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カラマーゾフの兄弟〈2〉
カラマーゾフの兄弟〈2〉
ドストエフスキー、亀山郁夫/光文社
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総合評価

131件)
4.0
39
39
29
4
1
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    ひろみん
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    キリスト教の教えを知らないのでよくわからないところが多かったです。「自由」の意味が気になります。 登場人物のこれからがどうなるのかを読むのが楽しみです。

    0
    投稿日: 2025.02.02
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    意外と短期間で読めた。各人物の思想が多面的に見えてきて少しずつ厚みを持つ。途中これは何を示している…?となるセリフや地の文は、伏線として張られたものであり、後々回収されるであろうということが、巻末の読書ガイドおかげでわかった。

    2
    投稿日: 2024.12.07
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    仁義
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    学生の頃チャレンジして難解さから挫折した本。時代背景に関する知識不足(これは今もない)や興味の対象が狭いために最後まで読み終えられなかった。今回読んでいても当時最後まで辿り着かなかったとしても仕方ない部分があると過去の自分を慰めながらやっとこさ2巻まで読み終えた。カラマーゾフ一族のストーリーにのせた神に対するプロとコントラ(肯定と否定)が現代にも通ずる宗教哲学的な要素を含む命題で興味深い。

    5
    投稿日: 2024.07.27
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    emfuj1
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    第2巻の有名な大審問官のくだりは一読しただけではよく解らず何度も読み返した。キリストの教えでは大多数の弱い庶民は救えないのでローマカトリックは悪魔と手を結んだと大審問官がキリストに語る。よくこんな不信心な発想できるな。でも仏教の大乗/小乗の分裂(人々の救済を目指す/自身の解脱を目指す)と似ているとも思った。イワンの主張は大審問官の1つ前の子ども殺しのくだりと併せてごもっとも。科学がさらに発達した現代の我々にとってはイワンの考え方が近く感じる。解説に出ていたライプニッツの楽天主義を批判するヴォルテールの小説カンディードもいつか読んでみたい。

    2
    投稿日: 2024.05.28
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    育休中の読書家
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    だいぶ飛ばし飛ばし読んでしまった。 第一部よりは面白いが、まだもどかしい。 イワンとアリョーシャの有名なやり取りはまた時間があったらゆっくり読み直したい。

    0
    投稿日: 2024.05.21
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    フラニー
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ゾシマ長老がいよいよ最後の懺悔をし、聖体を受けたいと言う朝から始まる。 アリョーシャはゾシマ長老から修道院を出るように言われているけれど、何故なのかというのがこの朝のパーイーシー神父からの言葉に現れていた。 神父がアリョーシャにかけた言葉「さあ、お行きなさい、みなし児よ」って今思うと含みあるなぁ。 小学生たちの喧嘩騒ぎに巻き込まれるアリョーシャは、カラマーゾフ家に恨みのある少年に指を噛まれる。こういう少年たちとアリョーシャのやりとりがYA文学っぽさがあって好き。 リーズちゃんとアリョーシャの恋もしかり。リーズのめんどくさい女心がとぉっても可愛く?いやエキセントリックに描かれててたまりません。 それに比べてその後のカテリーナの執着心といったら…ドストエフスキー様の女性の描写力にただただおののきます。 2巻はこの後のイワンによる叙情詩、『大審問官』に悩まされる。。これは、教養あるイワンによる、無神論思想の言い訳的物語ですかね、それとも天使アリョーシャへのあてつけ? 正直読んだだけで、まったく理解出来てませんのでいつか解説書的なものと共にもう一度読みたい。 あとは、我が推しスメルジャコフちゃんのあのセリフ「つまり、賢い人とはちょっと話すだけでも面白い…最高❤︎ そして、ゾシマ長老は大地に口づけて、神に魂をあずけました。。

    5
    投稿日: 2024.03.29
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    Tsubasa
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    難しい。「大審問官」に至るまで随分と時間がかかってしまった。 でも、「大審問官」を読んだときには、自分の内側にあった問に対する答えのヒントがありそうで、とても惹きつけられた。

    1
    投稿日: 2024.03.12
  • korisu3964のアイコン
    korisu3964
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    2巻に無事突入。1巻を読了したときは「面白く読めているのは自分の成長と思いたい」と書きましたが、大それた考えでした。2巻には有名な「大審問官」の叙事詩が挿入され、なかなか手強い巻です。 2巻の読みどころは ○禁欲の行者として知られ、ゾシマ長老と敵対するフェラポント神父の登場 ○極貧の元軍人、スネギリョフ二等大尉と誇り高い息子、イリューシャとの出会い ○イワンがアリョーシャに聞かせる自作の叙事詩「大審問官」と、聞かせた後の2人の会話 ○ゾシマ長老の生涯の記述と臨終前の説話 2巻を単なる物語として読んだ場合、ゾシマ長老の決闘の顛末もあり、娯楽性に富んでいます。しかし、本巻では「大審問官」が最大の読みどころであり、読者にとっても最大級の挫折ポイントと思います。 時は16世紀のスペイン。「大審問官」とはキリスト教における異端審問を担当し、異端と判断した者を次々と火炙りに送っていた者。叙事詩に登場する大審問官は90歳の老人。彼の前にキリストが現れて、子供の命を蘇らせるという奇跡を見せます。ところが、大審問官はキリストを異端者として牢に繋ぎます。そして読みどころへ大審問官がキリストに対して行う説教です。 その内容は、 自由がもたらす苦悩 人々が求めるのは、奇跡と神秘と権威であり、この3つで人々を支配する教皇の正当性 ポイントは叙事詩を作ったイワンは無神論者であり、この叙事詩を聞いて混乱状態に陥るアリョーシャは純粋な信仰者であること。叙事詩はキリストの大審問官への接吻で終わりますが、聞き終えたアリョーシャもイワンに接吻します。 2巻巻末の「読書ガイド」に大審問官を読むための基礎知識が書かれています。大変、親切なガイドと思いますが、これを読んでも「大審問官」の章は理解できたとは思えません。全5巻を読んだ後にゾシマ長老の臨終間際の説話と合わせ再読するつもりです。 非常に奥が深い「カラマーゾフの兄弟」。次の展開が楽しみです。

    2
    投稿日: 2023.09.11
  • abrahumのアイコン
    abrahum
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    イワンの物語詩「大審問官」とアリョーシャの「ゾシマ長老の談話と説教」が対を成し、神は存在するのかしないのか大きな命題を突きつけられたような壮大な第2巻。 壮大な宗教の経典を読んでるような重苦しさもあったが、巻末の読者ガイドが親切で理解も深まった。 「自分の苦しみは他人にはわからない」「人間誰しも全ての人に対して罪がある」など突き詰めて考えればそういうことだなと双方納得させられるものがあった。 ゾシマ長老の少年時代の逸話がなんとも微笑ましい。さてここから物語はどう展開してゆくのか?

    11
    投稿日: 2023.09.07
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    まさあき
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    ヒットワード連発の巻でした! 「いかがなもんです、いかがなもんです!」 “さくらんぼのジャム” 「一粒の・・・」 後はゾシマさんの話が染み入ります。

    1
    投稿日: 2023.06.09
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    minie
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    みんなすごい作品だと言い、自分が同じ物を感じ取ってるのか確かめられないけど、しいていえば、脳みそをがんがん揺さぶられて、思考や価値観の方向性を強制的に軌道修正させられる2巻目。抵抗しようにも論破され納得せざるを得ない。信じるしか道は無いのか。

    2
    投稿日: 2023.05.17
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    ユウダイ
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    ※作品の感想は最終巻(5巻)でまとめてアップします。 【コラム】 ◇ドストエフスキーとは、具体的にどんな人? 1821年、ドストエフスキーは、モスクワの貧民療養病院の医師ミハイル・ドストエフスキーの二男として生まれる。父は怒りっぽく気難しい人であったが、母のマリアは穏和で、篤い信仰心の持ち主だった。父は後年、地主貴族となり、農奴を100人持つほどの身分となる。16歳の時、7人の子どもを育てた母が、結核で病死。また、18歳の時には、領地に引きこもっていた父が農奴たちに殺害されるという事件が起こる。百姓やその娘に虐待と暴行を繰り返し、殺されるほどの恨みを買った父の悪行に、若い彼は大きなショックを受けた。彼の持病となる癲癇(てんかん)の最初の発作もこの時に起きたと言われている。 その後、ドストエフスキーは中央工兵学校を卒業し、工兵局製図室に勤務するが、なじめず翌年辞職。彼の関心と熱意は文学に集中していった。1845年、25歳の時、書き上げた処女作『貧しき人びと』は絶賛を受け、文学史上の一事件にさえなった。原稿を徹夜で読んだ詩人ネクラーソフと友人グリゴローヴィチが、感動のあまり夜の明けるのも待ちきれずに彼のアパートを訪ね、この青年の前途を祝したエピソードが有名。 1846年、25歳の時、農奴制度の廃止や裁判・出版制度の改革を掲げる革命的(キリスト教的)秘密結社を主催する空想的社会主義者ペトラシェフスキーに出会い、彼らの勉強会・社会革命活動に参加し始める。この行動が元ととなり、28歳の時、会員と共に逮捕され、ドストエフスキーを含む21名が死刑を宣告される。銃殺刑の直前、処刑場に皇帝の特赦の勅命が到着しなんとか死を免れた。絶対的な死と直面したこの体験は、その後の彼の人生観と作品に大きな影響を与えることとなる。 4年間のシベリア流刑の身となった彼は、劣悪な環境のもと、過酷な囚役と監獄での共同生活を送った。その後、セミパラチンスクのシベリア守備大隊に約5年服役、その地で知り合った人妻マリアと恋愛関係に陥り、36歳の時、紆余曲折を経て未亡人となったマリアと結婚した。1859年、38歳の時、ペテルブルク居住を許され、10年ぶりに作家活動に復帰した。   1861年、40歳の時、兄のミハイルと雑誌『時代』を発刊する。『虐げられた人びと』によって、再び文壇に返り咲いたが、その数年後に、結核で療養中の妻、続いて兄のミハイルが他界した。1866年、45歳の時、速記者アンナに出会い、再婚。彼女はかしこい良妻として、彼の生涯の終わりまで良きパートナーとなった。結婚の2ヶ月後から、4年と2ヶ月余りにわたってヨーロッパに滞在、放浪生活を送る。この間に、長編『白痴』を執筆、完成、次の長編『悪霊』も構想、連載された。アンナとの間には4人の子どもをもうけたが、そのうちの二人を幼少期に失っている。 1876年、55歳の時、月刊個人雑誌『作家の日記』を刊行。晩年の彼は政治問題、社会問題についても積極的に発言した。1881年、59歳の時、最後の大作『カラマーゾフの兄弟』の完成からわずか80日後に、肺気腫が悪化、自宅の書斎で妻子や知人に看取られながら息をひきとった。葬儀には、学生や乞食たちも含めた約三万人の人々が沿道に押し寄せ、棺の後に従ったという。 というのが、ドストエフスキーの白歴史であるが、実は黒歴史もある。黒歴史は以下となる。 ドストエフスキーは異常なまでのギャンブル依存症で、ギャンブルで作った借金返済のため、妻の結婚指輪を外させて、質屋に持参したというエピソードも。またギャルブル依存症にまつわるエピソードには、事欠かない。愛人との旅行でドイツを訪れたドストエフスキーは、ギャンブルで連戦連敗。借金返済のため、自分が持っていた時計も売り払う。最終的には、親族や出版社の援助で負債をなんとか清算。その後、執筆した「賭博者」という作品は、この時のドイツでの実体験が基になったんだとか。 借金に追われ、経済的に困窮していたドストエフスキーは、悪徳出版業者との間に次のような内容の契約を結ぶ。 1. 金を貸してもらうのと引き換えに、一定の期日までに新作の長編小説を完成させる。 2.もし期日までに完成できなければ、違約金を支払う。 3.さらに納期を守れない場合は、自身の作品の著作権を、業者に半永久的に譲渡する。 圧倒的に不利益な契約だが、金に困ったドストエフスキーには、背に腹はかえられぬため、断るという選択肢は無かった。そのプライドを捨ててまで得た大事な借金も、ギャンブルでほぼ使い果たしてしまうという、典型的なダメダメっぷり。 この上ない逆境に追い込まれたドストエフスキーは、ようやく一念発起。新作長編の執筆に取り掛かる。タイトルは「罪と罰」。言わずと知れたドストエフスキーの代表作だ。だが、生きていくために一人でこなせない程の仕事をすでに抱えていたため、執筆時間が正直言って確保できない。そこで最終手段として、口述筆記によって完成させたんだそう。 ちなみに、前述の「賭博者」も口述筆記で完成させており、その際に筆記者を担当したアンナという25歳年下の女性と二度目の結婚をする。このアンナもドストエフスキーのために相当な苦労を強いられ、借金返済のために嫁入り道具を全て質入れに出されてしまう。 それにしても、世界の文学史に燦然と残る傑作が、借金のプレッシャーから生み出された作品とは意外だし、驚愕する。   「罪と罰」執筆以降も、ドストエフスキーのギャンブル好きは治るわけもなく、困窮生活は続く。生活と借金返済のために、必死で小説を書き続けるという、まさに自転車操業生活を強いられる。 そうして生きるために必死で書き続けた作品の数々が、現在でもロシアを代表する傑作として、世界中で読み継がれている。 やはり一つの才能に特化した天才は、通常出来て当たり前のことが、ことごとく何も出来ないという、一種の“天才あるある“は、古今東西を問わずなんだと、妙に実感。 今の段階で2/5を読んだが、一冊目読了時と変わらず僕が過去読んだ中で、最高傑作になる可能性を秘めている。最後のエンディングがどういう結末を迎えるのか、この上なく楽しみであるし、是非こちらの想定を上回るラストであって欲しいと、心の底から願って3巻目に移る。

