
総合評価
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powered by ブクログ変態SM小説。傑作の名高い作品だけど、今のご時世叩かれそう。 読み手を選ぶ、R指定モノ。 いきなり拉致監禁に始まり、奴隷として目覚めていく主人公O。狭い世界で男たちが入り乱れて行為を楽しむわけだが、空間的な広がりが乏しいところがあまり好きではなかった。 日々、女性に虐げられてる、男性陣はストレス発散できるかも。
0投稿日: 2021.03.26
powered by ブクログ3.8官能小説と呼んでもいいのか?見たことない世界に一気読み。まあ理解されないやろな。ドキドキする。
0投稿日: 2020.08.14
powered by ブクログ性器にピアスしたり全裸で鳥の仮面かぶったりして、人間性が剥奪されていく快感がここにはあります。 作者は女性なんでしたっけ? 登場人物の誰に感情移入しながら書いていたのかは、ちょっと気になります。
1投稿日: 2019.07.07
powered by ブクログ何たる一冊…………。 結局Oは、男たちのオブジェ、蝋人形のような存在であったのか。 フランケンシュタインのように、どんどん改造されていく恐怖、不安、嗚咽が生々しくそして痛々しい。 奴隷制度がありましたよという訴えもあるが、その中身を抉り出してあるんだけど、性交渉の描写は実は殆どない。 その幸福は、本物でありながら読み進めていくうちに感情論になっていき、ラストに近付くにつれ戦慄を齎される。 これも運命なのかと考えさせられた一冊。
0投稿日: 2019.06.07
powered by ブクログスーザンソンタグの「ラディカルな意志のスタイルズ」のなかで書かれていたことが全て、なような。あれを読んでから読んだことで、小説全体を覆う死の香り、崇高な文章表現がスッと入ってきてただただ過激な物語ではなく読めたと思う。
0投稿日: 2019.04.22
powered by ブクログ原書名:Histoire d'O ドゥ・マゴ賞 著者:ポーリーヌ・レアージュ(ドミニク・オーリー)(Réage, Pauline(Aury, Dominique), 1907-1998、ジャーナリスト) 序文:ジャン・ポーラン(Réage, Pauline, 1884-1968、文芸評論家) 訳者:澁澤龍彦(1928-1987、港区、小説家)
0投稿日: 2019.01.04
powered by ブクログO嬢に共感できるか、理解できるかというと難しい。だが読者の立場でなるたけ、できうる限りの最上の努力をしてみた。幾万もの自由を捨て厳しい戒律で束縛し苦行し、成程彼女には神による法悦のようなものに近い愛の物なのかもしれないと考察するものの、納得できなく受け入れ難い。
1投稿日: 2018.03.03
powered by ブクログO嬢は恋人ルネのせいで鞭打ちなど苦痛を与えられますが、それでもルネを「愛してるわ(p47)」と本音で言います。 彼女は“拷問という観念を愛し”、“拷問が終わったとき、彼女はそれに堪えたことに満足をおぼえ、しかも、拷問が残酷で長ければ長いほど、より大きな満足をおぼえる”(p205)のです。 そして“ルネがOに自由をあたえているということ”を障害と感じ、Oは“自分の自由を呪わしく思って”(p145)います。 残酷な拷問を受け、服従し、奴隷として身をささげることに満足をおぼえるOに、なかなか共感はできませんが、そういった幸福の存在をまざまざと感じる物語でした。
2投稿日: 2017.06.29
powered by ブクログO嬢が恋人のルネにロワッシーへ連れて行かれるところから物語は始まる。鞭の痛みと恐怖、身体を乱暴に扱われ服従を強制される苦痛、そして歓び。其処には他人に自身の全てを捧げる高貴な女性の精神が描かれているように思われるのだ。奴隷状態の快楽が文章から全面に溢れており私は美しい姿の彼女たちに景仰の念を抱いた。
0投稿日: 2015.04.03
powered by ブクログ世界各地で絶賛されているようですが、私には合いません 被虐主義と加虐主義、どちらも縁遠いようです さほど驚きが少なかったのは私の心が澱んでいる所以でしょう。 とにかく和訳は読みにくい! 今後はあまり手を出したくないです
0投稿日: 2015.03.23想像力がふくらむ
