【感想】記憶する体

伊藤亜紗 / 春秋社
(40件のレビュー)

総合評価:

平均 3.9
7
11
7
2
0
  • 障害のある状態を普通に感じ、折り合いをつける

    どのようにして著者が、聞き取りをした彼らと知り合うことになったか、経緯を書いていないことに違和感が残った。
    ある所をフィールドワークとしていてそこで偶然というのではないようだ。
    こうした障害の支援ネットワークがあって、彼らはそこで講演などしている有名人なのかも。

    おおむね障害との付き合いが長く、現在は心身が折り合いをつけ、改善の途上にある人たちを見ていると、患者の側からの様々なアクションが変化のキッカケというより、時間の要因が大きいようだ。
    苦しみは長引くが、時間の協力を得ずして、一足飛びの解決はありえないのだ。
    続きを読む

    投稿日:2020.09.30

ブクログレビュー

"powered by"

  • afro108

    afro108

    このレビューはネタバレを含みます

     とてもオモシロかった『サイボーグになる』という本の中で繰り返し引用されていた本著を読んだ。完全に読む順番を間違えており本著を先に読んだほうが『サイボーグになる』はより解像度が上がったと思う。そのくらい健常者が勝手に抱いている障害者のイメージと現実との乖離を一から丁寧に解説してくれており目から鱗な話の連発で興味深かった。こんだけ優しい語り口かつ理路整然としている文体がかなり好きだった。
     著者が障害を持つ方にインタビューした内容を踏まえて当事者の障害について解説、論考する構成で11個のエピソードが収録されている。具体例からブレイクダウンしてくれるので話が理解しやすい構成だった。
     タイトルにある「記憶」を軸に健常者側の偏見を裏切るような人選(たとえば全盲だけどメモを取る人、義手の必要性を感じていない人など)がなされており興味深かった。記憶の観点でいうと先天的もしくは後天的に障害を持つかで状況は大きく変わる。なぜなら最初から無かったパターンと元からあったものを失うパターンに分かれるから。状態は同じでもプロセスが違うこと、つまり記憶のある/なしで障害の認知が変化するということに改めて気付かされた。
     また人間の体の仕組みがいかに複雑なのかもよく分かる。見ているものがすべてではなく、認知と現実のギャップが存在し、それを補填したり、もしくは間違えたりする要因の一つが記憶であり、それとどのように付き合うか。幻肢が痛む話はその最たる例で本著内で大きくフォーカスされている。そこにない足が痛むという事態をなかなか想像しづらいが本著の具体事例の数々でイメージが少し湧くようになった。
     障害者の方たちが日々自分の体と向き合って、どうすれば最適化できるのかを考えている。分かりやすかったのは健常者の場合はすべての動作が基本的にオートマティックだが、障害者の方は各動作がマニュアルであるがゆえに大変ということ。しかし、そこには工夫の余地が残されており、ゆえにテクノロジーが介入している現状となっている。3Dプリンターの活用にはかなり未来を感じた。『サイボーグになる』で議論されていたように当事者の意見が反映された補填具が開発されていって欲しい。
     健常者だからといって障害を他人事と思えないのは最後に収録されている若年性アルツハイマーのエピソードがあるから。当然、事故で視力や聴力、手や足を失う可能性はゼロではないもののアルツハイマーは自分ごとになるかもしれないリアリティがあった。このエピソードは他と毛色が異なる内容でかなり興味深かった。端的にいうとアルツハイマーで忘れてしまうことを逆手に取ったクリエイティビティの発揮だろうか。日記と小説の狭間にある記憶と忘却みたいな深いテーマがゴロッと放り込まれてた。『どもる体』も早々に読みたい。

