山我哲雄 / 岩波ジュニア新書 (22件のレビュー)
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コウケン
全体的に「キリスト教史」入門といった内容である。ユダヤ教→イエスの時代→キリスト教の成立→キリスト教の分裂(カトリック・東方正教会・プロテスタント)→現代のキリスト教、といった流れが概観できる。日本で…はクリスチャンでもない限り、福音書が四つあることを知らない人も多いだろう。詳しい人でも「聖書の概要を知っている」くらいではないだろうか。私は、特に東方正教会についてはほとんど知らなかったので、カトリックとの違いを初めてきちんと学んだ思いであった。著者は本書について、非キリスト教徒を対象に『キリスト教という宗教について、正しく適切な知識と理解を養っていただくため』の本だとしていて、そのとおりの内容に仕上がっている。しかも、読んでいて面白い。前半では聖書の引用も多く、ユダヤ教・キリスト教の雰囲気も知れるように思う。「聖書入門」的な本と併せて読めば、キリスト教への理解が進むだろう。 私は本書を読んで、やはりキリスト教が世界宗教になるにあたって、ユダヤ教の厳密な一神教としての「純度」は低下したように思った。例えば、ほとんど無理やりな『三位一体』の教義、女神信仰のような『聖母マリア』崇敬、特定の分野に現世利益のある『守護聖人』崇敬などに象徴的である。これはほとんど多神教のノリではないか、とすら思った。本書とは関係ないが、仏教が大乗仏教として広まったのも、おそらく同じ理由があったのだと思う。すなわち、純度が高く厳密な教義では、広範な地域をカバーできないということだろう。また、現代とは異なり文字が読める人が希少な時代では、キャッチーな物語、キャラクターは普及に必要だったと思われる。 キリスト教はユダヤ教から次のものを受け継いだ。 ・旧約聖書 ・唯一絶対の神への信仰 ・神と人間が契約関係にあるという観念 ・メシア思想 ・終末論(最後の審判) 『見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。……わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。(エレミヤ書)』 『多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。ある者は永遠の生命に入り、ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。 目覚めた人々は大空の光のように輝き、多くの者の救いとなった人々は、とこしえに星と輝く。(ダニエル書)』 キリスト教は新たに次のものを発展させた。 ・新約聖書 ・イエスが旧約聖書で預言されたメシアであるという信仰 キリスト教がユダヤ教から受け継がなかったものもある。 ・選民思想 ・律法至上主義 『神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもないのですか。そうです。異邦人の神でもあります。実に、神は唯一だからです。(ローマの信徒への手紙)』 『そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。(ガラテヤの信徒への手紙)』 『人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、 律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです(ガラテヤの信徒への手紙)』 『神は、割礼のある者を信仰のゆえに義とし、割礼のない者をも信仰によって義としてくださるのです。(ローマの信徒への手紙)』 著者は四つの福音書について、イエスを旧約聖書で予言された『メシア』とする信仰の立場から書かれたものである、と考える。そして、『歴史的イエス研究の成果』を参照して、その生涯と思想の素描を行う。 ナザレの大工(木材加工業者)であったイエスは、『洗礼者ヨハネ』の運動に参加することから公的活動を開始した。著者はイエス自身について、『ユダヤ教の伝統を否定して新しい宗教を始めるつもりはなかった』と推測する。 『人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。(マルコによる福音書)』 『イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。(マルコによる福音書)』 『わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成(ないし成就)するためである。(マタイによる福音書)』 著者は、イエスの思想の中心一つは『「神の国」の到来が切迫しているという確信』だと主張する。 