【感想】ただ一人の個性を創るために

曽野綾子 / PHP文庫
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    色んな国に旅したいと思ったきっかけが高校生の時に曽野綾子さんが新疆ウイグル自治区とか中国大陸を20日間旅したり、アラブ世界をたくさん旅したりしてるのを読んだことがきっかけだったの思い出した。曽野綾子さんのサイン会とか行きたい。

    曽野綾子
    東京生れ。1954(昭和29)年聖心女子大学英文科卒業。同年発表の「遠来の客たち」が芥川賞候補となる。『木枯しの庭』『天上の青』『哀歌』『アバノの再会』『二月三十日』などの小説の他、確固たる人間観察に基づく、シリーズ「夜明けの新聞の匂い」などのエッセイも定評を得ている。他に新書『アラブの格言』などがある。1979年ローマ法王よりヴァチカン有功十字勲章を受ける。1993(平成5)年日本藝術院賞・恩賜賞受賞。1995年12月から2005年6月まで日本財団会長。

    そのような成長期に、特に勉強が好きでもなく、怠けるのもかなり好きだった私にとっては、好きでもない教科を学ぶことは苦痛だった。しかし私は、好きなことにはのめり込んだ。私の場合、小説家になろうと思ったのが小学校六年生の時だから、それ以来、私は学校の勉強など最低限に 留めてお茶を濁し、暇さえあればいつも何か書いていたのである。

     しかしそれだから、武道を習おうとしたことが全く無駄だったのではない。自分にはこんな方法では解決にならない、と思った時、その子は敢然と 苛められ続ける境地に甘んじるようになったりする。しかしそれは、以前と同じ心理で苛められ続けていることではない。すでにその子は別な方途で対処の道を発見したのだ。自分にはどうしてもできないこと、どうしても嫌いなことがある、ということを発見するのは、偉大な幸運なのである。  人はあらゆる場所と状況から学ぶ。積極的に選んで学ぶこともしばしばあるが、いやいややったり、逃げ出したりしたいほど辛い状況の中からも学ぶ。その度に自分の道はこれしかない、という選択が見えてくる。

     人は教会からも女郎屋からも学ぶ。激しいスポーツからも怠惰な昼寝の時間からも何かを感じ取る。学校が知識のみを教える場所であり続けたら、むしろ異常なのだ。

    私は今「ディスカバリーチャンネル」(一七〇カ国以上で放送されている世界最大のドキュメンタリーチャンネル) というテレビの番組に 淫している。本でだったらわざわざ木星とはいかなる星か、などという知識を得ようと思わないが、「ディスカバリーチャンネル」の番組でやっていると、つい最後まで見て、木星についての知識を得たような気分になってしまう。  しかし人間は、知識だけでは決して人間にならない。学校は学力や知識を身につけると同時に、徳育をするところなのだ。そこが塾と明らかに違う点だろう。

    私は、人間の強欲と利己主義を、かなりはっきりと容認している。それが人間の本性だからだ。ものをもらえば百人のうち九十五人くらいが嬉しがることになっているから、贈り物をするという制度が生まれ、 贈賄 とか、汚職とかいう行為にまで発展する。それで当たり前なのだ。

    そんな心理的な余裕などあるはずがない、という人のために、少し解説を加えれば、私たち夫婦は共にカトリックであった。人生は「仮の旅路」で間もなく終わる。 位 人臣 を極めても、生涯はぐれもので終わっても、神の眼から見てその生き方に必然さえあれば、それはそれなりに完結した人生であった。よい人にもどこかにおかしなところがあり、悪い人にもどこかにいい香りのする点があるであろう。そういう思いがどこかにあるから、何でも笑えるところがあった。この一瞬が大事なのである。

     第一が中国報道の偏向である。中国に関しては少しでも批判的な記事を書いてはいけない、という姿勢がまず前提にあった。毎日だけではない。いわゆる「朝毎読」の三紙に東京新聞などのブロック紙までが同調して、戦争中の大本営発表のような完璧な思想統制記事網が長い年月張りめぐらされたのが実態であった。

    中国にはハエがいない、ということになると、中国にだってハエはいる、という文章も拒否されるか、少なくとも敬遠された。「毛沢東の中国は、たくさんの人を粛清し、厳しい思想弾圧をし続けた」ということは、日本のマスコミ人が生命をかけて報道しなければならなかったことではないのか。しかし「朝毎読」の三紙は、決してそのことに触れようともせず、中国礼賛記事を書き続け、中国に 尻尾 を振った。そしてそのことに関して、新聞がその大きな責任を謝罪した記事を私は読んだ覚えもない。