    93
    投稿日: 2023.04.24
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    firegoby
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    1巻目で、人物が分かってようやく物語に入り込めた感じ。アリョーシャと貧しい子供との出会い、イワンの大審問官の物語、そしてゾシマ長老の物語。 一つ一つが、濃い。 ただ、キリスト教への造詣が深いとまではいかなくとも、何かしら神について考えるところがないと、登場人物達が語る内容への感情移入がしにくい。

    1
    投稿日: 2023.04.03
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    Wisteria
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    イワンがアリョーシャに話をする内容が特に難解でした。この後に続くゾシマ長老の過去の話が簡単に感じられるほどです。

    1
    投稿日: 2023.01.15
  • hrykのアイコン
    hryk
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    1巻目よりかはスラスラ読めました 笑 個々のストーリーが散りばめられており、 アリョーシャとリーズの関係性が1番面白かった。 ただ大審問官やロシア修道僧あたりの宗教色が強い場面は難しく感じました。 いざ、3巻目へ

    3
    投稿日: 2022.11.05
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    snowdome1126
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    圧巻の読み応えの2巻。 めちゃくちゃひきこまれました! 有名な大審問官のパートはつきささったし、それ以外にも印象的なくだりが盛りだくさん。 スネギリョフとイリューシャの、貧しさと闘うなかでの鬱屈とプライド、それから親子愛。 若かりし日のゾシマ長老を訪ねる謎の訪問者も面白かったなあ。 あと意外だったのが、若いアリョーシャとリーズが想いをかよわせる場面! うそ……これ……60近いドストエフスキーが書いているんだよね? 読んでいるこちらがムズムズしてしまうくらい、甘酸っぱいんですよ。 文豪の知らない顔を垣間見た気がして、なにげに好きなところでした。 ところで、今回、読んでいる途中でちょっと失敗してしまったのですよね。 「あれ? これ前の部分でどうなってたっけ?」と気になったところがあって、軽くネット検索で調べたら、偶然、できれば本を読んでいくなかで知りたかった先の展開を見てしまい。 うわああ、やってもうたああ(泣)。 でも、横着した、自分が悪いんだよなあ。 今度からは、気になったところが出てきても、作品を読んでいる途中は楽だからと検索せず、前に戻って探すか、潔くあきらめて先へ進むことを決意した次第でした。

    15
    投稿日: 2022.10.17
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    一条浩司(ダギナ)
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    さらに泥沼化するかに思える複雑な人間模様のなか、兄イワンと高僧ゾシマ長老がそれぞれに神学的テーマを展開。 キリストにケンカをふっかけるイワンの創作叙事詩『大審問官』の衝撃と、ゾシマ長老の愛に満ちた談話・説教のコントラストが印象深い。いずれも難解で普遍的なテーマを含んでいるため、ざっと一読では消化不良に終わってしまった。とりあえずネット上にある解説や考察などを調べてみているが、ここは宗教に疎い人はつらいところかも。 とはいえ、主人公アレクセイを中心に起こるトラブルの数々は筋書きとして面白いし、各人物の魅力や思想的な深みも相まってものすごく重層的な世界が出来上がっているなぁと圧倒された。

    3
    投稿日: 2022.09.05
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    マグカル子
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    キリスト教に馴染みのない(クリスマス程度でしか関わらないからね)大多数の日本人にとっては読み進めるにあたって鬼門となる2巻。だけれどもイワンとゾシマ、どちらのエピソードもこの物語の核、芯となる重要部材なので絶対に外せない。 「カラマーゾフの兄弟の感想を聞かせて?」と頼まれたら、8割くらいの人間がこの巻の話をするんじゃねえかな? かくいう私も一読で理解しきれたとは言えないのでこれから何度も読み返すと思う。

    2
    投稿日: 2022.07.30
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    lmndiscrm
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    大審問官とゾシマ長老の伝記的内容が「対」になっているようにも見えたが、訳者の解題の通り、イワン陣営VSアリョーシャ陣営で見るととても構造が理解しやすかった。 キリスト教が15世紀間の間に前提とした条件などが変わることで、既に実用に耐えうることができなくなっているという投げかけや、キリスト教が課した要望の高さ(自由など)についていけない多数派と乗り越えうる少数派を対比させ、かつ、当時とは数が違うことも引き合いに出し、内在する選民的側面を炙り出したりするなど、イワンの持つ、神の創った世界=キリストが悪魔から退けた世界、への疑念が詰まっているパート。 そこから始まるゾシマ長老の伝記的パートが、イワンの問いへの回答のようにも見える。過去に殺人を犯した訪問者の精神や行動の遷移に則り、個人の内面での葛藤=罰の持つ影響などが語られている。無神論や世界の否定を述べたとして、この内省に「神」は介在しているのだろうか。つまるところ、イワンの言う個々人に課された要求の例としての貧しさの面などは、結局物的なものが多く占めており、この葛藤は精神的な活動であり、望まずとも訪れてしまう活動だと思われる。自由な精神活動を送ることに大半の人間は耐えきれない、と言う内容が議論対象。その際に、どう心を持つか、どう内面を取り扱うか、その参照事例としてのキリスト教、神、という事例に過ぎないのではないだろうか。罪を明らかにしたことで、ゾシマ長老にその矛先が向き、ある意味で「救われた」状態になった、これをキリスト教的に解釈するか、無神論または自然崇拝的に解釈するか。個人が個人と内省的に向き合い続けた結果の、自立した個人、というものがキリスト教的な理想像として提示されているように思える。そこに至れるかどうかはさておき、指針として基準を設けておくことは、社会的な安定において重要だと考えられる。そのため、その基準が適切でない、なくなったことでのイワン的な問いかけもまた意義があり、多様であればあるほど、その議論はどの論へも還元されていき、また一つ変化をもたらすことになる。無神論的であっても訪れることが想定される「内省」にどう対処していくか、無神論的処方が提示されていく必要がある。 次巻以降で本格的に、ドストエフスキーが「ロシア」というものをどう捉えたか、「父殺し」「民衆」「父と神がかりの子供」「無神論」など壮大なテーマを登場人物の属性に落とし込んで表現されていき、かつ、多面的に表現することで(イワン陣営VSアリョーシャ陣営のように)論に厚みを出していることで、傑作たらしめているというか、時間の評価にも耐え続けているというか、そういった側面を感じ取ることができた。

    1
    投稿日: 2022.07.05
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    lho
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    読書ガイドから抜粋 僧侶は、妻帯を禁じられた黒僧、妻帯を許可された白僧の2種類に分かれ、19世紀半ばではだいたい2対5の割合で存在し、どちらの種類の僧侶も、僧衣の色はほぼ黒と定められていた。教会で地位を築くには黒僧になるのが必須だったため、アリョーシャが婚約したのはかなり攻めていだとも言える。 第1部で父フョードルがイワンとアリョーシャを相手に投げかけた問い、つまり神の存在と不在をめぐる問いが第5編「プロとコントラ」と第6編「ロシアの修道僧」に結実する。

    1
    投稿日: 2022.06.13
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    __u__m__k__3
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    1巻を読んでいる時は、分からない宗教の話が続いて挫折しそうになったが、個人的には面白いと感じる事がようやく出来た2巻目だった。 主人公達を取り巻く主要なサブキャラ達がしっかり出てきて特徴を掴めてきたから面白さを感じられたのかもしれない。 キリスト教ではないし、ロシアの歴史はほとんど知らないが、読み進めるうちにとても興味が湧いた。知りたくなった。 「自分を振り返ったときに恥ずかしくない振る舞いをしなさい」というようなフレーズがあった。(うろ覚えだが)できる限りそうしたいなと改めて気付かされた。

    4
    投稿日: 2021.12.25
  • masamzoのアイコン
    masamzo
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    カラマーゾフ新訳、第二巻。ちょうど、NHKラジオの文学の世界で、ドストエフスキーの特集をしていて、彼が本書を書いた背景や時代を理解しながら読んだが、それでも難解。

    1
    投稿日: 2021.12.15
  • yuu1960のアイコン
    yuu1960
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    この本について知りたかったら、訳者の亀山先生のNHK100de名著、または本書の後書きの「読書ガイド」を読めば十分だと思うけど。 今まで読んだドストエフスキーと違い、構成がしっかりしている。勿論、嫌になるほど饒舌で長いけれど。この第2巻はまだ2日目のことなんだよ。驚いたことに。 長男ドミトリーと美人カテリーナのアレヤコレヤは前日譚として語られるのみ。チョッと物足りなさを感じる処。勿論、其処から説き起こしたらトンデモナイ大長編になるのは判っているけれど。 登場人物が後の時点から、この時のことを思い返す表現が何度かある。こんなのも他のドストエフスキー作品には無かったと思う。 カテリーナの「自分の一生を犠牲にしても妹としてドミトリーを愛する」という宣言。唐突とは思わないけれど、舞台での戯曲の台詞のように感じる。その後の三男アリョーシャの台詞も同じく。 二男イワンの語る子供たちへの虐待と「大審問官」の物語。教会がキリストが去ったあと、悪魔と手を結び、人々の自由を奪い、権力を奮い、パンを与えたという内容に納得した。ロシア教会のことは良く知らないが、カトリックには当て嵌まることが多いと思う。しかし、イワンは無神論というのとは違うように思うんだけど。 終盤はゾシマ長老の遺言ともいうべき半世紀。イワンの非難とぶつかる部分はない純朴な信仰のあり方。アリョーシャは何を思っただろう。 3巻に移りつつ、100分de名著を読み返そうかと思う。

    5
    投稿日: 2021.12.14
  • yone97のアイコン
    yone97
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    かなりキリスト教の宗教色の強い一巻だと思う。神の存在、聖職者フリーメーソン(秘密結社)、ヨハネの福音書、修道僧ゾシマ長老、黙示録。イワンとドミートリーとのやり取りが少なくアリョーシャの行動、心理が多く描かれていて兄弟の不仲が伝わってくる。兄弟同士、女性とどう絡んでいくのだろうか?