『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。(マルコによる福音書)』 『はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、神の国が力にあふれて現れるのを見るまでは、決して死なない者がいる。(マルコによる福音書)』 著者は、イエスの新しさを、『神の国』の到来を『恐るべき神の裁き』ではなく、『幸い』なもの=『福音』として語ったことにあったのでないか、と考える。 『貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。 今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。 今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。(ルカによる福音書) 』 『徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。(マタイによる福音書)』 また、奇跡物語については『荒唐無稽な伝説と見なさざるを得ないもの』が多いとしつつも、『病気直し』については『少なくともイエスには、常人にはない特別の癒しの力を持っていると周囲に感じさせるものがあった』と肯定する。さらに重要なことは『病気そのものの苦しみからの解放と並んで、社会的な意味での救いを意味したこと』と指摘する。 『医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。(マルコによる福音書)』 著者はこれを、『親鸞の悪人正機の考えにも通じる思想』にも感じられる、と書く。これは私もそう思う。 著者は、『神の国』の到来を並んで『イエスの宣教の焦点をなすもの』として『愛』の強調を挙げる。 『神である主を愛しなさい。(マタイによる福音書)』 『隣人を自分のように愛しなさい。(マタイによる福音書)』 『(あなたの)敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(マタイによる福音書)』 著者によると、次のような箇所は『後のキリスト教徒のイエスの死についての理解や信念』を反映したものではないか、ということである。 『今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子(=イエス)は祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人 (=ローマ人)引き渡す。異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、鞭打ったうえで殺す。そして、 人の子は三日の後に復活する。(マルコによる福音書)』 ただし著者は、『イエスの運動を異端視する論敵たちや宗教的な権力者たちの牙城に乗り込んで行く』のだから、『一般的な意味での死の予感や決死の覚悟があったこと』までは否定しない。ここでイエスは境内の『両替人や供犠用の動物や鳥を売る商人』を追い出すという、福音書では唯一の暴力に訴える場面が描写される。 『祭司長たちや律法学者たちはこれを聞いて、イエスをどのようにして殺そうかと謀った。群衆が皆その教えに打たれていたので、彼らはイエスを恐れたからである。(マルコによる福音書)』 なお有名な嘆きの壁は、イエスの予言が実現したがごとく紀元七〇年に破壊されたエルサレム神殿の西側の壁である。 身の危険を感じたイエスが『十二弟子を集めて、別れの食事会』、有名な『最後の晩餐』を行った。その際、『イエスはパンを配ってそれを「わたしの体」と呼び、葡萄酒の杯を回して「わたしの血」と呼んだ』ことが後の『聖餐式』や『聖体拝領』の儀式の由来である。 著者はゲッセマネの園における祈りに『自分の死に直面して取り乱した一人の弱い人間』を見出す。そして、最初の言葉に『歴史的イエス』の姿を、その次の言葉に『福音書記者の付け加え』を示唆する。 『アッバ、父よ、あなたは何でもできになります。この杯(=受難)をわたしから取りのけてください。(マルコによる福音書)』 『しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。(マルコによる福音書)』 著者は、イエスを正式な裁判にかけたユダヤ教の指導者たちの目的について、『イエスという人間の物理的排除』だけでなく、『イエスに向けられていた人々の期待や信仰全体を打ち砕くこと』であったと指摘する。 著作は、十字架の場面における最初の言葉を『歴史的信憑性が高い』と考える。 『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。