    そのような日本人の根性を見据えて、中国は、日本は「押せば引く国」と見るようになったのだろう、と私ならずとも多くの人が思っている。私が中国人でも押せば引く相手なら押すだろう、と思うからだ。だから現在も続いている中国との関係の不愉快な部分を許した「大きな功績」の一部は、新聞社にもあったのである。

    第二次世界大戦が帝国主義戦争だということはほんとうだが、戦後教育は、ベルリンの壁崩壊で社会主義がいかに非人間的であったかを有無を言わさず見せつけられるまで、明らかに左翼偏向だった。あれだけの社会主義の悪を新聞はその時点で報道しなかったし、それを反省しないのも、「過去に学ぶことなく、反省もしない傲慢なこの史観が、社会科学として成り立たないことは明らかだ」と、今松氏の言葉をそっくり繰り返すことで説明しなければならない状態である。

    私は東京に生まれ、東京に育ち、東京で仕事をし続けた 生粋 の東京人である。戦争中に疎開した十ヵ月を除いて、他の地で暮らしたこともない。その体験から、と限定して、私は東京で生まれた子供たちは、被差別部落の存在というものを知らないし、それ以後も日常の意識にない、と書いた。

    その署名原稿を掲載できないと拒否したのは『サンデー毎日』であったのだ。はっきり言っておくが、私は「差別をしよう」とか「差別をして楽しかった」と書いたのではない。私の育った東京という土地には「差別意識が全くと言っていいほどなかった」という意味のことを書いただけなのに、それがいけない、と言うのである。私は原稿の書き直しを命じられたが、私の実体験を毎日新聞の言う通りに直すことはできないので、この連載は打ち切りになった。

    すべてとは決して言わないが、私と同じように被差別部落のことに関して体験も知識もなく育った東京人は、私の周囲にいくらでもいる。つまり一年中、ごく自然に部落問題は私たちの日常会話や意識に全くゼロと言っていいほど登場しないのだ。

    とにかく東京の日常生活では(他の地方と違って)、そんなことを意識している暇がないのである。東京はまず出稼ぎ人の町だし、徹底した能力主義社会を採用している土地で、出身地や家柄や先祖やそうしたものが意識に上らない個人主義の土地なのである。それにもまた弊害はあるが……。

    英国の女王も歴代首相も、イギリスやヨーロッパは大きな貢献をしたと暗に歴史を自負するようなことは言ったが、過去の植民地化を謝罪したことなどない。

    毎日新聞社だけではない。誰もが皆謝れない理由があるのだろう。私自身は日本の帝国主義化を謝るような立派な立場にいないが、しいて謝らない理由を考えてみれば、二つある。  第一は、他人の犯した罪は、私のキリスト教解釈では、代わって謝ることはできない、ということである。もしそれができるなら、自分の犯した罪を他人に謝らせることもできることになる。  第二は、完全なる悪も、完全なる善もこの世にはありえない、と考えているからである。植民地化は、今やいかなる角度から考えても望ましいものではない。しかし植民地時代の中にも立派に意味のあるよきことは、部分的に存在したし、植民地を脱した現在のアフリカで、植民地時代にはありえないような残虐が発生していることも事実である。つまりこうなったらすべてがよくて、ああなったらすべてがよくないのだ、という言い方はしてはならないものだ、と思う。

    プラス面しか教えないことが人間を幼稚にさせる

    「皆いい子」とは何事だろう。最近のDNAの発見は、さまざまな要素を持つ人間がいることを解明した。恐らく今に、殺人を楽しむDNA、残虐さに快感を覚えるDNA、癌のDNA、自閉症のDNA、 詐欺 をするDNA、不妊のDNA、集団を恐れるDNA、高い山に登りたがるDNA、賭け事に夢中になるDNAなどが、続々と解明されるかもしれない。もっと想像すると、だんだんマンガチックになるから 止めるけれど、それらが、「皆いい子」などという言葉の持つノーテンキな 似非 ヒューマニズムとはいかに縁遠い重々しい人間性と結びついているかを感じるだろう。

    二〇〇一年の夏、私は 新疆ウイグル自治区というところまで長い気楽な旅をした。何しろ上海空港までは飛行機で着いたのだが、それから二十二日間、一万六千キロに及ぶ中国大陸の旅はすべて列車かバスで移動したのである。二十二日間もの旅と聞いて、まず皆は 呆れ、「そんな長い旅はヒマ人じゃなきゃできないよ」とアイソを尽かし、そのくせ、費用が二十六万円と聞くと、「それならボクも行けばよかったな」と浅ましいものであった。

