【感想】三島由紀夫 ふたつの謎

大澤真幸 / 集英社新書
(10件のレビュー)

総合評価:

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ブクログレビュー

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  • mamo

    mamo

    社会学者の大澤真幸さんによる三島由紀夫論。

    ふたつのなぞは、1970年11月25日の割腹自殺と同日に書かれた「豊穣の海」の最後のシーンのこと。

    あれほど頭の良い人がどうしてあんな愚かな死に方をしたのだろう?そもそもどうして天皇陛下万歳になってしまったのだろうというのはわたしにとっても大きな謎なので、読んでみた。

    大澤さんは、割腹自殺の愚かさという視点から三島作品を読むのではなく、高いレベルの三島作品の内在的な論理から割腹自殺を説明しようとする。

    構造主義、記号論的な概念を使いながら、多くの三島作品を丁寧に読み解いていくことを通じて、三島がなぜボディビルディングをして体を鍛え始めて、天皇崇拝的に言動を行い、最後に自衛隊に押し入り、クーデターを呼びかけ、不発に終わると割腹自殺を行うにいたるかを説明してくれる。

    この説明は、納得度が高いものだと思った。

    一方、「豊穣の海」のエンディングについては、わたしは実は、それほど違和感を感じてなくて、この壮大な物語を終わらせるには、こうとしかならなかったんじゃないかと思ったので、そもそも謎とは思っていなかったので、面白さはまあまあのところかな?

    著者は、「豊穣の海」のエンディングは、4作を通じて語られた輪廻転生の物語が最後に唐突に全否定されて、後味のわるいものになっているという。

    たしかにそこまでの物語が否定されるのだけど、全ては心次第という唯識論がでてきて、「無」というか、一種の解脱に向かう道が生じているように思えたので、わたしはそんなに後味がわるい感じはしなかったわけです。

    まあ、最後のエンディングが虚無なのか、唯識論的な解脱なのかは、わからないけど、小説としては、最後に輪廻転生を証明するイデアがでてきて大団円になるより、いいエンディングじゃないかと思ったわけです。

    あと、「天人五衰」の最後のシーンは、「春の雪」の最後で主人公の恋人が出家して、会えなくなるシーンの反復でもあって、そこは、多分、源氏物語が「夢浮橋」のエンディングで薫が出家した浮舟にあえないことを踏まえているはず。

    そして、「源氏物語」の最後も突如終わってしまうわけだから、「天人五衰」と「豊饒の海」全体がなんだかよくわからないまま終わってしまうのも、「源氏物語」へのオマージュではないかと思っている。

    と著者の問題設定にはあまり乗れないわけだけど、著者の丁寧なテクスト分析は素晴らしい。とくに、「豊穣の海」と最初の作品「花ざかりの森」の類似性は面白かった。
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    投稿日:2023.04.14

  • yoichiokayama

    yoichiokayama

    最後の長編『豊饒の海』のラストは、なぜこうなったのか。
    全編読み終わった時に、衝撃を受けました。
    このラストの謎を、市ヶ谷駐屯地での自身の最後と結び付けて考えます。
    三島由紀夫は市ヶ谷駐屯地に向かう前に、編集者へ『豊饒の海』の最後の原稿を渡すように準備を整えていました。
    このふたつの謎には何らかの繋がりがあると考えるべきなのだと著者は考え、論を進めていきます。
    日本を代表する文学者三島由紀夫の全作品からも、この謎を読み解いていきます。
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    投稿日:2021.11.26

  • housoushi

    housoushi

    市ヶ谷自衛隊駐屯地での割腹自殺、そして『豊饒の海』のラスト、その謎を解明すべく喜び勇んで読んで参りました。
    何と申しましょうか、レベルが高いと言うのか、哲学的な説明が多過ぎて私にはさっぱり分かりませんでした。本当にありがとうございます。
    本当の事は本人しか分かりません。いくら分析しても無駄でしょう、と言うと身も蓋もありませんが、ただでさえ難書だった豊饒の海、特に『暁の寺』ですかね。もうそれが頭割れるくらい難しいのですよ。
    つーか、それ以上にこの本が難しいじゃねーか!もっとレベル下げて解説してくれ、3行でまとめてくれ、ホンマは書いてる本人も途中から何を書いているのか分かってないんじゃないのか?アハハハハー
    って、最後まで読んでいても結論が哲学、哲学はやっぱり分かりません。哲学者さん考え過ぎやで。もっも楽に行きましょうや。

