橋爪吉博 / 秀和システム (2件のレビュー)
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Rafmon
地政学では半導体や資源関連、レアメタルなどがキーワードになるが、本書は石油に特化した内容。この本のおかげで、特に中東の関係性について、理解が進んだ。私にとっては極めて重要な読書となった。 ゴルバチョ…フの遺言。2022年8月91歳で亡くなった。西側各国では東西冷蔵を終結に導いた人物として高く評価されているものの、ロシア国内ではソ連崩壊とその後の政治的・経済的混乱を招いた張本人として評判は悪いという。引退後のゴルバチョフに佐藤優が「ソ連解体の最大の要因は何か?」と問うた所、「サウジアラビアによる原油増産だ。原油価格の下落がソ連経済を直撃した」と答えたらしい。サウジは、80年代前半、世界の原油需要が減少する中、バレル当たり30ドル台にあった原油価格を維持するため、OPEC産油国を代表して一国単独で原油を減産していたが、財政ひっ迫に陥り、財政収入回復のため、原油生産シェア奪回を宣言(1985年12月)し、大増産に転じた。そのため、国際石油市場は供給過剰状態に陥り、原油価格は10ドル台に低迷、86年と88年には10ドルを切る水準まで暴落したという。誇張して言っている部分もあるだろうが、この時点で面白い。一国の判断が、ソ連崩壊を齎したという話だ。 ― イラン・イラク戦争(1980年9月~1988年8月)は、シャトルアルアラブ川をめぐる国境紛争を口実に、イラン革命による国内不安定をチャンスと見て侵攻した、イラクのサダム・フセイン大統領の領土的野心に基づく戦争であった。同時に、イランによるシーア派宗教革命の「輸出」を恐れるサウジアラビア等湾岸王政諸国がイラクのフセイン大統領率いるスンナ派政権に財政的支援を行い、シーア派伸長を抑えてもらった戦争でもあったと見ることもできる。サウジアラビアを含め湾岸王政諸国の大きな懸念事項は、アラビア(ペルシャ)湾沿岸の主要な産油地帯には、支配層を形成するスンナ派住民より、シーア派住民の人口のほうが圧倒的に多いことである。ペルシャ(アラビア)湾は「シーア派の海」ともいわれる。したがって、各国政府は産油地帯のシーア派住民の動向に配慮せざるを得ない。そして、その状況は今日でも変わっていない。なお、アラブ諸国では「ペルシャ湾」とはいわず「アラビア湾」という。地名にも注意が必要だ。 ― その後、1990年8月2日、イラクによるクウェート侵攻(湾岸危機)が発生した。同日未明、事前に国境に集結していた戦車を先頭にクウェートに侵入、瞬く間に全土を制圧、夕方にはサウジアラビア国境に殺到、クウェート王室・政府首脳はサウジに逃れた。 この侵攻も、フセイン大統領の領土的野心による紛争であったが、同時に、原油価格低迷を背景に、国内経済低迷に対する国民的不満を外部にそらせるとともに、クウェートに対して、国境地帯での原油盗掘を非難し、イラン・イラク戦争時の債務帳消しを要求した。ちなみに、サウジとUAEは戦時債務の返済を免除している。ある意味、フセイン独裁政権・バース党政権は、常時戦時体制を前提にしなければ、成立しなかったのかもしれない。さらに、フセインにすれば、伝統的友好国であるソ連の支援が得られるものとの誤算もあったのかもしれない。冷戦時代であれば、アラブ民族主義・反米主義の立場から、ソ連からの軍事支援や国連安保理での武力行使決議への拒否権を期待できた。侵攻前、駐バグダッド米国大使のクリスピー女史は、フセイン大統領に面会した際、「アラブ諸国間の紛争に米国は介入しない」という趣旨の発言をしており、米国は誤ったシグナルを送ってしまったともいわれている。 ― 1990年11月29日、国際連合安保理事会では、91年1月15日をイラクの撤退期限 として、その後の多国籍軍による武力行使を容認する内容が決議された。そして、期限内のイラクの撤退がなく、同決議に基づき、湾岸戦争が勃発した。「砂漠の嵐」(デザート・ストーム)作戦の発動である。地上戦開始後4日間で、12カ国からなる多国籍軍はイラク軍をクウェートから駆逐、クウェートは解放され、多国籍軍の圧勝で終わった。