    1
    投稿日: 2021.08.13
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    山口 公大 / Kota Yamaguchi
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    メインストーリーに組み込まれる形で周辺の登場人物のサブストーリーが挿入される。サブストーリーだけでも強烈。

    0
    投稿日: 2021.07.13
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    よっしい
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    1日中没頭せざる負えない。そのくらいイメージを途切れさせたくない一冊です。 1巻でカラマーゾフ一家のことを少し知った後、そこから展開される、人間模様。登場人物は出尽くしたか?と思っていたのですが、それは間違いでした。 新たにカラマーゾフに関わる人々がいて、その1人1人が肉厚です。つまり、レッテル付けが難しい。 カテリーナはきっとプライドが高い女性だろう(なぜならイワンとアリョーシャがそう言っているからだ)と盲信しても、その言葉正しいとは思えないのです。 作者と同じ、創作物を外から眺めている立場にあっても、彼らのセリフが真実か、それとも偽りなのかがわかりません。 これまで読んだ内容と、これから読む3〜5巻の文章から、仮説を組み立てるだけです。何しろ、アリョーシャも、イワンも、ミーチャも自分が突き動かされている行動に自覚的であっても、無自覚を覆いきれないからです。 この本人たちも気づいていない(それでいてドストエフスキーは計算ずく、かもしれない)心の機微を読み取る。 この本の価値はそこにあるのかな、と感じています。 この読み取った内容は、確証もないし、文章で明示もされません。 なので、明日覚えているためにはメモを取らないといけない。 そんな意図は無かったのに、2冊読了した時点で、B5ノートが3ページ分、メモで埋まりました。こうでもしないと、自分の考えを後追いできないからです。 本への書き込みでも、付箋でも構いませんが、頭の中によぎるちょっとした確証を書いておく。 楽しむための工夫です。 ちなみに、私が通してチェックしているポイントは次の通りです。何度も登場するモチーフなので、都度考えておくと、ドストエフスキーの考えに少し近づけるかもしれないと期待しています。 ・信仰心への不審 ・天使扱いされる登場人物(アリョーシャの他に3人いる) ・カラマーゾフの血筋の特徴 ・妙に引用される「シラー」の役割 最後に。 2巻で登場する小学生、イリューシャのエピソードは少し涙ぐんでしまいました。 くそー、子供ネタはずるい。

    4
    投稿日: 2021.07.04
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    よーへい
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    ロシアの文学の天才が残した文学史上最高と言われる作品。当時のロシアの歴史的背景や宗教等が重なり合い、主人公たちの物語を描く。 世の理や恋物語についても述べており、宗教観についても触れている作品。長いが人生で一度は読んでもいいと考える。 登場人物が多く、複雑であるため、あらかじめ簡単に予習してから読むべし。

    3
    投稿日: 2021.05.07
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    bqdqp016
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    宗教に関連したやりとりの場面はつらい。素養がないため理解できないし、興味もわかない。親子や兄弟、男女や子弟、友人などの複雑な人間関係を描写する部分は見事で、面白く読めた。 「女の涙なんて、真に受けちゃだめですよ」p98 「ロシアでは酔っ払いどもがいちばん善良なんです。いちばん善良なやつらが、いちばんの酔っ払いということなんでして」p131 「傷ついた人間からすると、みんなから恩着せがましい目でみられるのって、ほんとうにつらいことなんですよ」p162 「人生という大きな杯にいったん唇をつけた以上、最後までこれを飲み干さないかぎり、ぜったいに手から杯をはなさない」p202 「賢い人とはちょっと話すだけでも面白いと世間で申しますのは、ほんとうなんですね」p341 「キリストをしりぞけてしまえば、結局のところ、世界中が血の海となるよりほかはない。なぜなら、血は血を呼び、剣を抜いた者は剣によって滅びるからだ」p449

    1
    投稿日: 2021.03.29
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    Makise pudding
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    途中で挫折してしまった。色々知識つけて戻って来たい。 当たり前だけど良作なのは確かです。総合小説って感じです。

    0
    投稿日: 2020.07.15
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    individual
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     「大審問官」……居酒屋? でイワンがアリョーシャに「大審問官」を話しています。おそらく著者は、意識的にこのような舞台で作中人物たちに会話、対話をさせています。これの目的の一つは、読者にイワンの物語詩を深刻に捉え過ぎないようにさせることでしょう。イワンほどうまく言語化できなくとも、この物語詩と同じような考えを持った人たちはたくさんいます。イワンの物語詩よりもさらに上手に言語化できる人たちもいます。では、これらの人たちの考えとイワンの物語詩はどこが違うか?  以下は「解説」や、『ドストエフスキー』(山城むつみ著)を読んだ上での考えですが、イワンは『カラマーゾフの兄弟 4』で「悪魔」と対話しています。「それ」の出現する前触れが『カラマーゾフの兄弟 2』で、居酒屋でアリョーシャと話すイワンの顔の表情や、彼の歩き方に出ています。おそらく著者はイワンの歩き方を、ゲーテの『ファウスト』のメフィストフェレス(「それ」)と重ねています。  顔の表情は、イワンはアリョーシャに、「『兄さん、話している時の顔がへんです』心配そうにアリョーシャは言った。『なんだか人が変わったみたいな感じで』」と言われています。この時点で「それ」がイワンに取りついていて、イワンの物語詩「大審問官」は、イワンではなく、もう一人の彼(「それ」)がイワンに話させています。著者はアリョーシャに感性、無意識でイワンの「それ」の存在を見抜かせています。

    4
    投稿日: 2020.05.15
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    2巻目読了。 ゾシマ長老の若いときの兄の思い出。 謎の訪問者。 面白くなってきた。 今年中に5巻までいけそう?かな。

    1
    投稿日: 2020.05.02
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    ky
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    p.217 神は欠かせないといった考えが、中略、頭にしのび込んだという点が、じつに驚くべき所なのさ。 地球について理解できないくらいなら、神のことなんて到底理解できるはずがない p.409 〜人生の充実を自分一人でも味わいたいと願っているからです。ところが、そうしたもろもろの努力の結果生まれてくるのは、まぎれもない自己喪失なのです。それというのも、自分の存在をはっきり際立たせてくれる人生の充実のかわりに、完全な孤立におちいっているからです。

    1
    投稿日: 2020.05.01
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    Treasoner
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    登場人物のキャラクターや魅力も多彩で、セリフがやたら長いところや、心身ともに病的な様子が多く見られる点など、ドストエフスキーらしさがたくさん見受けられる

    1
    投稿日: 2019.03.21
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    タテヨコ
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    イワンとアリョーシャの会話が難しくて頭に入らず、なかなか読むのが苦痛な巻だった。読み方のおススメとしては、とりあえず本編を頑張って読んだ後に亀山さんの後書きを読むこと。普段、後書きや解説は読まないクセがあり、さらにこの長編を読んだ後では早く本を閉じたいと思っていた。だが、後書きで噛み砕いて当時の貨幣価値から宗教的背景まで説明してもらうことで、頭の中にガタガタに構築されていた話の筋を見事に整理してもらえた。

    1
    投稿日: 2019.02.10
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    dai-4
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    巻末に付された、訳者による読み方ガイドが秀逸。これがなかったら、途中で挫折してたと思われる。とはいえ、それでも尚、読まされてる感が少なくない。第1部に引き続き、ここでもちょくちょく、宗教論というか宗教史みたいなのが、色んな人の会話の中に盛り沢山。目で追っているうち、思考がどこか他のところへ飛んでいってしまったり、あるいは寝てしまったり(苦笑)。でもそれを除くと、ただの親子間のいさかいというか、横恋慕というか、そんな物語になってしまうから、本作を孤高たらしめているポイントは、小難しい会話の中にあるんだろうけど。個人的には正直、しんどい気持ちの方が大。