前から読んでみたいと思っていたが、思いのほか長くて手こずった。もう少し娯楽性があるなら軽かったけど、哲学的でもあり、途中で”なんだかなぁ”と食傷気味になって疲れた。1950年代発表当時はこれはセンセーショナルだっただろう。自分には誰かの所有物になって思いどおりになり愛を得るなんて理解できない。自由や自我に対する考え方は欧米人と日本人では異なるので、小説に関する感じ方もまた違うのだろう。
0投稿日: 2014.08.05
powered by ブクログPauline Réageが1954年にジャン=ジャック・ポーヴェール書店より刊行した小説。1975年に映画化され、ポルノだと思っている人が多いと思いますが、原作小説についてだけいえば、官能小説ではありません。サディスティックな描写、マゾヒスティックな描写、ホモセクシャルな描写やレズビアンな描写などもありますが、主人公Oの心理描写が大半を占めており、そういう部分を期待して読むとがっかりします。この心理描写が、とても細かいのでもの凄く生々しく、感覚を刺激してきます。澁澤龍彦の訳はさすがだと思いました。
2投稿日: 2014.03.25
powered by ブクログ最高の恋愛小説じゃないですか。 O嬢の物語でO嬢の告白視点のはずなんだけど、極力O嬢の感情は排していて、虐待を加えられるシーンなんかは肩すかしするぐらいシンプル。 O嬢がそこまでする(される)動機を「愛してるわ」以外で語らないのが素晴らしいと思います。 しかし最後がなぁ。 なんとなくみんなに軽蔑されている風に終わっていたけれど、もっとなんていうか物になってほしかった。 軽蔑の対象は人間だけでしょう? Oを是非軽蔑の対象にすらならない状態にしてほしかったです。
4投稿日: 2014.02.15
powered by ブクログ「アンヌ・マリー...」にかかる所で、挫折。 淡白に書かれているから、それほど気持ち悪さや気味悪さはないけれど、どうも後味が悪くなった作品。 O嬢は、結局のところ誰も愛してはいないし、そして彼女の周りの人間も誰も愛してなんてないんだろうと思うと悲しくもある反面、因果応報であるとも思える。
1投稿日: 2013.08.01
powered by ブクログ図書館 TLで話題になったので^o^ 女性同士の関係とか拡張とかにはによによしたよ^o^ 趣味に合わないところもそれなりにあった (嫌悪感とかではない)(べつにそのプレイは好みじゃないってだけね) 知らなきゃ読まなかった作品だと思うので。 興味深かったです。ちょっとイメージしずらい描写もあったので映像が見たいな…
0投稿日: 2012.05.05
powered by ブクログマルキ・ド・サドとかバタイユとかクレランドとかと同じ系統の物であるが、純文学であるところが時代を感じさせる。そこが今日日の単なるAVを見るのとは違っていると思う。
0投稿日: 2012.04.14
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
進歩的な女性「O」が自由よりも服従を選ぶその生き様。O嬢はさまざまな男たちに服従を迫られ、それに答えていく。ロワッシーでは複数の男たちに服従を強いられ、次には恋人ルネに導かれステファン卿の元へと譲り渡される。アンヌ・マリーに性器に鉄輪を通され、最後にはオブジェとして衆目の元に晒されるのである。
0投稿日: 2012.04.09
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
かなり衝撃的。 調教のシーンや、O嬢がどのように社会的地位を失っていく(軽蔑的なそれを獲得していく)かという過程がまことに細かく描写されていて、そこがかなり目を奪う。 女性は誰に所有されるべきか(本人がそれを快感・幸福に思う場合)という問題が存在するんだということを読む人に突きつける。 女性を所有したいと望む大部分の男性にとってもきっと興味深いだろうが、「好きな男に所有されたい」と望む(あるいは望んだことのある)女性にとっては、切実な問題として読むことが出来るのではないかと思う。 終わり方はかなり悲惨だが、過程はいろいろと解釈の余地があるように思う。
0投稿日: 2012.03.01