(マルコによる福音書)』 そして、福音書の記者が次のような訂正が加えたのではないか、と推測する。 ・マタイによる福音書…先の言葉が『神への信頼を歌う旧約聖書の『詩編』二二編の冒頭』であるような記述 ・ルカによる福音書…『父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。』 ・ヨハネによる福音書…『成し遂げられた。』 著者は歴史的事実としては『イエスが復活したという強い確信が同時多発的に生じた』のであり、それは『物理的に復活したかどうかという問題』とは別だと指摘する。これはもっともであると思う。 『最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファ(ペトロ)に現れ、その後十二人に現れたことです。次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。……そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって今日のわたしがあるのです。(コリントの信徒への手紙一)』 この『復活信仰』こそが『イエス・キリストを信仰対象とする宗教としてのキリスト教の真の出発点』となったのだ。 『神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。(ローマの信徒への手紙)』 『わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。(ヨハネの手紙一)』 しかし現実のローマ帝国の支配は続き、『神の国』は実現しなかったため、『最後の審判』が強く信じられるようになった。 『人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。「さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい……」(マタイによる福音書)』 イエスの弟子たちを中心とした『エルサレム初代教会』が積極的に宣教を行うようになった出来事があり、それが『聖霊降臨祭』の由来である。 『五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、〝霊〟が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。(使徒言行録)』 やがて『ギリシア語を話すユダヤ人』たる『ヘレニスタイ』が、ユダヤ教の枠に収まらない『急進的なキリスト教集団』になったと考えられる。特にパウロは、思想と普及への実践の両面において最も重要な役割を果たした一人である。 『わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。……しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき……(ガラテヤの信徒への手紙)』 『わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。……「内なる人」としては神の律法を喜んでいますが、わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。(ローマの信徒への手紙)』 著者は、パウロにおける『行為義認論』から『信仰義認論』への転換を、親鸞の『自力』から『他力』への転換に近いものがある、と指摘する。私も同感である。 『人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。(ガラテヤの信徒への手紙)』 『どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。(ローマの信徒への手紙)』 『神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもないのですか。そうです。異邦人の神でもあります。実に、神は唯一だからです。この神は、割礼のある者(=ユダヤ人)を信仰のゆえに義とし、割礼のない者(=異邦人)をも信仰によって義としてくださるのです。(ローマの信徒への手紙)』 『あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。(ガラテヤの信徒への手紙)』 ただしアテネではうまくいかなかったらしい。著者は『ソクラテス、プラトン、アリストテレス以来の伝統を誇る「哲学の都」であるアテネの知識人にとって、死者の復活のような「不合理」な信仰を説くキリスト教は、幼稚で迷信的に思われた』と推測している。しかしこれも、歴史が示すように時間の問題だったのだ。 