    この旅行の企画者は私の息子で、当時、関西の尼崎にある英知大学という私大で教えていた。彼はこれまでにも研修の目的で、あまり人の行かない土地へ学生を連れて出かけていたそうで、離れて暮らしている私はおぼろげにそういう旅行をしているとは聞いていたのだが、今まであまり実感がなかった。今度誘ってくれたのは、私たち夫婦がもう 僻地 に行ける限度の年齢と思ったのかもしれないし、安いツアーを成立させるための 員数 合わせに使ったのかもしれない。いずれにせよ、私たちにすれば、学生さんたちといっしょの旅行をさせてもらえて、大変楽しかったのである。

    息子はそれから少しずつ学生たちの訓練の目的を話した。旅の第一の目的は、当然のことながらその土地を知ることにある。その土地のものを食べるのもその一つの手段だ。だから、学生には自由に 嗜好品 を持ってくることを許していない。

    それでも私は息子の言いつけに背いて、少量の違反食品を荷物の中に隠し持った。レトルトのご飯、梅干、インスタント味噌汁、 海苔、 佃煮、などである。私にも言い訳はある。私は別にこれらのものを自分が食べたかったのではない。しかし今まで旅行の途中、 食中りをしたり、肝臓が悪くなったりした人は、現地の食事を全く受けつけなくなるのである。そういう時、少量の日本食で危機が救われることもあり得るかと考えたのである。  しかし旅をしていると、次第に私は息子の意図も、のびやかな学生さんたちの反応も、過不足なく感じられるようになってきた。

    オサマのような最高指導者や幹部の暮らしは特別だろう。彼らの潜む 洞窟 や隠れ家には、もちろん発電機によって電気もある。オサマ・ビン・ラディンという人物はけっこうな見栄っぱりだから、革の背表紙をつけた文学書か哲学書の並んだ書棚の前で写真に写るのだ。しかしその本は、全く読まれた形跡がない。私の持っている全集は、巻によっては背表紙の字も消えかかるほど読まれているが、全く開いたことがない巻もある。つまり背表紙の手ずれ方には差異があるのが自然だ。しかしオサマの背後の書架の本はどれもきれいに揃っている。その程度の暮らしが荒野の中でもできるのだ、と彼は示したいのだろう。

    今回の研修旅行で、私たちは時々ガソリン・スタンドでトイレを使った。日本では見たこともない凄まじいトイレであった。深い穴が掘ってあって、その上に板が並べてあるだけのものである。だから穴の深さに恐れを抱く人もいるだろうし、中に落とされているものを眼にしなければならないことにたじろぐ人もいるだろう。

    昔の中国のトイレは仕切りなし、ドアなしだったのである。それが今では、隣の人との間に腰までの高さの壁が作られているところが多くなった。トイレ専用の手洗いというものは今でもないが、ガソリン・スタンドにはどこかに洗車用の水があるので、私たちはぜいたくにも手を洗えたのである。

    私がタリバンの「たった二つ」のぜいたくと思うのは、野外のトイレと、恐らく夏だけに許される満天の星空の下で眠ることである。日本で戸外に寝ようとすれば、夜露が多いから、服も掛物もしとどに濡れて、とても寒くて寝られない。

     しかし少なくとも私はまだその手の「自由」を楽しむ境地に達していない。モンゴルの冬は、生のバラの花がそのまま凍るという。そうでなくても、雨が降ったり、風が吹いたりする中で、必ずゲルの外へ出て行ってトイレをしなければならない、ということは、私にとっては自由どころか、一つの大きな心理的負担だ。仮に、携帯便器を使うとしても、それはそれなりに衛生面で抵抗がある。こうした心理的負担を私たちは「不便」というのである。

    実にこうした教養人が驚くほど少なくなったのは、皆が本を読まなくなったからなのだ。大人たちが若者と時代に迎合して、今はテレビで充分な知識を得る時代だ、コンピュータゲームをいけないと言うのはものわかりが悪い証拠だ、インターネットとEメールは全く便利でこれを使わなければ人間ではないというのもほんとうだ、などと調子よく 相槌 を打った結果である。つまり大人は子供にそういう形で 迎合 し 媚 を売ったのだ。