powered by ブクログ読んだー!読んだどー!!! ああ、嬉しや・・・世界の名著、そのエロさで有名な「O嬢の物語」! そういう世間の“おすすめ本”を読んだってだけで嬉しくなる。 でもこの本は、そういうの抜きに、わたしからもおすすめします! エロさでゆうと「エマニュエル夫人」も有名だけど、どこかで「O嬢」も聞いたことがあって、本屋で見かけた時に文庫サイズでそこまで分厚くないのを見て「挑戦できるかな?」と買ったものの“ツンドク”こと約1年・・・ あれって駄目ね。前書きがやたらと難しすぎて、飛ばし読みすることが出来ないタイプの人は、なんかもうそこで躓いちゃうんだもん。 で、長らく読み進めなかったことを後悔したのはようやっと本編に入った時。 衝撃でした・・・。 「O嬢」は今から約60年前に出た本なんだけど、当時だから性的表現が問題になったのね。とか、そんなレベルじゃない凄さ。 現代社会でも十分問題です。 え!そこまで書くの?という、肉体の生々しさはもちろん、なんでそこまで書けるの?という、精神世界の生々しさ。 人を飼う、人に飼われるということ。恐怖、悦楽、嫉妬、静謐・・・ 生々しいんだけど、翻訳だからなのか元々筆者がそうなのか、文体が客観的で疲れることはない。 ただひたすらその世界観に驚かされ、そして考えさせられる。 もちろん物語としても読むのに十分魅力的だし、自身を一度解体し、見つめなおしたい時に哲学的に読むこともできる。 内容や表紙、年代の古さでそっぽを向いてしまうにはあまりにももったいない作品。 続きで「ロワッシイへの帰還」という本が出ているらしいからぜひ読んでみたいんだけど、翻訳はあるのかしら・・・ 確実に、次の本へと進む扉を開いてくれた本でした。感謝。
0投稿日: 2012.01.27
powered by ブクログ朝から学校で読むのに最適← この本は私の中二病 うらやましくない。 けど、女ってこういうものかなと おもう
0投稿日: 2011.11.28
powered by ブクログ中学校のとき、初めてこの澁澤達彦さんの訳で読んだ。人間の精神の底知れぬ奥深さというか、輝くような闇をみた思いだった。 その後、映画を観たり他の訳本も読んでみたが、この澁澤達彦さんの訳ほど気品にあふれ、妄想爆発させるものはない。 はっきり言って、この本を読むなら、この版。後はダメ。 表紙は扇情的だが、これは、違う気がする。
0投稿日: 2011.06.18
powered by ブクログ倒錯した性的妄想の原型。身体的苦痛を契機にして精神世界に没頭する人間の思考を描いているため、凄惨なシーンが多々ある。よくある官能通俗小説とは一線を画している異色の作品。
0投稿日: 2011.05.28
powered by ブクログ抜けないエロ小説。 澁澤龍彦氏は「これは決して風俗小説ではない」と解説に書いてましたが、読んだこちらとしては「これは決して風俗小説ではないとは言わせない」と言いたいところ。 消費者の何割かはそういう読み方したでしょ。 女神のヌード絵画に対して「これは神々しいものだ」との大義名分を掲げ、その実イヤラシイ絵を楽しんでいた時代があったように、O嬢の物語に対して文学としての蘊蓄を掲げつつもエロ本として消費した人はいたはず。 いないとは言わせない。 もちろん悪い事とは言いません。 最後は削って大正解ですね! 11.03.18
1投稿日: 2011.03.21
powered by ブクログ文学、というか実験的文芸か。あとがきで澁澤龍彦がいうようにジャン・ポーランとドミニック・オーリーとの男女合作と考えるのがしっくりくる感じ。読む前の印象としてはもっと古い年代のものかな、と思っていたけれど、1954年刊行とのことで近代ですね。エルヴィスやチャック・ベリーが台頭してきた時代の話じゃないですか。。。小説内部に独立した思想や何かがあるわけでなくて、社会的な派生そのものがこの作品の本質なのかも。
0投稿日: 2010.09.28
powered by ブクログ[ 内容 ] [ 目次 ] [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
0投稿日: 2010.06.26
powered by ブクログ好きか嫌いかと問われれば、嫌いではない。ただ興奮するかと言われればあまりしないと想う。Mなワタシでも嗜好がちゃうンやなって想いました。
0投稿日: 2010.06.24
powered by ブクログこれってずっとエロ小説だと思っていたが、バタイユが賞賛していたので読んでみた。 確かにただのエロではない。むしろ不思議な感じ。主人公の女性はとりわけ冒頭から何もしゃべらず、あらゆる妙な処遇を受容しながら、黙々としているのがシュール。 これが女性の普遍的な感覚?なのかはけっこう疑問だ・・・