エルサレムのユダヤ人キリスト者の教会は、ユダヤ人の反乱や第一次ユダヤ戦争によって消滅し、キリスト教の主な担い手は『ギリシア人やローマ人等の異邦人』となったことで、『世界宗教』として大きく発展していった。 当初キリスト教は迫害されており、それを示すように『ヨハネの黙示録』の怪物の名である666は皇帝ネロを示すものである。それが、三一三年にコンスタンティヌスによってキリスト教が公認された背景には、『唯一神信仰を持ったキリスト教を、分裂したローマ帝国の再統一に利用できるのではないかという計算』もあったようである。それもあり、神学的な異論は公会議によって『正統』と『異端』を分かつ伝統が生じることとなった。そのなかで是認されたのが『先在のキリスト』や『聖霊の神性』であり、これを基礎に『三位一体論』が理論化された。そして三九二年にはテオドシウス1世によってキリスト教は国教となった。さらに、彼によって国家が東ローマ帝国と西ローマ帝国に分割されたことが、キリスト教を『後にローマ・カトリック教会となる西方教会と、後にギリシア正教となる東方教会』に分岐させた。 ローマ・カトリック教会が『西ヨーロッパ全体を国家の垣根を越えて統合していた』のに対して(教皇皇帝主義)、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)では皇帝の権力が宗教的権力を上回っていた(皇帝教皇主義)。東西の教会が『完全に袂を分かつ時が一○五四年』にやって来た。それぞれの要人を相互に破門したのである。 ローマ・カトリック教会は、○・四四平方キロメートルの世界最小の独立国たるバチカン市国に教皇庁を置き、聖ペトロ大聖堂の教皇を首長とする。信徒の誕生から死までを刻印する『七つの秘跡』、天国・地獄に煉獄を加えた死後の世界の観念、聖母マリアや守護聖人への崇敬といった特徴がある。二〇世紀の半ばには『頑迷で独善的な姿勢を突然一変させ』、現代的な価値観に適応し、他教会(正教会、英国協会、ルター派教会)との関係も修復された。『新共同訳』聖書もプロテスタントとの協力の成果の一つである。日本にフランシスコ・ザビエルによって伝えられたのもカトリック信仰である。現代日本の信徒は約四五万人と推計され、日本のキリスト教徒総数の半分弱に当たる。 東方正教会はローマ・カトリック教会とは異なり統一的な組織は持たない、『国ごと、場合によっては地方ごとに独立した同系統の諸教会のゆるやかな連合』であり、コンスタンティノープル総主教の地位も『同等者の中の第一人者』である。国家が優位となるため、『しばしばその国の政治や民族主義と結び付いた複雑な問題』が生じる。その例としては、ウクライナ正教会の一部の首長をモスクワ総主教庁は認めていない、といったようなことがある。信徒の誕生から死までを刻印する『七つの機密』、奉神礼、イコン、聖母マリアや守護聖人への崇敬といった特徴がある。カトリックと重なる部分も多いが、教義の細部にかなりの違いがある。ソ連時代は弾圧されたが、ソ連崩壊後は反動で『人々が教会に殺到するという現象』が起きた。日本には開国直後の一八六一年に、修道司祭ニコライによってと伝えられ、現代日本の信徒は約一万人前後と推計される。 プロテスタントは、宗教改革によるローマ・カトリック教会からの分派であり、統一された組織や教義があるわけではない。宗教改革は、十字軍の失敗、贖有状(いわゆる免罪符)に象徴的な腐敗、これらによる教会の権威の失墜と硬直した教義への反感が母体となり、ルターの『九五箇条の提題』を、それに『共鳴した誰か』が、当時の最新技術である活版印刷にて大量印刷したことから広がった。統一された教義も持たないプロテスタント諸教会であるが、『聖書のみ』・『信仰のみ』・『万人祭司説』は共通の原則となっている。カルヴァンの『キリスト教綱要』のようなカトリックに対抗できる体系的神学書も書かれた。英国教会は王族の意向による紆余曲折もあり、『カトリック的な要素とプロテスタント的要素を併せ持った教会』となった。現代日本の信徒は約三万二千人と推計される。 二十世紀のキリスト教は、『メインライン』と呼ばれる『科学的な認識を基本的に受け入れて』、教義を現代的なものに変えて行こうとする流れが主流であるが、それへの反動から『ファンダメンタリズム』、つまり『原理主義』のような考え方も生じた。 著者はそれとは別にキリスト教系新宗教(モルモン教、エホバの証人、統一教会)の問題を挙げ、『客観的に見ても、聖書以外の教典を用いるなど、教義的にキリスト教に含めて考えることは難しく、別の宗教と見なすべきもの』と評している。 『エキュメニズム』と呼ばれるキリスト教の諸教派の垣根を越えた運動、さらに『世界宗教者平和会議』や、大規模なテロや自然災害後には、他宗教との協力も見られた。著者は『現代のキリスト教の大きな課題の一つは、一神教的な信仰の原理原則を維持しつつ、いかにして他の宗教と共存し、協力していくかということ』だとしている。続きを読む