    0
    投稿日: 2018.11.28
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    takeshishimizu
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    ⑤ロシアの修道僧 第2部の後半はゾシマ長老の自伝が中心となる。長老自身が死ぬ間際に、集まった人々に語ったことを、後にアリョーシャが文章にまとめたという設定になっている。この、ゾシマ長老、いろいろな奇跡を起こすということで、町の人々の中でも大変敬われていた。アリョーシャもそれにひかれて修道院での生活を始めている。しかし、もともと、若いころから善き人で、修道僧としての生活をしていたわけではなかった。陸軍幼年学校を卒業した後、ゾシマは軍の仕事についていた。社交界にも出入りし、派手な生活を送っていたようだ。そのころ、美しい女性と出会い、その女性と結婚したいとまで思うようになっていた。しかし、最後の一言を口にすることができない。相手も自分のことを好きでいてくれていると思っていた。ところが、しばらくその地を離れてもどってくると、その女性は別の男性と結婚している。前から婚約もしていたらしい。自分のことを情けないやつと思ったことだろう。その後、その男性に決闘を申し込むことになる。決闘の準備をしてその場に向かう前に、なぜか宗教的な?気持ちにおちいる。前日に自分の部下であるところのアファナーシーを何らかの理由で(たぶん大した理由ではない)殴りつけていた。それが、とても罪深いことと感じ、決闘に行く前に、アファナーシーのもとに向かってひざまずいて謝っている。決闘(19世紀中ごろにまだそういうことが行われていたのだ、禁止されているという記述はあるが。)の場で、まず相手がピストルを放つ。その弾はゾシマの体には命中しなかった。次は自分が打つ番だったが、ピストルを林の中に投げ捨てる。そして許しを請う。怖気(おじけ)づいたのか、男としてはなんとも、情けない姿ではあった。周りの人からもそうののしられる。その後、ゾシマは軍を去り、僧侶となる決心をする。このときのことが世間にも知れ渡る。それで、ある人物が足しげくゾシマのところを訪ねてくることになる。そして、次第に自分のことを語りだす。このエピソードが実に興味深い。この男性、若いころに好きな女性がいた。そしてプロポーズをする。しかし、その女性には別に好きな男性がいた。よくあることだ。そして、女性からは二度と家へは来ないようにと告げられる。しかし思いはつのるばかり。そしてとうとうある行動に出る。夜、男は鍵がかけられていなかった窓からその女性の家に入る。そして寝室に向かい、身勝手な憎しみから、その女性を刺し殺してしまう。そんな中ではあるが、自分に嫌疑がかけられないように、冷静に部屋の中のものを手にしてそこから去っている。その後、女性の屋敷で問題があって追い出されていた下男が犯人として捕まる。しばらくして、下男は病死し、そのまま事件は解決したことになる。その後、男性は別の女性と結婚し、子どもをさずかる。しかし、その男性は自分がした罪にずっとさいなまれ続けることになる。そして、最近では何度も夢に現れるようにもなり、苦しみが増していく。もうどうにもがまんできない、皆の前で自分の罪を告白したい、そうゾシマに伝える。しかし、それでも幸せに暮らしている妻や子どもたちに迷惑がかかると、何度も何度も迷い続ける。ようやく、人々が集まる機会があり、その場で、長年隠し持っていた証拠の品々とともに、洗いざらい自分のした罪について話しをする。警察にも届ける。しかし、結果は、皆が彼は気が変になったのだ、ということで済まされてしまう。一週間後男は病死する。男性の妻などは、ゾシマの部屋に通い始めてから男が変になったと言い、ゾシマを悪もの扱いするようにもなる。それで、ゾシマはその町から去ることになる。それから、ずいぶんとたって、ゾシマが巡礼の旅にあるとき、軍にいたころ部下であったアファナーシーとたまたま出会うことになる。アファナーシーはゾシマに何の恨みもなく、逆に今は修道僧であるところのゾシマに、家族のことを祝福してほしいという。しかし、ゾシマは、自分は貧しい修道僧であり、祝福なんてできない。ただ、神に子どもたちのことをお祈りして差し上げると言う。さらに、毎日欠かさず、アファナーシーのことを祈ってきたとも言う。このようになれたのはあなたのおかげだとも。最後にゾシマは言う。「私は彼の主人であり、彼は私の召使だったが、今私と彼がたがいに愛情をこめ、心からの深い感動でキスを交わしたとき、私たちの間には、偉大な人間的一体化が生じたのだ。」 ⑥アリョーシャ・ミーチャ(ドミートリー) ゾシマ長老の死後、人々は何らかの奇跡が起こることを期待していた。ところが、それどころか、しばらくするとその死体から腐臭がただよい始めた。人々の間では、聖人の死後、その死体からは腐臭はせず、場合によっては芳香がかもしだされるとまで信じられていた。ところが、ゾシマ長老の死体が置かれた部屋は、窓を開けて空気を入れ替えなければたえられないほどのにおいが立ち込めていた。そのうわさはたちまちに町の人々にも知れわたった。そして、あれほどゾシマ長老をほれ込んでいたアリョーシャまでもが、そのことが原因で、気持ちが離れようとしていた。自分が今まで信じてきたものはいったいなんだったのか、自分はこれからどう生きていけばよいのか、そんな気分だったのだろう。そこへ、ラキーチンという人物が、アリョーシャを俗世界へ引き込もうと現れる。ラキーチンはグルーシェニカのいとこだ。以前から、アリョーシャを家に連れてくるよう、グルーシェニカに頼まれていた。グルーシェニカはまじめなアリョーシャを誘惑しようと考えていたらしい。自分の魅力で、このまじめで幼い青年を自分の思い通りにでもしようと考えていた。もちろん、このグルーシェニカとは、アリョーシャの兄ドミートリーと父フョードルの気持ちをとらえて離さないあの魅惑的な女性だ。グルーシェニカの家に到着したアリョーシャがソファに腰をかけると、グルーシェニカは自然にアリョーシャのひざの上に乗り、手を肩に回し、あまい声をかける。しかし、アリョーシャは意外と冷静だ。グルーシェニカのことを姉ぐらいにしか思っていない。自分のことをふつうにとらえてくれたことに感動したグルーシェニカは、アリョーシャに今の自分の気持ち、これからどうしたいのかなどを話し出す。彼女には5年ほど前に分かれたポーランド人の男性がおり、いまだにその人のことが忘れられないでいる。そして、その男性から最近手紙が届き、近々、近くまでやって来るという。今日にでもその知らせが届くのだという。その純情な思いを知った、アリョーシャは、ますますグルーシェニカのことを一人の人間として認めるようになっていく。そんな中、待ちに待った知らせが届く。そしてすぐに馬車に乗ってグルーシェニカはその男性の待つ町へ向かう。そのころ、兄のミーチャ(ドミートリーの愛称)はどうしていたのか。婚約者であるカテリーナから預かった3000ルーブルを何とかして返そうとかけずりまわっていた。そのお金は、一月ほど前グルーシェニカといっしょに一晩で大騒ぎをして使い切ってしまったものだ。それをしっかり返してしまわないと、グルーシェニカといっしょにはなれないと感じていた。それなら最初からそんな無駄遣いをしなければいいものを、グルーシェニカのことを、お金が目的で父フョードルにも近づいていると感じていたものだから、お金のない、あるいは借金をしているような自分のもとには来てくれないだろうと考えていたようだ。そんな中、グルーシェニカの居場所が分からなくなったミーチャは、きっと父フョードルの部屋に行ったものと思い、そこまでやって来る。事前に下男のスメルジャコフから聞き取っていた合図で油断させ、フョードルを部屋からおびき出す。しかし、それで、グルーシェニカがそこにはいないことを知ると、すぐにそこから逃げ出す。そのとき、下男のグリゴーリーに見つかり、塀をよじ登ったところで足を捕まえられる。ミーチャはグリゴーリーの頭を持っていた銅製の杵(きね)で殴りつける。倒れた男の頭に触れると、血が流れ出ていた。それをハンカチでふき取った後、急いでその場から離れる。そして、グルーシェニカの家に向かう。そこで、下女からすでに彼女がそこにはおらず、その昔の恋人の待つ場所へ向かったことを聞き出す。ミーチャは大急ぎで追いかける。その手には大金がわしづかみにされており、コートは血まみれであった。 ⑦予審 ミーチャ(ドミートリー)はグルーシェニカと彼女の昔の恋人、その他数名の人がいる部屋に、ずけずけと上がりこんでいく。グルーシェニカは恐れ、おどろき、あぜんとする。ここでいったい何が起こるのか。ミーチャは意外と紳士的に(?)、みなといっしょに楽しく過ごそうとする。場所はこの間、3000ルーブルを手に、大騒ぎしたのと同じところ。今日もまた、3000ルーブル使って、飲めや、踊れやの大騒ぎ。またお金がもらえると、人々も集まってくる。ポーランド人の元恋人と、カードでかけ事を始めたりもする。ところが、そこにいた二人のポーランド人、どうもいかさまをしているらしい。ミーチャはどんどんお金を絞り上げられていく。どうやら、このポーランド人はお金欲しさに、グルーシェニカを呼び出していたらしいということも次第に分かってくる。ミーチャは二人のポーランド人を別室に呼び、3000ルーブルをやるから、グルーシェニカのことは忘れて、ここから出て行って欲しいと告げる。ところが、手元にきっかり3000ルーブルがないことを知った二人は言うことを聞いてくれない。そんなゴタゴタの中で、グルーシェニカも自分が5年間思い続けてきたこの男性はすっかり変わっていて、全く魅力のない人になってしまったことに気付く。そして、ミーチャへの思いを強めていく。ミーチャとグルーシェニカ、その二人の仲は急接近していく。ところが、ミーチャの頭の中にはグリゴーリーの血のことがある。もしも、死なせてしまっていたとしたら。せっかくうまく行きそうなこの恋はどうなるのか。そこへ現れるのが、警察署長に予審判事、検事などだ。やはり自分の犯した罪をとがめに来たのか。しかし、死んでいたのは下男のグリゴーリーではなく、父フョードルであった。グリゴーリーの方はけがをして一時意識をなくしていたが、今はもう意識も回復しているという。ミーチャは喜んだ。自分が殺してしまったと思っている男が、ちゃんと生きていたのだから。ところが、予審判事たちはミーチャが父殺しの犯人だと思ってその場にやってきていた。そして、いよいよ取調べが始まる。当時の、警察とか裁判所・法律などがどうなっていたのかは分からないが、警察へ連れて行くのではなく、その場で取調べが始まる。しかも、どう考えてもそれはかなり夜遅くだったはずなのだが、そのまま取調べは進み、朝まで進んでいく。そのため、ミーチャも途中で居眠りしているくらいだ。今なら考えられない。さて、ミーチャは正直に答えていく。確かに下男のグリゴーリーを傷つけたのは自分だ。しかし、父フョードルを殺したのは自分ではない。そこで、問題になるのが3000ルーブルという大金の出所だ。実はフョードルの部屋からあったはずのお金がなくなっている。ミーチャはここに来る前にはお金をほとんど持ち合わせておらず、質屋に自分のピストルを預けて10ルーブルを借りたりしている。しかし、父親殺し(?)の後に大金をにぎったミーチャはピストルをもう一度取り返している。どうやら、ここで騒ぎを起こした後、そのピストルを使って自殺をするつもりだったようだ。なぜ、ミーチャが今夜もそんな大金を持っていたのか、それが話の焦点となる。しかし、その点についてはなかなか話したがらない。そして、とうとう、なんとか予審判事たちに自分の無実を証明するためにもそのお金の出所について話し始める。実は一月ほど前にカテリーナから3000ルーブルを預かったとき、そのすべてを使ったのではなく半分だけを使っていた。したがって、手元には1500ルーブルが残っていた。それを、カテリーナに返して残りもいずれ必ず返すと言うつもりだったらしい。けれど、結局そのお金はお守りのように小さな袋の中に入れて、胸元にかけたままにしていた。なんとも情けない話だけれども、グルーシェニカにいいところを見せたいけれど、カテリーナに対しても完全な悪者にはなりたくなかったのだろう。そんなところが自分自身とてもはずかしい気持ちでいっぱいだったのだ。これで分かった。実は第2部の後半でミーチャ(ドミートリー・・・主人公アリョーシャの兄)は、アリョーシャに対して、自分の胸をたたいて、ここで破廉恥(ハレンチ)が行われようとしている、と言っていた。それが何のことかさっぱり分からなかったけれど、実は胸には、そのどうも煮え切らない、中途半端な1500ルーブルが隠されていたのだ。ここで、ミーチャの言うことをすべて信じれば、そういうことになる。しかし、いろいろな状況証拠やまわりの証言から、だれにもそんなことを信じてもらえないまま、連行されることになる。さて、ドミートリー(ミーチャ)の運命はどうなるのか。ところで、ミーチャは取り調べの中で、スメルジャコフ(カラマーゾフ家の下男・父フョードルから唯一、グルーシェニカに教えた合図を知らされていた。そして、それをドミートリーに教えてしまっていた。)がフョードル殺しの真犯人であると断言している。しかし、フョードルが殺された夜、スメルジャコフは癲癇(てんかん)の発作で寝込んでおり、意識もなく、医者にはあと何日かの命と宣告されるような身であったのだ・・・。

    0
    投稿日: 2018.10.18
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    wanderhorse
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    このレビューはネタバレを含みます。

    一巻がまあまあ面白かったのと、本作の評価がすさまじいことから二巻を手に取る。 数日かけて読んだので後半の印象が主になってしまうが、内容のほとんどを宗教の話題が占めていたように感じる。無宗教の私には「大審問官」は画期的な思考とは映らなかったが、これには私の教養不足が原因にあるのかもしれない。 他のレビューによると3巻から一気に面白くなるらしいので、続きを読むのが少し楽しみである。 【他の方の解説を読んで追記、星5に修正】 時代背景や内容の解釈を知ると、この小説の面白さや普遍性、なぜ評価されるのかが分かってきた。この小説のテーマは「自己欺瞞」と言えるのではないか。ミーチャとイワンはヒョードルにネグレクトされたことを許せず、しかしそんな自分を認めたくないため様々な行動に出る。例えば、グルーシェニカを奪おうとすること、大審問官、カテリーナがミーチャと婚約することである。あまり面白くなかった、よくわからなかったという人は、以下のリンクの解説を聞くとこの小説の魅力に気づけるのではないかと思う。 https://www.youtube.com/watch?v=4T3rttOZgGw&t=1685s

    0
    投稿日: 2018.10.17
  • かたくりのアイコン
    かたくり
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    このレビューはネタバレを含みます。

     1巻に比べ、人間の本質を突くような内容がちりばめられていて、ぎくりとする。  印象深かったのは、第6編の2-d謎の訪問客 『私はあなたを殺しに来たんですよ。あなたを殺しても、後々その罪を背負うことも考えずに、その時はそんなことも考えずにあなたを殺そうとしました。』結果この人は殺さなかったのだが、殺されそうになった人は大きなわだかまりを持つ。  私もある事件で人が憎くて、人を殺したいと行動しそうになったことがある。本人の前で「それ以上しゃべるな!殺したくなる」と言ったことがあり、「殺せるものなら殺してくれ」と返されたことがある。その時私は思った。「(空白何も考えられなかった後)こいつはずるいやつだ!!わたしの今の苦しみを解消させようとさせながら、後で殺したことを後悔させることで、私を苦しめようとしている。どの道を選んでも、こいつに縛られるんだ!!!その時は殺さなかったが、私が壊れることで、その衝動はなくなった。苦しみからは解放されたが、壊れる前のあの生活はもうできないんだと思うと、何とも言えない空白がよぎる。  自分のような経験は過去の本に書かれており、そんなに珍しい事ではないんだと思わさられ、知らされる。ドストエフスキーに尊敬と共に感謝の気持ちを持った2巻目だった。  また1巻でさらされた多くの伏線が引っかかる点が面白かった。  解説で書いてある、『ファウスト』にも挑戦したいと思った。

