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にゃんたこ / KADOKAWA (26件のレビュー)
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はなえ【こじらせ劇場】
この本で andymoriを知りました とてもすきになりました おかなななこちゃんは 好きなYouTuberだったのです 軟骨にピアスを開ける時 どうしてか右耳を選んでしまいますね 私ももちろん右…耳の軟骨に穴を開けています続きを読む
投稿日:2024.01.20
かんろ
彼女の持つ文学性や哲学性が好きで、数年前から動画を観ています。本書には彼女を彼女たらしめる背景や思想などがふんだんに織り込まれており、ファン必読の一冊となっています。
投稿日:2023.12.04
mika
同年代でいい感じのエッセイ書く人いないかな、で読んでみた ちょっとまだ若すぎるのか、自分の内面の話ばっかりでいまいち
投稿日:2023.09.23
メモ魔
にゃんたこ作の本。 YouTubeでヘンリーや俺アポ、めっさんとコラボしてたりするから存在自体は知ってるんだけどまさか本を出していたとは。 あの天真爛漫な人物が作る世界がどんな色をしているのか気になる…ので買ってみた。 [マクドナルドの残り香が連れてくる朝] 早速だけどこの本。面白い。 面白いというか言い回しが好き。 考えてることと使ってる単語の身近さからくるギャップに乖離がありすぎて 物事は身近なのに遠い思考を追ってる気分になる。 とりあえずマックはダブチが美味いのだ。 [第一次シングル・ダブルロール問題] この文章を読んでまるで高尚な一人漫才を見ているような錯覚に陥るのは自分だけだろうか。 果たして自分はなぜこの文章にお金を払ったのか。そしてなぜこんなにも満足しているのか。 人の思考を垣間見ることがここまで面白くそして自分の思考を狂わせていくとは思わなかった。 日常も見方を変えればここまで色味が変わるのだ。これからの日常が、他人からは静かでも、自分の中では忙し無い物に置き換わっていくその一歩をこの本から貰った。 とにもかくにも、ウォシュレットと芯さえあれば窮地は脱することができるのだ。 [虫愛づる姫君] 平安時代の堤中納言物語にある一節らしい。 自分の好きを愛し 自分の嫌いを憎悪し 自分の自身に曲げない信念を持ち続けた 姫君の話。 比べることでなく自分の中で完結する幸せを享受するって話ににゃんたこは感化されたらしい。 自分を大切にしていく姿勢は俺自身も大切にしていきたいと思ってるから。 だからそう、自分も今この物語の一節に触れた感動を波動エネルギーに変えることができたなら、魔閃光でサイバイマンを粉々にするくらいはできるのだ。 [ブラジルの小さな公園に咲くたんぽぽ] 拝啓、15の僕へ から始まる文でここまで下ルートにもってくる本もそうないだろう。 ブラジルの小さな公園に咲くたんぽぽがにゃんたこのヒロインルートから溢れた涙で咲いた花だというのなら、今手元にあるたんぽぽ茶はネイマールの花とでもいうのだろうか。 大人になるって汚くなるってことなんだね。 本当にばっちいのは初めてだが。 [バレンシアガのスニーカー] 好きなものに対して値段を引き合いに出すことなんと無粋な。 そう感じるのも一桁万円まで。 二桁万円いくとどうしても周りの意見が介入してくる。 誰も買えない、レア度が高い。そういった意味での好きは本物の好きではないのだ。好きの所在が自分の中から外へ出てしまっている。 そんな好きが嫌いだ。 そこで自分は考えるわけである。 今自分が欲しい防音室(二桁万円)は人気は無いけど高い商品だ。 本当の好きは自分の中にあるってことでいいのだろうか。 [欠けたものほど美しい] 人は欠けた部分に自分の理想を描く。 マスクをした人物にはその部分が自分の理想として映る。 だからマスク美人なんて言葉が生まれるわけなのだが。 美術品についても同様だ。何度見ても新しい発見があるのは、足りない、欠損した部分を自分で見るたびに1番美しいように補っているからだ。 その時の自分にとって最も美しいよう補う脳が魅せる錯覚を上手く利用するほど美術品は美術品としての完成度を上げていくわけである。 つまるところ、本物の芸術は欠けていなければならない。 であればそう、男性器がいい匂いで超絶イケメンな顔をしていなかったことに感謝しなければならない。イケメンがイケメン足り得るのは股間が欠陥であり続ける故なのだ。 にゃんたこの本を読むと、こんな意味不明な文章を連ねることになるほど頭を優しく歪ませられる。ちょと、何書いてんの俺? [牛丼屋が好きだと言う話] 深夜の牛丼屋きはあらゆるストーリーが流れ込む。 それは声を殺し顔をくしゃくしゃにして泣く中年男性から始まり野田洋次郎の作曲意思にまで及ぶ。 急に深夜の牛丼屋が食べるところじゃなく考えるところに思えてくるからやめてくれ。 牛丼屋は牛丼を食べるところで、ヘルス屋はヘルスを癒すところなのだ。 じゃあなんで考える屋や泣く屋が無いのだろうか。 それは人の思考は[何かやりながら]の時が最も深く潜れる時だからなのか。 自分は何を考えているのだろうか。 、、、考える屋ってなんか面白そうだな。 [でかいテレビがもたらす恩恵について] 映画は色々と考えさせてくれる。 特にジョーカーはすごい。絶対的悪はそれそのまま、絶対的な正義に反転する。要は見方次第なんだってことを訴えかけてくる。 悪に同情し正義に憤怒する感情が自分の中にあることが恐ろしくなる。自分もジョーカー的一面を持っているのだ。 そんなちょっと哲学ちっくな考えに妄想を膨らませながら最終的な帰結は でかいテレビでみるジョーカーはかっこいい これに限るのだ。 でかいテレビは悪も正義もすべてを超越してかっこいいを自分達に見せてくれるのだ。 [未来は今の地続きである] 遥か先の自分なんて想像するのも億劫になるし、目標をそんな遠くに定めたってあるのもないのも同じことだ。 だからって目先の目標を更新し続けて頑張り続けることで得られるものってなに? もっと楽に行こう。 サボったって、諦めたって、全部投げ出したって、未来は今の地続きなんだから。そんな自分も未来を形成する自分なんだから。全部が全部自分の歩いた道筋なんだから。 投げ出したってそれが目標への道筋に変わり無い。 マラソンと同じでゴールするために走るか歩くかは人それぞれ、自分次第なのだ。 そんなメッセージを受け取った。 [コンプレックスとピカチュウのしっぽ] 人間なんて皮一枚剥げばただの真っ赤な肉の塊にすぎないというのに。 俺この人のこの表現好きだな〜。 人混みに揉まれるとだれふり構わず色んな人の身長だったり体型だったり顔だったりをチラチラ見つめて自分より優れてる点を探してしまうような自分からするとこの言葉はなんかこう心に来るというか。 こんな単純なことに色々と悩みの種を蒔いてる自分がばかばかしく思えてくる。 そう、だって人間なんて、皮一枚剥いじゃえばただの真っ赤な肉の塊なのだ。 他人からの目をコンプレックスって檻に閉じ込めてた自分を解放してあげる手段はその檻を開けてくれる鍵を探すことだ。ってこの本には書いてある。その鍵がお金で手に入るのか、人脈で手に入るのか。手段は問わないと書いてあるが、個人的には是非人脈から手に入れたいものだ。 自分の中に固定概念を持っていない(自分で自分を評価できない)人間ほど周りの人間からコンプレックスをそうでないと言ってもらえることはメンタルのもたれ技になってくれる。 [平穏な日常に、戦争は突然訪れる] この人は日常を飾るのが上手い。 雨の一つを戦争にまで発展させるこの人の脳内を見てみたい。 そしてこの本を読んだ自分も今日から戦争を始めるのである。 平穏な日々と止まない雨はいつもセットでワニワニパニック並みの不規則で自分に襲いかかってくるのだから。 [つゆだく納豆的幸福論] 納豆をご飯にかける。 そんな日常がこの人にかかれば結婚式だ。 納豆のベールが米にかかるその瞬間。初めての共同作業。そんな幸福を味に変換し口に運ぶその瞬間。 これがいい。納豆は最初の一口が最高点なのだ。 最初の一口以降は米の熱気で納豆があったまってしまい発酵食品特有の臭さが律速になってしまう。 あぁ、まるで熟年離婚を思わせる。食べ終わる頃にはそんなことを思うのだ。 じゃあ最初から納豆とご飯混ぜないで個々に口に入れればいいじゃん。 そんなこと思ってるやつぁ一生結婚なんてできんよ。by孤独な新社会人 [中二病を患うと難しい言葉で死にたいって言い始めるのなんで] 頑張って読み解いていけば深い文章なのかなと思わせてくるけどしっかり読んでみるとやっぱりその匂わせが強いだけの文章なのかなと思えばもしやここはこういう意味で書いたのか? って思わせるような終わりのない文章が連ねられてた(恐らく本人も書きたいことがあって書いたというよりその終わりのない思考に陥らせる文章を書くのが好きなのだろう) かくいう自分も自分の中だけで完結しているがそんな文章を連ねるのが好きだ。 よく言えばユーモア、周りからしてみれば変人。 同じ人を指してるのに真逆の言葉が出てくるのって面白いよね。 よく天才と変人は紙一重なんて言うけど、自分に言わせてみれば天才は揃ってみんな変人ですよ? 紙一重とか表裏一体とか軽々しくそんな大層な言葉使って欲しくないのである。 現場からは以上です。 [カエル見に行かへん?] トラウマの語源はギリシア語の傷=traumaにあるらしい。 よって一般的に日本人がトラウマと表現するのは過去にあった傷(精神的な物を含む)を思い返す時だ。 しかしもう少し深く切り込んでみる。 受けた傷には縋るものがある(気づつけてきた相手が悪いと思えば心も多少余裕を持つのだ)一方で、与えた傷、与えたかもしれない傷はどこに縋り寄りかかればいいのだろうか。 自分が自分の意思でやったことだと思いその過去を反芻しまた深く心に釘を打つ行為は、受けたトラウマよりも長く、深く、抉るように深層心理で唸りをあげ続けるのだ。 あなたの傷はどこから? 私は私自身から。 哲学CMって受けそうじゃね? [堂々と逃げ道を歩くこと] 周りの人間が当たり前のようにできていることが自分にできないことの悔しさは計り知れない。 逆もまたしかり、周りの人間が絶対できないことを当たり前のようにできる自分がいればその嬉しさ、優越感は計り知れない。 人それぞれに向き不向きがあるのだ。それは人類が成長戦略で他生物に勝利してきたことからも明らかである。 人間は人それぞれに個性を持たせることで他生物から圧倒的有利を持って現界してきたわけである。それをいまさら、生物環境のトップにたったからといって、多様性の時代だからだといって不必要に苦手な環境に手を伸ばすこともない。 しかし日常や常識はそんな向き不向きとは関係なしに勉強という筋一本で人を評価しようとする。 仕方のないことではあるのだが、じゃあ社会情勢を変えられない人間一人がこの波に逆らうにはどうしたらいいのか。 逃げることだ。 逃避することだ。 その逃げ道をどうどうと歩くことだ。 人間には向き不向きがあることを据え、自分ができて周りにはできない道を模索することだ。 いつか見つかる、自分だけの道が見つかった時、歩んできた逃げ道が目標への最短ルートであったと思える日を信じて。 