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山崎ナオコーラ / 誠文堂新光社 (32件のレビュー)
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Glenn
ナオコーラさんらしさ全開で愛おしい。 ブスの人も、自信もってこうね!という内容では全くない。 ナオコーラさんがルッキズムに対して、差別全体に対してどう感じているかを熱い気持ちで、でも淡々と綴られてい…るエッセイ集。(とはいうものの、このタイトルなので、書店員の方から「この人、顔のことでで悩んでいるのかな」と思われそう、とか自意識過剰にちょっと考えた。笑) 序盤に、"私の考え方は少数派で、違う考えを持つ読者の方が多いんじゃないかな、と予想している。"と記載があるように、すべての考えが一致する人は少ないと思った。 だけどそのあと"私は違う考えの人に、私の考えと同じに染まってほしいとは思わない。「へえ、こういう人もいるんだ」程度の読みで言い。違う人にも面白がってもらえる文章を書ける自信はある。違うまま共存したい。"と続くように、意見が違ったとしても、ユニークな考え方だな~という読み方をするのが楽しい。(他の人のレビューのなかには、ブスブス書いてあって不快だった、など真っ直ぐ受け止めようとしすぎるあまりに楽しめなかった読者もいたようで、ファンとしては勝手に残念に思ってしまった) P.35 自信というのは、「ある」「ない」ときっぱり二つに分けられるものではなく、高めだったり、低めだったりする、なだらかなものだ。 百パーセントの自信を持っている人は世界にひとりもいない。おそらく、ゼロパーセントの人もいない。 十パーセントの自信で何とか生きていたり、九十パーセントの自信で悠々とやっていたり、人それぞれだ。 そして、私が顔と文章に違う度合いの自信を持っているのと同じように、「この分野では、まあまあ自信がある」「こっちの分野では、少なめの自信しかない」と思いながら、やりくりして過ごしている人も多いに違いない。 しかも、自信は時間とともに増減する。 P.52 「美人」という言葉が差別的に作用しているフレーズは、意外と世界に溢れている。 普段は、相手を褒める文脈、ポジティブな文脈で目にすることが多い「美人」という言葉だから、タブーな雰囲気がなく、差別的な意図で使いたくなったときに(とはいえ、多くの執筆者が「美人に対して差別をしよう」なんて自覚を持たないまま差別をするわけだが)、「ブス」を使う時以上に簡単なのだろう。安易に言ったり書いたりしてしまっている。 世間的には良い言葉とされていても差別の文脈で使われることがあるし、世間的に悪い言葉とされていても差別の文脈になっておらず人を傷つけないこともあるし、差別の文脈で使われていなくてもその言葉の世間的な力のほうが強くて差別になってしまうこともある。様々なタブーがある。言葉と文脈をうまく繋ぎ合わせるのはなかなか難しいのだ。 P.71 「結婚に優劣がある」という考え方があるせいで、結婚差別が起きている。自分の子どもや親戚などが顔の良い人と結婚することが、自分自身の社会的成功に繋がる、または「社会的に成功している感」を周囲に自慢できる、と考える人が出てくる。そういう人は、子どもや親戚などの「結婚します」という報告に際して、その婚約者が世間に求められるような要旨をしていなかったら反対する。反対しながら「自分は悪くない」と思う。「世間がその婚約者を低く見るだろうから、お前は苦労する。だから、自分は反対してあげるのだ。自分が悪いのではなく、世間が悪い。世間の逆風から守ってあげるために反対するのだ」とという思考をする。「また、こういう嫁(または婿)しか迎えられないような家族だと世間から低く見られたら困る。自分たちはこの嫁(または婿)を悪く思ってはいないが、世間というのはそういうものだ。親戚一同がバカにされる。だから、家族のために、反対してあげるのだ」とも考える。 (ここは言い切りが過ぎるだろうな、とも思ったけど、分かりやすい文章を心がけた結果だろうし、ハッキリと言葉で思い浮かべたことはなくても、何となくこういう考えをもってしまっているひとは多いんだろうな、と思う。) そもそも、結婚に対して、「良い結婚」「悪い結婚」と世間が評価することをやめればこういう人はいなくなるのだから、世間が変わればいい。ワイドショーなどの功罪もあるだろう。結婚や離婚や独身でいることなどに、他人が良いとか悪いとかコメントするのは愚かなことだ。 ついでに、結婚そのものを良いことだとする考え方もなくしてしまおう。結婚を決めた人に対して、「一人前になったな」「責任を持てるようになったんだな」という見方を廃止する。結婚しようがしまいが、しっかりしている人はしっかりしているし、しっかりしていない人はしっかりしていない。 結婚や離婚を社会的な評価につなげてはいけない。 P.90 日本は、少女を大人扱いしすぎだと思う。 少年のことは子どもだと認識しているのに、少女のことは大人だと勘違いしている。 日本では、「男はバカだ」「男は駄目だ」といったことが大人に対してもよく言われていて(もちろん、私はこういうセリフが嫌いだ)、「男子高生はガキ」「男子中学生はまだまだ子ども」といった少年向けの言葉もたくさん耳にする。 その一方、「女性は頭がいい」「女性はしっかりしている」といったことがさかんに言われ、「少女は早く大人になる」「女の子は男の子よりも成長が早い」といった少女向けの言葉が溢れる。 マンガなどでも、小学五年生くらいから「お母さんの代わり」ができる設定になっているものをよく見かける。家事を行ったり、「お父さんたら、駄目でしょ」「お兄ちゃん、しっかりしてよ」などと父親や兄を叱ったりする。 おそらく、「男性は仕事をしたら大人。女性は生理が来たら大人」という間違った概念が世間に蔓延しているのだろう。 精通があったからといって大人にはならないのと同じように、生理によって大人になることはない。女性から見た男の子が性的に魅力を持ったからといって、その子が大人にはならないのと同じく、男性から見た女の子が性的に魅力を持ったかどうかは、大人になる基準にはならない。 だが、性的な魅力のある女の子は大人の男性とも普通に会話できると思われがちだ。女性は十代前半から大人と渡り合える、と誤解されている。 そういうわけで、まあ、十八歳以上に対してなら総選挙のようなものも仕方ないのかな、と思えるのだが、それでも、二十二歳ぐらいまでの若い人に対しては性的魅力を評価することには慎重になった方がいい、と私は考えている。(略) 女子小学生も女子中学生も女子高生も女子大生も、男子小学生や男子中学生や男子高生や男子大生と同じように、バカでガキだ。 まだ成長の途中で、繊細で不安定だ。 このぐらいの年齢の時期に、「私は、胸に魅力がないから、後ろを向いてお尻の角度がかわいく見えるように写真を撮ってもらおう」だとか、「私は、あんまりかわいくないから、面白いことを言ってキャラ立ちしよう」だとかいったことを考えさせられることが、アイドルにとっても客にとってもプラスになるとは思えない。 P.96 「(筋トレを始めた頃は)まだフィットネスのブームが来る前だったので、『気持ち悪い』とか『どこを目指しているのかわからない』とか、もう散々…。でも、自分が好きなことをしているから、何を言われても気にならないんですよ。『もうやめよう』とは、一切考えませんでした。『好き』は無敵。大きなエネルギーになるんです。埋められない自信のピースは、自分で埋めなくちゃ、と思います」(小原優花) ぼくの夢は、一流のプロ野球選手になることです、そのためには、中学、高校でも全国大会へ出て、活躍しなければなりません。活躍できるようになるには、練習が必要です。ぼくは、その練習にはじしんがあります。ぼくは3歳の時から練習を始めています。3歳-7歳までは半年位やっていましたが、3年生の時から今までは、365日中360日は、はげしい練習をやっています。だから一週間中、友達と遊べる時間は、5-6時間の間です。そんなに、練習をやっているんだから、必ずプロ野球の選手になれると思います。(鈴木一朗) こんなことを言うとあるいはまた馬鹿にされるかもしれませんが、規則正しく生活し、規則正しく仕事をしていると、たいてのものごとはやり過ごすことができます。