    インターネットが便利なのはわかる。しかしその知識はまことに 浅薄 な範囲だ。一年経ったら古くなる知識も多い。そうでなければ、せいぜいで百科大事典に書いてある程度の知識だ。誰でもが簡単に手に入れられ、使える程度の知識は、何の特徴にも専門にもならない。もっと下品な言い方をすれば、それに対して世間は特別な対価を払おうとはしないのである。ハッカーの行為は悪いものだが、コンピュータでもハッカーになれるくらいの才能がなければ、専門家ではない。そしてコンピュータに関してそんな特異な才能を持つ人は、世間にほとんどいないのである。

    だから私たちは本を読まなければならない。テレビだけではダメなのだぞ、テレビとコンピュータだけで生きていたら、その人は決して指導者にも専門家にもなれないのだぞ、と親も教師も言わなかった責任は大きい。  言わなくてもいいのだ。模範を示す、というやり方がある。しかし今の教師は教師自身が本を読んでいない。忙し過ぎるからだろうと同情はしてはいるが、教師が毎日一言でも、自分が読んだおもしろい本の話をしてやれれば、生徒たちは読書の魅力を察するのである。

    その点、科学も、哲学も、文学も、間違いない。どんな本を読んだらいいのでしょう、と聞く人がいるが、本屋でページを 捲ってみて「おや」とか「ふうん」と思う本だったら買えばいいのである。こういう小さな感動を覚えることを「(心の) 琴線 に触れる」と言い、間違いなく人間の心の 所業 である。

    今、教師と親ははっきりと「テレビゲームとマンガ本だけじゃバカになる。本を読みなさい。本も読まないようなのは人間じゃない」と言うべき時にきている。読書の時間を作っている学校は、学級が荒れなくなり、子供たちも静寂と沈黙に耐えられるようになっているという。彼らは初めて考え、話す種を持ち、その結果として猿ではなくなるのである。

    最近、家庭というものがなくなった。子供は家へ帰っても、アルバイトに出ているお母さんはまだ帰っていなくて、鍵っ子になる。お父さんの帰りも遅い。ご飯の時には、母も子もテレビを見ているから、お互いの会話はない。朝も、子供が一人で起き、何も食べずに出て行く家も多いという。食事にしても、昔は一家が同じものを食べた。朝はご飯に味噌汁、梅干に佃煮。他にチョイスがなかったのである。しかし今の子供たちは、食べたいものがバラバラな上、他の人に合わせる、ということもしない。

    お互いに相手の存在を意識して暮らすことは幸福か不幸かと言えば、そのどちらでもある。中国にも、マレーシアにも、インドネシアにも、大家族が一つ屋根の下に暮らす生活がある。私が会ったエジプト人のガイドは自分の家に連れて行ってくれたが(それが噓でなければ) ちょっとしたマンションほどもある集合住宅であった。そこには一族八十人ほどがいっしょに住んでいるという。庭は荒れた公園のようで、子供たちが二十人近く遊んでいた。皆、彼の 甥 や 姪 や 従兄弟 の子供たちである。

    イスラム教徒は四人まで妻を持つことができるから、こんな大家族システムでなくても、二十人くらいの家族になることは珍しくない。四人まで妻がいることは社会的にも納得しているはずだが、やはり妻たちは夫がもう一人妻を 娶るとなると決して心中穏やかではないという。イスラムの婦人が不定愁訴で診察を受けにきたので、よくよく聞いてみると「今日は夫の結婚式です」というケースがあった、と日本人の医師が話してくれた。  大勢で暮らせば寂しくない。その代わりに妬み、不満、反感などがいつも家の中に渦巻いている。しかしそういう中で、人は究極の人間学を学ぶだろう。

    勉強などというものは、資質を育てるほんの一つの手段でしかないのに、親はそれが全部であるかのように思って、勉強させることにだけ精力を注ぐ。お勉強のためなら、いい部屋を作り、家事の手伝いは一切させず、勉強をしてもらう代わりに子供が欲しいものは見返りに買ってやることになる。子供は親のために勉強してやっている、ということをちゃんと知っているのである。

    しかし本来、勉強などというものは恩にきせてやるものではない。望んでさせていただくものである。世界には勉強したくても貧しいので、畑を手伝ったり、羊の番をしなければならない子供たちもたくさんいることを、親も実感しないし、子供に話してもやらないから、子供は自分の置かれているぜいたくな境遇を理解できないのである。

    ほんとうは義務どころではない。私は大人の食卓に加えてもらったことで、どれだけ人生を学んだか知れない。耳学問は得になった。ただで、大学の講義以上におもしろい知恵を身につけさせてもらえたのである。