だから今日も自分は、他人がいう[逃げ道]をどうどうと歩くのだ。 [夢は弁護士です] 夢なんてたいそうなもの持ち合わせてないけど、周りの目なんて気にしない、自分の中だけで輝くものになりたい。そう思ってまだひたすら夢を探し続けるおじさん今日この頃である。 [青い首輪から咲いた花] 死の匂い。 というのを自分が初めて知ったのは祖母を亡くした小学3年生の時か。 何か、そう当たり前のもの、自分を自分として形成するために当たり前に心の一部になっているものが一瞬で崩れる感覚がする。その予兆を感じたのを今になって思う。 2度目は大学の頃。 友人が自殺した。兄弟を負ったのか。自責の念があったのか。自分には及ばないところで友人の心は進みきってしまったのだと亡くなってから思った。 坂本龍一さんもエッセイで綴っていたが。 人は人のことを案外あまり知らないのだ。 亡くなってからそれに気づくことが多いと聞く。 確かにそうだなと思った。 生きているうちはその人を形成する情報が日々更新されていくためじっくり観察することなんて無いのだ。 でも亡くなるとどうだろう。その人の更新はそこで終わり、その人がその人であった事実をじっくり観察する時間が生まれる。そこで初めて思うのだ。 自分はその人のことを悲しいことに殆ど知らなかったのだと。 それから自分は出会いを大切にするように心がけている。 自分も含め生きているうちが全てなのだ。 今仲良くしている友人も、自分もまた死に近づく仲間なのだ。だから機微一つ一つを見逃さないように。この人はこういう人だったんだと思えるように。 そう思いながら今日も人と関わることに価値を感じるおじさんである。 [豚の角煮は生活を救う] 人の心は思いの外なんでもないようなことで喜雨を繰り返す。 どっぷり下に浸かってしまった心なんてのも他人からしたら何でもないようなことで起き上がってきてくれたりする。 にゃんたこはそれが豚の角煮だったようだ。 自分はそうだな、なんだろ。中学の時自分を不登校から起き上がらせたのはなんだったかな。 [気遣い]を含んだ励ましの言葉がとにかく嫌いだった。落ち込んでいる人を蔑ろにすることが社会的に認められる行為でないために、一応声をかけておこうみたいな雰囲気がとにかく嫌いだった。だから苦笑いで近づいてくる大人も当時の先生も嫌いだった。そんな日々だったんだけど、久しぶりに学校に行った時、本気で泣きながら大丈夫か聞いてくれた友人がいたんだよな。 まるで自分のことというか、いや自分のこと以上に俺自身の気持ちで涙を流してくれた友人がいた。 その時かな。心が起き上がる気がしたのは。 世界って色が混ざりきって真っ黒になってるんだと思ってたけど、じゃあ自分で白垂らして真白キャンパスにしちゃえばええやんって思った。 人生どっからでも気持ち一つで世界が変わる。 にゃんたこにとって白は豚の角煮だったけど、俺にとって白は人との繋がりだったみたいだ。 [ウィリアムターナーと救済] ウィリアム・ターナーという画家について感銘を受けた話が記されていた。 ここまで言われれば行かない方が無茶な話であるわけだ。 さて調べたところ、なんと10月に中島美術館でウィリアム・ターナーの展示があると言うではないか。 いきましょう。(美術館に一人で行ったことそう言えばないかも。一人で行ってみよ。) [ほんの一面としてのショートパンツ] 外観や年齢、服装に家柄なんてのその人を構成するほんの・ただの・たったの、一面にすぎないのだ。 人は人を評価する時評価したいパラメータでしかその人を見ない。そのパラメータに年齢があれば、その年齢に適さないと感じる外観は全て排除される。 それっておかしくない?そんなのその人のただの一面にすぎない。じゃあ年齢に不相応でも家柄に相応なら良いのだろうか。 