誉められてもけなされても、好かれても嫌われても、敬われても馬鹿にされても、規則正しさがすべてをうまく平準化していってくれます。本当ですよ。(村上春樹) 様々な分野で活躍するいろいろな人たちが、規則正しく小さな努力を重ねているみたいだ。「自分の好きなことを見つけ、毎日行うことができる適切な量の目標を設定し、それをひたすら続けて自信を持つ」ということをしている偉大な人が世界にたくさんいるらしい。 批判やバッシングで付けられた傷は、批判やバッシングがなくなったときに治るわけではない。おそらく、自分の行った努力だけが、自分を助けてくれる。自分が目標を定め、自分が努力をして、それを自分が認識したときに治る。自分だけが、自分の自信を回復できるのだ。 だが、私がこのことに気がついたのは、ごく最近だ。 昔の私は、「自信とは、何かを達成したり、周囲から評価されたりしたときに湧いてくるものだ」と誤解していた。 P.107 努力は、素敵だ。前回書いたように、自分で決めた目標に向かって、自分で努力をしてそれを自分で認識するのは、自己肯定のために必要で、生きる上で大事なことだ。 だから、「努力している人」は、それを自分で認識し、自分に誇りを思っておけばいい。 周りを見渡して、「努力不足の人」をチェックする必要はない。他人が努力しているかしていないかによって、自分の努力が肯定されたり否定されたりすることはない。自分だけが自分の努力を知っていればいい。好きで努力しているだけだ、とわきまえておく。他人は全く関係ない。 自分に集中していれば、他人のことは気にならなくなる。 そもそも、「努力不足の人」は、決して「努力している人」を批判したくて努力不足を選んでいるわけではない。 意思が弱かったり、行動力が足りなかったり、他にもやりたいことがあっていそがしかったりして、同じ努力ができていないだけだ。努力を無価値なものとしたくて、努力しないことを選んでいるわけではない。 だから、「努力している人」は、「努力不足の人」を攻撃する必要も見下す必要もない。 「自分は努力が好きだから、自分に関する努力をしていこう」と考えて、他人の価値観は放っとくのがいい。 (とはいえ、誰かからひどい扱いを受けた時、自分の努力で相手を見下すことでしか自分を保てない時って、若い時ならあるよな、とか思ってしまった) P.144 まず、「差別と区別の違いをはっきりと認識するのは難しい」という問題について考えてみたい。 私自身、差別と区別を瞬時にしっかりと判断する自信がない。他人をグループ分けする時、かなり注意深くならなければ失礼なことをしそう、自分はやばい、と思っている。 たまに、「差別と区別は違う」と言った途端に安心し、すっきりとした顔になって、思考停止してしまう人がいる。おそらく、「差別というのは、他人を見下すことだ。僕は他人を下に見ていないから、差別はしていない。区別しているだけだ」というシンプルな考え方をして、「区別、最高!」で終わってしまうのだろう。 しかし、差別とは、他人を見下すことだけではない。 たとえば、「僕は、男性をバカだと思っている。それに比べて、女性は頭が良い。男性は女性に適わない。だから、バカな男性とは違う、女性らしい素敵な仕事をして欲しい。女性は素晴らしい」だとか、「女性は育児ができて、すごい。男性にはとてもじゃないが母親のような真似はできない。育児をする女性は美しい」だとかいったセリフを、「女性を差別しているセリフだ」と私は感じる。私の他にも、このような話をされた際に「差別的なことを言われた」と聞く女性はかなり多いだろう。でも、発言者は、「僕は女性を賛美しているわけで、決して女性を見下していない。むしろ女性を尊敬しているのだから、性差別をしていない」と堂々としていることがある。 他にも、「障害者は清らかだ」「同性愛者には美人が多い」など、相手を上に見ていても差別的なセリフを発してしまうことはかなりある。(略) みんなに当てはまることではないのに、イメージで線を引き、強制的に職業や居場所を移動させるのはおかしなことだ。 