    0
    投稿日: 2017.04.10
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    inarix
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    第1巻ではカラマーゾフ家をはじめとする主要な人物をそれぞれに描いていたが、第2巻ではその人物たちの結びつきがより深く描かれている。 なかでもイワンが物語詩をかたる「プロとコントラ」、ゾシマ長老の半生の回顧と説教を繙く「ロシアの修道僧」が表裏一体、相反するテーマをもって絡み合う。 まだ若いイワンの『神は存在しない』という思想と、老いて間もなく死を迎えるゾシマの『神は存在する』という教え。 それぞれ単独の物語といっても差し支えないのに、あくまで長大な物語のなかの一篇にすぎない潮流が、不吉な予兆を孕んで更なる展開を呼ぶ。 イワンとゾシマ長老の考えは全く反対のようだが、実は「人間を信じている」という点では共通するのではないかと思う。 イワンにとっては人間を信じるがゆえに、神の許しなど不要で、不死である必要もなく、教会も天国もまた不要なものなのだろう。人間は人間の力で罪を許し合い和解することができるし、その瞬間を見たいと思っている。 ゾシマ長老にとっては人間を信じるがゆえに、神の存在も、許しも、愛も、世界に満ちていて、人間はみな平等ゆえにそれらを遍く享受できる、その日を迎えることができると信じている。 このふたつの物語が、今後の展開の中にどう影響してくるのか、俄然楽しみになってきている。そしてまた、この作品が文学の最高峰といわれる意味も分かりかけているような気がする。 富めるものと貧しきもの、これから変わっていく、変わらなければならない国、そして不変の価値観について。 明治時期から戦前までの日本の学生が、ことのほかロシア文学を読み込んだ理由も、わかるような気がした。

    0
    投稿日: 2017.03.19
  • kaのアイコン
    ka
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    ゾシマ長老の衰弱を気にしつつもアリョーシャはカラマーゾフの問題を解決するために奮闘する。カテリーナとグルーシェニカ、ドミートリーの間で生じている生々しい問題はイワンやヒョードルなどの人物をも巻き込み、より複雑怪奇な物語へと導いている。その問題について追究していくうちに我々読者はドミートリーの人物像を築き上げている。この第2部の謎めいた箇所といえばやはりイワンの話す大審問官の章。人間の姿として現れたその人に対して大審問官は、あなたが自由を与えたから人々は苦しんだとして批判した。これは聖書を読んでいないと分からないなと思った。そもそもこのカラマーゾフの兄弟を読むにあたって聖書の基礎知識が無ければ理解は不十分に終わる気がした。この物語は宗教面、ロシア情勢、階級社会、金銭面など様々な背景を含んでおり、重層的で多義的な物語であることがこの第2部で分かる。つまり様々な視点で見つめなければならないと感じた。また、第1部では説明的な文章が多く、物語の流れをいまいち掴めなかったが第2部でドミートリーの不穏な動きなどが目立つのを認めると我々読者も少しずつ何かしらの予期が生まれてきたではないだろうか。この予期がどんな形で生まれるのか第3部を読んで確認したい。

    0
    投稿日: 2017.03.02
  • Hiroyukiのアイコン
    Hiroyuki
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    やっと第2巻を読破。2巻から面白くなるという何かを見て期待を込めて読み進めていく。噂に名高い大審問官のところを楽しみにして読んでいったが、なんとなく理解できたような出来ないような。きっと読解力が自分に足りないのだろう、この部分の素晴らしさ、示唆的な所までは理解できなかった。最後の長老の言葉も、罪の告白のところまではよかったのだが、そのあとがなんだか難解で、だーっと読み飛ばしてしまった。後に大事な内容だったらどうしよう…とにかく話が進みそうな第3巻にいってみる。

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    投稿日: 2017.02.21
  • 人生≒読書のアイコン
    人生≒読書
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    イワンの懐疑(子どもへの虐待と大審問官)とゾシマ長老の神への信仰。この二つが織りなすコントラストとその間で揺れるアリョーシャ。 それにしても読みやすい。

    0
    投稿日: 2016.11.29
  • chacha0311のアイコン
    chacha0311
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    まぁ圧巻でしたわ。 大審問官における「自由とパンとは両立しえない」と、人間に選ぶ自由を与えた神を責める巧みさには舌を巻く。 これはもう人間の弱さにつけ込んでくる悪魔そのものの思考だと思ったね。 ひとはパンだけで生きるものじゃないと聖書に書いてあるのは、それがどれほど難しいことか神ご自身が良くご存知だからなんだよね。 ああ神についてゆける数万の強者と 悪魔について行ってしまう数百万の弱者。 門は常に狭い。 狭き門から入れ、入りたいねぇ。入れてください。 ゾシマ長老の兄さんについてのところ、前回10年程前に読んで、かなり共感共鳴したのだけれども、今回はふんふんそうだね、と当然の如く通り過ぎた感がある。 でも本当はここもとっても大事なところで、こういう兄さんみたいな人こそが狭い門を通っていけるんだと思うわけさ。

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    投稿日: 2016.08.07
  • morinokazedayoriのアイコン
    morinokazedayori
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    軽妙な会話がポンポンと続いていく部分は楽しく読めたが、翻訳者による巻末の読書ガイドにもあるように物語の展開はとても緩やか。宗教観に関する部分は咀嚼するのに時間がかかった。ただ、「常におこたりなく自分をかえりみて、自分が光となり、罪あるものを謙虚な愛で見つめよ」の箇所には、ガツンと頭を打たれた気分。誰もがこのような心持ちであれば、世の中うまく回るのにと思う。自分がそうあれるよう、心がけようと思う。

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    投稿日: 2016.07.06
  • seihuuのアイコン
    seihuu
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    人間の持つ残酷さ、トルコ人乳飲み子ピストル。 人間は悪魔を自分の姿に似せて作った、神様だって同じ 全人類が抱える万人共通の永遠の悩み、誰にひざまずくべきか? 普遍的に跪ける相手を探し求めようとして、たがいを剣で滅ぼし会ってきた。それぞれの神々を作り出し違いに呼びかけてきた、お前たちの上を押すでこちらに来て我々の神に跪け、 人間の本質が抱えるこの根本的な秘密、 地上には3つの力がある、奇跡、神秘、権威 人間は奇跡なしに生きる事はできない、神よりもむしろ奇跡を求めている.

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    投稿日: 2016.01.14
  • okuyuki95のアイコン
    okuyuki95
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    「プロとコントラ」、「大審問官」は神の存在を軸にしながらイワンが圧倒的な説得力を以てアリョーシャに語りかける。その勢いに私も動揺せざるを得なかった。生きるとは何か、心の拠り所とは何かを考えさせられる、私史上最高の一冊であった。

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    投稿日: 2015.12.05
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    sawarawara
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    この世に戻ってきたキリストの前で大審問官の老人が展開したキリストの行いについての思想を展開する章が、キリストがこの世に戻ってくるという設定が斬新だったのと、自分がこれまで絶対的だと思っていた聖書に対して大審問官が批評を加えたという点で衝撃的だった。

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    投稿日: 2015.09.17
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    yuko-romarin
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    4部構成の2部なので、起承転結の承に当たるので大きな展開はなくやや冗長な感じがする。 1部はサクサク読めたが2部はちょっと手こずった。前半は1部に続くドロドロ劇だが後半はイワンの創作した詩やゾシマ長老の説教などキリスト教の素養のない人には分かりずらいだろう。 1部を読んでいる頃から感じていた違和感があった。ロシア正教って三位一体を信じていないの?調べてみたら東方正教会の中には三位一体を否定している所もあるようだけれど、ロシアは多分違うと思う。 キリスト教に入門した人がぶつかる壁が三位一体で、それが受け入れられなくて離れてしまう人も多い。反対にそれを一旦受け入れてしまうと、多くの事がしっくり納得できる。 無神論者のイワンが独自の理論を展開するのはわかるが、それを聞いた修道士のアレクセイが心かき乱される事に無理を感じる。三位一体理論を受け入れてる人からすると一般の人の話は子どもの理論を振りかざしてるように見えるものなので。 実は作中他の聖職者の会話にも三位一体がわかっていないんじゃない?と思う所があった。こんな事言ったら失礼かもしれないけどドストエフスキー自身もわかっていなかったのか?それとも当時のロシアの法曹界がそんな感じだったのか? わかる人がいたら教えてもらいたい。

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    投稿日: 2015.08.14
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    hotrats
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    光文社にて再読。う〜む「大審問官」が今度は理解できるかと思ったが、やはり解けなかったな。だいたいわかる時が来るんかいな。

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    投稿日: 2015.07.06
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    ゆーや
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    2015年11冊目。 全4巻中、2巻目にして、ドストエフスキーの凄さを凄まじく感じた。 特に第五篇「プロとコントラ」におけるアリョーシャとイワンの会話の迫力が、難解な部分もありつつページをめくる指が止まらなかった。 宗教的なことを知らなければ理解できない部分もあるが、理解できる部分だけでも鳥肌もの。 続きに大いに期待。

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    投稿日: 2015.01.14
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    りおん
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    だいぶまた放置してしまったがなんとか読了。 噂の大審問官があるこの2巻。 イワンが言おうとしてることはなんとなくはわかるけど、大審問官で何が言いたかったのかは実際ほとんど理解できてないんだろうと思う。 また何度か読めばわかるだろうか…。 そもそも私は宗教に縁遠いため根本から少しずれてるんだと思う。 殺伐とした中でもイワンとアリョーシャの関係には少し和んだ。 目次で見たときは読みづらそうと思ったゾシマ長老の一代記は逆に読みやすくわかりやすかった。 この調子で3巻もよみきりたい。 (2021/12/01に再読。感想は再読記録のほうに。)

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    投稿日: 2014.11.27
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    0107springsteen
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    ★評価は読了後に。相当の教養がないと読みこなせない作品に再び悪戦苦闘が真の当方の姿といったところ。 それにしても何度か書き記しましたが、ロシアって(西)ヨーロッパではないのね。キリスト教はじめ西方の「輝かしい文化・経済」を間近にして、自分達のアイデンティティー確保のためにどう立ち振る舞えば良いのか、自問自答を繰り返しつつコニャックを呷る。 奈良時代とかの日本もそんな感じだったんだろうか?