    話してくれる人は別に知識人でなくてもいいのだ。いわゆる知的な職場にいる人ではなくても、それゆえにこそ、むしろ重厚な人生を語ってくれることも多い。熊に遭遇したり、 雪崩 に巻き込まれたり、漁に出ていて 時化 に遭ったり、炭焼きの小屋で手伝いをしたりする話は、多くの子供にとって未知の世界だから、胸を 轟かせて聞くはずだ。そしてどこにもおもしろい生活はあるんだなあ、と思う。将来、大学の試験に失敗した時、こういう世界を知っているかどうかだけで、心に受ける圧迫の強さは違ってくるはずだ、と私は思う。世界は広いのだ、と私たちは早くから子供に知らせる義務がある。

    今はまだ制約が多くてアパートやマンションで犬や猫を飼えるところが少ないのはかわいそうだが、動物を飼うということは、子供にとっていい刺激である。比べるのもおかしいことだが、昔は子供からみたら弟や妹を飼っていたのである。今は動物にその代役をさせねばならないほど、弟妹の数が少ない。

    しかし犬にも猫にもそれなりに三百六十五日、雨が降っても、風が吹いても、してやらねばならないことがある。餌を与えることと、排泄物の掃除と、運動である。それは結構な仕事になる。子供が飼いたいと言い出したペットなら、親は子供に熱があるような日以外、その世話を代わってやってはいけない。生命に対する義務というものは、それほど有無を言わさぬものだ、ということを、身をもって感じさせるためである。

    ロボット犬は、百パーセント人間のご都合に合わせられる。電池を切れば、 死骸 のようになる。ほんものの死骸ならほっておけば腐敗するから困るが、電池切れのロボット犬は、押し入れの隅に放り込んでおいても、別に不都合はない。気が向いた時だけかわいがり、面倒になったり飽きたりすれば捨てておけるというご都合主義の産物だから、子供の精神を荒廃させるのである。  最近、同級生の女性を引きずりこんで 同棲 し、面倒になると食事も与えず餓死させて平気だった男とその両親が逮捕された。こうした意識はロボット犬に対する精神の姿勢とそっくりである。

    「金を儲けたかったら、本を読め!」

    テレビゲームの悪をどうして人々はもっとはっきり言わないのだろう。あれは読書の時間を奪う。何より悪いのは、あそこでは、戦場で弾を撃たれても、生身の自分は決して傷つく心配がないことだ。崖からすべり落ちても、決して死なないことだ。

    それともう一つ、私はテレビゲームに使う時間を読書に使った。今では、あまりにも人は精神や魂の肥料である読書をしなくなって、知識も精神もやせ細っているから、私はあえて次のように言いたいのだ。

    「金を儲けたかったら、本を読め!」 「出世をしたかったら、本を読め!」  と。  もっともこんな言い方をしたら「下品な言い方ですなあ。しかしそれくらい 直截 に言わないと、世間はわからないかもしれませんなあ」と笑った人はいた。

    今日からでも遅くない。自分を伸ばすために読書を始めて、そしていつかそのおかげで人生で「出世」できたと思った人は、私に手紙を書いてほしい。もっともその時、私が生きていたらの話だが……。

    今は自分自身が何より大切で、社会も他人もそのことを認めて自分の希望を叶えるべきだ、と信じている子供や大人が珍しくない。こういう利己主義者は、個性が強いように見えるが、実は精神もひ弱で、個性も稀薄な、内容のない人物なのである。たった一人、その人らしい強烈な個性を育てたかったら、逆説めくが、他人の存在の真っ只中に常に自分をさらさなければならない。そしてある程度傷つかなければならない。 満身創痍 の人が強く、味わい深くなるのである。

    これは教育がどこの国でも強制的であることを物語っている。モスク(イスラム寺院) で神に礼拝する時以外、イスラム教徒は床に座って頭を下げるということをしないようにしつけられて育つ。だから人間である夫の友達に、唯一神に対するのと同じ型の礼拝をすることなどとんでもないことだ。しかし日本人は誰にでも気安く頭を下げる。隣の人と道で会っても、他人の家で座敷に通されても、とにかく頭を下げて挨拶をする。どちらも強制された教育の結果だ。

    私の母が私を道連れに自殺しようとしたのは、私が小学校高学年の時である。私は今でも母が死のうとした理由を正確には言えない。母といえども他人である。しかし母が死ぬほど結婚生活がいやだったということだけは確かであった。

    今の私は態度が悪いから、死ななくても、さっさと離婚すればよかったのに、などと思う。父が意地悪をして、離婚すると言えば母に一円のお金もくれない。母は食べられないからガマンして結婚生活を続けていたのだ、といくら説明しても、今の人は「スーパーでバイトしたら?」「生活保護があるじゃないの」と言う。スーパーも生活保護も当時はなかったのである。もっとも当時はあって今はないものに乞食という生き方があった。橋の上や駅の構内に座って、 罐 詰 の空き缶に小銭を恵んでもらう人たちである。