0投稿日: 2010.05.18
powered by ブクログ店頭で買うにはためらわれる表紙。 作中で主人公が「御主人様」に命令されるこのひとつ、 「男の前では常に口をうっすら開いていること」(物欲しげに魅せるため?) が今現在女子たちの「かわいい顔」のひとつになっているという事実にビックリ。
0投稿日: 2010.01.07
powered by ブクログ隷属する事。 それは同時に自己の判断から解放された非常に自由な状態なのだろう。 非常に美しい性描写が印象的
0投稿日: 2009.12.02
powered by ブクログ突然ですが、再々再々……、読。この河出文庫版1966年澁澤龍彦の「あとがき」にも納得。あとがきには、ポーリーヌ・レアージュは匿名女流作家で、実はジャン・ポーランのアナグラムか、あるいは女流作家ドミニック・オーリーとの合作か、とも。今さらほんとうに間の抜けたことを重ねますが、私は出逢った最初から、ここに「生物としての性別・女」を感じないではいられなかったのだ、と、あらためて。つまり、2002年「ユリイカ」に再録された鼎談(澁澤龍彦没後10年だから、実際は1998年?)に於て、矢川澄子自身が「『O嬢』は先ず自分が全文下訳した」といった発言をしているのを、私は漠然と見逃していたのだ、ということ(この時代の「澁澤」に、どれほど矢川澄子が混在・浸透しているのだろうか?)。で、それならば、わかる。同じ澁澤訳のマンディアルグとこの作品との違いもまた(もちろん、原著者が違うのだけれども、それにしても)。「わかる」と言ってしまったけれど、ほんとかな…?たとえば巖谷國士訳などと較べればもっと何か感じるのかな。あるいは、『イマージュ』ともう一度並べて読む、とか。専門外なのに、何をこんなに拘ってるんだろう(って、そもそも私の専門って何なんだ……?!)。【以下は、2009.05.04時点でアップした感想です】エロすぎることはありまへん、むしろ難解。このカヴァーになる前の澁澤訳で読んだ(今も持ってる)のですが、ここまでくると、「好悪」を別として、やはり芸術でしょう。あくまで、好悪を別として、です。(それで、私は「好き」なんだな、やっぱりこれが。何度繰り返し読んだかわかりません)。ところで仏ガリマールには、やっぱり憧れますね。小口をペーパーナイフで切って、そして、読む。つまり「袋綴じ」ってことか?というツッコミは無視することにして。
0投稿日: 2009.05.05
powered by ブクログ【090111】論より証拠 ::::::::::::::::::::::::: わたしは、 『あかし』が好きだった。 いつだって、いつまでも、 眺めて、触って、愛でていた。 『あかし』が消えてしまうまで。 あの人も分かってくれていると思っていた。 ピアスだとか、TATOOだとか、 嬉しそうに話してくれる友達もいたけど わたしは違うと思っていた。 わたしにとっては 生きている『あかし』。 あの刹那、 わたしは確かにこの世にあって その心が求めて その身体が打ち震えた証拠。 だから、 『あかし』は未来に向かうもの。 だから、 消えたっていい。 未来に向かって消えていくものだ と思っている。 消えないものは 『あかし』なんかじゃない。 だって、 わたしをその場に留めて 未来を奪ってしまうもの。 わたしは自由なんだ。 確かに、 心も身体も求めているのだけど 隷属したり、服従したりするんじゃない。 わたしは、わたし自身のものだ。 誰かのものじゃない。 あの人も分かってくれていると思っていた。 わたしが拒んだとき あの人はめずらしくおどおどして 謝った。 違うんだ。 わたしは 何が違うのかが すぐには分からなかった。 でも、気がついた。 寂しかったのだ。 不安だったのだ。 あの人は。 あの人には未来がなくて その場に留まっていなければならなくて ひとりで留まるのが寂しかった。 不安だった。 でもね、 わたしには未来があるの。 だから『あかし』を求めるの。
0投稿日: 2009.01.26