投稿日:2025.06.17
もりくま
そもそもキリスト教って何?ってことで読んだ。なんか神という存在も人間が作り出したもの、と思うと信仰ってなんだろうって思うので、この辺はもっと色々関連本を読みたいところ。自分が虐げられ救いのない状況にあ…ったら、やはり信仰に救いを求めるんだろうか…。続きを読む
投稿日:2025.06.09
竹
キリスト教と言っても、一言で言い表すことは当然のことながらできず、様々な流派があり、場合によっては他宗への不寛容が社会的な事件を引き起こすこともあるということが心の隅に引っ掛かった。 また、時代の…流れと共に内容の解釈が困難になることは珍しくない宗教にあって、今後の多様性をどこまで認めることができるのかが課題にあると思っている。 本書はできるだけ多くの視点からキリスト教を解説しており、周辺知識も教養として十分な量を保っているため、上記のような問題意識や当事者意識をもって課題を考えることができるようになるだろう。 ジュニア新書ではあるが、宗教観を学ぶ上で、万人にすすめられる一冊に仕上がっている。続きを読む
yonogrit
山我哲雄(やまが・てつお) 1951年,東京生まれ.北星学園大学教授.同大学大学院文学研究科教授を兼任.北海道大学文学部非常勤講師.専攻は聖書学,宗教学,キリスト教学.日本聖書学研究所所員.岩波書店版…『旧約聖書』(旧約聖書翻訳委員会訳)では「出エジプト記」,「レビ記」,「民数記」を担当.主著に『聖書時代史 旧約篇』(岩波現代文庫),『海の奇跡 モーセ五書論集』(聖公会出版),『一神教の起源 旧約の「神」はどこから来たのか』(筑摩書房),『聖書』(PHP研究所),『図解これだけは知っておきたいキリスト教』(洋泉社)など.訳書にノート『旧約聖書の歴史文学』(日本基督教団出版局),シュミート『旧約聖書文学史入門』(教文館)など.共編に『旧約新約聖書大事典』(教文館),『新版総説旧約聖書』(日本キリスト教団出版局)など.学会関係では,日本宗教学会評議員,日本基督教学会理事,日本旧約学会会長などを歴任. 「キリスト教文化圏では、復活祭はクリスマスと同じぐらい盛大に祝われますが、日本ではキリスト教徒以外には今一つ人気がないようです。一二月二五日に固定されているクリスマスとは異なり、毎年日付が変わる移動祭日なので、あまり一般化しにくいのかもしれません。」 —『キリスト教入門 (岩波ジュニア新書)』山我 哲雄著 「ローマを中心とする西方教会とギリシアを中心とする東方教会では、時と共に異なる伝統が形成され、それが後のローマ・カトリック教会と東方正教会の違いに繫がっていきます。最大の違いは、教会の組織で、直前にも述べたように、ローマ・カトリック教会がさまざまな国にまたがる中央集権的な世界教会であるのに対し、東方正教会は国ごと、場合によっては地方ごとに独立した国民教会を形成し、それぞれの正教会ごとに首長である総主教や大主教、府主教が置かれます。教皇に当たるような、全体を統括する単独の教会首長は存在しません。「東方正教会」とは、それらの独立した諸教会の総称なのです。ローマ・カトリック教会の首長である教皇は、本来はローマ司教なのですが、キリストから全権を委ねられた使徒ペトロ(第 2章参照)の後継者として、全教会に対する「首位権」を主張しました。これに対し、東方正教会は、各地の総主教の同格性を強調しました。東方正教会から見れば、教皇はあくまで「ローマの総主教」にすぎないのです。」 —『キリスト教入門 (岩波ジュニア新書)』山我 哲雄著 「教皇は前教皇が死去したり退位した場合、八〇歳未満の枢機卿たちの中から互選で選ばれます。バチカンのシスティナ礼拝堂の中で外部との連絡を絶った秘密会議で選ばれるので、教皇選挙はイタリア語で「鍵をかけた」を意味する「コンクラーベ」の名で呼ばれます。枢機卿たちは議場で一日複数回の投票を、三分の二以上の得票者が出るまで繰り返します。場合によっては何日間も決まらないので、わが国では「根競べ」というダジャレもあるほどです。外部への連絡は、投票用紙を暖炉で燃やした煙によります。再選挙の場合には普通の黒い煙ですが、新教皇決定の場合には薬品で白い煙が出るようにします。」 —『キリスト教入門 (岩波ジュニア新書)』山我 哲雄著 「この間、全世界の報道はバチカンの一本の煙突にカメラを釘付けにし、煙の色に一喜一憂します。聖ペトロ大聖堂前の広場は、新教皇の最初の祝福を受けようと世界中からやって来て、徹夜で待ち構える信徒たちで埋まります。まさに上を下への大騒ぎで、カトリック世界最大のイベントとも言えます。一九七八年に即位したヨハネ・パウロ 1世は、在位わずか三三日で急死した(暗殺説も出たほどです)ので、当時は一か月強のうちにこれが二回繰り返されました。