     私のほうが明らかに母より強いと思うのは、私は母と違って乞食ができる。母はそんなことをするより死んだほうがましだと思ったのに対して、私はそれを途方もない異常なこととか、みじめなこととか考えないだろう、と思える。  母が自殺を思い留まったのは、私が泣いて「生きていたい」と言ったからである。母は本気で死ぬつもりだったのかどうかもわからない。本気なら、その時までに、刃物で私を刺していたろうとも思うからだ。

    犯罪はまだ犯していなくても、根性は確実に曲がっていると思っている。学校の先生でなくてよかった。教会の女性牧師さんでなくてよかった。由緒ある宿屋の 女将 さんでなくてよかった、と思うと、私は運命に感謝せずにいられない。こうした職種は、正しく、穏やかに、円満に、優雅に、何事にも耐えて、心のほころびなど見せてはならない立場である。

    その証拠に、私は人を見るとすぐ悪く考える習性が残っていた。穏やかそうな顔をしているけれど、家では厳しい人なのではないだろうか。お金持ちらしいことを言ってはいるけれど、こういう人こそ借金だらけかもしれない。犬を可愛がっていて、犬の話をすると目尻が下がるけれど、世の中には犬には優しくても人には全く優しくない人というのもけっこういるものだ、などと思うのだ。

    私は善意に溢れた人を、嫌うと言うより、やがて恐怖を抱くようになった。

    結論を先に言わねばならないのだが、私は人の善意や厚意を元にした世間の美談に素直に喜べない性格になっていた。そしてそういう自分の性格に反射的に嫌悪を抱いてもいた。どうして私は偉い人や、心根のいい話にすぐ感心できないのだろう。いや感心しないことはないのだが、反射的にその出来事に含まれる裏の事情や、口には出されなかった部分を考えてしまうと、どうしても 一途 に話に酔うことができないのである。それが子供の時に家庭内で受けた心の傷の後遺症だろう、と自覚しているのである。

    つまり私はもの心ついて以来、物事には裏があり、人には陰があると信じ、疑い深く見て、生きてきたのである。しかしその結果は信じがたいことだったが、私は人に裏切られたことがないのである。

     仮に私が人からあらぬ疑いを掛けられたとする。釈明の機会を与えられれば、私は一生懸命弁解するだろうが、その機会も与えられないまま、先方が私を悪い奴だと信じたとする。すると私は「ああ、そういうこともあるだろうな」と諦めるのである。諦めることは私の得意中の得意であった。

    もっともそんなことを言える大きな理由は、私が神を信じているからである。人にはわかってもらえなくても、神は「隠れたところにあって隠れたものを見ている」のだから、神にさえ知られていれば、それでいいような気もするのである。

    私は二十三歳の時から、外国に旅行するようになった。最初の旅の時、東南アジアの某国に行こうとして、最初のつまずきを体験した。東京のその国の大使館は、作家としての私にヴィザを出せるかどうか身上調査をするためだと称して一万二千円を出させた。当時大学卒の初任給は一万円くらいだったから、今のお金の感覚に直せば、二十四万円くらいに当たるかもしれない。  それにもかかわらず、その国の駐日大使館は、その業務を全くやっていなかったことが後で判明したのである。シンガポールのその国の大使館に行けばヴィザを出せるようにしておくと言ったのに、シンガポールでは東京の大使館からは何の書類も廻ってきていない、とけんもほろろであった。つまり東京の大使館の領事部の男が一万二千円を着服したのである。

    私はアラブの世界からも人間の生きる厳しい現実世界を教わった。少しくらい噓も裏切りも 詭弁 も 弄しなくては、生きていけない土地なのだ。

    相手が、いい人でも正直な人でもないだろう、と反射的に思うことは、日本以外の土地では実に有効な身を守る手段であり、柔軟性でもあった。商売の上でも彼らは、吹っ掛けるだけ吹っ掛ける。それで騙されるほうが悪いのである。相手が騙されたら、吹っ掛けたほうの勝利だからだ。私はまず用心し、初めから相手を部分的にしか信ぜず、したがって裏切られても騙されても怒ることはなくなった。