    兎に角『仮面の告白』『金閣寺』『豊饒の海』は面白いから読んでおいた方が人生において少しプラスになるんじゃないかと思います。

    三島由紀夫作品、面白いです。
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    投稿日:2021.02.27

  • そんそん

    そんそん

    めちゃくちゃ面白かった。
    三島の割腹自殺は、最大の謎として、文学界と日本現代史に大きなインパクトを残している。
    それを単に政治的な意図だけではなく、あくまで三島文学から哲学的に、その謎解きを丁寧に論理的に編み上げており、大澤真幸の理論には一部の隙もない。隙が無さすぎて、その真実性をかえって疑いたくなるくらいの完璧さである。それが、ある意味面白い。続きを読む

    投稿日:2021.02.22

  • marinnotousan

    marinnotousan

    三島由紀夫を読み切ってないと購入しない、三島由紀夫の二つの謎に迫る本。
    読んでもやはり「三島由紀夫」という海は大きい。

    投稿日:2019.08.28

  • schopenhauer

    schopenhauer

     三島由紀夫の自決については、あたかも腫れ物にさわるかのように、多くの識者が口をつぐんだままである。そんな中でこの問題に正面から取り組んだ大澤真幸の勇気にまずは拍手を送りたい。
     冒頭で大澤はタイトルにもある「ふたつの謎」を提示する。一つ目はもちろん三島由紀夫の自決である。なぜあんな死に方をしたのか。二つ目は最後の作品となった『豊饒の海』四部作の不可解なエンディングである。どうしてあのような、それまでのストーリーを全て台無しにするかのような、自己否定的な結末に至ったのか。両者は同じ日付を刻印されており、それだけに無関係ではないはずだと大澤は推理する。
     まず一つ目の謎について。1970年11月25日、三島由紀夫は学生戦士集団「盾の会」メンバー四人とともに市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地東部方面総監部に押し入り、バルコニーから決起を呼びかける演説をしたが聞き入れられず、その直後に自決した。自分の腹を切り、その直後に部下の森田必勝(まさかつ)に自分の首を刎ねさせた。さらに森田も切腹後に首を刎ねられ、三島の死は法の及ばない彼方へと葬り去られた。全ては計画的に実行されたものであり、決して思いつきの衝動的な行動ではなかった。
     さらに二つ目の謎は、遺作となった『豊饒の海』四部作のエンディングである。この作品はいわゆる輪廻転生を基礎低音として奏でられるシンフォニーで、各巻は時代も登場人物も異なるのだが、各巻の主人公が実は世代を超えた同一人物であることに本多繁邦という人物は気づいている。ところが年老いた本多が第一巻の主人公故松枝清顕の恋人だった綾倉聡子を訪ねてみると、彼女は松枝などという男性は見たことも聞いたこともない、と言う。それまでのストーリーを全て白紙に戻すかのような自己破壊的なエンディングは、当初から予定されていたものではなかったと大澤は推理する。
     第二章以降で大澤は、三島の諸作品を詳細に分析しながら、上の二つの謎を解く手がかりを見つけようとする。その分析は緻密であり、大澤の博識ぶりと三島への想いがにじみ出ているが、その一方で、三島の作品の分析が果たして三島の自決の動機に届くのかどうか、少々疑問にも思う。
    >自衛隊の市ヶ谷駐屯地で三島がなそうとしていたことは、自らの文学が到達してしまった地点からの、全力疾走の逃避である。綾倉聡子は言う。「松枝清顕はいない」と。三島は、これに絶叫するように反論する。「いや、いる! 天皇陛下(=清顕)はいるんだ」と。天皇を、白鳥としての天皇を存在させるための最後の手続き、それが、あの割腹自殺だ。自らが武士と見立てた者たちの前での、自分の鉄の肉体の華々しい破壊。その否定の作用によって、天皇=清顕の存在(の幻想)が生まれるはずであった。
     三島の人生と三島の作品が無関係だと言い切るつもりはない。しかし人生と作品が必ずしも一致する必要はない。それどころか文章の達人であればあるほど、思想の大家であればあるほど、その行為は言葉とは裏腹に貧弱な場合が多いことをわれわれは知っている。逆に行為で人生を表現する人物は言葉を使おうとはしない。言葉は常に嘘になる危険をはらんでいるからだ。
     まず三島の人生があり、そこから彼の作品を解釈しようとするのなら分かる。しかし彼の作品から、彼の人生を解釈し直そうとするのはいかがなものか。彼の作品をいくら解釈したところで、それは彼が自決した理由にはなりえないだろう。虚構内での彼の思考の変遷と、現実界での彼の行動の動機には接点がない。両者は異なる次元に属している。であればむしろまず三島の作品を忘れて、虚心坦懐に彼の人生を見つめ直すべきなのではないか。
