、切り捨てられている経験がそこにはあるはずです。 ベルグソンや小林秀雄は、普通の意味で理性的に話していますが、しかし、それは科学的な理性ではないのです。科学の狭い方法では扱えないものがたくさんあるのではないのでしょうか。 合理性の外側で広大に経験される世界に話は広がります。柳田国男の「遠野物語」の話に触れて、山の生活は我々平野人には忘れ去られた深遠なる経験の世界が残っているのだというのです。 合理的であることという現代人にとって極当たり前な考え方に縛られて、あまりにも合理的に現代社会を生きることだけに注意を凝らして、この世の中を見たり聞いたり感じたりしていなかったのではないのだろうか、そういう反省が心のうちに自然と湧き出てきます。

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    投稿日: 2014.10.05
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    「2」に完敗した。いやまるでその難解さに歯が立たなかった。悔しさと劣等感とで仕返しのように流して読んでやろうと、再度齧り始めたら驚きの咀嚼易さだった。しかも今まで読んできたどの文化評論よりも内容が濃く、今まで触れてきたあらゆる言説を網羅していた。  現在までの文化批評なんざ、およそ小林秀雄の焼き直しに過ぎないということがわかってしまった。 軽いのも、重いのも、わかりやすいのも、難しいのも。

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    投稿日: 2013.08.31
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    「夢もまた人生に必要ではないか、と。しかし、夢とは、覚めてみればこその夢なのではないか。日常の通念の世界でわれに還るからこそ、あれは美しい夢だったと言うのではないか。そして、通念とは万人の夢ではないのでしょうか。」(私の人生観) 考えるヒントは私にとって、food for thought(思考の糧)であり、とてもすべてを理解したとは言い難いが、それでもなお率直な語りに刺激を受け、開眼させられることが多い。氏の文章を読むにつれ、もう一度日本の歴史を、中でも文学の歴史を、万葉集、西行、芭蕉、本居宣長と辿ってみたくなった。

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    投稿日: 2013.01.06
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    何度も何度も読み返している。 小林秀雄の凄いところは、一旦小林秀雄を離れて周遊し、別のジャンルで知見を得た後に、再び小林秀雄に戻った時に感じる。新たな発見がその都度出てくるのだ。

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    投稿日: 2012.05.07
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    講演などを書き下ろしたものが多くなり、前巻よりは読みやすい。 戦争で旦那さんを無くした婦人が、旦那さんが死ぬ瞬間を夢で見たというエピソードに対するベルグソンの態度を書いているが、そのことをあるがままに受け入れるといった内容に感銘を受けた。 でも、やはり難しい一冊である。

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    投稿日: 2012.01.20
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    私が秀雄信者なのは、何もイケメンだからだけではないのですよwwww ジブリ風に言えば「カッコいいとはこういうことさ」

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    投稿日: 2011.10.02
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     論理とはまた異なる、別のものがあるのではないか。そんなものを思わせる本であった。小林秀雄は、読めば読むほど奥深く、鋭いものだ。