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    投稿日: 2014.10.11
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    sasakitakanori2
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    圧巻の神学論争。我々は「神」をどのように扱えばよいのか。一度崩れた世界の上にこそ、信仰の光は輝き渡るのか。ドストエフスキーの思想を多重に編みこんだ譜面をもとに、空前絶後のポリフォニーが響き渡る。

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    投稿日: 2014.10.06
  • aya37のアイコン
    aya37
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    イワンの大審問官の話が難解。ゾシマ長老の一代記は面白かった。キリスト教、ロシア正教について学んだ後に再読したい。とりあえず、3巻へ。

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    投稿日: 2014.10.02
  • 27のアイコン
    27
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    予めあらすじを読んでないと、話の流れが頭に入ってきません・・・ みんな饒舌すぎて理解がおっつかない。 それぞれの主観で喋るもんだから、余計にわけがわからなくなってきます。

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    投稿日: 2014.09.14
  • ちぃのアイコン
    ちぃ
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    最初は、読みにくい・・・・ と思っていたけど段々面白くなってきた。 名著と言われる所以も最後まで読んだらわかるようになってるといいなー。。。。

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    投稿日: 2014.09.03
  • マタンのアイコン
    マタン
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    このレビューはネタバレを含みます。

    この間は、宗教観がメインとなります。 決定的に父親との決裂が 待ち受けているのです。 ただし、ここでアレクセイだけが まとも、といいたいところですが、 彼とて、イワンの会話のところで 「悪魔と化する」部分があったのです。 人は誰しも悪魔をまとっているわけで。 宗教の話がメインなので、 苦手な人にとって地獄でしょう。 だけれども、信仰しない人の気持ちも わからないわけではありません。 次はどうなるのか? やっぱり気になります。

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    投稿日: 2014.08.10
  • mmcitのアイコン
    mmcit
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     第二部第四篇〜第六篇を収録。カテリーナとグルーシェニカの口論、イワンによる物語詩「大審問官」、ゾシマ長老の回心の物語。アリョーシャを狂言廻し役としながら、「信仰」と「秩序」との関わりという物語の中心的な主題が姿をあらわす巻。  こうして見ていると、「民衆」をめぐる思考という点で、「昭和10年代」の青年たちがドストエフスキーに惹かれた理由がよくわかる。イワンのシニカルさも、ゾシマ長老のナイーブなまでの「民衆」への信頼も、双方ともにマルクス主義以後の青年たちの心性に近しいものだろう。日本の近現代文学とドストエフスキーとの関係は、時代の精神史という観点から再考の必要あり、と思わずにはいられない。

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    投稿日: 2014.06.24
  • toshi1231のアイコン
    toshi1231
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    長い小説の第2巻。第1巻は主役たちが現れてなにやら大騒ぎをしていたが、第2巻では脇役たちもぞろぞろと登場してますます複雑に。巻末の読書ガイド(これはわかりやすい!)にて、これまでのあらすじを確認しながら読んだが、これだけの頁数を費やして、まだほとんど物語の時間が進んでいないことに気が付く。ロシア文学の特徴なのか?とにかく長い。 ただ、第2巻では、比較的わかりやすい信仰をめぐる論争や、神父の過去のできごとの記述があり、ここは面白かった。 さて、第3巻にいきますか。

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    投稿日: 2014.04.29
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    min2fly
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    このレビューはネタバレを含みます。

    2014 3/17読了。Amazonで購入。 イワンのモスクワ行き、ゾシマ長老の逝去の巻。 そして巻末の解説にもあるとおり、神の作った世界を信じれないとするイワンの「大審問官」の挿話と、神を信じるゾシマ長老の若き日の逸話が対比される巻。 おもしろくてぐいぐい読み進むも、第2部末尾で次巻の展開がさらに気になる引きがでてきて・・・。

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    投稿日: 2014.03.19
  • ぴぴーこのアイコン
    ぴぴーこ
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    ティーンズ向けの書棚にあった光文社出版の著書は、1巻よりも読みやすくてよかった。 ゾシマ長老の話がとても心に残った。自分のことを言われているようでギクリとした。 自分をできるだけ目立たせることに夢中になり、もろもろの努力の結果、自己喪失が生まれる。自分の存在をはっきり際立たせてくれる人生の充実の代わりに、完全な孤立に陥っているからだ。自分の穴に閉じこもり、他人から遠ざかり、自分自身を、自分が持っているものを隠し、ついには自分から人に背を向けて、自分から人を遠ざける結果になっている。 人々がばらばらに孤立しているのは不自然。 人は一人では生きていかれない。頭で考えるのではなく、素直に毎日に感謝して自然に生きるのがいいと思う。これまで随分不自然な生き方をしてきたのではないかな・・・と思った。

    3
    投稿日: 2014.01.01
  • マサユキのアイコン
    マサユキ
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    ロシア文学史上最高傑作の第二巻。 僕がここでの重要なテーマだと感じたのは「宗教」 カラマーゾフ家の次男のイワンは無神論者であり、主人公である三男のアレクセイは修道院で修行する敬虔なキリスト教徒である(ロシア正教)。この2人が宗教について議論をかわす場面などは迫力がある。宗教をもっと詳しくすればもっと深く読めるだろう。 ゾシマ長老の回顧録も興味深い。兄の死、軍隊にいた頃の決闘の記憶(一人の女性をめぐってある男に決闘を挑んだが自分の過ちに気付き、決闘を投げ出した事件など)が印象深い。この事件の後ゾシマ長老は修道院に入る事になる。 宗教とは何なのだろう? 神が必ずしも絶対的な存在ではない。と人々が思い始めた時代の作品だけに、「宗教」というテーマは重い。

    0
    投稿日: 2013.12.01
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    hi_popopo
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    熱と深みに魅せられる。のめり込む。 隙あらば考えてるし、読んでしまう。 人間について、宗教について。 圧倒される。 すこい本だ、これは。 男と女のどうしようもなさ、哀しさ、滑稽さはいつの時代も変わらず、 男と女がいる以上、人間はここから逃れられない、というようなことを考えて苦しくなった。 男女なんてなければと思っては、いやいや男女があるからこそ素晴らしさや喜びなんかもある、と思い直して、同じところをぐるぐる回っている。 緩徐楽章にあたる、第2部。

    0
    投稿日: 2013.10.16
  • yoriitoのアイコン
    yoriito
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    「父殺し」を軸に物語は進行していく。主人公クラスの三兄弟と「もうひとりの兄弟」が加わり、物語は重厚な響きを奏でながら、恐るべき傲慢さに対する罪の顕現というそれぞれの決着に向かって収束していく。

    0
    投稿日: 2013.10.05
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    venezia
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    このレビューはネタバレを含みます。

    この巻には2つの重要なエピソードが含まれる。1つがイワンによって語られる長編詩「大審問官」であり、もう1つはアリョーシャの編集した「長老ゾシマの一代記」である。そのいずれもが神学的な内容と深く関わるが、イワンの語る物語は、衝撃的でありつつ、強い説得力を持っている。それは、15世紀末のセヴィリアに現れた「彼」(キリスト)が、大審問官によって「異端」とされる物語である。また、ゾシマの予言「自由な智恵と、科学と、人肉食という暴虐の時代」と、希望「この偉大な事業を、私たちはキリストと共に成し遂げる」の意義は深い。

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    投稿日: 2013.09.26
  • koochannのアイコン
    koochann
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    このレビューはネタバレを含みます。

    イワンの大審問官の詩、そしてゾシマ長老の最後の言葉と小説は正にクライマックスを迎えた観があります。ここもやはり現代的な分り易さです。第1巻に比べて存在感を増したスメルジャコフとイワンの禅問答とも云うべき謎めいた言葉のやりとり、そしてアリョーシャと別れて去っていくイワンの後ろ姿など、いずれももの凄い迫力があります。訳者の最後の解説がまた明快で楽しいです。それによれば、ドストエフスキーは4部に分けたこの小説を交響曲にも例えた構成にしているとのこと。そういう意味では、アダージョ楽章ともいうべき充実した楽章です。また解説で出てくる300ルーブリの重み。ロシアの僧院の内部などの説明も目から鱗です。

    0
    投稿日: 2013.08.18
  • bookbird0909のアイコン
    bookbird0909
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    ゾシマ長老の死から、アリョーシャの堕落、フョードルが殺され、ドミートリイとグルシェーニカが結ばれる所まで進んだ。ゾシマの少年時代のエピソードと、グルシェーニカの話がよかった。

    0
    投稿日: 2013.08.08
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    ne-3
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    イワンの長広舌がしんどかった・・・。 あんだけ長い物語詩を考えるなんて、イワンはどんだけキリストのことが好きやねん・・・。

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    投稿日: 2013.06.07
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    ichiko71
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    このレビューはネタバレを含みます。

    カラマーゾフの兄弟 ・・・第2部 脇役たちが、作品全体と有機的な結びつきを保ちつつ丹念に紹介され、数々の不吉な兆しに満ちたサブプロットを精緻に織りあげている一冊。 なんとなく、物語の展開が見えてきました。 しかし、宗教観であったり哲学的な考えであったり、私とかけ離れているものが多く、深く理解できないのが残念です。 「カラマーゾフ」だから… よくも悪くもカラマーゾフであることがどう展開して行くのだろうか? 頑張って最後まで読みたいな。

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    投稿日: 2013.03.16
  • メノのアイコン
    メノ
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    長い。ひたすら。ダイジェスト版で出してほしい。笑 とにかくキャラクターが多いし、各々の人物たちがどのような意図を持って造られたのかが、オイラには理解できない… ひたすらプロットを追っているだけ。 カラマーゾフ3兄弟の末弟の心の拠り所、ゾシマ長老の教え。 『夜、眠りに入る前に、やるべきことをまだじっこうしていないと思い出したら、すぐに起き上がり、実践しなさい。もし、おまえのまわりの意地の悪い、冷淡な人たちがおまえの話に耳を貸そうとしないなら、彼らの前に、ひれ伏し、彼らに許しを乞いなさい。なぜなら、自分の話に耳を貸そうとしないのは、実のところおまえに罪があるからなのだ』 はい、心に命じます。

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    投稿日: 2013.03.10
  • garboのアイコン
    garbo
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    この亀山訳については賛否あるらしい。誤訳・悪訳などという批判もあり、ドストエフスキーの醍醐味が損なわれているという厳しい意見もあったが、そもそも、この作品に興味があるのであって、作者には特に興味もなければ、作品からその人物なりを推し量ろうとする気など毛頭ない。純然たるミステリではないので、これだけのボリュームをオリジナルに忠実な難解的解釈で読まされても、途中で挫折するのがオチなのだ。単なる経験値のひとつとしての読書なので、判りやすい訳の方が、精神衛生上好ましいのに決まっている。

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    投稿日: 2013.02.05
  • quatorzeのアイコン
    quatorze
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    神はいるのか。 キリスト教の問答部分が長くて少し大変だった。でも、イワンの考え方、神を受け入れられないのではなく、神の創った世界を受け入れない、というのに少なからず同意する。神がいるのはいい、でも、神はなぜこんな世界を創ったのだろう、と思うことが時々あるから。 イワンにちょっと親しみがわく巻。頭でっかちだけど、青年っぽい姿もみられる。アリョーシャの安定っぷりはなかなか。

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    投稿日: 2013.01.27
  • pppのアイコン
    ppp
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    ラストの方は、今の自分に言い聞かせてやりたい言葉が並ぶ。 ごまかすと、人は、自分で自分を責めるようになるのだな…と思った。 人って、よくできている。

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    投稿日: 2013.01.05
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    鈴雨
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    この巻は前巻以上に大変でした。 クリスチャンではないため作者の宗教的考えは共感できず、仏教徒の多い日本人には難しい内容かもしれません。 次は三巻ですが、しばらく別の作品を読んで息抜きをしてからチャレンジしてきます。 ああ疲れた…。

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    投稿日: 2012.12.11
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    naoyayamashita
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     物語が動いているような部分は臨場感もあって面白く読めるんだが、登場人物の誰かがその考え(多くは神や不死についてなどの抽象的な事柄)について語っているところは、退屈してしまって読み切るのに苦労した。  苦労した理由は単純なもので、僕がキリスト教徒でもなければ、キリスト教についての知識がほとんどといっていいぐらいない、ということだ。キリストについて知っていることといえば、映画『パッション』で描かれた受難ぐらいのものだ。  あまりにも自分の生きる世界とはかけ離れているように思ったので、身近な問題に置き換えてみた。今の日本で、信じるもの、信じるべきものとして考えられているものはなんだろうか。  その一つとして挙げられるのは、大学進学を前提とした教育方法であり、その延長線上にある企業への就職とそこでの従事だろう。  今でこそ自由業などという言葉が生まれて久しいが、少なくとも5ー6年前までは、そういった「社会的な規範から飛び出るようなこと」は、冷たい目で見られた。むろん、それを奨励する人々もいただろうし、そういう本も沢山あっただろう。ここで着眼したいのは、親戚や家族といった、近親者からの目だ。  作中にも出てくる当時の農奴制などは、そういったいわゆる「ラットレース」のようなものの象徴だろう。そこから派生すると、人々は誰もが罪を持つ、という原罪意識へと辿り着く。  誰もが今いる場所からは逃れられない、といった考えは脅迫じみていて吐き気がするほど嫌いだが、「そこから自由になれる方法がある」というようなことを提示されるとそれが心地よくなる、という背反性をはらんでいる。  …と、頭の整理がつかないまま三巻へ突入するわけだが、個人的にはイワンがこれからどうなるのか、非常に気にかかっており、その点で、作者にまんまとやられてしまっているわけです。