     一般論によれば、三島の自決はクーデターに失敗したためということになっている(大澤も基本的にはその路線を踏襲しているように見える)。なぜ成功する見込みのないクーデターなどという愚行を、三島ほどの知性の持ち主が行なったのか。それが分からないと大澤は言う。
     しかし自分が思うに、三島が自決したのはクーデターに失敗したからではない。クーデターはカムフラージュに過ぎない。三島は最初から自決するつもりだった。自決は結果ではなく目的であり、クーデターは演出に過ぎない。もしもクーデターが成功していたら、三島は途方に暮れていたであろう。もしかするとそれでも自決していたかも知れない。全ては自決ありきのパフォーマンスであった。
     大澤は「三島ほどの知性の持ち主が」と言っているが、問題なのは知性と愚行の乖離ではないと思う。大澤自身ハイデッガーを引き合いに出しているように、言葉と行為に大きな乖離が生じてしまうことは、とりわけ巨大な知性の持ち主においては珍しいことではない。いわゆる言行不一致の問題である。だから三島の言っていることとやっていることのあいだに隔たりがあるというのであれば、それほど不思議ではない。そうではなくて不思議なのは、三島が自分の思想に行為を隷属させてしまったことである。言葉だけでなく行為までも実行してしまったことである。
     三島由紀夫は小説家であった。小説家とは言葉を生業にする者である。彼らは言葉を徹底的に洗練させる代償として、もはや現実から離陸して言葉だけをもてあそぶようになる。彼らにとって行為はどうでもいい。後に残るのは言葉だけである。かくして言葉を生業とする者に限って、言葉と行為が乖離するというジレンマが発生する。いわゆる言行不一致の問題は、とりわけ巨大な知性の持ち主においては避けられない。大澤が指摘しているハイデッガーにとどまらず、そのような例は枚挙にいとまがない。
     だからもしも三島の「言っていること」と「やっていること」が一致していないというのであれば、それは大して不思議なことではない。話は逆である。「言っていること」と「やっていること」に、三島が無理やり筋を通そうとしたことが不可解なのだ。三島ほどの小説家が、文学者が、言葉だけでは満足せずに、なぜ言葉を実行するという愚行(?)に走ってしまったのか。
     しかも三島は、少なくとも若いころは、必ずしも天皇崇拝の立場に立っていたわけではなかった。むしろ戦争を冷ややかな目で見ていたらしいという証言を、大澤も指摘している。後年三島が肉体改造に励んでいたのは有名な事実だが、もともと彼はひ弱な体質で運動神経も悪く、そのことに劣等感を抱いていた。若いころに兵役を免除されたときには大喜びしたというエピソードも残っている。
     すると次のような仮説が成り立たないだろうか。
     三島はエリートであり、文学者としては早熟の天才だったが、その一方で、自分の肉体的な弱さに対し劣等感を抱いていた。強くなりたいとひそかに思っていた。その思いがやがて肉体改造という形で実行に移される。彼は言葉よりも行為を重視するようになる。そしてもはや小説家としての自分よりも、革命家としての自分に重きを置くようになってゆく。
     要するに三島の自決は、文学との決別である。彼は自分が強い人間であることを証明するために、あのようなパフォーマンスを実行した。二つ目の謎、遺作となった『豊饒の海』の最後のどんでん返しは、なるほど予定されたものではなかっただろうが、文学の否定、言葉の否定としてのエンディングにふさわしいものではないだろうか。あのエンディングによって彼は今まで生きてきた小説家としての自分を、自分が書いてきた全作品を否定したのだ。
     しかし三島の自決は図らずも、彼の強さではなく弱さの証明になってしまった。本当に強い人間は、自分の強さを証明しようとしたりはしない。最後の最後で、思いとどまるという選択肢はなかったのだろうか。刃の冷たい切っ先が腹部に触れたときに、自分の行為にそれほどの価値があるのかと自問することはなかったのだろうか。まだまだいい作品を書き続けることができるかも知れない小説家としての自分を生かすために、時代錯誤もはなはだしい革命家としての自分を三島は断念するべきだったのではないか。紙一重の差で言葉ではなく行為を選んでしまった三島の最後の選択が、個人的には残念でならない。
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    投稿日:2019.07.09

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