    私は中産階級の、両親が不仲な家庭に生まれた。だから私自身の性格も歪み、愛情がうまく育たない恐れもあった。しかしそうだとしても、それはそれで仕方がないだろう。愛情がうまく育たないのだったら、後から強引に見習って、いささか人為的にでもいいから、一見自然に見える程度に、愛情というものだって無理やりに育てればいいのである。  経済的中産階級というものは、すばらしいものである。それは絶対多数の心情を理解できるという点に偉大な凡庸さを見ているからである。もちろん世の中には、不運な人もいるが、私の感覚では、怠け者と見栄っ張りな人が、やはり貧乏していることが多かったように思う。

    ある時、出発前に、自ら希望して加わった人の一人が正直に「僕には貧乏というものがどうしてもわかりません」と言ったことがあった。私はその言葉に好意を抱いたが、正直なところショックも受けた。「王族や、貴族や、富豪の生活はわかりません」というのなら、「そうですね。私も」と素直に同調できるのだが、貧乏がわからないというのは、どういうことだろう。このことについて、私は一つの答えらしいものを持ってはいる。つまりそういう人は、読書の絶対量が足りないのである。自分の専門に関係のある書物は読んでいても、明治以来の内外の文学は読んでいないのである。

    小説は 無頼 な作家たちがいい気になって、ただ自分にこういうことがあったらどんなにいいだろうという甘い空想を書いたものだろう、などとバカにしているから、文学によって私たちが知り得た凄まじい現実を知らないのである。こういう人がけっこう東京大学法学部卒だということもある。

    その上にあぐらをかくと、作家なら小説だけ書いていればいい、ということになりがちだ。実は小説というものは、けっこうきちんと調べて書くために手間暇をかけているのである。一つの小説を書くと、作家はその主人公の職業についてセミプロくらいの知識は持つほど勉強する。思いつきで書くようなものでは、プロの小説として通用しない。

    信仰の領域を離れても、私がこういう 罵倒 を気にしないのは、仮に相手が失礼なことを言ったとしても、それは言われた私の問題というより(それに該当する要素を持ち合わせていることは多いが)、多くの場合、言ったほうの醜さを示すことになるからだ。

    気の毒なことに、最近の日本の社会状況では、こんな簡単なことさえできない。テレビのタレントたちの日本語はめちゃくちゃ。代表的な新聞は、天皇皇后両陛下に対してさえ敬語を使用しないことが、あたかも人権と平等の精神を標榜しているかのようなことを言う。そして母親たちは、ほとんど本というものを読まないから、外見はブランドずくめのしゃれたみなりをしていても、喋る言葉は教養のないものになる。とても子供に敬語や謙譲語をしつける能力などない。

    私は貧しいがゆえに信じられないほどの破壊的な行為を平気で行なうことができる人のことを、アフリカで散々見聞きした。スラムではレイプがひどく、殺す時にはタイヤを巻きつけるか、 喉 にガソリンを流し込んだ後で火をつける。殺すという行為の残酷さは同じだが、こういう残虐は、娯楽のない貧しさの中で、一つの楽しみとして生まれたのではないかと思うほどだ。

    清貧という名のように、すんなりと欲のないままに生きていられるのは、とにかくその日どうやら食べられるものがあり(たとえご飯にメザシだけでも)、雨露を 凌ぐことのできる家に住んでいられるからである。そしてそのような状況を国民に与えられるのは、日本のように恵まれた豊かで自由な国家しかない。貧しい国では、決して清貧などという状態は出現しないものなのだ。

     客観性を無視した人々は、しばしば政治や社会について歯切れのいい「反対運動」を展開する。新幹線、高速道路、原発、ダム、空港、老人ホーム、知恵遅れの子供たちの授産所、焼き場、感染症研究所、ゴミ廃棄所、汚水処理場、墓地、食肉処理場、刑務所。こうした施設を嫌い、その建設に絶対反対の運動をする人々は、こうした施設を差別したのである。それらは、学校、銀行、郵便局、警察署、議事堂、総理官邸、裁判所、卸売市場、などと同じ程度に大切なものであろうに。

     第一、彼らは民主主義がいいなどとは思っていない。今まで一度も民主主義的な暮らしなどしたことがないのだから、アメリカが民主主義を押しつけようとしたら、拒否するに決まっている。アメリカ人というのは、どこまで自己中心的で、人の心のわからない人々なのか。  イラクに住む人々が理解し、信頼しているのは、族長支配体系だけである。理由は簡単だ。歴史が始まって以来、彼らは族長支配でやってきたからなのだ。確かに時代によって、族長にはいい族長も残忍な族長もいた。しかし族長支配の体系の中で、彼らは守られてきたのだ。解放だの、民主だのと言われるのはありがた迷惑だ。なぜなら、強力な族長の支配の力を奪われれば、彼らはミノムシが、ミノから押し出されて裸になったような状態になるのを知っているからなのだ。