しかし、イラク軍は、クウェートからの撤退・敗走時、クウェートの油田のほとんどの油井を爆破、大火災を起こし、消火・復旧まで約半年間を要した。また、多国籍軍が、フセイン政権を打倒せず、クウェートから駆逐しただけで、イラク領土を深追いすることもなく温存したのは、複雑な民族事情のイラクの国内分裂、あるいは、南部シーア派住民へのイランの影響力拡大を懸念したサウジ・米国を中心とする関係国の配慮があったものと推察される。 湾岸戦争までの流れを解説した後、911テロ以降のアメリカの動きも振り返る。アメリカの判断が、直接的、間接的にもISILや北朝鮮の警戒を高めていったという、その細部が述べられる。 ― また、イラク新政権は、フセイン政権の中核であったバース党関係者を排除したため、多数の軍人や官僚がイスラム国(ISIL)に合流、イラク国内各地の権力の空白地域には、ISILの領域が出現した。そのため、イラク戦争でも、本格的戦闘は短期間で終わったものの、ISILへの対応・国内の治安維持のため、米軍の駐留は長期化・泥沼化し、2011年12月になって、完全撤退が行われ、オバマ大統領からイラク戦争の終結が宜言された。また、フセインの逮捕・処刑は、前述のウサマ・ビン・ラーデン殺害(2011年5月)、リビアの指導者カダフィ大佐への空爆・殺害(2011年10月)と相まって、イラクと共に「悪の枢軸」(2002年1月年頭教書演説)と名指しされたイランや北朝鮮の指導部は危機感を高め、核兵器開発を加速させたという。特に、カダフィの場合、自主的に核開発を断念、核兵器を引き渡している(2003年12月)。これでは、まるで「だまし計ち」であり、自主的に核廃棄を行う国など出てくるはずがない。 ― なお、一部で、米国のイラク戦争の真意は、フセイン後のイラクの石油利権独占であったとの見解もあったが、あまりにも杜撰な見通しで、行き当たりばったりの展開を見れば、そのような意図はうかがえない。新政権による石油利権の入札に当たっても、米国資本は参入できなかったことから、その意図は全くなかったものと思われる。 この辺も面白い。結局、アメリカは中東をかき回した挙句、自国のシェールオイル採掘に成功したこともあり、中東離れを加速し、同盟国であるサウジアラビアとの関係も歪なものになった。そうこうしている内にイランが勢力を強める。と思うと、サウジとイランを中国が仲介。イランの支援を受けてハマスがイスラエルに攻勢を仕掛け、ガザ侵攻へ。これも中国が和平の仲介役を果たそうとしている。 また少し、視界が広がった気がする。続きを読む
投稿日:2024.10.16
wandagogo
石油連盟に所属し、日本の中東石油資源確保に従事してきた著者が、エネ研移籍後分析活動を行っており、定年に当たりこれまでの知見を総括した地政学・経済学分析書。スタンダード・オイルに始まり、第一次世界大戦前…にはBP、ダッチ・シェルグループなどの石油メジャーが石油価格をコントロールしていたのが、第一次オイルショックでOPECに価格決定権を譲り渡し、1985年以降のダンピングによる石油価格下落がソ連崩壊を招いたという分析は見事である。ソ連でもロシアでも石油(のちに天然ガス)のモノカルチャー経済構造を、石油を安価で圏内に供給できていたからこそのロシア経済圏であった。石油価格暴落のなかでバルト三国の独立をみとめ、ソ連が崩壊したのを見ていたプーチンは、自分の修士論文で石油供給による経済支配力を強く認識していたものと思われる。シェールブームが過ぎ去り、コロナ後に石油・天然ガス価格が高騰した2023年はなるほど、ウクライナを攻めるのに外政介入がむつかしく、石油利権を強化できる絶好のタイミングであったろう。2016年にはOPECはOPECプラスに移行し、G20が石油価格をコントロールするようになった今、中東に石油供給を依存し続けている日本は、中東と運命共同体を辿らざるを得ないのであろうか。 サウジ王家の力関係を分析した書物も少ないなかで、王位継承のメカニズムにも触れていたのは目に新しかった。続きを読む
投稿日:2024.08.04
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