一般的なパラメータに左右される評価基準を持ってもなんにもならない。 自分だけが信じてやれるパラメータで人を魅了すればいいのだ。 決まって逸材は周りからバカにされ、変人扱いを受けるものなのである。 逸材って常軌を逸してる人材って書いて逸材だもんね。 つまりここで言いたいのは、 スーザンボイルってそんなに年齢行ってたの?! 気になってスーザンボイルの 年齢は私のほんの一面にすぎないわ。 ってところ見てきた。 感動しました。スーザンボイルを鼻で笑った人をどうこう言う気は無いし、普通の反応だと思う。そういう常識を自分で覆す力を持ってる人はほんの一握りだ。一握りだけどそれは才能によるものじゃない。1日1日、日々を歌に注ぎ込んだ彼女の努力が魅せた結果なのだ。 どのシーンにも言えることだが、努力が実る瞬間ほど輝かしいものはない。 全くもって身の丈に合っていないことだが(それでも目指す姿勢だけは失いたくない)、いつか自分も大勢の前に立ちスタンディングオベーションを体全面に受けてこう言いたいのだ。 才能は賞賛され努力は悲観されるのが世の常だ。 それでも目標があるなら、この歓声を浴びることに人生の意義を感じるなら。 あなたの努力を、それがどんな方向性であれ私は笑わない。 じっとその過程を見守ろう。 [キングサイズのベット] ベットはでかけりゃでかいほどいい。 そうかそうなのか。それは新しい発見だ。 でかけりゃでかい程いい。で言えば自分も一つネタを持っている。 テレビだ。 テレビはでかけりゃでかいほどいい。 4Kで50型以上は6畳間に住んでる自分からすると適正距離稼げないからやめとくだって? そんなケチくさいこと言ってないでとりあえずヤマダ電機で60型のテレビを見てみることだ。 ハイセンスなら今なら50型4K(なんと120FPSでるのでゲームにも適用可能)が8万円だし、ハイセンスが嫌ならSONYのブラビアが10万以下で買えるのだ。円相場が(異常に)高くなっている(まあ各国が日本は成長しないが安定だと踏んだ結果なのだが)とはいえ現代に生きる人類は全くもって幸せだ。 不安ならまこなり社長の動画を見ることだ。 新社会人にはお勧めする。 ついでに新社会人に向けたメッセージも動画化してるのでそれも見てみるといい。なにか仕事以外にも自分に必要な力が見えてくる。 [小顔矯正] 外見を気にして周りの意見に左右されるなんてダサい生き方は嫌だ。 でもそんな凝り固まった思想で[美を知らないこと]を盾に外見を捨てる生き方をするのはもっとダサい。 確かにそうだなと思った。 批判するならまずは相手を知ることだ。 論争はお互いがお互いを知らない部分が種となって始まる。 知った上で批判するのがかっこいい生き方なのだ。 知らないで知ったかぶりして批判してる中年親父ほどかっこわるく吐き気のする人種はいないのだ。 そう、つまり 湘南美容外科の施術師さんは美人が多いのだ。 ※俺の幼馴染にも湘南美容外科のやつがいるが、確かに誰に見せても自慢できる美人である。 [新幹線と錯覚] 人は速度でストレスを置き去りにする生物なのだろうか。 周りにも(新幹線ではないが)バイクや車で夜の道を駆け巡りストレスを置き去りにしてくる人が多数いる。 速度とはそれほどまでに人間に有意義なパラメータなのだろうか。 そもそもバイク乗ってる人ってバイクの楽しさをどこから得るの? もしかして普通免許でもバイクって試乗させてもらえるの?!←そんな事はありえないので後ろにでも乗せてもらったのだろうが。 自分はバイクの後ろに乗った時の爽快感でストレスを置き去りにするなんて事はできない人種ということが分かり申したのでバイクにはハマらないと思う。 いや、そうでもないか。金ができたらホンダのレブル(せっかくだから500cc越えのやつ買おうぜ)を買いたいおじさんなのである。 