    0
    投稿日: 2012.10.13
  • ひつじ さいせいのアイコン
    ひつじ さいせい
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    現代は、何かに必死に生きるということが恥ずかしいこととされている時代のように感じるが、このカラマーゾフの世界では、みんな良くも悪くも、一生懸命で、感情的に生きている。それゆえ、滑稽に映る場面や人物もたくさんある。 だけどその滑稽さが、 僕はとっても美しいと思った。

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    投稿日: 2012.08.25
  • gorilla777のアイコン
    gorilla777
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    このレビューはネタバレを含みます。

    巻末のガイドでロシア貨幣の価値を知ってミーチャの豪遊っぷりに驚愕。 2巻では、アリョーシャが方々へ奔走します。 果たして、イワンとの大審問官の話はどういう影響を与えるのでしょうか。

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    投稿日: 2012.03.22
  • suishodoのアイコン
    suishodo
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    おれたちの地球にはな、まだまだ恐ろしいくらいたくさん求心力が残ってるのさ、アリョーシャ。おれは生きていたい、だからおれは、たとえ論理に逆らってでも生きるよ。世の中の秩序なんて信じちゃいないが、春に芽をだすあのねばねばした若葉がおれにはだいじなのさ。青空がだいじなのさ、いいか、時としてなぜかもわからず好きになってしまう、そういう相手がだいじなのさ。(2巻ドミートリィ)(p.203) 「それに、アリョーシャ、一友人としておまえにも忠告しておくが、こんなことはぜったいに考えないほうがいいぞ。とくに、なにより神にかんすること、つまり神はあるかないかといった問題はな。こういう問題っていうのは、三次元だけの概念しか与えられずに創られた頭脳には、まったく似つかわしくないんだ。だからこそおれは神を受け入れるのさ。たんに好きこのんでというんじゃない。いやそれ以上に、おれたちが皆目わからない神の英知や、神の目的まで受け入れようっていうんだ。」(イワン)(2巻p.218) 「いま、とくにこの十九世紀になって、世界のいたるところに君臨している孤立ですよ。ですが、孤立の時代はまだ終わっていませんし、その時期も来ておりません。というのは、いまでは猫も杓子も自分をできるだけ目立たせることに夢中ですし、人生の充実を自分一人で味わいたいと願っているからです。ところが、そうしたもろもろの努力の結果生まれてくるのは、まぎれもない自己喪失なのです。それというのも、自分の存在をはっきり際立たせてくれる人生の充実のかわりに、完全な孤立におちいっているからです。なにしろこの十九世紀においては、何もかもが細かい単位に分かれてしまい、すべての人が自分の穴に閉じこもり、他人から遠ざかり、自分自身を、自分が持っているものを隠し、ついには自分から人々に背を向け、自分から人々を遠ざける結果になっているからです。 一人でこっそり富を貯えては、こう独りごちている。わたしはいまどんなに強くなったことか、どんなに安定していることか。しかし哀れにも、富を貯えれば貯えるほど、自分が自殺的ともいうべき無力さのなかに沈んでいくことに気づいていません。なぜなら、自分だけを頼みとすることになれ、一個の単位として全体から切りはなされて、人の助けとか、人間とか人類なんか信じないように自分の心を馴らして、ただただ自分のお金や、自分が勝ちえた権利がなくなってしまうのではないかとおびえているからです。 個人の顔をまことに保証するものは、個人の孤立した努力のなかにではなく、人間全体の一体性のなかにこそあるといった考えなどを、人間の知性はいまやいたるところで鼻で笑い、まともに相手にしようともしません。(2巻p.409) 欲求を増大させる権利から生まれてものとは、はたして何なのか?富める者においては孤立と精神的な自滅であり、貧しい者においては羨みと殺人である。なぜなら、権利は与えられてはいるものの、欲求を満たす手段はまだ示されていないのだから。(2巻p.436) 人間はいずれ、啓蒙や慈悲だけに喜びを見いだし、飽食、放蕩、傲慢、自慢、妬みぶかい出世争いという、今のようなむごたらしい喜びなど、見向きもしなくなる。これがはたして夢だというのか。いや、夢ではないし、その時は近いとわたしは確信している。 人は笑って、こう質問するかもしれない。では、いつその「時」とやらはやってくるんです、ほんとうに来そうな感じなんですか?しかしわたしはこう考えている。この偉大な事業を、わたしたちはキリストとともになしとげるのだ、と。そもそもこの地上の人類の歴史には、それまでの十年間ではおよそ考えられもしなかった思想が、その神秘的な時代の訪れとともににわかに出現し、全地上に広まっていった例が無数にあるではないか。(2巻p.447)

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    投稿日: 2011.12.16
  • m89ciyのアイコン
    m89ciy
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    このレビューはネタバレを含みます。

    神を、(本能と理性の矛盾を抱えた人間という事象を偶発させた)システムに入れ替えて、読み進んでいた。大審問官とゾシマ長老の談話などは、頭だけでなく皮膚感覚にまで再現されるような話だった。大審問官の「思想(だったかな?自由?)は細分化され~」という下りに、すでにこの頃から今言われているようなポストモダンの兆しがあったのか、と驚く。

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    投稿日: 2011.11.04
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    tukattyan
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    ドストエフスキーはなんだか世界文学の中で一番好きな気がする。書き方とか主人公のセリフとか好き。まあ、一番好きなのは舞城王(ry

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    投稿日: 2011.10.16
  • harukuのアイコン
    haruku
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    カラマーゾフの兄弟、2巻目です。 読むと1巻はこの長大な小説の導入部だったのだなあ、と感じます。 2巻目は、リズムが出てきてストーリーが走り出し、内容が深まってずっとオモシロイですよ。 特に「大審問官」は凄いですね。 イワンの語る、物語詩、という設定ですが、非常にスリリングな部分の抜き書きで、なんとなく聖書の「黙示録」的な立ち位置を感じました。 この章節については書きだすと切りがないんで、一番印象に残った部分だけ書きますと、 「おまえは知らなかった。人間が奇跡をしりぞけるや、ただちに神をもしりぞけてしまうことを。なぜなら人間は神よりもむしろ奇跡を求めているからだ。そもそも人間は奇跡なしに生きることはできないから」 これですね。 そう、人は奇跡なしには生きられない。 だからこそ今は奇跡がビジネスになっている。 巨大化したスポーツ・ビジネスとか映画や音楽などのエンターテイメントビジネス、みんな奇跡の商業化だもんね。 後は1巻目の神学論争に結論が見えてきていて、それは 「神がいないなら、神を考え出さなければならない」 ということです。 でもせっかく造り上げた神も、 「俗世の学問がおおきな勢力となり、過去一世紀は聖書の尊い約束を、何もかも秤にかけてしまった」 となった結果、すべての価値観が功利主義の罠に落ちる。 全部が損得で片付くなら魂は何処に存在するのか? 魂がないなら、我々は肉で出来た、ただの算術計算機ではないのか? という深刻な疑問。 結局、この小説が現代の日本で未だ新鮮に読まれるのは、神なき時代に置いて、我々はそれを超克できるのか? という疑問へ必死の解答を差し出そうとあがく処ですよね。 ps 亀山さんが、この小説の構成は、古典派時代の交響曲の楽曲構成を意識しているのではないか、という指摘があります。 18世紀後半から19世紀前半の交響曲の第二楽章は「緩除楽章」と呼ばれ、基本的にゆったりとしたテンポの楽想が与えられる、とされています。 このご指摘、4部構成の共通という点では非常に腑に落ちるのですが、この巻が緩除である、とは思えなかったな。 でも私はシンフォニーでには何故か第二楽章、好きなんです。 甘い感じの旋律が多いですよね。 今後、読み進めないと結論は出ませんが、2楽章贔屓という点では、不思議な一致となるかもしれません。

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    投稿日: 2011.09.18
  • マイケルのアイコン
    マイケル
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    第2部に入り、この本の主題もようやく見えかけてきた。 イワンの無神論等当時のいろいろな思想や風潮が散りばめられて、問題提議をしてくる。 巻末の時代背景等の説明が、小説の理解を助けてくれる。 裏に宗教の問題が色濃くあるのは確かだ。

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    投稿日: 2011.09.11
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    babywing
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    2巻といえは大審門官!といいたいところですが、個人的にはゾシマ長老のお話の方がぐいぐい来ました。そしてスメルジャコフの謎の言葉……続きが気になります。

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    投稿日: 2011.08.26
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    jasming
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    このレビューはネタバレを含みます。

    1巻は、怒涛の嵐の中(お兄さんの件)で、終わった感でしたが。 2巻は、その兄の真相に触れ、真ん中の兄の真相にも触れ。 その他、カラマーゾフ兄弟に関わる人々の逸話に触れ。 カラマーゾフという血筋の人間が持つ因縁の輪郭がモヤっと見えた感じがしました。 個人的には、真ん中の兄の存在が、気になっていたのですが、彼の持つ理念に触れ、少し、引いてしまいました。。。(汗) #引き合いに出す内容が酷過ぎる。。。 しかし、なぜ、このタイミングで、行ってしまわれたのでしょうか。 後、この2巻の最後で、ゾシマ長老が亡くなられます。 彼の逸話(生い立ち)を、アリョーシャの手記で纏められていますが、なんともいえない内容で。 #崇高すぎる!! もし、本書に挑戦する前に、余力があるならば。 聖書とゲーテのファウストは予備知識として、読んでおくことを薦めます。 ところどころに、オマージュが混ざっているようなので。

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    投稿日: 2011.07.09
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    cronista
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    中盤で激しく、もうやめた!という感情に負けそうになりながらも終盤でなにやら嵐の予感… このあとは一気読みできるのか!?

