【感想】江戸藩邸へようこそ 三河吉田藩「江戸日記」(インターナショナル新書)

久住祐一郎 / インターナショナル新書
(7件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • 月猫夕霧

    月猫夕霧

    知恵伊豆の子孫にあたる三河吉田藩の江戸屋敷での記録から大名屋敷の生活を読み解いた本になります。
    お殿様の一日から屋敷周辺の警備まで内容は多岐にわたりますが、通史ではお目にかからない話も多くて知らなかったことが沢山ありました。交差点に面している大名がお金を出し合って交番を作ってるとか、初耳でしたわ。
    こういう通史から外れた細かい話も楽しいですね。
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    投稿日:2024.03.01

  • かおるひめ

    かおるひめ

    江戸藩邸の人々はどのような生活をしていたのか。
    三河吉田藩の古文書から、その役割や仕組み、生活や
    事件等のエピソードを交え、分かり易く解き明かす。
    第一章 江戸の大名屋敷  第二章 江戸ではたらく武士
    第三章 江戸藩邸事件簿  第四章 江戸藩邸の奥向
    第五章 藩邸から子爵邸へ
    主要参考文献有り。
    三河吉田藩は松平伊豆守家。
    通称「江戸日記」を中心にした記録から、
    江戸時代~明治時代初期へ至る江戸藩邸の姿と人々の
    勤務や暮らしを紹介し、詳細に解説している。
    これほどの日記が残っているのが驚き!
    江戸藩邸での藩主の生活と職務や基本法、職制、
    勤番藩士と定府藩士、江戸家老、
    藩主が老中を務めることでの藩士の役割。
    藩士の婚姻や養子縁組、脱藩の事情。
    年季契約の武家奉公人や奥女中、正妻と妾、生母の地位。
    奥向の表方で働く男性たち。大地震での被災状況。
    そして、合い間を縫って紹介される、出来事や事件の数々。
    窃盗、殺人、他所への泥棒、賭場開帳、等々。
    隣の領地との間での事件は、江戸へ連行されての判決。
    藩士脱藩によって分かる、家財道具のあらまし。
    藩邸であろうと悪ガキは悪ガキ。
    事件対応マニュアルまで存在していたこと。
    そしてその後の三河吉田藩、大河内家について。
    幕末と上野戦争、江戸藩邸から明治新時代の子爵邸へ。
    江戸藩邸での人々の生活が鮮やかに浮かび上がってきて、
    様々な状況を知ることが出来る、楽しい内容です。
    東京駅に寄ったら、この辺りに上屋敷があったかと、
    想像するのも良いし、谷中の下屋敷の面影を訪ねるのも良さそう。
    というか、以前歩いた清水坂の辺りがそうだったのね。
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    投稿日:2022.09.09

  • ahddams

    ahddams

    近世の文書は旧家の蔵等からひょっこり出てくることが多いと聞くが、江戸の大名屋敷(以下、江戸屋敷)に関する記録は未だ不十分だという。

    本書では計59年半と限定的ではあるが、三河吉田藩(現在の愛知県豊橋市)の『江戸日記』から大名や取り巻きの人々の江戸暮らしを探っていく。藩主は松平伊豆守。
    ちなみに著者の久住氏は、豊橋市美術博物館の学芸員さん。解説の中で時折藩にまつわる美術品やその企画展の話が伺えて、ちょっぴり館を覗いてみたくなった。

    ここからは、各章の簡単なレビューを…

    第一章:江戸の大名屋敷
    松平家が所有する屋敷や年中行事、屋敷に出入り出来た人物の紹介がメイン。面白かったのが「辻番」の存在。屋敷周りの治安維持が目的の役職だが、捨て子や酔漢の保護等現代のお巡りさんと大差ない笑 少しの落ち度でお咎めを受ける理不尽なところも…

    第二章:江戸ではたらく武士
    江戸勤めの武士には単身赴任の「勤番」と家族帯同の「定府」の二種類があり、家老というトップクラスの役職にも「江戸家老」と「国家老」がある。職務に勤しむ人達がいる傍らで博打等風紀の乱れもあったようで…。個人的には彼らに提供された藩邸内の長屋住まいについてもっと知りたいかも笑

    第三章:江戸藩邸事件簿
    ここからいよいよ面白くなる…!
    幕末以前にも脱藩者はいたようで、59年半の記録にて184件も確認できたそうな。事の詳細も克明に残されており、ハラハラすることもしばしば。ただ事件の背景・動機の記録に曖昧なものが多く、それが尚更その手の時代小説以上の凄みを引き出していた。

    第四章:江戸藩邸の奥向
    「奥向」とは江戸城大奥の江戸屋敷ver.で女性らの住まいにあたるが、藩主のプライベートスペースでもある。さらに奥向内は「表方」(藩主のプライベート&男性の執務スペース)と「奥方」(正室等女性中心)とに分かれている。男性の存在は意外だが、その間にはしっかり境界線(大奥ドラマに登場する錠口!)が設けられていたらしい笑

    第五章:藩邸から子爵邸へ
    舞台はいよいよ幕末へ。藩は佐幕派の道を選ぶ。新政府軍の猛攻はなかったものの明治期には江戸屋敷を引き払い、跡地は今の東京駅になった。13代目の正敏は豊橋市にある子爵邸でアート活動に精を出していたが、戦後何もかもを失った国民の事を想い財産を手放したという。お殿様や子爵じゃなくなっても、当主としての在り方は見失っていなかったんだな。


    記録が不十分でも、屋敷での暮らしぶりがありありと目に映った。そして今日もかつての生活の断片がひょんなところから日の目を見ているのだろう。
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    投稿日:2022.08.31

