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ウォルター ブロック, 橘 玲 / ハヤカワ文庫NF (21件のレビュー)
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人はみな生まれながらにして平等か?
様々な刺激的論点からいわゆるリベラルっぽい常識的な価値判断に挑戦している。訳者の訳も単なる翻訳ではなく翻案or超訳というべきレベルのものである。各種論点の中では、これは駄目だろう と思われるものも数多…くある。麻薬はその典型例の一つである。逆に真剣に考えさせられるものもある。開発途上国へ対する援助や、国内におけるいわゆる数々の福祉政策である。根本的な課題として「人はみな生まれながらにして平等か?」を真剣に考えなくてはいけないと感じた。続きを読む
投稿日:2023.03.25
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mk04
アメリカを代表するリバタリアン(自由原理主義者)であるウォルター・ブロックによって1976年に発表されベストセラーとなった『擁護できないものを擁護する』を、現代(初版は2006年)に合わせ超訳した本…。 今日、世界は強大なテクノロジーの力を手に入れ、限られた一部の選ばれし者が、自由競争の理論のもとで莫大な利益を手にするという時代に突入し、経済的に裕福な生活を手にするか、貧困に陥るかは本人の努力次第という自己責任の考え方が広がりつつある。 そのような中で、かつて自由原理主義者のバイブル的な存在だった本書を読むことで、次第に存在感を増している自由原理主義者の論理に触れ、好む好まざるにかかわらずその考え方を知っておくことは大事だと思った。 本書の冒頭でのリバタニアリズム(自由原理主義者)に関する説明が政治哲学者マイケル・サンデルの言う政治思想の4類型(①功利主義②共同体主義③リベラリズム④リバタニアリズム)の引用と共になされていてとてもわかりやすかった。 また、今から40年前に書かれた本の内容を、取り上げる事例を現代風にアレンジしつつも本質は伝わるように説明している点がポイント。事例に関しては「麻薬密売人」や「恐喝者」「ポイ捨て」など、どう考えても悪いとしか思えない人たちを自由至上主義者の理論で社会的な利益をもたらすヒーローであると擁護する。多少強引な論理で、詭弁がすごいと思うような説明もあるが、完全に間違ってはいないと妙に納得させられる部分もあり、完全に自由な市場とはこういうものだという思考実験的な読み方もできると感じた。 訳者のあとがきによると、本書の目的は自由市場原理主義者の極端な考えを書くことで読者を挑発することにあるとのことだったので、自由市場主義をなんとなく信奉している人も、否定する人もこの本を読んで神経を逆撫でされてみることをお勧めする。続きを読む
投稿日:2022.10.25
shinobu
面白い事例がたくさん載っているが、翻訳が下手でスゥーと頭に入らない。多くの国民が誤解している市場経済の本質を不道徳なヒーローにスポットを当てて面白おかしく説明。
投稿日:2022.03.07
hiroreading
このレビューはネタバレを含みます
リバタリアニズムという、考え方を知れたのがよかった。また、社会の悪者とされている人々を経済の視点から養護しているのが新鮮で面白かった。特に印象に残ったのが麻薬を規制する法が麻薬の末端価格を引き上げ、麻薬中毒者が麻薬を手に入れるのを困難にし、そのことが悲惨な事故、事件を引き起こしているという指摘だった。全体的に面白い内容だったがリバタリアニズムには完全には賛成できなかった。もしリバタリアニズムが実践されれば、市場の原理によりある程度は秩序が保たれるだろうが、貧困層や社会的弱者は今より悲惨な目に合うと思う。
投稿日:2022.02.03
桜ヶ丘_med/dent/health_
https://catalog.lib.kagoshima-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB2974361X
投稿日:2022.01.28
meirin213
ウォルター・ブロック著、橘玲訳『不道徳な経済学』読了。 リバタリアンあるいは新自由主義を信奉する逆張りおじさんのための教科書的なものなのだろうか。原書は1970年とのことだが、今でもこういうグロテスク…な主張を好む人って日本にも多いよななどと思いながら読む。こういったネオリベ的主張を好むホリエモン(邦題の見出しにもなっている!)やひろゆき、橋下徹のようななんちゃって"知識人"が用いがちなさまざまなタイプの詭弁が弄されており、その論理のどこに欺瞞や飛躍があるかを批判的に検討しながら読むことでクリティカルシンキングのトレーニングなるという。つまりそういった訓練的な読み方に興味がある人以外にはあまり読むのはお勧めできない、ということ。続きを読む
投稿日:2021.12.29
kncskm
人が自由であることは、社会の基礎・前提であって社会の目的ではない。 人が自由であれば、人々は適切で合理的な判断をするし、その積み重ね・結果で長期的にみれば物事はあるべき姿に収斂していく("見えざる手"…の力が働く)。 従って、人々の判断や行為に余計な制限を加えるべきではなく、自由それ自体が極限まで保障されるべきである。 そういうリバタリアンの世界から社会を見渡せば、売春は自由意志に基づくサービス契約に過ぎないし、ダフ屋・転売ヤーはそのもの本来の市場価格を形成しているだけ。麻薬やヤミ金などは、現に存在する需要に対して供給を不当に制限した結果生じたものであるから、完全自由化してしまえば良い。麻薬欲しさの犯罪は減るし、お金を必要とする人にお金が行き渡る。 それも理屈である、筋が通っているとは確かに思うが、問題はそこではない。 『人々の自由を尊重する』というそれ自体否定しようのない価値観が出発点であるし、それを徹底した議論であるから分かりやすい論旨でもある。 問題は、別の前提要素と、結論の妥当性との2点。 自由意思の収斂によってあるべき姿に行き着くのは、人々の適切で合理的な判断があるからだが、自分たちは自分たちの判断をそこまで信頼して良いだろうか。適切とか合理的というのはやはり多義的で揺れやすい。だとしたら、(行き着いた先をあるべき姿だと言ってしまうことはできるかもしれないが、)あるべき姿に収斂すると言えるだろうか。 たとえ理屈を付けたとしても、やはり結論に賛成できないこともある。 例えば児童労働。児童とはいえ個別に見れば十分な判断力を備えた上で労働に就くケースもあるし、就労は自立を促すのだから良いことだ。従って児童労働を制限すべきでない。それが本書の論旨。 部分部分に同意できたとしても、それでも『だから児童労働はOKだ』とはならない。直感的だとか感覚的だとか恣意的だとか言われるかもしれない。 それでも、結論に同意できないという"直感"をこそ、むしろ大事にしなければならないし、そう感じたところに理屈を付けて、一般化していく力を付けなければならない。リバタリアンの話を聞いて感じたのは、そういう直感的な判断の意義の方かもしれない。続きを読む
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