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    投稿日: 2011.07.08
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    リカ
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    第2巻。相変わらずアリョーシャが父と兄二人の元を訪れて、それぞれの話を聞いています。 血を分けた家族なのに、それぞれ全く違うベクトルを持っていて、その方向性はもはや重ならない彼ら。 三人三様の激しさをもつ彼らですが、それでもアリョーシャのことは、めいめいが愛しているのですね。 この一家のことは町でも評判のようで、「地上的なカラマーゾフ力」なんて表現さえできていることに驚きます。 地上的で、凶暴で、むきだしの力を意味するとのこと。 それを、臆面もなく堂々と話す一家。 どれほど悪名高いんでしょう。お騒がせ一家のようなものでしょうか。 相変わらず、登場人物の会話をメインに話が進められていきます。 つまりは神の視点に立って作品世界を俯瞰する作者的第三者がなりをひそめているため、カラマーゾフファミリーの強く利己的な主張を延々と聞いて行かなくてはならず、かなり疲れてしまいます。 『渡る世間は鬼ばかり』に似ているのは相変わらずですが、今回ノックアウトされたのは、「大審問官」の章の、イワンの超絶に長いセリフ。 250ページから話は続いていきますが、265ページから289ページまで、25ページに渡る彼の独壇的セリフが続き、読んでいるだけでくらくらしてきました。 原文に忠実な映画などが作られた時には、役者はなかなかクリアできないでしょう。 もちろん、この章に見られるイワンの高い教養と問題意識には圧倒されました。 ロシア正教会とローマ教会、中でもカトリック、さらにはイエズス会などと、細かく区別されているため、難解ですが、キリスト教徒に深く衝撃を与える発言でしょう。 しかし、歴史をさかのぼってのキリスト教義解釈の主張が延々と続くため、門外漢の身には理解が遠いつらさを感じます。 『失われた時を求めて』を原文で読んだ時、全体的にわかりづらい、まどろっこしい文章の中で、延々13行にも渡る一文を見つけた時のような脱力感を感じました。 この大演説を、アリョーシャもおとなしく聞き入っていたわけではなく、何度も口を挟もうとしたのに、兄の剣幕に圧されて意見を挟めなかったとのこと。 25ページ分のセリフを大興奮しながら熱く語り続けるなんて、それだけでも激しい情熱の持ち主だと思います。 とはいえ、訳との相性が今一つなのか、なんだかまだ夢中になれず、相当の意思をもって読み進めているところ。 登場人物たちがとにかく喜怒哀楽が激しく、よく泣いています。 さらに、時代的なこともあるとは思いますが、かなり残酷な暴力的なシーンも多く、読んでいてつらくなります。 感情過多な人々を目の当たりにして、息苦しくなり、とても気が疲れるのです。 娘が恋人に渡した手紙を執拗に読みたがる母親など、想像しただけでげっそり。 娘と恋人の話を盗み聞きする母のことを娘は容認し、「私が母親になっても娘の部屋の前で立ち聞きします」と堂々と宣言するのにも、気持ち的に参ってしまいます。 ロシアの風習なんでしょうけれど、兄弟同士で口にキスをするというのも、読書意欲を揺さぶる見えない攻撃をかけられたようでした。 ただ、提示されている問題はとても深くて興味深いです。 キリスト教の問題は、おそらくドストエフスキーが常に直面していたもので、とことんじっくりと考えるべき事柄を提示していると思います。 自分が教義に詳しくないため、あまり深くまで理解できていないのですが。 イワンとスメルジャコフが「天地創造の際、太陽や月や星が四日目になってようやく作られたというのに、どうして最初の一日目から光があったのか」などといった哲学的な会話を議論する、とあり(302p)、才際立つ者同士、身分を越えて、高邁な問題について話し合うことに、感嘆しました。 キャラクターの激しさに負けそうになりますが、いよいよ次の巻では事件が勃発しそうなので、緊張しながら読み進めていこうと思います。 それにしても、まだロシアの名前に慣れていない私。 やはり、本に登場人物紹介が掲載されていないと、理解に時間がかかります。 ミーチャとドミートリーが同一人物だと、しばらくたってからわかりました。 父親だけが、ミーチャと呼んでいるんですね。 グリゴーリーとフョードルが誰だったのかと、首をひねりながら読みました。 グリゴーリーは熊、ドミートリーは寮、フョードルはフィードル(バイオリン)につい思えてしまいます。 早くキャラクターを覚えないと、クマとかバイオリンとか、関係ないイメージがついてしまいそうです・・・。

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    投稿日: 2011.06.15
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    exitter
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    メモ 2chより 「大審問官」 そもそも、国家を政府が統治していることがまちがっている。 国家は、神の理に通じた教会によって治められるべきである。 政府の間違いを誰が正すのか。それは教会である。 政府は教会に従属するべきである。 こうして、政府を裁くものこそ、大審問官である。 大審問官は皇帝より偉く、皇帝のまちがいすら正さなければならない。 大審問官は、世界のあり方にすら通じているはずだから、天変地異すら裁かれるのである。 大審問官こそ、世界を統一して統治する偉大なる神の地上の代理人である。 まずイワンがアリョーシャにこの世の不正、理不尽さ、残虐さを 延々と語る(トルコ人の赤ん坊殺し、幼女の虐待、幼児の虐殺・・・) ⇒こんな理不尽ばかりな世界に神なんて本当にいるのか? いたとしても そんな神様のつくった世界を俺は認めない ⇒アリョーシャの反論、「神がいるからこそこんな世界でも人間は生きていけるのでは?」 ⇒イワンの再反論、  「神がいなくても人間は生きていける、むしろ神とは人間が作り出したものなのでは?」 ここで「大審問官」の話になる 大審問官の内容はこう。 人間は自由のままのばなしにしていると、イワンが延々と語ったとおり 人間は残虐非道な行いを延々と続け収拾が付かない そこで人間達の自由を管理し、良き方向に導いていく存在が必要になる そのために作り出されたものが神であり、教会である 大審問官(ローマ法王を揶揄してるわけだが)はその秘密をしった上で 秩序を維持するために魔女狩りや異端審問をやっているわけだ ここでキリストが再臨し、人間に自由や天上の愛を説いて回る しかし、人間は完全な自由に耐えられないし、分かりやすい奇跡を求めるもの キリストの理想は分かるが、この世界では実現不可能 大審問官はキリストを捕縛するが、最後はキリストを逃がす キリストは大審問官にキスすることで大審問官の苦悩もわかっている だからこその天上の愛なんだろう

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    投稿日: 2011.06.03
  • donguri3のアイコン
    donguri3
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    有名な大審問官の巻。 大審問官やべぇ、大審問官パネェ、という話だけは聞いていたので、てっきりアリョーシャが何らかの信念に基づく殺人とかして、ロシアが誇る大審問官と大論争するのかなっとか思ってたら全然ちがった。 というか、2巻で出てきたのにびっくり。最後の最後、クライマックスなシーンかとばかり。 しかし、ま、これはこれで、やはり評判になるだけの、シーンではあるね。

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    投稿日: 2011.04.08
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    bksaika
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    カラマーゾフの兄弟の2巻読み終わりました。もう少し前に読み終わっていたのですが、カラマーゾフの兄弟を読み終わった後はどうもブログを書くのを忘れる…早く先に進めたいからでしょうか。 段々と台詞回しなどに慣れてきたせいか、早く読めるようになって来ました。 まだまだ先は長いですが、頑張ります。

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    投稿日: 2011.04.03
  • yasutaka-nのアイコン
    yasutaka-n
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    高校生のときよりもずっと面白く読めた。自分はなんだかんだで変わってないようにおもっていたが、変わったんだなあと実感した。よかった。 イワンの恋、イワンとアリョーシャの会話が最高に面白かった。 神の存在、生のあり方、善悪、人間の罪、事実などについてふたりが本心でかたりあっていた。 イワンは疑うことによって考えていっている。アリョーシャは信じることによって、考えていっている。 イワンもただ冷めたやつではなく、イワンでもよくわからない情熱のような魂をゆさぶられるものがあることを確信していて、それを追い求めようとしていて、自分は本当に強く共感できた。 おれはイワンが本当に好きだ。

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    投稿日: 2011.04.01
  • miauのアイコン
    miau
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    う---------んっ。1巻に比べるとはるかに難解です。2回読みましたが、それでも何とか(いや、まだわからないかも)。さらにドエトエフスキーの言いたいことが詰まっているようで、理解しなければとは思うものの、退屈です。この本の難解といわれる所以が詰まっているようでした。

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    投稿日: 2011.02.13
  • パナマの潤のアイコン
    パナマの潤
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    イアンの物語詩がちょっと長かったけど… 1巻よりは面白い。 ちゃんと1週間で読み切れたもんねヽ(´∀`)ノ

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    投稿日: 2010.11.04
  • sk2010のアイコン
    sk2010
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    アリョーシャの心の動きが本当に面白い。 信仰に厚いゆえにゆれる修道僧に自分がなったような気分を味わえるのは小説のいいところだと思いました。 全体に新たな謎が残されたので次の巻が楽しみです。

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    投稿日: 2010.10.26
  • gugug227のアイコン
    gugug227
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    2010.8.2 神の存在の論争の部分は、ニーチェ読んだあとだから、一層面白かった。 当時の社会状況とかキリスト教(ロシア正教)のことを抑えてる人はもっと楽しく読めるんだろうな。

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    投稿日: 2010.08.03
  • kj_itoのアイコン
    kj_ito
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    修道院でゾシマ長老に仕えるアリョーシャを中心に、神の存在を巡る神学論争。知的な美女カテリーナと妖艶な美女グルーシェニカとの狭間で次第に窮地に追い込まれていく長男ミーチャ。そしてゾシマ長老の死。誰もが実によく喋り、女性はしばしばヒステリーの発作に見舞われる。人間をこんなにも濃密に描く事ができるのがドストエフスキーの持つ魅力なのかもしれない。

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    投稿日: 2010.07.25
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    12時
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    物語が進み始める第二部。 これも小説の一つなので、話の流れは分かっても、そこで展開される議論はまだ未消化。 「プロとコントラ」の章での、主語と述語の分かりにくい事ときたら・・・。 もっと論理に強くならなければいけない。 この章は改めて読み直したい。読み返せばまた新たな発見がありそうな内容だった。 あと、初心な聖人君子のようだったアレクセイが結構人間臭くなってきたのがポイント。 恋は人を変えるのか・・・? 読み終わった、が、まだ理解の途中。

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    投稿日: 2010.06.27
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    はじめ
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    アリョーシャ中心に話が進む。 彼は少しいい子すぎますか。 しかし、人に施しをするって難しい問題ですね そしてイワンに好感が湧きました。イワンの、子供の受けているひどい仕打ちだとかの食事の場面、今までで一番人間らしかった。 1巻より比較的穏やかかな? 前漢のすさまじいののしりあいも良かったですが。 単にフョードルの出番が少ないからかもしれない ゾシマ長老の過去も入ってきて、2巻はするするっと読めました。

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    投稿日: 2009.12.25
  • okamatakeのアイコン
    okamatake
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    昨今のテンプレとは違う天然もののツンデレにニヤニヤしたのも束の間、あまりに生々しい脇役の心理描写に圧倒され、かつ、共感させられた。 子供の涙に対する復讐を語るイワンと、ヨブの逸話に永遠の真理を感じ取ったゾシマ長老との対比は、自分の中でまだ折り合いがつけられない。

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    投稿日: 2009.11.13
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    ゆき
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    1に比べて読みづらかった。特に前半。 後半のゾシマ長老の談話と説教は普通に読めるのだけど。 2は、第1部で父フョードルがイワンとアリョーシャを相手に投げかけた問い――神の存在と不在をめぐる問いが、第5編「プロとコントラ」、第6編「ロシアの修道僧」に結実する。 第6編のほうはゾシマ長老の談話と説教など読みやすいが、第5編の、イワンの物語(「大審問官」)が非常に難しい。あらかじめ読書ガイドのP493~を読んでおけば、少しは理解が深められたか…? 3、4はこの読書ガイドを読んでから中身を読もうと思う。 しかしまあ、聖書の知識(黙示録のこと)があるとないとではこの本の理解、楽しみ方がかなり違うだろな。 読書ガイドを読むと、『ファウスト』を知るとイワンがゾシマ長老を念頭において言った「ゼラフィクス神父」が『ファウスト』に出てくる「天使に似た教父」を典拠としていることがわかったり、あるいはアリョーシャが「イワンが体を揺らしながら歩き、右肩が左肩よりも下がっていたこと」に気づく場面があるが、これも『ファウスト』を知っていると「右肩の下がり」「体の揺れ」について、衝撃的な発見をするだろうと書かれている。

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    投稿日: 2009.11.11
  • kinako87のアイコン
    kinako87
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    やっぱりアリョーシャが好きだなー。 1巻ではカラマーゾフ兄弟について触れていた部分が多かったけど、2巻はそれを取り巻く登場人物にスポットが当たっていた。 今後この人たちがどんな風に絡んでいくのかが楽しみ。 それにしてもフョードルはいつ死ぬんだろうか…2巻の解説で死ぬってことは分かったんだけど…。

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    投稿日: 2009.09.29