    私たちは「人は皆善人」と教えられた幼稚で危険な教育を受けている。「人は皆悪人」と教えられてもやはり片寄った貧しい教育を受けている。「人はさまざま」という教育を受けた時だけ安心していられる、と私は思っている。

    私の家は東京の東横線という私鉄の沿線にあるが、

    若い時には、まず 寸暇 を惜しんで、自分を複雑な人間に教育する必要があるだろう。充分に読書をして専門的な知識を身につけ、できるだけ多くの人に出会って、現世にはどれだけ変わったものの見方があるかを体験しなければならない。

    ニクマレグチを叩けば、電車の中でメールばかりしていて、少しも活字を読まないような男女にろくな未来はないであろう。単純な理由だ。読む人はそれだけ勉強しており、ケータイにしか興味がない人は、それだけ怠けているからである。平等という観念は、誰にでも同じ状態が与えられることではない。努力した人にはそれだけの報いをすることであり、怠けていた人はそれだけ報われないことが平等なのである。

    つまりこういうお化け姫は「恥知らず」なのだ。恥知らずは怖い存在だ。人間に恥の感覚がなければ、どんなことでも平気でやることができるからだ。実はたいていの人は電車の中で化粧する女の子の変身の経過を見るのは、むしろ好きで、おもしろいなあ、と思って見ている。車中や人前で化粧するな、と一言も教えられなかった親と学校が本来なら恥じなければならなかったのかもしれない。

    料理も一つの人生讚歌の方法だ。神が創り人間が広めた野菜や肉という物質を使って、精神の活動をする人間の肉体を作る。私は世間の人が「噓話を書く仕事だろう」と思っている小説家という職業に就いた。しかし小説は思いつきや妄想で書くのではない。そういう書き方をしていたらすぐにネタは尽きる。小説はおこがましくも、人生を捉えようとするのだ。もちろん分を知っているから、小さな範囲で捉えた人生を描く。だから「大説」とは言わず「小説」なのである。

     本を読まず、おかしな記号つきの短文で通信を楽しむケータイで人とつき合ったと思い、テレビゲームの架空世界で冒険をしたような気になる日本人は、どんどん精神の衰弱で病的になり、今にそのか弱い精神のゆえに死ぬだろう。彼らは人生の中に歩みだし、それと格闘する実感も知らず、自分を鍛えることもしなかったからだ。

    進歩的な人々が目の敵にする「愛国心」は、私に言わせればそんな深刻な思想ではなく、生きるための鍋釜並みの必需品に過ぎない。
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    投稿日:2024.02.17

  • weakfish

    weakfish

    作家だけど国際規模の慈善団体でも活動する著者。世界中の貧困を観てきた著者が現代日本のメンタリティを語る。日本という国がどれだけ豊饒であり、そしてそこで生きる我々日本人がいかに貧弱であるか。警句だけでなく真摯な言葉も多々あり、良書。続きを読む

    投稿日:2011.11.18

  • torugk

    torugk

    教育の最終責任者は、自分である。その次が親である、教師は三番目である。
    自分と親たちは、その責任を果たしてきたか。この問題は、誰かを詰問すれば、済むことではない。静かに、継続的に、客観的に自問し、自分の美学と哲学で自分を教育し直すほかはない。

    人は皆、善人ではなく、はたまた、悪人でもなく、人はさまざまである。

    裏表をもつということは、つまり、大人になるということである。

    しなければならないことは、強制的にさせ、したいこともさせる、その両面をカバーするのが、人間を創ることである。

    勇気をもって真実をつげる。

    生きることが、基本的にむづかしい土地ほど、人々は、物質文明になり、同時に優しくなる。

    人間は、時には好意をもって、時には憎悪をもって、相手を理解する。好意だけで、相手を関西に理解できれば、こんないいことはないが、人間の眼が鋭くなるのは、多くの場合、憎悪によってである。

    世間は、決して単純ではないと教えなければならない。

    教育というものは、あらゆるものから学ぶ。

    自分のしたいことをするのが、自由ではない。
    人としてするべきことをするのが、自由である。

    徳というのは、満足を生み出す能力である。
    徳育とは、満足を生み出す能力を磨くこと。


    人間と動物の違いは、利害を超えた行動にある。
    人間になるためには、利害を離れて、人の為に、働くことのできる存在にならなければならない。

    基本的の第一歩は、ほとんどのものが、強制で始まる。
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    投稿日:2011.09.05

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