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    投稿日: 2010.01.27
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    (2004.04.11読了)(2001.12.21購入) 副題「小林秀雄講演集」 本の中扉に<小林秀雄講演集>とあるので、あちこちで行った講演を文字にしたものを集めてある。 ●信ずることと知ること ベルグソンの話と柳田国男の話を引き合いに出しながら不思議を不思議と受け取る素直な心が失われつつあることを嘆いている。 ベルグソンの話。「ある婦人が夢を見た。夫が遠い戦場で戦死した時、ちょうどその時刻に夫が塹壕で倒れたところを夢に見た。それを取り巻いている数人の兵士の顔まで見た。後で調べると、夫は夫人が見た通りの格好で、周りを数人の同僚の兵士に取り囲まれて死んだということがわかった。」これに関するベルグソンの考えは「夢に見たとは、確かに念力という未だはっきり知られない力によって、直接見たに違いない。そう仮定してみることが自然だし、理にかなっている」というものです。 この話を聞いたある医者は、「昔から身内のものが死んだ時、死んだ知らせを受け取ったという人は非常に多い。けれども、その死の知らせが間違っていたという経験をした人も非常に多い。たくさんの正しくない幻をほっといて、正しい幻のほうだけに気を取られるのか。」と答えたそうです。(これが近代科学の考え方です。) ●美を求める心 「近頃の絵や音楽は難しくてよく判らぬ、ああいうものが解るようになるには、どういう勉強をしたらいいか、どういう本を読んだらいいか、という質問に対する答え」 「絵は、眼で見て楽しむものだ。音楽は、耳で聞いて感動するものだ。頭で解るとか解らないとか言うべき筋のものではありますまい。まず、何を措いても、見ることです。聞くことです。」ピカソの絵を見てわからないのは、見慣れていないからだ。 もっともなことで、僕自身もマーラーの交響曲第一番「巨人」やストラビンスキーの「春の祭典」を最初に聞いたときは、ちっとも楽しめなかったけれど、今は、楽しんで聞ける。 ピカソ、カンジンスキー、クレー、ノルデ、ド・スタール、フォンタナ、ポロック、等も十分楽しめる。展覧会を見に行ったら、説明を読む時間より、絵を見る時間をより多くとるべきだ。説明を読むのも見る参考になるけど、説明を読むのに1分、絵を見るのは20秒ではもったいない。絵を見るのを2分とか1分20秒とかにすべきだ。 「見ることも聴くことも、考えることと同じように、難しい、努力を要する仕事なのです。」 ということは、やっぱり、何をどのように見、何をどのように聴いたらいいのかを学ぶ必要があるのかもしれないし、学ばずして感じることができる人だけが芸術に親しむことができるということなのかもしれない。 「立派な芸術というものは、正しく、豊かに感ずることを、人々にいつも教えているものなのです。」 ●政治と文学 「きけわだうみのこえ」に収められた手記について 「戦争の不幸と無意味を言い、死に切れぬ思いで死んだ学生の手記は採用されたが、戦争を肯定し喜んで死に就いた学生の手記は捨てられた。その理由が解らぬなどといわぬが、あの本に採用されなかった様な愚かな息子を持った両親の悲しみを思った。」 これは、小林さんの、時代に迎合するジャアナリズムの危うさに対する警告と読むべきか? ●文学と自分 「事変の始まった当時、戦争に処する文学者の覚悟如何という回答を雑誌社から求められたことがあった。戦うのは兵隊の身分として戦うのだ。銃をとる時が来たらさっさと文学など廃業してしまえばよいではないか。」 「一文学者としては、あくまでも文学は平和の仕事であることを信じている。」 (これは、1940年の講演) ☆小林秀雄さんの本(既読) 「私の人生観」小林秀雄著、角川文庫、1954.09.15 「無常という事」小林秀雄著、角川文庫、1954.09.20 「ドストエフスキイの生活」小林秀雄著、角川文庫、1955.08.20 「ゴッホの手紙」小林秀雄著、角川文庫、1957.10.30 「モオツァルト」小林秀雄著、角川文庫、1959.08.10 「モオツァルト・無常という事」小林秀雄著、新潮文庫、1961.05.15 「対話 人間の建設」岡潔・小林秀雄著、新潮社、1965.10.20 「近代絵画」小林秀雄著、新潮文庫、1968.11.30 「考えるヒント」小林秀雄著、文春文庫、1974.06.25 「考えるヒント2」小林秀雄著、文芸春秋、1974.12.10 著者 小林 秀雄 1902年 東京生まれ  東京大学仏文科卒 1929年 「様々なる意匠」雑誌「改造」の懸賞論文に入選 1953年 「ゴッホの手紙」読売文学賞受賞 1958年 「近代絵画」野間文芸賞受賞 1959年 芸術院会員 1967年 文化勲章受賞 1978年 「本居宣長」日本文学大賞受賞 1983年3月 死去 (内容紹介) amazon 好評の「考えるヒント」1・2に続く小林秀雄ファン待望の第三弾。巻頭に書き下ろし最新稿を、そして文藝春秋発表、単行本未収録の論考などをも収録した充実篇

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    投稿日: 2009.11.16