速度ではなく適度なスリルを体に与えてメンタルに適度なムチを与えたいんだろうなぁなんて今ちょっと考えたけども。 なら榛名山行って凸凹ロードを今は無きドリフトテクで下った方が楽しいのでは? ※ちなみにベルファイアで降った時は20kmが限界でした。 [理由なんてない] 否定されることにどこか安堵する気持ち。 これを理解するのに自分はまだ時間がかかりそうだ。 いつだって人から承認されることを望んで生きてきた自分にとって、この正反対とも取れる心情心理をどう解釈すればいいのか。 にゃんたこの頭をもう少しこの範囲について深掘りしてみたい。 自分を保つために否定されることを選ぶのであれば、にゃんたこにとって自分を壊すものとは一体なんなのだろうか。 この世に否定されること以上に恐ろしいことなんてあるんだろうか。 人それぞれに考え方があり、その根本には育ちや性格がある。だから話し合いで本当にわかりあうことなんてできない。 だから自分はよく まあ、人には人の乳酸菌だから って意味もわからん言葉で論争を締めくくるのだ。 そうやって自分から締めくくることでにゃんたこのいいねボタン同様、自分にはそのくらいの心の余裕があることを確かめるのである。 [しんどい時ほど酒は物理的にこぼれる] しんどい時=酒を飲む時 酒を飲む時=明日の準備をしている時 つまりしんどい時ほど明日の準備ができているってことになるわけだな。 にゃんたこの人生はそうやって回ってる。 俺の場合、しんどい時、。 なんてものはメモにやらなきゃいけないことを羅列して土日に全部消化することで経験値を回収するのだ。 まるでキングダムハーツでハートレスを倒した後のマニーを戦闘後に歩いて回収するかのようだ。 ※あのゲーム、アビリティのドロー入手するまではマニーをわざわざ歩いて回収しないといけないから大変だよね。 [一目惚れと時計仕掛けのオレンジ] もし自分の人生で一度だけ何かをやり直せるとするなら、時計仕掛けのオレンジじゃなく、同じ時計じかけなら、名探偵コナンの時計じかけの摩天楼を選ぶ。絶対に。 で不意に笑いを持ってかれてしまった。 思考回路が少し自分に似てる気がする。 どの程度話を意味わからない方向へシフトすれば人が関心を寄せてくれ笑ってくれるのか、この人はそれをしっかりわかってるんだろうなとこの文章から感じた。 それか本心からこう思ってるのかもしれないが。笑 そんなことを考えながら脳内では、蘭姉ちゃんが青い導線を切ったシーンが強く頭を打つのである。 え、にゃんたこってそう考えると俺と歳めっちゃ近いやん [岡奈なな子] andymoriの青い空。 聞いてみた。いい曲だと思った。 そこでふと思った。曲に対する感想ってのは8割型がバックボーンで決まると。 恐らくにゃんたこの本でandymoriが出てこなかったら俺は一生この音楽を聞かなかっただろうし、実際聞いても何も思わなかっただろう。 自分の興味ある人が好きな音楽は自分も好きになっていく。それは興味がある故にそれについて深く自分で調べようという姿勢が出来上がってから音楽を聴くためだ。 前向きな姿勢で見れば、聞けば、世の中おおよそのことが新しい発見と魅力で溢れているのである。 岡奈なな子って人はその魅力を知ってもらうために必要な[興味]という姿勢をにゃんたこに植えつけたのだ。恐ろしい才能、そして熱量である。 自分も新しい出会いから[興味]を引き出してくれる存在に対面してみたいものだ。 [中をもって道をなす] どうやら中庸という宗教の一つにカウントされる教えの一つらしい。 何事もやりすぎず、やらなすぎず、バランスをもってやること。 だそうだ。他人からは優柔不断とか自分の意思がないとか言われるけど、それよりも自分の正義をかざすことに躍起になって、周りを蹴落とそうとするような人間になることの方がよっぽど恐ろしい。 