P.268 よく、犯罪者のことを、「社会にうらみを持っていた」といった紹介をしているが、それを見て、私は「自分もだ」と感じる。私が犯罪者になったら、「社会にうらみを持っていた」と紹介されるかもしれない。(極力、犯罪は起こさないようにする)。 「ブスと言われた」という私の悩みは、決してコンプレックスではなく、社会へのうらみだ。 劣等感に悩んでいるのではなく、社会がおかしいから悩んでいる。正直、自分が変わるよりも、社会を変えたい。 「社会を変えたい」と言うと、怒る人が結構いる。「まずは自分が変われ」と言ってくる。いや、まあ、自分も少しは変わった方がいいかもしれない。でも、少なくとも、容姿を変える必要はないと考えている。きれいな人との方が仕事付き合いがしやすい、ブスは迷惑、と思う人がいるかもしれない。だが、迷惑をかけているとしても私は自分の顔を変える気はない。迷惑をかけて何が悪い。社会で生きているんだ。迷惑をかけたりかけられたりしてやっていくんだろうが。また、内面をちょっと変える、視点をちょっと変える、という努力をするとしても、「ブスだからせめて性格美人になろう」なんてことは、死んでも思わない。なんで、ゆがんだ価値観の方へ自分が合わせなければならないんだ?「性格美人」ってなんだよ、バカじゃねえのか。「性格の良い素敵な人」でいいじゃないか。なんで女性だからって、「性格美人」なんて言い方をされなくちゃならないんだ。続きを読む
投稿日:2023.11.07
hkr
最後の、おじさんに対する嫌悪感とか潔癖なところがすごく共感できた。性別とか年齢で一括りに敵をつくらずに、驕ることも萎縮することもなく、誰にでもフラットに接することができるようになりたい。
投稿日:2023.01.15
Anony
感想 人類はルッキズムを克服できるのか。進化の中で醸成された差別意識には一部合理的な面も。だが克服しなければ真の多様性は達成されない。
投稿日:2023.01.14
chika-books
予備知識なく、自虐的なエッセイ本を想像してしていたら、全く違った内容で驚きました。ルッキズムが引き起こす様々な問題について、これでもかというほどに掘り下げて語っていて、いろいろ気づかされました。 この…方の本は初めて読みましたが、作家というのは、ここまで深く物事を考えるものなのかと感心した一冊です。続きを読む
投稿日:2022.10.07
らて
このレビューはネタバレを含みます
直接的には美醜の問題に関係なさそうな事柄も述べており、意外にも社会派なエッセイだと感じました。 題名から単純に「ブスが自信を持てる、前向きになれるような著書」だと思って読むと少し肩透かしを食らうかな?といった印象です。 「美人はそうでない人に比べ3000万円得をする」なんて話も話題になっています。美人とブス、普通な容姿の人を同等に扱えとは言わないから、せめて差別のない社会になってくれると浮かばれる気がします。 「トロフィーワイフ」という言葉は本著で初めて聞きました。逆に高学歴で高収入な男性と結婚した女性がSNSのアカウントのプロフィールにわざわざ書いていたのを以前見かけたことがあったので「トロフィーハズバンド」といった文化もあるような気がします。 私自身重めの奥二重がコンプレックスなので「まぶた」や「化粧」の項目は興味津々で読みました。 私は「お化粧やお洒落は自分に自信を持ち戦闘力を上げる武器」だと考えているのでここぞ!という日には必ずお化粧をします。でもそうでない日は肌を労りたいのでノーメイクで過ごします。 性別に関係なくお化粧をしたい人(日)はお化粧をし、したくない人(日)はしない、そんな自由が認められていけばいいですね。
投稿日:2022.07.19
まっちゃ
本筋とは逸れますが、新聞社が受賞式で無断で撮った写真を掲載することがあるのは驚きでした。 SNS時代、とかく盛れることがフォーカスされがちで、見た目に自信がない私は肩身が狭く暮らしていましたが、どんな…人も胸を張って生きていていいんだ!という勇気をもらえる1冊でした。続きを読む
投稿日:2022.04.08
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