    レビューの続きを読む

    投稿日:2024.02.11

  • ucym100

    ucym100

    p62 学習とは結局、あるものを獲得するために、それ以外のものを大量に捨てる作業だといえます。これが抽象化です

    p111 人工知能の開発を通して人間の知能や体について研究している三宅陽一郎は言います。「知能は、外部に起因する感覚を予測しているわけです。予測にはある程度感覚を調整する機能があって、あらかじめ冷たいものが触れるとわかっていれば、ある程度身構えることができます。重いものを持つ前に、重いものを持つために必要な信号が身体に行き筋肉が緊張する、同時に脳の中でその重いものをもつ身体の運動が予測されます。」

    p221 チョンさんの痛みが感じ方が変わった背景にあったものは、逆説的にも、すでに痛みは分有されていたという気づきでした

    p222 私の痛みから私達の痛みへ。注意すべきなのは、これが共有ではなく分有だということでしょう

    p223 チョンさんの爆発に対して家族が同じ力で返していたら、チョンさんは自分の痛みに囚われてしまっていたことでしょう。けれども家族がどこか他人事で、暖簾に腕押しの反応であったために、チョンさんは自分と対話することになった。自分に問われる、真剣に体と向き合える向き合えるとういう状況がありました。

    p224 体と向き合うとは要するに、過去の体を生きるのではなく、今の体を生きるということを意味します。僕自身が、前の状態に戻ろうとするところを家族が、いやそれは無理でしょって諦めたんですよね。頑張って社会復帰するような応援モードではなくて、今の体を受け入れろという感じでした。
    続きを読む

    投稿日:2023.08.07

  • s*yossy

    s*yossy

    障がい者の身体を糸口に人の記憶や脳の働きを紐解く。まさしく人体の不思議といったところでとても興味深い。

    投稿日:2023.06.14

  • chappyazuma

    chappyazuma

    私は障害者でないから、本当の意味ではこの本に出てくる11人の人達と同じではない。だけど、原因不明な痛みや違和感を覚えることが時々ある。自分の身体なのに思うようにならないとか、身体とうまく付き合っていくとか、何となく分かるような気がした。続きを読む

    投稿日:2023.06.12

  • 勇気の花

    勇気の花

    ここに出てくる人たちと比べれば、何もなく50数年生きてきて、さてこれからこういうことに身体がなった時、自分はこういう考え方ができるのだろうか。淡々と文章は書かれているのだが、インタビューを受けている当事者は今現在も、もしくは過去の時点において、相当な痛みや苦しみを経験している。でもそれでも相当な苦労をして、「距離」を置けるようになっている。もちろんそれで幻肢痛が治るわけではないし、認知症が改善するわけでもない。でも、距離を置けるようになったことで確実にそれまでの日常とは変わっていけるようだ。やっぱりこういう本を読める事実はとても凄いことなのだろう。もちろん、このまま何もなく生涯を終えることができればそれはそれで良い。でももし、自分の身にこれらのことが起きたときに、どのように向き合えば、いやむしろ向き合いすぎないようにできるのか、この本を思い出せればまた違うように思う。借りるだけでなく、持っていると良いだろうな。続きを読む

    投稿日:2023.03.23

  • takavamos

    takavamos

    かなり他の著書と内容が重複しているので見たことのあるエピソードが多かった。「記憶」と聞いて大脳的なものをイメージしていたけど、より生理的で反射的なものに近かった。もう少し「想起」に近い記憶をイメージしていたので、個人的には期待外れだった。半分まで読み進めて飽きてしまったので図書館に返そうと思う。またタイミングが来たら読み直したい一冊。続きを読む

    投稿日:2023.03.12

Loading...

クーポンコード登録

登録

Reader Storeをご利用のお客様へ

ご利用ありがとうございます!

エラー(エラーコード: )

本棚に以下の作品が追加されました

追加された作品は本棚から読むことが出来ます

本棚を開くには、画面右上にある「本棚」ボタンをクリック

スマートフォンの場合

パソコンの場合

このレビューを不適切なレビューとして報告します。よろしいですか?

ご協力ありがとうございました
参考にさせていただきます。

レビューを削除してもよろしいですか?
削除すると元に戻すことはできません。