だそうだ。 まあ人には人の乳酸菌だから。誰がどう考えるかは人それぞれだから。否定しようとは思わない。 ただ自分は、こう思うのである。 それはあなたが一般的な人と違って承認欲求が薄い人間だからなせた技なのであって、一般の人は周りから承認されることに生きる意味を見出すのだ。と。 さて承認欲求が強い人間でもこうやって人を蹴落とさずに満足する方法がある。 自分で自分を評価してあげることだ。自分の幸せを自分の視点だけで確立させてあげることだ。 つまるところ、自分の正しさを周りに求めなければいいのだ。 [不健康な妄想] 今隣に座ってる人の頭がトマトみたいにぐしゃっと潰れたら周りはどんな反応をするか。 そんなこと俺人生で一回も考えたことなかったよ。 フィクションに身を委ねて生活するとそこまで想像を膨らませることができるのかと思った。 あれか、何度も頭の中でカメハメハや波動砲を打ってる自分と大差ないか別に。 衝撃涙が光からコンマ遅れて周囲の物体を押し潰していくあの表現がたまらなく好きだ。タメが好きだ。強い力にはコンマのタメが生じる。 このタメを如何に上手く表現するか(自分だったら無音にするな)とかちっちゃい頃からずーっと考えてるわけである。 野球でセンター守ってる時なんてずっとバッチこーいって叫びながら脳内ではカメハメハ打ち続けてた位なのである。 1日に73発は打ってた気がする。 ヤムチャもびっくりである。 [言い訳なんかじゃない] あらゆる物事には表と裏がある。 他人と比べる必要なんてありませんのよ。あなたはあなたなのですから。 よく聞くセリフだがこれは無理な話である。嫌でも隣で人間が生命活動をしていると言うのに自分と比べるななんて、、、FPSから TPS視点になっても無理なのだ。 そもそも比べて劣等感に苛まれるのは物事の裏を見ようとしてるからだ。 太った背景には美味しいものを食べた嬉しさが。 口座にお金がないのは利便性を追求し今後の時間を節約するのに投資した分である。 周りには怠惰と思われるだろうが、これは怠惰なのではない。 多面性を自分が享受してるだけなのだ。 逃げ道をどうどうと歩いて何が悪いのだ。これは自分だけのウィンディングロードなのだ。 ※ウィンディングロードって言葉ありますか?winding roadですか?ロードってroadですか? [マトリックスのパクリ] リベリオンって映画が一押しらしい。 自分の興味ある人がおすすめしてる作品ほどその人について知れる手がかりはない。 だからこの映画は絶対に見たいと思うのだ。 Amazonに百円でレンタルできるのが合ったから後で見てみよ。 映画って面白いもので。 その時の自分の心境とマッチしてしまった映画は多少理解できない(要は面白くない)部分があってもバイアスをかけてしまうものだ。 そのバイアスに触れることができれば、その人がどの心境で生活してきたのか、それを知ることができる。 やはり人を理解する上で好きな映画を聞くことは最良の手段であると考える。 本も同じだ。 そうかやっとわかった。みんな自己紹介の時に趣味を添える意味が今までずっとわからなかったんだが。 映画や本と同じで、趣味を聞けばその人がどんな人なのか自ずとわかってくる、みたいな現像が渦巻いているのか。 ってかマトリックスってどんな映画だっけ。 [YUIと家出と卵焼き] 自分の意思で籠から出ようとする雛の気持ちを考える。 不安と生物的自立の心がひしめき合う青春時代に自分も一度家出をしておけば(それか家出に相当する遠出を経験しておけば)よかったなと思った。 にゃんたこはこの経験から母親への愛と世間の温かさという普通の生活じゃ得られない経験を手に入れたわけだ。 悲しいことに、自立してしまった後ではこの経験をすることがどうしても難しい。 