powered by ブクログええ、ついに読みましたとも。 そう、性的描写は多くともエロティックではない。 体をめちゃめちゃにされ、 それでも肉体的苦痛を悦びに感じるほどに変化していくOの心情はしかし、とても慎ましやかで。 怖いもの見たさだろうか。 主人公のOが痛めつけられればられるほど、 読みすすめることを躊躇しつつも どんどんのめり込んでいったのは、 私もある種快感を覚えていたのではないかという・・・。 ちょいと怖くなったり。エヘ。笑 個人的には金子國義が挿絵を描いてる本が欲しかったが仕方がない。
0投稿日: 2008.06.21
powered by ブクログ実は講談社刊の鈴木豊氏訳を先に読んだ。叙情溢れる名訳だったせいで 個人的には澁澤訳は少しロマンティシズムというかやや情感に欠ける気がする。 Oのように「奴隷の身分に甘んじるしあわせ」を容認する女性は純粋だろう。 打算も柵も無い究極の愛のかたち。
0投稿日: 2008.01.26
powered by ブクログ言わずと知れたSM純文学? 実はこの本、日本語訳の初版で所有してます。古本で二千円くらいしたかな。 ある方向の愛の究極。
0投稿日: 2008.01.02
powered by ブクログ長い間ベールに包まれている作者による、言わずもがなの1冊。恋人ルネにより、ステファン卿に委ねられたO嬢が、自分の身に次々と起こる理不尽な状況をどこか他人ごとのように捉え淡々と語っていく。女性ならではの視点で書かれた究極のポルノグラフィ。内容の過激さばかりに注目されがちですが、恋人を想う女性の心理をロマンチックに描いた作品です。翻訳はいくつか出版されていますが、やはり澁澤龍彦訳が解説も秀逸
0投稿日: 2007.05.13
powered by ブクログ何か笑えるお話でした。 澁澤先生が飛びつくのが納得のストーリー。 最後の終わり方も、なんだかな(笑 でも結構この本好きです。
0投稿日: 2006.05.27
powered by ブクログこれも基本だからと読んだ本。ドMとなるO嬢がご主人様を慕うのだけど「僕のものだから他人に与えられるのだ」と次々と男に委ねられ、捨てられるって話で。ふくろうのお面のあたりはこれ精神が破綻してなきゃ耐えられないと思うあたしは、ドMにはなれないなと。でもわりと好きな本。
0投稿日: 2005.12.03
powered by ブクログSMの王道。 やっぱり出来れば完訳してほしかったなー。 ある意味愛の形だと思うし、嫌いじゃない。 美だと言う感覚もなんとなくわかる。しろと言われたら困るけど。 痛いの嫌いな人は絶対駄目だと思う。 澁澤は一時期狂ったように読み込んだなー。懐かしい。
0投稿日: 2005.10.19
powered by ブクログ澁澤滝彦が翻訳を手がけた、所有される女性を書いた作品。不思議な感覚と、婉曲であるからこそますます引き立つエロチックが素敵!
0投稿日: 2005.10.08
powered by ブクログたとえば注射針を刺される感触が嫌いでない方、あるいは過剰に嫌いな方には啓蒙の書になるかも。肉体の快楽よりも精神の快楽の方が断然イイんだよね。エロスは、描写でも過激な行為にでもなく、精神が纏っている社会的な衣服を徹底的に剥奪されてゆく、その優しい残酷さの中にあります。恋愛小説の欺瞞に食傷気味のアナタをきっと慰撫してくれるはず。
0投稿日: 2005.05.14
powered by ブクログとても有名な作品。ジャン・ポーランによる序「奴隷状態における幸福」が端的でステキ。納得させられたよ。
0投稿日: 2004.12.07
powered by ブクログ痛いことは嫌いだけど、Oにはあこがれます。ステファン卿が魅力的です。違う違う。こんなに薄っぺらなレビューじゃダメだぁぁ。ええと、人権を放棄したら気持ちいいのかもしれません。でも私には怖くて出来ません。でも、椅子に座る時は、Oの真似をするようになりました。
0投稿日: 2004.10.14
powered by ブクログ澁澤翻訳物の中の基本中の基本なので…。 原作のほうでは完結しているらしいのだが、それが面白くないからといって最後まで翻訳していないという、澁澤龍彦が面白すぎる。
0投稿日: 2004.10.11
powered by ブクログ正統派SM(笑)。 まあ美しくていいんじゃなくて? 男からみた理想の女性像だったりして。くはー・・・。
0投稿日: 2004.09.26
powered by ブクログマゾヒスト文学の最高峰。 個人的にはマゾッホ作品よりビリビリきた。 ラスト、梟の仮面のシーンは圧巻。
0投稿日: 2000.01.01