関係者はさぞたいへんだったことでしょう。ちなみに、二〇一三年に即位したアルゼンチン出身の現在の教皇フランシスコは、ペトロから数えて第二六六代に当たります。」 —『キリスト教入門 (岩波ジュニア新書)』山我 哲雄著 「 黒船来訪を経た一八五四年、幕府は開国に踏み切ります。居留する外国人のための教会堂建設は認められましたので、横浜と長崎にカトリックの天主堂が建てられますが、キリシタン禁令は続けられました。ところが、長崎の大浦天主堂が完成すると、一八六五年の三月、長崎市北部の浦上の隠れキリシタンたちが礼拝のために名乗り出てきたのです。このことは、迫害を乗り越えて信仰を守った美談として世界中に報じられ、大きな反響を呼びましたが、幕府は主だった信徒を捕縛し拷問するなどして弾圧に乗り出しました。明治維新(一八六七─六八年)後の新政府もキリシタン禁止政策を継承し、浦上のキリシタン三千人以上を逮捕、各地に流刑するなどして弾圧を続けましたが、これが信教の自由をめぐる外交問題に発展し、欧米からの厳しい批判を受けました。そこで明治政府は一八七三年、やむを得ず、各地に掲げさせていたキリシタン禁止の「高札」を撤去しました。これが事実上のキリスト教解禁に当たります。」 —『キリスト教入門 (岩波ジュニア新書)』山我 哲雄著 「 「プロテスタント教会」とは、西方教会において一六世紀以降、宗教改革によってローマ・カトリック教会から分離独立したり、新たに創建された諸教会の総称で、実際には一枚岩ではなく、神学や伝統、教会組織などによってさまざまに異なる教派に分かれています。なお、「プロテスタント」とは「抗議する者」の意味で、神聖ローマ帝国(ドイツ)皇帝カール 5世がシュパイアー国会(一五二九年)でルターの改革運動への弾圧政策を進めようとした際に、改革支持派の諸侯が「抗議状」(プロテスタティオ)を提出したことに由来します。日本では、キリスト教的「福音」の原点に帰るという意味で、「福音主義」とも呼ばれます。」 —『キリスト教入門 (岩波ジュニア新書)』山我 哲雄著 「ルターが宗教改革の牽引力として、どちらかといえば直情的で痛烈、挑戦的な文章を得意とし、その著作の多くも聖書注解を除けば、カトリック教会を痛罵し信徒の奮起を促すような短いパンフレット状のものが多かったのに対し、もともと学者であったカルヴァンは論理的思考と体系的論述に優れ、スコラ哲学に基礎を置くカトリック神学に対抗し得るプロテスタント固有の神学体系を確立したと言えるでしょう。なお、この著作の最初には大胆にもフランソワ 1世への手紙が置かれています。この著作は、宗教改革を弾圧するフランス王に対して、福音主義の正当性を擁護する目的で書かれたのです。」 —『キリスト教入門 (岩波ジュニア新書)』山我 哲雄著 「プロテスタントは一般に、世俗の職業労働に価値を置きます。ルターは職業を「天職」と位置付けましたし、カルヴァンは「神の栄光を現す」ために働くことを勧めました。単に生活のためや、金もうけのためにではなく、神のために働くというのです。神のために誠実、勤勉に働けば当然利潤があがります。他方でウェーバーは、プロテスタントの倫理の本質を、カトリックの修道生活のような「現世逃避的禁欲」ではなく、世俗の世界に留まりながら浪費を避け、質素堅実に生きる「現世内禁欲」に見出しました。勤勉な労働の結果である利潤を節約して無駄な消費に回さないのであれば、余った利潤は再び職業のための「資本」となって仕事に投資されます。こうして結果的に、営利活動が積極的に推進され、資本主義的なプロセスが生まれたとされるのです。」 —『キリスト教入門 (岩波ジュニア新書)』山我 哲雄著 「日本に最初に伝わったキリスト教はカトリックであり(第 5章参照)、しかも江戸時代以降、日本は鎖国によって長らくキリスト教世界とは切り離されていました。一八五四年(嘉永七年)の開国後もしばらくは禁教体制が維持されましたが、明治政府は「和魂洋才」を標榜して西洋の知識や技術の導入を奨励しましたので、日本宣教の志に燃える主としてアメリカのプロテスタント系の宣教師たちは、開国直後の一八五九年頃から洋学教師や医師として来日し、密かに日本人青年たちへの接触を始めました。浦上事件に関連して一八七三年(明治六年)にキリスト教禁教の高札が撤去され、キリスト教の布教が事実上解禁されると、彼らの活動はにわかに活発化し、続く各派の宣教師たちの来日も著しく増加しました。初期のプロテスタント伝道の中心となったのは横浜、熊本、札幌で、それらの土地にできたプロテスタントの青年たちの群れは、「若者の集まり」という意味で「バンド」と呼ばれます。」 —『キリスト教入門 (岩波ジュニア新書)』山我 哲雄著 「まず、各地にいわゆるミッションスクールが建てられ、キリスト教主義に基づく教育が行われ、特に従来軽視されてきた女子教育が推進されました。