  • libro26

    libro26

    先に渡辺崋山のことを調べたことがあり、隣の藩である三河吉田藩の江戸日記に興味をもった。
     松平伊豆守の後裔で、老中を多数輩出している藩であり、規則を作る側に近い位置にある大名の経営の姿がよく語られている。改めて江戸時代というのはすごい。とにかく同じ経営目標を目指して、子孫を含めて同じ人物で、争い事を減らす以外ほとんど何も進歩させずに200年以上過ごしていったわけだ。これじゃあ、日本人は退屈と我慢に耐えるストレスに飼い慣らされてしまう。続きを読む

    投稿日:2022.07.27

  • tetujin

    tetujin

    ・久住祐一郎「江戸藩邸へようこそ 三河吉田藩『江戸日記』」(集英社インターナショナル新書)は書名通りの書である。三河吉田藩江戸藩邸の様々を「江戸日記」に基づいて記してゐる。これはもちろん、 例の参勤交代の書に味をしめて書かれたものであらう。「あとがき」に、「『三河吉田藩・お国入り道中記』を執筆させていただいたのだが、出版後まもなく、 担当の云々」(250頁)といふわけで「吉田藩の江戸藩邸をテーマにした内容」(同前)が書かれることになつた。「江戸日記」は市史資料として出てゐる。しかし、これは「現時点で活字化して刊行されているのが一〇年分のみということもあってか、どうも豊橋における評価は今一つ」(249頁)であるらし い。「ストーリー性のある事件記録などは読み物としても面白いのだが、候文で書かれていて返読文字も多いので、慣れていない人にはさっぱり意味がわからないのだらう。」(250頁)とその原因を記してゐる。たぶんさうなのだらう。 たとへ読めても「記録の羅列は味気ない。」(同前)それでも「約六〇年分のデータを集めればそれなりにいろいろな特徴や傾向が見えてきて楽しい。」(同 前)といふことで本書はなつた。しかし、読んでこれを楽しいと思へるかといふと、決して楽しいとは思へないといふのが正直な感想であつた。
    ・とはいへ、本書が全くおもしろくないかといふと、必ずしもさうではない。例へば吉田藩邸の場所である。第五章「藩邸から子爵邸へ」の中に「東京駅になった上屋敷」といふ節がある。「現在の東京駅のうち、新幹線ホームおよび在来線 七から一〇番ホームの北側部分が吉田藩の上屋敷があった場所に当たる。」 (235頁)江戸東京のソフトで見ると、確かに新幹線の北外れあたりに三河吉田藩松平伊豆守信古とある。東京駅のあたりだと聞いてはゐたが、私はここを見 つけられずにゐた。もつと皇居に近い場所かと思つてゐたのである。ただし、現在の丸の内、「当時の永楽町には広大な練兵場を含む陸軍の施設や裁判所などの公的機関があった」(同前)といふから、既に上屋敷はなかつた。子爵は谷中下 屋敷に住んだ。ここは簡単に言へば現在の池之端3丁目、4丁目あたりになる。 「不忍池方面から動物園通りを進むと信号交差点がある。ここが表門のあった場所である。」(246頁)先のソフトを見るとここにも松平伊豆守信古とある。 上野駅からは少し離れるが、上野公園には近い場所である。例の彰義隊の上野戦争の時、戦ひが始まると「直ちに彰義隊士が谷中下屋敷を訪れ、密約どおりに援軍を出すか、それとも屋敷を明け渡すかを迫ってきた。」(229頁)といふのもうなづける。そんな位置なのである。実際、吉田藩にも彰義隊シンパはをり、「藩の重臣の了解を得た者で結成した『三陽隊』として参加した者」(同前)と無断で、脱藩、加勢した者とがゐたといふ。これからすれば、吉田藩は新政府に恭順の意を表したとはいふものの、佐幕に近い立場であつたのかもしれない。だ からこそ後日、吉田に帰国してから、藩の意に背かないといふ血判を命じられた(232頁)のであらう。幕末の大坂城代といひ、この頃の吉田藩主はいささか 曖昧な態度であつたから、それが藩士にも影響したのかもしれない。谷中に下屋敷がなければこんなことにはならなかつたかもしれないと思ったりもする。この下屋敷は今では住宅地となつてゐる。いかに広大な屋敷であつたか。七万石でかうである。他の大藩などは更に広大な屋敷を持つてゐたはずである。江戸の庶民 はその残された少しの土地に、皆で肩寄せながら生きてゐた、時には娘を大名の 妾にやつて、といふことで。
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    投稿日:2022.07.16

  • tokyobay

    tokyobay

    約60年間の日記をベースに、ひとつの藩の視点から藩士達の暮らしを叙述するという形式で、かなり細かく調べているため少々マニアックな内容ではあるが、その時代に生きた人々の息遣いが感じられる。
    印象に残ったのは辻番(現代の交番)の箇所で、様々な事件が取り上げられているのだが、中でも「捨て子」の取り扱いに関するエピソードが興味深い。背景には「生類憐みの令」があるものの、ここまでサポートするのかというぐらいの充実ぶりで、当時の人々の温かさが感じられる。また、幕末の動乱期における藩主と家臣の穂積清七郎のエピソードも臨場感たっぷりに描かれており、読み応えがある。
    一度訪問したこともあるのだが結構立派な城郭が残っている事では有名な三河吉田藩ではあるが、歴史的にはあまり取り上げられる事はない。しかしながら、各々藩にはこのような様々なエピソードがあるのかと思うと、その時代の人々の生き様が感じられ、歴史の面白さをあらためて再認識させられる。
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    投稿日:2022.07.16

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