当たり前に感謝するには当たり前から飛び出す勇気が必要なのだ。 俺この章の最後の文章 [いくつ歳をとっても私はこの家の子供で、いくつ歳をとっても私はあなたの子供で、いくつ歳をとっても私はあなたの作る卵焼きが大好きです] ってところが好きすぎてもう涙出てしまった。 今度銀婚式があるからそこで両親への感謝を、思いの丈を伝えようと思った。 [いつくしみをたたえて] 難しっ急に難しっ。 ここまでずっと体験談だったのが急に小説になったからびっくりした。 いつくしみをたたえて殺すとはまたどういった意図があってこの文を綴ったのか。今の自分には全くわからない。 [沈む熊] ずっと実体験の話が続いてたから、最終的にフィクションの話だと思ってもそれが分かるまで本当の話なんだって錯覚を覚えながら読み進めることができた。 本の構成としてそこを狙っているのだとしたらうまいなぁなんて思ったりして。 この本はここで終わり。 [あとがき] 無くしたくないもの、ずっと記憶に残したいもの。 それを痛みでストックしておくことは気持ち悪いことですか? ってことが書いてあった。 気持ち悪くはないですけど自傷行為はほどほどにしないといつか体が先に音をあげますよとは伝えたい。 神経細胞の記憶を司る部分にしっかり経路が刻まれていても、体がダメになってしまっては覚えていても意味ないのだから。 [総評] 非常に面白い本だった。 誰かの頭を覗くことってこんなに面白いんだなって思った。 目標のない本っていうのかな。 この一本の筋を伝えるためにこの本を書きました! って感じじゃなくて、その時思ったことを連ねるってタイプの本。これがエッセイってやつなんだろうか。 だとしたら自分はエッセイがとてつもなくハマる人間だと思う。 人の頭は妄想で埋め尽くされてる。その妄想は自分の頭じゃ思いつきもしない世界でいっぱいだ。 誰かが脳は第二の宇宙なんて言ってたけど、あながち間違いじゃない。 無数の謎から文字で出力された部分だけを読み解くことができる人間からしたら、そう人の頭ってのは謎だらけでその点は宇宙に等しい。 エッセイはそんな宇宙をあらゆる側面から照らして観察できる。 ありがとうにゃんたこ。 配信もたまに見に行くよ ちなみに豚の角煮は炊飯器もいいがやはり圧力鍋が最高です。 崩れるんじゃなくて溶ける肉がたった数分で出来上がります。是非。続きを読む
投稿日:2023.08.06
渡部和也
この感性が、自分と似ていると思う人は多々いるんじゃないだろうか。 汚い想いや、言葉の取捨選択や、くだらない行動。 全ては自分自身から生まれてくるものである。 そこに意味はない。 そこから意味は後付けさ…れて、形成されていく。 凄く、心地よかった。 ひとつの物事を、丁寧に優しく、ぐちゃぐちゃになるくらい憂慮すると、こんな言葉が紡ぎ出されるのかな。 全世界で、、ここに刺さる人が1人いる。続きを読む
投稿日:2023.06.04
sumi
本書は、著者のにゃんたこさんの日常や頭の中を、動画を見ているような感じで読めるのがおもしろい。 他人の日常生活を垣間見て、まるで自分がそれを経験しているかのように感じたり、自分の日常と重ねてみたりす…るのが好きだし、決していいことばかりじゃないけれど、それがまたリアルでいい。 本書にはエッセイの他に「沈む熊」と「いつくしみをたたえて」という二編の短編も収録されている。個人的には「沈む熊」が好きだった。 「あーそう感じるのわかるなぁ」「そういうこと、あるよねー」なんて頷きながら読んでいると、物語は思わぬ展開を見せて最後はなんだかちょっと切ない。続きを読む
投稿日:2023.05.06
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