主たるプロテスタント系の学校としては、北海道では北星学園と酪農学園、東北では東北学院と宮城学院、関東では関東学院、立教学院、青山学院、明治学院、桜美林学園、女子学院、東京女子大学、フェリス女学院、中部では金城学院、関西では同志社、関西学院、神戸女学院、平安女学院、四国では四国学院、九州では西南学院、活水学院などがあります。」 —『キリスト教入門 (岩波ジュニア新書)』山我 哲雄著 「しかしながら、昭和に入って日本の政府と軍部が軍国主義に傾き、天皇を現人神(人間の姿をした神)とする国家神道が強制されるようになると、一神教であるキリスト教は、しだいにさまざまな統制を受け、国威発揚や戦勝祈願などの戦争協力を強いられるようになります。キリスト教徒にも天皇崇拝や宮城遥拝(皇居に向かって敬礼すること)、神社参拝が義務づけられ、拒否や批判をすれば、不敬罪で投獄され、拷問されました。教会での礼拝や説教にも憲兵の監視がつくのが日常茶飯事になり、ミッションスクールでもキリスト教教育が禁止されました。」 —『キリスト教入門 (岩波ジュニア新書)』山我 哲雄著 「 ③統一教会──「統一協会」とも書きます。正式名称は「世界基督教統一神霊協会」です。韓国の文鮮明(一九二〇─二〇一二年)が一九五四年にソウルで設立、全宗教を統一し、さらには宗教と科学をも統一する「統一原理」を説きます。旧新約聖書を教典とすると称しますが、事実上は教祖の教説をまとめた『原理講論』が教典的な位置を占めます。 同書などによれば、人類の祖先(アダムとエバ)が堕天使と淫行したことにより、人類にはサタンの血が混入しました。イエスはサタンの支配する世界の罪を贖って「地上天国」を実現するために遣わされたのですが、ユダヤ人の不信仰により、使命を完全には果たせないまま十字架上で死んでしまいました。しかしイエスは救いの業を完成させるため、二〇世紀の初めの頃「東方の国」に再臨したとされます(教祖自身が再臨の救世主であることが強く示唆されています)。現在はサタンの力(共産主義はその一部)と神の力が最終的な決戦を行っている、(旧約時代、新約時代に継ぐ)「成約時代」であり、ついには「第三次世界大戦」によりサタンの勢力が殲滅されて「地上天国」が実現する、とされます。 統一教会では、サタンの血を浄めるために、教祖の指名する集団結婚を行います。わが国では、著名な芸能人がこれに参加して話題になったこともあります。世界本部はソウルにあり、世界一九〇か国以上に支部があり、信徒数は約一六〇万人とされますが、実際の活動の中心は韓国と日本とアメリカで、信徒数も多分に誇張されているようです。大学などの「原理研究会」などを活動の拠点とするほか、最近では実態を隠したサークル活動などの名目で勧誘を行っているようです。その特異な布教方法や、「悪霊が憑いている」などとして除霊のための印鑑や壺などを高額で売りつける「霊感商法」などを通じた強引な集金活動をめぐって、数々の社会的な問題が指摘され、損害賠償を求める訴訟なども多数起きています。「地獄に落ちる」など恐怖を煽る布教方法が、マインドコントロールに当たるという批判もあります。教祖の死後は後継をめぐっていくつかの団体に分裂しましたが、多数派は「世界平和統一家庭連合」の名称で活動を続けています。」 —『キリスト教入門 (岩波ジュニア新書)』山我 哲雄著 続きを読む
投稿日:2025.06.02
riskii
キリスト教の全体像をわかりやすく学ぶことができる。まさに入門に持ってこいの本だった。比較的平易な文章で読みやすく、理解もしやすかった。 イエスからローマ・カトリック・東方正教会から宗教改革についてまで…、幅広く学ぶことができ、深く理解することは出来ていないと思うが、知るということが出来たのが凄く良かった。 キリスト教について忘れてしまったら、一度この本を読み直したいと思った。続きを読む
投稿日:2025.05.13
初段
2025.4月分読書 非キリスト教徒がキリスト教の歴史と信仰の概略を学ぶ入門として適切な1冊だと思った。また、高校世界史などで宗教史(キリスト教史)に苦手意識があったり時系列がごちゃごちゃになっている…人にも薦められる内容だと思う。また、自分自身はプロテスタントの細かな教義や日本での広がりの知識が乏しかったので、その点を知れてよかった。東方正教会についても、組織の特徴など興味深く確認できた。 個人的に印象的だったのは、キリスト教と仏教の重なる部分を感じられたことだった。親鸞の悪人正機説とイエスの教えや、ユダヤ教からキリスト教への流れと上座部仏教から大乗仏教への流れなど、救いを求める人間の普遍的な部分を感じることができた。続きを読む
投稿日:2025.05.01
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